京都市

提供: miniwiki
2018/7/24/ (火) 20:56時点における116.93.124.146 (トーク)による版 (会派構成)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。

Contents

概要

京都盆地の北部、大文字山より市街地を望む

市域は令制国でいうと山城国葛野郡愛宕郡紀伊郡の全域、山城国宇治郡乙訓郡丹波国桑田郡の一部、さらに山城国久世郡綴喜郡にもくい込んでいる。[* 1] 昼間人口では神戸市を抜き第6位である。京都府最大の都市であり、府の人口の56.6%を占める(2018年4月1日)。都道府県全体の人口の過半数を占める都市は、東京23区を一つの都市として考えない場合は京都市のみである。

都市雇用圏の基準では、京都市を中心として京都府南部・滋賀県南西部に広がる京都都市圏(京滋)は約268万人の人口を擁し(2010年〈平成22年〉国勢調査を基準とした都市雇用圏)、これは東京都市圏大阪都市圏名古屋都市圏に次ぐ日本第4位の規模である。また1.5%都市圏の基準では、京阪神大都市圏の一角を担う。

延暦13年(794年)に日本の首都になった平安京を基礎とする都市で、明治天皇東京行幸するまでの約1080年に渡って天皇家および公家が集住したため「千年の都」との雅称で呼ばれる(首都に関する議論は「日本の首都」を参照)。平安時代室町時代室町幕府期には日本の政治の唯一の中心であり、鎌倉時代、室町時代の中の戦国時代安土桃山時代江戸時代幕末期などにおいても、日本の政治の中心の一つとして大きな役割を果たした。

平安時代から江戸時代前期までは日本最大の都市であり、その市街地は「京中」、鎌倉時代以降は「洛中」と呼ばれ、都市としては「京」「京の都」「京都」と呼ばれた。江戸時代には三都明治期には三市大正期以降は六大都市五大都市)の各々の一角を占め、戦後には政令指定都市になった。このような中で都市生活者向けの商工業が発達し、特に国内流通が活発化した江戸時代には、全国に製品を出荷する工業都市となる一方、数々の技術者を各地のの要請に従って派遣した。その伝統は現在も伝統工芸として残るのみならず、京セラ島津製作所など先端技術を持つ企業をはじめ、任天堂ワコールなど業界トップクラスの本社が集まるなど、現代産業を支えている地域の一つである。

第二次世界大戦の戦災被害を免れた神社仏閣、古い史跡、町並みが数多く存在し、宗教貴族武家・庶民などの様々な歴史的文化や祭りが国内外の観光客を惹き寄せる大観光都市であり、「国際観光文化都市法」に基づく国際観光文化都市に指定されている。さらに、旧帝国大学京都大学をはじめとする多数の大学が集積し、国内外から学生や研究者が集まる学園都市ともなっており[* 2]国際会議観光都市に指定されている。

2008年(平成20年)7月28日には、門川大作市長は同市の都市経営戦略会議で、2011年度の実質赤字比率が推計で27%に達する見通しを発表し、財政再建団体への転落を示唆した[1]。しかし、その後の行財政改革により2010年度から黒字が続いている[2]

地理

京都府の南部に位置する内陸都市で、市内を賀茂川(途中で高野川と合流し、鴨川と名前を変える)、桂川宇治川などが流れる。

四条河原町(四条通と河原町通の交差点付近)は京都で最大の繁華街である。

滋賀県の県庁所在地である大津市に隣接しており、県庁所在地都市間の距離は京都市〜大津市が全国で最も近い。京都駅から大津駅までは普通電車を利用しても2駅で、10分ほどしかかからない。

森林が市域の4分の3を覆い[3]、市内には日本で最も高い木が生える[4]

市内の街路名と、街路を基準とした位置の呼称

市内の中心部など旧市街地では、街路名(通り)を基準とした住所表記が一般的に用いられている。

旧市街地では、平安京造成時の都市計画の名残で、東西・南北に通じる街路をもってあたかも碁盤の目状に区切られており、街路はすべて固有の名称がある[* 3]。 なお、街路名に付される「通り」の送り仮名「り」は付けないのが通例である。


街路名を基にした住所(位置)の表記

主に碁盤の目状に区切られた街路を持つ地域では、街路名の交差とその地点からの東西南北を指すことによって位置を示す方法が一般的に用いられ、町名や番地は省略するのが通例である。

先ず当該地が面している街路名を示し、次にその街路と直近で交差する街路名を示したうえ、その交差点から見た当該地の位置を東西南北で示す。北に向かう場合は上ル/上る(あがる)、南へは下ル/下る(さがる)[* 4]、東西に向かう場合はそれぞれ東入(ひがしいる)、西入(にしいる)と表記する。一例をあげると、京都市役所の所在地は「京都市中京区寺町通御池上ル(公的には「上る」) 上本能寺前町488番地」となり、寺町通に面し御池通から北に向かった地点を「寺町通御池上ル」で表し、その後ろに町名の「上本能寺前町」と番地を示す。なお、この表記方法は1889年(明治22年)の市制施行時から市域であった場所の大部分[* 5]において、住民基本台帳や不動産登記などにおける公的な表記として用いられるものである。

交差点と交差点のちょうど中間地点では、どちらの交差点を基準とするかによって二通りの表記が可能である。また、原則では近い方の交差点を基準とするものの、大通りなどの大きな交差点がある場合はそれを優先することもある。

近年、街路名を用いた住所表記では、インターネットの地図サイトやカーナビゲーションで検索できないという理由で、街路名を含まない町名と番地だけで住所表記する事例も増えている。[5]

しかし町域が狭く、膨大な数の町名がある京都では、町名と番地だけの表記では直感的な場所の把握が困難であり、また、同一の町名があちこちにあることが多いため、これでは場所を特定できない。たとえば中京区内に「亀屋町」は5箇所あり、さらには下京区にも2箇所、上京区にも4箇所ある。このような同一町名は中京区内だけでも32箇所もある。これらは一つの町の飛び地ではなく、関係のないまったく別の町である。 ただし、同じ町名でもそれぞれ郵便番号が異なるため、7桁の郵便番号を記載すれば、街路名がなくとも郵便物は配達される。

交差点名の表記

交差点の名称は、交差する2つの街路名を合成したものが用いられることが多い。どちらの通りを先に呼称するかについて定説は無く、たとえば「四条河原町」と「河原町四条」は同一地点を指す。

一方で、街路名を由来としない交差点名も少なくない。一例として、四条通と東大路通の交差点は「祇園」、西大路通と丸太町通の交差点は「円町」、今出川通と東大路通の交差点は「百万遍」と呼称しているが、これは都市計画による新たな街路が敷設された場合に、交差点名として伝統的な地名を採用したものが多い。

主な山・河川

気候

京都市
雨温図説明
123456789101112
 
 
50
 
9
1
 
 
68
 
10
1
 
 
113
 
13
4
 
 
116
 
20
9
 
 
161
 
25
14
 
 
214
 
28
19
 
 
220
 
32
23
 
 
132
 
33
24
 
 
176
 
29
20
 
 
121
 
23
14
 
 
71
 
17
8
 
 
48
 
12
3
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁 京都 平年値(年・月ごとの値)

京都盆地(山城盆地)の中に位置しているので、瀬戸内海式気候日本海側気候内陸性気候を併せ持ち、、昼と夜とで温度差が大きい。「京の底冷え」と言われるように冬の寒さは厳しい印象があるが、主要都市や関西の中でも取り立てて低温ではなく、京都地方気象台(中京区西ノ京笠殿町)のある中心街はヒートアイランド現象が顕著になり、かつてのような底冷えにはならない。最寒月(1月)の平均気温は4.6℃、平年最低気温は1.2℃である。郊外は中心部に比べて寒さは厳しく、特に同じ盆地内でも北の方ほど寒く、市内中心部では降雪がなくても左京区の岩倉、大原や北区の原谷では積雪や氷点下になっていることがある。北部の山間部(旧京北町など)は日本海側気候の影響もあり、冬季の1.0mm以上の降水日数が京都市街地の2倍以上となり、雪の日も市街地より多くて寒さが厳しい。市街地では積雪しても数cm程度のことが多い。2015年元日から1月3日にかけては大雪に見舞われ、61年ぶりとなる22cmの積雪を記録した。夏は暑さが大変厳しい。特に日中の気温が非常に上がり易く、、39℃台の記録も多数ある。熱帯夜日数は20.7日となっており、名古屋市(19.4日)より若干多いが大阪市(37.4日)や神戸市(43.1日)よりは少ない。

同じ京都市内といえども、北部の山間部と南部の市街地では分けて考える必要がある。市街地に限れば、年間を通して大阪市よりやや気温が高く雨量は多く、名古屋市よりわずかに気温が低く雨量は少ない、という程度の気候である。ただ、市街地も瀬戸内海気候と日本海側気候の境目で他の近畿地方の主要都市よりも不安定で、夏は大気の不安定さや湿った空気、冬は日本海からの雨雲や雪雲などで曇りがちで、にわか雨が多い。 テンプレート:Kyoto weatherbox

歴史

※ここでは明治維新以後の京都市について述べる。以前の京都市の歴史については、京都を参照。

現代都市への変革

幕末に政治の中心地となった京都は人口が膨れ上がり、かつてない活況を見せたものの、禁門の変などで街の多くが焼けたのに加え、明治維新後に皇室公家の大半が東京へ移り住んだため、一転急速な衰退を見せた。江戸時代は「三都」と呼ばれ、享保14年(1729年)には374,000人、明和3年(1766年)に318,000人の人口を誇る江戸大坂に次ぐ都会であったが、明治維新後の1873年(明治6年)には238,000人までその人口が落ち込んだ程である。

