東急車輛製造
東急車輛製造株式会社(とうきゅうしゃりょうせいぞう、英称:Tokyu car corporation)は、かつて存在した東急グループの企業で東京急行電鉄(東急)の完全子会社である横浜金沢プロパティーズ株式会社の2014年までの商号。
1948年(昭和23年)に設立され[1]、鉄道車両および特装車・立体駐車装置などを取り扱う製造業であったが、2012年(平成24年)に総合車両製作所等に事業を譲渡。その後は不動産賃貸業を行う企業として存続し、2014年に商号を横浜金沢プロパティーズ株式会社に変更したが、2016年10月1日に東京急行電鉄に吸収合併され、解散した。
Contents
概要
東急の鉄道車両製造・修理改造事業部門が1953年(昭和28年)に独立した企業を源流とする。神奈川県横浜市金沢区の本社(横浜製作所)を始めとして、群馬県邑楽郡邑楽町(群馬製作所)および埼玉県羽生市(羽生製作所)の製造拠点を有した。
1968年(昭和43年)には大阪府堺市に製造拠点を置いていた帝國車輛工業を吸収合併。合併後は鉄道車両の製造については横浜製作所に集約し、トラック・特装車・分岐器・国内外向けの各種コンテナの製造専門工場となっていた。2003年には和歌山県紀の川市に工場を移転し和歌山製作所としていた。
鉄道車両事業においては、親会社である東京急行電鉄向けのみならず、日本国有鉄道・JR各社、私鉄・公営企業向けに、新幹線車両・在来線用の電車・気動車(ディーゼルカー)・客車などを製造・供給し、日本国外への輸出も行った。また2012年(平成24年)3月31日当時においては関東地方に工場を持つ唯一の鉄道車両メーカーであり、下記の車両製造実績の通り、関東の主要な鉄道事業者全社(者)への納入実績を有した。
東京急行電鉄以外ではJR東日本との関係が深く、同社が導入した通勤型車両のうち30%を受注・製造しており、特急型車両においては最多数の32%を受注・製造した。1990年代には、JR東日本などと共同で、VVVFインバータ制御および軽量ステンレス構体を採用した次世代通勤形電車を開発した。JR東日本901系電車として導入された同通勤形電車は従来車(103系電車)と比較して約48%の電力で運行できる省エネルギー車両であった。そのほか、寝台特急「カシオペア」の寝台車や食堂車(E26系客車)の製造も担当した。また、JR東日本に対して車両製造の技術供与を行い、新津車両製作所の開設に協力した。また、帝國車輛工業を合併した関係で南海電気鉄道(南海)との関わりも深く、南海と子会社の阪堺電気軌道の車両は東急車輛製造で製造されていた。
横浜製作所の敷地面積は296,000m2、建屋面積113,000m2、鉄道車両生産能力は年間720両(通勤形電車換算)であった。
2012年(平成24年)に業績不振を理由に、鉄道関連事業(横浜・和歌山)を東日本旅客鉄道(JR東日本)に、立体駐車装置事業(羽生)および特装自動車事業(群馬)を新明和工業へ譲渡し、製造業としての歴史を閉じ、不動産賃貸業を行う企業として残り、2014年に商号を横浜金沢プロパティーズ株式会社に変更し、2016年10月1日に東京急行電鉄に吸収合併され、解散した。
歴史
第二次世界大戦終戦後、東京急行電鉄は横浜市金沢区の旧海軍工廠跡地に「東急横浜製作所」を開設、鉄道車両の製造・修理改造事業を開始し、1950年(昭和25年)に東京急行電鉄へ納入したデハ80形電車デハ85(玉川線用の路面電車型車両)が東急横浜製作所としての新規製造車両第一号となった。その後1953年(昭和28年)2月6日付で社名を「東急車輛製造」と変更した。
鉄道車両メーカーとしては後発の事業者であったが、カルダン駆動の軽量台車と準張殻構造の軽量車体を組み合わせによる高性能車(東急5000系電車(初代))を開発、次いで一台車一電動機方式・セミステンレス車体・常用回生制動による維持運行経費の低減を重視した車両(東急6000系電車(初代))を開発するなど、東京急行電鉄との二人三脚体制による新技術の導入と、そのアピールには極めて意欲的で、短期間で多くの取引先を獲得した。
