美波町
美波町(みなみちょう)は、徳島県南部に位置する町。四国霊場の薬王寺に参拝する遍路で門前町は賑わい、室戸阿南海岸国定公園でもある海岸ではアカウミガメが産卵に訪れる。世界的にも珍しい施設とする日和佐うみがめ博物館などウミガメで町おこしを行っているほか、後述の漁村留学による地域おこしが成功例として全国から注目されている。
Contents
概要
総じて落ち着いた美しい街並みで新日本観光地100選に選ばれているほか、吹き筒花火などでも知られる赤松地区は美しい日本のむら景観百選に選ばれている。四国地方のNHKテレビの天気予報では、徳島県南部を代表して「美波」が予報地として報じられる。
明治期にアメリカ船が志和岐沖で座礁した時には、村民総出で救出し、それを聞いたアメリカ大統領から、銀メダルや賞状、250ドルを送られたという逸話がある。
近年は足湯もある道の駅日和佐が新たな県南部の交流拠点・情報発信基地になっているほか、日和佐道路の開通で従来不便だった由岐地域との連絡も改善された。
2007年(平成19年)7月に徳島県内では初めて、美波町内の商店からレジ袋の有料化を実施し、年内に海部郡3町にも拡大するなど先駆的に環境意識が高まっている。
同協議会は2007年(平成19年)11月23日、農林水産省による農林水産祭 むらづくり部門の最優秀賞の天皇杯を受賞した。
地理
隣接している自治体
人口
合併以来人口減少の一途を辿っていたが、2014年(平成26年)には初めて6人の転入超を成し遂げた[1]。
美波町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
原始
- 縄文時代田井遺跡[2]ができる。
- 今の美波町立日和佐小学校前で祝部の土器の破片が見つかる。
古代
- 935年(承平5年)1月22日から1月26日にかけて土佐日記の作者『紀貫之』が土佐から京都への帰る途中、日和佐に阿波国内では最長の4泊停泊。恵比須浜港に停泊したという説が有力である。日和佐港は阿波国外にも良港として知られていた。
中世
- 「平家物語」に結城の浦との記述があるが、旧由岐町のことであると考えられる。
「阿波国結城の浦より小舟にのり、鳴戸浦をこぎとほり、紀伊路(平家物語 巻一○横笛)
- 1223年(貞応2年)5月 承久の乱で土佐に配流されていた、後鳥羽上皇の第一皇子、土御門上皇が、都に近いところでという配慮で、阿波国に移られることになった途中、薬王寺に滞留されたようである。
- 「太平記」に「雪ノ湊」との記述があるが、旧由岐町のことであると考えられる[4]。
「中二モ阿波ノ雪ノ湊ト云浦二ハ、俄ニ太山ノ如ナル潮漲来テ、在家一千七百余宇、悉ク引塩ニ連テ海底ニ沈シカバ、家々ニ所有ノ僧俗・男女、牛馬・鶏犬、一モ不残底ノ藻屑ト成ニケリ」(太平記 巻三十六)
近世
日和佐肥前守の子孫の濱氏が阿波藩蜂須賀氏諸奉行格80石余を知行。また薬王寺は寺領として十五石を給わった。
- 1771年(明和8年)6月11日 ハンガリー人のモーリツ・ベニョヴスキーがロシア船を乗っ取り、日和佐浦に漂着。
- 1807年(文化4年) 陣屋が海部から日和射に移される。
- 1829年(文政12年)12月20日以降、宍喰沖・牟岐浦・日和佐浦に異国船(黒船)が度々来航。ペリー来航の24年前のことであった。
- 1868年(慶応4年)1月4日 戊辰戦争のなかで旧由岐町沖で阿波沖海戦があった。この海戦は日本初の洋式艦同士の戦いで赤塚源六艦長率いる薩摩艦隊は、幕府軍艦頭榎本武揚 が陣頭指揮をとる幕府艦隊「開陽丸」を振りきり逃走した。逃げ去った薩摩艦船「春日丸」には日露戦争で活躍した東郷平八郎も砲手として乗り込んでいた。その海戦を伝える阿波沖海戦公園がある。
近代以降
- 1889年(明治22年) 町村制施行で日和佐村、赤河内村、三岐田村、阿部村発足。
- 1907年(明治40年) 日和佐村、町制施行で日和佐町に。
- 1922年(大正11年) 三岐田村、町制施行で三岐田町に。
- 1926年(大正15年)7月1日 日和佐警察署を廃止し牟岐町に移す。
- 1927年(昭和2年)4月 県立海部中学校開校。
- 1939年(昭和14年)12月14日 国鉄牟岐線福井-日和佐間開通。
- 1942年(昭和17年)7月1日 国鉄日和佐-牟岐間開通。
- 1947年(昭和22年) 南海地震により、被害甚大。多くの家屋が倒壊・浸水。
- 1955年(昭和30年)
- 三岐田町、阿部村合併で由岐町発足。
- 2月1日 町立日和佐病院開設。
- 1956年(昭和31年) 赤河内村に、日和佐町を編入し、日和佐町に改称。
- 1958年(昭和33年) 日和佐幼稚園創立。
- 1968年(昭和43年)4月3日 香川県詫間町(現・三豊市)と日和佐町が姉妹都市締結。