そのため、京都府知事(市制施行当初は、京都市長も兼任)などから産業の振興を呼びかける声が上がり、京都府に復興の顧問として迎え入れられた山本覚馬は京都を何とかして復興させようとある計画をする。それは1867年にパリで行われた当時最大のイベント「パリ万国博覧会」をヒントに京都で博覧会を開催しようと発案する。そのため、政府に嘆願し、外国人の居留地からの移動制限を博覧会の期間のみ解除することを許され、京都に外国人を迎え入れられるようにした。そして西本願寺知恩院建仁寺を会場に博覧会を開催し、京都の復興の足がかりを作った。前年の明治4年10月10日11月11日1871年11月22日12月22日)には日本初の博覧会が民間により西本願寺で開かれている[6]

また田邉朔郎による琵琶湖疏水といった疏水の建設と、疏水を用いた日本初の水力発電、さらにその電力を用いた日本初の電車運転(京都電気鉄道、後の京都市電)などの先進的な施策が実行された[7]。、人口は明治時代中期以降しばらく、毎年1万の増加を見せるようになった。

人口の増加と市街地の拡大に対応し、明治末期から道路拡築および市営電車敷設、第二疏水開削、上水道整備からなる「三大事業」が行われた。それに続く形で市区改正道路(都市計画道路)事業と市電の敷設が進められ、昭和初期には伏見市(現在の伏見区中心部)など周辺の市町村を編入し、ほどなくして人口は100万人を超えた。

第二次世界大戦下の京都

第二次世界大戦中、六大都市(東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜)の中では、空襲の大きな被害を受けなかったこともあり、日本の都市としては珍しく戦前からの建造物が比較的多く残されている。これは歴史遺産保護のために大規模空爆を受けなかったという説がある一方、広島市小倉市(現在の北九州市小倉北区小倉南区)・新潟市などと共に原子爆弾の投下候補都市と位置付けられており、その兵器の効力を知るために米軍が最後まで街を温存したという説が存在する(都市選定の経過については日本への原子爆弾投下を参照)。なお、京都が全く空襲を受けなかったわけではない。1945年昭和20年)1月16日〜6月26日にかけて、5回の空襲を受けている(京都空襲)。

年表

江戸時代以前

参照: 京都

明治時代

明治改元後
  • 1月末(1869年3月12日かその数日前[* 8])- 第2次町組改正の施行/上京33番組、下京32番組(旧暦の同年、1番組が分離して33番組となる)に再編成。
  • 3月28日(1869年5月9日) - 東京奠都の完遂(天皇の東京への完全移転)/天皇の東京への2度目の行幸あり、と思われたが、実際は、この時が京都から東京への事実上の“御所”の移転であった。天皇は、東京城に入ったこの日以降、崩御するまで、東京城を拠点として東京に居住し続けることとなり、東京城はその名も「皇城」と呼ぶこととなった(「宮城」と通称されたが、この名は第二次世界大戦後に廃止され、「皇居」が用いられるようになる)。一方、京都の御所は「天皇の正式な住居」という意味での「御所」ではなくなる。
  • 5月21日(1869年6月30日)- 上京第二十七番組小学校(明治6年、「柳池校(りゅうちこう)」に改称。昭和22年、「柳池小学校」に改称)と下京第十四番組小学校(明治6年、「修徳校(しゅうとくこう)」に改称。のちの修徳小学校)の開校/番組小学校(日本初の学区小学校)の最初の学校、すなわち、日本で最初の小学校として開校。
  • 9月23日か(1869年10月27日)- 西園寺公望京都御所内の私邸に私塾立命館を設立/日付は西園寺が揮毫した「立命館」の扁額の銘に基づく。
  • 12月21日1870年1月22日)- 上京第二十八番組及び二十九番組小学校(2組合同で設立した1校で、のちの「京極校(きょうごくこう)」)が、町組全65中最後の1校として開校し、京都府内の小学校数が64校となる。
  • 4月10日 - 郡区町村編制法京都府で施行され、明治元年に慣習的行政区画名称から慣習的地理名称に変じて以来法的に機能していなかった府内のが法的行政区画名称(行政郡)に変更され、整備される一方、上京と下京には新法上のが置かれ、上京区下京区が発足する。従来の区は「組」と改められる。
  • 4月10日 - 葛野郡の中堂寺村(現・藪之内町)・八条村(現・薬園町・八条町・東寺町)・西九条村(現・東油小路町・西油小路町)・東塩小路村(現・東塩小路町)の各一部を下京区に編入。
  • 1883年(明治16年)- 愛宕郡の聖護院村大石原および二条畑(いずれも現・石原町)を上京区に編入。
  • 1888年(明治21年)- 愛宕郡の岡崎村・聖護院村・吉田村・浄土寺村・南禅寺村・鹿ケ谷村・粟田口村を上京区に、同郡の今熊野村・清閑寺村を下京区に編入/現在の左京区東山区の各一部に相当する区域。
  • 1889年(明治22年)
ファイル:Киото, главная улица, 1891.jpg
ロシア週刊誌1891年発刊号にて挿絵として描かれた京都市の町並み
  • 1890年(明治23年)- 琵琶湖疏水の第一期工事が完成。
  • 1891年(明治24年)11月 - 琵琶湖疏水の水を用いて、日本初の水力発電所となる蹴上発電所が稼動開始。
  • 1892年(明治25年)5月頃 - 京都実業協会が平安遷都千百年紀念祭の開催を立案。
  • 1895年(明治28年)
日清戦争後
  • 1895年(明治28年)
  • 3月15日 - 岡崎西天王町にて、平安神宮の創建/来る平安遷都千百年紀念祭の一関連事業として、紀念祭に先立って創祀される。
  • 3月25日 - 京都市議事堂の竣工。
  • 4月1日 - 岡崎の一角(その後の平安神宮境内の一角、今の岡崎公園相当地域)にて、第4回内国勧業博覧会の開催(7月31日まで)/来る平安遷都千百年紀念祭の一関連事業として。
  • 10月22日 - 平安遷都千百年紀念祭の開催。
  • 10月25日 - 平安神宮が第1回時代行列(後付の名称としては第1回時代祭)を開催/平安遷都千百年紀念祭の一関連事業(余興)として執り行われた。
  • 10月12日 - 同年9月末で市制特例が廃止されたことに伴い、市長を置く。
  • 10月15日 - 上本能寺前町にて、京都市役所の開庁/のちにこの日は「京都市自治記念日」に制定される。
日露戦争後

大正時代

  • 1915年大正4年)- 大正天皇即位礼が行われる。
  • 1918年(大正7年)- 愛宕郡白川村、田中村、下鴨村、鞍馬口村、野口村および上賀茂村の一部、大宮村の一部ならびに葛野郡衣笠村を上京区に、葛野郡朱雀野村、大内村、七条村および西院村の一部ならびに紀伊郡柳原町および東九条村の一部、上鳥羽村の一部、深草村の一部を下京区に編入。京都市、京都電気鉄道を買収。
第一次世界大戦後

昭和時代

太平洋戦争前
  • 1927年昭和2年)- 市役所本庁舎竣工。日本初の中央卸売市場となる京都市中央卸売市場が開業。松ヶ崎浄水場給水開始。
  • 1928年(昭和3年)- 昭和天皇即位礼が行われる。
  • 1929年(昭和4年)- 上京区下京区が分区。左京区東山区中京区成立。紀伊郡伏見町が市制施行して伏見市成立。
  • 1931年(昭和6年)
    • 3月31日 - 京阪電気鉄道新京阪線(今の阪急電鉄京都線)の大宮乗り入れにより、近畿地方初の地下鉄道線開業。
    • 5月1日 - 伏見市と紀伊郡深草町・下鳥羽村・横大路村・納所村・堀内村・向島村・竹田村、宇治郡醍醐村を合併し伏見区設置。葛野郡嵯峨町・花園村・西院村・太秦村・梅ヶ畑村・梅津村・京極村・松尾村・桂村・川岡村を合併し、右京区設置。紀伊郡上鳥羽村・吉祥院村を下京区に編入。宇治郡山科町を東山区に編入。
  • 1932年(昭和7年)- 人口が100万人を超える。同年4月1日、日本初の都市トロリーバス京都市営トロリーバス)が開業。
  • 1934年(昭和9年)9月 - 室戸台風が関西に来襲。死者181名・負傷者1021名・家屋全半壊2653軒[8]
  • 1935年(昭和10年)
    • 6月29日 - 京都大水害、高野川・鴨川・天神川・桂川などの主要河川で堤防決壊、三条大橋五条大橋など53橋の流失、死者12名・負傷者71名・家屋全半壊482戸・床上床下浸水43279戸[9]
    • 8月10日 - 再度の豪雨による水害。鴨川の仮設橋が流失、天神川で氾濫、東山区山科(現・山科区)でため池が決壊・集落を直撃して死者5名・家屋13棟が全半壊[10]
  • 1936年(昭和11年)- 山科浄水場給水開始(昭和50年廃止)。
太平洋戦争中
  • 1942年(昭和17年)4月1日 - 配電統制令により市営水力発電所・市内送電網を関西配電に現物出資。
  • 1945年(昭和20年)- 堀川通御池通五条通で建物疎開。伏見浄水場給水開始(昭和52年廃止)。
    • 1月16日 - 米軍爆撃機B-29編隊が上空飛来のうえ市街爆撃、死者41人[11]
    • 4月16日 - 右京区太秦巽町に投弾あり。死者2人[12]
    • 6月26日 - 上京区智恵光院通下長者町上ルほかに着弾。死者43人。家屋全壊71戸[13]
参照: 京都空襲
太平洋戦争後

