奈良県

提供: miniwiki
2018/8/5/ (日) 08:31時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (関連項目)
移動先:案内検索
ならけん
奈良県
地方 近畿地方
団体コード 29000-9
ISO 3166-2:JP JP-29
面積 3,690.94km2
総人口 1,342,913
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 364人/km2
隣接都道府県 三重県京都府大阪府和歌山県
県の木 スギ[1]
県の花 ナラヤエザクラ
県の鳥 コマドリ
他のシンボル 県のさかな:キンギョアユアマゴ[2]
県の歌:奈良県民の歌
奈良県庁
所在地 630-8501
奈良県奈良市登大路町30
北緯34度41分6.7秒東経135度49分58.6秒
奈良県庁
外部リンク 奈良県
奈良県の位置

奈良県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

 表示 

奈良県(ならけん)は、日本都道府県の一つ。本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置する県である。

令制国大和国の領域を占め、県庁所在地は奈良市。北西部の盆地部を除き、険しい山々がそびえている。都道府県面積は全国で8番目に狭く内陸8県では最も狭いが、最小の香川県の約2倍でもある。

地理・地域

概要

八剣山(八経ヶ岳)
曽爾高原
吉野山

紀伊半島中央の内陸部に位置し、北西部に奈良盆地、北東部に大和高原、それ以外は大台ケ原近畿地方最高峰の八経ヶ岳(八剣山)といった紀伊山地が広がる。

県内の地区を北和中和西和宇陀東和)、吉野南和)などと区分されることもあるが、それぞれの境界線は曖昧であり、近年は単に中央構造線によって北部、南部と表記されることも多い。

奈良盆地
奈良盆地は、奈良県の中央から北西側に位置する。大阪との距離が近いこともあり、住宅開発が進んだ結果、大阪市京都市ベッドタウンとなっており、県民の8分の1が大阪市や京都市など県外へ通勤・通学している(奈良府民[3]。また、盆地外周の丘陵地(京阪奈丘陵・赤膚丘陵・矢田丘陵・馬見丘陵)ではニュータウンも開発された。
大和高原
大和高原は、奈良県東部に位置する。宇陀市では榛原を中心にベッドタウン化が見られ、名阪国道沿いの奈良市都祁地区や山添村では、工業団地が見られる。基本的に奈良盆地と比べても自然が多く、奈良市の月ヶ瀬梅林曽爾高原などのどかな風景が広がっている。
吉野山地
吉野地区は、奈良県の3分の2近くの面積(神奈川県佐賀県に匹敵)を占める森林地帯である。範囲は吉野郡と同じ、もしくは五條市を加えたものである。吉野地区で特に知られるのは、吉野町千本桜で、春には多くの観光客が訪れる。また、世界遺産大峯奥駈道熊野古道小辺路)もあり、山岳信仰の霊地として古くから多くの信仰を集めている。大淀町など郡北部の一部の地域では、近鉄吉野線沿線であることや比較的可住地が多いことから、県北部と同様に大阪市京都市のベッドタウンとしてニュータウンが開発されている。その一方で、上北山村野迫川村などほとんどの地域は険峻な山地であり可住地面積が少なく、また道路施策の遅れから交通の便も悪いため、人口は多くの村で1,000人前後と少ない。

気候

奈良県内各地の気象データ(出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
平均気温 (°C) 降水量 (mm) 降水日数(日)
最暖月 最寒月 最多月 最少月 最多月 最少月
北西部 奈良 26.6
(8月)
3.8
(1月)
208.5
(6月)
40.7
(12月)
11.9
(6月)
5.8
(1月)
奈良市
23.6
(8月)
0.9
(1月)
239.5
(6月)
46.1
(12月)
13.1
(6月)
8.0
(12月)
田原本 194.3
(6月)
37.1
(12月)
12.3
(6月)
6.6
(12月)
北東部 宇陀市
大宇陀
24.6
(8月)
1.9
(1月)
219.9
(6月)
48.7
(12月)
13.6
(6月)
8.6
(12月)
五條
北部吉野
吉野 216.8
(6月)
53.1
(12月)
14.6
(6月)
7.8
(11月)
南東部 曽爾 274.0
(9月)
46.4
(12月)
14.0
(6月)
8.6
(12月)
上北山 23.9
(8月)
2.6
(1月)
446.6
(9月)
59.4
(12月)
14.9
(7月)
7.4
(12月)
南西部 十津川村
風屋
24.4
(8月)
4.6
(1月)
344.1
(7月)
58.5
(12月)
14.4
(6月)
8.1
(12月)

気温の年較差・日較差の大きいいわゆる内陸性気候で、奈良における年平均気温は14.6°Cと全国の気象官署の中でほぼ平均的な気温である。降水量は年間を通じて1333.2mmと比較的少なく、奈良盆地(奈良市・橿原市などの地域)では降雪の観測日数は多くない(年平均23.3日)。一方、五條地域・吉野地域・宇陀地域などは降雪・積雪に見舞われることがあり、天川村上北山村にはスキー場も存在する(大阪市から津市以南の近畿では両村だけ)。これらの地域では積雪が交通に影響を与えており、奈良県の道路政策には「雪害対策」の文言が含まれている。

