新橋駅
新橋駅(しんばしえき)は、東京都港区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)・ゆりかもめの駅である。
所在地は、ゆりかもめの駅が東新橋一丁目、その他の駅が新橋二丁目となっている。
乗り入れ路線
当駅には以下の4社・局の路線が乗り入れている。
- JR東日本:各線(後述) - スリーレターコード「SMB」
- 東京メトロ: 銀座線 - 駅番号「G 08」
- 東京都交通局(都営地下鉄): 浅草線 - 駅番号「A 10」
- ゆりかもめ:U 東京臨海新交通臨海線 - 当駅が起点。駅番号「U 01」
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線1路線のみである(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」参照)が、運転系統としては以下の4系統が停車し、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名で案内されている。
- 東海道線:列車線を走行する東海道本線の中距離電車。2015年3月14日より、上野東京ラインの開通に伴い、多くの列車が東京駅・上野駅を経由し宇都宮線・高崎線・常磐線へ直通運転をするようになった。 - 駅番号「JT 02」
- 京浜東北線:電車線を走行する東海道本線・東北本線の近距離電車。横浜駅から根岸線への直通運転も実施している。 - 駅番号「JK 24」
- 山手線:電車線を走行する環状路線 - 駅番号「JY 29」
- 横須賀線:地下線を走行。下り列車は大船駅まで東海道本線(品鶴線経由)、同駅より線路名称上の横須賀線に入る。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号「JO 18」
また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。
歴史
JR東日本
1872年10月14日(明治5年9月12日)、当駅 - 横浜駅(現・桜木町駅)間に日本初の鉄道が正式開業する際に起点駅として開設された(日本の鉄道開業を参照)。S字カーブのほぼ中間に位置する。なお、1872年6月12日(明治5年5月7日)に品川駅 - 横浜駅間は仮開業していた[注釈 1]。
その後、1889年(明治22年)7月1日には東海道本線が神戸駅まで全通し、国土の重要幹線に於ける東京側のターミナル駅として、東京駅の開業まで重要な役目を担うこととなった。1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した「鉄道唱歌」では、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」と歌われた。
現在の駅は2代目で、1914年の東京駅完成により東海道本線の起点が変更され、それまでの烏森駅を新橋駅に改称して現在に至るとともに元の新橋駅は汐留駅に改称され、荷物列車と貨物列車の専用駅となった(その後は汐留駅を参照)。烏森駅は1909年に開業した現在の山手線に相当する電車専用駅であった。開業に遅れて竣工した初代の駅本屋は、辰野葛西建築事務所が設計した万世橋駅を参考に鉄道院が設計したルネサンス様式煉瓦造りであった。その後関東大震災で内部を焼失する被害にあったものの、構体そのものの被害は軽微であったことから屋根部分の改修で戦後まで使用されたが、東海道線と横須賀線の分離運転に伴う同線の地下ホームの建設に支障をきたすことから、1970年(昭和45年)に撤去された。
上野東京ライン開業後は東海道本線の乗降客数が増加すると見込まれるため、2013年2月22日に東海道本線のホーム拡幅工事が実施された。上り線を約400メートルに渡って最大0.78メートル西側へ移設してホームの拡幅を実施した[1]。
- 1872年10月14日(明治5年9月12日) - 新橋駅(初代)が開業。
- 1909年(明治42年)12月16日 - 鉄道院の烏森駅(からすもりえき)として仮本屋で開業。旅客営業のみの旅客駅。
- 1914年(大正3年)
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道発足。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 荷物取り扱いを廃止。
- 1976年(昭和51年)10月1日 - これまで東海道線と共用していた横須賀線のホームを地下に新設。新設当初は総武快速線からの品川行き列車が停車。横須賀線列車は1980年(昭和55年)10月1日から地下ホーム発着となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月13日 - 京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は同線が通過するようになる。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカード「Suica」の利用が可能となる。
- 2013年(平成25年)4月21日 - 東海道本線プラットホーム拡幅工事を実施[1]。
- 2015年(平成27年)3月14日 - 上野東京ライン開業により、宇都宮線・高崎線・常磐線の乗り入れを開始。
- Shimbashi Station in the Taisho era.JPG
絵葉書・大正時代の新橋駅
- Shimbashi Station after Great Kanto earthquake.JPG
関東大震災で焼失した新橋駅
東京メトロ
1934年(昭和9年)6月21日に東京地下鉄道の駅が開業した。元々は現在の都営浅草線が走っている品川駅方向に向かって計画されていたが、建設当時には渋谷駅方面を目指して計画が変更されており、それに沿って建設された。
1939年(昭和14年)1月15日には同駅から建設していた東京高速鉄道の駅が開業した。同社は東京地下鉄道の規格に合わせて建設されており、1935年(昭和10年)には直通運転の協定を結んでいたものの東京地下鉄道側の準備が整わなかったことから、同年9月16日に相互乗り入れを開始するまでの8ヶ月間、東京高速鉄道側で独自に建設した駅ホームを使用していた。
なお、この東京高速鉄道の新橋駅ホームは同社と東京地下鉄道の不仲により、東京高速鉄道側がやむを得ず急遽建設したホームとして言及される事例があるが[2]、実際には1936年(昭和11年)5月に地下鉄道・高速鉄道双方が合意して結んだ施工協定に基づき、東京高速鉄道側が自社線の列車の一部を折り返させるホームとして、予め計画して工事を行っていたものである[3]。
