西武百貨店
西武百貨店(せいぶひゃっかてん)は、セブン&アイ・ホールディングス傘下の株式会社そごう・西武が運営する百貨店の旧称である。現在は西武(せいぶ)。また、株式会社 西武百貨店は、2009年7月31日までこれを運営していた企業である(法人としては解散)。
2009年8月1日に、株式会社 西武百貨店が、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社そごうと3社合併(株式会社そごうが存続会社となり商号変更)したことで、現在の運営会社になっている。合併前の株式会社西武百貨店は、かつての総合流通グループセゾングループの中核企業で、以前は第一勧銀グループ(現:みずほグループ)の一員でもあった。もともとは西武鉄道と同一のグループであったが、西武鉄道創業者堤康次郎の死後、現在の西武グループとセゾングループに分裂した。
概要
ファッションの総合商社
辻井喬のペンネームを持った小説家でもある堤清二は、日本の百貨店で、最初にパリにオフィスを構え、エルメス、イヴサンローラン、1962年にはピエール・カルダンと並ぶコンチネンタル・ルックの旗手としてパリで人気を博していたテッド・ラピドスと提携、1975年 - 1976年にかけての第一次アルマーニブームや欧米の高級ブランドをいち早く取り入れ、時をほぼ同じくしてヨーロッパの高級DCブランドを次々に導入。1984年にはついに、海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社「大沢商会」を傘下に収めたことで、事実上、国内高級ブランドのホールセールを独占。ファッションの総合商社「西武百貨店」が完成する。こうして西武は、日本一ブランド力のある百貨店の名をほしいままにした。
ソニア・リキエル、ミッソーニ、ジャンフランコ・フェレ、ルイフェローなどの日本代理店になり、ケンゾー、イッセイミヤケ、タケオキクチ(メンズビギ)などを最初に導入したのも西武である。シブヤ西武(現:西武渋谷店)には、幻のショップ「カプセル」を設置し、デビュー間もない川久保玲(コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎、イッセイミヤケ、タケオキクチら、新手のデザイナーらを後押しした。プライベートブランドの開発でも当時、日本ではまだ無名であったラルフローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。また、時代を先取りし過ぎていたために閉館した「SEED館」の試みは、現在では一般的であるセレクト型編集売場の先駆けでもあった。ちなみに、エルメス・ジャポンとラルフローレン・ジャパンの筆頭株主は西武百貨店であった。
また「イメージ戦略」を打ち出し、「おいしい生活」、「不思議大好き」など糸井重里らによる名キャッチコピーでも知られた。更にはパルコ、ロフト、無印良品、コンラン卿と提携した家具・インテリア専門館「ハビタ館」、世界中のレコードが入手できるといわれた「WAVE」、西武が設立に関わったFMラジオ局「J-WAVE」、大型書店「リブロ」、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛け、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」、高級スーパー「ザ・ガーデン自由ヶ丘」、日本初の総合スポーツ専門館「西武スポーツ館」、リボン館、PAO館などの異業態を次々に起こし、セゾン美術館、銀座セゾン劇場、渋谷パルコ劇場、パルコ・クアトロ、東京テアトル、パルコ出版など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。それは、セゾン文化[1]と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。
ブランド力を生かして店舗網を拡大。また、同じセゾングループの西友が西武百貨店のブランド力を生かし「西武」を名乗った百貨店型店舗を運営し、全国に西武網が拡大した(西友運営の「西武」は1998 - 2000年にかけてLIVINに改称)。
一方、日本百貨店経営協議会(JMA)事務局により地方百貨店の系列化も目指した。
有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ
1992年、和田繁明が会長に就任。堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表。この中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。
バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコ等セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、更に最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して1000億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。しかし1999年、銀行側との折り合いが悪くなり和田は突如退任し完全に身を引いた。しかしながら、銀行からの要請もあり、2000年に民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうに特別顧問(のち社長)として和田が就任。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れる手法で(しかし、西武百貨店とそごうとの資本提携は行わずに)そごうの経営再建を進めた。このことがはからずも、後年西武百貨店とそごうが経営統合するにいたる大きなきっかけとなった。
西武百貨店の再建に明るい兆しが見えて来た所で、西洋環境開発の不良債権処理をめぐりセゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも再び経営不安がささやかれた。このとき、西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた「株式会社十合」であった。2003年から2004年にかけ後藤高志らの支援で十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で西武百貨店を完全子会社化し、株式会社十合がミレニアムリテイリングに商号変更したことで、そごうと西武百貨店の経営統合が実現。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになった。この事業持株会社方式の経営統合が、双方ののれん(屋号)を維持しながら経営の合理化を実現した点で、のちに行われた大手百貨店どうしの経営統合に少なからず影響を与えている。
なお、関西地区(東海=愛三岐も含む)の西武百貨店は1976年(昭和51年)に開店した大津店を皮切りに西武百貨店関西によって運営されていたが、業績不振により西武百貨店(本社)へと統合された。しかし、その後も関西地区での業績は伸びず、関西の西武百貨店のシンボル的存在でイトマン事件の舞台になった「つかしん(塚新)店」(現グンゼタウンセンター つかしん、尼崎市、1985年開店)が2004年5月9日に閉鎖される遠因ともなった。
その後、再建を確かなものとするためにミレニアムリテイリングは野村プリンシパル・ファイナンスなどを引受先とする増資を行い、事業持株会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパル・ファイナンスと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、2005年12月にミレニアムリテイリングの代表であった和田がセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた(自らは2007年健康上の問題が理由として引退)。この結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大の流通グループが誕生した。
セブン&アイ・ホールディングス傘下へ
2006年6月にセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収、完全子会社(百貨店事業の中間持株会社化)となり、西武百貨店とそごうはセブン&アイグループの一員となった。
