反米
反米(はんべい、英: Anti-Americanism)とは、政治・経済・社会・文化などの面で、アメリカ合衆国に反発したり、アメリカ合衆国を厭悪する感情や主張である。対義語は親米。
歴史と要因
ジェームズ・W・シーザーによれば、「反米」という観念は、17 - 18世紀のヨーロッパに形成した [1]。17世紀以降、ピルグリムファーザーズなどのイギリスの清教徒(ピューリタン)などをはじめ、大量の移民が北アメリカ大陸に渡るが、当時のヨーロッパの知識人の間では「アメリカではすべてが退化する」「すべての生命体が退化するし、犬も鳴かなくなる」ということが語られていた[1]。以後、アメリカ大陸は未開の自然状態から、産業資本主義、大衆民主主義、消費社会の象徴として語られて行く。トクヴィルはアメリカの民主政治に対する批判を著書『アメリカの民主政治』で行ない、ヘーゲルやニーチェ、マルティン・ハイデッガー、コジェーブなどヨーロッパの哲学者は、人類社会がとる究極の頽落形態を「アメリカ」に見いだし、そうした「反米」の観念はフランスに代表されるポストモダン哲学やボードリヤールなどにも見いだされる[1]。マルティン・ハイデッガーは、アメリカは“破局の地”だったとしている。
19世紀前半、アメリカ合衆国は南北アメリカを自国の勢力圏に置く意図でモンロー主義を掲げてラテンアメリカ諸国の独立運動に軍事介入を行ったため、ラテンアメリカのナショナリズムはしばしば反米に結びついた。ラテンアメリカの反米主義には長い伝統がある。
しかし19世紀末には米西戦争でフィリピン・グアムに進出するなど事実上モンロー主義を棄て、アメリカ合衆国は太平洋そして世界における勢力拡大に乗り出していく。
1918年11月11日に第一次世界大戦が終わると、パクス・アメリカーナの時代が始まり、アメリカ合衆国の世界的影響力が強まった。第二次世界大戦終結までのヨーロッパでは、全体主義・共産主義を掲げる独裁者や軍事政権に、アメリカ式民主主義への反発や反ユダヤ主義[2]から反米感情を抱いた者が多かった。
1945年8月の広島と長崎への原爆投下により、第二次世界大戦が終わって冷戦が始まると、パクス・アメリカーナの時代が本格的に始まることになった。アメリカ合衆国の政府や大企業が「世界の保安官」「世界の警察官」を自認し(但し何が正義かはアメリカ政府の定義一つで、主張が無条件に世界に容認されたわけではない)、「資本主義(自由主義)陣営の防衛」を名目に、諸外国に対して政治・軍事・経済・社会など諸々の面で介入を行なったこと、アメリカ企業が世界の大衆文化に大きな影響力を持ったことから、反米感情は様々な形で全世界に広がった。
先進的な文化や世界観などが要因でアメリカ合衆国に愛好感を抱く人々も多いが、一方では以下の要因でアメリカ合衆国に厭悪感を抱く人々も多い。
- 冷戦時代における中南米諸国への軍事クーデターの支援など、反共主義的な独裁者・軍事政権に対する支援。
- 冷戦後の、アラブ諸国やイスラム諸国への軍事介入、「民主化」「二大政党制」(=政治のアメリカ化)、「グローバル化」「新自由主義」(=経済のアメリカ化)、「親米化」(文化のアメリカ化)。
冷戦時代には、共産主義を名目とした大国(ソビエト連邦・中華人民共和国)の支配階級も、各国の市民団体や反戦団体を、反米運動の隠れ蓑として利用していた。
冷戦後の現在では、アルカイダなどのイスラム過激派が、テロなどの武力行使を用いる大型の反米勢力であるとみなされている。
日本
日本における反米意識は、親中派や新左翼の立場などの党派的な問題、共産主義・反米保守派・青年民族派右翼・左翼ナショナリズムなどの民族主義思想・反資本主義的思想によるものとともに、以下の要因(具体的な反米事例とその原因となる事件)によるものである。
1952年4月28日のGHQ撤退に際しては、米軍が日本に駐留し続けることに反対する人々が、反米を唱えるスローガンとして「ヤンキー・ゴー・ホーム」を唱え、これが流行語になった。他にはイギリスも憎恨の対象である「鬼畜米英」や、アメリカに限定された「鬼畜米帝」「米帝」という呼称がある。
韓国
次のような事件があった。
- 老斤里事件における民間人虐殺
- 議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件における米軍の対応
- 韓国政府による韓国陸軍士官学校新入生に対する意識調査では韓国の敵対国家の第1位はアメリカであり、一般の新兵に対する調査結果では75%が反米感情を表している[3]。
イタリア
チェルミス・ロープウェイ切断事件における無罪評決はイタリア国民の感情を刺激し、アメリカ合衆国とイタリア間の外交問題に発展した。
具体的な反米事例とその原因となる事件
「反米」は、アメリカ合衆国の国力の増大と、それに伴う他国への軍事的・経済的介入の増加に従い、歴史に登場する。
