パン

提供: miniwiki
2018/7/19/ (木) 07:25時点におけるja>Uncyleによる版 (1万4400年前のパン化石や英語表記(Bread)ついて加筆しました。)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索


オオムギとエンバクのパン

パン: pão[注釈 1][1])とは、小麦粉ライ麦粉といった穀物粉に酵母などを加えて作った生地発酵させた後、焼いた食品。世界の広い地域で主食となっている。

概要

基本的に、小麦粉やライ麦粉などに水・酵母(イースト)を加えてパン生地にし、それを焼いた食品を指す。発酵のための酵母(種)と糖類砂糖など)をセットで加えることも一般的である。なお、出芽酵母を入れずに生地をつくるパンもあり、これを「無発酵パン」「種なしパン」などと言う(その場合、出芽酵母で発酵させてから焼いたパンのほうは「発酵パン」と言う)。無発酵パンとしては、生地を薄く延ばして焼くロティチャパティなどがあり、アフリカ中東からインドまでの一帯で盛んに食べられている。なお、生地を発酵させるのは主として気泡を生じさせ膨張させるためである。出芽酵母で時間をかけて気泡を生じさせる代わりに、ベーキングパウダー重曹を加えることで簡便に気泡を生じさせるものもある。また、生地にレーズンナッツなどを練り込んだり、別の食材を生地で包んだり生地に乗せたりして焼くパンもある(変種として、焼かない蒸しパン揚げパンもある)。

パンは多くの国で主食となっている。アブラハムの宗教では儀式(ミサ)において用いられる。

歴史

ファイル:Pompei pane.jpg
ポンペイで出土したパン
ファイル:Bakermiddleages.jpg
中世のパン職人
ファイル:Panyasan 01.jpg
日本に定着したパン販売店
(大阪市北区)

人類は農耕農業を始めるより早く、採取した植物でパンを焼いていたと推測される。ヨルダンでは約1万4400年前の化石化したパンが発掘されている[2]

テル・アブ・フレイラ遺跡で最古の小麦とライ麦が発見されている。麦は外皮が固いため炒ったり、石で挽いて粉状にしたりしたものに水を加えて煮て状にして食べ始めたと発掘物から推定される。また、チャタル・ヒュユク遺跡の後期において、パン小麦(寒暖に強いため広範囲で栽培でき、グルテンが多いため膨らますことができる)が発見されている。なお、パン小麦の親が二粒小麦(野生種同士の一粒小麦クサビ小麦の子)と野生種のタルホ小麦であることを発見したのは木原均である[3]

トゥワン遺跡(スイス)の下層(紀元前3830-3760)からは「人為的に発酵させた粥」が発見され、中層(紀元前3700-3600)からは「灰の下で焼いたパン」と「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されている[4]。粥状のものを数日放置すると、自然の出芽酵母菌や乳酸菌がとりつき、自然発酵をはじめ、サワードウができる。当初これは腐ったものとして捨てられていたが、捨てずに焼いたものが食べられるだけでなく、軟らかくなることに気付いたことから、現代につながる発酵パンの製法が発見されたと考えられている。

パンは当初、大麦から作られることが多かったが、しだいに小麦でつくられることのほうが多くなった。古代エジプトではパンが盛んに作られており、給料税金もパンによって支払われていた。発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである。古代ローマ時代になると、パン屋や菓子パンも出現した。ポンペイから、当時のパン屋が発掘されている。すでに石でできた大型の碾臼(ひきうす)が使われていた。ポンペイで出土したパンとほぼ同一の製法・形のパンは現代でも近隣地方でつくられている。この時代から中世までは、パンの製法等には大きな変化はなかった。

