千葉工業大学
千葉工業大学 | |
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大学設置/創立 | 1942年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人千葉工業大学 |
本部所在地 |
千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号 東経140度1分16.81秒北緯35.6892083度 東経140.0213361度 |
キャンパス |
津田沼(千葉県習志野市) 新習志野(千葉県習志野市) |
学部 |
工学部 創造工学部 先進工学部 情報科学部 社会システム科学部 |
研究科 |
工学研究科 情報科学研究科 社会システム科学研究科 |
ウェブサイト | 千葉工業大学公式サイト |
千葉工業大学(ちばこうぎょうだいがく、英語: Chiba Institute of Technology)
千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号に本部を置く日本の私立大学。
1942年に設置。大学の略称は「千葉工大(ちばこうだい)」または「工大(こうだい)」、英称では「CIT」または「ChibaTech」。
Contents
外観
大学全体
千葉工業大学は、世界一の教育立国建設実現を目指していた文部官僚の澤柳政太郎の遺志を引き継いだ教育学者の小原國芳らによって、1929年(昭和4年)頃から計画がはじめられた。当初「玉川塾工業大学」として玉川学園所管のプライベート大学として計画されたが、当時の日本の社会的風潮(全体主義や軍国主義)に反した、希有な学風の教育理念(個人尊重の教育理念や自由主義など)を掲げていたこともあり、軍部(特に陸軍)をはじめとする旧来の教育を生業とする人々の反発も強く、嫌がらせや妨害活動を受けたり圧力が強く、大学の設立は困難を極めた。しかし、数は少なかったが、皇族の東久邇宮稔彦王を筆頭に、大日本帝国海軍では永野修身元帥海軍大将や財部彪海軍大将、山梨勝之進海軍大将などが、大日本帝国陸軍では菱刈隆陸軍大将や土肥原賢二陸軍大将などが小原の考えに共感し、長年に渡って小原を支援していた。特に、東久邇宮稔彦王、永野修身海軍元帥は熱心で、大学設立計画は、彼らの発意・尽力もあり(千葉工業大学PPA・千葉工業大学同窓会「千葉工業大学校歌・寮歌・応援歌集」を参照のこと)、設立申請の途中(近衛文麿内閣時)で、文部省(現・文部科学省)指導によって準官立大学といえる国策大学に発展して太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年5月15日(東条英機内閣時)に「興亞工業大學」の名称で玉川学園内に設立された[1](初代理事長:東郷実、初代学長:小西重直)[1][2]。日本の私立理工系大学としては藤原工業大学(後の慶應義塾大学理工学部)に続き、国内で2番目に古い歴史を持ち、現存する私立理工系大学としては最古の歴史を有する[1][3]。なお、国公立の理工系大学を含めても東京工業大学に次ぐ歴史を持つ[注 1]。
大学の設立発案者ら意見に加えて当時の国策的な意図も受け、単に高度な技術専門家の養成にとどまらず、国家枢要を担う人材の養成も考えに入れた教育方針が、設立当初から取り入られている[1](詳細は建学の精神にて後述)。1946年(昭和21年)に千葉県君津市へ移転し、校名を「千葉工業大学」に改称。1950年(昭和25年)に同県習志野市の津田沼校地へ移転すると共に、学校教育法に基づいて新制の私立大学へと移行した。
設置科は3学部11学科、大学院3研究科修士課程8専攻・博士後期課程3専攻で、学生数は約1万名[4]。また津田沼駅前にある津田沼キャンパスと新習志野キャンパス、および東京スカイツリーキャンパスの3つのキャンパスを有する[5]。
建学の精神(校訓・理念・学是)
- 千葉工業大學教育8訓
- 設立認可申請書に添えて提出された設立趣意書では建学の精神及び教育方針は以下の通り(概略)[注 2]。
- (2)全人教育
- 単なる知識人、技術家ではなく、「自ら学び自ら体験し自ら思索し創造する」人間、「如何なる困苦に遭遇するとも正しきを実現せんとする活動力ある」人物の養成[注 3]。
- (3)労作教育
- 教育は、知育のみにあらず、「真の知育は労しみ、作り、体験し、試み、為し、行ふ所の自学自律、自啓自発の教育」でなければならないとする精神[注 4]。
- (4)塾教育(寮制教育)
- 「共に起き、共に食い、共に歌ひ、共に働き、共に遊ぶ」師弟同行、師弟共生の精神。
- (5)相互扶助の精神
- 偉人は陋より生る。貧しき家に生まれし優秀児の救済、その境遇を理解し、同情し合って、完全なる人格を成し行く姿を大学の理想とする。
- (7)天才教育
- 自由闊達な頭脳を作り、機智縦横の人を作る。
- (8)アジアの学生と教育
- 隣国アジアの友と親しくし、共に手を携え、国際社会の善隣と協力をつくり上げていく。
- 現在の建学の精神
- 現在は、創立当初からの建学の精神である『師弟同行』『自学自律』を基調とし、工学的な基礎学力や教養力、コミュニケーション力を広く身につけるための実践型カリキュラムによる技術者の輩出に努めている。また大学では刻々と変化する社会、科学技術に対応するため、教育の精神に立ち返りながら、時局に即した教育目標や教育方針を定め社会に役立つ人材を育成するため努めている。
学風および特色
大学全般
- 大学が掲げている目標は伝統的に「世界文化に技術で貢献する」である。
教育の傾向と特徴
- 同大学の教育方針は「自学自律」「自学自習」であり、独学(自己学習)が基本とされている。大学に入ると学習習熟度を測るためのテストや性格分析、適正検査などが随時行われ、各学生の自己学習の為に役立てられる。また、大学では学生の自己啓発の機会を積極的に作る為、スポーツ大会や見学会、マナー講習会、留学制度など各種様々なイベントを通年を通じて開催している他、学習支援センターを設置したり、工作センターを自由に使えるようにしたり、学生主導のプロジェクトを奨励・支援したり、学習支援としてそれぞれの教授に学生が自由に質問したり、相談したりすることができる時間を設けたり(オフィスアワー制度)と、学生の学習面のサポート体制を整えている。
