賀茂別雷神社

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賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社名神大社)、山城国一宮二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

ユネスコ世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要

京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り[1]平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。また、社報「上賀茂」が年2回発行されている。

祭神

歴史

創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。

延暦13年(794年)の平安遷都後は、皇城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭月次祭相嘗祭新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治近代社格制度でも伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。

境内

摂末社

摂社

  • 片山御子神社
    • 祭神:玉依比売命
    • 式内社(大)「愛宕郡 片山御子神社」。第一摂社
  • 新宮神社
  • 大田神社
    • 祭神:天鈿女命
    • 式内社「愛宕郡 太田神社」。境外摂社で、第三摂社[2]
  • 若宮神社
    • 祭神:若宮神
  • 奈良神社
    • 祭神:奈良刀自神
  • 賀茂山口神社
    • 祭神:御歳神
    • 式内社「愛宕郡 賀茂山口神社」。第五摂社(明治10年まで第七摂社)
  • 久我神社
    • 祭神:賀茂建角身命
    • 式内社「愛宕郡 久我神社」。境外摂社で、第六摂社(明治10年まで第八摂社)
  • 須波神社

末社

  • 棚尾社 - 祭神:櫛石窓神・豊石窓神
  • 川尾社 - 祭神:罔象女神
  • 橋本社 - 祭神:衣通姫神
  • 岩本社 - 祭神:底筒男神・中筒男神・表筒男神
  • 山尾社 - 祭神:大山津見神
  • 土師尾社 - 祭神:建玉依比古命
  • 杉尾社 - 祭神:杉尾神
  • 山森社 - 祭神:素盞嗚神・稲田姫命・田心姫命
  • 梶田社 - 祭神:瀬織津姫神
  • 白鬚社 - 祭神:猿田彦神
  • 百大夫社 - 祭神:船玉神
  • 鎮守社 - 祭神:大国主神・少彦名神
  • 福徳社 - 祭神:福徳神
  • 藤木社 - 祭神:瀬織津姫神
  • 小森社 - 祭神:水分神
  • 半木社 - 祭神:天太玉命

主な祭事

文化財

国宝

建造物

  • 本殿 - 1863年建造
  • 権殿 - 1863年建造

重要文化財

建造物(34棟)

  • 本殿権殿取合廊 - 1863年頃建造
  • 本殿東渡廊取合廊 - 1863年頃建造
  • 西渡廊 - 1628年建造
  • 透廊 - 1628年建造
  • 渡廊 - 1628年建造
  • 祝詞舎 - 1628年建造
  • 塀中門 - 1628年頃建造
  • 摂社若宮神社本殿 - 1628年建造
  • 東渡廊 - 1628年建造
  • 四脚中門 - 1628年建造
  • 御籍屋 - 1628年建造
  • 神宝庫 - 1628年建造
  • 唐門 - 1628年頃建造
  • 東御供所 - 1628年頃建造
  • 直会所 - 1628年頃建造
  • 楽所及び西御供所 - 1628年頃建造
  • 幣殿 - 1628年建造
  • 忌子殿 - 1628年頃建造
  • 幣殿忌子殿取合廊 - 1628年頃建造
  • 高倉殿 - 1628年頃建造
  • 楼門 - 1628年建造
  • 廻廊 2棟 - 1628年頃建造
  • 摂社新宮神社本殿及び拝殿 2棟 - 1628年建造
  • 摂社片岡神社本殿及び拝殿 2棟 - 1628年建造
  • 片岡橋 - 明治初年建造
  • 拝殿(細殿) - 1628年建造
  • 舞殿(橋殿) - 1863年建造
  • 土屋(到着殿) - 1628年建造
  • 楽屋 - 1628年建造
  • 外幣殿 - 1628年建造
  • 北神饌所(庁屋)(奈良神社拝殿付属) - 1628年建造
  • (以下は「附(つけたり)」指定物件)
  • (唐門の附)
    • 唐門左右袖塀 2棟
  • (四脚中門の附)
    • 末社棚尾社本殿
  • (本社の附)
    • 摂社須波神社本殿
    • 玉橋
    • 末社杉尾社本殿
    • 末社土師尾社本殿

(指定年月日)

  • 明治34年(1901年)8月2日 - 本殿、権殿など24棟が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定。
  • 明治36年(1903年)4月15日 - 拝殿(細殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)、楽屋、外拝殿、北神饌所(庁屋)の6棟が特別保護建造物に指定。
  • 昭和28年(1953年)3月31日 - 本殿、権殿が文化財保護法に基づき国宝に指定。
  • 昭和42年(1967年)6月15日 - 摂社若宮神社本殿、摂社新宮神社本殿及び拝殿(2棟)、摂社片岡神社本殿及び拝殿(2棟)、片岡橋の6棟を重要文化財に追加指定。このほか、附(つけたり)指定物件はいずれもこの日付けで指定。[3]

美術工芸品

  • 賀茂神主経久記 6帖
  • 賀茂別雷神社文書(13,639通)41巻、3168冊、113帖、2幅、82鋪、9864通、2枚(附 文書箱24合)[4][5]
  • 賀茂祢宜神主系図(凡例並目録共) - (財)賀茂県主同族会所有

典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

天然記念物(国指定)

  • 大田ノ沢かきつばた群落

史跡(国指定)

  • 賀茂別雷神社境内

その他

現地情報

所在地
交通アクセス

鉄道

バス

  • 京都市営バス
    • 「上賀茂神社前」バス停(44667(平日朝夕のみ)系統) - 神社敷地内、同地には市営バスの操車場がある
    • 「上賀茂御薗橋」バス停(937北3系統) - 賀茂川対岸
    • 「御薗口町」バス停(北3系統)- 賀茂川堤
      • すべてのバス停で神社最寄りである旨の案内放送がある
  • 京都バス
    • 「上賀茂神社前」バス停(303234・35・急行36 - 京都市営バスの上賀茂神社前バス停の場所ではなく、御薗口町バス停の場所にある。

  • 駐車場:有り

脚注

  1. 下中邦彦編『京都市の地名』平凡社、1979年、p511
  2. 旧第四摂社。第二摂社であった貴船神社の独立により繰り上がった。
  3. 指定年月日は以下の資料による。
    • 文化庁編『国宝・重要文化財建造物目録』、第一法規、1990
    • 『解説版 新指定重要文化財11 建造物I』、毎日新聞社、1981、pp.142 - 143
  4. 平成18年6月9日文部科学省告示第79号
  5. 文化庁サイトの「国指定文化財等データベース」では「附」の文書箱の記載が漏れている。

参考文献

  • 下中邦彦編『京都市の地名』(平凡社、1979年)
  • 建内光儀『上賀茂神社』(学生社平成15年(2003年)) - 著者は宮司を務めた

関連項目

神社
その他
  • すぐき - 賀茂別雷神社が発祥とされる漬物
  • 上賀茂本通 - 明神川沿いに並ぶ社家の町並み、樹齢500年のクスノキが控える藤木社が建つ
  • 室津

外部リンク

テンプレート:二十二社

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