セブン&アイグループ入り後しばらくは、そごうとともに独立色が保たれていたが、2009年2月には、百貨店では極めて珍しいイトーヨーカ堂・セブン-イレブンで扱われているプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」が池袋本店の食品売り場(デパ地下)に導入された。最終的に両社の全店舗に導入される予定である[2]。日経によると、百貨店の売上不振の原因が高額商品に偏りすぎているため、日常的なアイテムであるPB商品を導入して品揃えを増やして、売り上げを高めるためと報じている。同年8月1日、そごうがミレニアムリテイリングと西武百貨店を吸収し、「そごう・西武」が発足。そごうとの提携開始から9年目で一社化となった。
2006年2月期の西武百貨店全店における、国内百貨店事業単体の営業利益率は、4.18%で百貨店業界2位。ちなみに1位が大丸の4.4%、3位が阪急百貨店の4.06%である。西武百貨店池袋本店の年間来店客数は東京ディズニーリゾート(約2600万人)を上回る7000万人[3]で日本第1位。
沿革
- 1928年 - 後に西武福井店となる「だるま屋」が創業。
- 1933年 - 日本橋の呉服店系老舗百貨店の白木屋(1662年創業)と京浜電気鉄道が共同で設立した京浜百貨店が、1935年に「京浜デパート池袋分店」として、「菊屋デパート」の名称で池袋駅東口に出店したデパートが始まり。
- 1940年 - 西武鉄道の前身・武蔵野鉄道が「菊屋デパート池袋分店」を買収。武蔵野デパートと改称。
- 1943年 - 武蔵野食糧株式会社に商号変更(「武蔵野デパート」の店名は変わらず)。
- 1947年 - 帝都百貨店の吸収を行い、株式会社武蔵野デパートと商号変更[注 1]。
- 1949年4月27日 - 株式会社西武百貨店と商号変更(店名も「西武百貨店」に変更)。
- 1952年9月20日 - 西武百貨店第一期開店。その後、順次増改築を繰り返し、大規模なターミナル型デパートとなって行く。
- 1955年 - 堤清二が取締役店長に就任。
- 1956年
- 1957年
- 1960年6月 - 商事部特需課に自動車係を設置。(1961年8月に自動車課に格上げ)
- 1962年
- 3月14日 - ロサンゼルス店開店。
- 10月 - 自動車課が西武自動車販売株式会社として独立。
- 1963年
- 1964年3月 - 日本百貨店共同仕入機構発足。地方百貨店との業務提携開始。
- 1967年9月22日 - 船橋店開店[5]。
- 1968年
- 1969年
- 1970年代以降 - 増田通二が開発したパルコの成功にヒントを得た「文化戦略」を打ち出す。
- 1970年
- 4月 - 東京丸物を店名と同じ株式会社パルコに社名変更(後にセゾングループを離脱し、J.フロント リテイリング傘下となる)。
- 6月11日 - 静岡店開店。
- 10月29日 - 八王子店開店。
- 1971年
- 1974年11月15日 - 西武百貨店関西高槻店開店(当初の開店は1973年9月末を予定していたが、直前に放火による火災が発生し、開店が延期された)。
- 1975年
- 1976年11月16日 - 西武百貨店関西大津店開店。
- 1980年
- 日本百貨店共同仕入機構を日本百貨店経営協議会(JMA)に改称。
- 8月 - 緑屋は西武クレジット(後のクレディセゾン)に社名変更。
- 1981年6月 - 西武クレジットが西武流通グループのクレジット・ファイナンス基幹会社としてスタート。
- 1982年
- 1983年 - 池袋西武が売上高日本一へ(他店舗の売上高などを含む[注 2])。
- 1984年4月27日 - 西武秋田店の前身「本金(ほんきん)西武」開業
- 1984年10月6日 - 有楽町マリオンに西武百貨店が進出。なお、二期ビル(有楽町西武地下2 - 4階など)が完成したのは1987年。
- 1985年3月 - 西武流通グループから「西武セゾングループ」と改称してからは急成長を遂げ、地方百貨店との提携や、西友運営の西武店(LIVINの項目参照)などで店舗網を増やし、西武鉄道沿線やコクド(現・プリンスホテル)の拠点を抜け出し、全国制覇が実現した。
- 1986年4月25日-西武所沢店開店
- 1989年10月 - <西武>を廃し「セゾングループ」と改称、独立色はより鮮明となった。
- 1995年10月 - 高級スーパーのシェルガーデンを子会社化し、池袋西武の地下二階に「ザ・ガーデン自由が丘」の名称で初めて導入。
- 1996年6月 - クラブ・オンメンバーズシステム導入。8月、株式会社ロフト設立、分社化。
- 1997年
- 10月、情報化促進貢献企業として「通産大臣賞」受賞。
- 12月25日 - 浜松店が閉店。
- 1998年10月 - ロイヤルスカンジナビア社(デンマーク)との間で業務提携。
- 1999年
- 1999年10月7日 - 西武東戸塚店開店
- 2000年 - 伊藤忠商事株式会社と事業協力で業務提携。「株式会社有楽町西武」を吸収合併。
- 2001年 - 株式会社西洋環境開発を清算し、「セゾングループ」が実質的に崩壊する。
- 十合と包括的業務提携を締結。株式会社イルムスジャパン設立、分社化。
- 2002年2月 - 十合・西武統合商品部(SSMG)発足。
- 2003年
- 2月 - 私的整理に関するガイドラインに基づく再建計画成立。
- 5月 - 株式会社十合が筆頭株主となる。
- 6月 - ミレニアムリテイリンググループ発足。
- 2004年
- 「株式会社本金西武」を吸収合併。
- 9月 - ミレニアムリテイリングの完全子会社となる。
- 2005年9月 - 池袋西武を「西武池袋本店」に名称変更。
- 2000年9月22日 - 西武岡崎店開店
- 2006年 - 有楽町西武の構造改善し、「ビューティー館」と「ファッション館」をオープン。
- 2007年
- シブヤ西武を約80億をかけて改装。日本最大のブランド数のラグジュアリーゾーンやビューティーゾーンを設け、食料品を扱うデパ地下を再開。
- 9月14日 - 所沢西武リニューアルオープン。自主編集売場やビューティーゾーン、食のゾーンを展開。
- 2008年 - 2010年 - 「ファッションの西武」の復権を賭け、総額400億を掛けて池袋西武構造改善。東京メトロ副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙う。
- 2009年8月1日 - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更(店名は、「そごう」「西武」を維持(「西武百貨店」という表記は使用せず))。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。同時に店舗表記もこれまでの「○○西武」から「西武○○店」に全店舗統一された。以後、「西武百貨店」という表記は一切使用していない。
- 2010年12月25日 - 有楽町店が閉店。
- 2013年
- 2016年
- 2017年
- 2月28日 - 八尾店・筑波店が閉店。(八尾店は同年3月1日に商業施設として再オープン後、9月にLINOASとして再開業・筑波店は閉鎖)
- 10月1日 - 高槻店がエイチ・ツー・オー リテイリンググループに事業承継。
- 2018年
- 2月28日 - 船橋店・小田原店が閉店(船橋店は複合施設に転換する予定)。
店舗
東北
秋田店
- 秋田市中通2-6-1 秋田中央ビルディング 秋田駅前 売場面積10,739m2(ザ・ガーデン自由が丘SEIBU部分を除く)。
- 1984年4月27日、本金と西友との合弁により「本金西武」として開店。
- 2005年3月1日、吸収合併により西武百貨店直轄店となった。
- 開業当初からイトーヨーカドー秋田店(後.ファッションビル「フォンテAKITA」)と隣接しており、地下連絡通路で繋がっている。そごう・西武が、セブン&アイグループ入りしてからは合同セールも実施。また、フォンテにはザ・ガーデン自由が丘SEIBUやロフトが出店し、補完関係となっている。なお、2013年9月1日、ザ・ガーデン自由が丘SEIBUは、シェルガーデンからそごう・西武本体へ運営が移管され、西武秋田店内に同店への経路を示す案内看板が設置された。
関東
池袋本店
- 豊島区南池袋1-28-1 西武鉄道池袋駅 売場面積81,623m2。
- 開店:1940年3月(武蔵野デパート)
- セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」の位置づけ(注:「旗艦店」ではない)[7]。
- 池袋本店の営業利益率は10%に達する。年間来店客数は約7000万人に達し、集客数・店頭売上高とも国内屈指の数値である[注 3]。
- ファッションに関心が高い顧客層に根強い人気があり、前述のように「ファッションの西武」と呼ばれ、MDや売場編集能力も高い。1999年にはデンマークのインテリアショップのイルムスと提携して、「イルムス館」(現:別館)をオープンさせ、スカンジナビアモダンの流行のさきがけをつくった。また、池袋本店のデパ地下は、ザ・ガーデン自由が丘を出店させるなど、昔から他を圧倒する品揃えと人気があり、デパ地下ブームの火付け役になった。