気象は一般的に瀬戸内海式気候に属する北部(基準地は奈良市)と太平洋側気候に属する南部(基準地は吉野郡十津川村風屋)に大別される。天気予報では北部と南部に分けて発表される。

さらに北部を北西部(基準地は奈良市で狭義の奈良盆地の地域)、北東部(基準地は宇陀市で、山辺郡宇陀市)、五條・北部吉野(基準地は五條市で、旧大塔村の地域を除く五條市域と、吉野郡3町)と二次細分区分として3分割している。

南部は南東部(基準地は吉野郡上北山で、宇陀郡・吉野郡の大峯山系東側の地域)と南西部(基準地は十津川村風屋、五條市のうち旧大塔村の地域・十津川村野迫川村)と2分割している。

県内は典型的な盆地気候であり、夏場はかなり蒸し暑い。2005年7、8月における最高気温では十津川村風屋の37.3°C、上北山の37.0°C、五條の36.7°C、奈良の36.2°Cとなる。また最高気温25°C以上の夏日は奈良と五條がほぼ全日のうち60日間となっており、県内では最も多い。

冬の寒さはどの地域でも厳しい。近畿地方全体でも一、二を争うほどで、十津川では日本海側の豊岡よりも寒くなる日もある。一般に寒いと言われる京都盆地よりも、奈良盆地のほうが冬場の平均気温は低い。また北部山岳部の冷え込みは3月頃まで続くことが多く、年間を通じての最低気温の記録が3月では宇陀市大宇陀で−6.2°C、奈良市針が−6.1°Cとなっており、これらの宇陀地域は遅などの影響を受けやすい。このほか前述の通り積雪による影響を受ける地域もあり、奈良県内でも気象は一概に言えない状況である。

台風の影響は内陸部のため大きな被害を受けることは稀であるが、1912年(大正元年)の暴風雨で死者93人[4]、1959年(昭和34年)の台風15号(伊勢湾台風)では風水害により死者行方不明者113名を出し、1998年(平成10年)の台風7号では室生寺五重塔など文化財が大きな損壊を受けた[5]など、台風が紀伊半島を北上する場合には地形の影響から大きな被害が出ることもある。

吉野地区は年間を通してが多い、日本でも有数の多雨地帯である。

隣接する都道府県・市町村

自治体

奈良県の自治体

  市 (31%)
  町 (38%)
  村 (31%)

奈良県には、12市7郡15町12村の自治体がある。村の読み方はすべて「むら」である。町の読み方はすべて「ちょう」である。

都市圏

奈良県では、多くの自治体が大阪都市圏に含まれている。下記の表は、県内の都市雇用圏を表したものである。一方、大阪都市圏の各自治体のほか五條都市圏や吉野郡の一部も京阪神大都市圏に含まれる。県庁所在地である奈良市生駒市は県の最北部に位置し、大阪や京都へのアクセスにおいては至便で大阪・京都のベッドタウンとなっている。また、奈良県では主要な公共交通手段として近畿日本鉄道が大部分を担っており、県中部の橿原市御所市、県南部の吉野町などからも大阪都市圏に1時間程度でのアクセスが可能となっている。

自治体
('80)
1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年 自治体
(現在)
山添村 上野 都市圏 上野 都市圏 上野 都市圏 上野 都市圏 大阪 都市圏
12156918人
伊賀 都市圏 山添村
月ヶ瀬村 大阪 都市圏
12238814人
奈良市
都祁村 天理 都市圏 - 大阪 都市圏
12007663人
大阪 都市圏
12116540人
奈良市 大阪 都市圏
11170018人
大阪 都市圏
11842283人
大和高田市 大和高田市
大和郡山市 大和郡山市
天理市 天理 都市圏 天理市
橿原市 大阪 都市圏
11170018人
橿原市
桜井市 桜井市
御所市 御所市
生駒市 生駒市
香芝町 香芝市
新庄町 葛城市
當麻町
平群町 平群町
三郷町 三郷町
斑鳩町 斑鳩町
安堵町 安堵町
川西町 川西町
三宅町 三宅町
田原本町 田原本町
高取町 高取町
明日香村 明日香村
上牧町 上牧町
王寺町 王寺町
広陵町 広陵町
河合町 河合町
榛原町 - 宇陀市
室生村 -
菟田野町 - - - - -
大宇陀町 - - - - -
曽爾村 - - 大阪 都市圏
12007663人
大阪 都市圏
12116540人
伊賀 都市圏
190804人
伊賀 都市圏
188673人
曽爾村
御杖村 - - 御杖村
五條市 五條 都市圏 五條 都市圏 五條 都市圏 五條 都市圏 - - 五條市
西吉野村
大塔村 - - - -

