大峰山

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大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指す。歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。

歴史的に使われてきた呼称及び修験道の信仰では、青根ヶ峰より南を「大峯」、以北を吉野としてきた[1]

この一帯は1936年昭和11年)に吉野熊野国立公園に指定され、1980年(昭和55年)にはユネスコ生物圏保護区(ユネスコエコパーク)に登録(登録名:大台ケ原・大峯山・大杉谷[2]、さらに2004年平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として史跡「大峯山寺」「大峯奥駈道」ほかが登録された。 また、現在でも女人禁制である。

概要

吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来の自然信仰と渾然一体となった中国渡来の神仙思想や道教仏教の修行のために、藤原京や平城京からこの地を訪れた僧侶(修験者)によって切り開かれたことに始まった[3]。熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年 - 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉野までの大峯奥駈道が体系付けられた。山伏が大峯で修行することを「峯(みね)入り」「入峯(にゅうぶ)」と言い、熊野から吉野へ抜けることを「順峯」、吉野から熊野まで詣でることを「逆峯」と呼んでいる。室町時代以降、京都などに近い吉野から入山する逆峯が多くなった[4]大峯山と書く場合の「峯」は、「山久しくして平らかなり。」という意味を示している。

深田久弥随筆日本百名山』やそれを元にした各種一覧表では、大峰山(1,915m)とあるが、これは広義でいう大峰山の最高峰八経ヶ岳」(八剣山)の標高である。『日本百名山』において深田久弥は山麓の吉野郡天川村洞川(どろがわ)から山上ヶ岳に登った。宿坊で泊まり翌朝山頂に立つとそこから南へと大峰山脈縦走路(大峯奥駈道)に入り大普賢岳行者還岳を経て夕方に弥山(みせん)の山小屋に着、翌朝に近畿の最高地点である八経ヶ岳の山頂に登った。縦走路はさらに南へ続くが大峰山最高峰到達に満足し山を下ったとされる。

大峰山の麓、天川村には日本三大弁財天の一つ(異説もあるが)で古い歴史を持つ天河大弁財天社があり、弥山の山頂にはその奥宮がある。

1984年(昭和59年)8月、大峰山寺の解体修理に伴う外陣回りの発掘調査で、山岳宗教史上の大発見として黄金仏2体が検出された。

主な山岳

山上ヶ岳

標高1,719m。奈良県吉野郡天川村に位置する。日本三百名山

この一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であった。道場としての大峯山は、単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味している。その中でも山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。山上ヶ岳へ通じる登山道には、宗教上の理由により女人禁制である旨を伝える大きな門があり(女人結界門 北緯34度16分04秒東経135度54分50秒)、1300年の伝統を守るための協力を依頼した看板が設置されている(これに反対する動きについては女人禁制を参照)。しかし、1929年(昭和4年)には既に女性が登山していたとされ、一部では入れるようになったともいわれる[5]

1007年寛弘4年)8月、藤原道長が大峯山の山頂である山上ヶ岳に、自筆の妙法蓮華経、無量義経、観普賢経、阿弥陀経、弥勒上生下成仏経、般若心経など併せて十五巻を銅の筺に納めて埋経した。これに倣った貴族の大峯登拝と埋経が盛んになった。また、道長は1011年(寛弘8年)に御嶽精進をはじめるが、触穢(しょくえ)によって大峯山詣を中止した。道長の埋経は出土しており、大峯参詣の記録を含む日記『御堂関白記』も伝わっている。 ちなみに頼通師通も登山しており、師通は、日記『後二条師通記』に登拝の記録を残している。

山上ヶ岳の麓には門前町として洞川(どろかわ)温泉の集落が有り、参拝者のための旅館が立ち並んでいる。洞川から大峯大橋までは道路(奈良県道21号大峯山公園線)が整備されて、直ぐそばの女人結界門から山頂まで参道が設けられているが、鎖場を登る長く険しい山道が続く。

稲村ヶ岳(女人大峯)

標高1,726m。奈良県吉野郡天川村に位置する。

大日山と稲村ヶ岳の2峰がある。山上辻に稲村ヶ岳の山小屋がある。亜高山植物に富む。

山上ヶ岳では女人禁制が維持されているが、その隣に位置する稲村ヶ岳では、女性信者の為の修行の場として1960年(昭和35年)より開放されており、「女人大峯」とも呼ばれる。

八経ヶ岳

標高1,915m。奈良県吉野郡天川村上北山村の境界に位置する。

八経ヶ岳(八剣山、または仏経ヶ岳)は近畿地方の最高峰で、トウヒシラベの原生林に覆われている。また初夏にはシャクナゲシロヤシオが咲き、7月初旬には国の天然記念物オオヤマレンゲが咲く花の山となる。