また、国鉄においては初となるレールバス(キハ01形気動車)を受注し、最終形式となったキハ03形気動車に至るまで、国鉄のレールバスをすべて単独で受注した。また札幌市交通局の依頼に応じ、世界でも類を見ない路面電車スタイルの気動車を手がけるなど、他社との競合がない分野にも意欲的に進出した。
その後、アメリカ合衆国バッド社(現・ボンバルディア・トランスポーテーション)との技術提携によって、オールステンレス車両のライセンス生産を開始[注 1]、さらにボーイング社の有限要素法解析による、軽量ステンレス車体を開発するなど、日本国内におけるステンレス構体を採用した鉄道車両の設計・製造に関する先進性は他社の追従を許さないものであった。
鉄道車両製造部門以外では、鉄道輸送および海上輸送用コンテナ、トレーラー・タンクローリーなどの特装車、二段式および多段式立体駐車装置、分岐器・横取り装置をはじめとする軌道関連部品の製造も行った。立体駐車装置については1992年度に販売実績業界第一位を記録し、また一般型鉄道用コンテナについては事実上の寡占状態にあった[注 2]。
- Izukyu 8000 Series EMU 011.JPG
技術提携時代に用いられたバッド社のライセンスプレート(左)
(伊豆急行8000系電車(元東急8000系電車)) - Tokyu car corporation sticker for trailers.jpg
被けん引車(トレーラー)に貼付された特装車専用社紋
事業譲渡
2002年(平成14年)10月1日をもって上場を廃止し、東京急行電鉄の完全子会社となったのち、2011年(平成23年)10月27日に、鉄道車両事業、特装自動車事業、立体駐車装置事業の経営権および全株式を2012年(平成24年)4月2日付で他社へ譲渡することが公式発表された。需要の激減による市場縮小や一層の競争激化など、各事業を取り巻く環境は極めて厳しい状況が続いており、事業環境の急激な変化に的確に対応し、事業を継続していくためには、抜本的な対策が急務であったとされる。
鉄道車両事業(子会社の東急車輛エンジニアリング・京浜鋼板工業を含む)についてはJR東日本に全株式と東急車輛が培ってきた技術やノウハウを含めて約65億円で、特装自動車事業(子会社の東急車輛特装・東急車輛サービスを含む)および立体駐車装置事業(子会社の新東急パーキング・東急パーキングシステムズを含む)については新明和工業に約25億円でそれぞれ売却し、約1,000人の従業員は新会社に移籍することが決定された。
事業譲渡にあたっては、東急車輌製造が2012年(平成24年)4月1日付で事業別に2つの事業子会社を設立し、既存の1社と合わせて3社に事業を分割したうえで既存子会社の株式も移動、翌日に事業子会社3社をJR東日本・新明和に譲渡(事業子会社株式の売却)という手法がとられた。ただし、譲受会社が再度合併する吸収分割とは異なり、JR東日本・新明和とも社名変更のみ行って、事業子会社として存在させている。ただし、後の2014年(平成26年)4月1日にJR東日本に譲渡した総合車両製作所がJR東日本直営であった新津車両製作所を譲受した。また同日に新明和に譲渡した立体駐車装置事業の子会社(東京パーキングシステムズ)が譲渡の際に新設された会社(東京エンジニアリングシステムズ)に吸収されている。
- 鉄道車両事業
- 新東急車輛株式会社 設立→JR東日本に譲渡→株式会社総合車両製作所(Japan Transport Engineering Company、略称:J-TREC)に社名変更[注 3]。
- 子会社の東急車輛エンジニアリング株式会社も「J-TRECデザインサービス株式会社」(J-TREC Design & Service Company、略称:J-TREC D&S)に社名変更。京浜鋼板工業株式会社は改称されず。
- 立体駐車装置事業
