建国記念の日
テンプレート:国民の祝日 建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ、日本の建国を祝う日で、日付は2月11日。1966年(昭和41年)制定。
制定
世界で建国記念日[1]を法律で定めて祝日とする国は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。
日本では、実際の建国日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。当時に在位中の昭和天皇は第124代天皇とされ、2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり[2]、その即位月日を明治に入り新暦に換算した日付である。
1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と定められ祭日となり[3]翌年から適用されたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用された。(参考:主権回復の日)
なお、神武天皇は、古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存したとあるが、現在の歴史学では、考古学上の確証が提示されていないこと、また古事記や日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇が実在した人物かも含めて、その筋書きをそのままの史実であるとは考えられていない。
日本での祝日概説
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。
他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、本日のみが「政令で定める日」と定められている(経緯は#沿革を参照)。この規定に基づき、佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定め、「建国記念の日は、二月十一日」とした。2月11日という日付は、1873年(明治6年)[3]に定められ1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する[4]。
当日は、各地の神社仏閣(神道神社・仏教寺院)にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。
旧日本海軍の技術・伝統を継承している海上自衛隊では、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において満艦飾が行われる。
沿革
「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節であった。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定された[3]。この祝祭日は、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第1党の日本社会党が保守政党の反動的行為であるとして反対した為[5]、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。
その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。1963年(昭和38年)6月20日には、衆議院内閣委員会において、委員長永山忠則が法案の強行採決を行ったが、これに抵抗した社会党議員らに体当たりされ、入院するという一幕もあった[6][7]。
具体的に何月何日を記念日とするかについても、議論があった。日本社会党は日本国憲法が施行された5月3日(憲法記念日)、公明党(旧:公明政治連盟)の設立者である創価学会の池田大作会長(当時)はサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日[8]をそれぞれ提案した。民社党は聖徳太子が十七条の憲法を制定したとされる4月3日を主張し、朝日新聞も社説で同じ日付を提案した[9]。
結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めた。当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出された。同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行した。
建国記念日審議会
- 総理府の附属機関として1966年(昭和41年)7月11日発足、同年12月15日限り廃止(委員定数10人以内)。
- 同年7月28日から12月8日まで計9回の会議を開催し、12月9日付けで内閣総理大臣宛て「二月十一日」とする答申(個別意見付記)。
- 第5回会議は「建国記念の日に関する公聴会」として同年10月24日、仙台、東京、大阪、広島で同時開催(委員2人ずつ参加)。
- 佐藤栄作内閣総理大臣(当時、第1次佐藤第3次改造内閣)からの諮問に対する答申(昭和41年12月28日付け官報資料版No.453掲載)には、会長・会長代理の職に関係なく委員が五十音順で個別意見を記載。
