ノーベル平和賞

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ノーベル平和賞
主催 ノルウェー・ノーベル委員会
 ノルウェー
授賞式会場 オスロ
初回 1901年
最新回 2017年
最新受賞者 核兵器廃絶国際キャンペーン
公式サイト www.nobelprize.org
テンプレートを表示
ファイル:Stortinget, Norway.jpg
ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会
ファイル:Oslo rådhus2.jpg
オスロ市庁舎外観
ファイル:1974 Nobel Peace Prize awarded to Eisaku Satō.jpg
1974年のノーベル平和賞のメダル

ノーベル平和賞(ノーベルへいわしょう、ノルウェー語: Nobels fredspris)は、ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された5部門のうちの一つ[1][2]

ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体である。

ノーベル平和賞のメダルは、表面にはアルフレッド・ノーベルの横顔(各賞共通)、裏面には三位一体を表現した図案「Pro pace et fraternitate gentium」の文が刻まれている(受賞者名も刻まれる)[3]

概要

創設者のノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている[2][1]。他のノーベル賞と異なり、団体も授与対象となっているのが特徴である[2]。政治情勢の影響を受けやすく、第一次世界大戦第二次世界大戦の時期等、受賞者がないことも見られた[2]

また、受賞前の実績だけではなく、受賞後の政治的情勢を誘引する目的で贈られる場合もある。賞は、12月10日午後1時(現地時間)からオスロのオスロ市庁舎で授賞式が行われる。

選定方式

毎年の受賞は最高3人。選考はノルウェーの国会が指名する5人の委員と選考を取り仕切る1人の書記で構成されているノルウェー・ノーベル委員会が行う。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている[4]。受賞が決まるのは例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない[4]。個人の場合は生存していることが条件であり、死後この賞を受けたのはダグ・ハマーショルドのみ(存命中に授与が決定していたため)[4]

トマーシュ・マサリクウィリアム・ハワード・タフトなどの政治家、ニコライ2世ハイレ・セラシエ1世といった君主、レフ・トルストイピエール・ド・クーベルタンなどが候補となっていたことが公表されている[4]。また、1939年にはアドルフ・ヒトラーが推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであった[4]ベニート・ムッソリーニヨシフ・スターリンフアン・ペロン夫妻といった独裁者もノミネートされているが、受賞には至っていない[4]

ジェーン・アダムズは1916年に初めて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである[4]

賞金

賞金額は1901年当時の賞金額を、その年の貨幣価値に換算されたものが贈られる[5]。2012年以降、平和賞の賞金は一つの賞あたり、800万スウェーデン・クローナとされている[4]。このため共同受賞となった場合には、受賞金額を受賞者達で分け合うことになる。1976年に受賞したベティ・ウィリアムズマイレッド・コリガン=マグワイアの組織は、賞金の分配でもめてバラバラになってしまった。

評価と論争

物議を醸した受賞例

医学・物理・化学の科学3賞は、業績に対してある程度客観的な評価と期間を経て選考決定される。しかし、ノーベル平和賞は「現在進行形の事柄に関わる人物」も受賞対象になり、毎年選考に向けて、選考委員に対するロビー活動や政治行動が多く起こるため、選考結果を巡り、世界中で度々論議が起こる。科学3賞や、賞そのものに対して批判のあるノーベル経済学賞と比べ、政治色が強くなりがちである。

平和賞受賞者が、その後に世界の失望を招くこともあり、問題視されている[6]。ノーベル平和賞受賞者の一部は、戦争を助長したと思われる行動を取ったこともあり、「ノーベル平和賞でなくノーベル戦争賞と呼ばなければいけない」という皮肉もある[7]。特に中東和平問題について広瀬隆は、イスラエルパレスチナ解放機構の秘密会談が行われた背景にアラブ人が不利になる可能性を指摘していた[8]

ノルウェー外交による政治アピールの側面もあるとの見方もある。2015年10月9日付けの『ディ・ヴェルト』は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」との見出しで、同紙が疑問に思う『ノーベル平和賞受賞者』を列挙した。