その後、両社は1941年(昭和16年)9月、陸上交通事業調整法に基づく戦時下の交通事業統制によって帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に統合されるが、運行体制を引き継いで現在に至る。当時の東京高速鉄道のホームは撤去されずに留置線として利用されている(「駅構造」参照)。このホームは現行の銀座線電車の床面より15センチ程高くなっている。なお、東京メトロによると、東京高速鉄道時代の新橋駅の設計図などは現存していないため、東京高速鉄道新橋駅の正確な駅構造は不明とされている。そのため、駅の構造や車両の大きさなど基本的な部分は変わっていないにも拘らず、なぜ新橋駅だけ電車の床面よりホームが高くなっているのかは判明していない。
1945年1月27日に連合国軍機の空襲を受け銀座駅の水道管が破裂し新橋駅-日本橋駅間のトンネルが浸水したため、新橋駅-渋谷駅間で折り返し運転を行うこととなった。。
現在使用されている東京地下鉄道のホームは、日本橋駅の銀座線ホームと同様に島式ホームであったが、利用客の増大により1980年(昭和55年)から混雑緩和のためホームを分離させ、従来のホームを渋谷方面とし、浅草方面に単式ホームを新設してこれに割り当てている。なお、虎ノ門寄りには島式ホーム時代の浅草方面の駅名標が残されている。
2002年(平成14年)には乗り心地の改善と保安度の向上のため、新橋駅浅草方の道床更新・曲線改良をし、それに伴ってホームの拡幅工事が必要となったことから、8月25日の始発から午前8時50分まで銀座 - 溜池山王間を運休させた[4]。
営団地下鉄の駅は2004年(平成16年)4月1日の民営化に伴い、東京メトロの駅となって、現在に至る。
東京都交通局
1960年(昭和35年)12月4日に押上駅 - 浅草橋駅間が開業した都営浅草線は、1963年(昭和38年)12月12日に当駅まで延伸開業した。当時は1号線を名乗っていたが、1978年(昭和53年)7月1日に現在の路線名に改称した。
なお、1963年(昭和38年)2月28日の人形町駅 - 東銀座駅間の開業時より汐留信号所(初代)として先行使用を開始していた。これは、当駅周辺の土地確保が難航したことなどにより、当初の予定が変更されたためである。この信号所は、東銀座駅発着列車の折り返しのために使用されていた。
- 1963年(昭和38年)12月12日 - 都営地下鉄1号線東銀座駅 - 新橋駅間延伸により開業。
- 2015年(平成27年)4月1日 - 新橋駅務区傘下の大門駅を大門駅務管理所大門駅務区に、東日本橋駅を馬喰駅務管理所馬喰駅務区に移管。
- 2016年(平成28年) 4月1日 - 新橋駅務管理所が廃止。新橋駅務区は馬喰駅務管区馬喰駅務区に統合、浅草橋駅務区は門前仲町駅務管区の傘下となる。
ゆりかもめ
1995年(平成7年)11月1日の開業当時、当駅は現在の汐留シティセンターと日本テレビタワーの中間に位置した相対式ホーム・2面2線の仮設駅となっており、分岐器もカーブを曲がった先、汐留駅の手前に設置されていた。2001年(平成13年)3月22日に仮設駅より少し西へ移動し、現在の駅が開業した。仮設駅のあった場所には新たな分岐器が設置され、元の分岐器は使用停止となっているが、現在も軌道跡が残っている。
駅構造
JR東日本の改札は日比谷口・銀座口・烏森口・汐留口の4か所である。山手線・京浜東北線・東海道線のホームは高架部に、横須賀線のホームは東口地下にある。また、東京メトロ銀座線のホームは駅北側の地下に、都営地下鉄浅草線のホームは駅東側の地下に、ゆりかもめのホームは東口駅前広場の高架上にある。
JR東日本
高架部に東海道線・山手線・京浜東北線の島式ホーム3面6線と、地下に横須賀線の島式ホーム1面2線を有する。横須賀線のホームは、東京寄りの4両分をシールド工法で、それ以外の11両分を開削工法で建設した。横須賀線ののりば番号は、地上ホーム番線からの通し番号(7・8番線)ではなく、1番線から振り直している。ホームは曲線部に位置しているため、いずれのホームも立ち番の駅員が常駐する。カーブ上にあるため、電車とホームの間が広く開く。
改札内コンコースと各ホームを連絡するエスカレーターが設置されている。ただし、山手線内回り・京浜東北線大宮方面ホームのエスカレーターは日中帯はすべて上り(ホーム方向)運転で、下り(コンコース方向)運転は平日朝の通勤時間帯のみとなっている。また、横須賀線のホームと連絡するエレベーターも設置されているが、通常は荷物運搬用として利用されている。
烏森口改札内コンコースの一部には途中に階段が設置されている。3・4番線ホームの浜松町寄りに、「一声園」と称するミニ庭園が設置されている。
横須賀線ホームへ通じる駅改札内地下通路の、ちょうど東海道新幹線の高架下にあたる部分はJR東海の敷地であり、東海キヨスクが管理・運営するベルマートおよび飲料水自動販売機が設置されている。
2010年9月に駅施設のリニューアルが発表され[広報 1]、同年11月から工事に着手した。2016年度までの完成を予定している。その内容は次の通り。
- 南北の改札内コンコースを一体化して拡幅、ホームとを連絡するエスカレーターの増設、乗客用エレベーターの新設
- 日比谷口・銀座口の改札口を1か所に集約
- 南北の改札内コンコースに各1か所設置しているトイレを北側に移設・集約
- 高架橋の耐震補強・改築工事
- 山手線・京浜東北線・東海道線ホームの上屋を撤去し、大屋根を設置
なお、2012年度から本格的に設置を進めている山手線ホームへのホームドア設置は、リニューアル工事の完了後に行われる予定である。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
地上ホーム | |||
1 | 東海道線 | 下り | 品川・横浜・小田原・熱海方面 |
2 | 東海道線 ( 宇都宮・高崎線・ 常磐線) |
上り | 東京・上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面 (上野東京ライン) |
3 | 京浜東北線 | 南行 | 品川・蒲田・横浜方面 |
4 | 山手線 | 外回り | 品川・渋谷・新宿方面 |
5 | 内回り | 東京・上野・池袋方面 | |
6 | 京浜東北線 | 北行 | 東京・上野・大宮方面 |
地下ホーム | |||