- 1969年(昭和44年)5月8日 オーストラリア、ケアンズ市と日和佐町が姉妹都市締結。
- 1973年(昭和48年)5月1日 海部郡農業協同組合を設立。日和佐に事務所設置。
- 1974年(昭和49年)4月26日 南阿波サンライン全線開通。
- 1977年(昭和52年)4月19日 沖縄県国頭郡恩納村と日和佐町が姉妹都市締結。
美波町誕生後
- 2006年(平成18年)3月31日 海部郡の日和佐町、由岐町が合併して誕生。同時に町章を制定する[5]。
- 2009年 徳島県立水産高等学校が徳島県立徳島科学技術高等学校(徳島市)へ統合される。
- 2010年 美波町立赤松小学校、美波町立由岐中学校阿部分校が閉校。
- 2011年 美波町立阿部小学校が閉校。
- 2013年 3月27日徳島県立日和佐高等学校跡地で防災ヘリポート完成記念式典を開催[6]。
- 2016年 3月1日 - 日和佐病院と由岐病院を統合し、美波町立美波病院を開設[7]。
- 2016年3月31日 - 美波町立木岐小学校が閉校。
行政
町長
代位 | 町長氏名 | 任期 | |
---|---|---|---|
就任年月日 | 退任年月日 | ||
初代 | 藤井格 | 2006年(平成18年)5月 | 2009年(平成21年)7月 |
第2代 | 影治信良 | 2009年(平成21年)8月24日 | 現職 |
自治体交流
教育
中学校
小学校
特別支援養護学校
交通
鉄道路線
町役場の最寄駅は日和佐駅である。特急列車は由岐駅と日和佐駅に停車する。田井ノ浜駅は海水浴シーズンのみ営業する。
バス
旧由岐地区 - 旧日和佐地区を相互に結ぶバス路線は無い。
道路
- 徳島県道19号阿南鷲敷日和佐線
- 徳島県道25号日和佐小野線
- 徳島県道26号由岐大西線
- 徳島県道36号日和佐上那賀線
- 徳島県道147号日和佐牟岐線(南阿波サンライン)
- 徳島県道177号由岐停車場線
- 徳島県道194号由岐港線
- 徳島県道195号日和佐港線
- 徳島県道289号赤松由岐線
- 徳島県道290号日浦野田線
- 徳島県道294号北河内奥河内線
特徴
集落再生に成功
漁村地域の伊座利(いざり)地区では、地域の人口減少・廃校問題に危機感を持った住民が主体的に、「学校の灯火を消すな!」を合言葉に「伊座利の未来を考える推進協議会」を結成、家を用意して家族ぐるみの県外からの漁村留学に取り組んだ。その結果、6年間で地区の人口を100人から130人へと130%に増加させており、地方自立や地方分権のあり方・ヒントとして全国的注目を浴びている[8]。
特産品
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 名所・旧跡
- Yakuoji 01.JPG
薬王寺
- Hiwasa cascle.JPG
日和佐城
- 名勝
- 博物館など
- 日和佐うみがめ博物館
- ぽっぽマリン(JR牟岐線由岐駅に併設)
- 催事
- 由岐天神祭り(7月日曜)
- 由岐の連続秋祭り(9月中旬)
- 伊勢エビ祭り(10月日曜)
- 赤松地区の吹筒花火(10月)
- うみがめ祭り(7月中旬)
- ひわさうみがめトライアスロン(うみがめ祭りの翌日)
- 八幡神社秋季例祭(秋祭り)日和佐地区(10月)
出身有名人
ゆかりのある人物
ゆかりのある放送
NHK連続テレビ小説『ウェルかめ』の舞台となっている。2009年(平成21年)9月28日 - 2010年(平成22年)3月27日まで放送。
参考文献
- 『図典 日本の市町村章』 小学館辞典編集部、小学館、2007-01-10、初版第1刷。ISBN 4095263113。
脚注
- ↑ 漁師町にITオフィス 「東京よりかっこいい」:読売新聞
- ↑ 徳島県立埋蔵文化財総合センター - とくしま埋文資料集成
- ↑ 中男とは養老令で17 - 20歳の男子を指し、また海藻はワカメのことである。
- ↑ 下中直人、徳島県の地名、第37巻、日本歴史地名大系、2000年2月25日、p692-p693
- ↑ 図典 日本の市町村章 p191
- ↑ 『日和佐高跡地に建設 防災ヘリポート 完成祝い式典』徳島新聞2013年3月28日 18面 地域面 ワイドとくしま
- ↑ 八角健太 (2016年2月16日). “津波に備え、病院が標高23メートルの高台に 美波町、完成し記念式典”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 徳島全県版
- ↑ 2006年(平成18年)8月20日日本経済新聞社説、2007年(平成19年)10月20日徳島新聞社説ほか
関連項目
外部リンク
- 徳島県美波町ホームページ
- 美波町観光協会ホームページ
- オープンストリートマップには、美波町に関連する地理データがあります。