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枝野幸男

枝野 幸男
えだの ゆきお
生年月日 (1964-05-31) 1964年5月31日(54歳)
出生地 日本の旗 日本 栃木県宇都宮市
出身校 東北大学法学部卒業
前職 民進党幹事長
経済産業大臣
内閣官房長官
弁護士
現職 立憲民主党代表
所属政党日本新党→)
(民主の風→)
新党さきがけ→)
旧民主党→)
民主党→)
民進党→)
立憲民主党菅グループ
公式サイト 枝野幸男オフィシャルサイト 立憲民主党衆議院議員

内閣 野田内閣
野田第1次改造内閣
野田第2次改造内閣
野田第3次改造内閣
在任期間 2011年10月3日 - 2012年12月26日

内閣 野田内閣
野田第1次改造内閣
野田第2次改造内閣
野田第3次改造内閣
在任期間 2011年9月12日 - 2012年12月26日

内閣 鳩山由紀夫内閣
菅第2次改造内閣
在任期間 2010年2月10日 - 2010年6月8日
2011年6月27日 - 2011年9月2日

内閣 菅第2次改造内閣
在任期間 2011年1月14日 - 2011年9月2日

選挙区旧埼玉5区→)
比例北関東ブロック→)
埼玉5区
当選回数 9回
在任期間 1993年7月19日 - 現職
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枝野 幸男(えだの ゆきお、1964年5月31日 - )は、日本政治家弁護士(登録番号:22259、司法修習43期、第二東京弁護士会)。立憲民主党代表(初代)。衆議院議員(9期)。

立憲民主党代表就任前の要職としては、旧民主党政策調査会長(第6代)、民主党幹事長(第10代・第15代)、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)内閣官房長官第79代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)経済産業大臣第16代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)民進党幹事長(初代)、民進党代表代行、民進党憲法調査会長。

来歴

生い立ち

栃木県宇都宮市出身[1]サラリーマン家庭に生まれる[1]

祖父が尊敬していた憲政の神様である尾崎行雄にあやかり、男の初孫である枝野には「ゆきお」という名前をつけろと父が祖父から言われていて、字は違うが画数の良いものとして"幸男"と名付けたというのが名前の由来である[2][1]。自身の名前の由来を聞かされたことが影響し、物心がついた頃から政治家を志望していた[3]

学生時代

宇都宮市立峰小学校時は児童会長を、宇都宮市立陽東中学校時は生徒会長を務めた。栃木県立宇都宮高等学校時代は校内の弁論大会で3年連続優勝した。高校の弁論大会では環境問題日教組批判を演題にしていた[4]。また中学・高校と合唱部に所属し、中学2年・3年では2年連続でNHK全国学校音楽コンクールで全国優勝している[5][1]

早稲田大学に合格したらジャーナリストを、東北大学に合格したら弁護士を目指すことにして両校を受験する[3]。早稲田大学は不合格となり、東北大学法学部進学(同級生に森まさこらがいる)、法曹界を目指すことになった。 東北大学では憲法学者の小嶋和司のゼミに所属、ここで憲法も法律も道具であるという考え方になる[3]

弁護士として

1988年、24歳で司法試験に合格[1]。司法修習を経て弁護士となり、東京の法律事務所に就職した。

政界へ

1993年日本新党の候補者公募に合格。当時初の公募による候補者として第40回衆議院議員総選挙旧埼玉5区から日本新党公認で立候補する[2]。手作り選挙を貫き、上田清司(現:埼玉県知事)に次ぐ2位(定数4)で初当選した。

総選挙後、非自民・非共産連立細川内閣が誕生。商工委員会に所属し、公約に掲げていたPL法立案に携わる[6]。日本新党の党則改正を担当し「細川代表の個人商店」と言われていた党運営の近代化に取り組むが、党事務局の抵抗により失敗する[7]1994年4月に細川首相が辞任し羽田内閣が発足。首班指名選挙では自民政権は阻止すべきと考えて羽田孜に投票した[6]。羽田内閣発足時に日本新党が新党さきがけとの統一会派を解消して新生党などを含む新会派「改新」に参加したことに反発し、5月に日本新党を離党[8]院内会派「民主の風」を結成し、続いて新党さきがけ、グループ青雲とともに統一会派「さきがけ・青雲・民主の風」へ合流した。6月「さきがけ・青雲・民主の風」内で態度が分かれた羽田内閣への不信任案には反対を表明した[9]

1994年6月、自社さ連立村山内閣が発足。これを期に新党さきがけに合流し、政策調査会副会長に就く。1996年1月に橋本連立内閣が成立、首班指名では造反すると言われた[10]村山富市から後継指名を受けた自民党橋本龍太郎総裁に投票した。橋本がPL法の対象から血液製剤を外すよう抵抗した厚生族のドンであったためで、最後まで悩んだという[6]連立与党の行政改革プロジェクトチーム座長を務め、1996年5月に国家公務員人事の一括採用や天下り規制を含む公務員制度改革の座長私案を提示した[11]。同年6月に超党派の若手有志議員による政策勉強会「司馬遼太郎哲学研究会」の呼びかけ人となり発足させた[12]。この会は、鳩山新党(旧民主党構想)をにらんだ若手による交流会と見られた。

1995年から薬害エイズ問題を追及し、真相究明と和解を実現して一躍注目された。1995年1月に薬害エイズ裁判原告弁護団から接触を受け、国の責任を確信。8月、井出正一厚生大臣と被害者の面談を官僚に内密に実現した。10月に裁判所から和解勧告が出されても厚生省が責任を認めなかったため、衆議院厚生委員会で追及。厚生省の当時の対応について説明を求める質問主意書を提出した[13][6]1996年1月から橋本内閣の厚相として薬害エイズ問題に取り組んだ菅直人をサポートし[14]、"郡司ファイル"発見などの真相究明と国の和解受け入れにつなげた。2月の大臣謝罪の場で司会を務め、7月には安部英元エイズ研究班班長らへの証人喚問で尋問に立った。

