関ヶ原 (テレビドラマ)

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関ヶ原』(せきがはら)は、東京放送創立30周年記念番組として司馬遼太郎の小説『関ヶ原』を原作に、TBS系にて1981年1月2日から1月4日まで3夜連続で放映された大型時代劇。

概要

石田三成徳川家康を主人公に、豊臣秀吉の死から天下分け目の関ヶ原の合戦に至るまでの過程を壮大なスケールで描く。

このドラマの最大の特徴は、それまで「徳川家康に無謀な戦いを挑んだ愚か者」もしくは「太閤亡き後の実権を握ろうとした奸臣」として描かれがちだった石田三成を、司馬の原作に即した「豊臣家への忠義に熱い正義の人」として主人公に据えた点にある。このドラマの放映前にもNHK大河ドラマ黄金の日日』などのように三成を悪役として描かないドラマはあったが、それらは全て三成が脇役として描かれるのみであり、本格的に三成を主人公に据えて描いたのはこのドラマがはじめてである。ただし、一方的に美化するのではなく、融通のきかない性格から敵を増やし破滅していく過程を客観的に描く視点は、原作に忠実である。逆に、徳川家康に関しては司馬の原作と異なり、原作のように「陰謀家の狸オヤジ」という描き方はせず[1]、関ヶ原の戦いの後に豊臣家の忠臣としての三成に敬意を表して涙するといった、懐の大きい人物として描いている。

物語

物語は、天正遣欧少年使節のメンバーだった原マルチノが、ローマ教皇庁に関ヶ原の合戦の顛末を書簡で知らせるという形で語られる。

第1夜「夢のまた夢」

  • 1598年8月、天下人・太閤豊臣秀吉が世を去った。秀吉の遺志を継ごうとする石田三成は、天下取りの野望に燃える内大臣徳川家康と対立を深めていく。やがて朝鮮の役に従軍していた諸将たちが帰国、武断派の筆頭であった福島正則加藤清正らと三成と親しい小西行長らの反目も始まる。豊臣政権の内部分裂をよそに家康が勢力を伸ばしていく中、家康に次ぐ実力者である前田利家が死去。それを待っていたかのように福島・加藤らが三成の暗殺を計画。生命の危険を感じた三成は、小西や宇喜多秀家らの反対を押し切り、家康邸に逃げ込む。

第2夜「さらば友よ」

  • 三成は家康の調停により危機を脱したが、奉行職を解かれ佐和山城に隠退させられてしまう。親豊臣派の大名たちを排斥して、ますます勢力を伸ばしていく家康に対し、三成と結んだ会津の上杉景勝がその専横を責めて戦の準備を始めた。激怒した家康は諸将を集めて上杉征伐を宣言し、大軍を率いて東国に下った。伏見を発つ夜、三成の挙兵を確信する家康は、伏見城の留守居を託した老臣・鳥居彦右衛門と別れの杯を酌み交わす。一方、三成の親友・大谷刑部は佐和山城に三成を訪れたところで三成から打倒家康の計画を告げられる。刑部は命を捨てる覚悟で三成の挙兵に加わる。細川忠興夫人ガラシャは人質としての大坂入城を拒否し屋敷に火を放って命を絶つ。この夜、日本は二つに割れた。

第3夜「男たちの祭り」

  • 挙兵した三成の檄に応え、毛利輝元島津義弘小早川秀秋らの諸将が大坂に参集した。鳥居彦右衛門の守る伏見城を落とした西軍と東国から転進して西に向かう東軍関ヶ原で相まみえた。1600年9月15日早朝、合戦の火蓋が切られる。三成・宇喜多・大谷・小西らの奮闘で西軍優勢の内に戦いは進んだが、毛利・小早川・島津らの諸隊が動かない。正午、徳川隊から鉄砲を撃ちかけられた小早川隊がついに動いた。しかし松尾山の陣営から雪崩のように駆け下った小早川隊が殺到したのは、山麓に陣を敷く味方の大谷隊だった。