  • オシエツキー(1935年授賞、ドイツ国)やサハロフ(1975年授賞、ソビエト連邦)、アウンサンスーチー(1991年授賞、ミャンマー)、劉暁波(2010年授賞、中華人民共和国)などのように、母国で政治犯とされている人物への授賞は、やはり当事国政府から強い反発を引き起こしている。ドイツ国では「ドイツ芸術科学国家賞」が、ソビエト連邦では「レーニン平和賞」が、中国では「孔子平和賞」が創設されるなど、ノーベル平和賞に対する対抗措置が取られることもある。
  • 受賞者が政治犯として当事国に拘束されていたり、出国が認められなかった場合には、本人が授賞式に出席できないケースもたびたびある。サハロフとワレサ(1983年)の場合は妻、アウンサンスーチーの場合は、ミャンマー国外在住の夫と息子が代理出席したが、オシエツキーの場合は代理出席した弁護士が賞金のみを受け取り横領した。劉の場合は、妻の出国を政府当局が認めなかったため、家族の代理出席も出来なかった。
  • 非核三原則」を提唱したことをもって、1974年に受賞した佐藤栄作の場合、後に有事の際に、在日本アメリカ軍の「核兵器持ち込み」に関する密約が、日米間で結ばれていたことが2010年に明るみに出た(西山事件日米核持ち込み問題)。
  • 2000年に史上初の南北首脳会談を実現させたとして受賞した大韓民国(韓国)大統領金大中も、政権発足当時から受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、会談の相手国である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に5億ドルを不法に送金していたことが、後年アメリカに政治亡命した大韓民国国家安全企画部(現・韓国国家情報院)の元職員によって暴露され、「カネで買った平和賞」との批判が巻き起こった。いずれも、受賞当時には知られていなかった事実が明るみに出ることで、平和賞受賞者として相応しかったのかという議論が長い間続いているケースである。
  • 1973年には、ベトナム戦争パリ協定調印を理由に、アメリカ合衆国ヘンリー・キッシンジャーベトナム民主共和国(北ベトナム)レ・ドゥク・トが共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が、抗議のため辞任するほどだった。平和賞の授与主体であるノルウェー政府は、激しい世論の批判にさらされ、当時の国王オラフ5世が、首都オスロの路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。またレ・ドゥク・トは、ベトナム平和が訪れていない事を理由に、平和賞の受賞を辞退した。その後、ベトナム民主共和国はパリ和平協定を破って、南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年4月30日にはサイゴン陥落させ、ベトナム全土を武力統一し、1976年にベトナム社会主義共和国を樹立させた。
  • 1994年には、パレスチナ和平合意締結を理由に、イスラエルのイツハク・ラビン首相とシモン・ペレス外相、パレスチナ解放機構 (PLO) のヤーセル・アラファト議長が共同受賞したが、パレスチナの平和は続かず、やがて武力紛争が再開された。
  • 2002年には、アメリカのジミー・カーター元大統領が受賞した。当時アメリカが行おうとしていたイラク戦争に対して、ヨーロッパとりわけ北欧諸国は反対の立場をとっており、カーターの受賞は、カーターが北欧同様にイラク攻撃に懐疑的であったことによると考えられている。また2005年に受賞したエジプトのモハメド・エルバラダイは、イラク戦争を契機に、アメリカに対して批判的態度を採っており、この受賞もジョージ・W・ブッシュ政権への批判であると指摘されている[9]
  • 2007年には、環境問題提起によるアメリカの元副大統領アル・ゴアへの授賞も、上記と同じように政治的な意味合いが強かったのではないかとされている。2000年の大統領選挙は、ゴア対ブッシュとなり後者の勝利が決定に至るまで、紆余曲折(ブッシュ対ゴア事件参照)があったことは周知の事実である。また、同じく候補だったイレーナ・センドラー(ポーランドのシンドラーとも呼ばれる反ホロコーストレジスタンスの活動家)の方が平和賞の趣旨に沿った活動を行っており、より相応しかったのではないかと言う批判も根強かった[10]
  • 2009年には、アメリカのバラク・オバマ大統領が、プラハでの「核なき世界」演説に代表される「核軍縮政策の呼びかけ」などを理由に受賞したが、「演説だけで受賞」と言う揶揄や、就任1年目で実績が乏しい段階での授与だったため、「時期尚早ではないか」との論議が巻き起こった[11][12]。平和賞推薦の締め切りがオバマの大統領就任12日後だったことも驚きに拍車をかけることとなった[13]。。しかもオバマは2015年、アフガニスタンで、1999年受賞者である国境なき医師団運営の病院を、誤った情報に基づいて誤爆し、戦争犯罪と指弾された[14]
  • 2012年には、欧州の平和と和解への長年の貢献を評価したとして欧州連合が受賞。しかし評価する声もある一方、通貨ユーロソブリン危機の影響が強い中での受賞に、中国新華社では「平和賞の名声損なう」[15]、チェコ大統領ヴァーツラフ・クラウスは「悲劇的な過ち」[16]、ロシア人権活動家リュドミラ・アレクセーエワが「正しいとはいえない」[17]、イランのナガヴィー・ホセイニー報道官が「政治的に利用されるための道具となっている」[18]など、政治的との批判もある。
  • 2014年のマララ・ユスフザイの受賞については「若過ぎではないのか」(史上初の未成年者)[19]、「イスラム国家を敵に回した」などの声が挙がった。
  • 2017年の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の受賞については米ロなど主要核保有国が駐在大使の授賞式出席をボイコットするなど反発している。
  • ミャンマー民主化運動の指導者として1991年に受賞したアウン・サン・スー・チー2016年の総選挙で率いる国民民主連盟が大勝して事実上の最高指導者である「国家顧問」に就任したが、民族浄化との指摘もあるロヒンギャ問題への対応が消極的であるとして平和賞の取り消しを求める請願運動がネット上で行われ、36万を超える署名が寄せられている。