北部地域と南部地域

奈良県は可住地面積が全国最下位となっており、人口の9割以上が北西部の奈良盆地(大和平野)に集中している。北西部は京阪神大都市圏に含まれ、大阪や京都への交通の便もよく都市近郊地域として発展している一方、世界遺産世界文化遺産)である古都奈良の文化財法隆寺地域の仏教建造物など歴史的文化的遺産にも恵まれている。一方、南部地域はほとんどが山地であり、吉野杉に代表される林業や紀の川におけるレジャーなど自然を生かした産業があるほか、この地域でも世界遺産(世界文化遺産)の紀伊山地の霊場と参詣道といった歴史的文化遺産に恵まれている。

歴史

先史

奈良県でも約2万5千年前(炭素14年代測定法による)には旧石器時代の人々が生活を始めた。県西部の二上山一帯は石器石材となるサヌカイトの産出地で、二上山北麓遺跡群には60か所以上の旧石器の遺跡が分布しており、ナイフ形石器石核剥片などの遺物が出土している。

縄文時代には木津川吉野川水系の諸河川が流れる大和高原吉野山一体を中心に遺跡が分布している。近畿地方では縄文草創期の遺跡は少ないが、県下最古の縄文遺跡は山添村中峯山(ちゅうむざん)の大川(おおこ)遺跡があり、県北部の布目川流域では、山添村の桐山和田遺跡や北野ウチカタビロ遺跡から草創期の隆起線文土器が出土している。また遅瀬川流域の山添村上津の上津大片刈遺跡からも草創期の爪文形土器が出土している。

吉野川流域には大淀町の桜ヶ丘遺跡で、縄文前期・中期の竪穴住居址や跡などが検出されている。川上村迫の丹生川上神社上社の旧境内地には縄文早期から後期前期にかけての大遺跡宮ノ平遺跡があるほか、吉野町には縄文後期から弥生中期にかけての宮滝遺跡が所在する。宇陀地域では、縄文後期の本郷大田下遺跡(宇陀市大宇陀本郷)からはドングリ貯蔵穴(径・深さとも約1メートル)が45基発見された。

奈良盆地では布留遺跡、狐井遺跡など縄文早期からの遺跡が分布しているが、縄文中期の遺物は乏しい。縄文後期には遺跡数が増加し、布留遺跡では縄文後期の遺構に伴い硬玉製大珠も出土している。縄文晩期には橿原遺跡、竹内遺跡などがあり、畝傍山東麓の橿原遺跡からは魚骨類も出土しており、大阪湾岸地域との交易が想定されている。

弥生時代には奈良盆地を中心に集落遺跡が分布し、特に初瀬川左岸の唐古・鍵遺跡は弥生前期からの継続した大規模集落として知られる。唐古・鍵遺跡からは水田農耕の存在を示す水田遺構や環濠、木製農具をはじめ炭化米、高床式建物跡などの遺構が見られ、青銅器生産を示す鋳型も出土している。また、唐古・鍵遺跡の周辺にも分村的な多数の集落遺跡が分布している。

弥生後期には盆地周辺や宇陀地域において高地性集落が出現する。

古墳時代・飛鳥時代・奈良時代

神武天皇陵(橿原市)
飛鳥板蓋宮跡(明日香村)
石舞台古墳(明日香村)
朱雀門(復元・平城宮跡)
東大寺盧舎那仏像
今井町西環濠(橿原市)

紀元3世紀から4世紀頃の古墳時代前期に、畿内の豪族が力を強めて周辺地域に覇を唱えた。その後長い年月と代替わりを経て、他地域との交流・攻防や大陸との交流の末、現在の日本地域の大半を支配する大勢力となった。これがヤマト王権と呼ばれている。

ヤマト王権は現在の天皇家の祖であるとされ、宮内庁比定の天皇陵などが集まっている。また邪馬台国と同一視する説、北九州にあった邪馬台国の子孫が移住して新たに建国した国であるという説、神武天皇の東遷説などがある。大化の改新前代に置かれていた宮廷直轄領である六御県(むつのみあがた)は、倭六県(やまとのむつのあがた)ともいい、天皇に献上するための蔬菜を栽培する菜園の霊を祀り、添(そふ)・山辺(やまのべ)・磯城(しき)・十市(といち)・高市(たけち)・葛城(かつらぎ)の6つの県(あがた)は特別視された。県内には、御県神社が式内大社として存在している。

3世紀の半ば過ぎから九州地方から渡ってきた豪族などの邪馬台国連合・ヤマト政権の盟主墳と考えられる古墳が累々と奈良盆地に築造されている。それらを列挙すると、東南部の外山古墳群、纏向古墳群柳本古墳群大和古墳群であり、墳丘長200メートルを超す巨大古墳が6基も存在する。これらの古墳群をまとめて大倭古墳群と呼称することもある。曾布地域の佐紀丘陵には佐紀盾列古墳群、馬見丘陵周辺には馬見古墳群が所在する。

古代からの神道信仰の伝統、および6世紀仏教伝来以来の国策により、この地域には神社仏閣が多数存在する。蘇我馬子が創立した飛鳥寺や、聖徳太子が創立した法隆寺などが知られる。