ヨーロッパ中世においては小麦のパンが最上級のパンとされたが、特に農民や都市下層住民は小麦に混ぜ物をしたパンやライ麦パンを食べることが多かった。飢饉の際にはさらに混ぜ物の量は多くなった。また、当時は大きな丸いパンを薄く切ったものをトランショワールと称しての代わりに使用していたことや、穀物以外の栄養源が不足していたこともあり、15世紀フランスオーヴェルニュの貴族はひとりあたり500kgのパンを年間に消費していた[5]。このころにはすでに都市にはパン屋が成立していたが、都市の当局は住民の生活のためにパンの価格を一定に抑えるよう規制を敷いており、このため小麦など原料の価格が高くなると、価格は一定の代わりにパンの重さは軽くなっていったり混ぜ物が多くなったりした[6]。しかし、都市の当局は一般にパンの質に対しても厳しい規制を敷くのが常であった。パンは人々の生活に欠かせないものであり、パン屋のツンフトは肉屋とともに半ば公的な地位を持ち、大きな力を持つことが多かった。この場合のパン屋とは自ら粉を練りパンを焼き上げるまでを一貫して行うもののことで、市民が練った粉を持ち込んで、手間賃をもらってパンを焼くものとの間には明確な格差があった。農村においては領主の設置したパン焼き窯を領民は利用せねばならないという使用強制権が設定されていたが、のちには農村でもパン屋によってパンが焼かれるようになっていった[7]

18世紀頃からヨーロッパでは徐々に市民の生活が向上し、また農法の改善や生産地の拡大によって小麦生産が拡大するとともに小麦が食生活の中心となっていき、量の面でもライムギにかわって小麦が中心となっていった[8]。その後、大型のオーブンの発明や製粉技術の発達により、大規模なパン製造業者が出現した。19世紀に入って微生物学の発達により酵母の存在が突き止められ、これを産業化して野生の出芽酵母を選抜し製パンに適した菌株を単一培養したイーストを使うことができるようになった。また、酵母の代わりに重曹ベーキングパウダーで膨らませたパンも作られるようになったほか、現代では一連の冷凍→解凍→発酵までの生地の発酵管理に自動温度管理を行う発酵室を用いるなど発酵の技術の向上もみられる。

表記・語源

日本では、古くは「蒸」「麦餅」「麦麺」「焙菱餅」[9]、「麺包」とも表記したが、現代日本語ではポルトガル語のパン(pão)に由来する[10]「パン」という語を用い、片仮名表記するのが一般的である。フランス語pain)やスペイン語pan)でもパンと言い、イタリア語pane)でパネという。これらはラテン語のパン、食料を意味する「panis:パニス」[11]を語源とした単語である[12]。日本統治時代に日本語を経由する形で、台湾台湾語客家語でもパンと呼ばれ、韓国でも、韓国語でパン()と呼んでいる。

英語では“Bread”と呼ぶ。

中国語圏での漢字表記は「麵麭」(テンプレート:繁体字簡体字: 面包[13]など。

日本

安土桃山時代ポルトガル宣教師によって西洋のパンが日本へ伝来した。しかし、江戸時代日本人が主食として食べたという記録はほとんど無い。一説にはキリスト教と密着していたために製造が忌避されたともいわれ、また、当時の人々のには合わなかったと思われる。江戸時代の料理書にパンの製法が著されているが、これは現在の中国におけるマントウに近い製法であった。徳川幕府を訪れたオランダからの使節団にもこの種のパンが提供されたとされる。

1718年発行の『御前菓子秘伝抄』には、酵母菌を使ったパンの製法が記載されている。酵母菌の種として甘酒を使うという本格的なものであるが、実際に製造されたという記録はない。最初にパン(堅パン)を焼いた日本人は江戸時代の末の江川英龍とされる。江川は兵糧としてのパンの有用性に着目し、1842年4月12日伊豆韮山町の自宅でパン焼きかまどを作成し、パンの製造を開始した。このため、彼を日本のパン祖と呼ぶ[14]

明治時代に入ると文明開化の波のもとパンも本格的に日本に上陸するものの、食志向の強い日本人には主食としてのパンは当初受け入れられなかった。この状況が変化するのは、1874年木村屋總本店木村安兵衛あんパンを発明してからである。これは好評を博し、以後これに倣って次々と菓子パンが開発され、さらにその流れで惣菜パンも発達した。次いで、テオドール・ホフマンが桂弥一(軍人)にパン食を勧めて脚気が治り評判となり、脚気防止のためにパン食導入の流れができた。日本海軍では1890年(明治23年)2月12日の「海軍糧食条例」の公布によっていち早くパン食が奨励されていた(日本の脚気史 参照)。