野党民主党

1996年旧民主党結成に参加。同年10月の第41回衆議院議員総選挙埼玉5区からボランティア中心の選挙で挑む[15]。しかし小選挙区では自民現職の福永信彦に敗れ、重複立候補していた比例北関東ブロックから比例復活で再選した。1997年旧民主党政調会長に就任する。同年5月に、社民党出身議員の族議員的体質に批判的な旧民主党内の若手衆議院議員による政治集団「2010年の会」を立ち上げ、代表世話人となる[16]

1998年1月、旧民主党を含む衆議院野党が統一会派民主友愛太陽国民連合(民友連)を結成し、その一員となる。同1月、民友連の若手衆議院議員による勉強会「ダッシュの会」の発足に参加[17]。野党議員となってから、夫婦別姓の選択を可能にする民法改正案、行政監視院法案、臓器移植法案、児童買春・児童ポルノ禁止法案などを提出。法案の提出数と委員会での発言数は群を抜いていて、「議員立法ブーム」の中心人物となった[18]

1998年4月民主党結成に参加し、政策調査会筆頭副会長に就任。金融国会では、金融再生法成立に関わる[19]。この時、大蔵官僚や守旧派議員を排し、専門知識を持つ若手政治家の間で協議を重ねて法案が作られたことが、新しい政治の形として注目され、塩崎恭久石原伸晃らとともに「政策新人類」と呼ばれた[20]

1999年1月、菅直人に松沢成文が挑む形となった民主党代表選挙では、「論憲」や「郵政三事業特殊法人民営化」を掲げる松沢成文の推薦人に名を連ねた[21]。同年9月の代表選では菅直人の選対事務局長を務めた[22]。同10月、鳩山新体制で政策調査会長代理に就任し、次の内閣内閣官房副長官となった[23]

2000年第42回衆議院議員総選挙で当選。2000年11月、民主党の旧さきがけ系を中心とする当選3回以下の若手議員による新勉強会(名称未定)を立ち上げ世話人になる[24]2001年4月、前年に立ち上げた勉強会の参加者を中心とした勉強会「高朋会」の発足に参加[25]

2002年12月の代表選挙で菅直人が党代表に返り咲くと政調会長に就任し、次の内閣の内閣官房長官となった。2003年第43回衆議院議員総選挙での、民主党のマニフェストを発表した[26]

2004年代表が菅直人から岡田克也に代わり、党憲法調査会長に就任。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では小泉フィーバーで民主党が苦戦の中、自身は牧原秀樹に完勝し、5度目の当選を果たす。岡田の後任を争う代表選では盟友の前原誠司を支援した[27]。同年、政権戦略・報道担当の幹事長代理に就任。2006年小沢一郎が代表に就任して以降しばらくは党役職から離れることとなる。2008年9月の党代表選で前原誠司、岡田克也らの不出馬を受け、無投票での小沢再選を回避するため自らの立候補を模索するが、推薦人を確保できず断念した。

枝野は2009年8月の第45回衆議院議員総選挙にも当選し、枝野が所属する民主党も大勝し政権は民主党に移る。

民主党政権

鳩山内閣

2009年9月に鳩山由紀夫内閣が発足すると、当初は閣僚に起用される見方も強まったが[28]、起用はなかった。一部では小沢一郎との確執が原因であるとの憶測も流れた[29]

10月、内閣府に設置された行政刷新会議事業仕分けチームの統括役を行政刷新担当大臣仙谷由人から任命され、事業仕分けでは、予算の編成過程を公開することで国民の注目を集め、鳩山内閣の支持率を下支えした[30]。この仕分けでは原子力施設等防災対策等委託費、原子力施設等防災対策等交付金等の仕分けを行った[31]

2010年1月に仙谷が国家戦略担当大臣を兼任することとなり、仙谷を補佐するため首相補佐官に起用されることが発表される[32]。しかし正式に任命されることはなく、仙谷の兼務を解く形で行政刷新担当大臣への就任が決まる[33]

菅内閣

2010年5月末、鳩山内閣が退陣し、後任の代表選挙では前原誠司岡田克也らと共に菅直人を支持した。6月、民主党幹事長に就任した[34]。7月、幹事長として戦った第22回参議院議員通常選挙では改選前から10議席減の44議席獲得に留まり、参議院での過半数割れを許す。9月の菅第1次改造内閣発足に伴い幹事長を退任となり、後任の岡田克也の要請により幹事長代理に就任した[35]

2011年1月14日に行われた内閣改造により、菅第2次改造内閣内閣官房長官沖縄・北方対策担当大臣兼任)に就任した[36]。46歳7ヶ月での官房長官就任は、史上2番目の若さであった。3月上旬には、前原誠司外務大臣の退任に伴い、臨時代理として松本剛明が任命されるまで務めた。6月27日からは首相補佐官になった蓮舫の後任として行政刷新担当大臣も兼任することとなった。鳩山内閣が総辞職してから約1年ぶりに行政刷新担当大臣に再登用されることとなる。

東日本大震災・福島第一原子力発電所事故での対応

官房長官就任から2ヶ月弱後の2011年3月11日東北地方太平洋沖地震福島第一原子力発電所事故が発生。連日ほぼ主としてスポークマンとして働いた。内容を包み隠さず報道させた枝野の手腕は、その精力的な働きぶりから、海外の一部メディアからテレビドラマ『24 -TWENTY FOUR-』のジャック・バウアーに喩えられた[37]。この際に枝野が情報の一元化を指示したと報道されており、例えば文部科学省は3月15日夜以降、同原発から半径20〜30km範囲内について、同省の観測車両で放射線量を測定した結果を発表していた。しかし記者から健康への影響を問われた際に担当者は「データの評価は行わない。官房長官の指示でコメントできない」と述べている[38]。また、産経新聞記者の阿比留瑠比は枝野が「情報はどこかで一元化して勝手に出さないように」と指示したことにより、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム (SPEEDI) 情報の公開がストップされたとしている[39]。ただし、原子力安全・保安院の解析したSPEEDIの予測結果は枝野の一元化の指示に反し、45件のうち、2件しか官邸に送付されていなかった[40]。この一方で、文部科学省は事故の直後に外務省を通じて試算結果をアメリカ軍には提供していた[41]