平成時代

人口

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると、0.08%増の1,475,183人であり、増減率は府下26市町村中6位。区別では最高が4.26%増の下京区、最低が3.66%減の東山区。

京都市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

行政

現職市長

ファイル:Jidai Matsuri 2009 029.jpg
時代祭の行列に参加する、門川大作京都市長(左)と山田啓二京都府知事(右)
  • 市長 - 門川 大作(かどかわ だいさく):2008年(平成20年)2月17日初当選(57歳)[15]、。2012年(平成24年)2月5日再選(61歳)[15]、2月25日再任。2016年(平成28年)2月7日再選(65歳)[15]、2月25日再任。現在は3期目で、任期満了日は2020年(平成32年)2月24日。
  • 副市長 - 岡田 憲和(おかだ のりかず):2016年(平成28年)4月1日就任[16]。任期満了日は2020年(平成32年)3月31日。
  • 副市長 - 村上 圭子(むらかみ けいこ):2017年(平成29年)4月1日就任[16]。任期満了日は2021年(平成33年)3月31日。京都市初の女性副市長[17]
  • 副市長 - 植村 哲(うえむら さとし):2017年(平成29年)4月1日就任[16]。任期満了日は2021年(平成33年)3月31日。

歴代市長

肖像 氏名 就任年月日 - 退任年月日 備考
1
75px
内貴甚三郎
1898年明治31年)10月12日
      -
1904年(明治37年)10月11日
京都市会が地元の名望家の就任を目指して三井総家と交渉するも断られ、次いで現職京都府知事と交渉するも不調に終わる[18]。その後、市会は選挙で3名の候補者を立て、第1候補の内貴が選任された[18]。6年任期を満了[18]
2
75px
西郷菊次郎
1904年(明治37年)10月12日
      -
1911年(明治44年)7月13日
市会選挙で3名の候補者を立て、第1候補の西郷が選任された[18]。在任6年半ののち、病気のため辞任[18]
3
75px
川上親晴
1912年(明治45年)1月6日
      -
1912年(明治45年)12月20日
市会選挙で3名の候補者を立て、第1候補の川上が選任された[18]警視総監に就任するため、在任期間1年を待たず辞任した[18]
4
75px
井上密
1913年大正2年)3月31日
      -
1916年(大正5年)7月19日
市長選考委員会が3名の候補者を推薦し、第1候補の井上が選任された[18]。病気のため辞任[18]
5
75px
大野盛郁
1917年(大正6年)1月10日
      -
1918年(大正7年)5月7日
市長選考委員会による後任選びが不調に終わり、市会選挙で3名の候補者を立てるも、第1候補の中川小十郎が辞退し、紆余曲折の末、やり直し選挙で3名の候補者を立て、第1候補の大野が選任された[18]。しかし、一身上の都合により、在任期間1年余で辞任した[18]
6
75px
安藤謙介
1918年(大正7年)11月29日
      -
1920年(大正9年)12月3日
市会選挙で3名の候補者を立て、第1候補の安藤が選任された[18]
7
75px
馬淵鋭太郎
1921年(大正10年)7月22日
      -
1924年(大正13年)9月19日
市長選考委員会が現職京都府知事・馬淵鋭太郎との交渉を整え、市会は選挙で選ぶ候補者3名の筆頭に立て、馬淵が選任された[18]。最後は突然に辞任した[18]
8
75px
安田耕之助
1925年(大正14年)2月21日
      -
1927年(大正16年)8月9日
市長選考委員会が内務省都市計画局長と交渉するも辞退され、安田を推薦する[18]。紆余曲折の末、市会は選挙で3名の候補者を立て、第1候補の安田が選任された[18]。病気のため、辞任した[18]
9
75px
市村光恵
1927年(大正16年)8月20日
      -
1927年(大正16年)11月13日
市長選考委員会が京都帝国大学教授・市村光恵の推薦を投票で決定し、市会は氏の意志を確認したうえで京都市政初の直接選挙を執り行い、市村が当選した[18]。しかし、市役所人事を巡って市会と対立し、就任後わずか3か月で辞任した[18]
10
75px
土岐嘉平
1927年(大正16年)12月13日
      -
1931年昭和6年)12月12日
市長選考委員会は候補者を2名に絞って選出し、市会の直接選挙で土岐が当選した[18]。4年任期を満了[18]
11
75px
森田茂
1931年(昭和6年)12月21日
      -
1932年(昭和7年)11月30日
12
75px
大森吉五郎
1932年(昭和7年)12月18日
      -
1935年(昭和10年)1月15日
13
75px
浅山富之助
1935年(昭和10年)2月19日
      -
1936年(昭和11年)6月4日
14
75px
市村慶三
1936年(昭和11年)6月4日
      -
1940年(昭和15年)6月3日
15
75px
加賀谷朝蔵
1940年(昭和15年)6月8日
      -
1942年(昭和17年)6月22日
16
75px
篠原英太郎
1942年(昭和17年)7月6日
      -
1946年(昭和21年)2月16日
17
75px
和辻春樹
1946年(昭和21年)3月13日
      -
1946年(昭和21年)11月27日
18
75px
神戸正雄
1947年(昭和22年)4月7日
      -
1950年(昭和25年)1月6日
京都市初の(狭義の)公選市長として就任。地方行政調査委員会議議長に就任するため、任期満了を待たずして辞任した。
19
75px
高山義三
1950年(昭和25年)2月10日
      -
1966年(昭和41年)2月4日
4期16年を満了。
20
75px
井上清一
1966年(昭和41年)2月5日
      -
1967年(昭和42年)1月8日
1期の満了まで1か月を切った1月8日、病で急死する。
21
75px
富井清
1967年(昭和42年)2月28日
      -
1971年(昭和46年)2月25日
1期を満了。
22
75px
舩橋求己
1971年(昭和46年)2月26日
      -
1981年(昭和56年)7月26日
3期目の途中で病に倒れ、任期満了を待たずに退任し、引退を表明した。
23
75px
今川正彦
1981年(昭和56年)9月1日
      -
1989年平成元年)8月29日
2期目の任期を満了後、引退。
24
75px
田邊朋之
1989年(平成元年)8月30日
      -
1996年(平成8年)1月29日
連続2期を満了。
25
75px
桝本頼兼
1996年(平成8年)2月26日
      -
2008年(平成20年)2月24日
3期目の任期を満了後、引退。
26
75px
門川大作
2008年(平成20年)2月25日
( 現 職 )
2008年(平成20年)2月17日初当選[15]、2月25日就任。2012年(平成24年)2月5日再選[15]、2月25日再任。2016年(平成28年)2月7日再選[15]、2月25日再任。現在は3期目で、任期満了日は2020年(平成32年)2月24日。

京都市長選挙

議会

ファイル:Jidai Matsuri 2009 025.jpg
市内で行われる時代祭には、議長や副議長も歴史的な衣装をまとって参加する。(写真は2009年の様子。右から、繁隆夫市会議長と安孫子和子市会副議長(肩書はいずれも当時))

京都市では慣例により市議会を市会と呼称する。これは大阪神戸横浜名古屋の各市でも同様である。

市会

議員定数は67人である。

  • 議長(第82代):津田大三(所属会派:自由民主党京都市会議員団、2015年(平成27年)5月18日就任)
  • 副議長(第90代):大道義和(所属会派:公明党京都市会議員団、2015年(平成27年)5月18日就任)

会派構成

会派名 議員数 所属党派
自由民主党京都市会議員団 21 自由民主党
日本共産党京都市会議員団 18 日本共産党
公明党京都市会議員団 11 公明党
国民・みらい京都市会議員団 7 国民民主党立憲民主党
京都維新の会・無所属京都市会議員団 5 おおさか維新の会無所属
地域政党京都党京都市会議員団 4 地域政党京都党
欠員 0

※ 2015年(平成27年)11月25日現在。

京都府議会(京都市選出)

  • 定数:35名
  • 任期:2015年(平成27年)5月18日〜2019年(平成31年)5月17日
選挙区 氏名 会派名
北区 (3) 岸本裕一 自由民主党京都府議会議員団
浜田良之 日本共産党京都府議会議員団
小林郁子 府民クラブ京都府議会議員団
上京区 (2) 迫祐仁 日本共産党京都府議会議員団
林田洋 自由民主党京都府議会議員団
左京区 (4) 石田宗久 自由民主党京都府議会議員団
北岡千はる 府民クラブ京都府議会議員団
光永敦彦 日本共産党京都府議会議員団
(欠員)
東山区 (3) 荒巻隆三 自由民主党京都府議会議員団
山科区 (3) 菅谷寛志 自由民主党京都府議会議員団
林正樹 公明党京都府議会議員団
本庄孝夫 日本共産党京都府議会議員団
下京区 (2) 小巻實司 自由民主党京都府議会議員団
西脇郁子 日本共産党京都府議会議員団
南区 (3) 秋田公司 自由民主党京都府議会議員団
小鍛治義広 公明党京都府議会議員団
山内佳子 日本共産党京都府議会議員団
右京区 (4) 岡本和德 府民クラブ京都府議会議員団
加味根史朗 日本共産党京都府議会議員団
島田敬子 日本共産党京都府議会議員団
二之湯真士 自由民主党京都府議会議員団
西京区 (3) 近藤永太郎 自由民主党京都府議会議員団
谷川しゅんき 京都維新の会京都府議会議員団
成宮真理子 日本共産党京都府議会議員団
伏見区 (6) 欠員
上倉淑敬 京都維新の会京都府議会議員団
馬場紘平 日本共産党京都府議会議員団
前波健史 自由民主党京都府議会議員団
山口勝 公明党京都府議会議員団
渡辺邦子 自由民主党京都府議会議員団