1 | 横須賀線 | 下り | 品川・横浜・鎌倉方面 |
2 | 横須賀・総武線(快速) | 上り | 東京・船橋・千葉・ 成田空港方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
日中時間帯の京浜東北線は快速運転のみであり、当駅を通過する(千鳥停車)。
- Shimbashi-Sta-Yokosuka-Line-Platform.JPG
横須賀線ホーム
発車メロディ
1・地下1 | ・ | 春風(日本電音製) |
---|---|---|
2・地下2 | ・ | 陽だまり(日本電音製) |
3・6 | JR-SH1(五感工房製) | |
4・5 | Gota del Vient{一滴の風}(東洋メディアリンクス製) |
なお、2010年7月19日から同年8月20日の間、発車メロディに『ウイスキーが、お好きでしょ』が使われ、話題となった[5]。これは発車メロディを使ったサントリーの広告という位置付けであり、JR東日本としては初めての試みであった[6]。
東京メトロ
単式ホームが2つある、変則相対式ホーム2面2線を有する地下駅。以前は島式ホームであった。このホームは、現在の銀座線を浅草側から開業・延伸していった東京地下鉄道時代に終着駅として使われていたものを改良したものである。
渋谷方面から当駅に到着する直前に2本の留置線がある。これは現在の銀座線を渋谷側から開業・延伸していった東京高速鉄道の駅で、開通1年足らずの間だけ使用された頭端式ホームの形態(有効長は2両分)であった。「高速」と「地下」の直通運転後は旅客営業では使用されなくなり、後にホームの一部が業務用の会議室や通路などに転用されたが、一部は当時のままで残存している。現在は留置線となっており、翌朝の虎ノ門始発電車が2本夜間留置される。この施設は通常東京メトロ社員や関係者のみしか立ち入ることができないが、時たま行われる各種イベントなどで一般に公開されることがあり、テレビ番組でも何度か取り上げられた(入り口は8番出口への通路の途中にある)。鉄道ファンなどの間では「幻の新橋駅」の通称で知られている。
エスカレーターは1番線の虎ノ門寄りと2番線の銀座寄りに、エレベーターは両ホームの中央にあり、それぞれ改札内コンコースと連絡している。また、4番出入口付近にエレベーター専用出入口が設置されている。
7番出口から先、公共地下通路(内幸町地下通路)につながる入口がある。また、7・8番出口に近い渋谷寄りの改札は渋谷方面行の1番線ホームへ直結している。
当駅は、「銀座駅務管区 新橋地域」として近隣の駅を管理している[7]。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 銀座線 | 赤坂見附・渋谷方面 |
2 | 銀座・浅草方面 |
- Shimbashi Station-1.jpg
銀座線改札(2018年3月3日撮影)
- Shimbashi Station-2.jpg
銀座線ホーム(2018年3月3日撮影)
- TokyoMetro-G08-Shimbashi-station-platform.jpg
銀座線ホーム(2008年5月23日)
東京都交通局
相対式ホーム2面2線を有する地下駅。
かつては新橋駅務管理所が所在し、東日本橋駅 - 大門駅間(末期は新橋駅 - 人形町駅間)を管轄する新橋駅務区が設置されていた。現在は馬喰駅務管区馬喰駅務区となったが、末期の旧・新橋駅務区傘下の各駅については馬喰駅務区の一部管理業務を当駅が行っている。
当駅と大門駅の間には大江戸線汐留駅とを結ぶ汐留連絡線への分岐があり、大江戸線の車両をE5000形電気機関車牽引で馬込車両検修場へ回送する時に使用される。
大門寄りに非常用の渡り線が設置されており、大江戸線車両の回送時に使用されるが、1968年6月21日に浅草線が大門駅から泉岳寺駅まで延伸するまでは当駅 - 大門駅間が単線運転だったため、この渡り線が活用されていた。開業当時は東銀座寄りにも両渡り線が存在し、前述の汐留信号所(初代)時代から使用されていたが、泉岳寺駅延伸後に撤去されている。
エスカレーターは東銀座寄り改札口とホームを、エレベーターは大門寄り改札口とホームを連絡している。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 都営浅草線 | 西馬込・ 京急線・ 羽田空港方面 |
2 | 押上・ 京成線・HS 北総線・ 成田空港方面 |
- Toei-Shimbashi-Sta-A1.JPG
浅草線新橋駅A1出入口(2015年5月5日)
- Toei-Shimbashi-Sta-Platform.JPG
浅草線ホーム(2015年5月5日)
ゆりかもめ
島式ホーム1面2線を有する高架駅。駅下を国道15号(第一京浜)が横断する。改札口はエスカレーターと階段を上がった先にある。駅ごとの伝統文様は新橋色の柳縞文様である。JR駅舎前の出入口に、ウィング新橋への直通エスカレーターと案内所が設置されている。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1・2 | U ゆりかもめ | 台場・国際展示場正門・豊洲方面 |
(出典:ゆりかもめ:駅構内図)
利用状況
- JR東日本 - 2017年度の1日平均乗車人員は277,404人である[利用客数 1]。
- 同社の駅では渋谷駅に次ぐ第7位。ここ10年は微増傾向が続いていたが、2015年度以降は上野東京ラインの開業で大幅な増加傾向となっている。
- 東京メトロ - 2017年度の1日平均乗降人員は252,793人である[利用客数 2]。
- 同社の全130駅では銀座駅に次ぐ第5位。2011年度以降は増加傾向にある。
- 都営地下鉄 - 2016年度の1日平均乗降人員は95,312人(乗車人員 47,646人・降車人員 47,666人)である[利用客数 3]。
- 浅草線では押上駅、泉岳寺駅、三田駅、大門駅に次ぐ第5位。2010年のアクセス特急(成田スカイアクセス直通)の乗り入れ開始などにより、2011年度以降は増加傾向にある。
- ゆりかもめ - 2016年度の1日平均乗降人員は64,992人である。
- 同社の駅では第1位。日本の新交通システムの駅としては、神戸新交通ポートアイランド線三宮駅に次ぐ第2位である。開業当初は都心から臨海副都心へアクセスできる唯一の乗換駅であり、最ピーク時は1日平均乗降人員が9万人を越えていた。しかし、2002年に東京臨海高速鉄道りんかい線が大崎駅に延伸されるなど、臨海副都心のアクセスが強化された事により、減少傾向が続いていたが2012年度からは再び増加に転じている。