ガンディーが受賞しなかった理由

マハトマ・ガンディーはノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている[20]

  • 1937年には、彼の支持者の運動が時として暴力を伴ったものに発展したことや、政治的な立場の一貫性に対する疑問、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。
  • 1947年は、当時インドですでに起きていたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立への対処に関し、ガンディーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしたことで、選考委員の間に受賞に対する疑問が起きた。
  • 1948年は最終候補3人の1人で選考委員からは高い評価を得ていたが、故人に対してノーベル賞を与えられるかどうかで議論が起きた。当時は規定で除外されていなかったが、何らかの組織に所属していなかったガンディーの場合賞金を誰が受け取るかが問題になった。最終的に、受賞決定後に死亡した場合以外は故人に賞を与えるのは不適切だという結論となった。ガンディーがもう1年長生きしておれば、賞を与えられていたと考えるのが合理的であろう。
  • ガンディーがそれまでの他の平和賞受賞者とは異なるタイプの平和運動家であったこと、1947年当時のノーベル委員会には今日のように平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする考えがなかったことが影響している。委員会がイギリスの反発を恐れたという明確な証拠は見当たらない。

受賞者

1900年代

受賞者名 出身国
1901 75px アンリ・デュナン スイスの旗 スイス
75px フレデリック・パシー フランスの旗 フランス
1902 75px エリー・デュコマン スイスの旗 スイス
75px シャルル・ゴバ
1903 75px ウィリアム・ランダル・クリーマー イギリスの旗 イギリス
1904 75px 万国国際法学会 世界の旗 世界
1905 75px ベルタ・フォン・ズットナー オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
1906 75px セオドア・ルーズベルト アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1907 75px エルネスト・テオドロ・モネータ イタリアの旗 イタリア
75px ルイ・ルノー フランスの旗 フランス
1908 75px ポントゥス・アルノルドソン スウェーデンの旗 スウェーデン
75px フレデリック・バイエル デンマークの旗 デンマーク
1909 75px オーギュスト・ベールナールト ベルギーの旗 ベルギー
75px エストゥールネル・ド・コンスタン フランスの旗 フランス