- 新東急パーキング株式会社 設立→新明和工業へ事業譲渡→東京エンジニアリングシステムズ株式会社(TOKYO ENGINEERING SYSTEMS CORPORATION、略称:TESC)へ社名変更→新明和パークテック株式会社(ShinMaywa Parking Technologies, Ltd.)へ社名変更。
- 子会社の東急パーキングシステムズ株式会社も「東京パーキングシステムズ株式会社」(TOKYO PARKING SYSTEMS CORPORATION、略称:TPSC)に社名変更。2014年(平成26年)4月1日で東京エンジニアリングシステムズ株式会社に吸収合併され消滅。
- 両者とも東急車輛製造の2代目の社紋(三角形に地球を模した球体が入っている)の上部のTOKYUをそれぞれの略称(TESCまたはTPSC)に置き換えて使用。
- 特装自動車事業
- 東急車輛特装株式会社(元々東急車輌製造の子会社として存在)を新明和工業へ事業譲渡→東邦車輛株式会社(TOHO CAR CORPORATION)に社名変更
- 子会社の東急車輛サービス株式会社も「東邦車輛サービス株式会社」(TOHO CAR SERVICE CORPORATION)に社名変更。
- 両者とも東急車輛製造の特装自動車製品のロゴ(鳥にも見える、平仮名の「と」を図案化したもの)を社紋として使用。ただしホームページ上のロゴは新明和のロゴと同色(白地に青)だが製品に貼られるステッカーでは東急時代と同じ色(赤地に白)となっている。そのステッカーの文字もTOKYUがTOHOに変更されたのみ。
事業譲渡後の東急車輛製造については、前述の通り2014年に社名を横浜金沢プロパティーズに変更し、残存する不動産を管理する法人として存続するものの、東急グループは車両製造業から完全撤退したが、2016年10月1日に東京急行電鉄に吸収合併され、解散した[2][3]。
沿革
- 1946年(昭和21年)6月18日 - 東急興業株式会社横浜製作所において東京急行電鉄の車両の戦災復旧を主体に操業開始。
- 1947年(昭和22年)7月28日 - 東急興業への委託を解除。東京急行電鉄(株)横浜製作所となる。
- 1948年(昭和23年)8月23日 - 株式会社東急横浜製作所を設立。資本金2,500万円。
- 1949年(昭和24年)9月30日 - 日本国有鉄道から湘南形電車、貨車の新造を受注。
- 1950年(昭和25年)
- 1953年(昭和28年)2月6日 - 東急車輛製造株式会社に商号変更[4]。
- 1954年(昭和29年) - 国鉄キハ01形レールバスを受注。1956年(昭和31年)のキハ03形まで、すべての国鉄形レールバスの製造を担当。
- 1959年(昭和34年)7月6日 - 東京証券取引所に株式上場。
- 1964年(昭和39年)6月1日 - 東邦特殊自動車工業株式会社を合併、大宮工場(埼玉製作所)とする。
- 1966年(昭和41年)11月 - 国鉄から新幹線製作許可メーカーに指定される。
- 1967年(昭和42年)4月 - 立体駐車装置の開発・販売開始。
- 1968年(昭和43年)
- 2月26日 - 大阪証券取引所に株式上場。
- 3月1日 - 帝國車輛工業株式会社を合併、同社大阪工場(大阪製作所)とする。
- 1969年(昭和44年)1月 - 本社工場(現・横浜製作所)で海上コンテナの量産を開始。
- 1970年(昭和45年)6月 - 大阪工場(大阪製作所)で海上コンテナの量産を開始。
- 1972年(昭和47年)11月 - 海上コンテナ生産50,000個達成、スチールコンテナ生産量世界一となる。
- 1988年(昭和63年)4月 - オールステンレス車両生産2,000両達成。
- 1990年(平成2年)10月 - 新造旅客車両生産10,000両達成。
- 1992年(平成4年) - 二段および多段式立体駐車装置の販売で業界1位となる。
- 1993年(平成5年)6月 - 羽生工場完成。