委員
- 菅原通濟(会長。全回出席。2月11日)
- 吉村正(会長代理。全回出席。2月11日)
- 阿部源一(第5回会議のみ欠席。祝日化は望ましくない。強いて挙げるなら1月1日が無難)
- 大宅壯一(第2回会議のみ出席。最終の第9回会議直前に辞任のため答申に個別意見記載なし)
- 奥田東(全回出席。立春の日。人間社会でなく国土に重きをおくべき)
- 桶谷繁雄(第1回会議のみ欠席。2月11日)
- 榊原仟(全回出席。2月11日)
- 田邊繁子(第6回会議のみ欠席。2月11日)
- 舟橋聖一(全回出席。2月11日。政府の行事としないことが条件)
- 松下正壽(第1・2・6回会議のみ欠席。2月11日)
建国記念の日に関する世論調査
- 建国記念日審議会の依頼により内閣総理大臣官房広報室が実施。昭和41年11月30日付け官報資料版No.449掲載
- 各党案(自民党:2月11日、社会党:5月3日、公明党:4月28日、民社党:4月3日)等を選択肢に加える。
- 同年9月29日から10月6日まで全国の20歳以上の男女1万人を対象(有効回収票:8,700人)、社団法人中央調査社の調査員による面接聴取。
- 同年11月4日の第6回会議に報告。
- 2月11日 - もとの紀元節の日:47.4% (4,124人)
- いつでもよい:12.1% (1,053人)
- 5月3日 - 1948年(昭和23年)5月3日:日本国憲法施行の日 - 憲法記念日:10.4% (909人)
- わからない:7.5% (651人)
- 4月3日 - 聖徳太子の十七条憲法発布の日:推古天皇12年4月3日(ユリウス暦604年5月6日):6.1% (529人)
- 4月28日 - 1952年(昭和27年)4月28日:サンフランシスコ講和条約発効の日:5.8% (507人)
- 特定の日ではなく、季節、月などを回答した者(春、秋、4月、9月など):3.1% (271人)
- 質問の趣旨にそわない回答をした者(「(政府が)建国記念の日を(国民の祝日として)設けることに反対」など):2.1% (186人)
- 8月15日:2.1% (183)
- その他の日(旧正月、4月1日、11月3日、その他):1.4% (124)
- 元日:1.3% (109)
- 立春の日:0.5% (43)
- もとの元始祭の日:0.1% (11)
脚注
- ↑ この「建国記念日」は世界各国の祝日。日本でも、「日付」が特定できる日を記念する祝日である「元日」「天皇誕生日」(12月23日)、「憲法記念日 (日本)」(5月3日)の名称には「の」を含めない。同様の理由で、スイス・スウェーデン・チェコ・ベルギーなど多くの国では、日付が特定できるため、「建国記念日」表記で「の」を含めない。「建国記念日」一覧参照
- ↑ 日本書紀によれば、神武天皇即位日は、辛酉年春正月、庚辰朔、日付は正月朔日、すなわち、1月1日 (旧暦)。(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 紀元節の日付は、1872年(明治5年)11月の制定当初は旧暦1月1日に当たる「1月29日」とされ、翌1873年(明治6年)1月29日に紀元節に関わる諸式典が行われた。同年10月には紀元節の日付は「2月11日」に改められ、翌1874年(明治7年)2月11日から適用された。
- ↑ 「辛酉年春正月庚辰朔」をグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年2月11日に当たるとされる。
- ↑ 第26回国会本会議議事録第41号、1957年(昭和32年)5月15日、国会会議録検索システム。
- ↑ ケネス・ルオフ 高橋紘監修 木村剛久・福島睦男訳 『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』 岩波現代文庫 ISBN 978-4006002145、264p。
- ↑ 第43回国会内閣委員会議事録第29号、1963年(昭和38年)6月20日、国会会議録検索システム。開始10分で議場が騒然となり委員長が退室している。
- ↑ 現代でも一部、「主権回復記念日」として国民の祝日への制定を目指す動きがある。
- ↑ (あのとき・それから)1967年 最初の「建国記念の日」朝日新聞 2017年1月25日夕刊
関連項目
- 建国記念日 - 世界各国の建国記念日を掲載
- 神武天皇即位紀元(皇紀)
- 神武東征 - 否定説もある(詳細は当項目参照)
- グレゴリオ暦
- 上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧
- 橿原神宮 - 例祭(大祭)である紀元祭が斎行される。
- 大日本帝国憲法 - 1889年(明治22年)2月11日発布
- 三笠宮崇仁親王 - 紀元節の復活に反対した三笠宮の皇族(大正天皇の第四皇子・昭和天皇の弟宮・今上天皇の叔父)。
- 江藤小三郎 - 1969年(昭和44年)2月11日の建国記念の日、国会議事堂前で遺書「覚醒書」を残して自決する。その至誠と壮絶な諫死は後の新右翼・民族派運動に多大な影響を及ぼし三島由紀夫の自決に繋がる。
- 国民の祝日に関する法律
- 祝祭日
- 国家の日(ナショナル・デー)