第二次世界大戦後、学校給食が多くの学校で実施されるようになると、アメリカ合衆国からの援助物資の小麦粉を使ってパンと脱脂粉乳の学校給食が開始され、これが日本におけるパンの大量流通のきっかけとなった。これにより、1955年以降、日本でのパン消費量は急増していった[15]

現在、日本においてパン食の割合が特に高いのは近畿地方である[16]。日本におけるパンの年間生産量は、2005年には食パンが601552t、菓子パンが371629t、そのほかのパンが223344tとなっており、約半分を食パンが占めている。同年の1世帯当たりの年間パン購入量は食パン19216g、そのほかのパンが20725gである[17]。日本のパンの生産量は平成3年に119万3000t、平成23年に121万5000tと、年度ごとにやや増減があるものの総体としてはこの20年ほぼ横ばいが続いている[18]。しかし、主食であるコメの消費量が減少を続けていることから相対的にパンの比重が増加し、2011年度の総務省家計調査においては1世帯当たりのパンの購入金額が史上初めてコメを上回った[19]

原料

一般的に生地に用いられる穀物粉は次のようなものがある。

これらのうち、最も一般的なパン製造の材料は小麦粉である。これは、小麦粉の中にはグルテンが含まれるため、水を加えてこねることで粘りが出るうえ、酵母を使って発酵させると生地が膨らみ、柔らかく美味なパンが作れるからである。これに対し、オオムギやライムギといったほかの材料ではグルテンが形成されないため、パンは硬く重いものになる。ライムギの場合、グルテンがないため酵母で膨らませられず、乳酸菌主体のサワードウによって膨らませるが、小麦粉に比べて膨らみは悪く重いパンとなる。このほか、メキシコトルティーヤのようにトウモロコシ粉を用いたり、ブラジルポン・デ・ケイジョキャッサバ粉、エチオピアインジェラに用いるテフの粉など、世界各地では様々な独自の材料を用いている。近年では、日本において米の利用促進や製造技術の進歩により、米粉から作られる米粉パンの利用が増加している。

小麦粉には様々な種類があるが、パン作りに主に使用されるものは強力粉である。これは、強力粉にはグルテンが多く含まれるためよく膨らみ、ふっくらとしたパンを作ることができるためである。これに対し、あまり膨らませる必要がなくどっしりとしたフランスパンなどを作る際には、強力粉より1%ほどタンパク質の少ない準強力粉(フランス粉)が使用される。

出芽酵母(イースト)は、小麦による発酵パンを作る際には必須の材料である。パン作りに使用される酵母は大きく分けて、工業生産された酵母と自家採捕した酵母(天然酵母)とに分けられる。工業生産されたイーストは、生イースト、ドライイースト、インスタントドライイーストの3種からなる。生イーストは一週間ほどで使用期限が過ぎてしまうため、乾燥させて長期保存ができるようにしたドライイーストが作られ、さらに予備発酵過程が不要で直接粉に混ぜ込めるインスタントドライイーストが開発された。ライムギの場合には上記のように、乳酸菌と酵母を主体に複数の微生物を共培養させた伝統的なパン種である自家酵母種のサワードウが使われる。自家酵母種にはほかにもアンパンなどに使われるコメで作る酒種や、ホップ種、ヨーグルト種、レーズン種など、様々な酵母種が存在する[20]。また、スコーンなどのように発酵ではなくベーキングパウダー重曹などの膨張剤を使って膨らませるクイックブレッドと呼ばれる種類もある。なお、パン生地の発酵過程においては環境中の常在(人為添加されていない)乳酸菌は食味を改善する重要な働きをしている[21][22]