- 日経MJの2002年の調査や、インターワイヤードの2005年の調査では、首都圏人気デパ地下ナンバーワンにも選ばれている。としまえんや豊島園 庭の湯、ラクーアなどが近いことから水着の売上枚数も国内有数である。
- また、数多くの文化施設から次々に新鮮な企画が打ち出された。新進作家の小物を展示即売する「クリエイターズスペース」、ビデオ・舞踏・落語などのイベントが行われた「スタジオ200」、ソフトが豊富だった「ビデオポート」、ビデオ制作の「スタジオテック」、出張撮影が依頼できる「キネテック」、貴重盤の多い「ディスクポート」、演劇ショップの「ワイズフール」など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。
- 2008年から2010年には、「ファッションの西武」の復権を賭け、総額400億を掛けて構造改善・耐震化工事を実施。副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙った。この大改装の仕上げとして、地下1階の旧ルノートルカフェ部分には、新たに「光の時計口」を新設し、JR南口方面や地下鉄有楽町線方面から西武池袋線への乗り換え客をデパ地下へと誘導しやすい作りへ変更した。また、地下・地上すべてのエントランスにおいてリニューアル工事を行い、白を基調とした明るい感じへと刷新された。
- 旧セゾングループの象徴的なものでもあった、東池袋方面からも確認できる大看板からはLoft・PARCOの文字が消え、西武東口を出た箇所の壁面にある袖看板も新しいものに変更。また、懸垂幕広告も以前は大看板のすぐ真下・8階部分まで掲示していたが、レストラン街リニューアルに伴い、8階部分の展望可能な窓を増やし、懸垂幕については7階の高さまでの掲示へと変更した。
- 長らく「イルムス館」として営業していた別館には、無印良品の旗艦店が新たに入居し、すべてのフロアの床面をリニューアルし、インテリアフロアとこども服フロアを入れ替えたりと、都内百貨店としては近年稀にみる大掛かりな改装となった。
- 最後に改装の締め括りとして、三越池袋店の閉鎖に伴い地下1階にて期間限定ショップとして仮入店していたLouis Vuittonが、旧第一勧銀池袋支店[注 4]跡である、1階PARCO寄りに約14年ぶりに復活入店した。
- 2008年6月に東京地下鉄(東京メトロ)副都心線が開業した際には、池袋の顧客が新宿・渋谷等の百貨店に流出するのを防ぐため、長年ライバル関係にあった東武百貨店と協力して様々な取り組みを行った[注 5]。
- 併設の池袋西武簡易郵便局は日本に唯一残ったシティポストである。
渋谷店
- 渋谷区宇田川町21-1[8] A館とB館の売場面積の合計40,033m2。
- 1968年4月19日開店。初期は「シブヤ西武」と表記された。
- A館=渋谷松竹映画劇場、B館渋谷国際(東急系)跡。建物所有は松竹映画劇場株式会社で、全棟借りで入居。なお、開店初日のセレモニーには、ライバルでかつ渋谷に地盤を持つ東急グループ総帥(当時)五島昇も出席した。
- 「両館の間にある井の頭通りの地下には暗渠化された宇田川が流れているため、両館のあいだには地下連絡通路はなく、代わりに3階、5階、屋上階に空中連絡路が設置された」と言われることが多く、そのような記述の著作もある[9]が、実際には地下3階に宇田川の下を通る形で地下連絡通路があり[10]、従業員用として利用されている。
- 当初、シブヤ西武は、駅から離れているため集客・売上が伸び悩んだ[11]。東横百貨店のある渋谷駅から買い物客を呼び込むため、宇田川町一帯を魅力的な市街地に変身させる「街づくり」に着手した。1973年西武劇場、若年層にターゲットを絞ったファッションビル渋谷パルコ、1975年、パルコパート2を開業[11]。さらに 1986年シード館、1987年ロフト館など、新しいコンセプトの別館も開館。1985年THE PRIME、1986年クアトロ・バイ・パルコ等、セゾングループ全体で新しい商業ビルを続々オープン、公園通り、スペイン坂といった新ネーミングをつけることによって町のイメージも一新、「セゾン文化」の流行発信基地として成長させていった。
- こういった一連の動向が東急グループにも波及、1979年ファッションコミュニティ109、1988年Bunkamura等が開業し、渋谷は東京一の最先端のファッション・タウンとして発展することになった。
- バブル経済崩壊後の1990年代前半、西武は小田急百貨店の母と子の原宿カリヨン館の成功を真似た 「キッズファームパオ」を公園通り入口に開業した。しかしながらこの施設は数年で閉鎖され、建物は現在タワーレコード渋谷店となっている。
- 2007年3月、規模改装を実施。高級品に特化した店舗として、高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」が設置された。さらに、54のブランドが出店する「ラグジュアリーゾーン」や、エステなどが揃う「ビューティーゾーン」を設けるなど、渋谷店独自の展開がなされた。また、地階の食品売場も「グルメマルシェ」として再開。翌2008年4月 開店40周年に際しては、デザイナーズブランドを一堂に集めて販売する「クリエーターズ・ウィーク」の開催などの各種イベントが行われた。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」。
所沢店
- 埼玉県所沢市日吉町12-1 ワルツ所沢 西武鉄道所沢駅西口 売場面積23,667m2。
- 1986年4月25日開店。所沢駅西口第一種市街地再開発事業[12]。
- 所沢市には西武ホールディングス本社があり、埼玉西武ライオンズ優勝時には記念セールが大々的に開催される。但し、現在の「そごう・西武」と「西武ホールディングス」には全く資本関係が無いので、あくまでスポンサーとしての関係である(そごう・西武はライオンズのスポンサーとして、各種セールを開催する権利を有している)。
- 店内8階には1986年4月25日の開店と同時に開館した映画館「シネセゾン所沢」があったが、2003年5月28日に閉館。閉館後改装され、イベントスペース「ワルツホール所沢」となっている。
- 2007年に改装を実施。「自主編集売場」「食のゾーン」「ビューティー&ケアゾーン」を設置した。
- 2012年3月30日、店長と正社員全員を女性とする新しい取り組みを開始[13]。「性差別」に対する抗議の声も興った[14]。
- 2017年5月26日、従前婦人服売り場であった1階を食品売り場に改装し、既存の地下1階部分とあわせ、2フロアを食品売り場とした西武食品館がグランドオープンした[15][16]。
東戸塚店
- 横浜市戸塚区品濃町537-1 オーロラシティ 東戸塚駅前 売場面積35,367m2。
- 1999年10月7日開店。郊外型「2核1モール」ショッピングセンターを展開するに当たって立ち上げたデベロッパー「株式会社ミレニアム企画」による第1号。当初は、オーロラモール及びオーロラモールアネックスは、株式会社ミレニアム企画の運営だったが、現在はオーロラモール及びオーロラモールアネックスについてもそごう・西武の運営。東戸塚西武+オーロラモール、駐車場棟、オーロラモールアネックス、イオンスタイル(旧:ダイエー)で構成されている[17]。
中部
福井店
- 福井市中央1-8-1 福井駅前 売場面積25,691m2。
- 1928年「だるま屋」として創業。セゾングループ資本参加後は、地域法人「だるま屋西武」「西武北陸」による運営期間を経て1993年、西武百貨店に吸収合併され直営店舗となる。西武百貨店運営の下でも長らく「だるまや西武」の名称であったが、2006年、「福井西武」へと改称された。
岡崎店
- 愛知県岡崎市戸崎町外山38-5 イオンモール岡崎 岡崎駅より名鉄バス戸崎町下車 売場面積15,387m2。
- 2000年9月22日開店。
- 郊外型「2核1モール」。ミレニアム企画によるイオンとのコラボレーション第1弾として取り組んだが、実績が予算を下回ったため、浜北店など後続計画は撤回。以降、イオンモールへの出店はしていない。また、のちに西武百貨店自体がセブン&アイ・ホールディングスの傘下となったため、結果的にライバル企業のショッピングモール内に入居する形となってしまっている。
近畿
大津店
- 滋賀県大津市におの浜2-3-1 西武大津ショッピングセンター 京阪膳所駅から500m 売場面積28,364m2。
- 1976年6月18日開店。滋賀県初の百貨店である彦根市のマルビシ百貨店が閉店して以来約20年ぶりに再進出した百貨店で、1997年に近鉄百貨店草津店が開店するまでは滋賀県唯一の百貨店であった。京都-大津間は電車で10分の位置関係にあるため関西大手の進出が無かったが、滋賀県は西武グループ創始者堤康次郎の出身地ということで、西武流通グループ初期に出店した(近隣にパルコも出店している)。西武百貨店関西としては2号店。高槻店同様、郊外型ショッピングセンターのコンセプトが導入されている。同店は地階売り場が無く、食料品売り場は1階。日用ユースにも対応している。建物設計は菊竹清訓。6階にはピラミッド型のガラス張りの所があり、かつてはその中に水が流れ、木も生えており、鳥などを飼っていた(現在はペットショップとなっている)。