- 同大学では講義の最終日に学生に対して教務課がアンケート調査を実施している。この調査結果によって教員の評価が行われ、評価が高かった教員はベストティーチャー賞などの評価を受ける。逆に学生の評価が悪かった教員は、指導を受けるなど講義の改善が促され、今後の教育活動の質向上に役立てられる。
研究活動の特徴
- 2003年には全国初の「学校法人直轄の研究所」として「未来ロボット技術研究センター」を設置している。同じように2009年には「惑星探査研究センター」を、2015年には「人工知能・ソフトウェア技術研究センター」を、2016年には「国際金融研究センター」と「次世代海洋資源研究センター」を設置した。これらは特定の組織に属さない独立性の高い研究機関である。
教務システムの特徴
- 2005年より、多機能ICカード型学生証を大学として導入している。
- 2007年より、NTTドコモの端末が当時の芝園校舎全教室(翌年からは津田沼校舎も)に設置され、全授業でICカードによる出欠確認システムの運用が開始されたが、2015年度をもって使用終了し、端末も2016年度後期までに撤去された。
- 2016年より、入学時に貸与されるiPadminiにインストールされているアプリを用いた出席システムの運用が開始された。
沿革
略歴
千葉工業大学は、1929年(昭和4年)に澤柳政太郎の遺志を受け継いだ小原國芳によって計画・準備されたものが起源である。
澤柳と小原らは、明治、大正、昭和と教育政策、教育活動に携わる過程で、様々な問題に遭遇し、本当の教育とは何か?本当の学校教育とは何か?を長年に渡って模索し、追究していた。彼らは明治政府が推し進めた近代化(西洋化)の行き過ぎによって教育までもが西洋の模倣化してしまい、国民思想や発想、考え方までも西洋化してしまったことに危機感を抱いていた。更に彼らは、学生を大きな教室に集め、一律に知識や概念、技術のみを一方的に注入する知識偏重の教育を主流とする、これまでの西洋起源の教育のやり方やテストの成績だけで人物が評価されてしまうテスト至上主義やハンモックナンバーによるやり方では、中国や朝鮮などで見れられた科挙制度の先例からも(詳細は小原國芳#全人教育と小原の教育理念を参照のこと)本当に国家を担う人材は育まれないと考えていた。
彼らは、これまで帝国大学・海軍兵学校・陸軍士官学校をはじめとする官学・私学の高等教育機関で、明治から行われてきたイギリス、フランス、ドイツ、オランダなどの西洋諸国から輸入された文化思想(デカルト的な「我思う、ゆえに我あり」)を根源とする人物教育、人物養成を否定し(教育と我が生涯 小原國芳より)、松下村塾や咸宜園、興譲館などの江戸時代までの日本の教育にも見られたような日本的、東洋的な哲学、思想「我思う、ゆえに我あり。されど我とは何ぞや?」を土台とする人物養成に改めようとした。更に、彼らは当時、欧米のイートン・カレッジなどで新しく試みられるようになってきていた新しい教育思想を取り入れながら、西田哲学をベースに、知識や技術を使いこなす肝心の人格を育てる為の教育、そして、これまでの教育の様に受け身ではなく、学生自身が自らの頭で物事を判断したり、考えられる環境を整えることで、学生自らが、自らが持つ創造性や個性、才能や能力などを引出し、自由なペースで伸ばしていけるような創造力豊かな人材を育てる為の新しい形の創造教育の拠点を創成しようとした(全人教育の記事も参照)
彼らは、まず最初に成城学園を創立したが、成城学園の運営は予想に反した方向へと進み、進学実績を伸ばしたい教員や保護者の意見が強くなり、他の学校と同じように、帝大などへ進学するための受験対策の為の予備校へと変貌してしまった。そのため、小原らはこの失敗を踏まえ、1929年(昭和4年)、故人となった澤柳の遺志を踏み、全人教育を柱に日本第一、世界第一の教育拠点の創成を目指し玉川学園を創立すると共に、その最高学府である「玉川塾工業大学」設置のための準備をはじめる。
その過程で軍部をはじめとする旧来の教育を成り合いとする勢力による抵抗や圧力などもあったが、小原の創造教育の理解者である東久邇宮稔彦王陸軍大将や永野修身海軍大将らの働きもあり[8]、大学創設計画は国家プロジェクトに発展し、文部省主導のもと、国策の官民大学(予科3年、本科3年の全寮制6年制大学)として、1942年(昭和17年)、東京町田の玉川学園内に興亜工業大学の名称で設立された。
創設には政府代表橋田邦彦文部大臣をはじめ、東久邇宮稔彦王、永野修身、小原國芳、小西重直、森矗昶・森曉親子、東郷実、本多光太郎、平賀譲、八木秀次、西田幾多郎、本間俊平、武者小路実篤、徳富蘇峰などの人々が参加した。大学設立の許可申請が通ったのは奇しくも日本が太平洋戦争に突入した1941年(昭和16年)12月8日であった。なお、戦前までは日本政府が帝国大学以外には大学レベルの工学教育を認めなかったため、工学部を設置できた私学はごく僅かであり、しかも大学予科3年・本科3年の教育課程を認められたのは、1920年(大正9年)に設立された早稲田大学理工学部、1939年(昭和14年)に設立された慶應義塾大学理工学部の前身である藤原工業大学、そして1942年(昭和17年)に創立された千葉工業大学の3校だけであった。
大学設立の際には東京帝国大学と東京工業大学から全面的な支援を受けたが、不足していた実験設備や実験機器などは東大・東工大の取り計らいにより共同利用するなどして対処した。