年度別1日平均乗降人員
各年度の1日平均乗降人員数は下表の通り(JRを除く)。
年度 | 営団 / 東京メトロ | 都営地下鉄 | ゆりかもめ | |||
---|---|---|---|---|---|---|
1日平均 乗降人員 |
増加率 | 1日平均 乗降人員 |
増加率 | 1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
1999年(平成11年) | 211,553 | |||||
2000年(平成12年) | 211,093 | −0.2% | 94,217 | |||
2001年(平成13年) | 205,354 | −2.7% | 94,392 | 0.2% | ||
2002年(平成14年) | 201,070 | −2.1% | ||||
2003年(平成15年) | 202,569 | 0.7% | 71,526 | |||
2004年(平成16年) | 200,955 | −0.8% | 72,001 | 0.7% | 63,791 | |
2005年(平成17年) | 203,693 | 1.4% | 74,016 | 2.8% | 69,803 | 9.4% |
2006年(平成18年) | 209,298 | 2.8% | 75,917 | 2.6% | 65,057 | −6.8% |
2007年(平成19年) | 217,790 | 4.1% | 78,353 | 3.2% | 67,893 | 4.4% |
2008年(平成20年) | 220,772 | 1.4% | 79,299 | 1.2% | 61,041 | −10.1% |
2009年(平成21年) | 217,641 | −1.4% | 79,139 | −0.2% | 61,318 | 0.5% |
2010年(平成22年) | 216,159 | −0.7% | 78,931 | −0.3% | 55,948 | −8.8% |
2011年(平成23年) | 215,520 | −0.3% | 77,325 | −2.0% | 53,702 | −4.0% |
2012年(平成24年) | 223,335 | 3.6% | 81,777 | 5.8% | 61,677 | 14.9% |
2013年(平成25年) | 228,743 | 2.4% | 85,177 | 4.2% | 62,805 | 1.8% |
2014年(平成26年) | 230,720 | 0.9% | 87,369 | 2.6% | 63,677 | 1.4% |
2015年(平成27年) | 241,041 | 4.5% | 92,232 | 5.6% | 66,377 | 4.2% |
2016年(平成28年) | 247,273 | 2.6% | 95,312 | 3.3% | 64,992 | −2.1% |
2017年(平成29年) | 252,793 | 2.2% |
年度別1日平均乗車人員(1900年代 - 1930年代)
各年度の1日平均乗車人員数は下表の通り。
年度 | 国鉄 | 東京地下鉄道 | 出典 |
---|---|---|---|
1909年(明治42年) | [備考 1]6,088 | 未開業 | [東京府統計 1] |
1911年(明治44年) | 6,797 | [東京府統計 2] | |
1912年(大正元年) | 7,120 | [東京府統計 3] | |
1913年(大正 | 2年)7,056 | [東京府統計 4] | |
1914年(大正 | 3年)2,038 | [東京府統計 5] | |
1915年(大正 | 4年)4,777 | [東京府統計 6] | |
1916年(大正 | 5年)6,195 | [東京府統計 7] | |
1919年(大正 | 8年)12,143 | [東京府統計 8] | |
1920年(大正 | 9年)14,496 | [東京府統計 9] | |
1922年(大正11年) | 18,339 | [東京府統計 10] | |
1923年(大正12年) | 15,535 | [東京府統計 11] | |
1924年(大正13年) | 14,604 | [東京府統計 12] | |
1925年(大正14年) | 20,299 | [東京府統計 13] | |
1926年(昭和元年) | 26,425 | [東京府統計 14] | |
1927年(昭和 | 2年)30,062 | [東京府統計 15] | |
1928年(昭和 | 3年)33,913 | [東京府統計 16] | |
1929年(昭和 | 4年)35,585 | [東京府統計 17] | |
1930年(昭和 | 5年)33,867 | [東京府統計 18] | |
1931年(昭和 | 6年)32,160 | [東京府統計 19] | |
1932年(昭和 | 7年)31,805 | [東京府統計 20] | |
1933年(昭和 | 8年)34,042 | [東京府統計 21] | |
1934年(昭和 | 9年)37,164 | [備考 2]8,742 | [東京府統計 22] |
1935年(昭和10年) | 38,826 | 7,724 | [東京府統計 23] |
年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)
年度 | 国鉄 / JR東日本 |
営団 | 都営地下鉄 | ゆりかもめ | 出典 |
---|---|---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 129,268 | 未開業 | 未開業 | [東京都統計 1] | |
1954年(昭和29年) | 135,499 | [東京都統計 2] | |||
1955年(昭和30年) | 136,327 | [東京都統計 3] | |||
1956年(昭和31年) | 150,596 | 30,218 | [東京都統計 4] | ||
1957年(昭和32年) | 154,505 | 31,158 | [東京都統計 5] | ||
1958年(昭和33年) | 154,460 | 33,168 | [東京都統計 6] | ||
1959年(昭和34年) | 150,451 | 40,882 | [東京都統計 7] | ||
1960年(昭和35年) | 159,847 | 43,761 | [東京都統計 8] | ||
1961年(昭和36年) | 167,289 | 51,436 | [東京都統計 9] | ||