ヤマト王権成立以来8世紀末まで、この地域に大和朝廷の累代の天皇の宮があり、が置かれた。大和時代から飛鳥時代にかけては、橿原市や高市郡に宮が置かれていることが多かった(飛鳥京跡)。特に藤原京は、持統天皇4年(690年)に着工され、持統天皇8年(694年)に完成した条坊制による中国風都城として知られる。その後、和銅3年(710年)に平城京遷都が行われた(奈良時代の始まり)。

平城京では遣唐使を通してなど諸外国との文化交流が行われた。諸外国から輸入した宝物を一同に保管している正倉院は、事実上のシルクロードの終着点である。また、聖武天皇鎮護国家政策により、興福寺など仏教勢力が力を強め、天平勝宝4年(752年)には東大寺で大仏開眼会が行われた。

平城京から長岡京への遷都の一因ともなった影響力を持った寺社勢力は、遷都後もそれらはこの地域に残り、その後地域の耕作者を支配下において大きな勢力となった。

平安時代から中世

平安時代後期は、清和源氏源満仲の次男の源頼親(兄・源頼光/摂津源氏。弟・源頼信/河内源氏)の大和源氏の本拠地となった。なお、中近世の日本において大きな歴史的事件の舞台とはなっていないが、温暖で肥沃な盆地を抱える地域であるため、この地域の豪族はいずれも大きな力を持った。

一方、南部の険峻な山地には、その地の利を活かして反中央勢力(中でも反主流派の皇族)が居を定め、中央政府(京都の朝廷、および幕府)とにらみ合う時代が長く続いた。南北朝時代後醍醐天皇吉野朝廷(南朝)が有名である。吉野朝廷は地の利を生かしながら、また各地の武家勢力を糾合しながら60年にわたって抵抗し続けたが北朝に降った。しかしその後も活動を止めず、応仁の乱では山名持豊の推戴も受けた。

奈良時代に建立された藤原氏氏寺の興福寺東大寺など南都寺院が大きな勢力を誇った。このため、鎌倉室町の武家政権は大和に定まった守護を置けなかった。平氏が東大寺焼討ちなどを行って南都を制圧しようと試みたが、うまくいかなかった。

戦国時代には筒井氏越智氏十市氏箸尾氏などが北大和地域に割拠し争ったが強力な支配勢力となりえず、細川氏や畠山氏・三好氏の後援を受けた赤沢朝経木沢長政松永久秀といった他国勢力の支配を受けた。16世紀末に戌亥脇党の筒井順慶織田信長の力を背景に大和を概ね制する。また、一向宗の布教拠点として今井町が環濠城塞都市化して信長軍と闘ったが、武装放棄されたものの検断権を許され商工業を盛んにし自治都市として発展した。

近世

豊臣秀吉の時代、順慶亡き後筒井氏は伊賀国に転出し、代わって郡山城大納言豊臣秀長が拠を構え、地域の再編と産業奨励に乗り出し大和は安定した。

江戸時代奈良奈良奉行)・五條(五條代官)・今井(惣年寄)を幕府が直轄支配し、郡山藩が15万石で最大石高(但し、津藩も山辺郡などに領有しており、津藩を含めた場合は津藩が最大石高)で、高取藩が2万5千石、丹羽国柏原へ移封したが元禄8年(1695年)まで宇陀市大宇陀に所在した松山藩が2万8千石で、小泉藩柳生藩柳本藩芝村藩櫛羅藩などは陣屋であった。また、交代寄合の平野家の田原本陣屋があった。

このうち大和南部の広大な山域は、五條代官所管轄の天領(幕府直轄地)となった。実質はあまりに広域のため十津川村の十津川郷士などをはじめ各地域(郷村)による自治を行った。また、あまり知られていないことであるが、五條代官の支配地・管轄はかなり広域で現在の和歌山県の一部も含んでいた。

明治維新以後

慶応4年/明治元年1月21日(1868年2月14日)、新政府添上郡奈良大和鎮台を設置。大和鎮撫総督府を経て、同年5月19日(7月8日)に奈良県(第1次)、7月29日(9月15日)に奈良府となり、大和国一円の幕府領旗本領寺社領を管轄した[6]明治2年7月17日1869年8月24日)奈良県に改称。同年に十津川郷を兵部省軍務官に(のち五條県に編入)、明治3年(1870年)に宇智郡吉野郡および葛上郡宇陀郡の一部を五條県にそれぞれ移管している。五條県分離当時の奈良県の管轄地域は、添上郡68村、添下郡8村、平群郡61村、広瀬郡12村、葛下郡34村、葛上郡31村、忍海郡8村、宇陀郡89村、式上郡21村、式下郡26村、十市郡38村、高市郡41村、山辺郡55村(いずれも郡域の一部)であった。