1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)までは玉川学園内で教育が行われた。この玉川学園時代の塾生活は建学精神の理想の境地とされ、戦時下にもかかわらず、芝生の上で生徒が教師を囲みながら英語や音楽、道徳などの教養教育が行われるなど、世俗と切り離された自由な環境だったという(詳細は青空教室の「興亜工業大学の場合」の記述を参照)。小原國芳指導の下、大正自由教育などの新教育の方針・手法が重視され、予科教育では、単なる技術教育だけで終われるのではなく、哲学や宗教学、芸術学、語学、スポーツなどの幅広い意味の教養教育と人格の陶冶などの人物教育が重要視された。ちなみに制服は帝大のような学生服に黒マント、白線帽ではなく、背広にネクタイであり、「紳士」を育てることを念頭としていた。
なお、当時は戦争中だったこともあり、日本全体が国への奉公一辺倒の時代だった。その為、入学する学生の中には、当時としては異質で自由な大学の校風に馴染めず、軍学校などに入りなおす者もいた。
1944年(昭和19年)に東京町田では手狭となったことから、大学本部と本科を東京都千代田区に大学予科を神奈川県川崎市に移転する。この時、学徒出陣によって空となっていた上智学院の校舎に移転した際、同学院との合併問題が文部省筋で浮上、実際に合併した際の校名を『麹町大学』とし具体的な要綱も作られ併契約書の案文を作成するところまできたが、上智学院側の役員だったナチスドイツの神父の署名が得られず、交渉は1945年(昭和20年)5月22日に打ち切りとなった。
戦時を通じ一部の理工系学生は徴兵を猶予されていたため、1943年(昭和18年)に実施された学徒出陣壮行会には出席していない。代わりに1944年(昭和19年)8月23日から学徒勤労令に基づき、兵器開発や生産など、陸軍・海軍関係の研究所や工場などに動員された。この時、航空工学科の学生は東大航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構-JAXA)に派遣され、糸川英夫のもとで航空機の研究開発を手伝った。中島飛行機三鷹工場の動員先では空襲で学生1名、引率の教員1名が犠牲となっている。また、この時期になると技術将校養成のために陸軍士官学校や海軍兵学校などの士官学校と合同訓練が行われるようになった。
太平洋戦争終結後の1946年(昭和21年)には千葉県君津市へと移転し、校名を千葉工業大学と改称。1950年(昭和25年)に同県習志野市の津田沼校地へ移転し現在に至る。
戦後、新たに設立された玉川大学と本学は直接の系譜的なつながりはないが、両大学とも小原の全人教育の精神は継がれている。また、1991年には玉川学園の小原哲郎理事長の好意で、玉川学園時代に使われていた校旗が寄贈されたほか、2013年には新習志野キャンパス図書館に、千葉工業大学の創立に尽力した小原國芳が生涯もっとも多く書き記した「夢」の文字を書したタペストリーを設置するにあたり、小原芳明玉川学園理事長・学園長が招待されるなど両学園の間には現在でも交流が続いている[9]。
- Sophia University,1914.jpg
東京紀尾井町キャンパス(1944-45)
- Chiba Institute of Technology, Tudanuma, Chiba,1950s -3.jpg
津田沼キャンパス(1950)
- Chiba Institute of Technology.jpg
津田沼キャンパス(2012)
年表
年 | 月日 | 沿革 |
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1929年 | 4月 | 小原國芳が成城学園から分離し、町田に財団法人玉川学園を設立。幼稚部・初等部・中等部を設置する。 |
6月 | 永野修身海軍兵学校長が学園視察に来訪。最高学府である大学設置構想を説明する。 | |
1939年 | 9月 | 大学設置に向けて中等部の上に専門部(玉川塾)を設置し、森矗昶の協力を得て産学連携による実践教育を開始 |
1940年 | 9月 | 東久邇宮が学園視察に訪れ、大学設置の構想が本格化する |
1941年 | 6月 | 「玉川塾工業大学」設置許可申請を文部省(現・文部科学省)に行うが受理されず |
12月8日 | 太平洋戦争開戦 興亞工業大學設置許可申請文部省(橋田邦彦文部相)受理[注 6] | |
1942年 | 5月15日 | 東京府町田町(現東京都町田市)の玉川学園内に「興亞工業大学」の名称で国策大学として創立(予科3年・本科3年) 小原國芳が理事、東郷実が理事長、小西重直が学長、本多光太郎などが顧問に就任 |
5月24日 | 成城中学、早稲田中学で第1回入学試験を実施 | |
6月8日 | 開校式を実施する。航空工学科(50名)・冶金学科(50名)・機械学科(60名)の160名が入学[注 7] | |
1943年 | 7月 | 小原國芳が理事・学監を辞任。森曉が2代目理事長に就任 |
1944年 | 4月 | 玉川学園内から予科・財団本部が、皇居近くの東京市麹町区紀尾井町上智学院(上智大学)内に移転する |
9月 | 神奈川県川崎市大師河原の日本冶金川崎製造所構内に学部(本科)仮校舎の使用許可を取得する | |
10月 | 東京工業大学学長の八木秀次が正式に相談役に就任 | |
1945年 | 4月13日 | 東京空襲によって麹町本部・予科校舎が全焼する |
5月25日 | 東京空襲の余波で川崎学部校舎も罹災する | |
9月 | 東久邇宮内閣によって太平洋戦争(第二次世界大戦)が終結 君津の旧海軍施設の借用認可を申請、東京残留学生の授業を東京工業大学に委託 戦災による実験設備の損失から学生を東大、東工大、東北大などに預け、卒業研究を開始 | |
11月11日 | 君津の旧海軍第2航空廠八重原工員養成所設等の施設(君津校舎)の設営管理を開始 | |
1946年 | 3月30日 | 東京から千葉県君津町に移転、教員・学生の意見一致のもと校名を「千葉工業大学」に改称 |
12月4日 | 玉川学園側との会談の結果、小原國芳から寄贈された土地・建物を清算し不動産を所有しない大学となる | |
1947年 | 2月7日 | 君津校舎のうち寮、食堂、図書館などを含む3/4が漏電による火災で延焼する |
3月 | 公職追放の影響を受けて2代目理事長の森曉、学長の小西重直などが大学を去る | |
9月30 | 第1回卒業式が行われる | |
1948年 | 4月 | 田中航空機器製作所津田沼工場の施設を学部校舎・寮として使用する為に文部省に認可申請 予科寮を旧君津海軍病院施設に移転する |
12月 | 千葉大学(当時設立準備中)への統合案が出るが教員・学生が反対し回避される | |
1949年 | 4月 | 新制大学となる |
11月26日 | PPA創立 | |
1950年 | 旧鐵道第2聯隊跡地(現・津田沼校舎)を取得し、大学機能を移転する | |
1953年 | 11月 | 校歌制定。電気工学科を増設。 |
1954年 | 10月7日 | 大久保の旧軍施設(旧陸軍習志野学校)を取得 |
1955年 | 電気工学科第2部を増設。 | |
1961年 | 3月10日 | 電子工学科、工業化学科を増設 |
1962年 | 8月 | 千種校地を取得 |
12月20日 | 土木工学科、建築学科を増設 | |
1964年 | 4月1日 | 日本私立大学協会常務理事校となる |
1965年 | 8月11日 | 大学院修士課程(工業化学科、金属工学科)を設置 |
8月11日 | 飯岡研修センターを開設 | |
1967年 | 3月31日 | 千種寮が完成 |
1968年 | 千葉市千種校地に電子計算センター完成 | |
1972年 | 千種校地に硬式野球場・武道館完成 | |
1986年 | 芝園校舎(現・新習志野校舎)が完成 | |
1987年 | 茜浜運動施設(茜浜校地)完成 | |
1988年 | 工学部第一部情報工学科、工業デザイン学科を新設 | |
1989年 | 大学院工学研究科博士課程(金属工学専攻・工業化学専攻) 修士課程(機械工学専攻・電気工学専攻・電子工学専攻・建築学専攻)を増設 | |
1990年 | 第2部電子工学科・情報工学科・建築学科を増設。 大学院工学研究科博士課程(土木工学専攻)修士課程(精密機械工学専攻)を増設 | |
1991年 | 第1部既設学科(金属工学科を除く)の定員を増加 大学院工学研究科博士課程(機械工学専攻・電気・電子工学専攻)を増設。 | |
1992年 | 大学院工学研究科博士課程(建築学専攻・精密機械工学専攻) 修士課程(情報工学専攻・工業デザイン学専攻)を増設。 | |
1994年 | 大学院工学研究科博士課程(情報工学専攻・工業デザイン学専攻)を増設 | |
1995年 | 大学院工学研究科修士課程(経営工学専攻)を増設。 | |
1997年 | 第1部情報ネットワーク学科・プロジェクトマネジメント学科を増設。 | |
1999年 | 工学部に社会人対象教育を充実するために昼夜開講制を導入 ハイテクリサーチセンター開設。 | |
2001年 | 工学部を改組し、情報科学部・社会システム科学部を新設して3学部制に移行 3学部全学科に昼夜開講制を導入。 | |
2002年 | 鯨生態観測衛星「観太くん」の打ち上げに成功 | |
2003年 | 工学部9学科を5学科に改変しフレックス制を導入 (機械サイエンス学科・電気電子情報工学科・生命環境科学科・建築都市環境学科・デザイン科学科の5学科) 未来ロボットセンターを開設 日本の大学としては初めてとなる完全直収型光ファイバー(FTTD)LANを構築 大学としては世界初となる「非接触型手のひら静脈認証技術」および「多機能ICカード」を大学内諸施設へ導入 | |
2004年 | 大学院工学研究科11専攻を3研究科(工学研究科・情報科学研究科・社会システム科学研究科)7専攻に改組。 | |
2005年 | 文部科学省の特色ある大学教育支援プログラムに採択、現代的教育ニーズ取組支援プログラムに選定される | |
2006年 | 工学部に未来ロボディクス学科を新設 | |
4月 | 御宿研修センター開設 R&Iによる格付けフォローアップ調査の結果「AA-(ダブルA・マイナス)」を維持 | |
2008年 | フレックス制を廃止し、全学部学科とも昼間部に移行。 | |
2009年 | 4月 | 社会システム科学部に金融・経営リスク科学科を、また、大学院工学研究科に未来ロボティクス専攻を設置。 惑星探査研究センターを開設。 |
2012年 | 5月22日 | 東京スカイツリーイーストタワーに東京スカイツリータウンキャンパスを開設 |
2014年 | 2月23日 | 東京スカイツリータウン(R)キャンパスAreaII開設 |
4月 | 新学生寮(桑蓬寮・椿寮)完成 | |
2015年 | 3月3日 | キャンパス内に千葉銀行と共同で、千葉工大ひまわり保育園を設置 |
4月1日 | 人工知能・ソフトウェア技術研究センター STAIR Labを設立 | |
2016年 | 4月 | 国際金融研究センター(GiFr)、次世代海洋資源研究センター(ORCeNG)を設立 |
基礎データ
所在地
- 大学本部(津田沼キャンパス本号館、〒275-0016 千葉県習志野市津田沼2-17-1)
- 津田沼校地(津田沼キャンパス、千葉県習志野市津田沼)
- 芝園校地(新習志野キャンパス、千葉県習志野市芝園)
- 茜浜校地(茜浜運動施設、桑蓬寮、椿寮、千葉県習志野市茜浜)
- 千種校地(千種寮、千葉県千葉市花見川区千種町)
象徴
- 逍遙歌
- 桑蓬の歌
- 1946年(昭和21年)学生作詞、 学生作曲。
- たれ邯鄲の夢に酔ひ
- 1946年(昭和21年)松藤淳 作詞、山口猛 作曲。
- あゝ狂瀾の
- ?年(昭和?年)作詞、? 作曲。
- 饗宴の賦
- ?年(昭和?年)逍遙歌。? 作詞、? 作曲。
- スクールカラー
- 紫紺色でDICカラーガイドのDIC256が指定されている。
教育および研究
組織
学部
- 工学部
- 機械工学科
- 機械電子創成工学科
- 先端材料工学科
- 電気電子工学科
- 情報通信システム工学科
- 応用化学科
- 創造工学部
- 建築学科
- 都市環境工学科
- デザイン科学科
- 先進工学部
- 未来ロボティクス学科
- 生命科学科
- 知能メディア工学科
- 情報科学部
- 情報工学科
- 情報ネットワーク学科
- 社会システム科学部