米原子力規制委員会(NRC)が東京電力福島第一原子力発電所事故発生直後の内部文書を公表した。その中に、日本への支援として首相官邸に専門家を常駐させたいと求めたという記録があった[42]。しかし、読売新聞によると、枝野は「協力はありがたくお願いしたい。ただ、官邸の中に入るのは勘弁してほしい」と条件を付けたという[43]。東京電力福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋で水素爆発が起きた際、内閣府原子力安全委員会側からの「避難指示を半径20キロから30キロ圏内まで広げるべきです」との提案に対して、枝野らは大規模な避難計画の立案が必要になり、混乱する懸念があったため「30キロに拡大するのはいいが、屋内退避にとどめた方がいい」と反論した[44]。3月12日午前2時の内閣官房記者会見で、ベント開放に備えた住民への安全の考慮について「発電所から3km以内の避難、10km以内での屋内退避の措置により、住民の皆様の安全は充分に確保されている」と説明した[45][46]

2011年4月に文部科学省は児童への安全基準として毎時3.8マイクロシーベルト・年換算20ミリシーベルトを示したが、除染対策を自治体に任せ、積極的に動いていなかった[47]。そのため自治体は独自に校庭の表土除去を実施した[48]。この表土除去に関して枝野は、これらの表土は放射性廃棄物と認識しつつ、除去については「文部科学省から示した指針に基づいて対応をいただければ必要はない」との見解を示した[49]

野田内閣

2011年9月2日、野田内閣発足に伴い内閣官房長官を退任。当初は「一兵卒として政府を支える」と話していたが、同月12日、福島第一原子力発電所事故をめぐる不適切な言動で辞任した鉢呂吉雄の後任として第16代経済産業大臣に就任し、10日で閣内に戻ることとなった[50]。2011年10月3日、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)が加わる[51]

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では小選挙区で当選し、7選[52]

原子力発電所関連

2012年4月13日、定期検査で運転中止中の関西電力大飯原発3、4号機について、関電の安全対策が政府の安全基準を満たしていることを確認し、安全宣言を出した。また大飯原発が再稼働せずに2010年並の猛暑を迎えた場合、関電管内で最大2割程度の電力不足に見舞われ電力料金の値上げにもつながるとして「再稼働の必要性が存在する」と述べた[53]。翌14日、福井県西川一誠知事との会談で3、4号機の安全性が確保されていることを説明するとともに電力需給面での必要性も挙げ、再稼働への協力を要請した[54]。6月1日、「2基ともフル出力で発電するのは7月を越える」と述べ、関電管内で15%の節電要請が始まる7月2日に間に合わないとの認識を示した[55][56]。6月16日、政府は西川知事の同意を得て再稼働を正式決定[57]。6月18日、関電の八木誠社長に対して再稼働に向けた作業の安全を徹底するよう指示するとともに、再稼働の前提となる安全対策の確認を求めた[58]。7月25日、4号機のフル稼働を受け関電の八木社長が高浜原発3、4号機の再稼働について「優先的に再稼働する方向で、これから国と調整をさせていただきたい」と述べたことに対し「大変不快な発言だ。安全性についてしっかりチェックすることなしに再稼働はあり得ない」と述べ、9月に発足する原子力規制委員会の評価・判断を見守るべきとの考えを示した[59]。8月28日、夏の節電目標を達成して推移している関電管轄内の電力需給について、大飯原発3、4号機が再稼働しなかった場合、最大需要を記録した8月3日[60]の供給余力が3%を割り込む計算だったことを挙げ「大飯原発が再稼働できていなければ、大変厳しい状況だった」と述べた[61]

9月15日 青森県の三村知事や原子力施設のある市町村の首長らと青森市内で会談し、東日本大震災後に工事を中断した電源開発大間原子力発電所(青森県大間町)と中国電力島根原発3号機(松江市)の建設再開・稼働を事実上、容認する考えを伝えた。原発再稼動の是非が問われる中で両原発の建設が再開されれば、震災後初めての原発建設となる。この会談の中で枝野は「原子炉の設置と工事計画許可が与えられている原発について、経産省の立場として変更は考えていない」と述べ、19日に発足する原子力規制委員会が安全を確認すれば、建設再開・稼働を認める方針を示した[62]

民主党下野後

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で民主党は大敗し下野したが、枝野は第46回衆議院議員総選挙でも小選挙区埼玉5区で当選する[63]

2014年9月16日、民主党幹事長に就任した。 同年12月の第47回衆議院議員総選挙においては小選挙区埼玉5区で自由民主党牧原秀樹に約3千票差という僅差で当選[64]

2015年1月民主党代表選挙後、代表に選出された岡田克也の下でも幹事長に留任した。

民進党へ移籍

2016年3月、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加し、民進党執行部発足後も幹事長に留任した。同年10月、民進党憲法調査会長に就任[65]

2017年9月の民進党代表選挙に立候補し、前原誠司に敗れたが、代表選後の党役員人事で代表代行に就任した。

立憲民主党の立ち上げ

2017年9月28日、第48回衆議院議員総選挙に向けて民進党が希望の党合流により事実上の解党となった。希望の党がリベラル派を公認せず排除する方針が明らかになると離党し、10月3日に自らが代表となって立憲民主党を結党した。選挙戦では日本共産党が支援・連携を示し、埼玉5区への共産党候補出馬を取り下げた。自らは牧原との5度目の対決を制し9選となっている(牧原は比例復活)。