上記の生地材料に、必要に応じて各種材料を加える。ほぼどのパンにも使用されるものは上記のほかには食塩のみであり、この主材料4種(穀物粉、酵母、水、食塩)のみで作られたもの、またはほかの副材料の配合が少ないものは「リーン」なパンと呼ばれ、余計な雑味が少なく穀物本来の味が生かされるために主に食事用のパンに用いられる。水は硬水よりも軟水のほうがパンが膨らみやすく良いとされる。塩には味を調えるほか、酵母の活動を遅らせたり、雑菌の活動を抑えたり、グルテンを強固にするなどの作用がある。

このほかの材料はパン作りに必須ではないが、パンの味や仕上がりに大きな影響を及ぼすため副材料としてよく使用される。砂糖鶏卵牛乳バターオリーブオイルラードショートニングなどが主に使われる副材料である。こうした副材料を多く配合したパンは「リッチ」なパンと呼ばれ、甘くふっくらと仕上がるため菓子パンなどに多く使用される。また、大規模工場での製造によくつかわれる添加物として上記の他に炭酸水素ナトリウムソルビット乳化剤イーストフード臭素酸カリウムアスコルビン酸(ビタミンC)、グリシンタンパク質サケ白子由来、大豆由来、小麦由来など)、着色料増粘多糖類などがある。

生地以外に、ナッツ類、ドライフルーツジャム、肉類、チーズ、生クリーム、類、野菜類、各種調味料などを用いる場合もある。これらは主にパンにトッピングしたり具として中に入れたりして使用することが多い。

天然酵母表示問題

「天然酵母」との言葉に対する統一的な定義は無く、現在の日本では野生酵母を使用して製作した物品に対して使用されている事が多い[23]

『天然酵母表示問題』とは、工場由来の酵母(ドライイースト)やベーキングパウダーでは無く野生酵母を自家採集捕獲し培養した種を使用したパンに天然酵母種あるいは天然酵母などの様に天然を接頭語として使用する事で、

  1. 『自然』『安全』『ヘルシー』の優良なイメージ付け
  2. 工場由来の酵母が不健康との誤認を誘う表示

が行われている問題である[23]。背景には、日本のパン業界では「製パン用酵母」の呼称として、英語の「イースト」が慣用的に使用され、原料表示している[23]。しかし、野生酵母を独自に採集捕獲し培養してパン製造に用いる伝統的な手法は、優良株に遭遇出来た場合[24]、人為添加していない乳酸菌の作用[21]と相まって工場由来の酵母とは異なった複雑な美味しさをもったパンが生産出来ることもあるが、劣悪な野生酵母菌株に遭遇すると発酵力が弱く膨らみや風味に欠けるパンになってしまう。従って、品質安定性とコストの面から大量生産を行う工場では不安定な野生酵母は採用されずパン製造に適した株を選抜し純粋培養した「工場由来の酵母」[23][25][26]が使用されているが、この内容を正しく理解している一般消費者は少ない[23]。従って、天然酵母に変わる適切な表示が望まれるとする見解がある[23]

種類と製法

まずパンは「膨らませるもの」と「膨らませないもの」とに大きく分けられる。膨らませないパンは「平焼きパン」「無発酵パン」「種無しパン」などと呼ばれ、中東からインドにかけての地域で盛んに食べられている。膨らませるものは「酵母を使って発酵させるもの」「種を使って発酵させるもの」「発酵させず膨張剤を使うもの(クイックブレッド)」の3種に分けられる。もっとも一般的なものは酵母を使って発酵させる小麦のパンである。

パン生地の作り方としてもっとも単純で古くからあるものは、材料をそのまま一度に混ぜ込んでこねる直捏ね法(ストレート法)であり、現在でも家庭でのパン作りにおいてはこの方法が主流である。これに対し、まず材料の70%程度を捏ねておいて発酵させ中種とし、それに残りの材料を混ぜ込んで作る中種法は、柔らかな生地ができるうえ調整がしやすく、大量生産に向いているため、大手のパン製造業者のほとんどが採用している。粉の20%から40%程度に同量の水と酵母を混ぜ込んでつくる液種法(水種法、ポーリッシュ法)や、一晩おいた中種を新しい生地の10%から20%混ぜて作る老麺法などの方法もある[27]