- 経営情報科学科
- 経営システムコース
- 経営情報マネジメントコース
- プロジェクトマネジメント学科
- 経営システムコース
- プロジェクトマネジメントコース
- 金融・経営リスク科学科
- 経営情報科学科
大学院
- 工学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 機械サイエンス専攻
- 電気電子情報工学専攻
- 生命環境科学専攻
- 建築都市環境学専攻
- デザイン科学専攻
- 未来ロボディクス専攻
- 情報科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- 情報科学専攻
- 社会システム科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
- マネジメント工学専攻
旧設置科
- 旧制大学時
- 新制大学以降後
-
- 工学部
- 機械工学科(1950-2003・機械サイエンス学科に改組)
- 金属工学科(1950-2003・機械サイエンス学科に改組)
- 工業経営学科(1950-2001・社会システム科学部に改組)
- 電気工学科(1953-2003・電気電子情報学科に改組)
- 電子工学科(1961-2003・電気電子情報学科に改組)
- 工業化学科(1961-2003・生命環境科学科に改組)
- 土木工学科(1963-2003・建築都市環境学科に改組)
- 建築学科(1963-2003・建築都市環境学科に改組)
- 精密機械工学科(1966-2003・機械サイエンス学科に改組)
- 工業デザイン学科(1988-2003・デザイン科学科に改組)
- 情報工学科(1988-2001・工学部から情報科学部に改組)
- 情報ネットワーク学科(1997-2001・工学部から情報科学部に改組)
- プロジェクトマネジメント学科(1988-2001・工学部から社会システム科学部に改組)
- 工学部
- 工学部再編前
附属の研究所
千葉工業大学工学研究所
学校法人直轄の研究所
未来ロボット技術研究センター
- 2003年(平成15年)6月1日から、morph3の研究開発チームは科学技術振興機構の北野共生システムプロジェクトから千葉工業大学・未来ロボット技術研究センター(fuRo)に移籍。「人とロボットの共生」をテーマに未来のロボット技術に関する研究を行っている。
惑星探査研究センター
- 2009年(平成21年)4月から、松井孝典前東京大学新領域創成科学研究科教授を所長に「惑星探査研究センター」を学内に開設した。センターではロボットによる宇宙探査を視野に入れ、研究を実施している。
人工知能・ソフトウェア技術研究センター
- 2015年に米澤明憲を所長に迎え、学内に設立された研究所の一つ。センターでは幼児の言語獲得や学習過程の解明などを目標として研究をしている。
国際金融研究センター
- 2016年に学内に設立された研究所の一つ。国際的な金融システムの創造や創出などを目的に研究をおこなっている。
次世代海洋資源研究センター
- 2016年に学内に設立された研究所の一つ。日本の次世代を担う海洋資源の調査や、新たな関連産業の創出・発展を目的とした研究がなされている。
研究
中島「橘花」プロジェクト
鯨生態観測衛星「観太くん」
- この取り組みは謎が多い鯨の生態を、衛星を使って宇宙から解明することを目的に立ち上げられた試みである[10]。このプロジェクトは、学生達が人工衛星の設計、制作に携わる日本で初めてのケースとなった。また、衛星は学内の学科の域を超えて電気・電子分野、土木分野、機械工学分野、工業デザイン分野、建築分野などの学生が参加して開発された。鯨生態観測衛星「観太くん」は、2002年12月14日に種子島宇宙センターからH-IIAロケット4号機で打ち上げられ、予定の軌道上に乗った[11]。「観太くん」から送られてきた観測情報は、学内外で研究に役立てられている[12]。
レスキューロボット・原発調査ロボット
- 東日本大震災後に福島第一原子力発電所へ最初に投入された国産ロボット「Quince」は、千葉工業大学と東北大学の共同開発である[13][14]。また、千葉工業大学は遠隔操縦ロボット「SAKURA」を原子力緊急事態支援センターで試験運用したり、NEDOのプロジェクトによる「櫻壱號」の開発も行っている[15]。
流星観測カメラシステム「メテオ」+流星観測衛星「S-CUBE」プロジェクト
- NASAと協力して行われた流星観測プロジェクト。
はやぶさ2プロジェクト
- JAXAと協力して行われてる観測プロジェクト。
水星探査プロジェクト
- 宇宙航空研究開発機構 (JAXA) や欧州宇宙機関 (ESA) と協力した水星探査計画。
教育
採択されているプログラム
- 特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)
- 文部科学省・2005年
- マルチメディア教材による教育・学習支援
- シミュレータをベースにした理工学教育 e-Learning
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
- 文部科学省・2005年
- 地域との連携による工科系キャリア学習支援
- PMOによる地域共生型職業訓練教育システムの開発と実践
特色ある大学教育支援プログラム
2005年、文部科学省が選定する「特色ある大学教育支援プログラム」に、『マルチメディア教材による教育・学習支援(副題:シミュレータをベースにした理工学教育 e-Learning)』が採択された。情報インフラの整備、学生の授業評価や国内外の教育機関による第3者評価などを行い、シミュレータをベースにしたマルチメディア教材の作成と、それらを補助教材とする教育による教育効果が評価され採択された[16]。
学生生活
サークル活動
以下の学生を主体とした自治組織によりサークルの運営・企画などが行われている(2013年(平成25年)12月現在)。
- 体育会
- 33サークル(29部、2同好会、2愛好会)が所属する。
- 例年「体育会誌」が発行されている。
- 文化会
- 35サークル(30部、4同好会、1愛好会)が所属する。
- 2012年(平成24年度)より「文化会誌」が発行されるようになった。
イベント
- 文化の祭典
- 毎年5月下旬に文化系サークルを中心に学生の企画・運営で開催される文化祭。
- スポーツフェスティバル
- 毎年10月中旬に体育会を中心に学生の企画・運営で開催されるスポーツイベント。自由参加で体育会(部活)に所属していない学生も参加できる。卓球やサッカーなど球技が主体。
- 津田沼祭
- 毎年11月下旬に津田沼祭実行委員会・学友会執行委員会を中心に学生の企画・運営で開催される学園祭。1970年代頃からキャンパスが立地する地域との交流促進のため、当地の地名を取って「津田沼祭」と呼称するようになった。
大学関係者と組織
大学関係者組織
大学関係者一覧
施設
キャンパス
津田沼キャンパス
- 所在地:千葉県習志野市津田沼
- 使用学年:1・2年(一部学科)及び3・4年、大学院
- 使用学部:全学部
- 使用研究科:stub
- 使用附属施設:工作センター
- 交通アクセス
- 2006年からのキャンパス再開発5か年計画によって、2008年に新1号棟が完成した。2010年に学生ホールが、2011年に新2号棟が完成した。2013年に、新1号棟を2号館、新二号棟を1号館、学生ホールを3号館と名称変更した。
新習志野キャンパス
- 所在地:千葉県習志野市芝園
- 使用学年:1・2年
- 使用学部:全学部
- 使用研究科:stub
- 使用附属施設:クラフトハウス
- 交通アクセス
東京スカイツリータウンキャンパス
- 所在地:東京都墨田区押上
- 鉄道:東武伊勢崎線とうきょうスカイツリー駅下車すぐ
- 東京スカイツリーソラマチ8階に設けられたサテライトキャンパス。レスキューロボットや超巨大ロボティックスクリーンなどが展示されている。
運動施設
茜浜校地(運動場)
- 所在地:千葉県習志野市茜浜
- 交通アクセス
- 鉄道:JR東日本京葉線新習志野駅下車徒歩20分
- バス:京成バス(習志野市ハッピーバス)「海浜公園」停留所下車すぐ
寮
もともと全寮制大学が前身であり、時局に伴い、何度か大学の所在地が移転しているため、複数の寮(名)が存在する。現在の寮は7代目にあたり、その寮名は4代目の寮から取られている。男子寮の桑蓬は中国の故事「桑蓬之志」から来ており、古代の中国では男子が生まれるとこれから先に世間で活躍することを願い、矢を天地四方に射た風習からに由来する。転じて「男子が将来の目標を心にしっかりと決めること」を意味している。
――――
かつての寮 ①玉塾寮(玉川校地時代の寮) ②君津寮(君津校地時代の寮) ③青嵐寮と北斗寮(田中工業航空機器製作所敷地時代の寮) ④総椿寮・桑蓬寮(津田沼校地時代の寮) ⑤大久保寮(大久保学地時代の寮) ⑥千種寮(千種校地時代の寮)
- "「千種寮」"
- 千葉県千葉市花見川区千種町に、千種寮と呼ばれる学生寮が2013年3月まで存在していた。周辺には、野球場、運動場が併設されている。いずれの本校舎とも離れているため、在寮生や職員は大学所有のバスで移動していた。
対外関係
他大学・高専との協定(国内)
包括提携校
- 大学
- 高等専門学校
- 国立
- 木更津工業高等専門学校(千葉県)
- 茨城工業高等専門学校(茨城県)
- 小山工業高等専門学校(栃木県)
- 長野工業高等専門学校(長野県)
- 釧路工業高等専門学校(北海道)
- 一関工業高等専門学校(岩手県)
- 豊田工業高等専門学校(愛知県)
- 東京工業高等専門学校(東京都)
- 石川工業高等専門学校(石川県)
- 沖縄工業高等専門学校(沖縄県)
- 公立
- 東京都立産業技術高等専門学校(東京都)
単位互換協定校
- 四年制大学
- 短期大学
連携大学院
高等学校との協定
その他
- サイバー大学
- 私工大懇話会 (図書館相互利用)
- 習志野3大学図書館協力会(千葉工業大学・東邦大学・生産工学部)
海外学術交流(大学/機関)
文部科学省資料[21]による。
- アジア地域
- ハルビン工業大学(中国・姉妹校)
- 吉林大学(中国・姉妹校)
- 北京理工大学(中国・姉妹校)
- 国立台湾大学(台湾)
- 国立台北科技大学(台湾)
- 台湾東海大学(台湾)
- モンゴル科学技術大学(モンゴル)
- モンゴル国立大学(モンゴル)
- シンガポール生産技術研究所(シンガポール)
- 泰日工業大学(タイ)
- チュラロンコン大学薬学部(タイ)
- ベトナム国家大学ハノイ校工科大学(ベトナム)
- ベトナム国家大学ハノイ外国語大学(ベトナム)
- ハノイ工科大学(ベトナム)
- FPT大学(ベトナム)
- タイグエン大学(ベトナム)
- バンドン工科大学(インドネシア)
- 王立プノンペン大学(カンボジア)
- アミティ大学(インド)
- ヨーロッパ地域
- アメリカ地域
- トロント大学工学部(カナダ)
- ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)
- テネシー工科大学(アメリカ)
- ペンシルベニア州立大学(アメリカ)
- アラバマ大学ハンツビル校(アメリカ)
- コロラド大学ボルダー校(アメリカ)
- パシフィック大学(アメリカ)
- ミズーリ大学ローラ校(アメリカ)
- グアム大学(アメリカ)
- アグアスカリエンテス工科大学(メキシコ)
- テカマチャルコ工科大学(メキシコ)
留学プログラム
語学研修
- グアム大学(英語)
- コンピエーニュ工科大学(フランス語)
- ハルビン工業大学(中国語)
短期留学
- ハルビン工業大学(中国)
- パシフィック大学(アメリカ)
- コロラド大学ボルダー校(アメリカ)
長期留学
- ハルビン工業大学(中国)
- スウェーデン王立工科大学(スウェーデン)
- コンピエーニュ工科大学(フランス)
- ペンシルベニア州立大学(アメリカ)
産官学間での連携
