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広島東洋カープ

チーム名 広島東洋カープ
会社名 株式会社広島東洋カープ
加盟団体 セントラル・リーグ
創設年度 1950年
チーム名の遍歴
  • 広島カープ(1950年 - 1967年
  • 広島東洋カープ(1968年 - 現在)
本拠地 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場)
広島県広島市南区
MAZDA Zoom-Zoom Stadium Hiroshima(March 21, 2016).JPG
収容人員 33,000人
(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)
株式会社広島東洋カープ
Hiroshima Toyo Carp Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
732-8501
広島市南区南蟹屋二丁目3番1号
マツダスタジアム
設立 1956年1月[1]
業種 サービス業
事業内容 プロ野球興行事業等
外部リンク http://www.carp.co.jp/
特記事項:1949年6月創業。勢津子は耕平の妻、元は耕平の長男、弘は耕平の次男でアンフィニ広島社長。
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広島東洋カープ(ひろしまとうようカープ、英語: Hiroshima Toyo Carp

日本プロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。

フランチャイズを広島県に置き、広島市民球場を本拠地としている。球団名の変遷は、広島カープ(1950年)―広島東洋カープ(1968年)

2リーグ分立の1950年(昭和25)に発足したが、長い間、下位に低迷した。1960年代後半から登場した投打の主力、ノーヒットノーランを3回達成した外木場義郎(そとこばよしろう)(1945― )、2215試合連続出場の金字塔を打ち立てた「鉄人」衣笠祥雄(きぬがささちお)、4回本塁打王に輝いた山本浩二らが70年代に入って本格的に才能を開花させ、75年、シーズン途中から指揮をとった古葉竹識(こばたけし)監督の下に球団史上初のリーグ優勝を果たした。さらに、抜群の制球力を誇った北別府学(きたべっぷまなぶ)(1957― )や、俊足好打の高橋慶彦(よしひこ)(1957― )ら若い力が加わり、1979年と80年にも連続リーグ優勝。両年とも日本シリーズで近鉄バファローズを下して日本一となり、赤いヘルメットが塁間をかけめぐる姿から「赤ヘル旋風」といわれた。主力が円熟期を迎えた1984年にも阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)を破り3回目の日本一。

1986年にもリーグ優勝して日本シリーズでは西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)と対戦し、引分け1を含め8試合を行う激戦となったが、日本一は逃した。この年限りで山本が引退し、翌87年には衣笠も引退した。その後、野村謙二郎(1966― )、江藤智(あきら)(1970― )、前田智徳(とものり)(1971― )ら好打者が続々と台頭し、1989年(平成1)に就任した山本浩二監督3年目の91年にリーグ優勝。しかし日本シリーズではまたも西武に敗れた。それ以降は、1995年の2位を最高に低迷、98年から2007年まで4位以下が続いた。

12球団中唯一、親会社をもたない純粋な市民球団であるがために資金的な問題があり、戦力の維持・補強の面などにおいて他球団にない側面を有している。

脚注

  1. 2010年新春トップインタビュー”. 中国新聞 (2010年1月1日). 2010年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.(Internet Archive)

外部リンク

  • [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト]