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核実験

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(かくじっけん)

核爆発装置を実際に爆発させて性能や効果を試してみること。

世界最初の核実験は1945年7月16日、アメリカのアラモゴードの砂漠で行われた。

核実験の目的には、新しい核兵器の開発、核爆発の効果の検討、貯蔵核兵器の信頼性の確認、安全管理法の確立、人員や施設の機能の維持などがある。これまでに行われた核実験の約3分の2は、新しい核兵器体系の開発に関するものであったと推定されている。


核実験による被害

1950年代に、アメリカ、旧ソ連、イギリスの3国はおびただしい数の核実験を行った。そのほとんどが大気圏内で行われたために、放射性降下物による被害が生じた。とくに54年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の際には、150キロメートルも離れた所にいた静岡県焼津(やいづ)の漁船第五福竜丸は、大量の放射性降下物を浴び、23人の乗組員全員が急性放射線障害にかかり、そのうちの1人久保山愛吉が半年後に死亡した。また海洋の汚染によってその後も多数の漁船が汚染し、大量の汚染魚類が検出された。この実験ではロンゲラップ環礁、ウトリック環礁、アイリングナエ環礁の三つの島の住民243人も大量の放射性降下物を浴びている。ビキニ環礁、エニウェトク環礁などのいくつかの島は、現在も放射能汚染で居住禁止となっている。放射性降下物は全世界に広がり、地球全体を汚染するようになった。全世界で核実験禁止の世論が強まり、国連でも54年10月、インドのネルー首相が政治委員会で原水爆実験の休止協定を呼びかけた。55年12月、国連総会は、これもインドの提案による放射能影響調査科学委員会を設置し、この作業は現在も続いている。国連科学委員会では、これまでの核実験で生じた放射線が人類に与える影響を、北半球の場合、天然放射線の数%と推定している。

部分的核実験禁止条約

アメリカ、旧ソ連、イギリスの3国は、63年8月、部分的核実験禁止条約、略して部分核停条約(PTBT)に調印し、大気圏内、水中、宇宙空間での核実験は禁止された。ただし地下での核実験は、違反の検証が困難であるという理由で禁止されず、抜け穴として残された。また60年代になって核実験を始めたフランスと中国はこの条約に加わらなかった。部分核停条約までに、アメリカは293回、旧ソ連は164回、イギリスは23回、フランスは8回、合計488回の核実験を行った。部分核停条約によって、大気圏内の放射能の増加は抑えられたが、核爆発の回数や威力にはなんの制限効果もなかった。核実験競争は主として地下爆発で続けられ、97年末までに、総計でアメリカは1030回、ロシア(旧ソ連時代に行われた実験を含む)は751回、イギリスは45回、フランスは210回、中国は45回、インドが1回の核実験を、さらに98年5月にインドが24年ぶりに5回、それに対抗する形で新しくパキスタンが5回の地下核実験を行い、合計2000回以上となった。地下核実験の技術も進み、71年11月にはアメリカはアムチトカ島で5メガトンの核実験を行っている。

包括的核実験禁止条約

1974年7月、米ソ頂上会談で制限付き核実験禁止条約が調印され、両国は150キロトン以上の地下核実験を行わず、また実験は特定の実験場のみで行うことを約束した。この条約は発効せず、両国の行う核実験にはほとんどなんの制約にもならなかった。また76年5月には、普通、平和目的核爆発条約とよばれている条約も調印され、これも上限を150キロトンに制限したが、この条約も発効しなかった。150キロトンというのは広島原爆の10倍以上という高い数値である。

1996年9月、国連総会で包括的核実験禁止条約が採択され、核爆発を伴う核実験は行われないことになった。しかし、インドなど条約の発効に必要ないくつかの国は反対の意見を表明しており、また米ロは臨界前核実験(未臨界核実験)で、核爆発を伴わない核実験を行っている。98年5月のインド、パキスタン両国の核実験により、条約は有名無実化の危機にたたされている。加えて、2006年10月には北朝鮮が地下核実験を行ったと発表。アメリカの調査では、実験があったとみられる地域から微量ながら放射能も検出されており、国連安全保障理事会は北朝鮮に対し全会一致で国連憲章第7章に基づく制裁を定めた決議を採択した





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