- 1994年(平成6年)6月 - 大規模機械式立体駐車場設備 (TIP) 第1号機受注。
- 1996年(平成8年)10月 - 秋田新幹線「こまち」用E3系電車納入。
- 1997年(平成9年)8月 - 北陸新幹線(東京駅 - 長野駅間)「あさま」用E2系電車納入。
- 1999年(平成11年)10月 - 群馬製作所完成、埼玉製作所閉鎖(埼玉製作所跡地は2000年10月にイオン大宮店が開店)。
- 2002年(平成14年)10月1日 - 株式交換により、東京急行電鉄の完全子会社となる(同時に現在の東京証券取引所での上場廃止)。
- 2003年(平成15年)10月 - 和歌山製作所完成、大阪製作所閉鎖(大阪製作所跡地は2008年3月にアリオ鳳が開店)。
- 2008年(平成20年)8月22日 - 東急車輛産業遺産制度を設け、東急5200系電車デハ5201を第1号に認定、構内で永久保存することを決定。
- 2009年(平成21年) - 東急7000系電車デハ7052を東急車輛産業遺産制度第2号に認定。横浜製作所歴史記念館を開設。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 10月27日 - 鉄道車両事業、特装自動車事業、立体駐車装置事業からの事業撤退が発表される。
- 11月9日
- 「鉄道車両事業継承会社」として新東急車輛株式会社を設立。
- 「立体駐車装置事業継承会社」として新東急パーキング株式会社を設立。
- 2012年(平成24年)
- 3月31日 - 一連の事業撤退に先立ち、資本金を140億4770万50円→1000万円に減資。
- 4月1日
- 鉄道車両事業部門および一般管理部門(東急車輛エンジニアリング株式会社と京浜鋼板工業株式会社の株式保有を含む)について会社分割(吸収分割)を実施し、新東急車輛株式会社(東急電鉄が新設する車両事業子会社)に承継。
- 立体駐車装置事業部門(東急パーキングシステムズ株式会社の株式保有を含む)について会社分割(吸収分割)を実施し、新東急パーキング株式会社(東急電鉄が新設する立体駐車場事業子会社)に承継。
- 東急車輛製造は、横浜製作所等の不動産等を保有する資産管理会社となる。
- 4月2日
- 2014年(平成26年) - 商号を横浜金沢プロパティーズ株式会社に変更。
- 2016年(平成28年)10月1日 - 東京急行電鉄と合併し、横浜金沢プロパティーズは解散([1])。
製品
鉄道車両
特記しないものは基本的に電車である。また車両の製作をJR東日本新津車両製作所に委託したものが一部含まれる。また、一部の形式は総合車両製作所に継承後も製作されている車両がある。なお京成電鉄と南海電気鉄道の2社は帝國車輛工業時代の顧客で、合併後も継続して取引を行っている。このため、鉄道車両の生産が東京製作所へ集約された1971年中盤まで、オールステンレス車を除く両社向け車両は帝國車輛工業本社工場の後身である大阪製作所が引き続き担当した。
大手私鉄
- 東京急行電鉄 - 鉄道線デハ3800形以降サハ3250形を除く全車両、軌道線デハ80形(一部を除く)以降の全車両。
- 京浜急行電鉄 - 500形以降の全形式(川崎重工業とほぼ半分ずつ分け合って製造していた)。
- 小田急電鉄 - ロマンスカー・デハ500形(モノレール)以外の車両を製造(5000形・5100形気動車を含む)。
- 京王電鉄 - 1000系(初代・現行2代目とも)・3000系・6000系・7000系・8000系・9000系・クヤ900形など。
- 相模鉄道 - 2100系・3000系・5100系・9000系・10000系・11000系・モヤ700系(改造)など。
- 東武鉄道 - 100系・200系・6050系・8000系・9000系・9050系・10000系・10030系・20000系・20050系・20070系・30000系・キハ2000形気動車 など。
