東本願寺

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東本願寺
所在地 京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地
位置 東経135度45分30.44秒北緯34.9910167度 東経135.7584556度34.9910167; 135.7584556
山号 なし
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
寺格 本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 大谷本願寺 - 元亨元年(1321年
東本願寺 - 慶長7年(1602年
開基 大谷本願寺 - 本願寺第三代・覚如
東本願寺 - 本願寺第十二代・教如
中興年 文明3年(1471年)頃
中興 本願寺第八代・蓮如吉崎御坊山科本願寺
正式名 真宗本廟
昭和62年〈1987年〉までは、本願寺)
別称 「お東」、「お東さん」
文化財 【国宝】
教行信証』(親鸞筆/坂東本)[1]
【重要文化財】
「親鸞聖人像」、
本願寺聖人伝絵』、
公式HP 真宗大谷派(東本願寺)
地図
京都市中心部における位置
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東本願寺(ひがしほんがんじ、Higashi Hongan-ji)は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派(以下、大谷派)の本山である[2]。東本願寺の名は通称で、正式名称は「真宗本廟(しんしゅう ほんびょう)」[3][4]。愛称は「お東」「お東さん」。

「東本願寺」という通称は、堀川七条にある「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置することに由来している。

2016年現在の門首は、平成8年(1996年)に継承した大谷暢顯(淨如)

概要

大谷派の最高規範である『真宗大谷派宗憲』(以降、『宗憲』)には、「真宗本廟は、宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって、本願寺とも称し、本派[5] の崇敬の中心、教法宣布の根本道場である」と規定[6] される。

東本願寺(真宗本廟)は、包括宗教法人である「真宗大谷派」に包括される単位宗教法人(被包括宗教法人)ではなく、法人格を有していない[7]。大谷派が管理する礼拝施設等(伽藍)の総称であり、宗教法人法による寺院ではない。(宗教法人法による宗教法人の分類については、宗教法人#単位宗教法人と包括宗教法人を参照。)

建造物

東本願寺は、江戸時代に4度の火災に遭っており、その火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄される。しかし、東本願寺が火元となったのは、文政6年(1823年)11月15日の火災のみである。

現存建造物の多くはどんどん焼けの後、明治期の再建だが、建築・障壁画等は当時の技術の粋を集める。

御影堂

ファイル:Higashi Honganji Goeido 2010.JPG
修復後(2010年3月撮影)
ファイル:Higashi Honganji Honden.JPG
修復前(2003年8月撮影)

御影堂は、境内のほぼ中心に位置する和様の道場形式の堂宇である。屋根は瓦葺きの重層入母屋造[8]。外観が二重屋根であるため二層建築に見えるが、下部は裳階であり単層建築である[9]。建築規模は、間口76m・奥行き58mであり、建築面積において世界最大の木造建築物である[10]。現在の建物は、明治13年(1880年)に起工し、明治28年(1895年)の完成である。平成16年(2004年)3月から平成21年(2008年)12月にかけて、大規模修復が行われた。総工費は、約98億円[11]である。御影堂の瓦の枚数は175,967枚[12]で、その内の3割は修復時の検査で合格した瓦を再利用して葺いている。再利用した瓦(明治瓦)は風雨に晒されにくい裳階の奥側、「受平瓦」よりも奥に用いられている[13][14]

堂内は、「内陣」・「外陣」・「参拝席」に分かれている[15]

内陣は横に7つの室に分かれていて、中央の間を「内陣本間」と呼ぶ[16]。「内陣本間」側から、左側の余間を「十字の間」・「九字の間」・「飛檐の間」と呼び、同じく右側の余間を「六軸の間」・「新六軸の間」・「御簾の間」と呼ぶ[17]

「内陣本間」の中央に須弥壇上を設け、その上に「御厨子」を置き、宗祖親鸞の坐像である「御真影」を安置する。「内陣本間」の左右壇上には歴代門首の絵像が奉掛される。

平時は、「十字の間」の床(とこ)上の中央に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を奉掛し、その両脇に宗祖親鸞と現門首を除く「大谷派御歴代」の絵像を二幅に分けて奉掛する。「九字の間」の床上には、「南無不可思議光如来」の九字名号が奉掛される。報恩講などの法要時は、奉掛される絵像やその配置などが変更になる。