明治4年(1871年)に第1次府県統合により大和国10県が統合され、改めて奈良県が設置されたが、1876年(明治9年)に堺県に編入されてしまう。堺県は1881年(明治14年)に大阪府に編入され、奈良は「大阪府の大和地域」とされた。しかし、1887年(明治20年)11月4日には大阪府より分割され、奈良県(第2次)が再設置された。

1892年(明治25年)には湊町(現・JR難波駅) - 奈良間の鉄道開業で大阪と奈良が、1896年(明治29年)には奈良鉄道が木津 - 奈良間を開業することにより京都と奈良が結ばれたことで、神社仏閣の多い奈良県が観光地として栄えていくこととなる。さらに、1914年(大正3年)4月、大阪電気軌道(大軌、近畿日本鉄道の前身)が、大阪の上本町駅(現・大阪上本町駅) - 奈良駅間30.8km(現・近鉄奈良線)開業をさせ、より大阪と奈良の交通アクセスが良くなった。一方、当時日本で2番目に長いトンネルであった生駒トンネルの開通は難工事であり、開通後に大軌は深刻な経営危機に陥った。同社にとって幸いなことに旅客利用は順調で、1916年(大正5年)3月に債務整理を完了、やがて積極的な路線網の拡大に舵を切った。

その後、大軌は橿原神宮への参詣輸送を取り込むため1923年(大正12年)には畝傍線(現・近鉄橿原線)を全線開通、1925年(大正14年)には大阪からの短絡線である八木線(現・近鉄大阪線八木西口駅以西区間)を開通させ、多くの観光客が同神宮を訪れることとなった。同じころ、大阪進出を果たした大阪鉄道 (2代目)(現・近鉄南大阪線)が橿原神宮を目指して路線を延長中であり、1929年(昭和4年)に久米寺駅(現・橿原神宮前駅)に到達、1928年(昭和3年)に吉野まで全線開通したばかりの吉野鉄道(現・近鉄吉野線)との直通運転を開始した。1940年(昭和15年)に官民一体で行われた紀元2600年祭には、両線や省線を利用して、神武天皇とゆかりの深い橿原神宮に多くの参拝者が訪れた。

1950年(昭和25年)7月、近鉄の手による宅地開発の開始を皮切りに奈良市の学園前周辺が高級住宅地として開発が進んだことで、北和地域の大阪のベッドタウンとしての発展の礎が築かれた。高度経済成長期(1955年 - 1973年)には近鉄奈良線沿線や近鉄大阪線沿線、近鉄南大阪線沿線では住宅地開発が進み、奈良盆地全域で急激な都市化が進行した。昭和末期から平成初期(1980年代後半 - 1990年代初頭)には、バブル景気により大阪都心部の地価上昇の影響を受け、県内でも地価上昇が進んだ結果、奈良盆地以外の宇陀市や大淀町、五條市でも住宅地開発が見られるようになり、県内の人口は増加していき、ドーナツ化現象の影響を大きく受けた。2000年(平成12年)以降は、都心回帰に影響もあって、人口は減少に転じているが、生駒市や香芝市、また県庁所在地である奈良市など、大阪から近いエリアでは開発が進んでいる。そのため、県外就業率が29.98%と埼玉県(2位)や千葉県(3位)を抑えて日本一高く(2005年国勢調査)、昼夜間の人口差が大きい。

また1987年には、関西文化学術研究都市の発足に伴い、生駒市と奈良市が同都市の対象地域に含まれるようになる。平城・相楽ニュータウンの開発や、奈良先端科学技術大学院大学の設置や平城宮跡の復元など学術研究の分野でも、発展することとなった。さらに、東大寺学園西大和学園など国内でも有数の難関私立進学校があるなど、文教地域としても知られるようになった。他に、1000世帯あたりのピアノの所有台数が日本一多い(1999年、359台)という統計などから、教養や教育に力を注いでいる家庭が多いのも奈良県の特徴である。

観光地としての面でも、1993年に法隆寺地域の仏教建造物が、1998年には古都奈良の文化財が、2004年には紀伊山地の霊場と参詣道が、ユネスコ世界遺産に登録され、今日では、古都と言えば京都と奈良と言われる程知名度が高く、世界的に有名な日本の観光都市として栄えている。現在、県内4箇所目の世界遺産登録に向け、明日香村が活動を行っている。

奈良県ではやまと21世紀ビジョンを作成し「世界に光る奈良県づくり」「関西のオアシス」を目指している[7]。また、古代より多くの都城が置かれたことから「日本の故郷」とされる。

2010年は平城京に遷都されてから1300年目に当たり、平城遷都1300年記念事業が企画され、2005年5月に同事業協会が設立された。また、同事業の主たる企画として、2010年の年初から年末まで「平城遷都1300年祭」が、平城宮跡を主会場(同年4月24日から11月7日)として実施された。

県名の由来

参照: 奈良

人口

ファイル:Growth rate map of municipalities of Nara prefecture, Japan.svg
奈良県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)
増加
  5.0 - 7.49 %
  2.5 - 4.99 %
  0.0 - 2.49 %
減少
  0.0 - 2.5 %
  2.5 - 5.0 %
  5.0 - 7.5 %
  7.5 - 10.0 %
  10.0 % 以上
奈良県(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

