そごう
そごう(英称:SOGO)は、セブン&アイ・ホールディングスの傘下の株式会社そごう・西武が運営する日本の百貨店である。
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概要
2009年(平成21年)8月1日付で、かつての運営会社「株式会社そごう」が、西武百貨店と持株会社のミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更した。
登記上の本店は創業から大阪店閉店までと心斎橋本店開店からそごう・西武への再編前まで長年大阪の心斎橋にあった。横浜店は売場面積 (83,654m2) と売上高(1,000億強)が最大。1957年(昭和32年)、有楽町にも開店し、テレビコマーシャルに「有楽町で逢いましょう」を流し、東京に進出した。
「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」なるキャッチフレーズも存在した。西武百貨店と統合したことで、MDや売場編集を西武流に。POSシステムの技術提供も受け、従来のイメージは良いにつけ悪いにつけ一掃された。
イメージフラワーはダリアで、包装紙や紙袋に印刷されるほか、関連組織の名称にも、ダリアルーム、ダリア友の会など、ダリアを冠したものがある。
ロゴマークは創業以来、初代十合伊兵衛の生家・絹屋の家紋であるちきり(縦糸を巻くための織機の付属部品。また石材や木材を繋ぎ止める部品の名)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。ちきりはまた「ちきり」という言葉と「契り」の連想から、客との結びつきを末長く大切にといった意味も含んでいる。
ロゴマークの形状自体に変更はないが、色については、赤→紺→金・翡翠を経て、民事再生直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリンググループのカラーとしての青に変更している。また、民事再生以前については、「そごう」ロゴと「SOGO」ロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」をCIに採用した時期もある。外装への採用例としては1996年(平成8年)から2001年(平成13年)の神戸店本館北側の壁面がある。 POSシステムは、NEC製を使用。
歴史
創業から百貨店へ
大和国十市郡十市村で絹屋として商売を行っていた徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が1830年(天保元年)に大坂南渡辺町の坐摩神社(陶器神社)の南隣に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである[1]。
1872年(明治5年)に古手屋を廃業して呉服店へ転換し、1876年(明治9年)に安堂寺橋通三丁目に移転。翌1877年(明治10年)には心斎橋筋一丁目に移転すると共に十合呉服店へ改称[1]。
1901年(明治34年)4月3日には神戸市元町五丁目に神戸支店を開設した[1]。 この神戸店は順調に売り上げを伸ばし、阪神電気鉄道三宮駅ビルへの出店する形で1933年(昭和8年) 10月1日に移転・増床して、百貨店として開業した[1]。 この移転以降は「神戸そごう」というひらがな表記を用いており、その後の各店舗での「そごう」表記の第一歩となった[1]。
1935年(昭和10年)9月24日には大阪・心斎橋の本店として村野藤吾設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した[1]。昭和15年に「十合」、株式会社設立の昭和44年に「そごう」となった[2]。
心斎橋の新本店ビルはガラスブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので[1]、モダニズム建築の傑作との評価もされている。 この店内には700名収容の劇場や茶室、貴賓室、食堂など売場以外の機能も併設されていた。 また、開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することになった[1]。 心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設されたが、その内の2期工事の建設費は板谷宮吉率いる板谷財閥の資本導入により実現したとされている[1]。
戦時下と戦後の売り場縮小と代替事業
第二次世界大戦中は配給品以外の商品が大幅に減少したため、売り場に空きが生じたことから、大阪本店の地下2階部分を活用して「家財保護預り」を行い、顧客の財産を守る事業も展開した[1]。 この保護預かり制度は話題を呼び、大阪市内のみならず、大阪府下全域からの利用者があった[1]。
終戦後は、進駐軍が本店を徴用し、PX(進駐軍とその家族向けの売店)として利用したため、百貨店としての営業が出来なくなり、大阪市内に在日外国人向けの輸入品店「オーバーシーズサプライズストア」を含めていくつかの店舗を展開して、営業機能の一部を代用する形になった[1]。
営業再開から経営の混乱へ
日本デパートメントストア協会など業界を挙げた接収解除運動もあって接収解除が実現し、1952年(昭和27年)6月1日に大阪本店の営業を再開した[1]。
しかし、この間約6年にわたって本店で営業できなかったことの影響は大きく、再開店から1年後には早くも売上が伸び悩むことになった[1]。
また、一時期は外部からのグリーンメーラーによる株買い占めに遭った[3]。
1957年(昭和32年)5月25日には[4]、有富光門が主導して読売新聞の建設した読売会館に東京店を開店した[3]。 しかし、この東京店は有富と読売新聞社主であった正力松太郎の間で一坪当たり月額4,000円という高額の定額家賃の契約を結んでいたため、月商約3億円で約7,000坪で約2800万円の家賃は、当時業界の常識とされていた売上高の約3%から5%を大きく上回って採算が合わず、業績の足を引っ張る結果となった[3]。
1958年(昭和33年)4月に関西財界の顔役で日本繊維工業社長だった坂内義雄を社長に迎え、板谷宮吉の縁戚とされる当時日本興業銀行(現:みずほ銀行)特別調査室付考査役だった水島廣雄が副社長として就任し、主取引銀行の大和銀行(現:りそな銀行)常務から同じ副社長に就任した若菜三良と共に再建に取り組むことになった[5]。
ところが、1960年(昭和35年)11月26日に坂内義雄社長が急逝し、当時慣例化していた当社の大株主で大口債権者である大和銀行と野村証券、山一證券、板谷宮吉、住友正雄で構成される「5者会」に諮ることなく、同年12月23日の取締会において大和銀行の意向で同行出身の若菜三良が副社長から社長に就任したため、5者会を構成する他者が反発して経営権を巡って抗争が生じることになった[6]。この経営権を巡る争いは大和銀行が公正取引委員会に提訴されるという事態に発展し、1961年(昭和36年)10月26日にアサヒビール社長山本為三郎の仲介でようやく終息を見た[6]。
この経営権争奪戦の解決を受けて1962年(昭和37年)1月30日に増資を決議して同年6月1日に資本金10億円へ増資し、同年4月26日に水島廣雄が副社長から社長に就任した[6]。
増床や多店舗展開の推進
神戸店は増築・増床を進めて売り場面積約31,800m2へ倍増させ[7]、1971年(昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となり[1][7]、その後も隣接する国際会館と共同でケイエスビルを建設して新館とするなどさらなる増床で売り上げを伸ばし[1]、阪神大震災前には売り場面積約48,962m2まで拡張した[7]。
また、1967年(昭和42年)3月21日に千葉そごうを開設して[1]開業2年目で地域一番店となり[7]、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せ[7]、多店舗展開にかじを切ることになった[1]。
多店化に当たっては、レインボーロードといわれる国道16号沿いに立地して東京都心部を包囲するように出店する戦略を採ったほか[6]、「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として店舗展開を進めた[7]。
この出店計画は、旧名称「十合」の十にちなんだ出店戦略「グレーターそごう(全国10店舗)」と名付けられ、「千葉そごう」の出店を皮切りに「黒崎そごう」で達成した[7]。
その後は、それを拡大する形で「ダブルそごう(世界20店舗)」「トリプルそごう(世界30店舗)」などと称して積極的な展開をした[7]。
多店舗展開の当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である柏そごうや広島そごうも黒字転換後は出資側に回って出店戦略を支える形式をとっていた[7]。
こうした新たな地区への出店を進める一方で、千葉そごうが1972年(昭和47年)10月に別館を増設したほか[1]、広島そごうは1974年(昭和49年)10月に開店した際には売り場面積が10,000m2未満に抑えられたにもかかわらず30,000m2へ増床可能なように建設すると共に近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど[6]、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した[6]。
そうした増床戦略の最盛期には、千葉そごうがモノレール駅と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売り場面積約90,000m2体制)としたり、NTTクレド基町ビルに広島そごう新館を開設するなど主力店周辺に店舗を出店して立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた[7]
また、そごう本体でも、御堂筋の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなど大阪店のテコ入れを図ると共に、有楽町の東京店についても読売新聞との家賃引き下げ交渉のみではなく、地下鉄有楽町駅と地下売り場を直結させるために交渉をするなどテコ入れを図った[1]。
さらに、アジアへの出店では日本人観光客を狙うのではなく、地元の消費者を狙う戦略で出店しており、香港そごうが約85%、台湾太平洋そごうで約95%が地元客といわれる地元密着の百貨店となった[7]。
民事再生法適用など破綻処理へ
土地の値上がりを見込んで銀行融資を受け積極的に出店したことが災いし、2000年(平成12年)7月に小売業としては日本最大の負債総額を抱えて民事再生法適用の運びとなった[8][9]。
日本興業銀行と並ぶメインバンクであった日本長期信用銀行(現:新生銀行)が破綻し、リップルウッドに売却される際に不良債権に関して譲渡後3年間に2割以上の損失があると認定された場合には融資時の金額まで損失を預金保険機構が補填する仕組みである瑕疵担保条項の適用という特約かつけられていた[9]。そのため、同行が債権放棄を受け入れることについては金融再生委員会と預金保険機構が関連することになり、「そごうへの債権を放棄して一企業に税金を注ぎ込むとは何事だ」という批判が起きて当社の再建策は政治問題化することになった[10]。2000年(平成12年)6月25日の総選挙直後で支持率は低迷したままの森内閣が批判に耐えられないとして、同年7月11日に亀井静香自民党政調会長(当時)から山田恭一そごう社長に電話で債権放棄を認めることが困難であることを伝え、それを前提とした再建案の断念を迫った[10]。そのため、そごうはそれまでの自主再建を断念し、翌日12日に株式会社そごう(上場企業)とそごうグループの主要企業は民事再生法を申請した[10]。この申請は大企業として初となるものであった。
なお、後述の通り全てが民事再生法適用申請ではなく、その経営状態などの相違により特別清算や自己破産となった法人もある[9]。
結果的に瑕疵担保条項適用分は他の不良債権と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて再建の流れが公になるというとのことでこの問題の決着がつくとされた。「そごう問題」や、「そごう債権問題」などと言われた。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で直営店の神戸店が被災したことで打撃を受けたことや平成不況による消費の低迷も当社の破綻要因の一つとなった。
株式会社そごう(初代)として運営していた店舗は大阪店と神戸店、東京店のみであった[9]。それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は各地元からの出資及び、そごう及び千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社や、水島が個人で出資するなど、資本関係は極めて複雑だった[9]。
1997年当時の主要株主[11]。
- 株式会社千葉そごう・・・6.70%
- 株式会社日本興業銀行・・・4.99%
- そごう従業員持株会・・・3.44%
- 野村証券株式会社・・・2.76%
- 日本生命保険相互会社・・・2.65%
- そごう共栄会・・・2.01%
- 東洋信託銀行株式会社・・・1.85%
- 全国共済農業協同組合連合会・・・1.60%
- 株式会社七博・・・1.40%
- 安田信託銀行株式会社(金融信託指定単口)・・・1.39%
- 第一生命保険相互会社・・・1.33%
また、グループ各社間で貸付金や債務保証も行われていたため[9]、経営破たん時の各社の負債総額はその運営する店舗の業績とは必ずしも一致しなかった。
主な負債額は下記の通りである。
- そごう(上場していた本体) 約6891億円[9]
- 千葉そごう(千葉市) 約4054億円[9]
- 新千葉そごう(千葉市) 約953億円[9]
- 広島そごう(広島市) 約3282億円[9]
- 広島そごう新館(広島市) 約545億円[9]
- 横浜そごう(横浜市) 約1955億円[9]
- 柏そごう(柏市) 約1238億円[9]
- 奈良そごう(奈良市) 約1231億円[9]
- 大宮そごう(大宮市) 約774億円[9]
- 福山そごう(福山市) 約742億円[9]
- 小倉そごう(北九州市) 約673億円[9]
- 船橋そごう(船橋市) 約666億円[9]
- 徳島そごう(徳島市) 約662億円[9]
- 多摩そごう(多摩市) 約553億円(特別清算)[9]
- 八王子そごう(八王子市) 約503億円[9]
- 札幌そごう(札幌市) 約496億円[9]
- 豊田そごう(豊田市) 約496億円[9]
- 加古川そごう(加古川市) 約361億円[9]
- そごう物産(東京都港区) 約398億円(自己破産)[9]
- 黒崎そごう(北九州市) 約321億円[9]
- 錦糸町そごう(東京都墨田区) 約303億円[9]
- 西神そごう(神戸市) 約240億円[9]
- 呉そごう(呉市) 約236億円[9]
- 木更津そごう(木更津市) 約230億円(自己破産)[9]
- 長野そごう(長野市) 約95億円(自己破産)[9]
なお、2000年(平成12年)10月25日に民事再生法の適用を申請した22社中9社の再建を断念し、残り13社を十合を受け皿会社として合併して1社に統合して再建を目指す再生計画案を東京地方裁判所に提出した[12]。
経営破綻後、そごうは西武百貨店元社長の和田繁明を特別顧問に招聘し[9]、2003年(平成15年)にミレニアムリテイリング(現:そごう・西武)による経営統合を実現した。2005年(平成17年)にミレニアムリテイリングをセブン&アイ・ホールディングスが買収した。
沿革
- 1830年(天保元年) - 十合伊兵衛が、大坂の坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業[1]。
- 1876年(明治9年) - 安堂寺橋通に移転。
- 1877年(明治10年) - 大阪の心斎橋筋に大和屋を移転すると共に十合呉服店へ改称する[1]。これが後のそごう心斎橋本店(旧そごう大阪店)である。
- 1919年(大正8年)12月20日 - 資本金10万円で株式会社十合呉服店設立[13]。
- 1933年(昭和8年) 10月1日- 神戸支店、元町より三宮阪神ビル(現在地)に移転、新築開店[1]。
- 1935年(昭和10年) - 村野藤吾設計のモダニズム建築の傑作、大阪本店が御堂筋とともに竣工(2003年(平成15年)解体)。
- 1940年(昭和15年)4月 - 株式会社十合と商号変更[13]。
- 1946年(昭和21年)7月 - 大阪本店がアメリカ進駐軍に接収される[13]。
- 1949年(昭和24年) - 大証一部上場。
- 1952年(昭和27年)
- 1957年(昭和32年)5月25日 - 東京地区初の店舗として、国鉄有楽町駅前の読売会館にそごう東京店(通称:有楽町そごう)を開店[4]。
- 1958年(昭和33年) - 水島廣雄入社。副社長に就任(1962年社長就任)。
- 1961年(昭和36年) - 東証一部上場。
- 1967年(昭和42年)10月28日 - 株式会社千葉そごう設立[14]。株式の大半を水島廣雄が保有したため、株式会社そごうの連結対象外企業だった。
- 1969年(昭和44年) - 法人改組50周年を機に株式会社そごうに商号変更。株式会社横浜そごうを千葉と同じく連結対象外企業として設立。以後、全国各地に地域会社を設立のうえ多店舗展開を行った。
- 1979年(昭和54年)10月6日 - 黒崎そごう(北九州市)開店[15]
により、百貨店業界初の北海道・本州・四国・九州全4島への出店を達成。
- 1972年(昭和47年)2月15日 - 株式会社廣島そごう設立[16]。
- 1983年(昭和58年)4月15日 - 東京ディズニーランドの開園と共に、アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーに就任。
- 1985年(昭和60年) - 毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」を横浜そごうに設置、運用開始。
- 1992年(平成4年) - 千葉そごう新築開店に伴い同店舗運営会社「株式会社新千葉そごう」を設立。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2月 - 「十合」傘下の再生各社のうち、「株式会社横浜そごう」が、旧上場会社の「株式会社そごう」を吸収合併し「株式会社そごう」に商号変更。この時点で、本店は横浜市のままで、心斎橋本店完成時に旧そごうと同一の地に移転。
- 9月1日 - 「十合」傘下の再生各社の合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ一本化完了。
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)
- 5月31日 - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修して開店させる「心斎橋本店」を、同年9月7日に開店することを発表。
- 6月13日 - 本社機能と本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた横浜市から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市に移転。
- 8月2日 - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、計約1300台分の駐車場を確保することを明らかにした。確保した駐車場は、自前駐車場が274台分、クリスタ長堀と契約した1030台分。
- 9月7日 - 心斎橋本店が新装開店。開店記念のCMに宮沢りえを起用。
- 10月12日 - 伊勢丹出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に株式会社そごう臨時株主総会にて取締役に選任。
- 12月26日 - ミレニアムリテイリングの和田繁明から買収防衛策のためにセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りできないか鈴木敏文に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。
- 2006年(平成18年)6月1日 - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。
- 2008年(平成20年)
- 9月 - 呉店をブランチ化。広島店と外商・企画部門などを統合。
- 2009年(平成21年)度より、セブン&アイグループのプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」を、西武百貨店とともに、全店への順次導入を進めている。
- 2009年(平成21年)
- 8月1日 - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更。店名は、「そごう」「西武」を維持(「西武百貨店」という表記は使用せず)。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。
- 8月31日 - 心斎橋本店が閉店。土地・建物は、隣接する大丸(J.フロント リテイリング)へ売却。その後改装し、2009年(平成21年)11月14日に同社心斎橋店の北館として開店した。
- 2012年(平成24年)1月31日 - 八王子店が閉店[17]。同店の閉店により、東京都内から「そごう」店舗はなくなった。
- 2013年(平成25年)1月31日 - 呉店が閉店。
- 2016年(平成28年)9月 - 柏店が閉店[18]。
- 2016年(平成28年)10月6日 - セブン&アイ・ホールディングスは阪急阪神百貨店を傘下に置くエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングと業務資本提携することで合意し、H2Oが神戸店と西神店の事業を引き継ぐ。
- 2017年(平成29年)
店舗
2017年(平成29年)10月現在、国内7店舗(現在は他社に事業承継されたが、「そごう」の屋号を残している神戸店を含めると8店舗)。
経営破綻時、東京・旧大阪・神戸の各店は、千葉そごう・興銀が大株主である上場会社の「株式会社そごう」の直営店で、それ以外は水島廣雄が過半数株主の「千葉そごう(資本金1億円)」と、同社100%出資で完全子会社の「柏そごう」「廣島そごう」の出資によって、店舗ごとに子会社が設立されて経営が行われた。前述の3社と各地の店舗運営子会社の間で株式持ち合いが行われ、メインバンクであるかつての長銀・興銀を筆頭に、地方銀行からも出資会社の債務保証を取り付けて多額の融資を受けていた。この複雑な資本関係のため、経営破綻するまで、店舗ごとの財務状態は明らかにされなかった。報道では「そごうグループXX社」と称されていた。後項も参照のこと。
現在は全店「そごう○○店」の名称であるが、民事再生計画以前に前述の子会社が運営していた店舗は店名が先に来る「○○そごう」であり、一般には経営破綻前の名残から現在も通称として使われている(西武も同様)。
なお、東日本地域のほとんどの店舗は再開発組合や鉄道・デベロッパー会社など他の事業体によって竣工されたテナントビルに入居する形式を取り、1980年代以降1997年(平成9年)の錦糸町そごう(2000年(平成12年)閉店)まで立て続けに出店を行っていた。そごうのテナント区画外にある店舗・飲食店ではミレニアムカードや「全国百貨店共通商品券」などが使用できない。
- 横浜店
- 千葉店
- 旧店:1966年(昭和41年)10月28日「株式会社千葉そごう」設立[1]。1967年(昭和42年)3月21日開店-1993年(平成5年)4月業態転換。
- 千葉市中央区富士見2-3-1[1] 塚本大千葉ビル[1]
- 別会社方式によるそごうグループ多店舗化1号店[7]。開業2年目で地域一番店となり、3年目に早くも黒字化した[7]。以降出店の際は全て千葉そごうが出資する形を取っていた[7]。
- 1993年(平成5年)4月27日に新店舗開設に伴い 若者向けやスポーツ用品の専門館に業態転換し、4館合計で売り場面積約90,000m2となった[21][7]。(店舗名「Bee-One」)経営破綻後、閉店。現在は複合オフィスビル。
- 新店:1992年(平成4年)「株式会社新千葉そごう」設立。1993年(平成5年)4月27日開店[21]。
- 千葉市中央区新町1000 センシティビルディング 京成千葉駅直結 売場面積69,648m2。
- 売上高は、そごう各店の中で第2位。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」。"「そごう千葉店」"
- 旧店舗跡にはヨドバシカメラとかねたや家具が入居した[22]。
- 大宮店
- 川口店
- 西神店
- 神戸市西区糀台5-2-3 神戸市営地下鉄西神山手線:西神中央駅前 プレンティ 売場面積17,904m2。
- 1990年(平成2年)「株式会社西神そごう」設立。1990年(平成2年)10月開店[23]。
- 正確には神戸店の分店の扱いで、「そごう神戸店西神館」が正式名称である[24]。ただし、前述のとおり2017年(平成29年)10月1日付で神戸店がH2Oに引き継がれるため、そこからは「そごう西神店」と単独店舗扱いになる予定。
- ダイエー西神店と2核1モール。
- 直下を地下鉄が走っているため、多くの百貨店で見られる「デパ地下」が存在せず、食料品売り場は1階にある。
- 2016年(平成28年)10月6日、セブン&アイ・ホールディングスとエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングは業務資本提携することで合意し、H2Oが西神店の事業を引き継ぐ予定とされていた。しかし、建物所有者である神戸市が賃料引き下げに応じたため、事業引継ぎ対象からは除外され、引き続きセブン&アイ・ホールディングスのままで運用されることになった。"「プレンティ」"
- 広島店
- 徳島店
- 徳島市寺島本町西1-5 徳島駅前再開発ビルアミコビル 売場面積26,738m2。
- 1979年(昭和54年)「徳島そごう」設立。1983年(昭和58年)10月1日開店[26]。
- 内町小学校跡地を含む約2haに建設された再開発ビルの核店舗として出店した[27]。
- セブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となったのに伴い、従来四国には店舗を持たなかったセブン&アイグループが店舗を持つこととなった。"「そごう徳島店」"
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そごう千葉店
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そごう大宮店
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そごう川口店
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そごう西神店
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そごう広島店
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そごう徳島店
他社に事業承継された店舗
2017年(平成29年)10月現在。
- 神戸店
- 神戸市中央区小野柄通8-1-8 三宮阪神ビル 阪神三宮駅に直結。売場面積42,563m2。
- 1933年(昭和8年)10月1日開業[1][28]。1969年(昭和44年)増築開店(株式会社設立50周年記念事業)。
- 本館は三宮阪神ビル+三宮さくらビル+自社ビルを束ねて外装工事でひとつのビルに、新館はケイエスビル+S・ヨシマツビル。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」であった。
- 2016年(平成28年)10月6日、セブン&アイ・ホールディングスとエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングは業務資本提携することで合意し、H2Oグループが神戸店の事業を、2017年(平成29年)10月1日付で引き継いだ。"「そごう神戸店」"
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そごう神戸店
過去に存在した店舗
- ギフトショップを除く。
2013年(平成25年)4月現在。※各店開店閉店年月日 「そごう社史」より
そごう・西武(セブン&アイ)移行後
- 心斎橋本店
- 八王子店
- 呉店
- 柏店
そごう・西武(セブン&アイ)移行前
- 大阪店(心斎橋そごう)
- 大阪市中央区心斎橋筋1-8-3
- 1935年(昭和10年)5月25日開店-2000年(平成12年)12月25日閉店。
- 建物は解体。跡地に心斎橋本店を再建し2005年(平成17年)9月7日に開店するも、2009年(平成21年)8月31日に閉店。
- そごうホップ(大阪市阿倍野区)売り場面積4,500m2[6]。阿倍野そごう・広島そごう共同出資→「あべのベルタ」[6]の完成に伴いDIY・生活雑貨・文具などの生活雑貨の専門店として開店→2000年(平成12年)12月閉鎖
- そごう難波店→1963年(昭和38年)閉鎖
- そごう神戸店岡山分店→1975年(昭和50年)、岡山ターミナルホテル(現・ホテルグランヴィア岡山)内に開店→ホテル改築により閉鎖
- 東京店(有楽町そごう)
- 札幌そごう
- 錦糸町そごう
- 東京都墨田区錦糸2-2-1[41] アルカタワーズ錦糸町 31,350m2。
- 1991年(平成3年)会社設立。1997年(平成9年)10月22日開店。2000年(平成12年)12月25日 閉店[38]。閉店後の詳細については「アルカキット錦糸町」を参照
- 錦糸町駅北口の再開発事業に参画して出店した店舗で、入居する商業施設ビルの40%を約240億円で取得して残りを日本生命から賃借する形で出店した[42]。
- 当店の出店に当たっては店舗の不動産を取得して出店しても採算に合わないと一度却下したものの、先述の条件に切り替えて1988年(昭和63年)1月に出店を決定している[42]。
- しかし、業績悪化に伴って金融機関が出店資金の貸出を渋ったため、1993年(平成5年)1月には再開発負担金を滞納し、阪神大震災直後の1995年(平成7年)2月に出店辞退を通告するに至った[42]。
- しかし、この通告に対して再開発組合が差し押さえをすると通告したため、再び出店へと方針を変更し、銀行も差し押さえの影響が読み切れないとして融資を行うこととなったため、出店が実現することになった[42]。
- ただし、この出店資金の融資については水島広雄会長が個人保証を付けることが条件となって融資された[42]。
- 店舗跡は2002年(平成14年)3月29日に「アルカキット錦糸町」が開店した[41]。
- 多摩そごう
- 多摩市落合1-46-1 多摩センター駅前に立地。34,200m2[43]。
- 1988年(昭和63年)会社設立。1989年(平成元年)10月20日開店-2000年(平成12年)7月に特別清算申請[43]、9月17日閉店[44]。閉店後の詳細については「多摩そごう」を参照
- 多摩ニュータウンの人口が30万人になることを前提とした出店であったが、20万人を切る水準にしかならなかったため赤字が続いた[43]。
- 店舗跡は2000年(平成12年)11月15日に「三越」と家具販売大手「大塚家具」が出店したが[45]、「大塚家具」は2010年(平成22年)末に閉店した[46]。「大塚家具」の撤退した跡にユニクロや丸善などを入居させてショッピングセンター「ココリア多摩センター」として[46]2011年(平成23年)4月23日に新装開店することになった[47]。現在の詳細については「ココリア多摩センター」を参照
- 柚木そごう
- 船橋そごう
- 千葉県船橋市浜町2-1-1 ららぽーとTOKYO-BAY西館。32,580m2。
- 1978年会社設立。1981年(昭和56年)4月2日開店-2000年(平成12年)12月閉店。
- ワンフロア15,000m2、4階建の低層という従来にないフロア構成で、新しい百貨店スタイルを提案した。
- 1997年(平成9年)9月 新業態専門フロア「ベイ・プラネット」オープン。トイザらスなど人気ショップや話題の専門店を導入した。
- 店舗跡は2001年(平成13年)9月21日にららぽーとウエストとして新装開店した[49]。閉店後の詳細については「ららぽーとTOKYO-BAY」を参照
- 木更津そごう(サカモトそごう)
- 1977年(昭和52年)12月 地方百貨店「サカモト」(創業1913年)との資本提携により「サカモトそごう」設立。
- 旧店舗:木更津市中央1丁目3番8号[1] 売場面積10,066m2。1978年(昭和53年)10月1日開店[1]-1988年(昭和63年)新店舗開店に伴い閉鎖。
- 新店舗:木更津市富士見1-2-1 木更津駅西口再開発ビル(38,400m2)の核店舗として出店していた[6]。アインスビル。19,349m2。1988年(昭和63年)開店。「木更津そごう」に商号変更。2000年(平成12年)7月13日に自己破産申請し、閉店[50]。
- 閉店後の2001年(平成13年)12月22日にビルを所有していた第3セクターの木更津都市開発が約74.7億円の負債を抱えて千葉地方裁判所に破産申請して倒産した[51]ため、2003年(平成15年)に木更津市が購入[52]。閉店後の詳細については「アクア木更津」を参照
- 茂原そごう
- 茂原市千代田町1-6 茂原駅前。15,060m2。
- 1989年(平成元年)会社設立。1992年(平成4年)3月7日開店-2000年(平成12年)2月29日閉店[53]。
- 南総通運株式会社がテナントビル「南総サンヴェルプラザ」として運営。閉店後の詳細については「南総サンヴェルプラザ」を参照
- 長野そごう(丸光そごう)
- 豊田そごう
- 奈良そごう
- 奈良市二条大路南1丁目[6]3-1 46,201m2。
- 1984年(昭和59年)11月21日会社設立。1989年(平成元年)10月2日開店[42]-2000年(平成12年)12月25日閉店[38]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[38]。
- 店祖「十合伊兵衛」生誕の地に念願の出店との見方が多かったが、関西への出店が遅れたことの挽回策という側面も強かったとされる[42]。
- 重装備店舗。埋蔵文化財、長屋王邸宅跡に建設され、開業前の発掘調査で5万点の木簡が出土した[7]。
- 店舗跡には2003年(平成15年)7月10日にイトーヨーカドー奈良店が開店した[56]。閉店後の詳細については「イトーヨーカドー奈良店」を参照
- 加古川そごう
- 福山そごう
- コトデンそごう
- 高松市常磐町1-3-1 コトデン瓦町ビル 売り場面積29,500m2。
- 1991年(平成3年)11月に高松琴平電気鉄道と合弁会社設立[63]。1997年(平成9年)4月23日開店[64]-2001年(平成13年)1月22日 民事再生法適用申請[65] 4月15日閉店[64]。
- 高松琴平電気鉄道グループが60%、そごう本体と徳島そごう、広島そごうのそごうグループが40%という出資比率となっていたため、他のそごうグループ各店と同時には破綻しなかった[66]。
- 開業時の目標であった売上高300億円を大きく下回って毎期20億円前後の赤字が続いていたところに、そごうグループの再生法適用申請で「そごう」ブランドの信用が低落した影響などで、2000年(平成12年)7月以降の売上高が前年同月比5%から14%減と落ち込んだことから2001年(平成13年)1月22日に民事再生法適用を申請して破たんした[65]。2000年(平成12年)2月期の売上高は約227億円で経常損益は約26.43億円の赤字だった[65]。
- 同社への債務保証が影響し[67]、親会社である高松琴平電気鉄道も同年12月7日に民事再生法の適用を申請(連鎖倒産)した[68]。
- 負債総額は約250.7億円で[69]、2001年(平成13年)11月16日に民事再生の手続きが終わっていたものの、そごう本体を相手に未払い債権の返済を求めて提訴したため、2003年(平成15年)夏に清算を完了している[70]。