スタッフ

キャスト

東軍

西軍

女性たち

その他

評価

東京放送(TBS)の開局30周年を記念して局として全力をあげて制作したドラマであり、放映時の視聴率は最高18.4%を記録した。主演の石田三成に加藤剛、徳川家康役に森繁久彌という絶妙な配役をはじめ、三船敏郎宇野重吉辰巳柳太郎杉村春子沢村貞子栗原小巻などといった当時舞台や銀幕の重鎮として知られた俳優を脇役端役に配した超豪華キャストは「奇跡のキャスティング」と呼ばれ話題となった。司馬の壮大な原作を損なうことなく再現してみせたドラマである。また、ノウハウの蓄積が問われがちな時代劇であるにも関わらず、映画会社への外注はせずに自社制作で社員ディレクターが演出、「ドラマのTBS」の面目を賭けた意気込みも壮とされた。

それまで「悪役」とされがちだった石田三成を「忠臣」として描いたドラマである。石田三成を演じた加藤剛が著書「こんな美しい夜明け」(岩波書店)の中で、このドラマと石田三成への愛着を語っている。

しかし、このように総合的評価は高い一方で、以下の点に対する批判もある。

  • 原作では重要な役どころだった黒田如水藤堂高虎が登場しないこと。
  • 合戦シーンが今ひとつ迫力が感じられないこと。ただし本作の関ヶ原の合戦でのエキストラは3500人を動員しており、これは『葵 徳川三代』の関ヶ原合戦のエキストラ500人を大きく上回っている。

分割放送版

本作はその後、1981年10月11日から同年11月29日まで7回にわたって、日曜20:00 - 20:55に分割放送されたことがあった。

サブタイトル(分割放送版)

放送日 サブタイトル
1 10月11日 夢のまた夢
2 10月18日 春の嵐
3 10月25日 風変動し
4 11月8日 友よさらば
5 11月15日 男たちの祭り
6 11月22日 裏切りの風景
7 11月29日 夢の炎

11月1日は「セイコー・スーパー・テニス」(ヴィンセント・ヴァン・パタン×マーク・エドモンドソン)中継(19:30 - 20:55)のため、19:30の『人間ふしぎ不思議』と共に休止。

(参考:「読売新聞縮刷版」1981年10月11日 - 11月29日各付けのラジオ・テレビ欄
TBS 日曜20時枠
前番組 番組名 次番組
日曜特集
※20:00 - 20:55

