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日本への原子爆弾投下


日本への原子爆弾投下(にほんへのげんしばくだんとうか)


太平洋戦争末期の 1945年にアメリカ軍によって実施された,広島県広島市と長崎県長崎市に対する原子爆弾の投下。1945年6月23日に沖縄の戦いが終結,連合国は 7月26日ポツダム宣言を発表し日本に無条件降伏を求めたが,鈴木貫太郎内閣総理大臣は 7月28日拒否。アメリカ合衆国は 6月1日にヘンリー・L.スチムソンの委員会がハリー・S.トルーマン大統領に勧告した日本への原子爆弾投下を,実行に移した。8月6日午前8時15分,アメリカ軍のボーイングB-29爆撃機『エノラ・ゲイ』がウラン235原子爆弾(リトルボーイ)を広島市に投下。上空 580mでの爆発によって市域は 3分の2が破壊され,年末までに 14万人が死亡した。8月8日ソビエト連邦が対日宣戦布告,翌 8月9日満州に侵攻した。次の原子爆弾は 8月11日に小倉市(のちの北九州市)に投下される予定だったが,悪天候を避けて 8月9日に繰り上げられた。しかし爆撃に向かった B-29『ボックスカー』は目標を見つけられず,午前11時2分,第2目標の長崎市にプルトニウム239原子爆弾(ファットマン)を投下した。上空 500mでの爆発で市域は半分が破壊され,年末までに 7万人が死亡した。生存者の多くは,被爆による放射線障害などの後遺症に見舞われた(原子爆弾症)。8月14日,日本はポツダム宣言の受諾を決めた。(核兵器第2次世界大戦




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