- 西武グループも同様の理由でびわ湖大津プリンスホテルをにおの浜に展開している。
他社に事業承継された店舗
下記の高槻店は、2017年(平成29年)10月1日付でエイチ・ツー・オー リテイリンググループのエイチ・ツー・オー アセットマネジメントに事業が譲渡されている。
高槻店
- 大阪府高槻市白梅町4-1 オーロラモール JR高槻駅前 売場面積38,964m2。
- 1974年11月15日開店。「西武タカツキショッピングセンター」として開店。
- 高槻市の「国鉄高槻駅前再開発事業」に対応して、1971年「株式会社西武百貨店関西」を設立しての1号店。
- 1973年に大規模小売店舗立地法が施行されたのを受け直営売場を削って各フロアに専門店を入居させる試みを行った、モール併設型店舗の先駆けであった。
小型店
2011年10月から展開を開始したセレクトショップ。同じセブン&アイグループのイトーヨーカ堂店内に、西武のサテライトショップを設けることによって、従来百貨店でしか扱っていなかったブランドを、より身近な場所で購入できるよう顧客の便宜を図った。また、アリオ仙台泉出店時からは新戦略として「SEIBU KIREI」も導入。こちらもまた百貨店でしか扱えなかったブランド化粧品をコンサルティング販売する[18]。イセタンミラーが首都圏の駅ビル中心なのに対し、地方都市郊外店からスタートさせた。
しかし不採算を理由に、旧:沼津店(後述)の代替として営業している三島ショップを除いて、2017年中に閉店する方針であり、2016年以降順次閉店している[19][20]。「西武・そごう」名義の小型店についても、後に武蔵小杉SHOPが、西武拝島ショップと同じく2017年8月27日(当初は31日の予定だったが、後に変更)に閉店と発表された[21][22]。一方で柏SHOP(旧:そごう柏店の代替)は引き続き営業を継続するため、2017年9月以降、小型店は三島・柏の2店舗のみになる[23]。
店舗
- 西武三島ショップ
- イトーヨーカドー三島店2階、2015年9月4日開店。前述のとおり、旧:西武沼津店の代替店の位置づけで、西武・そごう柏SHOP(旧:そごう柏店の代替店)と共に2017年9月以降も存続する小型店。
過去に存在した店舗
以下は、過去に存在した西武百貨店の店舗である(△は現在建物が解体された店舗)。
直轄店
関東
- 筑波店
- 茨城県つくば市吾妻1-7-1 つくばクレオスクエア つくば駅直結 売場面積25,258m2。
- 1985年3月8日開店。1968年着工した筑波研究学園都市では、センターゾーンに居住民の便益に資するようショッピングセンター(SC)の建設が予定された[24]。だが当時の開発地域圏の人口は3万人にも満たない程度であったため、国や地元自治体から出店を要請された百貨店各社は、採算ベースに乗らないとしていずれも要請を固辞していた[25]。そのような中、西武百貨店は当時の社長であった坂倉芳明が強硬に出店に反対するも、会長であった堤清二が押し切り出店を決定した[26]。筑波店は、同月に開幕したつくば万博に照準を合わせて建設されたCREO(クレオ)と命名されたSC内に、堤からの「第二のパビリオンを作りましょう」との指示を具現化すべく、ストア・オートメーションなどの先端技術を一般消費者に理解させる店舗として[27]、「ロボット・インフォメーション係」「自動倉庫」などが設置されオープンした。しかし、見学に訪れる客は多かったものの、買い物をする客は僅少で集客の目玉として併設された映画館には客が1人も入らない日はザラで、マスコミには筑波店は閑古鳥が鳴いていると報じられた[28]。しかしながら万博終了後、パビリオン的構成から地元の顧客志向にあった商品を販売するマーチャンダイジング(MD)に変えた以降、購入客も増えそれに伴い業績も上向きに転じた[29]。その後CREO、MOG(モグ)、Q't(キュート)の3部分からなる「つくばクレオスクエア」に発展した。2005年につくばエクスプレスが開通するまで、当地における公共交通機関はバス便のみであった。
- 2016年8月2日にセブン&アイ・ホールディングスが、業績が低迷していることなどを理由に閉店を発表し、2017年2月28日に閉店した[30][31]。同日に閉店した八尾店とは異なり、CREOの西武百貨店の部分がすべて閉鎖[注 6]されることになり、西武百貨店内で営業していた一部店舗はMOG・Q'tに移転した。
- 西武スポーツ吉祥寺
- 武蔵野市吉祥寺本町1-10-1 いなりやビル
- 宇都宮店
- 本館:宇都宮市馬場通り2-3-12[8]
- 1971年6月17日開店。2002年12月25日 閉店[33]。
- 2003年11月「ラパーク長崎屋宇都宮店」が開店。2010年8月「MEGAドン・キホーテ ラパーク宇都宮店」に業態転換。
- ロフト館:宇都宮市曲師町2-8
- 1999年3月閉館。2001年7月より商業複合ビル「宇都宮Festa」。
- 大宮店
- さいたま市大宮区宮町1-60 三栄ビル
- 市川店△
- 市川市市川1-21-3
- 鎌倉店
- 鎌倉市小町1-4-1
- 1959年9月に開店。1973年2月閉店。
- 食料品中心の小型店ではあるが、開業当時は唯一の東京資本の店として人気があった。しかし1970年代に入ると隣地に東光ストア、隣接する藤沢市に大型店の出店が相次いだため求心力を失い閉店するに至った。
- 跡地は第一勧業銀行ATMコーナーを経て、御代川に譲渡され「日本料理鯉之助」と「すし処きみ」となっている。
- 八王子店
- 東京都八王子市中町2-1[8]
- 1970年10月29日直営店として開店。1993年8月閉店。
- 八王子は古くから繊維産業と甲州街道の交通の要所として栄え、大手の進出が規多かった。1970年代は同店と伊勢丹、大丸、ダイエー、丸井がそろい踏みしたが、地元商店街への気兼ねから、いずれも1万m2程度の小規模であった。このため、1983年八王子駅ビルに3万m2を超えるそごうの進出を期に淘汰されていくことになった。
- 同店はコスト削減を目指し、1991年6月 西友百貨店事業部に移管、組織上「株式会社錦糸町西武」八王子店となったが、業績は回復することは無かった[39]。
- 閉店後、建物は売却され、1998年より「グランド東京ビル」となり、日帰り入浴施設「ホテルグランスパ八王子-やすらぎの湯」となった。1階はパチンコ店「コスミック八王子店」。 尚、錦糸町西武は西友と東京楽天地の合弁会社だったが、1997年3月西友本体に吸収合併されている。
- 春日部店
- 埼玉県春日部市粕壁東2-5-1 2-5-1、東武鉄道春日部駅東口徒歩7分。売場面積23,260m2。
- 1985年11月28日「ロビンソン百貨店春日部店」として開店。2013年3月1日に転換[40]。
- セゾングループ時代にも出店する予定だったものの、建設計画中に開店時期を巡って契約を解除したため、代わってイトーヨーカ堂が「ロビンソン百貨店」として出店[41][42]。
- 開店当初は売り上げが好調であったものの、その後ロードサイド店の進出や、2013年3月に開業したイオンモール春日部に顧客を取られ、売り上げ不振に陥ったため2016年2月29日をもって閉店[43][44]。
- 閉店後は、家具販売の「匠大塚」が土地・建物を買い取り[45]、「匠大塚 春日部本店」として2016年6月29日開店[46]。
- 千葉県船橋市本町1-2-1[8] 船橋駅南口 売場面積34,649m2。
- 1967年9月22日開店[5]。本格的な多店舗展開のスタートになった店舗。1977年増築。
- 本館とロフト館からなり、本館と京成船橋駅直結の船橋フェイスビルは地下道で繋がっており、同系列のイトーヨーカドーも隣接していた(ヨーカドーは駅北口側)。
- 1991(平成3)年度の売上高551億円をピークに業績が低下、駅と直結する東武百貨店船橋店や、ららぽーとTOKYO-BAY、さらに2012年4月に隣の東武アーバンパークライン新船橋駅前に開業したイオンモール船橋などとの競争に晒され、2016(平成28)年度の売上高は169億円とピーク時の3割まで低迷していたことなどを理由に、2018年2月28日を以て、西武百貨店、ロフトともに営業終了[47]、跡地については複合施設化を検討中。
- 小田原店
- 神奈川県小田原市中里208。鴨宮駅より箱根登山バス利用10分。店舗面積31,200m2。
- 2000年9月28日にイトーヨーカドーと映画館からなるダイナシティウエストモール内に「ロビンソン百貨店小田原店」として開店したものを、2013年3月1日に転換。
- イーストモールのイトーヨーカドーとともに「2核1モール」を構成していた。
- 2016年には売り場面積を縮小するなど梃入れを行ったが、業績が低迷していることなどを理由に、2018年2月28日を以て閉鎖。これに伴いダイナシティの商業施設には系列のイトーヨーカドーを残すのみとなった。
- ちなみに、かつて小田原市中心部に存在した「志澤西武」とは全く無関係。
中部
(2013年1月31日閉店)
暫定利用施設
- 沼津店
- 本館△:静岡県沼津市大手町3-1-1 沼津ビル
- 新館:静岡県沼津市大手町3-4-1 ニュー西武ビル 売場面積9,732m2。
- 1957年6月8日開店。2013年1月31日閉店。
- 地方都市への百貨店としての支店開設1号店。当時は鉄道グループと流通グループが袂を分かつ前だったので、鉄道の子会社伊豆箱根鉄道が建設したビル(当初は地上5階建、のちに7階まで増築)を一棟借りして入居。開業時のキャッチコピーは「沼津で東京のお買い物を」だった。1971年に竣工した隣接の「ニュー西武ビル」を新館として増床し、両館の5階部分を連絡通路で結んだ。
- 2001年 沼津市より旧国鉄用地再開発ビル(現イーラde)へ核テナントとしての出店を要請され出店予定だったが、既にバブル崩壊により西武百貨店は業績が悪化し、新たな投資ができず2003年1月31日に撤回を表明するに至った[51]。同店は外商が強く、また家賃は低額であったためその後も老朽化したビルでの営業を継続。2005年、本館・新館とも地権者負担による耐震化工事を実施するも、売上高はさらに減少し2009年からは毎年1億円の赤字が出るようになったため、セブン&アイ・ホールディングスが撤退を決定した。
- 閉店後、新館は浜友観光が大宮店同様パチンコ店を含む複合商業施設として改修し、「沼津RAKUUN」として2014年4月11日に開業[52]。本館は2013年7月解体され、跡地は沼津市で飲食業等を営む雄大株式会社が暫定的にフリーマーケット等を開催できる広場として利用している。また、日産レンタカー沼津駅前店も店を構えている。[53]。
- 沼津駅前は、2004年に丸井が撤退、富士急百貨店も2012年までに全テナントが撤退、今回の西武撤退で大型店空白地帯となった。と同時に、西武は静岡県内の店舗を全て失うことになった。但し、外商部隊は残留し、富士宮市から伊豆地域の営業を続けている[54]。
- 三島ショップ:静岡県三島市一番町2-25(閉店)
- 静岡店
- 初代△:静岡市葵区紺屋町17-1 日興会館内。
- 2代目:静岡市葵区紺屋町6-7[8]田丸屋ビル 地下1階-地上8階 売場面積18,885m2。
- 1970年6月11日開店。1980年3月別館開設。1998年9月リニューアル。2006年3月31日閉店[55]。
- 1980年8月16日に静岡駅前地下街爆発事故が発生、大規模なガス爆発が発生した事故現場の建物が同店の正面に立地していたため、同店は甚大な被害を受けた。
- 田丸屋は静岡名物「わさび漬け」の製造販売会社でビルの所有は「株式会社主婦の店」[56]。
- 松坂屋、伊勢丹と並ぶ静岡を代表する百貨店だったが、売場面積が3店で一番小さかった。2005年アピタを核とするセントラルスクエア静岡(市内最大規模)開業後、売上が落ち込んだ。この時点で西武百貨店は既に経営破綻し、ミレニアムリテイリング傘下での再建中。このため、店舗改装等を行う余力は無かったため撤退を決定。
- 店舗は、先にセゾングループを離脱し森トラストグループ入りしたパルコに引き継がれることになった。ビル改修の上、2007年3月15日に静岡パルコとして開店。
西武百貨店関西
1971年「株式会社西武百貨店関西」を設立、西武百貨店関西経営で関西ちく初出店の橋パルコを開店0年代に吸収合併した。
- 八尾店
- 大阪府八尾市光町2-60 オーロラシティ八尾 八尾光町駅前ビル 売場面積38,169m2。
- 1981年5月27日開店。「西武八尾ショッピングセンター」として開店。
- 開店時のイメージキャラクターはB&Bなどが務めた。
- 隣接地に2006年12月4日アリオ八尾が開店し、接続することになった。セブン&アイ・ホールディングス2店でシナジー効果を狙った「2核1モール」関西1号店となった。
- Ario八尾の開業時(2006年)に開通したArioと西武とを結ぶペデストリアンデッキ新設を皮切りに、店舗を一部増築するなどして店内外の大規模な改修工事が継続的に実施され、2010年代に入ってからは八尾西武の名物であった「水時計」が撤去されるなど、大がかりなリニューアルが行われていた。
- しかし、隣接するArioへの顧客流出に歯止めをかけることはできず、2016年8月2日にセブン&アイ・ホールディングスが、業績が低迷していることなどを理由に、2017年2月末に閉店することを発表[30][59]。店内には店長名義での「お知らせ」として閉店を告知するポスターが掲示された。同店の閉店については2016年8月2日に日本テレビ系のニュース番組においてつくば店と共に全国各地で報道されたほか、関西地区のテレビ局や新聞社の多くが取り上げた。閉店後は八尾市が株式会社ザイマックスに運営を委託し、約半年をかけて改修を行ったうえで新たな商業施設として営業を続けることが発表された[60][61]。また、2017年2月28日の閉店当日には、テレビ大阪・読売テレビなどが取材・撮影を行い、同日から翌3月1日にかけて放送された深夜ニュース番組(関西地方)で、西武八尾の閉店が放送された。
- 2017年3月1日に八尾光町駅前ビルとして再オープンした後、改装工事を経た2017年9月15日に「LINOAS」としてリニューアルオープンした[62]。「LINO」はハワイ語で「光」を意味しており、「AS」は日本語の「明日」を組み合わせた造語であると発表されている。
- 塚新店
- 兵庫県尼崎市塚口本町4-8-1 つかしん 売り場面積8,260m2(縮小後)。
- 1985年9月開店。2004年5月9日閉店[63]。
- 1972年、グンゼは婦人用靴下工場であった塚口工場を業績不振の為、閉鎖した。そして閉鎖と同時に約2万坪に及ぶ工場跡地の再開発プロジェクトを立ち上げた[64]。時同じくして、関西地区への本格的な進出を計画していた西武百貨店がグンゼの再開発計画を察知。1974年、西武百貨店とグンゼは跡地の再開発利用計画に関して合意し、塚口開発プロジェクトは始動した[65]。しかし、西武百貨店と地元商店街との交渉は難航を極め、百貨店、スーパー部門、専門店部門は当初計画から大幅に営業面積を削減され合意に達した[66]。
- 塚新店は街づくりをコンセプトに百貨店内部で検討が重ねられた「つかしん」の中核施設として出店。堤清二は施設一帯を生活遊園地と名付けた[67]。斜行式エレベーター「つかしんケーブル」等が話題になった。開業当初、物珍しさで集客したものの、すぐに飽きられてしまい、1987年ピーク時280億円あった売上は、80億円まで落ち込んだ。これは「直下型立地理論」(中心市街地(つかしんの場合は梅田)から10㎞圏には百貨店が成立しない)及び庶民的な地域特性を無視したショッピングセンター作りを目指した失敗例とされている[68]。
- ミレニアムリテイリングでは対策として同店を2002年9月にネイバーフッド型ショッピングセンター「リボン館」に転換。直営売り場を大幅に縮小し、無印良品、ユニクロ、ミドリ電化、ダイソー、生活協同組合コープこうべ等のテナントを導入した。しかし、それも郊外型ショッピングセンターとして中途半端なものだったため、その1ヵ月後に北2kmに、ジャスコを核とする大型ショッピングセンター「ダイヤモンドシティ・テラス」(現在のイオンモール伊丹)が開業すると、とどめを刺される形となり、撤退に至った。
- つかしんはグンゼ開発の子会社であるつかしんタウンクリエイトが引き継いで運営することになり、2006年4月「グンゼタウンセンター つかしん」と改称された[69]。
- 神戸店
- 神戸市中央区東川崎町1-3-3 神戸ハーバーランドセンタービル
- 豊橋店△
- 愛知県豊橋市駅前大通1-55
- 1932年「豊橋丸物」として開業。1971年、資本提携により「豊橋西武」に改称[72](丸栄、長崎屋の進出に対抗のため)。「西武百貨店関西」を経て、直営店化された。店内には映画館『豊橋西武東宝』(旧称丸物会館、270席)があった[73]。
- 経営破たん後の「私的整理に関するガイドラインに基づく再建計画成立の再建計画」で函館店、ams西武仙台店、川崎店と同時に不採算店リストに載り、2003年8月10日閉店。4店合計250人の正社員が全員解雇された(希望退職募集等の実施は無かった)[74]。
- 跡地は、2004年7月に地元のガステックサービス(サーラグループ)が土地を取得し再開発事業に着手。2008年8月11日、複合ビル「ココラフロント」が開業。
西武北海道
1988年、セゾングループの再編にともない、「五番館西武」と「函館西武」、「旭川西武」の3店により「株式会社西武北海道」を設立。1997年、吸収合併。
- 旭川店
- 北海道旭川市1条通り8丁目右1号 旭川駅前 売場面積30,043m2。
- 1975年8月8日「西友旭川西武店」として開店(B館)。
- 1979年9月15日北海道緑屋が「amsミドリヤ」を開店(A館)△。(amsは旭川緑屋ショッピングセンターの略と言われているが店内および広告媒体等で組織としてその表記は一切された事はない。ams形態は緑屋としては初のオープンのため地名+amsの呼び方は行っていない。)
- 1980年10月 西武とamsの間を3本の連絡通路でドッキング(地階、5F、9F(amsは8F))。
- 1981年9月1日、地元経済界から連絡通路により建物は一体化とみなすべきとの声が上がり「北海道アムス西武」として対等合併し新生旭川西武となった[76]。建物の名称を旭川西武 西武館、アムス館に変更。ただし当面は改装を行わず両館の営業時間は統合前のまま営業。西武館は休業しているがアムス館が営業している日があった。小規模な改装を順次行い両館で取り扱っていた売場を集約していた。
- 1982年10月2日、旭川駅直結の旭川エスタ開店を1週間後に控え、大改装を実施。文化の香りのするデパートをテーマにアムス館を婦人服中心の女のA館、西武館は紳士服、子供服、趣味雑貨の男のB館としてリニューアルオープン。この改装時に営業時間の統一、A館の看板を西武に変えamsの名称は完全に消滅した。
- 1998年、グループ再編により「西武北海道」旭川店となる。(札幌店は五番舘西武)、1997年、吸収合併により直営化された。
- 1992年9月 ライバル店の丸井今井旭川店の増床を控え、1982年以来の大リニューアルを実施。
- 大型専門店としてロフト、無印良品、三省堂書店が、他にはHTBショップ、コンサドーレ札幌オフィシャル・ショップが入居。地下の食料品はA館が北海道名産品等、進物中心、B館が生鮮品、惣菜など家庭用中心となっていた。尚、セゾン時代、A館8Fにあった「amsホール(後.西武ホール)」は2009年から「道新文化センター」に、B館9階にあった「Studio9」は「日赤西武献血ルーム」に、同じくB館9Fの「旭川コミュニティ・カレッジ」は「三省堂書店」に(三省堂書店は当初B館9Fにオープン、ams7Fにも出店していた。その後リニューアルに合わせams店は撤退、B館8F、B館7Fに移動し1992年の改装時にB館9Fに戻った。)2010年にはB館10Fに「旭川市民ギャラリー」が開設された。A館8Fレストラン街は催事場になった。催事場は当初特別催事場としてB館8F→B館7F→B館9Fの順次に移動変更していた。
- 2009年2月、セブン&アイ・ホールディングスは不採算店として閉店を検討していたが、7月に丸井今井旭川店の撤退が決まったため、存続させることになった[77]。その際、上川郡東神楽町の旭川空港ターミナル売店も丸井今井に代わって出店することになった。このため当店が日本百貨店協会加盟の日本最北の百貨店だった。丸井今井閉店後、ルイ・ヴィトンブティック等が西武へ移転、その結果、大幅な売上増となり前年比プラスが数年続いた。当時前年比プラスの百貨店は西武旭川店と他数店のみであった。
- 2009年10月~2011年11月、B館のビル所有者により耐震工事を実施、合わせて展望エレベーターのガラスリニューアルを実施。
- 2014年8月 旭川市によって買物公園の西武側に雨雪避けのキャノピーを設置。
- 2015年3月1日、具体的な時期は未定とするものの売上不振により再び閉店を検討していると報じられた。理由は近隣のイオンモール旭川駅前の開業により、客足が大きく遠退いたことによるとされている。
- 2016年3月8日、9月をめどに閉鎖する方針が報道された[78][79][80]。
- 2016年9月16日〜30日、「西武旭川店41年の歩みと思い出のエッセイ展」を開催。『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』の特別エピソードがパネル展示された。エッセイ展寄稿者には同エピソードが収録されたブックレットが贈呈された[81]。東日本大震災以降屋上看板は夜間点灯されていなかったが閉店日まで点灯された。
- 2016年9月30日19:30に全館閉店した。旭川店の閉店により旧西武百貨店は北海道より完全撤退し、41年の歴史に幕を下ろした。
- 2017年2月7日 旧B館はホテルとなる事が発表された。建物をそのまま利用するかは未定[82]。
- 札幌店△
- 札幌市中央区北4条西3丁目3-1 売場面積28,924m2(A館+B館)。
西武北陸
1988年、セゾングループの再編にともない、「だるまや西武」、富山西武、小松西武の3店により「株式会社西武北陸」を設立。1993年、西武百貨店に吸収合併。
- 富山店△
富山市総曲輪3-4-15、地下1階-地上8階 売場面積12,470m2。
1972年2月17日、総曲輪商店街で大火が発生。それを契機に市街地再開発事業が進展し、整備された総曲輪再開発ビルに、1976年7月2日、西友ストア北陸が富山店を出店する。開店初日には10万人が訪れ、売り上げは1億円を記録した[89]。
西友ストア北陸は1973年に設立され、1975年に小松店、翌年に富山店を開設する。両店の運営は西友の百貨店事業部が管掌していた。1981年に富山店の運営は西武百貨店に移管され、だるまや西武と一体的に運営する方針が執られた[90]。
1980年に社名を西友ストア北陸から富山西武に変更し、小松店を西友の直営店舗として分離した。1986年11月に富山西武は、西友ストア北陸時代からの開店経費等による累積債務を一掃するため西武百貨店富山を設立。営業権を新会社に移管した。また累積債務は西武流通グループによって処理された[91]。1988年3月1日に、だるまや西武と富山西武は対等合併し北陸西武として新発足した[92]。また西友が運営していた小松西武の運営も北陸西武に移管された。
1993年10月1日、西武百貨店に復帰した和田繁明の進める店舗の標準化などによる経営改革に沿って、西武北陸は西武百貨店に吸収合併された[93]。その後、市郊外に建設されたショッピングセンターの攻勢などから富山店の売上は最盛期の4割弱に落ち込み、採算が悪化。これによって2006年3月31日に閉店した[94][95]。
閉店後、跡地は永らく放置されていたが、2013年2月「総曲輪3丁目地区市街地再開発準備組合」が発足[96]。大和ハウスによる23階建てのプレミストタワー総曲輪の建設が進められている。同タワーは2019年3月の竣工を目処として、1階から4階までを商業施設、5階が業務施設、6階から23階を分譲マンションとし、総事業費は約156億円。このうち約60億円は国、県、市からの補助金があてられた[97]。
- 糸魚川ショップ
富山西武の外商を目的とした小型店(サテライトショップ)で、糸魚川駅前のビルに1989年7月開店[98]。ビルの屋上には、当時西武の看板の広告塔が付けられていた。1990年代に閉店。 この他にもサテライトショップは、魚津市・高岡市・黒部市・砺波市にも存在した[98]。
- 小松店△
石川県小松市土居原町10-10尚成ビル 西友小松店(GMS)として1975年に開店。1983年、西友「小松西武」店に転換[99]。グループ再編により「西武北陸」を経て吸収合併された。1996年12月25日閉店[100]。 1998年に小松大和が開業したが、2010年6月に閉店。ビルは大和が解体、土地を4億2000万円で小松市に売却[101]、2017年12月に複合施設「こまつアズスクエア」が開業[102]。
その他
- 高知店△
- 高知市南はりまや町1-8-1
- 1958年3月「土電会館」として開業。1971年10月20日 業務提携[103]。資本提携により1973年11月30日「とでん西武」、1992年からは「高知西武」に改称。2002年12月25日 閉店[104]。
- 運営会社については1986年までは「株式会社とでん西武百貨店」、1990年頃までは「株式会社西武百貨店関西」、以降は直営。
- 建物はバスターミナルとして2005年11月10日まで使用されたが2006年6月解体。跡地は永らく放置されてきたが、2011年4月28日延田エンタープライズ「パチンコ123はりまや橋店」を核とする複合ビルが開業。
- 有楽町西武
- 千代田区有楽町2-5-1有楽町マリオン売場面積は14,931m2。
- 1984年10月6日開店[105]。2010年12月25日閉店[106]。
- 朝日新聞東京本社、東宝日本劇場・松竹・丸の内ピカデリーの跡地再開発に対応しての出店。当初は西武単独出店を予定していたが、東宝がグループ会社である阪急百貨店の数寄屋橋からの移転を主張したため、2社で分け合い、同店は松竹サイドへ入居する形となった。
