ジャニーズ事務所
株式会社ジャニーズ事務所(ジャニーズじむしょ)は、日本の芸能プロダクションである。
歴史
米国由来の芸能の伝道
創設者のジャニー喜多川は、その前半生を第二次世界大戦戦時中の一時期を除いてアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで過ごし、その間米国西海岸のエンターテインメントの世界に浴びるように触れる。また、両親の母国の敗戦により日本がまだ連合国軍の占領下にあった1950年頃から日本の芸能人が箔附けのために渡米するようになり、父の諦道が日本仏教の高野山真言宗米国別院の主監をつとめていた都合上、それらの寺院を公演場所として貸与しており、ジャニーはここでもエンターテインメント業に触れる一方で、美空ひばりを筆頭に錚々たる芸能人と面識を持った[1]。
サンフランシスコ講和条約の発効で日本が主権回復した1952年、ジャニーは来日して米国大使館で通訳として勤務する傍ら、宿舎の近所の少年たちを結集させて野球を教授していた。ある日、雨天により通常行う野球の練習を休み、映画館で『ウェストサイドストーリー』を鑑賞する。これに一同感動し、以降野球のトレーニングそっちのけでダンスのレッスンを始めた。この時の野球少年から選抜されたのが、事務所最初のタレントグループである(初代)ジャニーズであった。ジャニーは単なるタレント育成ではなく、ミュージカル俳優のような歌唱してダンスもできるマルチタレントの育成を目指した。
1962年、渡辺プロダクションの系列会社としてジャニーズ事務所が創業される。初代ジャニーズは生放送の舞台ショーであった『夢であいましょう』などに出演する[2]。
次いで1968年にデビューしたフォーリーブスは、当時全盛期を迎えていたグループ・サウンズ(GS)の流れに乗り、「楽器を持たないGS」と通称される。1970年代に入りGSが下火に入ると、変わって台頭したソウルミュージックの路線に切り替える[3]。
アイドル的路線の確立
1970年代前半、GSのグループやメンバーはそれぞれアーティスト性を強めていた(ニュー・ロック)。また米国の音楽文化の中では、政治的な自我を前面に強調したフォークソングが新たに誕生し、日本においても吉田拓郎、井上陽水、中島みゆきらが人気を博していた。しかしジャニーズはあくまで非日常な舞台を演出する方針を堅持した。ジャクソン5を模した明るいソウルミュージックに転向し、軽快でポップな舞台を「演じる」路線をとったのである[4]。
1972年、郷ひろみのデビュー時には、その中性的なルックスを前面に押し出し、またGSで特にアイドル性が高かったオックスとタッグを組んでいた筒美京平をプロデューサーに迎えた。郷はその後、1970年代半ばから登場したディスコもいち早く受容したが、1975年に退所する。次いで1977年にデビューした川崎麻世、1980年にデビューした田原俊彦もこの流れを継いだ[5]。舞台演技として一番経験を積んだのは、少年隊である。少年隊はデビュー前から米国に進出するなどそのパフォーマンスを高く評価される。1985年にデビューすると、翌年から2008年まで舞台『PLAYZONE』で主役を張った[6]。1987年デビューの光GENJIもまたミュージカル志向であるが、トレードマークのローラースケートは英国ミュージカル『スターライトエクスプレス』に着想を得たものである[7]。
お茶の間のタレントの誕生
一方で、1970年代半ばからテレビが普及するにつれて、「日常で各家庭のお茶の間に居ながらにしてわずかな非日常的空間を楽しむ」、というスタイルが誕生する。この潮流の主軸をなしたのが、『スター誕生!』に関わった阿久悠であった。ジャニーズでこの新たな潮流に最初に合致したのが、近藤真彦(1980年デビュー)である。近藤のやんちゃなキャラクターが1950年代のオールディーズやストリートファッションなどの対抗文化の雰囲気を醸し出していると評され、ディスコ調の曲と並行してロック調の曲も発表された[8]
1980年代に入ると男女両方のアイドルの大衆化はさらに進み、歌やダンスなどの「実力」よりも個性などの「魅力」がより、女性アイドルに限らず男性アイドルにも求められるようになる。シブがき隊(1982年デビュー)は歌やダンスの技量不足をカバーするために、音楽の企画性を追求した。いわゆるノベルティソング(珍奇な(novelty)歌、いわゆる「ネタ」が先行した音楽)を積極的に練ったのである。その傾向としては、「スシ食いねェ!」に代表されるような、米国視点からのジャポニスムが色濃く見られた[9]。続く忍者(1985年デビュー)は楽曲やパフォーマンスでジャポニズムを前面に押し出した[10]。