山小屋

営業小屋

  • 弥山小屋
  • 稲村ヶ岳山荘
    • 稲村ヶ岳と山上ヶ岳の分岐点の山上辻にある。シーズン中の土日のみの営業。定員30人。

宿坊

  • 山上ヶ岳宿坊
    • 大峯山寺を管理する5寺院の宿坊が山頂直下にある。本来は信者のための宿泊施設であるが、誰でも使用可能。ただし、女人禁制の区域にあるため、宿泊は当然男性だけとなる。各200〜150人ほど宿泊可。詳細は大峯山寺の項を参照。
  • 前鬼宿坊

避難小屋

水場が遠い小屋や、トイレが無い小屋も多い。水場までの所要時間は下りの時間であるので、帰りは登りとなり1.5倍ほど時間がかかることが多い。新しい小屋もあれば老朽化した小屋もあり、小屋の快適度の差が大きいので注意が必要。また、秋は水場が涸れたり冬期は閉鎖されたりする小屋もあるので、必ず最新の情報を入手してから利用すること。
南奥駈

  • 南奥駈の3避難小屋は新宮山彦ぐるーぷの管理で、1人1泊2000円を小屋内の納付箱に納めることになっている。
  • 行仙宿山小屋
    • 釈迦ヶ岳の南の行仙岳の南側。時期によっては管理人がいることがあるが素泊まりのみ。トイレ、自炊場、薪ストーブ等あり。水は徒歩12分ほど下った所の水場を使う。30名ほど宿泊可。ソーラーパネル蓄電による室内LED照明を敷設し、携帯電話充電器も設置。
  • 平治宿山小屋
    • 1991年に改築。転法輪岳の北。近くにトイレあり。水は徒歩5分ほど下った所の水場を使うが、夏場は枯れやすい。10名ほど宿泊可。
  • 持経宿山小屋
    • 涅槃岳の南。2015年に改装された。トイレは小屋の床下部にある。林道が脇を通っており自動車で到達できる。板間にカーペット敷で30名ほど宿泊可。時期によっては管理人がいることがある。水は林道を徒歩5分ほど歩いた所の水場を使う。

北奥駈

ファイル:Gyojagaeri02.jpg
行者還避難小屋
  • 深仙宿避難小屋
    • 釈迦ヶ岳の南。休憩用の長椅子に6名ほど宿泊可だが、ドアが閉まらなくなっているなど老朽化している。水場(香精水と呼ばれる)は小屋から200メートルほどの所にある。トイレ無し。ソーラーパネル蓄電による室内LED照明を敷設。
  • 楊子宿(楊枝ケ宿)避難小屋
    • 弥山と釈迦ヶ岳の間にある。2階建てのログハウス風の避難小屋。トイレはなく、水は徒歩5分ほどの水場を使う。20名ほど宿泊可。
  • 一ノ多和避難小屋(撤去)
    • 弥山と行者還岳の中間にあったが早くから荒廃し、屋根があるのみでドアも窓も無くなっており、最後は倒壊寸前で緊急時に逃げ込む程度の利用も困難となっていたが、2014年11月に解体された。
  • 行者還避難小屋
    • 行者還岳南側の鞍部にある。2003年に改築され、トイレや水場・自炊場・毛布を備えた2階建てのログハウス風の小屋になった。30名ほど宿泊可。なお、旧小屋は1970年代までは営業小屋であった。
  • 小笹宿
    • 山上ヶ岳の南側にある。小規模で5人ほどしか宿泊できず、トイレもないが、水場は目の前にある。
  • ニ蔵宿(百丁茶屋小屋)
    • 大天井ヶ岳の北。林道から5分ほどの所にある、1995年建築のログハウス。小屋の近くに簡易トイレもある。10名ほど宿泊可。水場は徒歩5分ほどの所にある。
  • 足摺宿
    • 四寸岩岳の南にある。林道からも遠くない。比較的新しいが、細い腰掛けがあるだけで、土間しかなく、マット類がないと宿泊困難。

天川川合ルート

  • 狼平避難小屋
    • 弥山の北側、狼平にある。古くから避難小屋があったが、1999年に改築され、2階建てのログハウス調になった。トイレはなく、水は横の川を使う。30名ほど宿泊可。
  • 栃尾辻避難小屋
    • 狼平と登山口の間にある。老朽化のため扉も床もなく土間のみで、テントやマットがないと宿泊は困難。

関連画像

脚注

  1. 吉野・大峯和歌山県世界遺産センター(2018年1月3日閲覧)
  2. 吉野淳一「エコパーク拡張 大台町全体に 活性化へ まず地元愛」中日新聞2016年4月3日付朝刊、三重版26ページ
  3. 飛鳥時代の終わり頃の文部天皇の時期に役小角によって開山された(大和大峰研究グループ著『大峰山・大台ヶ原山 -自然のおいたちと人々のいとなみ-』築地書館 2009年 131ページ)。
  4. 巽良乗『わが内なる悪魔を降伏せよ 修験道・男の世界』(山手書房、昭和55年)、p.57-58。
  5. 著者・今西祐行『少年少女伝記文学館 第3巻 源頼朝』1989年、222頁。

参考文献

関連項目

大峰山に含む山

信仰・文化

外部リンク