19:30 - 20:55
関ヶ原
(分割放送版)
【当番組よりドラマ枠

備考

  • 本放送時のサブタイトルには「第一夜」「第二夜」「第三夜」の冠が付いていた(例:第一夜 夢のまた夢)が、1980年代に発売されたVHS・2001年に発売されたDVD等のソフト版では冠無しのサブタイトルのみが表示された(CS・TBSチャンネルでの再放送の際は冠付きの放送バージョンが使われている)。2017年に発売されたデジタルリマスターDVD及びBlu-rayに於いてはCS放送に同じく本放送時バージョンの冠付きサブタイトルが表示されている(第1話と第2話に原作者司馬遼太郎と主演の森繁久彌、加藤剛の鼎談も収録。本放送時は番組「第一夜」冒頭で放送された)。
  • 上記のようにCS・TBSチャンネルでもたびたび再放送が行われ、その際、司馬・加藤・森繁の鼎談もオンエアされた。
  • 司馬遼太郎が死去した1996年に追悼番組として関東地方のみ地上波再放送。
  • 2009年12月06日、CS・TBSチャンネルにおいて、同年11月に逝去した森繁久彌の追悼番組として一挙放送された。
  • 島左近役の三船敏郎のほか、山内一豊役の千秋実浅野長政役の稲葉義男、旅籠日野屋主人役の藤原釜足ら、映画『七人の侍』の主要キャストが数多く登場している。
  • 本作放送直前に、島左近を演じた三船敏郎が同じTBSの人気番組『8時だョ!全員集合』に番宣の意味から戦国武将の出で立ちで出演した。三船はこの出演の際に、当時流行していたヒゲダンスまで披露し、話題を呼んだ。また小早川秀秋を演じた国広富之『クイズダービー』に出演し、収録時のエピソードなどを語っている。
  • 1981年(昭和56年)1月1日(木曜日)付の「毎日新聞」に掲載された番組の特集記事には、「データ関ケ原」と題して、
    • 制作費/予算5億5千万円。大幅にアシが出た
    • 出演俳優/セリフのある人だけで118人
    • 出演エキストラ/実数で3500人
    • 参加スタッフ/120人
    • 収録/スタジオで29日。ロケ35日。ロケ地は福島県相馬ヶ原彦根伏見関ヶ原富士五湖など20ヶ所
    • 台本印刷費/400万円
    • 関係者弁当代/570万円。約1万個の計算
    • 出演の馬/400頭
    • 合戦シーンのノボリ/300本
    • 同陣屋のクイ/450本
    • 使ったVTR/70時間分
    • けいこ開始/昨年8月15日
    • 三本目の完成/1月2日
    などの記述があり、ギリギリまで編集作業が行われていた事がわかる。また、同記事では、第三話のタイトルが『裏切り風景』となっている(実際の第三話のタイトルは『男たちの祭り』)。
  • 放映当時の番組宣伝惹句
    「“空前”とはこの大作にこそふさわしい “絶後”とはこの合戦をおいて無い」
  • 当時、系列局であったNBC(長崎放送)は、第2夜の放送時間はNTV系列枠であり、高視聴率番組だった『熱中時代教師編第2シリーズ』の同時ネット枠であったが、特別措置でTBS系列の同時ネットを行い、『熱中時代』は後日時差放送された。
  • 北政所役の杉村春子は本作品収録当時、名古屋で舞台『華岡青洲の妻』公演中であった。本作プロデューサーの大山勝美は、空前絶後の超大作たる本作には日本を代表する女優である杉村の参加が必要不可欠との思いから、収録スケジュールと舞台公演の時期が重なっている事を承知の上で出演を交渉した。杉村は大山から既に出演が決定していた他の俳優陣のリストを提示されると、「よくもまあこれだけ(の豪華俳優陣を)集めたわねえ!」と驚嘆し、出演を快諾したという。しかし前述の如く収録時期と名古屋公演の時期が重なっていた為、杉村は名古屋での公演を終えるとそのままTBSの手配したハイヤーに乗り込み、東名高速を飛ばして帰京、夜を徹して収録に参加、明け方再びハイヤーで名古屋へとんぼ帰りして舞台公演に出演した。それは北政所のシーンを全て撮り終えるまで4日間ほど続いた。重鎮・杉村のその姿勢を見て、他の豪華出演者たちの誰も我侭をいう事なくスムースに収録は進んだという。[3]

脚注

  1. 司馬は「関ヶ原」「城塞」においては家康を徹底的に「陰謀家の狸オヤジ」として描いているが、家康を主人公にした「覇王の家」においては、家康が築いた江戸時代について「(日本人の)民族的性格が矮小化され、奇形化され」て「功罪半ばする」としつつも、家康本人に対しては決して否定的ではない。
  2. 原作では黒田如水の間者。ドラマでは如水は登場しないが、初芽の台詞の中で黒田の間者だと自ら語っている。また、原作のラストで初芽に会いに来るのは如水だが、ドラマでは会いに来るのは本多正信。この事から初芽を間者として雇ったのは本多正信と誤解する向きがあるがそれは誤り。
  3. CS・TBSチャンネル「テレビがくれた夢・大山勝美編」2014年4月7日放送

外部リンク