1962年(昭和37年) | 181,886 | 60,492 | [東京都統計 10] | ||
1963年(昭和38年) | 193,240 | 69,683 | [備考 3]4,035 | [東京都統計 11] | |
1964年(昭和39年) | 203,073 | 69,415 | 18,086 | [東京都統計 12] | |
1965年(昭和40年) | 255,055 | 72,441 | 18,370 | [東京都統計 13] | |
1966年(昭和41年) | 204,835 | 71,776 | 20,047 | [東京都統計 14] | |
1967年(昭和42年) | 206,689 | 75,203 | 21,341 | [東京都統計 15] | |
1968年(昭和43年) | 204,713 | 83,271 | 21,775 | [東京都統計 16] | |
1969年(昭和44年) | 179,797 | 88,471 | 22,814 | [東京都統計 17] | |
1970年(昭和45年) | 180,375 | 95,868 | 23,974 | [東京都統計 18] | |
1971年(昭和46年) | 184,153 | 96,945 | 24,254 | [東京都統計 19] | |
1972年(昭和47年) | 188,033 | 99,153 | 27,173 | [東京都統計 20] | |
1973年(昭和48年) | 192,569 | 93,958 | 28,224 | [東京都統計 21] | |
1974年(昭和49年) | 190,487 | 92,315 | 27,602 | [東京都統計 22] | |
1975年(昭和50年) | 186,298 | 91,227 | 27,836 | [東京都統計 23] | |
1976年(昭和51年) | 190,584 | 90,652 | 27,488 | [東京都統計 24] | |
1977年(昭和52年) | 190,827 | 92,150 | 28,427 | [東京都統計 25] | |
1978年(昭和53年) | 190,819 | 90,969 | 28,320 | [東京都統計 26] | |
1979年(昭和54年) | 191,511 | 94,363 | 28,172 | [東京都統計 27] | |
1980年(昭和55年) | 188,321 | 96,581 | 28,734 | [東京都統計 28] | |
1981年(昭和56年) | 191,057 | 101,216 | 28,531 | [東京都統計 29] | |
1982年(昭和57年) | 195,194 | 101,778 | 28,619 | [東京都統計 30] | |
1983年(昭和58年) | 198,904 | 103,197 | 28,964 | [東京都統計 31] | |
1984年(昭和59年) | 208,973 | 107,444 | 29,493 | [東京都統計 32] | |
1985年(昭和60年) | 205,665 | 106,994 | 29,397 | [東京都統計 33] | |
1986年(昭和61年) | 211,128 | 108,408 | 30,427 | [東京都統計 34] | |
1987年(昭和62年) | 209,970 | 108,642 | 24,571 | [東京都統計 35] | |
1988年(昭和63年) | 227,238 | 110,068 | 32,540 | [東京都統計 36] | |
1989年(平成元年) | 226,846 | 108,372 | 32,961 | [東京都統計 37] | |
1990年(平成 | 2年)233,098 | 107,030 | 33,539 | [東京都統計 38] | |
1991年(平成 | 3年)235,240 | 106,495 | 35,352 | [東京都統計 39] | |
1992年(平成 | 4年)233,567 | 105,384 | 27,425 | [東京都統計 40] | |
1993年(平成 | 5年)226,132 | 103,011 | 34,488 | [東京都統計 41] | |
1994年(平成 | 6年)219,688 | 100,874 | 34,386 | [東京都統計 42] | |
1995年(平成 | 7年)218,770 | 98,642 | 32,954 | [備考 4]13,763 | [東京都統計 43] |
1996年(平成 | 8年)231,332 | 102,419 | 34,044 | 28,965 | [東京都統計 44] |
1997年(平成 | 9年)231,569 | 104,359 | 34,323 | 32,126 | [東京都統計 45] |
1998年(平成10年) | 229,186 | 107,175 | 35,833 | 44,049 | [東京都統計 46] |
1999年(平成11年) | [JR 1]229,942 | 105,989 | 35,197 | 44,456 | [東京都統計 47] |
2000年(平成12年) | [JR 2]230,393 | 105,701 | 35,104 | 47,397 | [東京都統計 48] |
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
年度 | JR東日本 | 営団 / 東京メトロ |
都営地下鉄 | ゆりかもめ | 出典 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
定期外 | 定期 | 合計 | |||||
2001年(平成13年) | [JR 3]225,838 | 102,704 | 34,745 | 47,600 | [東京都統計 49] | ||
2002年(平成14年) | [JR 4]224,759 | 101,123 | 35,197 | 45,381 | [東京都統計 50] | ||
2003年(平成15年) | [JR 5]230,477 | 102,008 | 35,732 | 39,847 | [東京都統計 51] | ||
2004年(平成16年) | [JR 6]231,383 | 102,786 | 35,721 | 37,003 | [東京都統計 52] | ||