千葉工業大学では、企業、研究機関及び自治体、地域組織と連携して共同研究を行っている。
- 主な連携団体(判明分)
企業との連携
- 大和ハウス・筑波大学(高齢者在宅健康管理・支援システムを共同開発)[22][23]
- ツクバリカセイキ・筑波大学・富士ソフト(布ベルト用自動走行計測ロボットの開発)[24]
- 習志野市産学官連携プラットホーム事業[25]
- 千葉銀行(中小企業向け助成制度「ちばぎん・研究開発助成制度」。千葉銀行、千葉大学と連携した中小企業向け助成制度)
- 三菱重工業(技術提携。原発ロボット「櫻弐號」などのロボットを共同で開発)
- 大成建設(自律型鉄筋結束ロボット「T-iROBO Rebar」などの建設用ロボットの共同で開発)
- パナソニック(ロボット家電の開発拠点を共同で設置)
- ジェフユナイテッド市原・千葉(包括連携。トレーニング施設の共同利用及びスポーツ交流)
自治体との連携(協定)
研究・教育機関との連携(協定)
工大の煉瓦門(文化財)
- 現在千葉工業大学が使用している通用門は、かつて同敷地内にあった鐵道聯隊が使用していた営門を残したもので、銀杏並木がならぶ通用門は国土の歴史的景観に寄与しているとして、1998年に登録有形文化財に登録された[26][27]。一般には「工大の煉瓦(れんが)門」[26][27]、または「工大の赤煉瓦(あかれんが)門」[28]と呼ばれている。
メディア
撮影協力・製作協力
- ボーイハント - 撮影協力
- 古畑任三郎 - 撮影協力
- ふたつのスピカ - ロボット協力
- ヤマトナデシコ七変化 - 撮影協力
- 医龍 -Team Medical Dragon- 3 - 撮影協力
- Paradise Kiss - 撮影協力
- 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 - 撮影協力
- HERO - 撮影協力
- キカイダー REBOOT - 撮影協力及び企画協力
- 相棒 - 撮影協力
- コード・ブルー - 撮影協力
事件・不祥事等
- 2012年に千葉工業大学側の報告によって経済産業省からの研究費使用に関して不正のあったことが発覚した[29]。具体的な不正の内容としては、千葉工業大学の研究者が物品などを購入していないにも関わらず、取引業者より購入したとする偽装工作を行い、同研究費から業者に物品購入代金として金を支払っていたというのが一点[29]、もう一点は千葉工業大学の研究者が同研究費を私的目的に使用し、その金の流れを取引業者に研究目的のための物品購入であったことを偽装工作させるなどした[29]、というものであった。これら千葉工業大学の不正に関し経済産業省は、交付した研究費の返還、一定期間研究費交付停止、などの処分を行った[29]。
- 2017年1月10日に大学教員が学生の成績情報などの個人情報をメールに添付し外部の複数の人物に送信してしまう事件が発生した[30]。流出した情報は、学生の氏名や学籍番号、成績などであったという[30]。
脚注
注釈
- ↑ 理工学部を持つ旧帝国大学はどれも数に含めず、対象を「現存する単体の理工系大学」に限定した場合。1929年に国立の東京工業大学が設置され、1942年に私立の興亞工業大學(千葉工業大学の前身)が設立された。東工大と同時に昇格した大阪工業大学(1929年設立)は、1933年に大阪帝国大学に吸収されたため数に含めない。日本最初の私立理工系大学である藤原工業大学(1939年設立)も、1944年に慶應義塾大学に併合されて同大学の工学部となったため数に含めない。これら以外の現在存在する国立:私立の理工系単科大学は全て戦後に設立されたものである
- ↑ 玉川学園長の小原國芳、東北帝国大学総長の本多光太郎博士のほか、政治評論家の徳富蘇峰、作家の武者小路実篤、キリスト教伝道者の本間俊平、京都帝国大学前総長の小西重直博士、哲学者の西田幾多郎博士らが、約一年間に渡って討議したもの。ここでは、単に高い技術を持った技術者・専門家を養成することのみを目指すのではなく、国家枢要を担う人材の養成を目指し、工学者としての高い教養を兼ね備えた人材を育成するための教育理念が合わせて盛り込まれている[1][6]。特に小西、小原らは、長く教育の現場を見てきた経験則から、教養科目と学校生活を通じて生徒たちを「小さい紳士」に育て上げることを念頭としていた[7]
- ↑ 澤柳政太郎博士の意思を継ぎ、真全美聖の4絶対価値と、健富の2手段価値を持った完全人格の育成を目指す。これがためには「体育」、「音楽その他の芸術教育」「宗教、道徳教育」などの教養教育に重要な意味がある(詳細は全人教育を参照)
- ↑ ペスタロッチが身をもって強調した教育の根本であり、「百聞は一見に如かず、百聞は一策労作にしかず」という「自学自律、自啓自発の教育」
- ↑ 「研究室に於ける忠実なる真理探究の学徒たると同時に、学校の工場移駐を図り、長期の一定期間中実習体験をなさしめ、以って国家産業戦士の指導者たらしめんとす」
- ↑ 日本人(東洋人)を代表してクリスチャンで、教育家の小原國芳が大学設立趣意書を提出(アジア解放を望んだ日本国民の自発性を尊重すると共に、再起と誡めの契約を結ぶ)
- ↑ 急な開校指令だったこともあり全ての建物が完成してなく、講義を外で行う
- ↑ 設置が計画されたが戦時のため、機械学科に変更された。戦後に生産工学、経営工学分野を扱った学科として早稲田大学に次き2番目に設置された
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 「玉川学園の歴史-興亜工業大学」玉川学園、(2013年6月5日)、2018年8月7日閲覧。
- ↑ 「千葉工業大学50年史」(1992年)、56-57頁
- ↑ 千葉工業大学 工学部 機械サイエンス学科 松井研究室「(研究所・研究室紹介)精密加工技術プラスアルファによる新展開を目指して」、『精密工学会誌』第80巻第2号、2014年、 167-168頁。
- ↑ “在学者数”. 情報公開・大学概要. 千葉工業大学 (2014年5月1日). . 2015閲覧.