1910年代

受賞者名 出身国
1910 75px 国際平和ビューロー 世界の旗 世界
1911 75px トビアス・アッセル オランダの旗 オランダ
75px アルフレート・フリート オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
1912 75px エリフ・ルート アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1913 75px アンリ・ラ・フォンテーヌ ベルギーの旗 ベルギー
1914 なし
1915
1916
1917 75px 赤十字国際委員会 世界の旗 世界
1918 なし
1919 75px ウッドロウ・ウィルソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ

1920年代

受賞者名 出身国
1920 75px レオン・ブルジョワ フランスの旗 フランス
1921 75px カール・ヤルマール・ブランティング スウェーデンの旗 スウェーデン
75px クリスティアン・ランゲ ノルウェーの旗 ノルウェー
1922 75px フリチョフ・ナンセン ノルウェーの旗 ノルウェー
1923 なし
1924
1925 75px オースティン・チェンバレン イギリスの旗 イギリス
75px チャールズ・ドーズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1926 75px アリスティード・ブリアン フランスの旗 フランス
75px グスタフ・シュトレーゼマン ドイツの旗 ドイツ
1927 75px フェルディナン・ビュイソン フランスの旗 フランス
75px ルートヴィッヒ・クヴィデ ドイツの旗 ドイツ
1928 なし
1929 75px フランク・ケロッグ アメリカ合衆国の旗 アメリカ

1930年代

受賞者名 出身国
1930 75px ナータン・セーデルブロム スウェーデンの旗 スウェーデン
1931 75px ジェーン・アダムズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ
75px ニコラス・バトラー
1932 なし
1933 75px ラルフ・ノーマン・エンジェル イギリスの旗 イギリス
1934 75px アーサー・ヘンダーソン イギリスの旗 イギリス
1935 75px カール・フォン・オシエツキー ドイツの旗 ドイツ
1936 75px カルロス・サアベドラ・ラマス アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1937 75px ロバート・セシル イギリスの旗 イギリス
1938 75px ナンセン国際難民事務所 世界の旗 世界
1939 なし[21]

1940年代

受賞者名 出身国
1940 なし
1941
1942
1943
1944 75px 赤十字国際委員会 世界の旗 世界
1945 75px コーデル・ハル アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1946 75px エミリー・グリーン・ボルチ アメリカ合衆国の旗 アメリカ
75px ジョン・モット
1947 75px イギリス・フレンズ協議会 イギリスの旗 イギリス
アメリカ・フレンズ奉仕団 アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1948 なし
1949 75px ジョン・ボイド・オア イギリスの旗 イギリス

1950年代

受賞者名 出身国
1950 75px ラルフ・バンチ アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1951 75px レオン・ジュオー フランスの旗 フランス
1952 75px アルベルト・シュヴァイツァー フランスの旗 フランス
1953 75px ジョージ・マーシャル アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1954 国際連合難民高等弁務官事務所 世界の旗 世界
1955 なし
1956
1957 75px レスター・B・ピアソン カナダの旗 カナダ
1958 75px ドミニク・ピール ベルギーの旗 ベルギー
1959 75px フィリップ・ノエル=ベーカー イギリスの旗 イギリス

1960年代

受賞者名 出身国
1960 75px アルバート・ルツーリ  南アフリカ共和国
1961 75px ダグ・ハマーショルド[22] スウェーデンの旗 スウェーデン
1962 75px ライナス・ポーリング アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1963 75px 赤十字国際委員会 世界の旗 世界
Emblem of the IFRC.svg 国際赤十字赤新月社連盟
1964 75px マーティン・ルーサー・キング・ジュニア アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1965 国際連合児童基金 世界の旗 世界
1966 なし
1967
1968 75px ルネ・カサン フランスの旗 フランス
1969 75px 国際労働機関 世界の旗 世界