2005年(平成17年) | [JR 7]236,116 | 103,608 | 36,644 | 35,167 | [東京都統計 53] | ||
2006年(平成18年) | [JR 8]240,512 | 105,784 | 37,551 | 33,000 | [東京都統計 54] | ||
2007年(平成19年) | [JR 9]249,607 | 110,019 | 38,967 | 34,382 | [東京都統計 55] | ||
2008年(平成20年) | [JR 10]251,021 | 111,767 | 39,556 | 30,860 | [東京都統計 56] | ||
2009年(平成21年) | [JR 11]248,048 | 110,076 | 39,479 | 30,956 | [東京都統計 57] | ||
2010年(平成22年) | [JR 12]244,916 | 109,444 | 39,435 | 28,247 | [東京都統計 58] | ||
2011年(平成23年) | [JR 13]243,890 | 109,011 | 38,710 | 27,085 | [東京都統計 59] | ||
2012年(平成24年) | [JR 14]96,129 | [JR 14]154,552 | [JR 14]250,682 | 112,940 | 41,063 | 31,260 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR 15]97,840 | [JR 15]157,105 | [JR 15]254,945 | 115,539 | 42,661 | 31,723 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR 16]98,667 | [JR 16]155,185 | [JR 16]253,853 | 116,515 | 43,720 | 32,068 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR 17]102,772 | [JR 17]163,182 | [JR 17]265,955 | 121,705 | 46,137 | 33,440 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR 18]103,445 | [JR 18]167,583 | [JR 18]271,028 | 124,822 | 47,647 | 32,748 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR 19]105,045 | [JR 19]172,359 | [JR 19]277,404 |
- 備考
駅周辺
- JNR C11 292 Shinbashi Sta 20080213.jpg
駅前のSL(2008年2月13日)
- 0mile.JPG
新橋駅0哩標識(鉄道記念物)(2006年5月)
- Kyu-shinbashi.JPG
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室(2007年4月1日)
- Shinbashi Station interview.jpg
西口駅前広場でインタビューに応じるビジネスマン(2008年9月15日)
- Shinbashi sta JNR.jpg
「国鉄」「営団」「しんちか」の表示が残る新橋駅前ビルの地下入口(2007年11月)
汐留口側(駅東側)
以前この先一帯は汐留貨物駅だったが、2001年 - 2002年頃より再開発が進み、近代的なオフィス街として変貌を遂げている。
- ヤクルト本社ビル
- 汐留駅(都営地下鉄大江戸線・ゆりかもめ)
- ウィング新橋(地下街、旧・京急しんちか)
- 汐留シオサイト
- 電通本社ビル
- 日本テレビタワー
- 日本テレビ放送網 本社
- パナソニック電工 東京本社ビル
- 汐留シティセンター
- 汐留シティセンター郵便局
- 富士通 本社
- ANAホールディングス・全日本空輸 本社
- 旧新橋停車場(鉄道歴史展示室を併設) - ホーム跡と線路跡の一部も併設されているが、日本テレビタワー付近にはそれらの位置をLEDランプで色分け表示しているところがある。
- 汐留タワー
- 資生堂 汐留オフィス
- ザ ロイヤルパークホテル 東京汐留
- 東京汐留ビルディング
- 汐留住友ビル
- 日本通運 本社ビル
- 汐留メディアタワー
- トッパン・フォームズビル
- 東京ツインパークス
- アクティ汐留(UR都市機構)
- 三井ガーデンホテル汐留イタリア街
- JRAウインズ汐留(TCKオフト汐留)
- 新橋駅前ビル - 元来、当地には様々な飲食店が存在していたが、防災面を考慮し一つの建物へ集約することによって1966年に竣工した、日比谷口のニュー新橋ビルと並んで新橋駅周辺では歴史あるビルである。新橋駅前ビル内部には立ち飲みの居酒屋や老舗の料理店、金券ショップなどが所狭しと店舗を構えている。そして建物の入口や内部には2013年時点においても「国鉄新橋駅」や「営団地下鉄銀座線」などの案内表示が残っている。
烏森口側(駅南西側)
古くからの商店街や中小様々な雑居ビルが混在する、ビジネスマンの歓楽街となっている。
日比谷口(駅北西側)
駅前広場にはC11形蒸気機関車 (C11 292) が静態保存されていることから、通称「SL広場」と呼ばれている。テレビのニュース番組などでサラリーマンやOLへの街頭インタビューがこの広場で行われることが往々にしてある。広場に隣接して競輪場外車券売場のラ・ピスタ新橋(会員制)がある。また、SL広場横にあるニュー新橋ビルには金券ショップが多く入居している。
SL広場になる以前は野外ステージ(通称:新橋ステージ)があり、昭和20年代後半から30年代初めまでは街頭テレビが設置され、ステージの下部には場外馬券売場(のちに移転、ウインズ新橋)も置かれるなど多くの人達で賑わったが、1972年の駅前再開発計画でステージは解体され、SL広場となった。
また広場にあるSLは毎日3回 (12:00, 15:00, 18:00) 汽笛がなる。ただし2015年1月12日から約2か月間、8年ぶりに塗装工事をするのに伴い、その期間汽笛は鳴らない。
- ニュー新橋ビル
- ニュー新橋ビル内郵便局
- ヤマダ電機LABI 新橋 - 旧・キムラヤセレクト新橋店
- 新橋亭
- 第一ホテル東京
- 内幸町ホール
- 内幸町
- 航空会館
- みずほ銀行 東京営業部
- 東京電力 本店