政策・主張

政治的思想

自身について「リベラルであり、保守である」と述べており、この2つの概念は対立しないとの見解を示している[66]。大事にしたい「保守の伝統」としては以下を挙げている。

「和を以て(もって)尊しとなす」。まさに日本の歴史と伝統といったときに、一番古い、そして一貫している日本社会の精神です。

自由を大事にして多様な価値観を認めて、自由放任な自己責任論ではなくて、お互いに支え合うことを大事にする。これはリベラルであると同時に保守なんですよ。

— 枝野幸男、2017年10月9日 インタビューにて[66]

2017年に立憲民主党を立ち上げた際には、「国家権力が憲法によって制限されることにより、真の民主主義が成り立つ」とする立憲民主主義を掲げ、以下のように述べた。

私たちは、立憲民主党という名前を付けさせていただきました。立憲という言葉は、古めかしい、分かりにくいという意見もあります。しかし、どんな権力でも、憲法によって制約をされる、憲法によって一人ひとりの自由人権を守る。この立憲主義というのは、近代社会において、あまりにも当たり前のことだから、特に戦後70年、私たちの国では、あまり言われませんでした。残念ながらというべきかもしれません。ここ数年、立憲主義という言葉をもう一度思い出さなければならない、そんな状況になっている。それが、今の日本です。 立憲主義は、確保されなければならないというのは、明治憲法の下でさえ前提でした。少なくとも、大正デモクラシーの頃までの日本では、立憲主義は確保されていました。戦前の主要政党、時期によって色々名前若干変化しているんですが、民政党政友会という二大政党と言われていたそれぞれ、頭に「立憲」が付いていた。立憲主義は、あの戦前でさえ、ある時期まで前提だったのです。 — 枝野幸男、2017年10月3日 有楽町での演説にて[67]

また、21世紀の政治の対立軸は、左右のイデオロギー対立ではなく、上からのトップダウンか草の根からのボトムアップかであるとし、ボトムアップの政治の実現を訴えている。

数を持っているから勝手に決めていいという上からの民主主義ではなく、草の根の民主主義。強いものをより強くし、いずれあなたのところにしたたり落ちるという上からの経済政策ではなく、暮らしを押し上げて経済を良くする。[68]

右(翼)左(翼)かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。

— 枝野幸男、2017年10月3日 有楽町での演説にて

福祉・医療

  • 福島県立大野病院産科医逮捕事件で医師・看護師の訴訟について、指揮権の発動を主張するとともに、医療ミスについての過失責任については一般の業務上過失致死罪とは別にすることを提案した[69][70]
  • 費用負担が高額となる不妊治療に対して、夫人が不妊治療を行い子供を授かったという経験も併せ国の支援について評価しつつ、所得制限付きの回数制限ありの無料化を主張した[71]
  • 脳死状態からの臓器移植には賛成だが、脳死を人の死と法で定めることには反対している。1997年の臓器移植法案についての審議では、脳死を人の死としない法案(金田案)の提案者となり、「脳死状態では、自らの臓器を提供して、他人の生命を救うことに限定される。その中で自分の命を縮めるという自己決定も許されるのではないか」などと発言した[72]。2009年の臓器移植法改正案についての審議では、脳死の判定基準を厳格化するC案の提案者となった[73]

選択的夫婦別姓法案

選択的夫婦別姓制度の実現を初当選時の公約に掲げて以来、推進している[6][74]。選択的夫婦別姓制度導入の民法改正の議員立法案を1988年の第142回通常国会以来、2014年までに4回にわたって筆頭提出者として国会に提出している[75]自社さ連立政権時代の1996年に法制審が答申した夫婦別姓の選択を認める民法改正案を「子供の姓を婚姻届を出す際に決めるなど改正案には不十分な点もあるが、別姓を法制化する点で評価できる」として政府提案に向けて動いたが[76]、この案は自民党一部議員の反対によって国会提出が見送られ続ける[77]。1997年には「別姓夫婦の子の姓は、出生時に父母が協議して決める」と法制審案より踏み込んだ民法改正案(民主党案)の提案者となり、衆議院法務委員会で論陣を張った[78]

この問題の反対論者が「日本の歴史と伝統」を持ちだすことについて、「文字に残っているだけでも1500、1600年ある日本の歴史のうち、夫婦が同じ氏を名乗るようになったのは、しょせんこの150年ほどに過ぎない。この150年程の歴史というのは、1500年の歴史の中で急激に変化をしている150年であり、そのわずか150年を振りかざして『歴史と伝統』と言うのはちゃんちゃらおかしい」と批判している[75]

憲法改正論議

憲法第9条

2013年9月10日、民主党憲法総合調査会長に任命された枝野は憲法9条の改正私案を発表している[79][80]

改憲私案で追加する条項

9条の2

1項 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる。

2項 国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他の適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に影響を及ぼすおそれがある場合においては、必要最小限の範囲で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる。

— 枝野幸男「 憲法九条 私ならこう変える」『文藝春秋』[81]

論説本文では次のようにも記述する。

そもそも、個人的か集団的かという二元論で語ること自体おかしな話です。そんな議論を行っているのは、日本の政治家や学者くらいでしょう。

判断が微妙な限界事例について、不合理が生じないよう線引きをする必要があるのです、ただし、その他の大部分の集団的自衛権行使については、拡大解釈が生じないように明確に否定する。それこそが、何よりも強固な歯止めになるのではないでしょうか。

— 枝野幸男「 憲法九条 私ならこう変える」『文藝春秋』[82]
集団的自衛権そのもの

憲法学者の西修は、次のように述べている。

枝野氏が提起する9条の2は、限定的な集団的自衛権の行使そのものである。…。9条の3は…注目されるのは、国連の要請があれば、PKOのみならず多国籍軍にも参加し、急迫不正の武力攻撃がなされた場合には、必要最小限の自衛措置をとることができるとしていることである。

枝野氏が提起した9条の2および9条の3と、同氏が現在とっている憲法改正反対論とどうしても結びつかない。はなはだ矛盾していると断定せざるを得ない。

— 西 修「今後の9条改正論議で確認しておきたいこと」[83]
集団的自衛権を容認していない

自衛権行使の要件を明文化した条項を現行の第9条(第9条の1とする)とは別に「第9条の2」「第9条の3」として追加し、憲法解釈の幅を極力狭めることで、無原則な軍拡に歯止めをかける必要性を打ち出している。「時の内閣の判断で憲法解釈を変更できる可能性がある」ことが現行憲法の最大の問題と指摘。解釈変更で集団的自衛権の行使容認を目指す安倍政権の姿勢を批判している[84][85]

私案9条の2第2項は、我国の安全を守っている他国の軍隊が攻撃された場合には、必要最小限の範囲で自衛権を行使できるとする[86]。『通販生活』の憲法特集「私はこう考える」[87]のなかで枝野自身が述べ、また憲法学者の長谷部恭男も指摘している[88]とおり、従来(第2次安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する以前)の「個別的自衛権」の範囲で説明できるものであるとされる。

前述の憲法学者長谷部恭男は、次のように述べている[89]

枝野氏の改憲案は、過去に内閣法制局長官などにより政府見解などで示されてきた考え方のとおりで、従来の政府解釈を憲法に明文化しようとしたもの。『駆けつけ警護』も含め、すべて個別的自衛権の行使として説明できる。一方、安倍首相の行った『解釈改憲』では、集団的自衛権の行使について自衛隊が『地球の裏側』まで行って武力行使できると国会で答弁するなど、どこまでも範囲が拡大する余地を残した。両者はまったく違う考え方です。 — 長谷部恭男

枝野の私案は、その解釈が誤解であろうとも、大手新聞社の論説においても「集団的自衛権を容認する憲法改正案」として、自民党の改憲案と同様の案と受け止められてしまうことがある[90]。それに対して枝野本人は、記事を名指しで「私のかつての私案は集団的自衛権の行使を容認していません。[91]」と否定しており、また憲法学の観点からは長谷部恭男など、枝野と一致する見解が見られる[92]ことは、上述のとおりである。

憲法による自衛権の制限

枝野は『通販生活』の憲法特集「私はこう考える」[93]のなかで、安倍晋三政権の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認を「……憲法によって縛られている側の政府が、恣意的に従来の憲法解釈と整合性のつかないような解釈に変更することができるのであれば、それは立憲主義の明確な否定です。決して許されることではありません。 」とした上で、「現行憲法の最大の問題点は、自衛権などを規定した条文がなく、すべてが解釈にゆだねられていることです。」とし、「恣意的に変更可能な解釈ではなく、歯止めを「明文化」すること」に言及した(枝野曰く「憲法九条第三の道」)。そして、自らの改憲私案については「専守防衛を基本として、個別的自衛権で線を引く。」とする。枝野の改憲案は、現行の第9条(1項及び2項)には手をつけずそのまま「第9条の1」とし、「第9条の2」「第9条の3」を置いて、安倍政権より過去の憲法解釈が積み上げてきた専守防衛の範囲と自衛権の制約を明文化するものである。

条文の「解釈の幅」を狭くすればするほど、公権力がそれを無視して暴走するリスクを小さくできます。これからも日本を軍事大国にしない、侵略戦争をさせないと志向するのであれば、歯止めをしっかりと明文化する必要があるのではないかと思います。 — 枝野幸男、『通販生活』、「私はこう考える(1)」
安倍内閣の改憲案に反対する理由

枝野は専守防衛と平和主義を維持する立場であり、第9条の改正も、それをより強化するものであるならば賛成するとしてきた[94]第3次安倍内閣による安保法制(平和安全法制)は「海外で戦争できる法律」(専守防衛を逸脱するもの)であり憲法違反だとし、それを追認することになる第9条自衛隊加憲論(安倍内閣が検討している案)を批判、また反対を表明した上で、同法制が「明確に憲法違反だとわかる」ような憲法改正案が示されるならば、それは否定しないとした[95]

現状が海外で戦争できる状況になっているので、同時に『海外で戦争ができない』『日本の領土・領域が攻められない限りは戦争ができない』と同時に明記しなければ、国民の皆さんが思っている専守防衛自衛隊とは違ってしまう — 枝野幸男、ライブドアニュース「枝野幸男氏 9条の自衛隊明記に持論「専守防衛の自衛隊とは違ってしまう」」、2017年10月24日、第6段落目

そのような立場から、枝野は、日本共産党の議員らいわゆる護憲派(改憲そのものに反対する勢力)とも協力し、護憲派の集会でも、安倍内閣の憲法「改悪」への反対と、立憲主義の擁護を訴えている[96]

その他の憲法議論

首相の議会解散権に対する制約

野党民主党時代の2004年の憲法調査会の時点で、日本国憲法第7条(国事行為)第3号を根拠とした7条解散について、根拠とするには要件が不十分であると指摘し、他の国事行為と同様、法規上に規定すべきとして、整備・改善の必要性を提起している[97]。2017年、日本と同じ「議院内閣制」をとる先進国のイギリス議会任期固定法ドイツ連邦共和国基本法を参考に、日本国憲法第7条を根拠としてきた首相の解散権を制約する必要性を訴えている[98][99]

参考とされる英独のうち、イギリスでは、内閣不信任決議が可決された際に首相が辞職ではなく解散を決定する場合、または、議員の3分の2の賛成を必要とする「議会の自主解散」が行われる場合のどちらかでしか解散はできない。またドイツでは、次の首相の指名の上で内閣不信任決議が可決された際に首相が解散を決定する場合、または、首相提出の信任決議が否決された際に首相が解散を決定する場合のどちらかでしか解散はできない[100]。憲法学者の木村草太は、イギリスでこのように解散権が制限された経緯について、首相による自由な解散権は(政府)与党の都合(与党の有利なタイミング)に合わせて行う選挙を正当化する制度ではないかという旨の批判があったと解説し、解散権の制約は、特定の勢力の都合を選挙に介入させないための方法であるとしている[101]