発酵させるパン作りの流れとしては、まず材料を混ぜ合わせ、捏ね上げて発酵させる。これを一次発酵と呼ぶ。中種法の場合はこのあと残りの材料を混ぜ込んでもう一度発酵させる。一次発酵が終わると、発酵したパン生地のガス(二酸化炭素)を抜き、状態をととのえた後でもう一度発酵させる(二次発酵)。二次発酵後、生地を切り分けて丸め、いったん生地を寝かせ熟成させる。寝かせた生地は成形し、この過程で再びこれまでにたまったガス(二酸化炭素)を抜いていく。パンの形が完成すると、もう一度最終的に発酵させ膨らませる。そして膨らんだ生地を焼き上げて、パンが完成する​​。

各国の傾向

各国の食文化との関係で、それぞれの国において好まれるパンの傾向は異なる。まず、原材料である小麦の開花・収穫時期である5月から8月に雨が多く降るとグルテンの形成が悪くなる為、フランスなどこの時期に雨が降りやすい地域では柔らかいパンが作りづらいため固いパンが作られる。次に、ヨーロッパではパンは主食であるため、あまり余計な味付けをせず小麦粉本来の香りを楽しむ。また、肉食が中心で硬い歯ごたえを好む傾向があるので、表面をあえて硬く焼き、表面のパリパリとしたクリスピーな食感、かすかに漂う焦げた香り(ややスモーキーなフレーバー)と、中の白い部分の食感とのコントラストを楽しみ、それを好む傾向、それこそがパンの美味しさだと感じる傾向がある。ヨーロッパ人の中には、日本を旅行して表面までフニャフニャしたパンばかりがスーパーなどで売られているのを見て「こんなものはパンじゃない」と感想、不満を漏らす人もいる。それくらい、《クリスピーな食感》というのはヨーロッパ人にとって大切なものなのである。

一方、日本においては、主食の地位には米飯があったため、パンは主食としてよりもむしろ惣菜菓子として主に発達した[注釈 2]。主食として使用される食パンにおいても、日本人は米飯というきわめて柔らかい主食に慣れていたため、米飯に似せて水分を多くしたやわらかなパンが好まれる傾向にある[28]

製造工程の図解

パンのできるまでの一つの例を以下に図示する。

パンのできるまで
1. 酵母と生地を完全に混ぜ合わせる。  
2. 生地からパン一個分を切り分け、形を整える。  
3. 棚に生地を入れるためのバスケットを準備する。  
4. バスケットに生地がくっつかないようにあらかじめ粉を振っておく。  
5. 生地を粉を振ったバスケットに置く。  
6. 生地を暖かな場所に置き発酵させる。  
7. 生地に切れ込みを入れて成形し、発酵中にたまったガスを抜く。  
8. 生地を焼き上げる準備が整う。  
9. 生地をピールの上に乗せる。  
10. 生地をオーブンの中に入れ、焼き上げる。  
11. パンが完成する。  
12. 棚の上において冷却する。  

製造と供給

パンの市場規模は巨大なものであり、世界のかなりの国において製パン産業が成立している。大手食品企業による工業生産されたパンが大量に供給される一方、地域に密着した中小パン製造業者や、個人経営のベーカリーなど様々な種類の業者が存在する。

種類(地域別)

ファイル:Croissant.jpg
クロワッサン
ファイル:Kampsbrezel.jpg
ブレーツェル
ファイル:Focaccia.png
フォカッチャ
ファイル:Pão de queijo.jpg
ポン・デ・ケイジョ
ファイル:Shaobing5.jpg
焼餅(シャオビン)
ファイル:PineappleBun2.jpg
菠蘿包(パイナップルパン)
ファイル:Canai.jpg
ロティ・チャナイ

フランス

フランス

ドイツ

ドイツ Brot

イタリア

イタリア

イギリス

イギリス (Bread)