- 西武鉄道 - 新101系・新2000系・3000系・4000系・6000系(ステンレス車)・9000系VVVFインバータ制御改造・新2000系更新工事など。
- 京成電鉄 - 3300形・3500形・3600形・3700形・3000形(2代)・AE100形・2代目AE形 など。
- 帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄、2002年以降は取引なし) - 500形・2000形 - 05系までの車両。
- 南海電気鉄道 - コ11・21形、7000系の1968年8月以前に竣工のグループと、8300系除く現存全形式。
- Tokyu-5000-3.jpg
東京急行電鉄5000系・5050系・5080系
- Tokyu9000.jpg
東京急行電鉄9000系
- Tokyu-3000.jpg
東京急行電鉄3000系
- Tokyu-EC300-3.jpg
東京急行電鉄300系
- Keikyu2100-sbb-ksg.jpg
京浜急行電鉄2100形
- Nankai 2353F.jpg
南海電気鉄道2300系
- Nankai50000Series02.jpg
南海電気鉄道50000系
国鉄・JR
- 日本国有鉄道(国鉄)
- 国鉄向け気動車の製造は1966年頃まで。
- JNR Kiha03-1.JPG
キハ01系キハ03形
- JNR-Kiha35901-01.jpg
キハ35形900番台
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 313系 など。
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 721系 など。
- 四国旅客鉄道(JR四国)
- 5000系(5100形のみ)。
- 鉄道総合技術研究所 (鉄道総研・JR総研)
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)および九州旅客鉄道(JR九州)とは車両購入では取引なし。
- 日本貨物鉄道(JR貨物)は車両購入での取引はないが、コンテナの製造を担当。
- Narita express.jpg
JR東日本253系
- JRE E233 0.jpg
JR東日本E233系
- JRE-Kiha-E200-1-Yachiho-2.jpg
JR東日本キハE200形
- JR East E259 Narita-Express.jpg
JR東日本E259系
- JRS 5000 Marine Liner.jpg
JR四国5000系(先頭車の2階建て車両のみ)
- Image-CentralJapanRailwayCompanyType313.jpg
JR東海313系
中小私鉄・第三セクター・新交通システム
- 留萠鉄道 - キハ2005(同路線廃止後茨城交通へ譲渡、現・ひたちなか海浜鉄道キハ2005)
- 上信電鉄 - クハニ10形(クハニ10のみ)
- 横浜高速鉄道 - Y000系・Y500系
- 江ノ島電鉄 - 300形・500形・1000形・2000形・10形・20形・新500形 など。
- 箱根登山鉄道 - モハ2形
- 伊豆急行 - 100系・2100系・8000系(厳密には元東急車の改造)
- 静岡鉄道 - 1000形
- 北総鉄道 - 7000形(7006編成のみ)・7300形(7308編成のみ)・7500形(7501編成のみ)
- 新京成電鉄 - モハ250形・サハ550形
- 北大阪急行電鉄 - 7000形
- 大阪府都市開発 - 100系・3000系・5000系
- 阪堺電気軌道 - モ601形・モ701形
- 伊豆箱根鉄道 - 3000系・5000系・7000系
- 加越能鉄道加越線 - キハ120形気動車(同路線廃止後鹿島鉄道へ譲渡、キハ430形気動車となる)
- 横浜新都市交通 - 1000形・2000形
- ゆりかもめ - 7000系