- 内幸町駅(都営地下鉄三田線) - 新橋界隈と三田線沿線との移動では同駅を用いた方が至便である。
- 日比谷シティ - 旧・NHK東京放送会館跡地
- 日比谷公園
銀座口(駅北東側)
JRを利用して、銀座6 - 8丁目ないし銀座ナインへのアクセスが便利な出口である。
- ヤマダ電機 LABI アメニティー&TAX FREE新橋銀座口店 - 旧・十仁美容整形。
- 土橋
- KONAKA THE FLAG - 旧・キムラヤセレクト銀座口店の店舗を再利用。
- 資生堂銀座ビル
- 博品館
- 銀座博品館劇場
- ヤマハホール
- ホテルコムズ銀座
- 三井ガーデンホテル銀座プレミア
- 新橋郵便局
- 銀座郵便局
- 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
バス路線
東口ターミナルの新橋駅前停留所には、都営バスの他に深夜急行バスが発着する。
都01・渋88系統は外堀通り沿いにある新橋駅北口停留所での乗降も可能で、実際に乗り降りする客はこちらの方が多い。また、深夜の駅前周辺の交通事情から深夜01系統は北口停留所までの運行となり、ターミナルまでは客扱いを行っていない。また、橋63系統は北口停留所に停車しない。
なお、業10系統のとうきょうスカイツリー駅・深川車庫方面は新橋一丁目交差点北側(銀座線3番出口付近)の新橋停留所から発車するが、20時以降は駅前ターミナルから発車する。
都06系統においては、国道1号沿いの新橋駅前終点停留所においての下車の他、
2010年3月24日からは、駅前に港区コミュニティバス『ちぃばす』が乗り入れるようになった。
新橋駅前
- 都営バス(東京都交通局)
- [ 都01 ] 溜池・赤坂アークヒルズ・六本木駅・青山学院中等部経由 渋谷駅行 - 一時期に急行01系統が存在していた時期があった。
- [ 市01 ] 国立がんセンター・築地中央市場循環(築地中央市場を経由しない国立がんセンター循環の便もあり) - 以前は築地中央市場行を市01甲系統、朝日新聞社前循環を市01乙系統として運行していた。
- [ 都06 ] 大門駅・麻布十番駅・古川橋・天現寺橋経由 渋谷駅行
- [ 業10 ] 銀座四丁目・豊洲駅・木場駅・菊川駅経由 とうきょうスカイツリー駅行/銀座六丁目・豊洲駅経由 深川車庫行(20時以降のみ運行)
- [ 橋63 ] 国会議事堂・永田町・市ケ谷駅・牛込柳町駅・新大久保駅・大久保駅経由 小滝橋車庫行
- [ 橋86 ] 御成門・神谷町駅・広尾橋経由 目黒駅行(※平日および土曜朝夕のみ運行) - 2000年12月11日までは日本橋三越まで運行されたため、第一京浜上に停留所が設けられていた。
- [ 渋88 ] 神谷町駅・六本木駅・南青山五丁目経由 渋谷駅行
- 港区コミュニティバス『ちぃばす』(フジエクスプレス)
- 京成バス
- ちばグリーンバス
- 成田空港交通
- 船橋新京成バス
- 京浜急行バス
- 羽田京急バス
- 空港連絡バス(早朝便):シナガワグース・品川駅東口・大井町駅西口経由 羽田空港国際線ターミナル行
- 西東京バス ※都営バス渋88系統の停留所から発車
新橋駅北口
- 都営バス
- [ 都01 ][ 深夜01 ] 溜池・赤坂アークヒルズ・六本木駅・青山学院中等部経由 渋谷駅行/新橋駅行 - 一時期に急行01系統が存在していた時期があった。
- [ 渋88 ] 虎ノ門・神谷町駅・六本木駅・南青山五丁目経由 渋谷駅行/新橋駅行 - 駅前まで乗り入れる前は当停留所が始発・終着だった。
- 港区コミュニティバス『ちぃばす』(フジエクスプレス)
- [ 芝ルート ] 虎ノ門二丁目・港区役所・浅草線三田駅前経由 田町駅東口行
新橋
- 都営バス
- [ 業10 ] 銀座四丁目・豊洲駅・木場駅・菊川駅経由 とうきょうスカイツリー駅行/銀座四丁目・豊洲駅経由 深川車庫行(20時以降は新橋駅前へ)
- 2000年12月11日までは、渋88系統が東京駅南口まで運行されたため、当停留所にも停車していた。
第一ホテル東京
- 東京空港交通
- 成田空港行
将来の予定
東京モノレール羽田空港線が浜松町駅から当駅を経て東京駅方面まで延伸される計画が存在するが、2013年時点では具体化されていない。東京モノレール羽田空港線#新橋・東京延伸計画も参照。なお、この路線は計画当初、当駅を始発駅としていた。
フィクションでの登場
- アニメ映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』では、東京高速鉄道の旧駅、いわゆる「幻の新橋駅」が劇中に登場している。ただし、内部の様子に関してはほぼ架空の設定が充てられており、そもそも実際の銀座線は集電方式が第三軌条方式のため一般的な架線方式と比してトンネル断面も小さいうえに車輛寸法自体が長さも幅も小柄と、路線自体の設計規格が小さく、当路線での貨物輸送は全く考慮されていないため、作中のような大型貨物の輸送は不可能である。
- 映画『252 生存者あり』(2008年公開)でも同様に「幻の新橋駅」が、また現在運用されている銀座線新橋駅の改札口やホームが登場する(すべて千葉県内にセットを設営して撮影された)。ただし、劇中では高潮による駅構内の水没シーンなどがあるため、「フィクションである」ことを明確化するために、企業名を架空の「東京サブウェイ」と変更し、セット内の企業名や駅構内売店の名称なども架空の名称にするなど、実在のものと区別する配慮がなされている。
隣の駅
- 「湘南ライナー」の隣の停車駅は列車記事を参照。
- 東海道線
- 京浜東北線
- 山手線
- 有楽町駅 (JY 30) - 新橋駅 (JY 29) - 浜松町駅 (JY 28)
- 横須賀線
- 東京駅 (JO 19) - 新橋駅 (JO 18) - 品川駅 (JO 17)
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 交通新聞2013年2月22日
- ↑ 中村健治『メトロ誕生―地下鉄を拓いた早川徳次と五島慶太の攻防』 ISBN 4330936070 など
- ↑ 帝都高速度交通営団『営団地下鉄50年史(平成3年)』
- ↑ 『帝都高速度交通営団史』 東京地下鉄株式会社、2004年12月、p.248およびp.625
- ↑ 塩塚博 「駅メロディの新しい流れ - タイアップ駅メロ」『駅メロ! THE BEST』 扶桑社、2013年。ISBN 9784594068011。
- ↑ 吉田勝広 (2015年3月17日). “新橋駅のハイボールで注目集めるOOHにおける音の効果”. オリコム. . 2010閲覧.