1970年代

受賞者名 出身国
1970 75px ノーマン・ボーローグ アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1971 75px ヴィリー・ブラント 西ドイツの旗 西ドイツ
1972 なし
1973 75px ヘンリー・キッシンジャー アメリカ合衆国の旗 アメリカ
75px レ・ドゥク・ト[23] ベトナムの旗 ベトナム
1974 75px ショーン・マクブライド アイルランドの旗 アイルランド
75px 佐藤栄作 日本の旗 日本
1975 75px アンドレイ・サハロフ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
1976 75px ベティ・ウィリアムズ イギリスの旗 イギリス
75px マイレッド・コリガン・マグワイア
1977 アムネスティ・インターナショナル 世界の旗 世界
1978 75px アンワル・アッ=サーダート エジプトの旗 エジプト
75px メナヘム・ベギン イスラエルの旗 イスラエル
1979 75px マザー・テレサ インドの旗 インド

1980年代

受賞者名 出身国
1980 75px アドルフォ・ペレス・エスキベル アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1981 国際連合難民高等弁務官事務所 世界の旗 世界
1982 75px アルバ・ライマル・ミュルダール スウェーデンの旗 スウェーデン
75px アルフォンソ・ガルシア・ロブレス メキシコの旗 メキシコ
1983 75px レフ・ヴァウェンサ ポーランドの旗 ポーランド
1984 75px デズモンド・ムピロ・ツツ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ
1985 核戦争防止国際医師会議 世界の旗 世界
1986 75px エリ・ヴィーゼル アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1987 75px オスカル・アリアス・サンチェス コスタリカの旗 コスタリカ
1988 75px 国際連合平和維持活動 世界の旗 世界
1989 75px ダライ・ラマ14世 ガンデンポタンの旗 ガンデンポタン

1990年代

受賞者名 出身国
1990 75px ミハイル・ゴルバチョフ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
1991 75px アウンサンスーチー ビルマの旗 ビルマ
1992 75px リゴベルタ・メンチュウ グアテマラの旗 グアテマラ
1993 75px ネルソン・マンデラ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ
75px フレデリック・ウィレム・デクラーク
1994 75px ヤーセル・アラファート パレスチナの旗 パレスチナ
75px イツハク・ラビン イスラエルの旗 イスラエル
75px シモン・ペレス
1995 75px ジョセフ・ロートブラット イギリスの旗 イギリス
75px パグウォッシュ会議 世界の旗 世界
1996 75px カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ 東ティモールの旗 東ティモール
75px ジョゼ・ラモス=ホルタ
1997 75px 地雷禁止国際キャンペーン 世界の旗 世界
75px ジョディ・ウィリアムズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ
1998 75px ジョン・ヒューム イギリスの旗 イギリス
75px デヴィッド・トリンブル
1999 国境なき医師団 世界の旗 世界

2000年代

受賞者名 出身国
2000 75px 金大中 大韓民国の旗 韓国
2001 Flag of the United Nations.svg.png 国際連合 世界の旗 世界
Kofi Annan, Photo:Harry Wad コフィー・アナン ガーナの旗 ガーナ
2002 75px ジミー・カーター アメリカ合衆国の旗 アメリカ
2003 75px シーリーン・エバーディー イランの旗 イラン
2004 75px ワンガリ・マータイ ケニアの旗 ケニア
2005 75px 国際原子力機関 世界の旗 世界
75px モハメド・エルバラダイ エジプトの旗 エジプト
2006 75px ムハマド・ユヌス バングラデシュの旗 バングラデシュ
グラミン銀行
2007 気候変動に関する政府間パネル 世界の旗 世界
75px アル・ゴア アメリカ合衆国の旗 アメリカ
2008 75px マルッティ・アハティサーリ フィンランドの旗 フィンランド
2009 75px バラク・オバマ アメリカ合衆国の旗 アメリカ

2010年代

受賞者名 出身国
2010 75px 劉暁波 中華人民共和国の旗 中国
2011 75px エレン・ジョンソン・サーリーフ リベリアの旗 リベリア
75px レイマ・ボウィ
75px タワックル・カルマン イエメンの旗 イエメン
2012 Flag of Europe.svg.png 欧州連合 欧州連合の旗 欧州連合
2013 化学兵器禁止機関 世界の旗 世界
2014 75px カイラシュ・サティーアーティ インドの旗 インド
75px マララ・ユスフザイ パキスタンの旗 パキスタン
2015 75px チュニジア国民対話カルテット チュニジアの旗 チュニジア
2016 75px フアン・マヌエル・サントス コロンビアの旗 コロンビア
2017 75px 核兵器廃絶国際キャンペーン 世界の旗 世界