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
京都府第1区北区上京区中京区下京区南区 伊吹文明 自由民主党 12 選挙区
穀田恵二 日本共産党 9 比例復活
京都府第2区左京区東山区山科区 前原誠司 国民民主党 9 選挙区
繁本護 自由民主党 1 比例復活
京都府第3区伏見区など) 泉健太 国民民主党 7 選挙区
木村弥生 自由民主党 2 比例復活
森夏枝 日本維新の会 1 比例復活
京都府第4区右京区西京区など) 田中英之 自由民主党 3 選挙区

経済

1人当たり総生産(名目)[29]
年度 万円
1975 141.6
1980 233.9
1985 287.0
1990 386.2
1995 412.3
2000 418.1
2005 417.0
2010 405.3
2014 418.0

2014年(平成26年)度の市内総生産(名目)は6兆1638億円である。ドルで換算すると約600億ドルであり、ルクセンブルクのGDPに匹敵する。市民所得は4兆5929億円であり、一人当たりだと311.5万円である。市内総生産の経済活動別シェアはサービス業、製造業、不動産業、卸売・小売業の順に大きい[30]

伝統産業

74品目を京都市は伝統産業として指定し[31]、そのうち経済産業大臣指定伝統的工芸品と17品目が重複している。

本社を置く主要企業

上場企業

非上場企業

商業の特徴

以前より緩和されてはいるが大規模店舗の出店が旧市街地においては厳しく制限されている。

都心部の主な商業施設

四条烏丸から四条河原町三条にかけて商業施設が集積、老舗百貨店とされる大丸京都店藤井大丸高島屋京都店が出店。全国的に見られる中心市街地の空洞化はほとんど見られず、JR京都伊勢丹イオンモールKYOTO京都ヨドバシの出店により現在は京都駅前との競争が活発となる。

その他の主な商業施設

ベンチャー企業

京都市はベンチャー企業の町としても有名[32]

姉妹都市・提携都市

海外

姉妹都市[33]
パートナーシティ

その他に世界歴史都市連盟世界遺産都市機構イクレイに加盟している。

日本国内

京都市では国内の姉妹都市提携はこれまで行っていない。ただ、全国の「小京都」と称される街の集まりである全国京都会議には参加している。

提携都市
その他

国際機関

領事館

総領事館
名誉総領事館
名誉領事館

国家機関

文化庁は2021年度までに京都市へ移転することが発表されている[40]

地域

行政区

京都市は11の行政区より構成される(地理的位置順)。 区名の読みと、設置年は以下の通り(自治体コード順)。京都市設置当初は上京区・下京区の2区だったが、数度の分区や合併を経て1976年(昭和51年)に現在の11区が揃った。

読み 設立
北区 きたく 1955年上京区から
上京区 かみぎょうく 1879年区制による
左京区 さきょうく 1929年上京区から
中京区 なかぎょうく 1929年上京区と下京区から
東山区 ひがしやまく 1929年下京区から
下京区 しもぎょうく 1879年区制による
南区 みなみく 1955年下京区から
右京区 うきょうく 1931年葛野郡から
伏見区 ふしみく 1931年伏見市などから
山科区 やましなく 1976年東山区から
西京区 にしきょうく 1976年右京区から

地域名

平安京復元模型写真(平安京創生館

平安京は、平安中期の漢文学においてしばしば「洛陽」「長安城」「洛城」として現れる。いずれも「平安城」に代わる文学上の雅称と考えられる。のちにが西の長安を首都、東の洛陽を副都としたのを意識し、朱雀大路の西(右京)を長安、東(左京)を洛陽と称したとする認識が生まれた[* 10]。その後、低湿地であった右京南部が寂れ、御所などの重要施設も左京に集中するに伴い平安京の重心が東に移動したため、洛陽すなわち「洛」が平安京の代名詞となっていった。

たとえば、近世に多く描かれた屏風絵に京都の中心部と郊外を表した「洛中洛外図」というものがある。現在でも京都市内の地域名として以下のようなものがある。行政や観光ガイドでもよく使われるが厳密な区分はない。

なお、「」は現在でも「」を表す語として用いられるが、これは京都にのみ用いられる特称である。

  • 洛中(らくちゅう)- 上京、中京、下京の各区の辺りの呼び方
  • 洛外(らくがい)- 洛中の周縁の地域
    • 洛東(らくとう)、東山(ひがしやま)- 左京区銀閣寺辺りから東山区まで(洛東の場合、山科区をも包む。東山は含まない)。
    • 洛北(らくほく)、北山(きたやま)- 北区上賀茂から北大路通辺りまで
    • 洛西(らくさい)、西山(にしやま)- 右京区南部から西京区、乙訓辺り。嵐山など。
    • 洛南(らくなん)- JR京都線・琵琶湖線(東海道線)あるいは九条通り以南、伏見辺りまで。宇治まで含むこともある。

上記が大まかであるのに対して、もっと生活に密着した地域単位として、明治時代に導入された小学校区による地域名もよく使われる。京都の元学区を参照されたい。

また、政令指定都市では唯一住居表示を採用しておらず、洛中と言った都心部や近年になって開発された地域など一部を除いて、市内の地名の多くは京都市への編入前の旧町村名や大字小字をそのまま町名にしている(例:旧田中村字門前→左京区田中門前町)。

詳細は

を参照されたい。

健康

  • 平均年齢:45.9歳(2015年(平成27年))[41]

インフラ整備の状況

上水道

上水道普及率(2010年度末現在)[42]

全市人口比 99.1%
給水区域内人口比 99.9%

琵琶湖疏水からの水を利用する日本初の急速濾過式浄水場「蹴上浄水場」が1912年(明治45年)が完成して2012年で100年・人口と供給面積増加に伴い山科・九条山・伏見・松ヶ崎・新山科・山ノ内が設置されたが、現在は蹴上・松ヶ崎・新山科の3ヶ所の浄水場に集約された[43]。また蹴上・松ヶ崎・新山科の3浄水場ではソーラーパネルによる太陽光発電が行われていて、2013年10月には新山科浄水場を1000kWまで増設され、2014年度は松ヶ崎浄水場に730kWに増設された。

ちなみに琵琶湖疏水を通して年間2億トンの琵琶湖の湖水を得ていて、京都市は1947年に『疏水感謝金』の契約を滋賀県と結んだ。これは法的な根拠はなく、あくまでも感謝金で滋賀県も「山の植林・間伐・林道整備など、水源地となる山の保護事業に使っている」としている。感謝金額の査定は10年ごとに物価変動を考慮して滋賀県と京都市が相談して決定する。2012年当時の契約は消費税が8%になる予定の2013年度末までの『疏水感謝金』は年間2億2千万円が滋賀県へ支払われていた[44]。2015年度から10年間は年間2億3千万円となった[45]

しかし市民の節水意識の向上や生活スタイルの変化によって水道使用量が減少し、水道契約世帯の37%が基本料金の使用量10トン以下となっている。また京都市内は伏見をはじめとする「名水の井戸」が数多くあり、水道水を使わず井戸水を使用する宿泊施設[* 11]や商業施設[* 12]・病院などが40事業者もあり、それらの業者にもバックアップ用の大口径水道管が接続されているため収益は無いのに維持費が掛かり9億円の減収となっている[46]

配水管約2500kmのうち500kmは法定耐用年数の40年を越えるが、年間の更新は27kmであり、更新がなければ20年後に配水管の7割以上が耐用年数を越えると推定される。2011年10月に洛西ニュータウンで大規模な断水事故も起きていて、早急な対策が必要とされる[47]

このほか左京区大原地区では地元の河川を利用した水道が設置され、2005年4月に右京区に編入された旧・京北町では、独自の上水道が整備されていたが、京都市編入後は2011年11月より黒田・弓削の2つの浄水場が稼動を開始した[48]。西京区京都大学桂キャンパス側に府の乙訓浄水場(保津川嵐山付近より取水)があり、向日市・長岡京市・大山崎町へ供給している。

下水道

下水道普及率(2007年度末現在)[49]

全市人口比 99.1%

京都市内の下水道網は、ほぼ全域をカバーしているが、初期に造られた下水道を中心に市内40パーセントで雨水と汚水を一緒に流す合流式で大雨になると下水道から河川に雨水を放流する放流口が83箇所もあり、このときに汚水が未処理のまま河川に流れ出し悪臭や環境汚染が堀川や西高瀬川などで問題になり、1980年代より大雨時に水を溜めて下水処理場へ送る貯水幹線が堀川通や五条通の地下に整備された[50]

こうして集められた汚水は桂川東岸・宇治川北岸までが京都市上下水道局の鳥羽・伏見・石田に有る3つの水環境保全センター(下水処理場)と鳥羽水環境保全センター吉祥院支所で、桂川西岸は京都府の「洛西浄化センター(京都市伏見区と大山崎町に跨る)」・宇治川南岸は同「洛南浄化センター(八幡市)」で処理され淀川水系へ放流される、旧・京北町地区は京北浄化センターで処理され桂川上流部へ放流される。なお京都市山科区の上流部の滋賀県大津市藤尾地区・醍醐小栗栖地区の下水道管が通過する宇治市の六地蔵地区の一部の汚水も京都市上下水道局の石田水環境保全センターで下水処理されている。