- 当初は「株式会社有楽町西武」という別会社を設立。「感性劇場(マインド・シアター)の有楽町」「メカトロ店の筑波」「街づくりのつかしん」と称された堤清二・三部作のひとつ。同店の開店に際し、堤は新聞インタビューで「銀座の西武百貨店で買い物をして、西武特急で軽井沢へ向かうことが夢だった」と語っていた。このため呼称も「銀座西武」を予定していたが、商店街からの猛反対で「有楽町西武」になったという経緯がある。堤の「大きいことはいいことではない」「モノからコトへ」「百貨店でもなく、量販店でもない情報発信基地」「生活全領域に対応する小売業の新しい形態」等のコンセプトからクレディセゾン、西武オールステート生命のファイナンシャルサービス、西武都市開発の国内外の別荘・住宅販売、チケットセゾンの映画・演劇のチケット販売等、非物販に注力するセゾングループのショーケース(情報発信基地)と位置づけられていた。開業当初28万人の人が来店したものの、堤の(高級な)「感性商法」は必ずしも実売には結びつかなかったため初期投資を回収できないままの累積赤字が膨らむ状態に陥っていた。
- その結果、バブル崩壊後、ミレニアムリテイリング傘下で直営化され、同店はレディース専門館へと大規模なリニューアル(地下食料品売り場も廃止)が実施されたが、起死回生ならずかえって逆効果となり2010年のクリスマスいっぱいで閉店するに至った[107][108]。後継テナントとしてはルミネが2011年10月28日に入居[109][110]。
小型店
- 西武橋本ショップ
- アリオ橋本1階、2012年3月2日開店。2016年8月28日閉店。
- 西武仙台泉ショップ
- 2013年4月27日開店。
- アリオ仙台泉2階、仙台市泉区泉中央1-5-1
- 小型店形態だが、西武百貨店としては、2003年のams西武仙台店の閉店以来、約10年ぶりの出店[112]。2016年9月19日閉店。
- 西武上尾ショップ
- アリオ上尾1階、2013年6月29日開店。2017年1月29日閉店。
- 西武松本ショップ
- アリオ松本、2011年12月16日開店。売場面積420m2[113]。2017年1月29日閉店。
- 西武鷲宮ショップ
- 西武葛西ショップ
- イトーヨーカドー葛西店2階、江戸川区東葛西9-3-3。2012年10月5日開店[115]。
- 西武立場ショップ
- イトーヨーカドー立場店、横浜市泉区中田西1-1-15。2012年4月27日開店。売場面積310m2[116]。
- 西武大和鶴間ショップ
- イトーヨーカドー大和鶴間店2階、大和市下鶴間1-3-1大和オークシティ。2012年10月25日開店。
- 西武上田ショップ
- アリオ上田、2011年4月21日開店。
- 西武拝島ショップ
- イトーヨーカドー拝島店2階、昭島市松原町3-2-12。2012年3月2日開店。2017年8月27日閉店。
西武百貨店以外が運営していた店舗
西友「西武」店(百貨店事業部→SEIBU事業部→大型店事業部運営)
西武百貨店と同じ意匠や包装紙などを使用していたものの、店舗営業や商品の仕入れ自体は「西友」の管轄店舗であった。厳密には百貨店ではないため、百貨店を抜いた「西武」の名称のみを使用。「西武」を名乗っていた店舗では、ローマ字タイプの「SE■I■BU」の「■I■」部分のロゴの配色も異なり、緑色を使用(西武百貨店は赤・青色)。
- 郡山西武店
- 水戸西武店 △
- 前橋西武店
- 錦糸町西武店
- 光が丘西武店
- オズ大泉西武店
- 田無西武店
- 藤沢西武店 △
- 甲府西武店 △
- 上田西武店 △
- 春日井西武店(ザ・モール春日井)
- 宝塚西武店
- 姫路西武店(ザ・モール姫路)
- 小倉西武店(ザ・モール小倉)
- ams西武三軒茶屋店
セゾングループ内から運営委託を受けていた店舗
クレディセゾン
- ams西武仙台店
- ams宇都宮店 △
- 志澤(小田原市)△
はやしべ
- WALK(ウォーク)はやしべ(長野市)
西武百貨店と資本参加した地方百貨店
海外店舗
- HongKongSEIBU.JPG
香港西武ロゴ
- 香港西武百貨
- 1990年、香港現地法人を設立。1号店として、アドミラリティのパシフィック・プレイスに出店したが、1996年に「迪生創建」(ディクソン・コンセプツ・インターナショナル)[注 7]へ売却。商標のライセンス契約で営業。漢字ロゴは日本の西武と同様のものを使用しているが、ローマ字はシンプルフォントタイプ(かつての有楽町西武で使用していたもの)。シンボルマークは、ディクソン独自のものとなっている。
- その後、中国本土4都市でも「西武百貨」の名前で展開を図ったが、香港市場と同様に富裕層をターゲットにした高級な内容だったため、一般庶民の手の届かないものとして支持は得られなかった。100%香港資本でありながら反日デモのターゲットとなり、襲撃された例もあった。その結果、各店で赤字を出し悉く失敗・撤退している。
- 旺角(モンコック)店
- 金鐘道(アドミラリティ)店
- 香港中西区 中環金鐘道88號 太古廣場(Pacific Place パシフィック・プレイス)
- 1990年開店。2011年6月閉店。90,000m2。跡地は、イギリスの ハーヴェイ・ニコルズが進出。
- 銅鑼灣(コーズウェイベイ)店
- 尖沙嘴(チムサーチョイ)店
- 成都西武百貨:四川省成都市锦江区华兴上街9号 地上5階 売り場面積1万3000m2。
- 2006年4月7日開店。2009年12月31日閉店[118]。
- 瀋陽西武百貨:2010年9月開店。閉店済。
- 長春西武百貨:新世紀鴻源廣場 2008年10月開店。2009年7月閉店。
- インドネシア西武:Seibu Department store, Indones
-
- 初代:1996年、西友とインドネシアのA.ラティーフ(ALatief Corporation)が合弁会社を設立、ショッピング・センター「パサラヤ・ブロックM」(Pasaraya Blok M.)に出店したが、撤退。
- Jl. Iskandarsyah II No. 2, Melawai, Kebayoran Baru, Jakarta
- 跡地はA.ラティーフが「パサラヤ・グランデ」(Pasaraya Grande)として営業している。
- 2代目:2007年5月 香港西武(迪生グループ)の現地法人でそごう・西武の資本は入っていない。
- ショッピングモール「グランド・インドネシア」(Grand Indonesia Mall)に出店[注 8]。
- Grand Indonesia Mall, Jalan M.H. Thamrin No.1, Jakarta, Indonesia
- 地下1階 - 地上4階。売り場面積27,000m2。
- 初代:1996年、西友とインドネシアのA.ラティーフ(ALatief Corporation)が合弁会社を設立、ショッピング・センター「パサラヤ・ブロックM」(Pasaraya Blok M.)に出店したが、撤退。
- ロサンゼルス西武:アメリカ
出店を断念した店舗
- 1977年、青森駅前の賑わい創出のため駅前第一地区と第二地区にそれぞれ再開発ビルを建設する計画が提出され、都市計画が1987年に決定された。しかし、1993年11月に入りバブル崩壊による長期不況によって、第一地区ビルのキーテナントとして進出を予定していたビジネスホテルが進出撤回を表明。さらに、1994年5月にはセゾングループ入りしていた松木屋と共に第二地区への出店を予定していた西武百貨店も業績悪化から出店辞退を申し入れた。その後、第二地区には2001年1月に、青森市民図書館などが入る再開発ビルアウガがオープンした[119][120][121]。
- 1973年に西武百貨店が出店予定地の一部を取得。1977年には出店を表明するも、大規模小売店舗立地法の規制などで中断。1990年代には構想の具体化が進展するも、2001年西武百貨店の経営悪化で出店を断念した。2003年には大丸が西武百貨店出店予定地に進出を表明[注 9]。続く2004年にはそごうの出店表明と紆余曲折を遂げてきた[123][124]。その後、JR仙台駅西口で商業ビルなどを建設する「駅前中央南地区再開発構想」に西武百貨店が参画を表明するも、2008年12月西武百貨店が地権者6法人でつくる「中央南地区まちづくり協議会」から脱退し、計画していた商業ビルへの百貨店の出店を見送った。再開発計画は2009年1月にも準備組合を発足させ、2015年12月の仙台市地下鉄東西線の開通に合わせ事業完了を予定していた[123]。再開発予定地の面積は約1万5600m2。協議会は、西武百貨店の出店を前提として12階建ての商業ビルと、35階建てのオフィスビル建設を計画。西武百貨店も地権者の一者で、所有面積は約1800m2であった。