経済・金融

構造改革

  • 明治以来続いてきた、欧米に追いつき追い越すことを目標とする「キャッチアップ型社会」の限界だと認識し、日本の政治・経済・社会の構造を多様性・独創性のあるものに転換すべきだと考えている[102]
  • 金融業界の護送船団方式とはじめとする中央集権官僚機構による経済統制と、終身雇用制や年功序列賃金などで構築された従順で同質性の高い労働力は、乏しい資本と乏しい人材を効率よく活用するのに合理的だったが、他国の労働力の質が向上し、もはや規格大量生産の分野で価格競争に勝つことは不可能である[102]。中央集権をやめ、地方分権によって地域ごとの個性を生かした競争を促し、規制緩和によってシュンペーターが論じた様な独創性のある技術革新や経営改革を生み出すべきだ、としている[102][103]
  • モノが豊富にある日本で消費を活性化させようとすれば、潜在的需要がある介護・保育に代表される老後・子育てに関連する分野を育てる必要があるとしている[104]

雇用・再配分

  • 職業移動と雇用の流動化を促進して産業構造を変えるべきで、公共事業による景気対策ではなく失業対策や社会保障対策が必要だと主張している[105]
  • バブル崩壊後に日本は内需主導経済へ転換すべきであったが、労働者派遣法の緩和等が製造業の規格大量生産に軸足を置いた輸出に依存する経済構造を保ってしまったとして、当時の政策を批判している[106]。介護や医療、教育、保育といった少子高齢化対応事業に財政を投入し雇用を創出すべきだ、と主張している[106]
  • 製造業で国際的競争力を保てるのは品質管理や技術力を含めた高付加価値分野に限られ、高付加価値を維持するためには職業内訓練を実践できる安定した雇用が必要だとしている[106]。そのため偽装請負を厳しく批判し、特にキヤノンの偽装請負については、食品偽装問題と同列かそれ以上に悪質な行為として扱われるべきだと言及している[107]
  • 絶対的な金額は別として、低所得者の所得上昇分は消費に回る割合だけは相対的に高いという判断をしている[108]

不良債権処理

1998年の金融危機では、公的資金は預金者保護と健全な借り手保護に限定すべきだとして、破綻前処理に一貫して反対した[109]

  • 不良債権を処理しなければ金融機関の貸し渋りは続くと考え、不良債権処理を強制して過小資本に追い込んでから公的資金で立ち直らせるべきで、厳しい査定と強制的な資本注入が必要だと主張した[110]

グレーゾーン金利

消費税

  • 消費増税は、民間の活力を引き出す手段であり、中長期的には経済の活性化に資するとしている[104]
  • 2014年9月時点の日本の財政状況の下では消費税増税は避けられないとしている[113]
  • 2017年8月民進党代表選にて、消費税引き上げは現時点では保留が得策とする。(個人主義的経済観念)

デフレーション

  • 金融政策ではデフレーションから脱却できないとしている[114]金融緩和の結果として円安が続けば、コストプッシュ型インフレとなり、賃金・国民生活の向上にマイナス要因にしかならないとしている[115]。日本のデフレの要因は、人口減少を含め社会の成熟化による需要の減少と中間層の貧困化という構造そのものにあるとしている[115]

金融政策

  • 金利を上げると経済成長するとしていた[114]。只、2017年08月のインタビューで「いまの安倍政権が取り組んでいる金融緩和を、政権交代で打ち切ることは不可能です。私が首相になっても継続します。金融政策は時々の状況で判断するもの。『べき論』だけでは進められない。」と金融緩和の継続を示唆している[116]

外交・安全保障

どんな状況になっても複数の選択肢(外交カード)を確保できるようにすることが必要だとし、イラク戦争開戦時に日本アメリカ無条件支持しか選択肢が残らなかった外交プロセスを批判している[117]。「中国の体制が中長期的に継続するとは思っていません」とし[103]、中国全体が民主化してアメリカの東アジアにおける軍事プレゼンスが必要なくなったときを見据えて、朝鮮半島台湾ASEAN等の東アジアと経済統合を進めて米中と対抗できるようにすべきだとしている[118]

対中強硬派として知られる。1995年に北京で開かれた国連世界女性会議に参加した際には、中国の核実験に反対する横断幕を持ち込んで治安当局に没収され、会議場で抗議文を紙に大書きして当局に制止されるなどした[119]

2010年10月2日さいたま市での講演で尖閣諸島中国漁船衝突事件を踏まえて、「中国には法治主義が通用しないという前提で付き合わないといけない。そのような国と経済的パートナーシップを組む企業はお人好しだ。カントリーリスクを含めて、自己責任で経営に当たってもらわなければ困る」、「中国と日本は明らかに政治体制が違い、米国韓国との関係同様に信頼関係をもって協力して物事を進めることを期待する方がおかしい」、「悪しき隣人でも隣人だ。それなりにつきあいをしていかないといけない」などを主旨とすることを語った[120][121]。2011年2月10日、衆議院予算委員会公明党佐藤茂樹への答弁で「直接にどこかの国をあしき隣人と言ったものではない」「よい隣人であろうと、あしき隣人であろうと、隣人とはよく付き合っていかざるを得ないという一般的なことを申し上げた。(日中両国が)お互いによき隣人となれるよう努力したい」と述べた[122]

民主党日本・台湾友好議員連盟に所属し[123]、たびたび訪台して台湾の政治家と交流している[103]、代表的な親台派議員の一人である。李登輝総統を尊敬する人に挙げていて、2010年の行政刷新担当大臣への就任会見でも言及している[124]

