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会津藩

会津藩(あいづはん)

江戸時代,陸奥国会津地方 (福島県) を領有した藩。鎌倉時代以来この地は蘆名氏の領地であったが,伊達政宗によって滅ぼされ,小田原征伐後は蒲生氏郷,慶長3 (1598) 上杉景勝がこの地を領した。関ヶ原の戦い後,氏郷の子蒲生秀行が再封,寛永4 (1627) 年加藤嘉明がこれに代り,40万石を領したが,その子明成のとき会津騒動が起り,同 20年除封され,代って3代将軍徳川家光の弟保科正之が出羽山形より移され,23万石を領した。3代正容 (まさかた) 以後保科氏は代々松平氏を称し,家門として重きをなし幕末に及んだ。江戸城溜間詰。正之は将軍家綱を補佐して幕政に参与する一方,藩政の基礎を固める施政に努め,名君と称せられた。5代容頌 (かたのぶ) は,家老田中玄宰を用いて藩政改革を行い,殖産興業をはかり,藩校日新館を起し,軍制を改めた。9代容保 (かたもり) は,文久2 (1862) 年,京都守護職となり,一橋慶喜とともに公武合体を推進した。文久三年八月十八日の政変では尊攘派と抗争し,元治1 (64) 年には禁門の変で長州軍と抗戦した。鳥羽・伏見の戦いに敗れてのちは奥羽越列藩同盟の中心となり会津戦争を起し,若松の鶴ヶ城にこもって敗北,子容大 (かたはる) は明治1 (68) 年陸奥斗南 (となみ) 藩3万石に減封され,廃藩。



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