- ↑ 入学案内 2015, p. 154-155.
- ↑ 千葉工業大学PPA・千葉工業大学同窓会「千葉工業大学校歌・寮歌・応援歌集」2頁
- ↑ 千葉工業大学50年史を参照
- ↑ 詳細は「日本冶金工業六十年史」51頁を参照。
- ↑ (CITニュース2013/09/25)
- ↑ 林友直「鯨生態観測衛星(観太くん)プロジェクトについて」、『瀬戸内海』第31号、2002年、 32-34頁。<--(特集)森林と海-連鎖への回帰-リモートセンシングの利用と海域生態系-->
- ↑ 林友直、岡本良夫、横山幸嗣、細川繁、冨田秀穂、升本喜就「鯨生態観測衛星システムとその応用」、『電子情報通信学会技術研究報告(SANE, 宇宙・航行エレクトロニクス)』第105巻第102号、2005年5月、 13-20頁。
- ↑ 鯨生態観測衛星(観太くん)オフィシャルページ
- ↑ “廃炉に挑むロボット”. 四国新聞: p. 4. (2015年1月4日)
- ↑ “廃炉に挑むロボット 待ち受ける最難関任務”. 2014年版新年動画. 47NEWS. . 2015閲覧.
- ↑ 真野敦史 『NEDO災害対応無人化システム研究開発プロジェクト』117、2014年10月、666-669。
- ↑ 特色ある大学教育支援プログラム-特色GP&現代GP-教育・研究活動
- ↑ “同窓会”. 大学案内. 千葉工業大学. . 2015閲覧.
- ↑ “PPA”. 大学案内. 千葉工業大学. . 2015閲覧.
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 19.4 入学案内 2015, p. 155.
- ↑ 20.0 20.1 20.2 入学案内 2015, p. 22.
- ↑ 大学等間交流協定締結状況 日本側機関別一覧(千葉工業大学) - 文部科学省
- ↑ 住宅床下点検ロボット開発
- ↑ 高齢者在宅健康管理・支援システムを共同開発(2009.09.08)
- ↑ (2009.02.09)
- ↑ 習志野市産学官連携プラットホーム
- ↑ 26.0 26.1 千葉県教育委員会 (2014年8月7日). “千葉工業大学通用門(旧鉄道第二連隊表門)”. 習志野市の県指定および国登録文化財. 千葉県. . 2015閲覧.
- ↑ 27.0 27.1 “千葉工業大学通用門(旧鉄道第二連隊表門)”. 文化遺産オンライン. 文化庁. . 2015閲覧.
- ↑ “津田沼キャンパス”. キャンパス案内. 千葉工業大学. . 2015閲覧.
- ↑ 29.0 29.1 29.2 29.3 経済産業省 (2013年11月12日). “学校法人千葉工業大学における委託費等の不適正な経理処理に対して措置を行います(METI/経済産業省)”. 経済産業省. . 2014閲覧.
- ↑ 30.0 30.1 Security NEXT (2017年1月27日). “成績情報含むファイルを学外に誤送信 - 千葉工業大”. . 2017閲覧.
参考文献
- 千葉工業大学PPA・千葉工業大学同窓会「千葉工業大学校歌・寮歌・応援歌集」
- 小原國芳編『全人』No.113 玉川学園出版部、1942
- 千葉工業大学二十五年史刊行委員会『千葉工業大学二十五年史』千葉工業大学、1967
- 小原國芳 『教育と我が生涯 小原國芳』 南日本新聞社 編、玉川大学出版部、1977年11月。ISBN 978-4472028724。
- 玉川学園五十年史編纂委員会 『玉川学園50年史』 玉川学園、1980年。
- 日本冶金工業 『日本冶金工業六十年史』 日本冶金工業、1985年11月。
- 千葉工業大学五十年史刊行委員会 『千葉工業大学五十年史』 千葉工業大学、1992年。
- 戸高一成 『[証言録]海軍反省会』 PHP研究所、2009年8月。ISBN 978-4569709703。
- 千葉工業大学70年史刊行委員会 『千葉工業大学70年のあゆみ』 千葉工業大学、2012年。
- “興亜工業大学”. 玉川学園について. 玉川大学・玉川学園 (2013年6月5日). . 2015閲覧.
- “入学案内2015”. デジタル図書館. 千葉工業大学. . 2015閲覧.
Wiki関係他プロジェクトリンク
関連項目
公式サイト
- “千葉工業大学”. . 2015閲覧.
- “写真で振り返る70年”. . 2015閲覧.
- “デジタル図書館”. . 2015閲覧.
- “千葉工業大学 惑星探査研究センター(PERC)”. . 2015閲覧.
- “千葉工業大学 未来ロボット技術研究センター(fuRo)”. . 2015閲覧.
- “CITALUMNI 千葉工業大学同窓会”. . 2015閲覧.
加盟コンソーシアムなど |
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