チベット問題にも取り組んでおり、チベット亡命政府を支持している[125]。2005年に超党派の国会議員で構成されるチベット問題を考える議員連盟の代表に就任[126]。2008年には、チベット弾圧が悪化するなら胡錦濤主席の訪日を歓迎できない、とするチベット議連の声明文を起草した[127]。2009年に議連代表を退き、現在は名誉顧問を務めている。

ハト派を自認するが現実主義者であり、有事法制の必要性を訴えている[117]。左右の極端な意見には批判的で、「たしかに安全保障政策などで、横路(孝弘)さんや横路さんの側近の意見があまりにもナンセンスで問題外のため、いらつくこともたびたびあります」と述べたこともある[128]

法律・警察機構

警察権力が拡大しすぎないよう行動しており、警察へのチェック機構の必要性を訴えている。1995年には、オウム真理教事件警察が微罪による別件逮捕を繰り返したことについて予算委員会で指摘し、「もしも安易に逮捕することを警察が当たり前という気持ちになったら、戦前警察国家に向かっていく危惧を覚える」と発言した[129]

1999年の通信傍受法制定のときには、濫用防止のための制度的な歯止めが不十分と考え[130]盗聴には第三者の立会人と本人への通知が不可欠だと訴えた[131]。しかし、法務委員会で質疑に立つ前に、自自公連立政権に審議時間の与野党合意を破られ強行採決された[132]

共謀罪には否定的で[133]、「共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会」の呼びかけ人を務めた[134]

  • 児童買春・児童ポルノ処罰法の改正について、児童ポルノを所持しているだけで罰則を課す単純所持規制化には慎重な立場を取る。理由として児童ポルノの定義が曖昧であることと、捜査権の濫用が危惧されることを挙げ、罰則の対象拡大は積極的に収集・購入した者に留めるべきだとしている[135]

行政

  • 天下り・渡りは、自分がいた役所の所管する独立行政法人公益法人に対する再就職について、例えば退職後二十年間とか、許可を要するとか、あるいは自分が在職した役所から仕事を発注、受注している企業に対する再就職については退職後二十年とか、そういう場合に許可を要するという制度を提案した[136]
  • 永住外国人への地方参政権については、地方自治という観点から、本来ならば自治体ごとに決めればよいとする一方、今のままでは、地方自治体の選挙で結果が国益に影響が出る可能性があるとして、国と地方の役割分担に関するシステムを批判し、現状での参政権付与に慎重な立場を取っている[137]
  • 国会に強力な調査権限を持った行政監視院(日本版GAO)を設置して、行政に対する外部監査機能を持たせるよう主張している。1996年に行政監視院法案を提案、衆院行革特別委で総務庁行政監察局が機能を果たしていないことを指摘し、行政監視院創設の意義を主張した[138]。この議論は決算行政監視委員会の設置につながった[139]。2005年には民主党憲法調査会長としてまとめた憲法提言に、行政監視院の設置を盛り込んだ[140]
  • 利権誘導型の公共事業には反対の立場を取ることが多い。1997年の整備新幹線予算・関連法案について旧民主党は賛成だったが、枝野は他の都市部選出若手議員とともに造反して反対した[141]

表現規制問題

自民党公明党などが推し進める、漫画アニメ、行き過ぎた児童ポルノなどの表現規制問題に、規制反対の立場から長らく取り組んでいる[142]

部落解放運動

2005年6月にさいたま市で開かれた埼玉平和センターの第17回部落解放県共闘総会で枝野は副議長に選ばれている[143]

国旗・国歌

国旗及び国歌に関する法律に反対。ただし、その理由については、国旗国際法との兼ね合いで明文化することに意味があり、反対ではないこと、国歌については「多くの国民が国歌として認めていること」こそが重要であり、政治的思惑で左右されかねない明文法とするのではなく、慣習法の世界で対応することが適切だとしており[144]日の丸君が代を法的に国旗・国歌と位置付けること自体には賛成している。

国会解散

2014年11月、自民党の政策を批判し、「早く解散していただけるなら、こんなありがたいことはない」[145]解散の要求を行った。しかし、実際に解散がなされると今度は「身勝手な解散」と批判した[146]

愛知万博反対

2005年に開催された愛知万博に反対する集会へ、1995年に参加していた[147]

その他

  • 1996年第41回衆議院議員総選挙への立候補の際、JR東労組大宮支部執行委員長と「私はJR総連及びJR東労組の掲げる綱領(活動方針)を理解し、連帯して活動します」などが記された覚書を交わした、と『新潮45』に掲載された、と産経新聞が報道した[148][149]。枝野は、覚書は「一般的な政策協定を結ぶ一定のひな型の通り」と述べ問題がないとの考えを示し、JR東労組との関係は「連合の各産別とお付き合いする範囲でお付き合いしているが、それ以上でも以下でもない」と述べた[150]。また、今後JR総連・JR東労連から献金の申し出があっても断るとしている[151]。これについて安倍晋三内閣総理大臣はJR総連やJR東労組について、鳩山由紀夫内閣の時に「革マル派活動家が相当浸透している」との答弁書を、枝野が行政刷新担当相として署名している、などとFacebookで述べた[152][153]
  • 2010年6月28日に放送されたテレビの討論番組で、連合傘下の国公関連労働組合連合会(国公連合)と、共産党系全労連傘下の日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)を指して「国家公務員の労働組合が支持している大部分は共産党だ。民主党を支持しているのはほとんどない」と発言し、共産党の市田忠義が「嘘だ。取り消しなさい」と反論する場面があった。翌28日付のしんぶん赤旗は「デタラメな共産党攻撃」と報じた。枝野は産経新聞のインタビューに対し、「誤解をされないようにメッセージを発することも政治の責任だ」と答えている[154][155]