男性アイドルのマルチタレント化
1990年代に入るころには、男性アイドルの虚構性に対する需要がますます低下して、光GENJIの人気も下降した。1991年にデビューしたSMAPは、当初は光GENJIを模した華やかなコンセプトでスタートしたが、セールス面で事務所始まって以来の低迷を続ける。当時SMAPにバラエティ番組やドラマに積極的に進出させる。お笑い方面への進出自体は過去のタレントも行っていたが、SMAPは手加減することなく、本職の芸人も顔負けの本気でコントに臨んだ。
この方針は創業者のジャニー喜多川が志向する劇場型のエンターテインメントからは逸脱していたが、この方針転換を自身が率先して行わせた。ジャニーは米国と比べて芸能人の社会的地位が低い日本の文化環境に不満を抱いており、米国のようにすべてのジャンルの芸能人が等しく「芸術家」として尊敬を受ける社会を希求していた。そのため、すべての芸能分野において一流のパフォーマンスを披露する技量を持たせることは方針と合致し、また望ましいことであったのである[11]。
SMAPはバラエティと音楽パフォーマンスを両方こなすことで、スター性がありながらより身近な存在であるという唯一無二の存在位置を獲得することに成功した[12]。衣装についても身近な「リアル」を追求し、光GENJIのような気飾った衣装でもなく、近藤のような対抗文化の衣装でもなく、正真正銘の同時代の「リアル」な等身大の若者のヴィジュアルを保った。既に完成された完璧さではなくてそのメンバーの「物語」を見せ、ファンの共感を呼ぶという手法は、2000年代の男性アイドルの基本形となり、何よりジャニーズ事務所のほかの所属アイドルの模範ともなり、以降ジャニーズ事務所は男性アイドル界で圧倒的な勢力を築くに至った[13]。
特色
タレント育成方針
ジャニーズ事務所草創期の1960年代、日本の芸能界をリードしていたのは渡辺晋率いる渡辺プロダクション(ナベプロ)で、ジャズ奏者出身の渡辺の活動方針は、芸能人の生活基盤の安定のための市場整備にあり、タレントの権利擁護と市場提供を主目的とした。一方でジャニーズ事務所は、創業者ジャニー喜多川の舞台芸術に対する憧れが最初にあり、初代ジャニーズ以下、事務所に入所した青少年に対して、エンタテインメントについて手厚い教育を行った。ジャニーは事務所の経営は姉のメリー(現:代表取締役副社長)に任せ、自身は半世紀に渡り、タレントへの教育を自ら行った。
ジャニーズ事務所の特徴はこのタレントに対する教育制度にあり、デビュー前のタレントを総称してジャニーズJr.と呼ばれるようになる。郷ひろみがデビューした1970年代から、Jr.のタレントは顔見せを兼ねて先輩のコンサートのバックダンサーなどの下積みを積むようになる。この育成制度は、未婚女性のみで構成された宝塚歌劇団との類似性が指摘されており、ジャニーも取材に対して「男版宝塚をやる」と宣言したことがある[14]。。。中にはCDデビューせず俳優として活動する者もおり、生田斗真、屋良朝幸、風間俊介、長谷川純、佐野瑞樹、ふぉ〜ゆ〜、浜中文一のように俳優業だけでジャニーズJr.を卒業した例もある[15]。
副業は禁止されている事が所属タレントの口から語られている。ただし、事務所の許可を得てした例もある[16][17]。
肖像権管理
かつて、所属タレントの肖像権を守護し、複写等の悪用を防止するため、その管理に厳格な事務所とされていた[18]。インターネットが普及した以降も、レコード会社・出演映画・テレビドラマ・CM・音楽番組の公式ウェブサイトや新聞のWeb、電子版上で、所属タレントの顔写真や動画を使用することが制限され[19][注 1][注 2]、マネージャー等も同等とされていた[注 3]。例えば出版社のサイトにて雑誌表紙のタレントが白抜きで表示される、CD等の通信販売サイトにてCDジャケットがシルエット表示される、など[22]長らく事務所および所属レコード会社の公式ウェブサイト以外のウェブサイトで所属タレントのCD・DVDのジャケット掲載を行っていなかったが2017年8月ごろから掲載が解禁された[23]。雑誌・書籍表紙についても2018年4月より掲載が認められるようになった[24]。