- アメリカ独立戦争における宗主国イギリス(イギリス帝国)との対立
- 1812年米英戦争後のカナダ
- メキシコとの戦争(米墨戦争)によるカリフォルニア、テキサスなどのメキシコ北部の帝国主義的侵略と併合
- フィリピンの植民地化、軍事基地化
- 中国と日本に対する黄禍論。1910年代から外国人土地法を徐々に施行し、有色人種に対する締め付けを強化
- 「オレンジ計画」と呼ばれる対日戦争計画をはじめドイツ、イギリス、メキシコとの戦争計画など、周辺の大国を潜在的な敵国と判断して外交を行う
- 1924年に定めた排日移民法
- 日系アメリカ人の差別と強制収容(日系人の強制収容)
- 日本への原子爆弾投下(広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下)、東京大空襲など戦略爆撃(日本本土空襲)
- 太平洋における核実験、核兵器の保有と使用の正当化
- ドイツに対する戦略爆撃、特にベルリン空襲とドレスデン空襲
- 冷戦時代のソビエト連邦や東ヨーロッパ諸国との緊張関係
- GHQの指令による日本の民主化を進める一方で、レッド・パージの推進や公職追放を解除する二重基準(逆コース)
- 在日米軍、在韓米軍、アフガニスタン駐留米軍など外国駐留部隊将兵の犯罪行為
- 朝鮮戦争の際の爆撃と、以降の北朝鮮との緊張関係
- イランのモハンマド・モサッデク政権をCIAがクーデターで倒す(en:Operation Ajax、アーバーダーン危機も参照)
- ベトナム戦争時の腐敗した南ベトナムへの軍事的支援と北ベトナムとの戦争。北ベトナムに対する北爆
- 1973年のチリ・クーデターの支援
- イランとの1979年のイスラム革命後の関係悪化
- パレスチナ問題への偏向的介入とイスラエルのみを善と見做す二重基準
- ソ連とその配下ベトナムに対抗するために行われた、カンボジアのポル・ポト政権への支援
- 1980年代のジャパンバッシング
- 1984年以降、イラン・イラク戦争の際にイランに侵攻したイラク側の支援
- リビアへの、テロ支援国家と指定しての空爆
- 1992年に行われたソマリアへの軍事介入
- 1997年のアジア通貨危機におけるヘッジファンドの暗躍、列びに被害国への新自由主義経済(IMF型・アメリカ型の経済)の強制。日本が呼びかけたアジア通貨基金構想への妨碍と圧殺
- 1998年のアメリカ大使館爆破事件に対する報復を口実とした、スーダンとアフガニスタンへの巡航ミサイル攻撃
- 小泉純一郎政権と結託した、「年次改革要望書」を称しての日本社会のアメリカ型社会(新自由主義、格差社会)への改造
- 2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降の、「対テロ戦争」を称してのアフガニスタンのタリバン政権に対する武力行使、関連してイラクのサッダーム・フセイン政権に対する武力行使と政権打倒(→イラク戦争)
- イラク武装解除問題において国際連合にて査察の継続を訴えた前後のフランス、ドイツ、ロシア、中国との対立
- 民主化を要求しながら、一方で親米化とイスラエル防衛の為にイスラム諸国の絶対王政を支援する二重基準への、イスラム諸国民の反発
- 金大中政権以降、太陽政策と反米政策を取る大韓民国との摩擦
- 9月11日に合わせて2010年、イスラム教の聖典を焚書・破壊するという国際クルアーン焼却日とアメリカの警察が見守る中で行われたクルアーン焼却事件
- 米州機構を通じたラテンアメリカ諸国への再三にわたる内政干渉(影響力を排除する為に、2011年にラテンアメリカ・カリブ諸国共同体が結成された。)
- シリア、北朝鮮、パキスタン、イランの核開発問題
ラテンアメリカ諸国は、長らくアメリカ合衆国の軍事介入(バナナ戦争など)や経済進出や政治圧力(チリ・クーデターなど、政治をアメリカ政府の言いなりに、経済や社会を新自由主義に改造する為の圧力)を被ってきたために、貴賎を問わず反米感情が根深く、ポピュリズム政治家が「反米」を梃に政権を奪取する引き金の一つとなる。
反米と文化
スコットランドのパンク・ロックバンドであるジ・エクスプロイテッドの、1982年発売のアルバム「Troops of Tomorrow」の中に、「Fuck the U.S.A.」という曲がある。その中では、アメリカが抱える拝金主義(「病院に行くのに金を払わなきゃならねぇ」「ドルが奴らの全ての言語だ」という一節など)と核兵器、軍事主義が痛烈にこき下ろされている。
脚注
関連項目
- 親米
- 反米保守
- 米中冷戦
- 左翼ナショナリズム
- 新冷戦
- アメリカニゼーション - アメリカ帝国 - マニフェスト・デスティニー
- アメ公 - ヤンキー