淀川下流では、大阪府下全域と兵庫県の阪神地区で再度浄水として使用されているため BOD は国の基準・水1Lあたり 20mg を下回る 3mg 前後まで浄化され、旧・京北町に有る京北浄化センター以外は、通常の下水処理に加えて窒素・リンを取り除く高度処理が行われ、さらに鳥羽水環境保全センター吉祥院支所・伏見水環境保全センターでは友禅染などの作業所から出る染料の色素を除去するためにオゾン処理を導入している。

省エネ対策として京都市最大の下水処理場「鳥羽水環境保全センター」では、処理施設の上部に 1000kW の太陽光発電パネルを設置して2013年度より太陽光発電を導入[51]。石田水環境保全センターでは隣接するゴミ処理場からの廃棄物発電の電気による施設内の電力供給と余熱での汚泥の乾燥減量化していたが、ゴミ処理場の老朽化で2013年2月で休止されたため2015年度に1000kW太陽光発電パネルの設置が計画[52]され、伏見水環境保全センターではガスコージェネレーション設備を導入して自家発電による施設内の電力供給と余熱による汚泥の乾燥減量化を行っている。

ごみ収集

2013年4月現在、京都市のごみ収集は有料で一般ゴミは黄色の専用ゴミ袋を市内のコンビニ・スーパーマーケット・小売店で購入し、それにゴミを入れてごみ収集指定日に道路上の指定場所に出す。これらのゴミ袋は5リットル・10リットル・20リットル・30リットル・45リットルの6種類が用意されている。なお一般ゴミは市内3ヶ所の「クリーンセンター(ごみ焼却処理場)」で焼却されこの熱を利用して廃棄物発電が行われていて入札により売電されている。焼却灰は伏見区醍醐に有る最終処分場「エコランド音羽の杜」に埋め立てられる。

ビン、カン、ペットボトルとプラスティックトレイ・プラ包装材は資源ゴミは透明の専用ゴミ袋の使用が義務付けられていて、それぞれ週1回資源ゴミ専用指定場所に出すことになっている。ビン、カン、ペットボトルは伏見区横大路に有る「南部クリーンセンター」に隣接する知的障害者対象就労継続支援B型事業所『京都市横大路福祉工場』でアルミ缶・スチール缶・ペットボトルに分別されリサイクル業者に払い下げられる。プラスティックトレイ・プラ包装材は知的障害者対象生活介護事業所『京都市横大路学園』でプラスティックトレイ・プラ包装材に分別されリサイクル業者に払い下げられる。 また横大路地区には業務用廃棄物の「魚アラリサイクルセンター」が有り魚粉飼料に加工され、市民や業務用から集められた「使用済みテンプラ油」のバイオディーゼルフェールに加工工場も有り、加工された燃料は一部のゴミ収集車に使用されている。古紙類の回収は民間の古紙回収業者が充実しているなどとして、京都市としてリサイクルを行っておらず、このため市民は独自に民間の古紙回収業者を頼るか、燃えるごみとして出す必要がある[53]。ただし地域での自主的な集団回収に毎年最大10000円(古紙類のみを回収する場合。その他の品目も回収する場合は最大15000円)の助成金を交付している[54]

電力

京都市域は関西電力(関電)の営業区域となっている。なお、京都市役所はPPSエネットから買電した電気も使用している[55]

水力発電所

京都市内には関西電力の6箇所の水力発電所がある。これらは、琵琶湖疏水にありかつて京都市直営により運営されていた蹴上 (4,500kW)・夷川 (300kW)・墨染 (2,200kW) の各発電所と、京都電燈により設置され後に京都市に移管された鞍馬川の洛北発電所 (450kW)・清滝川の清滝発電所 (250kW)・栂ノ尾発電所 (900kW) が、日中戦争以降の電力国家管理政策『配電統制令(1941年8月発布)』により関西配電(のちの関電)に京都市内の送電設備と共に現物出資されたもので、これが京都市が現在も関西電力の株式419万株を保有する大株主の理由でもある。このほか、京都電燈により設置されたものとして、旧京北町桂川上流部の黒田発電所 (980kW) がある。(発電所の名称とカッコ内の発電出力は現在のもの[56]

関電以外にも京都嵐山保勝会が2005年嵐山渡月橋上流部に出力 5.5KW の小型水力発電機を設置、夜間「渡月橋周辺」をLED照明で照らし、余剰電力は関西電力に売却している。2013年度には修学院音羽谷の砂防ダム・蹴上インクライン横の放水路・嵯峨越畑の農業用水の3箇所の小水力発電所の建設[57]が計画されている。

太陽光発電

京都市では、国の一般家庭への太陽光発電パネル設置の補助金 1kW 当たり3万〜3万5千円にプラスして 1kW あたり2万円補助金を独自に出しているほか、市内の浄水場・下水処理場、青少年科学センター、魚アラリサイクルセンターなど公共施設・市内公立小中学校の増改築時[58]に太陽光発電パネルを設置している。これらは大規模災害時の非常用電源としても考えられている。さらに2013年度から新山科浄水場と鳥羽下水処理場に1MW、松ヶ崎浄水場に730kW、石田下水処理場に1MWの設備が順次整備された[59]

また、市民から出資を得て京都市の施設の屋上に太陽光発電パネルを設置して売電で得た収益を出資者に配当する「市民協働発電制度」を創設。2012年度から9か所で実施された[60]

京都市以外では、NEDO の技術開発機構フィールドテスト事業として1997年にJR東海の京都駅の新幹線ホームの屋根上に 100kW の太陽光発電パネルを設置、1998年8月京セラの新本社の屋上と南壁面 214kW の太陽光発電パネルが設置、1999年京都府営乙訓浄水場の沈殿池の上に 30kW の太陽光発電パネルが設置された。

2012年7月、ソフトバンク関連会社および京セラ関連会社と市の協業により、伏見区内にある市の最終処分場跡地にメガソーラーが設置された。同年9月の設備拡張分と併せた4.2MWの出力は京都府内で当時最大だった[61][62][63]。2015年には同じ伏見区で出力23MWのメガソーラーが着工した[64]

その他の発電所

京都市内3箇所のクリーンセンター(ごみ焼却処理場)は廃棄物発電が行われ約35,000kW が発電されていて、入札により売電されている。また伏見水環境保全センターではガスコージェネレーション設備で発電した電気で汚水の浄化に利用している。

ガス

京都市地域は大阪ガスの供給エリア[65]天然ガス13Aを京都市内に供給しているが、山科区の清水焼団地は大阪ガスの供給エリアの中にありながら、独自のLPガスの供給網を設備運用している。これは陶器を焼くのにカロリーの高いLPガスの方が大阪ガスの供給する天然ガスより適しているためである。

市外局番

市外局番は、大部分の地域は「075」(京都MA)。ただし、右京区嵯峨樒原、嵯峨越畑では「0771」(亀岡MA)。京北室谷町では「0771」(園部MA)[* 13]。伏見区醍醐一ノ切町、二ノ切町および三ノ切町では「077」(大津MA)。西京区大原野出灰町では「072」(茨木MA)。京北室谷町を除く旧京北町域は京都市への編入後、2011年12月1日をもって「0771」(亀岡MA)から「075」(京都MA)へと変更された。

シンボルカラー

京都市の公式サイト「京都市情報館」の外郭色はだが、これはである。

教育

開設予定を含めて41校の大学短期大学のキャンパスがある。大学相互の結びつきを深め、また、経済界との連携を強めるための公益財団法人大学コンソーシアム京都(通称、コンソーシアム)があるのも特徴的である。2003年(平成15年)以降、毎年10月上旬に京都学生祭典を開催している。

(※ 小学校中学校高等学校特別支援学校などは、各区のページを参照)

国・公立大学

私立大学

私立短期大学

その他

この他、アメリカの大学も積極的に京都で活動を行っている。Kyoto Consortium for Japanese StudiesEnglish版は、アメリカの14大学からなる組織であり、毎年50名程度の学生を日本に送っている[66]。また、スタンフォード大学は、京都市内に日本センターを設置している。大学共同利用機関法人として国際日本文化研究センターと総合地球環境学研究所がある。

学会

交通

市内中心部まで

近畿圏各地からは出発地によってJR私鉄各線を使い分けるが、京都駅周辺はJR・近鉄、四条河原町周辺は阪急・京阪のターミナルと、主に二箇所に分散している。また京都市内を発着地とする中長距離バス路線は、多くが京都駅をターミナルとしている。

東海道新幹線山陽新幹線沿線からは、大阪市内や神戸市内と比べて近畿三空港との距離が離れている(最も近い伊丹空港から京都駅までリムジンバスで約50分)。その一方、東海道新幹線で名古屋以西を走る全ての列車(「のぞみ」を含む)が京都駅に停車することから、新幹線航空機に対して圧倒的に優位に立っている。また、京都駅は京都府内のみならず、大阪府北東部や滋賀県南部および奈良県北部への新幹線の玄関口としての機能も持つ。

バス

市内路線バス

市内の移動は路線バスがメインとなる。観光シーズンになると積み残しが続出する状況のルートもあり、渋滞が悪化して所要時間が読めなくなることから[67]、鉄道各社線との乗り継ぎ利用でそれらのリスクを最小限に抑える利用方法が推奨されている[68]