- 天満屋が設立した子会社による高松天満屋が2001年(平成13年)9月1日に開店したが[71]、2014年(平成26年)3月31日に閉店している[72]。ビルには2015年10月、専門店を集めた「瓦町FLAG」がオープンした。
- 閉店後の詳細については「高松天満屋」を参照
- いよてつそごう
- 愛媛県松山市湊町5丁目[6]1-1 伊予鉄道「松山市駅」のターミナルデパート。売り場面積23,517m2。
- 1969年(昭和44年)9月[6]1日伊予鉄道と合弁会社設立。1971年(昭和46年)7月5日開店[1]。
- そごう破綻後、2000年(平成12年)12月提携解消、2001年(平成13年)6月1日に「伊予鉄百貨店」と改称の上グループを離脱[73]。2001年(平成13年)10月10日の[74]増床オープンに合わせて「伊予鉄高島屋」に店名変更し[75]、高島屋との資本提携を行い、2002年(平成14年)3月1日に社名も「株式会社伊予鉄髙島屋」とした[76]。旧そごうグループで破綻を免れた唯一の企業。"「伊予鉄高島屋」"
- 小倉そごう
- 北九州市小倉北区京町3-1-1 セントシティ北九州 売り場面積43,774m2。
- 1988年(昭和63年)会社設立。1993年(平成5年)10月10日開店[77]-2000年(平成12年)12月25日閉店[38]。
- 当初は小倉東映の跡地への出店構想であったが、駅前へ出店先を変更している[7]。九州第1号店となるはずだったが、諸般の事情により開店が遅れた。初期投資等515億円の負債を抱え、毎月億単位の借入金返済に追われていた。閉鎖された店舗で最も再生が遅れた。
- 2002年(平成14年)3月10日に地上12階・地下2階建てのうち地下1階から地上4階の約13,000m2を利用して小倉玉屋の仮店舗が開業したが[78]、2002年(平成14年)12月25日に閉店して廃業した[79]。
- 2004年(平成16年)2月10日に小倉伊勢丹と専門店街「アイム」が同時に開業したが[80]、売上高が260億円を大きく下回って2007年(平成19年)3月期で約170億円に留まって約29億円の債務超過に陥ったため目標の2008年(平成20年)3月25日に閉店した[81]。
- 2008年(平成20年)4月1日に「コレット井筒屋」が開業し[82]、改装後の2009年(平成21年)3月11日から「コレット」と改称して営業している[83]。
- 閉店後の詳細については「コレット (百貨店)」を参照
- 黒崎そごう
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そごう柏店
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そごう八王子店
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そごう大阪店
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そごう心斎橋本店
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そごう心斎橋本店
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そごう心斎橋本店
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そごう心斎橋本店
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旧多摩そごう
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旧奈良そごう
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旧加古川そごう
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旧そごう呉店
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旧小倉そごう
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世界展開
経営破綻に至るまでは積極的に展開を行い、中国、香港、台湾、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、イギリス、スペインに 合弁会社、現地法人を設立していた。が、再建中に資本は全て引き上げ撤退した。現在も「そごう」の商標を用いているものもあるが、これはライセンス供与フランチャイズの関係。
- 北京荘勝そごう(中国大陸)
- 北京庄胜崇光百货(北京語読み:ペイジン・チュアンシェン・チョングァン・パイフォ 英文表記:Junefield SOGO Department Store Group Ltd.)
- 北京市西城区宣武門外大街8号 地下鉄4号線菜市口駅 1998年(平成10年)6月[43]24日開店。84,000m2。
- 1998年(平成10年)4月3日設立。荘勝百貨(ジューンフィールド・デパート)グループ。
- 「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ[86]。中国本土で「そごう」を名乗れるのは当グループ店のみ。
- 武漢荘勝そごう 湖北省武漢市礄口区解放大道374号 33,700m2。2000年(平成12年)12月24日開店。
- 香港そごう(香港)
- 香港崇光百貨(英文表記:SOGO Hong Kong Company Limited)
- 香港島銅鑼湾(コーズウェイベイ)1985年(昭和60年)5月31日開店[6]。売り場面積33,000m2[7]。
- 1983年(昭和58年)9月設立。2001年(平成13年)1月 香港企業利福國際グループ (Lifestyle International Holdings)に売却したため、「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ[86]。
- 九龍尖沙咀(チムサーチョイ)支店 2005年9月30日開店。2014年2月閉店。[87] 同年11月、近くにあるシェラトンホテルのショッピングモールに再開。[88][89]
- 詳細は香港そごうを参照
- 遠東SOGO (台湾)
- 太平洋崇光百貨(北京語読み:タイピンヤン・チョングァン・パイフォ 英文表記:Pacific SOGO Department Stores Co., Ltd.)が運営。
- 1986年(昭和61年)3月会社設立。当初はそごうが出資していたが、2002年(平成14年)以降は台湾企業遠東グループの100%出資会社[90]。副会長は日本人・井上哲氏。「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。
- 本社 台北忠孝館 台北市大安区忠孝東路四段45号 1987年(昭和62年)11月11日開店[6]。同店の開店により「ダブルそごう計画(20店舗構想)」が達成された。初日に33万人の来店客を集めた[6]。地上13階建て総面積53,000m2[6]。
- 台北市内の他、中壢(1998年(平成10年)9月開業[43])、新竹、高雄(1996年(平成8年)9月開業[43])に支店がある。 2017年9月1日、店舗名は遠東そごうに変更された[91]。
- 詳細は遠東SOGOを参照
- 廣三そごう(台湾)
- 廣三崇光(北京語読み:クァンサン・チョングァン 英文表記:Kuang San SOGO Department Store)
- 台中市西区台中港路一段299号 36,000m2。
- 1992年(平成4年)3月12日 台湾 廣三建設との合弁で「廣三崇光百貨股份有限公司」設立。
- 1995年(平成7年)11月11日 本館開業。1999年(平成11年)12月6日 2館開業 21,000m2。
- 1998年(平成10年) 債務超過や違法な金銭授受の疑いで廣三建設が財務危機に陥り、曾正仁会長が逃亡。
- 2003年(平成15年) 2館閉店。ビルを活性化するために「廣三崇光國際開發股份有限公司」が設立されたが、5年間に所有者は何度も交代し、スラム化していた。
- 2007年(平成19年) 國泰人壽(キャセイ生命)が2館を13億NT$で買収。それぞれ商業ビルとオフィスビルとしてリニューアルし、再生された。
- 「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。会長は日本人・原島榮一氏、前会長・辻裕氏。[92] 12階には紀伊國屋書店が入居。
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香港そごう 銅鑼湾店
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台北 太平洋崇光
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台中 廣三崇光
- そごうインドネシア SOGO Department Store Indonesia
- 地場財閥「カジャ・ツンガル Gajah Tunggal」との合弁。そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続[86]。中流以上の層を対象としたデパート。
- プラザ・インドネシア店(ジャカルタ) Plaza Indonesia 売り場面積16,000m2[7]。
- クラパ・ガディン・モール店(ジャカルタ) Kelapa Gading Mall
- Jl. Kelapa Gading Boulevard Blok M East Jakarta
- 1995年(平成7年)1月開店。11,000m2。華僑系高級住宅街に立地。
- プラザ・スナヤン店(ジャカルタ) Plaza Senayan
- Jl. Asia Afrika No.8 South Jakarta 紀伊國屋書店入居。
- 1999年(平成11年)10月29日開店。スナヤンはプラザインドネシアと並ぶ高級モール。
- ポンドキンダ・モール店(ジャカルタ) Pondok Indah Mall
- Jl. Metro Pondok Indah South Jakarta 2005年(平成17年)開店
- エンポリウム・プルイット(ジャカルタ) Emporium Pluit Mall
- Kawasan CBD Pluit Jl. Pluit Selatan Raya North Jakarta スーパー無し。
- セントラル・パーク・モール店(ジャカルタ) Central Park Mall
- Jl. Letjen S. Parman Kav.28 West Jakarta スーパー無し。
- コタ・カサブランカ・モール店(ジャカルタ) Kota Kasablanka Mal
- Jl. Casablanca Raya Kav.88 South Jakarta
- パリス・ファン・ジャワ店(バンドン) Paris van Java
- Jl. Sukajadi No.137-139 Bandung
- サン・プラザ店(メダン) Sun Plaza
- Jl. K.H. Zainul Arifin No.7 Medan
- プラザ・タンジュンガン店(スラバヤ) Plaza Tunjungan
- Jl. Embong Malang No.7-21 Surabaya
- ギャラクシー・モール店(スラバヤ) Galaxy Mall
- Jl. Dharmahusada Indah Timur No.35-37 Surabaya
- バリ・コレクション店(バリ・ヌサドゥア) Bali collection
- BTDC Complex Nusa Dua, Nusa Dua スーパー無し。
- ディスカバリー・モール店(バリ・クタ) Discovery Shopping Mall(centro)
- Kartika Plaza Street, Kuta 2006年(平成18年)開店。スーパー無し。
- 地場財閥「カジャ・ツンガル Gajah Tunggal」との合弁。そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続[86]。中流以上の層を対象としたデパート。
- そごうKL SOGO (KL) Department Store Sdn Bhd
- ペナンそごう[7](ペナン州) Penan SOGO
- そごうシンガポール SOGO Department Stores (S) Pte Ltd
- 1984年(昭和59年)1月 シンガポール開発銀行 The Development Bank of Singapore Limited(旧政府系)との合弁会社として設立。国家的プロジェクトとして同行が立地していた場所を開発した「ラッフルズシティRaffles City」[97]に賃貸入居。
- ラッフルズ・シティー店 Raffles City
- Raffles City Shopping Centre 252 North Bridge Road, Singapore
- 1986年(昭和61年)10月25日開店[98]。2000年(平成12年)9月30日閉店[99]。売り場面積12,500m2[7]。
- 撤退後はイギリス資本の ロビンソンズRobinsons(アメリカ系ロビンソン百貨店とは別)、マークス&スペンサーMarks & Spencerが入居。
- タンピネス店 Tampines Store
- パラゴン by そごう Paragon by SOGO
- 290 Orchard Road, Singapore 1989年(平成元年) 6億9000万S$で買収。1996年(平成8年)12月 約6億8230万S$で売却。
- そごうグループを離れた後モール・グループが運営。グッチ、ダンヒル、サルヴァトーレ・フェラガモなどの高級ブランド中心の高級ショッピング・モール。
- ラッフルズ・シティー店 Raffles City
- 1984年(昭和59年)1月 シンガポール開発銀行 The Development Bank of Singapore Limited(旧政府系)との合弁会社として設立。国家的プロジェクトとして同行が立地していた場所を開発した「ラッフルズシティRaffles City」[97]に賃貸入居。
- そごうタイランド SOGO(Thailand)Co., Ltd.
- 1983年(昭和58年)7月設立。タイ アマリン開発公社 Amarin Development Public Co.,Ltd 他 地場資本51%の合弁会社。資本金2,500万B。
- バンコク ラーチャダームリ通り、ラーチャプラソング交差点交差点に庶民派の「アマリンそごう」と高級志向の「エラワンそごう」の2店が隣り合って並んでいた[7]。どちらも大成建設が建てたビル[100]、どちらもそごうタイランドとアマリンが出資しながら、それぞれ独立した会社による運営だった。そごう本体の破綻の都合で撤退。合弁パートナーが撤退する場合、タイ側に株式を譲渡することがタイの法律で定められている[101]ため、2店ともアマリンが引き継いでショッピング・センターを運営することになった。
- アマリンそごう Amarin SOGO Co., Ltd
- 500 Ploenchit Rd., Lumpinee, Patumwan, Bangkok. BTSチッドロム駅と直結。
- 1984年(昭和59年)[7]12月1日開店。アマリン・タワー Amarin Tower 1-4階。そごう海外1号店[7]。売り場面積12,000m2[7]。
- 撤退後、「アマリン・プラザ Amarin Plaza として運営されている。タワー9階にはJCBプラザ、15階には盤谷日本人商工会議所が入居する他、ホテル、スパなどがある。
- エラワンそごう Erawan SOGO Co., Ltd
- 494 Rajdamri Road, Pathumwan, Bangkok.
- 1990年(平成2年)12月4日開店。グランド・ハイアット・エラワン・バンコクビル内。売り場面積13,435m2[7]。
- 撤退後、2004年(平成16年)11月24日から高級ショッピングセンター「エラワン・バンコク Erawan Bangkok として運営されている。「バーバリー」の旗艦店、タイ初出店の「コーチ」などが入居。[102]
- アマリンそごう Amarin SOGO Co., Ltd
- ロンドンそごう SOGO(London) Ltd
- バルセロナそごう SOGO Espana S.A.
- ローマそごう
- ミラノ
- 1991年(平成3年)開店[90]。
- ビバリーヒルズのロデオドライブにショッピングセンターも出店していたが、2.25億ドルで買収したものを1.3億ドルで売却して撤退した[43]。
構想はあったが出店を断念した店舗
北海道地方
- 札幌そごう新館[43]
東北地方
- 仙台そごう - 水島そごう時代[43]およびミレニアムグループの新店舗として仙台にそごうの出店計画が数度あったが、その後断念。
- 郡山そごう - 1983年(昭和58年)1月に国鉄郡山駅前西口市街地再開発ビルの核テナントとして出店が決まり[103]、1984年(昭和59年)1月に郡山市が建設申請を提出して[104]同年10月に申請が受理されていたが[105]、1985年(昭和60年)4月に百貨店を核とする再開発計画に慎重派だった青木久市長が当選した[106]ため、1986年(昭和61年)1月出店断念[107]。予定地には2001年(平成13年)3月に郡山ビッグアイが落成[108]。
- 北上そごう - ツインモールプラザの核テナントとして川徳と出店を競り合ったがバブル崩壊により断念。ダックビブレ(現在はさくら野百貨店)が最終的に進出した。
関東地方
- 土浦そごう - JR土浦駅前の再開発ビルウララの核テナントとして出店予定だったが、1985年(昭和60年)12月に断念[109][110]。その後イトーヨーカドーが出店[109][110]、同店撤退後は土浦市役所となった。
- 成田そごう[43] - 京成公津の杜駅前・ユアエルム成田の核テナントとして出店予定だったが、経営不振により出店断念。その後イトーヨーカドーが出店。
- 千葉ニュータウンそごう ‐ 1996年(平成8年)に印西市に出店予定だったが、ジャスコ(現:イオン、イオンモール千葉ニュータウン内)が出店したため断念。