かつては「大師堂」と呼ばれた。その由来は、明治9年(1876年)に明治天皇から親鸞に対して「見真大師」の大師諡号が贈られたためである。昭和56年(1981年)に「宗憲」が改正された際、「見真大師」号が削除され、同時に大師堂の呼称が取りやめられ、御影堂の呼称に復した。


阿弥陀堂

阿弥陀堂は、御影堂の南側に位置する禅宗様を取り入れた仏堂で、本尊・阿弥陀如来を安置する本堂である[18]。屋根は瓦葺きの単層入母屋造。建築規模は、間口52m・奥行き47mである。床面積比[19]で御影堂の半分以下しかないが、仏堂の大きさとしては全国7位である。現在の建物は、明治13年(1880年)起工し、明治28年(1895年)の完成である。

御影堂と同様に阿弥陀堂内も、内陣・外陣・参拝席に分かれている[15]

内陣の本間中央に須弥壇を設け、その壇上の宮殿内に本尊・阿弥陀如来(木像・立像)が安置される。また、本間右側の壇上には「聖徳太子御影」の絵像が、本間左側の壇上には「源空上人御影」の絵像が奉掛される。内陣の「本間」から右側の余間を「北余間」と呼び、その床上に内側から「龍樹大士御影」・「天親菩薩御影」・「曇鸞和尚御影」の絵像が、左側の「南余間」の床上に「道綽禅師御影」・「善導大師御影」・「源信僧都御影」の絵像が奉掛される[20]。 ※北余間には元々亀山天皇の天牌が奉安されていた



2004年3月から2008年12月にかけて行われた御影堂修復の際は、阿弥陀如来像の向って右側に御影堂より遷座した「御真影」を仮の「御厨子」に安置し、左側には蓮如の絵像・聖徳太子の絵像・七高僧の絵像(法然の絵像と六高僧の絵像)が奉掛された。また、阿弥陀堂で御真影を安置するために製作された仮の「御厨子」は、府中刑務所の講堂の本尊の厨子として利用される。[21]

平成21年(2009年)7月16日、御影堂を覆っていた修復用の素屋根がスライドして阿弥陀堂を覆う。

平成23年(2011年)の「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」法要後、阿弥陀堂の修復工事が行われ、平成27(2015)年12月に完了した。工事では耐震補強もされた。


御影堂門

御影堂門は、高さ約28mの入母屋造・本瓦葺き・三門形式の二重門。「真宗本廟」の扁額を掲げる。京都三大門東福寺知恩院)の1つである。明治44年(1911年)の再建[22]

上層(非公開[23])には、釈迦如来像(坐像)を中央に、脇侍として向って右側に弥勒菩薩像(立像)、左側に阿難尊者像(立像)の三尊が安置され、浄土真宗の正依の経典「浄土三部経」の1つである『仏説無量寿経』の会座をあらわす。また、その手前には仏舎利が安置される。

2013年1月、御影堂門の修復が開始され、2015年12月に完了した。


阿弥陀堂門

阿弥陀堂門は、切妻造檜皮葺き四脚門。正背面に唐破風を設ける。境内で京都駅に一番近く、段差の無いバリアフリーの門である。江戸時代中頃に、「唐門」の名称で建てられる。現在の阿弥陀堂門は、御影堂門と同じく明治44年の再建である。

消失した阿弥陀堂を再建する際に規模が拡大されたため、御影堂の正面にある御影堂門と異なり、阿弥陀堂門は阿弥陀堂の真正面に位置していない。 ※北余間、元亀山天皇の天牌があった北余間正面に門が来ている 2012年1月、阿弥陀堂門の修復に着工する予定である。 ※2012年に着工されなかった。


参拝接待所

参拝接待所は、東本願寺(真宗本廟)の総合窓口である。昭和9年(1934年)に「志納所」に替えて建てられる。「真宗本廟収骨(須彌壇収骨)」「本山読経[24]」「帰敬式」の申込・受付の他、本尊・蔵版の授与、懇志の受付などの窓口業務を行なう。

平成10年(1998年)には、「蓮如上人五百回御遠忌」の記念事業として、参拝接待所北側地下に「真宗本廟視聴覚ホール」を増設した。また参拝接待所と視聴覚ホールの間に「展示ギャラリー」を併設する。

