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渡辺淳一

渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年昭和8年)10月24日 - 2014年平成26年)4月30日

 小説家。北海道空知(そらち)郡生まれ。札幌医科大学卒業。中学校時代、国語教師を通じて初めて文学と触れ合い、文学への関心を高めつつも、1952年(昭和27)北海道大学理類に入学。1954年には札幌医科大学医学部に進学し医学の道へ。同大学在学中に処女作「イタンキ浜にて」を発表。1959年整形外科で医師国家試験に合格。母校の整形外科で講師となるが、同人誌『くりま』を通じて小説を発表し続け、1959年「人工心肺」がテレビドラマ誌脚本募集に入選し、テレビ放映される。1964年、結婚。1965年には北海道内の同人誌優秀作に選ばれた、母親の死を描いた「死化粧」(「華やかなる葬礼」を改稿)で第12回新潮同人雑誌賞を受賞し文壇デビュー。「死化粧」は第54回芥川賞候補にもなる。冒頭の第1行目「今日一日、わたしは休みなく働いた」という一文は、明らかにカミュの『異邦人』の影響を受けている。その当時、作者はカミュに熱中し『異邦人』も暗記するほど何度も読んだという。過去形で積み重ねられていく、短く簡潔な文章にひそむ乾いた叙情性に惹かれていたためで、カミュはその後の渡辺の作品にもかなり影響を与えている。1967年発表の「霙(みぞれ)」が第57回直木賞候補、1968年「訪れ」が第58回芥川賞候補となり、1969年札幌医科大学講師を辞職、本格的に作家業に専念するため上京。これら候補作を集めた作品集『ダブル・ハート』(1969)が刊行された。

 西南戦争で同様の傷を負い、1人は腕を切断し、1人は切断しないままという処置の違いで、対照的な後半生を歩む2人の軍人の数奇な運命をたどる人間像を描いた『光と影』(1970)で念願だった第63回直木賞を受賞。ほかに伝記小説的な分野も手掛けるようになり、1970年には日本の女医第一号である荻野吟子の生涯を描いた書き下ろし長編『花埋(はなうず)み』を発表。北海道出身の女流歌人中城ふみ子の短い生涯を追う『冬の花火』(1975)、明治期から大正へかけて新劇の勃興期に一時代を築いた松井須磨子の一生を、人間的な角度から捉えた『女優』(1977)、日本の志願解剖第一号となった遊女の動機に迫った『白き旅立ち』(1979)、天才にして野放図な性格でもあり、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい野口英世の生涯を描く『遠き落日』(1979)と、この傾向の作品には秀作が多い。

 また地方紙に『リラ冷えの街』(1971)を連載。初めての週刊誌連載で初期の代表作『無影燈』(1972)を発表。ニヒルで孤独感の漂う外科医と、彼を慕う看護婦との報われない恋愛と医学界の内幕を描いた本作によって渡辺淳一の人気は決定的になった。『野分け』(1972)、『峰の記憶』(1978)、『流氷への旅』(1980)など、清冽な恋愛ロマンも多い。また全5巻の『白夜』(1980~1988)は自伝的長編で、医学生となった頃から文学の道を目指して上京するまでの前半生が描かれる。

 『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』(ともに1979)で第14回吉川英治文学賞を受賞、渡辺淳一の名声をより一層確実なものとする。その一方で『化粧』(1982)、『ひとひらの雪』(1983)、『化身(けしん)』(1986)など、男女の愛と性の深淵や人間の情念を華麗な筆致で描き「新耽美派文学」として高い評価を受けると同時に、いずれも大ベストセラーとなる。1990年(平成2)発表の『うたかた』刊行時には、「うたかた族」といった造語が誕生。恋愛小説の教祖的存在となる。1995年『日本経済新聞』に『失楽園』を連載。日頃恋愛小説に接することの少ない中年男性読者を魅了した。1997年には『失楽園』が映画・テレビドラマ化され、一大ブームを巻き起こし、「失楽園」が1997年度新語・流行語のグランプリを受賞するという出来事も起こった。1998年には北海道札幌市の中島公園そばに「エリエールスクエア札幌渡辺淳一文学館」が開館。



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