奈良県の人口

  • 2007年10月1日現在 : 1,410,825人[8]
  • 人口増加率(2002年→2007年) : -1.9%

経済・産業

産業

  • 奈良県は観光産業が発達しており、各地の神社仏閣や遺跡、万葉の故地などが観光客を集めている。東大寺二月堂修二会(お水取り)や春日若宮おん祭などの伝統行事や若草山の山焼き、また正倉院展なら燈花会などの新しいイベントなどが多くの観光客に親しまれている。奈良県への年間観光客数は約4000万人。一方で宿泊施設は少なくホテルの軒数は2006年度において全国都道府県別で46位、客室数は47位(最下位)であった[9]。そのためホテルの多い京都や大阪に宿泊者の多くを奪われている状況である。奈良県ではホテル誘致を推進している[10]
  • イチゴスイカ茶葉大和茶)の有数の産地でもある。特にイチゴは県内の地名が付いた“あすかルビー”という有名品種がある。
  • 和書・書道に欠かせないや筆(奈良市)、茶道に欠かせない茶筅生駒市高山)、等の産地。墨は全国シェアの95%が奈良県産品である[11]
  • 金魚では大和郡山市が国内の代表的な名産地として知られている。近年では金魚すくい大会(全国金魚すくい選手権大会)が賑わいを見せ全国から参加者が集まっている。出荷匹数は日本一である。ただし、奈良県は都道府県の中では唯一水産試験場が無い県の事もあり、金魚の疾病などは県畜産課・家畜保健所が扱っている。
  • 素麺の四大産地である(桜井市三輪素麺)。また、手延べ素麺の三大産地の一つでもある。
  • 吉野地域の山間部において、林業が県南部の基幹産業となっている。吉野杉のブランドで知られる。
  • 中和地域において、靴下広陵町)や野球のグラブなどスポーツ用品の生産も高いシェアを得ている。
  • 三郷町では江戸時代、農家の農間渡世としてわら草履生産が行われており、現在もその伝統を継ぐ和履き製造(雪駄草履)を継承している。

金融機関

生活・交通

警察

交通

空港

奈良県内に空港はない。なお、人口の9割以上が居住する北西部の奈良盆地(大和平野)からの最寄りの空港は、大阪府にある関西国際空港または大阪国際空港である。他には神戸空港や、宇陀地域では(行先にもよるが)近鉄線経由で中部国際空港を利用するケースも見られる。十津川村など県最南端部では南紀白浜空港も選択肢に入る。

鉄道

奈良県内の鉄道路線は全線が電化されており、これは日本初であり、日本全国で当県を含め1都1府3県しかない(旅客営業を行う路線のみ)[12]。また、県内には気動車による定期列車が存在しない[13]。JRの駅は33駅、近鉄の駅は90駅と近鉄の方が多く駅を有し、列車の設定本数などもおおむね多い。特に、人気の観光地の最寄駅はその殆どが近鉄の駅である。1972年3月に急行「紀伊」の奈良行き編成が廃止されたことにより、本州では初めて東京駅ないし上野駅から1本の定期列車で行くことのできない県となった[14]。また、2006年3月に急行「かすが」が廃止されたことにより、奈良県はJRの鉄道路線がある46都道府県で唯一、定期特急・急行列車が1本も走っていない県となった[15]

運営する鉄道会社はJR西日本と近鉄の2社のみであるが、近鉄は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro、旧・大阪市営地下鉄中央線京都市交通局京都市営地下鉄烏丸線阪神電気鉄道 阪神なんば線相互乗り入れを行っている。路線バスも含め、同県の公共交通は近鉄グループが多勢を占める。

JR logo (west).svg西日本旅客鉄道(JR西日本)
KintetsuLogo.svg近畿日本鉄道(近鉄)

バス

県内の路線バス・県内発着の高速バスは、奈良交通(奈良交通と子会社のエヌシーバス)がほぼ独占する。

他に同じグループの近鉄バスおよび三重交通が県外から乗り入れるほか、京阪バス南海りんかんバスもわずかに奈良県内を走行する。また、西日本ジェイアールバス高速バスのみ運行しているが、かつては奈良市や五條市周辺で一般路線バスも運行していた。また、吉野町では小規模であるが吉野大峯ケーブル自動車が路線を持っている(同社は吉野ロープウェイも運営)。この他、各市町村でコミュニティバス等が存在する。

観光バスも近鉄グループが強い(既出以外には奈良観光バスがある)。

高速自動車国道

当県の高速自動車国道は当道路のみで、総延長18.2kmは47都道府県中最下位である。

一般国道の自動車専用道路

京奈和自動車道、南阪奈道路、第二阪奈有料道路はいずれも一般国道バイパス道路整備予算で建設されている(西名阪自動車道も1969年(昭和44年)3月21日の開通時点では一般国道25号バイパス道路予算の一般有料道路だったが、1973年(昭和48年)4月1日付で高速自動車国道へ昇格した。)。

