金刀比羅宮
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社である。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。
Contents
概要
神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった[1]。全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。
海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。
かつては、金刀比羅宮と倉敷市にある由加山(蓮台寺、由加神社本宮)の両方を参拝する両参りという習慣があったといわれている。
祭神
歴史
由緒
金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説があり、一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである[2]。もう一つは、もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺[3]に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする[4]。別の説として、『生駒記讃陽綱目』の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国多度郡の雲気神社が金刀比羅宮という記述がある。
海上交通の守り神とされるのは、古代には象頭山の麓まで入江が入り込んでいたことに関係があるとされるとの説があるが、縄文海進での海面上昇は5m程度であり、大物主命が「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来すると。
長寛元年(1163年)に崇徳上皇が象頭山松尾寺金光院に参籠した[2]ことから、修験道の御霊信仰の影響で永万元年(1165年)には、讃岐国に流されたまま崩御した崇徳天皇も象頭山松尾寺金光院に合祀した[5]。
戦国時代には荒廃していたが、別当となった象頭山松尾寺の宥盛が信仰を広め境内を整備した。宥盛は死の直前には神体を守るために天狗に身を変えたとの伝説もあり、死後は本堂付近に祀られる。
江戸時代
江戸時代初期には、別当の象頭山松尾寺の宥光が参拝の土産物として○に金の印を入れたうちわを作ることを思いつき、大和国より技術者を招いたといわれ、この頃には信仰が次第に広がりを見せていたと。
江戸時代中期に入ると全国の庶民の間へと信仰は広がった。各地で金毘羅講が組織されて金毘羅参りが盛んに行われるようになり、伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったといわれる[6]。その様子は、浮世絵の東海道五十三次の一つである「沼津」や、滑稽本の東海道中膝栗毛に描かれている。奉納も多く行われ、奉納された石碑を収めるために本来直線だった参道を曲げたほどであった[7]。
明治以降
明治元年(1868年)の神仏分離令で金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った。9月13日に勅祭神社とされた[9]。象頭山松尾寺金光院は廃されて、祀られていた宥盛は厳魂彦命と名を変えた。明治38年(1905年)には現在の奥社へと遷座される。それまで金毘羅大権現の本地仏として祀られていた本尊十一面観音像は信仰の対象から外されたが、社宝として現在も観音堂に納められている。不動明王、毘沙門天の2体の脇侍仏は破却の危機に直面したが象頭山松尾寺の末寺である万福院住職宥明によって救い出された。その後、所在は転々としたが、明治15年(1882年)、裸祭で知られる岡山市の真言宗寺院、西大寺の住職光阿によって同寺に勧請され、あらためて金毘羅大権現の本地仏として祀られ現在に至る[10]。松尾寺は、塔頭であった普門院が再興し、法灯を継承している。
近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に国幣小社に列格し、明治18年(1885年)に国幣中社に昇格した。
古くから信仰を集め、こんぴら講に代表される金毘羅信仰を後世に伝えるため、昭和44年(1969年)8月5日、宗教法人金刀比羅本教の設立認可を受け、金刀比羅本教の総本宮となった。総本部は金刀比羅宮の大門近くにある。金刀比羅本教は神社本庁に属さない独立した包括宗教法人であるが、金刀比羅宮自体は神社本庁の被包括法人であり、別表神社に指定されている。
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金毘羅講燈篭(太助灯篭)
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金刀比羅本教総本部
境内
象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなる。
本宮
- 本殿 - 1878年再建。桧皮葺・大社関棟造り - 大物主神と崇徳天皇を祀る。
- 幣殿 - 桧皮葺・大社関棟造り
- 拝殿 - 桧皮葺・大社関棟造り
- 神饌殿 - 入母屋造・檜皮葺
- 北渡殿
- 直所
- 神楽殿
- 神札授与所
- 南渡殿
- 三穂津姫社 - 御別宮。祭神は三穂津姫神。1876年造営。
- 本殿 - 檜皮葺・王子造
- 中殿 - 檜皮葺
- 拝殿 - 檜皮葺・大社関棟造
- 神饌殿
- 直所
- 祓除殿
- 御炊舎 - 1874年建立
- 神庫
- 神輿庫
- 睦魂神社 - 王子造・銅葺
- 厳島神社 - 入母屋造平入・檜皮葺
- 絵馬殿 - 航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られ、安全祈願をした漁船、タンカーの写真やソユーズに搭乗した秋山豊寛の絵もある。
- 緑黛殿 - 2004年5月竣工、建物は村野藤吾賞および日本芸術院賞受賞
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南渡殿、拝殿、本殿、直所
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神饌殿・北渡殿
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三穂津姫社拝殿
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三穂津姫社直所
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神札授与所
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神楽殿
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緑黛殿
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祓除殿
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絵馬殿
本宮外
- 旭社(重要文化財) - 天保8年(1837年)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物で、全体に多くの美しい彫刻がなされている。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる。
- 廻廊 - 旭社の向かい。1854年建立、1901年改築。
- 大山祇神社
- 御年神社
- 大門 - これより内が境内で、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の額が掲げられる。門をくぐると鎌倉時代から特別に境内での営業を許された五軒の五人百姓が加美代飴を売っている。
- 宝物館(登録有形文化財) - 明治38年(1905年)に建てられた石造、二階の宝物館。
- 高橋由一館 - 近代の洋画家高橋由一の個人美術館。
- 御厩
- 着見櫓
- 書院
- 祓戸社
- 火雷社
- 賢木門
- 真須賀神社
- 事知神社
- 厳魂神社(いづたまじんじゃ) - 奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当である宥盛を明治に入り厳魂彦命として祀った。
- 本殿 - 檜皮葺・流造
- 拝殿 - 檜皮葺・入母屋造
- 御守所
- 向唐門 - 檜皮葺
- 威徳巖
- 常磐神社
- 白峰神社
- 本殿 - 流造
- 拝殿 - 入母屋造
- 御守所
- 菅原神社
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大門
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書院 玄関
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旭社
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厳魂神社
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賢木門
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祓戸社
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遙拝所
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連籬橋、真須賀神社
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御前四段坂、事知神社
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宝物館
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高橋由一館
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菅原神社
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白峰神社
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五人百姓
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山頂の龍王社
境外
門前町の琴平町には多くの土産物屋が並ぶ。参道は江戸時代には金毘羅街道と呼ばれ多くの燈篭が備えられ、丸亀や多度津の港は参道口として栄えた。
- ふもとに駕籠タクシーが営業しており、大門まで有料で参詣客を送迎している。しかし大門から本殿までも相当な階梯であり高齢者や体力に自信のない者は慎重に参拝計画を立てなければ下山時にヘタりこんでしまうことになる。乳幼児連れの場合ベビーカーが利用できる余地はほとんど無いので抱きかかえて参詣する必要がある。門前町の土産物店の店頭では無料での杖の貸し出しがある。
- 鼓楼(ころう) - 参道途中の大門傍にあり、中にある時太鼓は今も朝夕に打ち鳴らされる。造りが城に似ていることから、琴平城とも呼ばれている。
- 旧金毘羅大芝居(重要文化財) - 金丸座とも呼ばれ、天保7年(1836年)参道近くに建てられた、現存する日本最古の芝居小屋で、今も毎年春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として歌舞伎が公演される。
- 鞘橋(登録有形文化財) - 門前の金倉川に架かる橋。銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、刀の鞘のように反った形から鞘橋と呼ばれる。洪水で何度も架け替えられ、現在の橋は明治2年(1869年)に阿波国鞘橋講中により寄進された。例大祭の時のみ用いられる。
