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フランス革命

仏: Révolution française, 英: French Revolution

フランスのブルジョア革命。通常,1789年から 99年のナポレオン1世の独裁にいたるまでの諸変革の過程をさす。

革命は,成長をとげてきた資産家ブルジョア階層が主導し,その代表でつくられた議会を革命遂行の場として,特権体制の打破とブルジョア的原則の樹立を目指すものであったが,社会不安,生存の不安を直感した都市民衆 (サン=キュロット) と農村の小農民は,議会の外にあって暴動と焼打ち,請願,陳情という民衆運動を展開した。また,国際環境のうえからはイギリスの政治的・経済的圧力が強化され,オーストリア,プロシアの革命干渉工作が進められた。革命を主導する議会ブルジョアは,この内外の状況に対応しながら諸憲法や宣言,法令を布告し,最終的にブルジョア革命を実現した。したがって,革命は時代を追ってその局相が変化し,以下の経過をたどった。

(1) 革命前段階  87年以来王国政府の財政危機打開策は貴族・法官層の反発に直面し (貴族の革命) ,89年5月全国三部会を招集した。

(2) 全国三部会から国民議会が創出され,ここにブルジョアの革命の場が形成された。一方,パリ民衆は 89年7月 14日バスティーユを襲撃,続いて農村では全国的な農民革命が進行する。これに対応して議会は封建的諸権利廃棄宣言と人権宣言を発し,革命の理念を表明。 91年9月に「1791年憲法」が制定され,国民主権,国民代表制,制限選挙制,地方行政などブルジョア国家原則を定めたが,議会ブルジョアと民衆の対立は次第に表面化する。

(3) 92年8月 10日パリ民衆の蜂起により王権は停止され,9月共和政が発足する。しかし,国民公会のジロンド派の指導権は内外政策の失敗によって動揺し,山岳派は,高まる民衆運動を利用して 93年6月,ジロンド派を国民公会から追放,公安委員会を中心とする独裁を強行したが,M.ロベスピエール独裁にいたって民衆運動と対決。

(4) 94年7月ロベスピエール没落ののち,95年8月,「共和暦第三年憲法」が制定され総裁政府が発足した。それは「1791年憲法」体制の復活,継承を意味した。しかし,政府は左右両派の脅威と,イギリスを中心とする対仏大同盟勢力の圧力に対して無力で,革命の成果の安定を望む議会ブルジョアと地主的農民層の支持を受けたナポレオンは,99年ブリュメール十八日のクーデターを断行し,革命時代に終止符が打たれた。