総合案内所

総合案内所は、案内所としての機能の他に、休憩所や喫煙所、出版物販売部などがまとまっている建物である。 平成21年(2009年)、御影堂修復事業の一環として改修される。境内の諸施設を統合管理する「防災センター」を併設する。

渉成園

渉成園は、近接する飛地境内にある池泉回遊式庭園。昭和11年(1936年)、国の名勝に指定される。別名、「枳殻邸」。(位置情報

同朋会館

同朋会館は、真宗同朋会運動の一環である「真宗本廟奉仕」の参加者のための研修宿泊施設である。昭和33年(1958年)11月に着工、翌年11月に完成。「仏祖崇敬の念を篤くする」「無上仏道を聞き開く」「同信同行の交りを深める」の3つの願いに立って、真に私自身の人間性を回復することを目的とする。

しんらん交流館

しんらん交流館は、平成27年(2015年)に開設された教化センター。「しんらん交流館定例法話」や「東本願寺日曜講演」が開催される[25]。所在地は下京区諏訪町通六条下る上柳町199[26]。(位置情報

所蔵文化財

国宝

  • 教行信証(坂東本)全6冊 - 紙本墨書。正式名称は『顕浄土真実教行証文類[1]。鎌倉時代筆。真宗大谷派所蔵本は、もとは東京の坂東報恩寺が所蔵していたため「坂東本」と呼ばれ、現存する唯一の『教行信証』親鸞真蹟本である。
    • 昭和27年(1952年)に、国宝に指定。
    • 平成16年(2004年)3月、劣化の激しい同本を修復。

重要文化財

  • 絹本著色親鸞聖人像(安城御影〈あんじょうのごえい〉) - 鎌倉時代作。83歳の頃の影像とされる。西本願寺蔵の原本は、国宝。
  • 紙本著色『本願寺聖人伝絵』(康永本)4巻 - 康永2年(1343年)作。詞書(ことばがき)は、覚如筆。絵は、上2巻は康楽寺円寂、下2巻は、康楽寺宗舜による筆。
  • 紙本著色『本願寺聖人親鸞伝絵』(弘願本)4巻 - 貞和2年(1346年)作。各巻末に「釋弘願」の法名が署名されているため、弘願本と通称される。詞書(ことばがき)は、善如筆。
  • 紙本『一念多念文意』親鸞筆 - 鎌倉時代作。

登録有形文化財

  • 御影堂
  • 阿弥陀堂
  • 大寝殿
  • 大玄関
  • 鐘楼
  • 造合廊下
  • 二筋廊下
  • 御影堂門
  • 阿弥陀堂門
  • 菊の門
  • 玄関門
  • 阿弥陀堂門南側築地塀
  • 御影堂門南側築地塀
  • 御影堂門北側築地塀
  • 菊の門北側築地塀
  • 玄関門北側築地塀

行事

平時行事

特別な儀式・法要・行事のない日の予定。儀式・法要などが営まれる日は、日程および時間を変更する場合がある。

  • 7:00 晨朝勤行(阿弥陀堂・御影堂)
  • 7:30 晨朝法話(御影堂)[27] - 12月27日〜31日はなし。
  • 10:10 真宗本廟法話(真宗本廟視聴覚ホール)[27] - 12日・27日はなし。
  • 11:00 真宗本廟収骨[28]・読経・帰敬式[29] - 12日・27日は取扱いなし。
  • 13:10 真宗本廟法話(真宗本廟視聴覚ホール)[27] - 28日はなし。11月21日〜28日は御影堂にて開催。
  • 14:00 真宗本廟収骨[28]・読経・帰敬式[29] - 28日は取扱いなし。
  • 14:00 しんらん交流館定例法話(しんらん交流館・すみれの間)[27] - 12日・27日は10:00に、13日・28日は14:30に時間を変更して開催。
  • 16:00 夕事勤行
  • 毎週日曜9:30 東本願寺日曜講演(しんらん交流館・大谷ホール)