- 八千代そごう[43] - 東葉高速鉄道開通に伴い、沿線に出店を計画するも、地元の反対、成田・幕張・千葉そごうとの兼ね合いなどの諸般の事情で頓挫。イトーヨーカドー(フルルガーデン八千代)やイオン(イオンモール八千代緑が丘)が出店している。
- JR東日本幕張そごう
- JR東日本との共同計画[111]。千葉市美浜区の幕張新都心にあるJR海浜幕張駅南側の約5,300m2に地上9階建てのビルを建設して出店する計画で約330億円を投じる計画であったが、採算性に問題があるとして計画を撤回した[111]。当初計画1996年(平成8年)春開店予定。1992年(平成4年)3月白紙撤回、断念。
- 池袋そごう - 現在のサンシャインシティへの出店計画[59]。一度は出店が決定したが、池袋駅から地下道を通す条件がクリアできず出店断念[59]。三越直営による「サンシャインシティ・アルタ」などが入居している。
- 新宿そごう - 現在のタカシマヤタイムズスクエアの位置に出店計画があったが[43]賃料が坪3万円を超える見込みとなったことから採算が合わないとして出店を断念した[59]。
- JR東日本立川そごう[43] - JR東日本との共同計画。1993年(平成5年)12月出店発表(共同子会社設立合意)。当初計画1997年(平成9年)開店予定。JR立川駅南口の商業ビルの核店舗として入居予定だったが、1996年(平成8年)6月出店断念[43]。1999年(平成11年)に阪急百貨店との折半出資によるグランデュオが開業。
- 橋本そごう - 現在のイオン橋本店(相模原市)近辺に位置する。JR橋本駅前市街地再開発の一環で、賃料坪単価8,000円以上と競合した近鉄百貨店の2倍の提示額で、地元の京王百貨店を含む競合を退けて1989年(平成元年)10月に出店が決定した[42]。1993年(平成5年)8月に出店凍結し、その3年後に出店契約を解約して正式に出店断念[42]。
- 横浜そごう新館(新・横浜スカイビル[43]) - 1992年(平成4年)6月出店凍結、自然消滅。1996年(平成8年)9月の竣工により丸井横浜東口店(現・マルイシティ横浜)が出店。
- 港北ニュータウンそごう[43] - タウンセンター第2地区の開発計画の一環。コンペには他に横浜高島屋、西武、東急の3百貨店が参加していた。当初計画では建物面積約50,000m2、事業費約500億円。1995年(平成7年)開店予定だったが、その後出店を断念。
- 北千住そごう - 北千住駅の再開発に向けて1988年(昭和63年)出店を発表したが断念し、2004年(平成16年)に丸井が開業した。
- 溝口そごう-JR武蔵溝ノ口・東急溝の口駅前の川崎市主導の再開発ビルのコンペに参加したが、ヤング・ファミリー層から支持を受けた丸井に決定した。
中部地方
- JR名古屋そごう - JR東海と合弁で松坂屋とともに出店候補に挙がったが最終的にはジェイアール名古屋タカシマヤが出店。
- 清水そごう - 狐ヶ崎ヤングランド跡地に1995年(平成7年)の開業を目指すも撤回。現在はイオン清水店。
- 駿東そごう - (駿東郡清水町)バブル期に大東紡績三島工場跡地に東部地区最大の百貨店を計画。バブル崩壊により出店断念。その後ユニーとキミサワが出店を表明するも実現せず最終的には1997年(平成9年)にHome Assistを核とするサントムーン柿田川が開業。
近畿地方
- 茨木そごう - JR茨木駅にほど近い日本たばこ産業の工場跡地に売り場面積85,000m2の百貨店の出店を計画して1991年(平成3年)に出店契約を結んでいたが、経営不振から計画が中止となった[42]。出店予定地にはマイカル茨木(現:イオンモール茨木)が建設され2001年(平成13年)より営業している。開店していた場合は当時最大規模となる郊外型百貨店だった。
- 阿倍野そごう[43] - 現在のあべのキューズタウン(2011年(平成23年)4月26日開業:核テナントはイトーヨーカドーあべの店)の場所に出店を予定していた。
- 中百舌鳥そごう - 南海高野線中百舌鳥駅前再開発への出店計画で西武百貨店と激しい争奪戦を繰り広げたが両社ともに経営悪化で進出を断念した[42]。1992年(平成4年)10月に出店が決定したが[59]、1993年(平成5年)7月出店断念。
- 湊町そごう - 湊町駅前の再開発計画の一環。駅ビルの商業層への出店計画だったが、1992年(平成4年)6月に出店を凍結。
- りんくうタウンそごう - 関西国際空港の対岸部の埋立地「りんくうタウン」に出店を計画[43]。1989年(平成元年)出店構想発表。1990年(平成2年)競合していた三菱地所・近鉄グループと共同分譲を締結した。
中国地方
- 伏見町そごう - 福山駅前の伏見町市街地再開発計画の核店舗として1990年(平成2年)11月に出店を決定した[59]。他社の進出を阻止するための出店計画との見方もされていた[59]。
- 防府そごう - 防府駅北東に位置する街区の再開発計画の一環。防府商工会議所が再開発会社「防府商業近代化株式会社」を設立し、防府市も全面協力という計画だった。当初計画では、建物は面積約20,000m2、初年度売上目標は百数十億円で、1984年(昭和59年)開業予定だったが、その後出店を断念した。同街区は現在、再開発によりマンションや中小規模の商店、防府市立図書館などが入居する複合施設「ルルサス防府」となっている。
- 宇部そごう[43] - 宇部市役所前の新天町一丁目西地区市街地再開発計画の一環。当初構想は、地上14階・地下2階のオフィスタワー、地上8階・地下2階の商業棟(約30,000m2)、地上9階・地下1階の駐車場ビルからなる複合施設を建設するというもの。1988年(昭和63年)に出店表明、1991年(平成3年)に基本構想が宇部市より発表され、1993年(平成5年)の開業を目指していたが、既存の百貨店や地元商店街の反対を受け徐々に開発計画が縮小され、1994年5月に出店断念。
九州地方
- 福岡そごう - 事前のコンペではそごうの出店がほぼ決定していたが、他地域とのバランス面や政治的な動き等により、三越(福岡三越)となった。
- 長崎そごう - 長崎県と国が造成していた長崎港元船地区埋立地への出店計画。1993年(平成5年)に出店を表明したものの、地元商店街からの激しい反対運動を受け、1994年に出店断念。
- 鹿児島そごう - 関係者の話によれば1980年代後半から1992年(平成4年)頃に西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前の一番街アーケード一帯のすべての街区をまるごと潰して再開発する構想があったようだが1993年(平成5年)以降は交渉が進展せず自然消滅した。順調に実現していれば、錦糸町そごう(現在のアルカキット錦糸町)と同時に開店する見込みだった。
海外
- シドニーそごう - 熊谷組と共同で買収した土地にオフィスを併設する超高層ビルを建設し、その中に出店する構想であった[43]。現地ボンド・コーポレーションから買収したシドニーの中心部「パークプラザ」に出店を計画。1998年(平成10年)11月出店断念。
- イスタンブールそごう - イスタンブール市街のタクシム広場周辺に出店を計画。1991年(平成3年)に出店を発表したが、その後断念。
プロ野球球団の応援セール
有楽町そごうが閉店するまでは読売ジャイアンツの応援セールを行っていたが、これは入居する建物(読売会館)の建物所有者が読売グループであることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は三越が引き継ぐことになった。
なお現在は西武百貨店全店(旧ロビンソン百貨店を含む)と同様、埼玉西武ライオンズの応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗は、ライオンズの地元埼玉県にある大宮・川口の2店舗のみが対象である。かつては埼玉県を商圏に含む店舗も対象であり、柏(2015年まで)・八王子(2010年まで)もセール対象だった。
広島そごう(現:そごう広島店)は、広島東洋カープが優勝した際に優勝セールを行っている。2008年まで同球団の本拠地だった旧広島市民球場は徒歩圏内にあった。
そごう神戸店では阪神タイガースの優勝時にセールを実施している[112]。
イッツ・ア・スモールワールド時計(世界の人形時計)
東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーだったそごうの一部の店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形と共にテーマ曲である「小さな世界」を演奏する「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。
1985年(昭和60年)に開業した横浜そごうを皮切りに一部の新規、既存店舗に国内店舗全20台、海外店舗全4台の計24台が設置された。
ほとんどの店舗で地上または地下のメインエントランス部分に設置され、待ち合わせスポットとしても親しまれたが、大阪店(旧店舗)や奈良そごうのように店内に設置されている場合もあった。
そごう破綻後、全盛期に稼働していた18台中の7台は撤去された。茂原そごうや奈良そごうのように撤去費用の面での問題があり撤去されていないもの一部あり、後者は壁で覆われている。人形の修繕工事も定期的に行っており、最初に導入した横浜そごうでは2006年(平成18年)に修繕工事を行った。時計の後ろにはメンテナンス用の扉があり人形の取り外しもできる。時計1つの金額は1億円以上と言われている。