- 三井不動産の開発・運営による「春日部三井ショッピングセンター」の核店舗として出店する予定で、西武百貨店・西友ストアー(現:西友)・西武都市開発の3社によって設立された現地法人「春日部西武」も1982年9月設立されていた[41]。しかし、西武側が開店時期の延期要請を三度した事を巡り、三井不動産側等と対立した末、西武側が出店契約解除を申し入れて出店中止となった[42]。出店中止を受け、イトーヨーカ堂が「ヨークマツザカヤ」として出店を表明し、それが上記のロビンソン百貨店春日部店となった[42]。2013年3月1日に、西武春日部店として約27年余り経過して直営店で出店する形となったが、2016年2月29日をもって閉店した。
- 新宿貨物駅跡地(現・タカシマヤタイムズスクエア)
- 1991年、新宿貨物駅跡地を所有する国鉄清算事業団は百貨店17社に対し、出店の意向があるか否かを探るため聴聞を実施。西武百貨店、高島屋、伊勢丹、そごう、丸井が出店の意思を表明し事業団に事業計画を提出した[注 10]。この際、西武百貨店は財務状態が良好でないことに加え、そこに新規に1000億円超の資金負担を抱えるのは無理と事業団から判断され、早々に脱落した[125]。入札担当者は、「都内の出店状況のバランスを考慮して高島屋に決めた」と話している。
- 1983年、新百合ヶ丘駅南口において新都心再開発(業務核都市)を進める川崎市にあって同地における最大の商業施設として建設が進められる予定であった「新百合丘西武ショッピングセンター」のテナントとして出店を表明。地権者による管理会社と西洋環境開発が出店を調整してきた。計画によれば、西武百貨店と専門店が入る地下3階地上8階からなるパート1ビルと飲食・サービス店が入る地上4階からなるパート2ビルを建設[注 11]。それぞれ1996年春のオープンを予定していた。しかし、1994年11月に西武百貨店は業績不振から出店を撤回した[126][127]。その後、再開発はマイカルが進展させ、現在は「イオン新百合ヶ丘店(旧サティ)」「コナミスポーツクラブ新百合ヶ丘」として営業中。
- イオンとの連携で郊外型ショッピングセンター店舗の連続出店を行うため設立したミレニアム企画の第2弾として、イオン浜北ショッピングセンターの核テナントとして内定していた。しかし、西武百貨店の経営が悪化と岡崎西武の当初の業績不振や地元におけるイオン出店に絡む当時の浜北市長汚職事件などで立ち消えとなった。
- 梅田店△
- 西武百貨店梅田店として計画されたものの、立地、出店規模を考慮すると百貨店業態よりも適切との判断により、梅田ロフトとして開店。
- 1987年12月、広島駅南口再開発事業Bブロック(エールエールB館。A館には現在そごう広島店に次ぐ売上高を誇る地元百貨店の福屋が核テナントとして入居した)の核テナントとして決定。翌1988年出店に関する覚書を締結。1996年のオープンを予定していた。その後西武百の経営悪化でテナント料の引き下げなど出店条件の変更を再開発組合・再開発ビル運営会社に求めていたが、1993年9月変更交渉が難航し出店断念を表明[128][129][注 12]。当地には事業開始から20年以上経過した2016年にビックカメラ等が入居するシティタワー広島が完成。
- 1970年代の市街地再開発による再開発ビル「天神第1名店ビル」のキーテナントに内定していた[注 13]がオイルショックによる建築コスト上昇・それに伴う負担増もあり出店を断念した[注 14]。なお出店予定地にはニチイが出店しており、その後の業態転換によって現在は天神ビブレが営業している[130]。
- 1980年代の一時期に中央町一帯(アーケード商店街)の街区をまるごと潰した大規模再開発へ参加を模索していたとの地元関係者の証言が最近明らかになった。当時は福岡市の天神地区進出に失敗後、初の九州での百貨店計画とのことでかなり意欲的であったようだったが、条件面での折り合いがつかずその後は そごうとの交渉になった。そのそごうとの交渉も経済情勢の変化により1993年以降に自然消滅となった。その後出店予定地は南国殖産によって、7階までは商業施設など・上階にマンションを含めた24階建ての再開発ビルを2020年までに完成させる予定。アミュプラザ鹿児島プレミアム館と当再開発ビルを経由し南国センタービルまでつながるペデストリアンデッキも同時に設置予定[131]。
POSシステム
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広告
コマーシャルソング
- 「夢の西武」
- 「女、キラキラ。男、そわそわ。」(1979年)
- 「おいしい生活」(1982年)
- 作詞:糸井重里・矢野顕子、作曲:矢野顕子、歌:矢野顕子。アルバム『愛がなくちゃね。』収録。
- 「オカイモノ」のうた(1993年 - )
出身者
脚注
注
- ↑ なお、「西武百貨店・年表」においては、「帝都百貨店の吸収は、間違いだった」とされているので、検証がまたれている。
- ↑ 現在は名目上は4位、店頭売上額では日本3位。1位の日本橋三越本店は、恵比寿店など3店舗等の売上を日本橋本店のものに加えており、本店単体の売上額は非公表を貫いている。2位の伊勢丹新宿本店も、全国法人外商や通販事業等を含めている。
- ↑ ちなみに東武百貨店池袋本店は5000万人、小田急百貨店新宿本店は4400万人、阪急百貨店梅田本店は4100万人、伊勢丹新宿本店は3000万人である。
- ↑ 日本勧業銀行池袋支店時代から入居。2002年にみずほ銀行池袋東口支店となった後も同地で営業していたが、2003年に池袋支店(旧富士銀行池袋支店)内にブランチインブランチとなる形で移転した(その後、2006年1月16日に池袋支店に統合され廃店)。ATMコーナーは無人店舗「池袋東口支店池袋駅東口出張所」になる形で同地に残ったが、こちらも2004年に地下1階の中央通路沿いに移転した。
- ↑ 一例として、副都心線開業を記念した「LOVE IKEBUKURO」キャンペーンが両社合同で行われたり、西武百貨店で東武百貨店のマップが配布されたり、東武東上線の電車内に西武百貨店の広告が掲出されるようになった。
- ↑ 後に2018年1月31日を以て残るイオンおよび専門店も閉店し、CREOは完全閉鎖となっている。
- ↑ 香港のブランド王 潘迪生が経営。
- ↑ 英語サイトより翻訳。
- ↑ 2009年1月、大丸、松坂屋を傘下に置くJ.フロント リテイリングは消費停滞で投資効果が見込めなくなったとして出店を白紙に戻した[122]。
- ↑ 西武百貨店は西武新宿駅から鉄道を地下化して新南口まで延伸させる計画を提出したとされる。
- ↑ スポーツクラブ「リボン館」併設の複合店舗としての計画。
- ↑ 西武百貨店以外には、ニチイ・東急百貨店・丸井が出店の意向を示していた。
- ↑ 西武百貨店以外にはニチイ・長崎屋・ジャスコ・ユニードなどが出店に意欲を見せていた。
- ↑ 代替として西友の出店も検討されていたがそれも断念している。
出典
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タグです。 「nikkei-commerce-yearbook-1978
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- 由井常彦編 『セゾンの歴史 上巻 変革のダイナミズム』 リブロポート、1991年。 ISBN 4845706245
- 由井常彦編 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』 リブロポート、1991年。 ISBN 4845706253
- セゾングループ史編纂委員会編『セゾンの活動:年表・資料集』 リブロポート、1991年。ISBN 4845706261
- 立石泰則 『堤清二とセゾングループ』 講談社文庫、1995年。ISBN 4061858866
関連項目
- 甲府西武
- なんばCITY(開業時に西武が支援)
- 埼玉西武ライオンズ(1979年〜2008年のホームユニフォームの左袖スポンサー。2016年はプライベートブランドのリミテッド エディションがユニフォームのパンツスポンサーとなっている。西武鉄道の子会社であるが、優勝時は記念セールを行う。また、池袋本店8階にグッズショップ「ライオンズストア」が入居している)
- 西武ドーム(長年スコアボード上部に広告を出している。所有は西武鉄道)
- コナミスポーツクラブ(かつて西武百貨店が保有していたリボン館)
- インスピレーションクイズ(NETテレビ系列で放送され、西武百貨店一社提供だったクイズ番組)
- まんがふるさと昔話(東京12チャンネルで放送されたテレビアニメ。西武百貨店一社提供であり、「西武ファミリー劇場」という冠が着いていた)
- おしゃべりレタス(テレビ埼玉・テレビ神奈川・千葉テレビ放送で放送され、西友と共同提供スポンサーだった番組)
- 西武ポップスベスト10(栃木放送で放送され、西武宇都宮店がスポンサーだった番組(のちに撤退→放送終了))
- その他、1980年代にABCテレビで西武ホームショッピングが放映されていた。
外部リンク
- 西武 - 株式会社そごう・西武