年中行事

日程は、変更になる場合がある。
  • 修正会(1月1日〜7日)
  • 春季彼岸会法要 (春分の日前後各3日を合わせた7日間)期間中に永代経総経が厳修される。
  • 春の法要(4月1日〜3日)
春の法要中の主な行事
1日 - 師徳奉讃法要・親鸞聖人御誕生会
2日 - 全戦没者追弔法会
3日 - 相続講員物故者追弔会帰敬式受式物故者追弔会
  • 立教開宗記念法要(4月15日)
  • 蓮如上人御影吉崎別院御下向式(4月17日)
  • 蓮如上人御影吉崎別院御帰山式(5月9日)
  • 盂蘭盆会法要(7月14日〜15日 〈8月13日〜16日〉
  • 秋季彼岸会法要(秋分の日前後各3日を合わせた7日間)…期間中に永代経総経が厳修される。
  • 御正忌報恩講(11月21日〜28日)…宗祖親鸞の祥月命日である11月28日までの1週間に勤められる法要で、年中行事の中で最重要行事とする。
御正忌報恩講中の主な行事
21日 - 初逮夜(しょたいや
22日 - 初晨朝(しょじんじょう)・初日中
24日 - 中逮夜
25日 - 中晨朝・中日中(ちゅうにっちゅう)・『御伝鈔』拝読
27日 - 結願逮夜(けちがんたいや)・「御俗姓」拝読
28日 - (御満座)、結願晨朝・結願日中・坂東曲(ばんどうぶし
  • お煤払い(12月20日)
  • 歳末昏時勤行(12月31日)

年表

親鸞の入滅から本願寺東西分立までの歴史の詳細については、「本願寺の歴史」を参照。

文禄元年(1592年)11月24日本願寺十一代 顕如の示寂にともない顕如の長男である教如(光寿)が本願寺を継承する。この時、石山合戦で篭城した強硬派を側近に置き、顕如と共に鷺森に退去した穏健派は重用しなかったため、教団内に対立が起こる。

文禄2年(1593年)9月、教如は豊臣秀吉の命により退隠させられ、准如に法主が継承する事が決定する。(教如#退隠を参照。)

慶長7年(1602年)2月、後陽成天皇の勅許を背景に徳川家康より烏丸六条[30] に寺地を寄進され、教如は本願寺の第十二代に就任する。このことにより本願寺は、「堀川七条の本願寺」と「烏丸六条の本願寺」とに分立する。(詳細は、本願寺の歴史・「教如退隠」〜「本願寺分立」のセクションを参照。)

慶長8年(1603年)11月10日、阿弥陀堂が落成する。

慶長9年(1604年)9月16日、、御影堂が落成する。

承応元年(1652年)、規模拡大のため御影堂の再建に着手する。

明暦4年/万治元年(1658年)3月28日、御影堂が落成する。

寛文7年(1667年)、規模拡大のため阿弥陀堂の再建に着手する。

寛文10年(1670年)3月15日、阿弥陀堂が落成する。

元治元年(1864年)7月20日禁門の変を発端とする兵火が元となり、京都市街は「どんどん焼け」と呼ばれる大火災となる。東本願寺も罹災し、御影堂・阿弥陀堂・渉成園など伽藍の大部分を消失する。

昭和52年(1977年)11月2日、東本願寺爆破事件が起きる。

昭和56年(1981年)6月11日、新『真宗大谷派宗憲』(「新宗憲」)発布。宗憲改正にともない、「法主」を廃して「門首」を新たに設け、本願寺住職および管長の役職を廃止した。(詳細は「お東騒動」を参照。)

昭和62年(1987年)12月、「宗教法人 本願寺[31]」を宗教法人法に基づいて解散の登記[32]を行い、「宗教法人 本願寺」は「宗教法人 真宗大谷派」に吸収合併される。このことを「宗本一体」という。当時の法主は、第二十四代法主 闡如。合併により「東本願寺」は、法人格を有さない寺院[33]となり、真宗大谷派の本山としての礼拝施設となる。正式名称は「真宗本廟」に変更される。また、「東本願寺」の通称も公式に併用している。

平成15年(2003年)11月、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」の特別記念事業の一環として行われる「御影堂修復」のため、「御影堂」に安置している「御真影」(宗祖親鸞の坐像)を「阿弥陀堂」へ移す、「御真影動座式」を執り行う。「御真影」は、「阿弥陀堂」の本間右側に新たに設けた仮の「御厨子」に安置する。

