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聖徳太子

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日622年4月8日))・厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ[1]

古代,推古朝の摂政。厩戸皇子,豊聡耳 (とよとみみ) 皇子といい,また上宮太子とも称する。用明天皇の皇子,母は穴穂部間人 (あなほべのはしひと) 皇后。叔母推古天皇の皇太子となり,摂政として内政,外交,仏教の興隆に力を尽した。皇太子摂政の慣習はここに始ったが,これは従来大臣,大連にゆだねられてきた国政総理の職掌を皇室に取戻そうとしたものである。推古 11 (603) 年冠位十二階を,翌 12年『十七条憲法』を定め,豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討が重大問題で,また新羅問題を有利にし先進文化を輸入するため隋とも国交を開始し,同 15年に小野妹子を派遣した。仏教を深く信仰し,これを弘通させることに努力し,法隆寺,四天王寺などを建立し,仏典の注釈『三経義疏』を著わしたと伝えられる。墓は大阪府南河内郡太子町の磯長墓 (しながのはか) 。



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