京都市交通局(市バス)・京阪京都交通・京都バス・京阪バス・阪急バス・西日本ジェイアールバスとの間では、従来より回数券の共通化を行っており、地下鉄割引券込みの物も販売されていた。市バス・京都バス(それぞれ一部路線除く)および地下鉄全線が乗り放題の「地下鉄・バス一日(二日)券」が発売されている(他にも市バス・京都バスの均一区間専用の「バス一日券」、市外発の市内各線フリーきっぷ込みの割引きっぷ類などもあり)。

運行地域は、市バスが旧市街地中心で、京阪京都交通は西京区、および西京区・亀岡方面から旧市街地への乗り入れ、京都バスが右京区嵯峨地区と左京区岩倉・鞍馬・大原地区および両方面から旧市街地への乗り入れ、京阪バスが山科区と伏見区醍醐および両方面から旧市街地への乗り入れと比叡山方面、阪急バスが西京区(洛西ニュータウン)、西日本JRバスが旧京北町から旧市街地への乗り入れとなっているが、一部競合区間が存在する。
この他に、伏見区向島地区を運行する近鉄バス、西京区(洛西ニュータウン)を運行するヤサカバス、京都女子大学と京都駅八条口・四条河原町を結ぶプリンセスラインバス、旧京北町を中心に運行する京北ふるさとバスがある。

乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は旧市街地周辺は均一制(230円)。均一区間外は整理券による区間制となっている。

※はスルッとKANSAI対応カード(乗り放題カード類含む)が使用可能なバス
#は京都市域バス共通回数券が使用可能なバス
●は交通系ICカード全国相互利用サービスが使用可能なバス

均一運賃区間の境界バス停
蹴上(京阪バス)・地蔵谷・花園橋・岩倉三宅町・上高野(京都バス)・岩倉操車場(市バス)・宝ヶ池公園北口・深泥池・美薗口町(市バス)・上賀茂神社前(京都バス)・西賀茂橋・福王子・大覚寺・清滝・嵐山
苔寺すず虫寺・苔寺道・桂川小学校前・西京極・西京極運動公園前(京阪京都交通)・東側町・桂小橋・中久世・樋爪口・京阪淀駅・府道横大路・国道大手筋・城南宮東口(京阪バス)・三栖大黒町(京阪バス)・中書島
丹波橋(近鉄バス)・御香宮前・京都医療センター (京阪バス)・清閑寺山ノ内町(京阪バス)・将軍塚青龍殿 (京阪バス)

高速バス

京都駅と名古屋駅を結ぶ名神ハイウェイバスや、首都圏などと京都を含む京阪神地区を結ぶ多くの高速路線バス、ツアー形式の貸切バスツアーバス)が運行されている。上記した通り、京都市内を発着地とする高速バス路線の多くは京都駅をターミナルとしている。詳しくは京都駅の高速バス欄を参照。

また大阪市内を発着地として名神高速道路を通るバス路線のうち、京都駅に発着しない路線では、伏見区の深草バスストップ京都深草)を京都の玄関口と位置づけているものがある。詳しくは当該項目を参照のこと。

鉄道路線

西日本旅客鉄道
京都市交通局
阪急電鉄
京阪電気鉄道
近畿日本鉄道
京福電気鉄道
叡山電鉄
嵯峨野観光鉄道

京都駅が事実上の中央駅として機能している。なお、京阪および阪急の路線は京都駅を通っていないが、両者とも市内のターミナル機能は複数の駅に分散しており(京阪は出町柳駅・三条駅・祇園四条駅、阪急は河原町駅・烏丸駅)、中心駅と呼べる存在の駅はない。

市域には、事実上の同一駅や近隣に接する駅の場合でも運営社局によって駅名が相違している事例がいくつかある。

ICカード乗車券はJR西日本ではICOCAおよび相互利用カード(ICOCAの項を参照。電子マネー機能はPiTaPaは利用不可)、嵯峨野観光鉄道を除く私鉄・地下鉄各線では PiTaPa・ICOCAおよび相互利用カードが利用可能(嵐電は専用の「らんでんカード」がある)。また、JR西日本各線および近鉄線ではJスルーカード(現在は自動券売機でのみ対応)、叡電・嵯峨野観光鉄道を除く私鉄・地下鉄各線ではスルッとKANSAIカードに対応している。

東海旅客鉄道

東海旅客鉄道(JR東海)

東海道新幹線
西日本旅客鉄道

西日本旅客鉄道(JR西日本)

A 東海道本線JR京都線琵琶湖線
E 山陰本線嵯峨野線
B 湖西線
  • - 山科駅
D 奈良線

阪急電鉄(阪急)

京都本線
嵐山線

京都市交通局京都市営地下鉄

  • 六地蔵駅および同駅付近の一部区間が宇治市に所在していることを除き、全線が市内に所在している。
烏丸線
東西線

京阪電気鉄道(京阪)

  • 京阪本線と鴨東線は基本的に一体化した系統として列車の設定がなされている。
京阪本線
鴨東線
宇治線
京津線
近畿日本鉄道

近畿日本鉄道(近鉄)

 B  京都線

京福電気鉄道(嵐電)

  • 全線が市内にある。
嵐山本線
北野線

叡山電鉄(叡電)

  • 全線が左京区内に位置している。
 E  叡山本線
 E  鞍馬線
嵯峨野観光線

各区の主要駅

京都市を構成する11区の主要駅は以下の通り。様々な利用の起点・目的点として代表される駅である。

道路

自家用車利用は高速道路・一般道路ともに市内とその周辺を含めて。

近年、地球温暖化防止の観点から見直されたこともあってレンタサイクルが急増しており、宿泊客に対してこれらの便宜をはかる宿泊施設も増加している。また、ベロタクシーの日本発祥の地でもある。

通り


高速自動車国道

都市高速道路

その他の有料道路

かつて有料だった道路

一般国道

主要地方道

(越境路線のみ記載)

航空

空港はないが、かつてはIATA都市コード UKY が設定されていたほか、空港外のチェックイン施設(シティエアターミナル、CAT)が設置されていたこともある[69]

メディア

マスメディア・コミュニティ放送

主な出版社

観光

市内に観光地が散在し、2000年以降は年間4〜5千万人台の観光客が訪れる。2016年(平成28年)の観光客数は5,522万人だった。また、同年の外国人宿泊者数は318万人であり、近年は英米の旅行情報誌などで旅行先としての認知が進んでいる。[70][71]

京都観光サポーター制度

観光大使の任命などを内容とする京都観光サポーター制度が京都市により実施されている。

「古都京都の文化財」

古くは京都が日本の政治・文化の中心となっていて、第二次世界大戦の戦災から免れたことから、国宝の約20%、重要文化財の約14%が京都市内に存在する。

1994年(平成6年)に、近隣の宇治市内と滋賀県大津市内に所在するものを含め、17件の文化財が世界遺産に登録された。

世界遺産
その他の史跡

代表的な観光名所

社寺

その他

博物館等施設

相互協力団体として京都市内博物館施設連絡協議会があり、市内の博物館・美術館等のうち約200館で組織している。また、比較的大規模で公立の4館が京都ミュージアムズ・フォーの名で連携事業を行っている。

祭事・催事

主な祭事

街並み・景観保全

京都市は、。しかし、第二次世界大戦後になると社会の変化や経済優先の政策により徐々に景観が破壊され、これに対して景観論争がたびたび起こっている。

1964年(昭和39年)に建造された京都タワーは、京都の「第1次景観論争」を引き起こした。また1970年代の経済成長期には、風致地区美観地区など戦前から継続的になされている景観保護の施策があるにもかかわらず、1950年(昭和25年)に制定された建築基準法により伝統工法が違法となったほか、バブル期には多くの建て替えにより京町家による街並みが徐々に壊されていった。これは「第2次景観論争」といわれている。

山並みも京都の都市景観の重要な要素である。山間地での開発は概ね抑制されているが、1990年代には市内の高層建築によって山への眺望景観が阻害されることになった。

2004年の景観法制定により、これまでの景観条例に実効性・強制力を持たせることが可能となり、2007年には新しい景観政策が施行された。新しい景観政策では、建造物の高さ、デザイン、色などの規制がより強化された。中心市街地でも、建てられる建造物の高さは幹線道路沿いで最大31メートル、それ以外の職住共存地区では最大15メートルとなった。

市街地のほぼ全域に指定されている景観地区では、その地域ごとにデザインの規制がされ、厳しい地区では屋根の形状が「切妻、寄棟、入母屋」であること、屋根の葺き方が「日本瓦又は銅板」であること、屋根の勾配の比率が一定以上一定以下であること等のかなり具体的な規制に服することになる。建築物を建築等(増改築を含む)する際には、こうした具体的な基準に適合しているかどうか、市長の認定を受けなければならない。

また、眺望景観保全地域として、東寺清水寺などからの境内の眺めや、円通寺などからの庭園の眺め、鴨川からの大文字の眺めなど、38箇所からの眺望を指定し、その周辺をデザイン保全区域として、標高規制やデザインの規制がされる。