平成16年(2004年)3月4日、「真宗本廟御影堂御修復起工式」を執り行う。修復は、非解体修理を基本とし、素屋根工事、瓦葺き替え工事[34]、御厨子・須弥壇の修復を含む内陣・外陣等の美装工事、大虹梁鉄骨補強補強を含む構造補強工事、耐震補強工事、土居葺工事、木工事、金属工事、外部鋩金物工事等の大規模修復である。

平成21年(2009年)8月3日、「御影堂」において「真宗本廟御影堂修復竣工式」が執り行う。

同年9月30日、「阿弥陀堂」に安置していた「御真影」を「御影堂」の「御厨子」に戻す、「宗祖親鸞聖人御真影還座式」を執り行う。

同年11月20日、「御影堂御修復完了奉告法要」を厳修する。


不祥事

2017年4月26日、東本願寺の職員2人に過去数年間サービス残業(多い時で月130時間以上)をさせていたとし、未払いの残業代約660万円を支払ったことを明らかになった。2人は寺の研修施設に宿泊する門徒の世話を担当する「補導」と呼ばれる職員で、寺によると、1973年(昭和48年)に「補導」には残業代を一切支払わないとする違法な取り決めをしていた[35][36]。また、全国の教務所でも残業に必要な労働基準法第36条に基づく労使協定(三六協定)を結ばずに、職員に違法な残業を行わせていたこと、本山宗務所の残業についても労使協定を結んだ「真宗大谷派職員組合」が、協定が法的効力を持つために必要な「労働者の過半数で組織する労組」に該当しないため本山の残業も労基法に抵触している可能性があること、昨年12月に本山を管轄する京都下労働基準監督署から「臨検」と呼ばれる任意の立ち入り調査を受け、職員の労働時間を適正に管理していないとして行政指導を受けたことが明らかになった。[37]