- ドリーム交通 - 10形
- Yokohama-kousoku y000.jpg
横浜高速鉄道Y000系
- Yokohama-Minatomirai-Y500.jpg
横浜高速鉄道Y500系
- Hokuso 7500.jpg
北総鉄道7500形
- Semboku3000 3509F.jpg
大阪府都市開発3000系
- Hankai700Series01.jpg
阪堺電気軌道701形
- Yokohama New Transit 1000 series 011.JPG
横浜新都市交通1000形
公営交通
- 福岡市交通局 - 1000系(1985年製造 第17編成のみ)
- 横浜市交通局 - 2000形・3000A形・3000N形・無軌条電車100形
- 東京都交通局 - 5000形・12-000形試作車・10-000形・10-300形
- 札幌市交通局 - D1000形気動車・D1010形気動車・D1020形気動車・D1030形気動車・D1040形気動車・A830形(その後名古屋鉄道モ870形)など。
- 大阪市交通局 - 30系・10系・20系・新20系・無軌条電車200形 など。
- 川崎市交通局 - 無軌条電車600形
- 大阪市交10A系電車.JPG
大阪市交通局10系
- Toei 10-300.jpg
東京都交通局10-300形
- Toei-Subway10-000-1.JPG
東京都交通局10-000形
- Yokohama subway 3000.JPG
横浜市交通局3000A形
日本国外
- アイルランド国鉄 - 8520系電車、2800系気動車
- シンガポール地下鉄 (SMRT) - C151形電車
- 台湾鉄路管理局 - DR2700型気動車・DR2800型気動車(東部幹線向け)
- 北京地下鉄
- 天津地下鉄
- ソビエト連邦運輸通信省(現・ロシア鉄道株式公開会社) - サハリン向け客車(DB131形、DB017形など)
- マサチューセッツ湾交通局 (MBTA) グリーンライン、サンフランシスコ市営鉄道 (Muni) - ライトレールLRV(ボーイング・バートル社との合作。東急車輛は車体および台車枠の製造を担当)
- ナイアガラ交通営団 (NFTA) - バッファローLRV
- クリーブランド地下鉄 - 現行車両
- メトロノース鉄道 - M4形
- ロングアイランド鉄道 - ダブルデッカー客車(C1型はコメンジ社との合作。東急車輛は車両の製造を担当)
- サンパウロ地下鉄 - 1000系(マフェルサ社との共同開発。東急車輛は台車を担当)
- 東パキスタン(現・バングラデシュ) - 大統領専用車
- タイ国有鉄道 - 気動車、寝台車
- フィリピン国鉄 - 気動車
- モザンビーク鉄道 - ディーゼル機関車、気動車、客車、荷物車
- 南アフリカ鉄道・港湾庁 - 急行用優等車、食堂車
- 朝鮮民主主義人民共和国向け - 電源車
- アルゼンチン国鉄 - ウルキサ線(後のブエノスアイレス地下鉄)、ミトレ線向け吊り掛け電車、ロカ線電車
など。
- Diesel Railcar in LinKou Line of Taiwan Railway-P1020697.JPG
台湾鉄路管理局 DR2700型気動車
- San Francisco Boeing LRV at Duboce & Church, March 1980.jpg
サンフランシスコ・Muni向けLRV
- Cleveland August 2015 01 (RTA Red Line).jpg
クリーブランド地下鉄
- C151AngMoKio.jpg
シンガポール地下鉄 SMRT
- DART Connolly.jpg
DART 8520形
補足