広告物についても、屋上広告物や点滅式照明は市内全域で禁止されているほか、都市景観を乱す恐れのある派手な広告看板は地域によって使える色や大きさが規制されている。日本全国に展開するチェーン店鋪の看板も、鮮やかなコーポレートカラーの使用を控え、他の地域とは異なる比較的地味な配色を採用する事例が多い[72]。一例として、飲食チェーンではマクドナルドすき家は他地域で紅系統を使用しているが、市内では赤褐色を使用している。小売店では、市内のローソンの一部では看板の青地の表示面積を少なくしているほか、ガソリンスタンドのENEOSは赤系統が採用された店舗用ロゴタイプを使用していない。金融機関では、メガバンクの三菱UFJ銀行みずほ銀行では本来の地色を使用せず、白地にそれぞれのコーポレートカラーの文字色を配したものを使用している。しかし改修費用の問題もあり、一部に違反状態が残る[73]。屋外広告物条例は2014年9月に経過措置期間が終了し完全施行された。

京都スポーツの殿堂

京都ゆかりのトップアスリートや優秀な指導者の功績をたたえるため「京都スポーツの殿堂」による表彰が行われる。2011年、西京極総合運動公園の市民スポーツ会館1階に殿堂ホールが開設された。[74]

年度 氏名 競技 業績及び京都との関わり 出生
平成22年 吉田義男 野球 山城高校から阪神に入団、1985年阪神優勝の監督 京都市
衣笠祥雄 野球 平安高校から広島に入団、連続試合出場記録日本記録樹立国民栄誉賞受賞 京都市
朝原宣治 陸上 同志社大学出身、北京オリンピック陸上男子400mリレー銅メダリスト 神戸市
平成23年 水野弥一 アメリカンフットボール 京都大学アメリカンフットボール部を監督として日本一に導く 京都市
釜本邦茂 サッカー 山城高校出身、メキシコオリンピックサッカー得点王および銅メダリスト 京都市
平成24年 山口良治 ラグビー 京都市立伏見工業高等学校ラグビー部をわずか7年で日本一に導き強豪校に 福井県美浜町
奥野史子 シンクロナイズドスイミング 同志社大学出身、バルセロナオリンピックシンクロ銅メダリスト 京都市
平成25年 藤田信之 陸上 ワコールなどの女子陸上指導者として野口みずきを育て上げた 京都府
坂田好弘 ラグビー 同志社大学から近鉄ラグビー部に入社、ワールドクラスの選手として東洋人初ラグビー殿堂入りする 大阪府
平成26年 桧山進次郎 野球 平安高校から東洋大学経て阪神に入団、「代打の神様」の愛称で長年活躍 京都市
早狩実紀 陸上 同志社大学出身、世界陸上出場5回北京オリンピック代表、全国都道府県対抗女子駅伝に選手・コーチ・監督として地元京都府チームの優勝に貢献する 京都市
大村加奈子 バレーボール 北嵯峨高校からダイエー入り、長年全日本代表選手としてアテネ・北京両オリンピックに出場 京都市
平成27年 佐野優子 バレーボール 北嵯峨高校出身。国内ではユニチカ東レ久光製薬、海外ではRCカンヌイトゥサチ・バクーガラタサライヴォレロ・チューリッヒに所属した。北京五輪、ロンドン五輪(銅メダル)に出場。 大阪府高槻市
田本博子 ソフトボール 祥栄小学校、洛南中学校明徳商業高校出身。選手としてシドニー五輪(銀メダル)に、コーチとして2008年北京五輪(金メダル)に出場。 熊本県
作本信夫雄 バスケットボール 洛南高校出身。母校のバスケットボール部及び国体京都府少年男子の監督を務め、インターハイ、選抜優勝大会、国体において合計10度制覇した。
平成28年 太田雄貴 フェンシング 平安中学平安高校、同志社大学出身。北京五輪銀メダリスト、2015年世界選手権個人優勝。 滋賀県大津市
寒川進 障がい者陸上 西京区在住。アテネパラリンピック1,600mリレー銅メダリスト。全国車いす駅伝競走大会では京都Aチームのエースとして2009年・2010年に優勝。京都マラソン車いす競技で第3回・5回大会優勝。
野口みずき 陸上 ワコールに入社後、桂川沿いや西京極陸上競技場、京都三条会商店街で走り込みを行った。アテネ五輪女子マラソン金メダリスト。アジア記録及び日本記録保持者。 神奈川県
平成29年 伊達公子 テニス 京都市の四ノ宮テニスクラブに参加 京都市
柱谷哲二 サッカー 京都商業高校卒業 京都市
平尾誠二 ラグビー 同志社大学大学選手権3連覇 京都市

京都市を拠点とする団体

スポーツチーム

名称 競技種目 所属リーグ 本拠地 運営会社・団体 設立
京都サンガF.C. サッカー JリーグJ2リーグ 西京極スタジアム
京都スタジアム[75]
京都パープルサンガ 1922年
日本新薬硬式野球部 野球 JABA社会人野球 京都市横大路運動公園野球場
わかさスタジアム京都
日本新薬 1955年
三菱自動車京都レッドエボリューションズ ラグビー トップウェスト 京都市宝が池公園運動施設球技場
など
三菱自動車工業京都 1957年
SGホールディングスグループギャラクシースターズ ソフトボール JSL わかさスタジアム京都
など
SGホールディングス 1986年
AS.Laranja Kyoto サッカー 関西サッカーリーグ 西京極スタジアム
京都市西京極総合運動公園補助競技場
AS.Laranja Kyoto 1987年
島津製作所Breakers ラグビー トップウェスト 京都市宝が池公園運動施設球技場
など
島津製作所 1988年
ミキハウスベースボールクラブ 野球 JABA社会人野球 わかさスタジアム京都
など
三起商行 2004年
おこしやす京都AC サッカー 関西サッカーリーグ 京都府立山城総合運動公園
など
おこしやす京都AC 2005年
バニーズ京都SC サッカー 日本女子サッカーリーグなでしこリーグ 西京極スタジアム
京都府立山城総合運動公園
BUNNYS京都 2006年
三菱自動車京都ダイヤフェニックス 野球 JABA社会人野球 三菱自動車グラウンド
など
三菱自動車工業京都 2008年
京都ハンナリーズ バスケットボール Bリーグ ハンナリーズアリーナ
島津アリーナ京都など
スポーツコミュニケーションKYOTO 2009年
京都フローラ 野球 JWBL わかさスタジアム京都
など
京都フローラ 2010年

音楽

出身有名人

京都市出身の人物一覧を参照。

京都市を舞台とした作品

文学・小説

映画

テレビドラマ

ゲーム

音楽

歌謡曲

唱歌

  • 鉄道唱歌 第一集東海道編(作詞:大和田建樹、作曲:多梅稚上眞行)- 1900年(明治33年)5月発表のこの曲では、全66番のうち京都には1/8弱に当たる8番(山科を含めれば9番)を割り当てており、鎌倉の4番、近江八景の6番よりも長い。作詞者である建樹が相当の興味を抱いていたからとされ、名所は多く詠われている。
    • 45. 大石良雄が山科の その隠家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山 (大石良雄伏見稲荷
    • 46. 東寺の塔を左にて とまれば七條ステーション 京都京都と呼びたつる 駅夫の声も勇ましや (京都駅
    • 47. ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地 今も雲井の空たかく あおぐ清涼紫宸殿 (京都御所
    • 48. 東に立てる東山 西に聳ゆる嵐山 かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川 (山川の地理)
    • 49. 祇園清水知恩院 吉田黒谷真如堂 ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮 (京都東部の名所)
    • 50. 夏は納涼(すずみ)の四條橋 冬は雪見の銀閣寺 桜は春の嵯峨御室 紅葉は秋の高雄山 (四季の名所)
    • 51. 琵琶湖を引きて通したる 疏水の工事は南禅寺 岩切り抜きて舟をやる 知識の進歩もみられたり (琵琶湖疏水
    • 52. 神社仏閣山水の ほかに京都の物産は 西陣織の綾錦 友禅染の花もみじ (京都の名産品)
    • 53. 扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず 土産を提げていざ立たん あとに名残は残れども (西への出発)

漫画

ライトノベル・アニメ

脚注

注釈

  1. 山科区と伏見区東部が山城国宇治郡、西京区大枝・大原野と南区久世(くぜ)・伏見区の一部が山城国乙訓郡、左京区広河原・花脊と右京区京北が丹波国桑田郡、伏見区淀が山城国久世郡、淀のうち美豆が綴喜郡である。
  2. 市内に本部を置く大学は27にのぼり、また大学生・大学院生の人口に対する割合は約10%で、いずれも政令指定都市では最も高い(2015年国勢調査・学校基本調査)。
  3. ただし、街路が市街地の途中で途切れたり別の通りと合流する(多くの場合は別の名称になる)場合や、必ずしも直線ではない場合もある。また、ごく一部に東西・南北の方向ではない(斜め方向の)街路(例:後院通)や、同じ街路であるにも関わらず一部区間だけ違う呼称を用いる(例:大和大路通の縄手通)事例もある。
  4. 現在、公的な書類ではひらがなの送り仮名しか認められていないが、伝統的にはカタカナで「上ル・下ル」と表記するのが通例であり、現在でも広く用いられている。なお、いずれの場合も「上ガル」「下ガル」「上がる」「下がる」とは表記しない。
  5. 1889年(明治22年)の市制施行時から市域であった場所でも、一部に「祇園町北側」や「本町○○丁目」など、通り名による表記を付さない町もある。
  6. 明治5年12月2日までの西暦新暦)表記は和暦旧暦)を原資料とした換算である。
  7. 旧暦の明治元年11月は、11月1日から11月30日(同月最終日)までであるから、新暦グレゴリオ暦)では1868年12月14日から1869年1月12日までにあたる。旧暦11月の何日なのか特定できないので、新暦では年のレベルで特定ができない。
  8. 旧暦の明治2年1月末を同月最終日である1月30日とした場合、新暦では1869年3月12日にあたる。
  9. 令制国における山城国以外の地域(丹波国)を初めて市域とした。
  10. 「左京=洛陽、右京=長安」説の初出は今のところ、鎌倉末期に書かれた「拾芥抄」である。
  11. 京都ブライトンホテルやホテル日航プリンセス京都では自社ホテル敷地内の井戸で地下水を汲み上げて使用している、伏見の料理旅館「清和荘」では料理に使うだけでなく伏見の酒造メーカーとタイアップして名水を使ったオリジナルの日本酒の製造もしている。
  12. 髙島屋京都店では、トイレの洗浄水は地下水を汲み上げ使用している。
  13. 総務省の市外局番の番号区画コードは八木町を除く南丹市、船井郡と同じ417である。