人物

1998年10月に日本航空国際線客室乗務員と結婚。選択的夫婦別姓を認める民法改正案の提案者であり、事実婚にするのでは、と注目されていたが、「彼女が法律婚を望んだ」ために入籍に至った[157]。両家の共通の知人の紹介で、4月に半ばお見合いの形で引き合わされ、7月に結婚を決めたという[158]。2002年から夫人とともに不妊治療を始め、2006年7月に双子の男児を授かった[159]

所属団体・議員連盟

演じた俳優

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 AERA編集部 澤田晃宏「女子高生も「エダノン」と叫ぶ 立憲民主・枝野幸男の変わらない政治の原点AERA2017年10月30日号 AERA dot.2017.10.21
  2. 2.0 2.1 《THE JOURNAL》編集部 (2009年12月12日). “政治家に訊く:枝野幸男”. THE JOURNAL. . 2010閲覧.
  3. 3.0 3.1 3.2 早野透 (2002). 政治家の本棚. 朝日新聞社, 439p. ISBN 4-02-257746-0. 
  4. “少年時代から政治志す 宇都宮出身の枝野民主党新幹事長”. 下野新聞. (2010年6月8日). http://archive.fo/Eb83V . 2010閲覧. 
  5. 枝野幸男オフィシャルサイト 立憲民主党衆議院議員|枝野 幸男 プロフィール
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 枝野幸男 (1998). それでも政治は変えられる 市民派若手議員の奮闘記. マネジメント伸社, 214p. ISBN 4-8378-0393-8. 
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  8. “日本新離党さらに二人”. 朝日新聞: p. 1. (1994年5月20日) 
  9. “揺らぐ党内結束 背景に小選挙区 自社、不信任案に賛否”. 朝日新聞: p. 2. (1994年6月14日) 
  10. “首相指名 社党“造反”は4、5人? さきがけも難色議員説得”. 読売新聞: p. 2. (1996年1月9日) 
  11. “官僚の本籍地は省庁でなく国だ”. 週刊東洋経済 (東洋経済新報社) 1996年7月13日号: 158-159. (1996). 
  12. “超党派の若手有志「司馬哲学」の勉強会 きょう約30人で発足”. 読売新聞: p. 2. (1996年6月18日) 
  13. 枝野幸男 (1996). “厚生省を獲れ!”. 文藝春秋 (文藝春秋) 1996年8月号: 188-197. 
  14. “民主幹事長に枝野氏 『菅氏といいコンビ』 薬害エイズ問題で支え”. 東京新聞. (2010年6月8日). http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2010/saninsen10/saitama/CK2010060802100004.html . 2010閲覧. 
  15. “新総選挙ルポ 裏路地をゆく 埼玉5区の場合 上”. 朝日新聞: p. 7. (1996年10月3日) 
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  17. “ダッシュの会 民友連若手36人 政権奪取へ結束”. 読売新聞: p. 5. (1998年1月28日) 
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  21. “「無風」若手が危機感 松沢氏出馬表明 民主党代表選、一転実施へ”. 毎日新聞: p. 2. (1999年1月9日) 
  22. “’99民主代表選選ぶ争う 推薦人集め三者三様”. 朝日新聞: p. 2. (1999年9月9日) 
  23. “民主党「ネクストキャビネット」”. 毎日新聞: p. 2. (1999年10月17日) 
  24. “民主 党内グループ 派閥? 続々”. 読売新聞: p. 4. (2000年11月4日) 
  25. “民主若手の勉強会続々「離党予備軍」との警戒感も”. 読売新聞: p. 4. (2001年4月30日) 
  26. [1]
  27. 2005年9月15日 枝野幸男Eメールニュースレター
  28. “閣僚人事、川端、原口氏有力に 枝野氏も入閣の方向”. 共同. (2009年9月10日). http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091001000946.html 
  29. 朝日新聞9月25日号
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  31. “事業仕分け第3弾の対象事業一覧”. 共同. (2010年10月19日). http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101901001050.html 
  32. 2010年1月7日 共同ニュース
  33. 内閣府特命担当大臣(行政刷新)
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  36. 【内閣改造】枝野新官房長官「老壮青バランスとれた実務強力推進内閣」 史上最年少で就任 産経新聞 2011年1月14日閲覧
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  41. SPEEDI情報 米軍に提供
  42. 北海道新聞社説 米NRC文書 日本政府の対応検証を(2月24日)
  43. 原発危機に初動から後手の政府、いらだつ米
  44. 検証・大震災 福島原発事故3カ月
  45. 平成23年3月12日(土)午前2-内閣官房長官記者会見
  46. 官房長官記者発表平成23年3月12日(土)午前
  47. 放射線に揺れる学校(中)線量データ/校内調べHPで公表
  48. 放射線に揺れる学校(下)校庭の表土除去/国に先行、独自で判断
  49. 福島第1原発:「校庭汚染土は放射性廃棄物」枝野官房長官
  50. 枝野経産相:原子力経済被害担当相も兼務 毎日新聞 2011年9月12日閲覧
  51. 官房長官記者会見首相官邸 2011年10月3日
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  54. 大飯原発再稼働、知事に要請 枝野経産相が来県福井新聞 2012年4月14日
  55. 大飯原発フル稼働「7月を越える」 枝野経産相朝日新聞デジタル 2012年6月1日
  56. 大飯原発のフル稼働 経産相「7月を越える」日本経済新聞 2012年6月1日
  57. 大飯再稼働、政府が決定…7月下旬にもフル稼働読売新聞 2012年6月16日
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  61. 「大飯再稼働なければ関電は厳しかった」と枝野経産相MSN産経ニュース 2012年8月28日
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  85. 琉球新報、2013年9月7日
  86. 枝野幸男『文藝春秋』2013年10月号
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  88. AERA、「立憲・枝野代表、実は「改憲」派 “排除”した過去も…」、朝日新聞社、2017年11月1日より、長谷部恭男の発言
  89. AERA、「立憲・枝野代表、実は「改憲」派 “排除”した過去も…」、朝日新聞社、2017年11月1日より、長谷部恭男の発言
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関連項目

外部リンク

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