- ↑ 鉄道ピクトリアル2016年12月臨時増刊号 【特集】東京地下鉄 p.17
- ↑ “京成が深夜バス運行 18日から新橋駅1時発千葉駅へ”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 27,30. (1989年12月9日)
- ↑ “わが家 新橋駅―千葉駅 深夜バス同乗記 何より安さが魅力”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 27. (1989年12月20日)
広報資料・プレスリリースなど一次資料
- ↑ 東海道線新橋駅改良工事の着手について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月2日
統計資料
- JR・私鉄・地下鉄の1日平均利用客数
- JR東日本の1999年度以降の乗車人員
- ↑ 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ↑ 14.0 14.1 14.2 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ↑ 15.0 15.1 15.2 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ↑ 16.0 16.1 16.2 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ↑ 17.0 17.1 17.2 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ↑ 18.0 18.1 18.2 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ↑ 19.0 19.1 19.2 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- JR・私鉄・地下鉄の統計データ
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- ↑ 昭和28年 (PDF) - 13ページ
- ↑ 昭和29年 (PDF) - 10ページ
- ↑ 昭和30年 (PDF) - 10ページ
- ↑ 昭和31年 (PDF)
- ↑ 昭和32年 (PDF)
- ↑ 昭和33年 (PDF)
- ↑ 昭和34年
- ↑ 昭和35年
- ↑ 昭和36年
- ↑ 昭和37年
- ↑ 昭和38年
- ↑ 昭和39年
- ↑ 昭和40年
- ↑ 昭和41年
- ↑ 昭和42年
- ↑ 昭和43年
- ↑ 昭和44年
- ↑ 昭和45年
- ↑ 昭和46年
- ↑ 昭和47年
- ↑ 昭和48年
- ↑ 昭和49年
- ↑ 昭和50年
- ↑ 昭和51年
- ↑ 昭和52年
- ↑ 昭和53年
- ↑ 昭和54年
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- ↑ 昭和58年
- ↑ 昭和59年
- ↑ 昭和60年
- ↑ 昭和61年
- ↑ 昭和62年
- ↑ 昭和63年
- ↑ 平成元年
- ↑ 平成2年
- ↑ 平成3年
- ↑ 平成4年
- ↑ 平成5年
- ↑ 平成6年
- ↑ 平成7年
- ↑ 平成8年
- ↑ 平成9年
- ↑ 平成10年 (PDF)
- ↑ 平成11年 (PDF)
- ↑ 平成12年
- ↑ 平成13年
- ↑ 平成14年
- ↑ 平成15年
- ↑ 平成16年
- ↑ 平成17年
- ↑ 平成18年
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- ↑ 平成21年
- ↑ 平成22年
- ↑ 平成23年
- ↑ 平成24年
- ↑ 平成25年
- ↑ 平成26年
- ↑ 平成27年
- ↑ 平成28年
関連項目
外部リンク
- ■ 東海道本線(東京 - 熱海)
- 上野東京ライン : (高崎・宇都宮・水戸方面<< 上野 - )東京 - 新橋 - 品川 - 川崎 - 横浜 - 戸塚 - 大船 - 藤沢 - 辻堂 - 茅ケ崎 - 平塚 - 大磯 - 二宮 - 国府津 - 鴨宮 - 小田原 - 早川 - 根府川 - 真鶴 - 湯河原 - 熱海(>>伊東方面) - (来宮)(>>沼津方面)
- ■■ 常磐線(快速) ・常磐線(品川 - 上野 - 取手 - 勝田) <上野東京ライン>
- (品川 - 新橋 - 東京 - 上野 - )日暮里 - 三河島 - 南千住 - 北千住 - 松戸 - 柏 - 我孫子(>>成田方面) - 天王台 - 取手 - 藤代 - 佐貫 - 牛久 - ひたち野うしく(*
万博中央) - 荒川沖 - 土浦 - 神立 - 高浜 - 石岡 - 羽鳥 - 岩間 - (小山方面<<) 友部 - 内原 - 赤塚 - (臨)偕楽園 - 水戸 - 勝田(>>いわき方面)
*打消線は廃駅
- ■ 京浜東北線・根岸線
- (大宮 - 東京間 : 東北本線、東京 - 横浜間 : 東海道本線、横浜 - 大船間 : 根岸線)
大宮 - さいたま新都心 - 与野 - 北浦和 - 浦和 - 南浦和 - 蕨 - 西川口 - 川口 - 赤羽 - 東十条 - 王子 - 上中里 - 田端 - 西日暮里 - 日暮里 - 鶯谷 - 上野 - 御徒町 - 秋葉原 - 神田 - 東京 - 有楽町 - 新橋 - 浜松町 - 田町 - 品川 - 大井町 - 大森 - 蒲田 - 川崎 - 鶴見 - 新子安 - (八王子方面<<)東神奈川 - 横浜 - 桜木町 - 関内 - 石川町 - 山手 - 根岸 - 磯子 - 新杉田 - 洋光台 - 港南台 - 本郷台 - 大船