出典

  1. 京都未来まちづくりプラン - 京都市
  2. 平成24年度決算参考データ集 〜データで見る京都市財政のあらまし〜 - 京都市 平成25年9月
  3. 京都市”. ICLEI Japan. . 2017閲覧.
  4. “京都の杉が高さ日本一 62.3メートルと確認”. 日本経済新聞. (2017年11月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23992330Y7A121C1AC8000/ 
  5. 京の通り名不要!?ネットで地図検索できず”. 読売新聞 (2010年7月20日). 2010年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.
  6. 工藤泰子「明治初期京都の博覧会と観光」、『京都光華女子大学研究紀要』第46巻、京都光華女子大学、2008年12月、 77-100頁、 NAID 110006977012博覧会一覧(年表)”. 国立国会図書館. . 2014閲覧.
  7. 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p81(参考)ISBN 9784569616186
  8. 植村善博著『京都の治水と昭和の大水害』(文理閣)第5章「昭和9年室戸台風」より
  9. 植村善博著『京都の治水と昭和の大水害』(文理閣)第6章「昭和10年6月京都大水害」より
  10. 植村善博著『京都の治水と昭和の大水害』(文理閣)第6章「昭和10年6月京都大水害」・169頁「9 昭和10年8月水害」より
  11. 『戦争のなかの京都』(中西宏次著、岩波ジュニア新書、2009年、p141)による
  12. 中西前掲書p143
  13. 中西前掲書、p144
  14. 記念プロジェクトについて 大政奉還百五十周年記念プロジェクト公式サイト
  15. 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 15.5 選挙ドットコム
  16. 16.0 16.1 16.2 京都市総合企画局市長公室. “副市長のプロフィール”. 京都市情報館(公式ウェブサイト). 京都市. . 2018閲覧.
  17. “村上氏「先輩に感謝」 女性初、副市長就任決まる/京都”. 毎日新聞. (2017年3月25日). https://mainichi.jp/articles/20170325/ddl/k26/010/451000c . 2018閲覧. 
  18. 18.00 18.01 18.02 18.03 18.04 18.05 18.06 18.07 18.08 18.09 18.10 18.11 18.12 18.13 18.14 18.15 18.16 18.17 18.18 18.19 18.20 森脇俊雅 (2007年4月). “戦前の地方議会と首長の関係について (PDF)”. CiNii 雑誌『法と政治』58巻1号. . 2018閲覧.
  19. 平成28年2月7日執行 京都市長選挙 開票結果 - 京都市選挙管理委員会
  20. 平成28年2月7日執行 京都市長選挙 投票者数調 - 京都市選挙管理委員会
  21. 平成24年2月5日執行 京都市長選挙 開票結果 - 京都市選挙管理委員会
  22. 平成24年2月5日執行 京都市長選挙 投票者数調 - 京都市選挙管理委員会
  23. 平成20年2月17日執行 京都市長選挙 開票結果 - 京都市選挙管理委員会
  24. 平成20年2月17日執行 京都市長選挙 投票者数調 - 京都市選挙管理委員会
  25. 平成16年2月8日執行 京都市長選挙 開票結果 - 京都市選挙管理委員会
  26. 平成16年2月8日執行 京都市長選挙 投票者数調 - 京都市選挙管理委員会
  27. 平成12年2月6日執行 京都市長選挙 開票結果 - 京都市選挙管理委員会
  28. 平成12年2月6日執行 京都市長選挙 投票者数調 - 京都市選挙管理委員会
  29. 県民経済計算”. 内閣府. . 2017閲覧.
  30. 京都市の市民経済計算 平成26年度推計結果”. KYOTO OPEN DATA. 京都市. . 2017閲覧.
  31. 京都市の伝統産業”. . 2017閲覧.
  32. "産学官連携ジャーナル2009年1月号". 科学技術振興機構.
  33. 京都市例規集 姉妹都市盟約宣言”. . 2015閲覧.
  34. 相互交流宣言(京都市) - 会津若松市
  35. 京都市と観光・文化交流宣言を締結 - 市報にいがた 平成25年4月7日 2406号
  36. 相互交流宣言(向日市) - 京都市
  37. 京都市・宇治市による観光振興と安心安全に関する連携協定締結式 - 京都市
  38. “都市間交流宣言:龍馬の絆で結ぶ協定 全国8市区、観光・防災で交流へ”. 毎日新聞. (2014年11月16日). http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20141116ddlk26040311000c.html 
  39. 「龍馬の絆で結ぶ都市間交流宣言締結式」の開催について - 京都市
  40. 政府関係機関の地方移転”. まち・ひと・しごと創生本部. . 2018閲覧.
  41. 平成27年国勢調査 人口等基本集計(男女・年齢・配偶関係,世帯の構成,住居の状態など)
  42. 京都市情報館 京都市水道施設の現状”. 京都市 (2011年11月28日). . 2012閲覧.
  43. 参考文献・京都市発行「市民しんぶん」平成23年11月1日号 16面『京の水道、100歳。』
  44. 出典・京都新聞2012年8月20日朝刊「潤いをとどけて 京都市水道100年『7)市民の感謝』」
  45. 出典・京都新聞2015年3月31日朝刊京都市民版26面記事より
  46. 『「潤いをとどけて 京都市水道100年」6)需要の変化』 京都新聞2012年8月18日朝刊22面に掲載の連載記事より
  47. 出典・京都新聞2012年8月16日朝刊「潤いをとどけて 京都市水道100年『4)追いつかない更新』」
  48. 出典・京都市上下水道局広報誌『京の水だより』vol.4 2011年12月発行より
  49. 京都市情報館 京の下水道 その今日と明日” (2010年10月18日). . 2012閲覧.
  50. 京都新聞2012年8月21日朝刊20面市民版の連載記事「潤いをとどけて 京都市水道100年」『8)返したい美しい水』より。五条通の雨水幹線は五条大橋より。
  51. 出典・2012年7月1日京都新聞26面記事より
  52. 出典・2013年6月15日京都新聞朝刊23面記事より
  53. 京都市情報館 家庭ごみの出し方 古紙類” (2012年6月4日). . 2012閲覧.
  54. 京都市情報館 コミュニティ回収制度” (2012年6月1日). . 2012閲覧.
  55. 京都市市庁舎(北庁舎・本庁舎)への電気供給を開始 - エネット(2009年4月1日付、2012年8月6日閲覧)
  56. 平成22年京都府統計書 第11章[1]
  57. 京の小水力発電3候補 - 京都新聞(2012年3月12日付夕刊1面)
  58. 京都市教育委員会教育環境整備室
  59. 出典・京都新聞2013年6月15日朝刊23面記事より。広報誌『京都市民しんぶん』 2012年8月1日号
  60. 京都市市民協働発電制度について
  61. ソフトバンクのメガソーラー発電所が運転開始! 京都と群馬で運転開始セレモニーを開催”. ソフトバンクグループ (2012年7月11日). . 2015閲覧.
  62. 京都でメガソーラー始動 ソフトバンクと京セラ子会社 - 朝日新聞デジタル(2012年7月1日付、同年8月7日閲覧)
  63. 「原子力依存ゼロも再生エネルギーで可能」 メガソーラーでソフトバンクの孫社長 - msn産経ニュース(2012年7月1日付、同年8月7日閲覧)
  64. “京セラTCLソーラー/京都市伏見区でメガソーラー着工/施工は三井住友建設”. 日刊建設工業新聞. (2015年6月30日). https://www.decn.co.jp/onlineservice/News/detail/201506302407 
  65. 大阪瓦斯供給エリア図
  66. http://www.ce.columbia.edu/overseas/about.cfm?PID=32&Content=Activity
  67. 市バス・地下鉄「秋のおもてなしキャンペーン」の実施について”. . 2018閲覧.
  68. 京都の乗り方「乗り継いで、組み合わせて、とっても便利な京都の電車・バス」”. . 2018閲覧.
  69. 「はるかレールゴーサービス」等の中止について - JR西日本(2002年8月2日付、2014年3月2日閲覧) ※インターネットアーカイブ ※かつてCATが設置されていた旨の出典。
  70. 京都観光総合調査”. 京都市. . 2017閲覧.
  71. 京都観光の状況について (PDF)”. 第5回「京都観光振興計画2020」マネジメント会議. 京都市. . 2017閲覧.
  72. 49のソコヂカラ・「シンプルイズベスト」の項
  73. “違反看板ゼロ正念場 京都市条例9月完全施行”. 京都新聞. (2014年5月28日) 
  74. 京都スポーツの殿堂”. スポーツウェブ京都. . 2018閲覧.
  75. 京都サンガF.C.ホームタウン拡大化のお知らせ - 京都サンガF.C.(2010年8月17日付、2011年1月3日閲覧)

関連項目

外部リンク