ロシアと近隣諸国

ロシアХлеб、フリェープ)

これら諸国では「パンと塩」(Bread and salt)を用いて、お客さんの正式歓迎をする。

その他のヨーロッパ地域

北アメリカ

北アメリカ

アメリカ合衆国とカナダでは、イーストの代わりに重曹ベーキングパウダーで膨らませた、発酵いらずのパン(クイックブレッド)の種類が豊富である。

中南米

南アメリカ

カリブ海諸国

オセアニア

オーストラリア

インド・中近東

インド中近東

アフリカ

アフリカ

日本

中国

中国

香港

台湾

台湾

  • 太陽餅(タイヤンピン) (台中起源)
  • 鳳梨酥(パイナップルケーキ) (台中起源)
  • 胡椒餅(フージャオピン) (福州起源)
  • 黑糖糕(澎湖起源)
  • 牛舌餅(鹿港・宜蘭起源)

韓国

韓国

中央アジア

  • アビ・ナンEnglish版 Obi Non (ウズベキスタン
  • ラチラ Lochira (ウズベキスタン)
  • ジリシュ・ナン Jirish non (ウズベキスタン)
  • シルマ・ナン shirma non (ウズベキスタンで作られるアビ・ナンは種類があり、これはその一種で厚みがあって小さい。)
  • シェルペクрусский版 Шелпек:shelpek (カザフスタン
  • バウルサク бауырсақ (カザフスタン)
  • マンティ Мәнті (カザフスタン)
  • タンディール・ナン Тандыр-нан (カザフスタン)
  • ファティール・ラフハニー фатир равғанӣ (タジキスタン
  • ベリャシ беляши (タジキスタン)
  • チュリョク çörek (トルクメニスタン
  • ヤーリ・チョリョク etli çörek (トルクメニスタン)

東南アジア

パンを利用した料理、再加工品

ファイル:HKStyleFrenchtoast.jpg
西多士(香港式フレンチトースト)

ホームベイク

ホームベーカリーがなくても家で簡単に焼きたての味が味わえるパン、パート・ベイクド・ブレッド(part-baked bread)などもあり、半焼き状態で売っていて、オーブンでさらに焼いて食べる。

日本におけるパン製品の表示

農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(JAS法)および「包装食パンの表示に関する公正競争規約」に基づき、表示が決められている。

JAS法では、原材料や製造方法に応じて「食パン」「菓子パン」「パン」の3つに区分される。さらに市販食パンについては、上記公正競争規約による表示内容が決められている。しかし、原料のひとつである酵母をどの様に表示するのかの規定は無い[23]

文化

パンは世界の多くの地域で基本的な食料として重視されていたため、しばしば文化的に象徴性を持った。アブラハムの三宗教においては、象徴として重要であり、宗教儀式に使用される。

聖餐において重要な意味合いを持つ。聖餐は正教会では聖体礼儀カトリック教会ではミサ聖公会(アングリカン・チャーチ)やプロテスタントの一部では聖餐式という名で行われ、いずれも重要な意味を持つ。聖餐で用いられるパンはウェハースのような形状で、カトリック教会ではこれをホスチアと呼び、聖餐式で聖別されたパンを聖体という。

ユダヤ教においては安息日ユダヤ教の祝祭日にのみ食されるハッラーと呼ばれるパンが作られている。

ローマ帝国においては社会保障の一環としてローマ市民権保有者のうちの貧困者にパンの原料となる穀物の無料給付が行われており、同じく為政者によって市民に無料で供給された剣闘士試合や戦車競走と並んで、市民を政治から遠ざけるものだとして同時代の詩人ユウェナリスが「パンとサーカス」という表現で批判した。この表現は21世紀の現代においても、為政者による人気取りや愚民政策を批判する語として存在している。

また、フランス革命時に王妃マリー・アントワネットが困窮する民衆に対し「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と発言したとされ、フランス革命時のエピソードとして非常によく引用されるものの、実際にアントワネットがこのような発言をしたという証拠は見つかっておらず、後世の挿話だとされている。

関連項目