京奈和自動車道は奈良盆地を縦断する予定で、慢性的な渋滞に悩まされている国道24号のバイパス道路予算で建設される高速道路であり、奈良県内と和歌山県内では無料となる予定である(京都府内は西日本高速道路管理の一般有料道路)。

一般国道(上記以外)

主要地方道・一般県道

参照: 奈良県の県道一覧

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

県内の大学では奈良県大学連合を結成しており、単位相互協定を結んでいる。

大学・短期大学

国立

県立

私立


高等専門学校
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

メディア

テレビ放送

県域放送局
全国放送およびネットワーク局

ラジオ放送

全てFM放送によるものである。

奈良県は、全国で唯一県域民放ラジオ局が無い(県域放送#ラジオ放送を参照)。なお、県域民放ラジオ局の周波数 (85.8MHz, 500W) は1984年に割り当てられているが、開局について具体的な動きはない。

AM放送の中継局もNHK・民放ともに無い(必然的に、周辺府県局を受信する。下記聴取状況参照)。ただし、ABCラジオFM補完中継局(周波数93.3MHz / 送信出力7kW)は生駒山の奈良県側に所在する[19]MBSラジオラジオ大阪のFM補完中継局は大阪府側にある)[20][21]

県域放送局
外国語放送
コミュニティ放送
奈良県初のコミュニティFM(1999年7月24日開局)、周波数 81.4MHz / 送信出力 10W
2000年6月1日開局、周波数 78.4MHz / 送信出力 20W
2017年7月8日開局、周波数 78.0MHz / 送信出力 20W
聴取状況

県北部の大半の地域で京阪神地域の、山添村の一部など三重県境では三重・東海地域の中波、FM各局の放送を聴取することができるため、受信できる局数自体は多い。また、radiko では2010年3月の実用化試験配信開始時より在阪民放各局が県内全域でサービスを実施している。

交通情報は、ならどっとFM、NHK奈良FMのほか隣接する京都府のKBS京都(AM局)とα-STATIONで奈良県の情報も流している[22]

ケーブルテレビ

奈良県内におけるケーブルテレビ局(HFC方式で、かつ有線テレビジョン放送法に基づく)は近鉄グループの寡占産業となっている。以前は中部・南部に幾つかの小規模事業者が存在したが、これらは全て近鉄ケーブルネットワーク(KCN・奈良盆地部分)とKCN子会社のこまどりケーブル(主に山間部)に事業譲渡、または統合され、現在は2社だけ[23]で県内全域をカバーしている。うちKCNではサンテレビ[24]及びNHK大阪総合・KBS京都テレビ大阪の区域外再放送を実施している[25]

特に前述したとおり、奈良県ではNHK、民放(在阪大手4局・奈良テレビ)とも、デジタル放送は東部・中南部に直接受信をするための中継局がない(奈良テレビ放送#デジタル放送の項を参照。アナログ放送の時代はこれらの地域にも中継局はあった)ため、デジタル放送を視聴するためにはこまどりケーブルへの加入が事実上必須となっており、各局が行うワンセグを使った直接受信も事実上不可能である。

FTTH(光ファイバー)については、NTT西日本スカパー!プレミアムサービス光」と、eo光テレビ(奈良県では近鉄ケーブルネットワーク提携の「KCN eo光テレビ」と、ケイ・オプティコムが直営[26] [27]するものとがある)が利用できるが、提供される地域は北部の大半のみである。

参照:

新聞

地方紙
  • 奈良新聞
  • 奈良日日新聞
    2005年11月に休刊ののち、2006年9月に新社を発足し同年10月から復刊、日本新聞協会にも2009年に加盟するが、経営難が解消されず2010年に日刊紙としては再休刊となり、週刊紙となった。
全国紙
他の都道府県では特定の1紙または数紙の新聞(概ね地元紙である場合が多い)が大きなシェアを確保し、全国紙を含む他紙が残りの少ないシェアを分け合う状況が一般的になっている中で、奈良県は日本経済新聞以外の全国紙4紙と主要地元紙(奈良県の場合は奈良新聞)がいずれもシェア20%以上を確保している唯一の都道府県である。2007年時点での都道府県内シェア(世帯普及率)は、朝日新聞が29.2%、毎日新聞が27.6%、産経新聞が21.9%で、いずれも47都道府県中で首位となっている。朝日が県内シェア首位となっている唯一の都道府県であるほか、産経のシェアが20%を超えているのは奈良県と大阪府のみである。日本経済新聞は奈良県内の全国紙で唯一シェア2割を下回っているが、東京都と神奈川県に続き、千葉県と並び都道府県内シェア3位を確保している[28]


文化・スポーツ

方言

奈良県の方言は、奈良市などの県北中部と十津川村などの奥吉野地方で大きく異なる。北中部の方言は関西弁に近いものの、奥吉野の方言は東京式アクセントが主流で、「大根→だーこ」「赤い→あかー」のような連母音変化が起こり、「目ぇ」「気ぃ」のような長母音化が起こらないなど、近畿地方のなかで特殊な言語島となっている。