以前、時計の有無にかかわらず全店で毎正時に館内放送で時報を鳴らしていた。曲は冒頭に同様の"It's a Small World"を流した後、時報案内のアナウンスが流れていた。
2008年(平成20年)4月15日を以って「老朽化のため」として、設置されている全店舗で時計のからくり機能の運用を一斉に終了した。この日、最後の運用時に各店舗の店長が観覧客に対して感謝の意を表した。奇しくもこの日は、東京ディズニーランド開園25周年の記念日である。
これらのからくり機能を楽しみにしていた子供達に対し、「おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。」と全てひらがなで書かれた終了告知が一般の告知と共に掲示された。なお、時計自体は撤去されず、文字盤の人形のみ4月15日以降順序撤去され、時刻表示のみの「鐘が鳴る大時計」として現在も使用されている。
そごうの公式ウェブサイトでは、そごう横浜店(横浜そごう)のページのみ4月16日付けで告知された。また、朝日新聞大阪本社版や神戸新聞でも報道された。
この措置はそごうが同アトラクションのスポンサー契約を同日を以って終了したことが実際の理由であり、案内文中の「おやくそく」とは契約の事、「おうちにかえる」は人形の撤去をそれぞれ指していると推測される。時計の下にあった「イッツ・ア・スモール・ワールド」関連の掲示物は全て撤去され、一部店舗の時計にあった東京ディズニーランドのロゴは時計の文字盤同様の色のステッカーを貼り付けて対応した。なお、遠東SOGOの一部店舗では香港ディズニーランドのロゴ・仕様に変更(契約先の変更)した上で、現在も運用されている。そのため、遠東SOGOが香港ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドのスポンサーとなっている。
なお、この時計は同じくかつて東京ディズニーランドのスポンサーだったセイコー製である。
設置店舗
店舗ごとにそれぞれデザインが異なっており、正方形(5×5マス)型・正方形(4×4マス)型・長方形(横)形・長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の4種類がある。時計の両端、もしくは上にカリヨンが併設されている(4×4マス型では時計の左上のマス部分に小さいカリヨンが2つ連なって設置されている)。
鐘の鳴る回数は、以前は時刻に関わらず6回固定であった(奈良そごうは5回、広島そごうは「キーン」「コーン」をそれぞれ1回とカウントし時刻に連動した回数分鳴っていた)が、からくり機能終了後は全店舗で時刻に連動した回数分鳴っている。 遠東SOGO運営の一部店舗では鐘の音色が変更され3回となっている。
- 正方形(5×5マス)型の設置店舗は○。
- 正方形(4×4マス)型の設置店舗は●。
- 長方形(横)形の設置店舗は△。
- 長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲。
日本のそごうの店舗
記号 | 店舗 |
---|---|
○ | 横浜・川口・柏・茂原・多摩・柚木・豊田・奈良・大阪(旧店舗)・西神・福山・呉・広島・徳島 |
● | 大宮・加古川 |
△ | 千葉・神戸・小倉 |
- Old Mobara SOGO clock.JPG
旧茂原そごうの時計。2008年(平成20年)に針と文字盤の数字が撤去された。(2013年2月撮影)
台湾の店舗
記号 | 店舗 |
---|---|
○ | 台中廣三 |
▲ | 台北忠孝館・中壢元化館・高雄 |
- It's a Small World Clock at Taipei.jpg
遠東SOGO台北忠孝店の時計。2008年(平成20年)に香港ディズニーランドの仕様に改修された。(2008年(平成20年)11月撮影)
- It's a Small World Clock Descriptions.jpg
遠東SOGO台北忠孝店の時計の掲示物。説明文と写真は香港ディズニーランドに変更済み。(2008年(平成20年)11月撮影)
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 1.27 1.28 1.29 1.30 1.31 1.32 1.33 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。
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- ↑ “九州一『メイト』開店 黒崎 ショッピングの新拠点”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1979年10月7日)
- ↑ 86.0 86.1 86.2 86.3 86.4 86.5 86.6 86.7 川端基夫 『日系百貨店による海外ツーリスト市場戦略の再評価 : 欧州における 新しい変化』 商学論究 第58巻第4号 (関西学院大学商学部) (2011年3月10日)
- ↑ 香港ポストNo:3042
- ↑ 香港ポスト:尖沙咀そごう、再オープンは11月 [1]
- ↑ そごう香港の公式サイト[2]
- ↑ 90.0 90.1 柳純 『日系小売企業の海外展開と戦略』 佐賀大学経済論集 第45巻第1号 (佐賀大学経済学会) (2012年4月)
- ↑ ワイズ経済ニュース2017年8月25日15:36
- ↑ ウィキペディア中国語版廣三崇光百貨から翻訳
- ↑ “東南アジアで日系デパート戦争”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年3月8日)
- ↑ ウィキペディア英語版より翻訳
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- ↑ ビジネス&ファイナンス
- ↑ 沖縄観光ニュースNo.402 1992.10.15
- ↑ “シンガポール 百貨店進出ラッシュ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年10月6日)
- ↑ “そごうシンガポール店が閉店 14年の歴史に幕”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2000年10月1日)
- ↑ 大成建設実績紹介
- ↑ タイにおけるM&A法制度
- ↑ バンコク週報2004.11.15
- ↑ “そごう郡山進出 郡山の将来性に着目 商業界に衝撃 進出阻止運動の動きも” 福島民報 (福島民報社). (1983年1月12日)
- ↑ “市が建設申請提出” 福島民報 (福島民報社). (1984年1月15日)
- ↑ “再開発ビルの建設申請受理” 福島民報 (福島民報社). (1984年10月5日)
- ↑ “市長選 青木氏が初陣飾る” 福島民報 (福島民報社). (1985年4月8日)
- ↑ “「郡山そごう」出店を断念 市の対応に不信感” 福島民報 (福島民報社). (1986年1月8日)
- ↑ “経済県都発展のシンボル 郡山駅西口再開発ビル 「ビッグアイ」落成式 駅前広場も完成祝う 滝のモニュメント、からくり時計” 福島民報 (福島民報社). (2001年3月23日)
- ↑ 109.0 109.1 森義弘「中心市街地活性化の核「URALA(ウララ)」誕生〜土浦駅前地区第一種市街地再開発事業竣工〜」、『新都市』第51巻第11号、都市計画協会、1997年11月、 56-62頁、 NAID 40001929740。
- ↑ 110.0 110.1 「土浦駅前地区第一種市街地再開発事業 ウララ」、『近代建築』第51巻第12号、近代建築社、1997年12月、 75-82頁、 NAID 40000778683。
- ↑ 111.0 111.1 館沢貢次 『総点検 JRという「株式会社」の真実 その将来性はどの程度の「買い」か?』 こう書房、1992年5月1日。ISBN 978-4769604488
- ↑ “INAC神戸、優勝なら神戸で「Vセール」実施”. スポーツニッポン. (2010年10月30日) . 2017閲覧.
関連項目
- 西武百貨店
- ロビンソン百貨店
- ミナミ
- 有楽町で逢いましょう - 1957年(昭和32年)にフランク永井が歌った流行歌。翌1958年(昭和33年)には大映で映画化された。元々はそごう東京店開店時のキャッチコピー。
- 東京ディズニーリゾート - 東京ディズニーランドは開園当時(1983年(昭和58年)4月15日)、東京ディズニーシーは2003年(平成15年)4月12日から2008年(平成20年)4月15日まで、以下の施設のスポンサーをつとめていたが、現在は撤退している。
- 東京ディズニーランド - イッツ・ア・スモールワールド
- 東京ディズニーシー - ドックサイドステージ
外部リンク
- そごう - 株式会社そごう・西武
- 遠東そごう
- 広三そごう
- 香港そごう
- 北京そごう
- インドネシア・そごう
- そごうクアラルンプール
- そごう 経営破たん - NHKアーカイブス