- 高燈篭 - 琴電琴平駅の隣に建つ。
- 金毘羅講燈篭 - 江戸時代に江戸の商人が寄進した燈篭で、香川県丸亀市の港に一基が現存し、寄進者の名を冠し太助燈篭(たすけどうろう)と呼ばれている。
- 金陵の郷 - 琴平の酒蔵である金陵が参道に面し設けた日本酒の資料館で、江戸時代の酒造りに用いられた道具などを見ることができる。
- 牛屋口(うしやぐち) - 金刀比羅宮の南の入口。象頭山南側にあり、鳥居や燈篭などがある。土佐・伊予と讃岐をつなぐ主要街道であった金毘羅街道(旧伊予土佐街道)は、幕末には坂本龍馬、中岡慎太郎などの脱藩者、また高杉晋作などが、往来する際にこの道を使ったといわれる。そのため、この牛屋口には観光用として設置された坂本龍馬像がある。併設の「峠の茶屋」(藁葺き小屋)は現在使用されていない。また牛屋口付近からは、改修工事のために整備された道路(管理者も駐在し一般者は通行不可)があり、本宮や絵馬殿付近まで続いている。
- 旧伊予土佐街道(金毘羅街道) - 土佐・伊予と讃岐をつなぐ旧主要街道。(牛屋口~参道間について)金毘羅さんへの街道として、また主要道路であった時期には繁栄しており、多く立てられている石燈篭にも大正末期頃まで明かりが灯っていた。しかし、国道などの他のルートが出来ると共に衰退し、石燈篭の一部を盗まれるなど、荒廃が進み、現在では鳥居や石燈篭を残すのみとなっている。参拝にこの道を使われることは、地元の人が正月にわずかに使用するのみである。この区間の街道途中にある広谷墓所には、代々の別当職が眠る墓が建てられている。
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鼓楼
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高燈篭
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牛屋口の石燈篭と坂本龍馬像
文化財
重要文化財
- 建造物
- 旭社
- 四脚門
- 表書院
- 奥書院
- 美術工芸品
- 絹本著色弁財天十五童子像
- 紙本著色なよ竹物語絵巻
- 紙本墨画遊鶴図 17枚
- 円山応挙の筆による表書院「鶴の間」の障壁画。
- 紙本墨画遊虎図 24枚
- 紙本墨画竹林七賢図 16枚
- 応挙の筆による表書院「七賢の間」の障壁画。
- 紙本墨画瀑布及山水図 33枚
- 応挙の筆による表書院「山水の間」及「上段の間」の障壁画。
- 木造十一面観音立像
- 平安時代に作られた檜材の一木造の仏像。旧松尾寺の観音堂の本尊であった。
- 太刀 銘長光
- 太刀 銘備州長船(以下不明)明徳(不明)年(不明)月
- 師光による作と伝わる。
- 短刀 銘筑州住国弘作
- 伏見天皇宸翰御歌集
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四脚門
年間祭事
三大祭り
月毎の大祭り
その他の主な祭り
信仰上の伝統
海運の守護神であるため、必然的に奉納を行うのは海運関係者や漁師が多い。そのため、金刀比羅宮の近くの海域を通過する金刀比羅宮へ直接参詣できない船が金刀比羅宮の加護を得るため、酒を入れた樽に「奉納 金刀比羅宮」と書いた白幡を付けて船から海に落とし、それを見つけた漁師が拾って金刀比羅宮に代わりに奉納(代参)する「流し樽」という風習がある。これは現在でも海上自衛隊の艦艇の処女航海など、当該海域を通る様々な船舶の乗組員によって行われている[11]。
また、江戸時代には犬に飼い主が初穂料と犬の道中の食料などを首にかけて代参させることもあったという。その犬は道中の人々の善意によって金刀比羅宮へ連れて行かれた[12]。
交通
- 鉄道
- 自動車
- 坂出インターチェンジより30分
- 善通寺インターチェンジより15分
- 境内は許可車両以外の乗り入れできないため、琴平町内の町営駐車場などを利用。
なお、かつては琴平参宮電鉄(1963年まで)・琴平急行電鉄(1944年まで)といった路線も琴平に発着しており、1930年~1944年には4つの路線がひしめき合っていた。
分社
正式な分社は6つのみである。
- 出雲市駅より車で20分
- 松山駅より車で15分
- 鳥羽駅より車で10分(徒歩20分)
- 水道橋駅下車 徒歩3-5分
関連項目
脚注
- ↑ 明治42年(1909年)象頭山松尾寺は建物・宝物の所有権と返還を求めて金刀比羅宮を相手に訴訟を起こしたが、明治43年(1910年)7月7日高松地方裁判所は原告の請求を棄却する判決を下した。
- ↑ 2.0 2.1 金刀比羅宮 - 由緒
- ↑ 新四国曼荼羅霊場ホームページ - 香川部会 - 第16番松尾寺
- ↑ 象頭山松尾寺の略縁起
- ↑ 金刀比羅宮 - 崇徳天皇
- ↑ 金刀比羅宮 - こんぴら狗
- ↑ "こんぴらさん 〜人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?〜". ブラタモリ. NHK総合. 2017年1月21日放送.
- ↑ 歌詞「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」
- ↑ 「讃岐金刀比羅宮ヲ以勅祭神社ト為ス」、『太政類典』第1編(慶応3年~明治4年)、第122巻、3。
- ↑ 金毘羅大権現 - 西大寺観音院(岡山県西大寺)
- ↑ “こんぴらさん~流し樽 樽が運ぶ 海の男の願い事”. NHK. . 2017閲覧.
- ↑ “こんぴら狗”. 金刀比羅宮. . 2017閲覧.
関連文献
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、30頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、144-146頁
- 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、210頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、250-251頁
- 『神道の本』学研、1992年、210頁