脚注

  1. 1.0 1.1 ノーベル賞の国際政治学 -ノーベル平和賞の歴史的発展と選考過程-,吉武信彦,高崎経済大学地域政策学会,地域政策研究,vol.13-4,pp.23-40,2011-02
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 ノーベル平和賞、在ノルウェー日本国大使館
  3. ノーベル賞のメダル”. アワードプレス. . 2017閲覧.
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 Facts on the Nobel Peace Prize - ノーベル賞公式サイト(英語)
  5. The Nobel Prize Amounts - ノーベル賞公式サイト(英語)
  6. なぜノーベル平和賞の受賞者は、その後に世界の「失望」を招くのか”. アワードプレス. . 2017閲覧.
  7. “今回はマララさん…「ノーベル平和賞は論争を呼ぶ賞」”. 中央日報. (2014年10月13日). http://japanese.joins.com/article/214/191214.html . 2014閲覧. 
  8. 広瀬は根拠を示すために、まず当事者のイスラエル、会場の山荘を提供したen:Orkla Group、その実質的な支配者であるen:Nobel Industriesハンブローズ銀行ヴァレンベリ家、そしてロスチャイルドを家系図と役員兼任関係で纏め上げた。
    『地球のゆくえ』 集英社 1994年 系図8 一九九三年中東和平秘密会談の内幕
  9. ノーベル平和賞はしばしば政治的に使われていた ロケットニュース24
  10. Federation of Social Workers (IFSW) – IFSW supported nomination of Irena Sendler for Nobel Peace Prize. IFSW. 2010年12月10日閲覧
  11. “オバマ大統領へのノーベル平和賞授与に批判-「早まった聖人化」” (日本語). ブルームバーグ. (2009年10月10日). http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a1Yq5eJ2DR7U . 2011年1月29日閲覧. 
  12. クリストファー・ヒッチェンズ (2009年12月22日). “あまりに軽いオバマのサプライズ受賞” (日本語). ニューズウィーク. http://newsweekjapan.jp/stories/2009/12/post-849.php . 2011年1月29日閲覧. 
  13. “Obama:Nobel Peace Prize is call to action”. CNN. (2009年10月9日). http://articles.cnn.com/2009-10-09/world/nobel.peace.prize_1_norwegian-nobel-committee-international-diplomacy-and-cooperation-nuclear-weapons?_s=PM:WORLD 
  14. “アフガン病院誤爆 国連、「戦争犯罪の可能性も」” (日本語). CNN (CNN.co.jp). (2015年10月5日). http://www.cnn.co.jp/world/35071433.html . 2016閲覧. 
  15. 『中国新華社「平和賞の名声損なう」と批判論評』 産経新聞2012年10月13日
  16. 『授賞は「悲劇的過ち」チェコ大統領」と批判論評』産経新聞2012年10月13日
  17. “「政治的」また批判の声 実績より期待感後押し”. 産経新聞. (2012年10月13日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/121013/erp12101300480003-n1.htm 
  18. “イラン国会、「西側は、ノーベル平和賞を政治的に利用」”. イラン・イスラム共和国放送. (2012年10月13日). http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/32455-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E3%80%81%E3%80%8C%E8%A5%BF%E5%81%B4%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E%E3%82%92%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%80%8D 
  19. 「若過ぎる」と懸念も=マララさん、一躍人権のヒロインに―ノーベル平和賞 時事通信2014年10月10日
  20. http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/articles/gandhi/index.html
  21. ロバート・ベーデン・パウエルに決定していたが、第二次世界大戦勃発により賞自体が取り消された
  22. 遺贈
  23. 受賞辞退

関連項目

外部リンク