アクセス

所在地 - 京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地

開門・閉門時間

  • 3月〜10月 - 5時50分開門、17時30分閉門。
  • 11月〜2月 - 6時20分開門、16時30分閉門。

脚注

  1. 1.0 1.1 昭和27年(1952年)3月29日指定。国宝としての名称は、「教行信証〈親鸞筆/(坂東本)〉」、種別は「書跡・典籍」、所有者名は「真宗大谷派」である[1]。原題は『顯淨土眞實敎行證文類』である。
  2. 東本願寺とは(東本願寺公式サイト)
  3. 正式名称…昭和62年(1987年)までは、「本願寺」が正式名称である。
  4. 大谷派の公式ホームページ・出版物などでは「東本願寺」の通称を用いており、正式名称「真宗本廟」と併用している。
  5. 本派 - 真宗大谷派のこと。
  6. 『真宗大谷派宗憲』第三章 真宗本廟 第十三条
  7. 単位宗教法人としての寺院ではない…西本願寺の場合は、「浄土真宗本願寺派」が包括宗教法人・「本願寺」(西本願寺)が被包括宗教法人である。(出典 - 宗門機構組織略図表
  8. 『東本願寺』淡交社(2009)P.100(解説、草野顕之)・121(解説、伊藤延男)
  9. 『東本願寺』淡交社(2009)P.22(解説、木場明志)
  10. 『東本願寺』淡交社(2009)P.22(解説、木場明志)より引用。
  11. 総工費は、瓦葺土再資源化費用が含まれる。
  12. 「阿弥陀堂の御修復に向けて」、真宗大谷派(東本願寺)宗務所、p.7「御影堂の修復について」御影堂の修復の概要を参照。
  13. 修復後(2010年3月撮影)」の画像で影のように見えているのが明治瓦である。
  14. 「阿弥陀堂の御修復に向けて」、真宗大谷派(東本願寺)宗務所、p.13「環境に配慮した御修復」御影堂瓦再資源化の取り組みを参照。
  15. 15.0 15.1 外陣…正式ではないが、参拝席を「外陣」と呼ぶ場合もあり、その場合は本来の外陣を「柵内」と呼ぶ
  16. 『東本願寺』淡交社(2009)P.121(解説、伊藤延男)
  17. 『東本願寺』淡交社(2009)P.120(解説、伊藤延男)
  18. 「阿弥陀堂の御修復に向けて」、真宗大谷派(東本願寺)宗務所、p.1「阿弥陀堂の概要」を参照。
  19. 床面積比…柱に囲まれた部分の床面積の比較である。御影堂の床面積は2,892.6m2(桁行63.6m・梁行45.5m)であるのに対して、阿弥陀堂は1,346.5m2(桁行39.8m・梁行33.8m)である。向拝・後堂などは面積に含まない。
  20. 「阿弥陀堂の御修復に向けて」、真宗大谷派(東本願寺)宗務所、p.1「阿弥陀堂の概要」阿弥陀堂の荘厳についての阿弥陀堂正面奉掛図を参照。
  21. 真宗大谷派・御真影の還座に伴い御厨子を府中刑務所へ『南御堂』真宗大谷派難波別院、2010年4月1日。
  22. 「御影堂門の釈迦三尊像」『週刊 古寺を巡る』第27号「東本願寺」、小学館、2007年8月、P.12。
  23. 非公開…御影堂門上層部は、真宗本廟奉仕の日程により参加者に公開するため完全非公開ではない。以前は報恩講などの行事の際に公開されていたが、上層への階段の傾斜が急で危険であることなどから、平時は非公開としている。
  24. 本山読経とは、「本山永代経」、「本山申経」のこと。
  25. 浄土真宗ドットインフォ > 交流館施設案内
  26. 浄土真宗ドットインフォ > 交流館へのアクセス
  27. 27.0 27.1 27.2 27.3 東本願寺 > 法話
  28. 28.0 28.1 東本願寺 > 真宗本廟収骨
  29. 29.0 29.1 真宗大谷派(東本願寺) > 帰敬式(おかみそり)
  30. 年表などの文献には、現住所の「烏丸七条」ではなく、「烏丸六条」と記述される。(『真宗の教えと宗門の歩み』2003年、第3版、P158)
  31. 「宗教法人 本願寺」…「東本願寺」の正式な法人名。
  32. 宗教法人法に基づく「解散の登記」…『宗教法人法』第57条合併の登記・第58条解散の登記
  33. 「寺院」とは、「仏寺とそれに付属する別舎をあわせた称。」(『大辞泉』)、「宗教的儀式を執り行うための建物。」(『大辞林』)である。よって寺院の定義に、法人格の有無は無関係である。
  34. 瓦葺き替え工事…瓦の3割は、再利用している。
  35. 東本願寺 僧侶にサービス残業”. NHK (2017年4月26日). 2017年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
  36. 真宗大谷派、残業代未払い 違法な労使覚書を40年超締結「職員に甘えていた」”. 産経新聞 (2017年4月26日). . 2017閲覧.
  37. http://www.sankei.com/west/news/170426/wst1704260060-n1.html
  38. 「京都駅より徒歩7分」 - 公式サイト東本願寺について › アクセスを出典とする。
  39. 「五条駅より徒歩5分」 - 東本願寺について › アクセスを出典とする。
  40. 「烏丸七条バス停より徒歩1分」 - 東本願寺について › アクセスを出典とする。

参考文献

  • 真宗大谷派宗務所 編 『真宗の教えと宗門の歩み』 真宗大谷派宗務所出版部、2007年、第3版。ISBN 978-1-8341-0273-4。
  • 『真宗本廟 東本願寺』 真宗大谷派宗務所出版部、2000年。ISBN 4-8341-0294-7。
  • 真宗大谷派宗務所 編 『真宗大谷派宗憲 宗教法人法』 真宗大谷派宗務所出版部、2006年。ISBN 4-8341-0355-2。
  • 千葉乗隆 『浄土真宗』 ナツメ社〈図解雑学〉、2005年。ISBN 4-8163-3822-5。
  • 坂東 浩 監修 『うちのお寺は真宗大谷派』 双葉社、2005年。ISBN 4-575-29813-1。
  • 大谷暢顯井沢元彦 『東本願寺』 淡交社〈古寺巡礼 京都 40〉、2009年。ISBN 978-4-473-03510-3。
  • 『週刊 古寺を巡る』第27号「東本願寺」、小学館、2007年8月。
  • 「阿弥陀堂の御修復に向けて」、真宗大谷派(東本願寺)宗務所、2009年

関連項目

ファイル:East Honganji.jpg
京都タワーからの東本願寺

外部リンク