- 京浜急行電鉄は、同社の路線が横浜製作所と直接繋がっているため、通常同製作所で新製された車両は自力で出場し、主回路が新規設計された車両など一部の例外を除いてそのまま本線試運転が行われた。また、京急逗子線の金沢八景 - 神武寺間の上り線は、JRなどへの新製車両の納入や、改造車両などの入出場のために横浜製作所からJR逗子駅までの搬出入(回送)線を併設しており、1,435mm(標準軌)と1,067mm(狭軌)の三線軌条区間となっている。川崎重工業で製造された京急の車両については同回送線を経由して一旦横浜製作所に搬入後、台車交換・整備の後同様に出場した。同回送線は総合車両製作所への事業譲渡後も継続使用されている。
- 京成電鉄向け電車の製造・納入は帝國車輛工業の合併後、同社が納入を担当していた3200形の改良増備車にあたる3300形から開始された。帝國車輛工業と京成電鉄の関係は戦前に京成が帝國車輛工業の前身である梅鉢車輛に資本参加していたことによるもので、戦後資本関係を解消した後も製造・納入が継続されていた取引関係がそのまま継続したものであった。
- 東武鉄道向け電車については、日本車輌製造東京支店(蕨工場)の移転・閉鎖によって戦前より続いた東武と日本車輌製造との取引が途絶えたことに伴い、当時大量増備中であった8000系電車の新製より新規参入した。
- 西武鉄道は、日立製作所へ発注した5000系を除き、戦後長らくメーカー生産車がなく自社所沢車両工場製の車両で占められていたが、101N系の設計に携わった関係で101N系より製造・納入が開始された。以降、新2000系・4000系・6000系ステンレス車などの製造を担当したが、10000系および6000系アルミ車以降は発注先が日立製作所へ変更され、晩年は車体更新工事を中心とした取引のみとなっていた。
- 南海電気鉄道・阪堺電気軌道・大阪府都市開発(泉北高速鉄道)・大阪市交通局は、東急車輛製造の西日本地区における数少ない顧客であった。なかでも南海電気鉄道は、合併によって大阪製作所となった旧帝国車輛工業の前身である梅鉢鉄工場時代から長く取引が続いており、架線電圧昇圧に伴う車両大量増備が行われていた頃までは近畿車輛への発注実績があったが、以後2015年まではグループ会社である阪堺電気軌道ともども東急車輛製造1社単独での車両受注となっていた。また大阪市交通局は入札制を徹底させており、1990年代までは東急車輛製造・日本車輌製造・近畿車輛・川崎重工業・日立製作所の大手5社に近隣のアルナ工機(現・アルナ車両)を加えた6社に対して新車の発注を行っていた。
- 五島昇が戦後間もない頃出向していた。(城山三郎著 『ビッグボーイの生涯』より)
鉄道車両以外の製品
- 台車 - 鉄道車両用台車の生産は東急横浜製作所当時から行っており、形式は横浜製作所の英字頭文字を取ってYSであったが、東急車輛製造に商号変更後の形式はTSとなった。親会社である東京急行電鉄の電車はすべて東急車輛製造製のTS台車を装着するほか、京王電鉄の現有車両もすべてTS台車で統一されている。以下、東急車輛製造製の台車を装着する主な鉄道車両を示す。一部の形式は総合車両製作所に継承後も台車が製作されている。
- 東京急行電鉄 - 現有全車両
- 横浜高速鉄道 - 現有全車両
- 京王電鉄 - 現有全車両
- 小田急電鉄 - 2600形(2666編成 VVVF改造電動車)・4000形(初代)・3000形(2代)・4000形(2代)・クヤ31形検測車
- 京浜急行電鉄 - 新1000形など現有全車両の約半数(現有旅客車用の台車はすべて川崎重工業と東急車輛製造の共通設計)
- 南海電気鉄道 - 6000系・6100系(後に住友金属工業製の台車へ換装)
- 江ノ島電鉄 - 現有全車両
- 東京都交通局 - 10-300形
- 相模鉄道 - 2100系・3010系(3000系2代)・5000系・9000系・10000系・11000系
- 伊豆急行 - 現有全車両
- 阪堺電気軌道 - モ601形・モ701形
- 箱根登山鉄道 - 106号車以外の全車両
- 静岡鉄道 - 現有全車両
- 札幌市交通局 - 3300形・A830形・D1000形・D1010形・D1020形・D1030形・D1040形