食文化

郷土料理

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品
参照: 日本の伝統工芸品の一覧#奈良県

文化施設

博物館・美術館・図書館

ホール

都市公園

芸術文化団体

合唱・楽団

劇団

スポーツ

スポーツ施設

スポーツチーム

サッカー
バスケットボール
フィールドホッケー

スポーツイベント

観光

法隆寺金堂と五重塔(斑鳩町)
興福寺東金堂と五重塔(奈良市)
平城宮跡の第一次大極殿(奈良市)
平城宮跡の第一次大極殿(奈良市)
春日大社(奈良市)
唐招提寺(奈良市)

文化財

ユネスコ世界遺産(都道府県としては日本最多)
ユネスコ無形文化遺産
国宝美術工芸品(都道府県としては東京、京都に次ぐ)
  • 143件
国宝建造物(都道府県としては日本最多、64件71棟)
特別史跡(都道府県としては日本最多、10件)
特別名勝
重要無形民俗文化財
特別天然記念物
重要文化的景観
重要伝統的建造物群保存地区

自然公園

奈良県を舞台とした作品

文芸

舞台芸術

映画

奈良県で撮影が行われた作品

漫画

アニメ・特撮

テレビ・ラジオドラマ

特記のないものはテレビドラマである。

クラシック音楽

奈良県出身の人物

参照: 奈良県出身の人物一覧

脚注

  1. 県のシンボル(奈良県)
  2. “金魚・アユ・アマゴを「奈良県のさかな」に - MSN産経west”. 産経新聞. (2012年6月27日). オリジナル2012年6月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120627160424/http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120627/wlf12062712140008-n1.htm . 2012閲覧. 
  3. 県外通勤の実態2 - 読売新聞
  4. 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正元年) 、奈良県警の発表より
  5. 強風による災害事例 - 奈良地方気象台
  6. 「明治維新と奈良」『奈良市史 通史四』 (PDF)”. 奈良県 (1995年). . 2017閲覧.
  7. やまと21世紀ビジョン - 奈良県
  8. 奈良県統計課の調査による各年10月1日の人口
  9. 強み 弱み 世の中の動き 県内地域の状況 ニーズの変化 ホテル - 奈良県
  10. 日経グローカル No.94 P.48 - 49(2008年、日本経済新聞社 産業地域研究所)。なお当記事では客室数・ホテル数の最下位は徳島県となっている。
  11. 「第2部 奈良県の中小企業 第1章 工業 その他指定外伝統工芸品」 『奈良県地域経済レポート』 奈良県. 2014年10月12日閲覧
  12. 他の4都府県は、東京都神奈川県大阪府沖縄県である。
  13. 都県内に気動車による定期列車が存在しないのは、当県のほかは東京都・神奈川県・沖縄県のみである。なお、2006年3月17日までは、気動車による急行「かすが」が奈良県内を走っていた。
  14. 2017年現在では三重県和歌山県福井県もこれに該当する。
  15. 新幹線を除けば広島県もこれに該当する。
  16. 大阪府はNHK大阪総合・Eテレ+関西圏広域民放4局+テレビ大阪
  17. 和歌山県はNHK和歌山総合・NHK大阪Eテレ+関西圏広域民放4局+テレビ和歌山
  18. 三重県はNHK津総合・NHK名古屋Eテレ+中京圏の広域民放4局+三重テレビ放送
  19. 無線局免許状等情報(総務省) - 2016年5月21日閲覧
  20. 無線局免許状等情報(総務省) - 2016年5月21日閲覧
  21. 無線局免許状等情報(総務省) - 2016年5月21日閲覧
  22. テレビ・ラジオでの放送 奈良県の放送局 (PDF) - 日本道路交通情報センター 2016年5月21日閲覧
  23. 実質的にはKCNとこまどりケーブルは経営統合しているのでKCNグループで独占しているといえる
  24. ただし期限付き。
  25. 県内でも一部だが、これらの局を直接受信可能な地域がある(受信出来る局は地域によって異なる)。
  26. 2012年9月30日まではケイ・キャット枚方市八幡市京田辺市京阪東ローズタウンでサービスを提供)と提携関係にあったが、同10月1日に合併し直営化
  27. サービス開始当初はKCN提携のものだけだったが、2008年8月1日から、ケイ・キャット提携(現・ケイ・オプティコム直営)のサービスも開始し、並列で同時提供している
  28. 朝毎読日経 VS 地方紙のシェア争い - FACTA online

関連項目

外部リンク

先代:
大坂町奉行
大和国内の幕府領旗本領
柳生県郡山県小泉県
柳本県芝村県田原本県
高取県櫛羅県五條県
行政区の変遷
1868年 - 1876年 (奈良府→第1次奈良県)
次代:
堺県
先代:
堺県の一部(大和国)
行政区の変遷
1887年 - (第2次奈良県)
次代:
-----