- 分岐器など、軌道に付帯する部品
- コンテナ(鉄道コンテナ・タンクコンテナ・冷凍(冷蔵)コンテナ・物流機器)
- 特殊自動車(トレーラー・タンクローリー・ダンプトラック・バントラック・環境整備車両・各種作業車・ヤードキャリア)
- 立体駐車装置(大規模機械式立体駐車装置・機械式立体駐車装置・自走式駐車装置・タワー式駐車装置)
- 開発製品(メカトロニクス製品・環境システム製品)
など
東急車輛グループ
- 東急車輛エンジニアリング株式会社
- 東急車輛特装株式会社
- 東急車輛サービス株式会社
- 東急パーキングシステムズ株式会社
- 京浜鋼板工業株式会社
労働問題
- アスベスト問題
- 同社大阪製作所(大阪府堺市、現在は和歌山製作所に機能統合され閉鎖)で、元社員の男性3人が、1960年代以降に7 - 30年間、塗装や配管などの業務に従事していたが、3人の男性の作業場では、隣接して車両からアスベストを取り出す作業が行われていて、そこから生じた粉塵を吸い込み、退職後に中皮腫を発症し死亡した。3人の遺族は、「会社が安全配慮を怠ったため」などと主張し、2011年(平成23年)4月4日に、同社を相手取り約1億円の損害賠償の支払いを求め、大阪地方裁判所に提訴した[5]。その後2013年11月12日に、同社の後身である総合車両製作所が解決金を支払うことなどで和解が成立した[6]。
脚注
注釈
- ↑ ただしバッド社製の車両は戸袋もビード加工も採用されていない。
- ↑ 液体用タンクコンテナについては日本車輌製造でも製造。
- ↑ 3.0 3.1 総合車両製作所発足以降は、川崎重工業へのJR東日本の在来線車両の新規発注はTRAIN SUITE 四季島用車両7両とGV-E400系電気式気動車を除いて全て無くなった。ただし、川崎重工業でのJR東日本の新幹線車両の製造は、日立製作所とともに現在も継続している。
- ↑ JR東海向けは100系G編成2本(1989年製のG15編成と1991年製のG41編成)のみで終わった。
- ↑ 成田スカイアクセス線開業に際して新製された新AE形については、車体寸法の都合により都営浅草線を通過できないことから、直接宗吾車両基地に陸送された。
- ↑ 電気指令式ブレーキ仕様の新車を電磁直通ブレーキ仕様の牽引車(赤電8M車)によって牽引する形態で輸送が行われていた当時は、制動装置の相違から編成全体にブレーキが作用しないため、深夜に徐行運転による輸送を実施した。後年、牽引する電車が3600形VVVF車(3668編成。牽引時は編成中間の付随車を外して全電動車編成とされる)に変更された後は、牽引車・新車ともに電気指令式ブレーキで統一されて編成全体にブレーキが作用するようになったことから、営業時間内に通常の速度で輸送を行うよう変更された。また京急線および都営浅草線で運用実績がある形式の場合は、京急の車両と同様に自力回送によって発注元へ納入された。
出典
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「完全子会社化
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 子会社の事業の譲渡に関するお知らせ (PDF) - 東京急行電鉄ニュースリリース 2011年10月27日
- ↑ 東急、JR東日本に鉄道車両事業を譲渡 - 日本経済新聞電子版 2011年10月27日
- ↑ 日付は『東急車輌30年のあゆみ』による。『東京急行電鉄五十年史』では2月11日とされる。
- ↑ 損害賠償訴訟:石綿吸って死亡と元社員の遺族が提訴 毎日新聞 2011年4月5日
- ↑ アスベスト:東急車両製造、元社員3人の遺族と和解 毎日新聞 2013年11月13日
参考文献
外部リンク
- 東急車輛製造株式会社(2010年6月時点のアーカイブ)
関連項目
- 総合車両製作所
- 総合車両製作所新津事業所(旧・JR東日本新津車両製作所)
- 京急逗子線