2017年から2018年にかけて、所属タレントが出演する CM、テレビドラマ[注 4]やバラエティの予告が公式チャンネルを通してYouTubeなどへアップロードされるようになり制限が緩和された[25]。2010年頃から、Adobe フラッシュプレイヤーの技術を利用し、閲覧ページを閲覧者が容易に画像などを保存できない設定になっているためかなり緩和されてきていた[26]が、。
また2017年には、所属タレントの滝沢秀明が「日UAE親善大使」に委嘱された際、外務省のウェブページに滝沢が写った写真が公開されている[27]。
2017年9月にジャニーズ事務所を退社した香取慎吾については、退社後の写真をWeb媒体に掲載可能である旨が明示されている。これはジャニーズ所属時に存在した写真掲載規制が、退社にともなって解けたことを意味している[28]。
そして2018年1月31日、所属タレントのインターネット上での写真公開が正式に解禁された[29]。使用可能な写真は、所属タレントに対する公開取材での写真で、使用する写真の枚数の制限や写真を二次利用する際の注意点などがあるものの、所属タレントのインターネット上での写真公開がほぼ例外なく容認される形となり[29]、同日のTwitter上でも、映画『羊の木』の公式アカウントで錦戸亮(関ジャニ∞)が写った写真がツイートされた[30]。
さらに、同年1月31日の時点では「記者会見、囲み取材、舞台あいさつなどタレント登壇時のものに限る」としていた使用許可範囲は、同年2月12日には事務所や製作者側から配信される写真に限りテレビドラマや映画出演発表の際にも使用可能と緩和され、当日は映画『来る』に主演する岡田准一の写真がインターネット上に掲載された[31]。
声の出演・音源の扱い
ラジオ番組のストリーミング配信においては、有料での配信となっているLISMO WAVEやドコデモFMでは番組が差し替えられている(大半はフィラー音楽となり、代替番組は放送しない)。radikoに関しては2018年3月までエリアフリーとタイムフリー(エリアフリーの非会員も含む)聴取が規制[32]されていたが、同年4月よりこの規制がなくなり、radikoプレミアムにおけるタイムフリー・エリアフリーいずれも聴取が可能となった[33]。 NHKネットラジオ「らじる★らじる」に関しては、NHKラジオの無料配信サービスであり、所属タレントが出演する放送番組は全て全国ネットであるため、開始当初からライブ配信が日本国内のみではあるが、そのまま配信される。地域選択も出来るが、設定している地域は関係ない。ただし、聞き逃し配信の対象外である[注 6]。。
賞レースへの不参加方針
「所属タレントに優劣をつけさせない」との方針により、「候補者を何人か選び、その中から大賞やグランプリ獲得者を決める」という形式の賞レースへの参加は原則辞退している[34][35]。受け取るのはそのタレントに直接賞を贈呈するもの(例として「ベストジーニスト」)や日本国外での表彰のみとなっている。
日本レコード大賞
1987年に近藤真彦が『日本レコード大賞』にノミネートされた際、死去した母親の骨つぼが盗難の被害に遭い「大賞を辞退しろ」と脅迫を受けた事件[注 7]や、1990年の日本レコード大賞において、忍者が演歌・歌謡曲部門ではなくロック・ポップス部門にノミネートされたのを不服としたことが引き金とされている[34][35]。2003年にSMAPの「世界に一つだけの花」が日本レコード大賞の候補に挙がったが「歌詞の中にあるように“ナンバー1”を目指すよりも“オンリーワン”を大切に歌ってきた。そのメッセージを貫きたい」という理由で辞退している[36]。
2010年の『第52回日本レコード大賞』には近藤真彦が「最優秀歌唱賞」(第50回以降、同賞はノミネート形式から選考形式に変更された)に選ばれた。この時は「近藤はレコード大賞に育てられた歌手」と受賞を受け入れている[37]。
日本アカデミー賞
2006年12月の『第30回日本アカデミー賞』発表の席上で、『武士の一分』に主演した木村拓哉が「事務所の方針で、最優秀賞をほかの人と競わせたくない」との理由で「主演男優賞」を辞退した事を発表している[34][36]。同年の『第49回ブルーリボン賞』において木村拓哉と岡田准一(『花よりもなほ』)が「主演男優賞」の選考に挙げられた際にも「お世話になっている俳優や所属タレント同士で賞を争うのは本意ではない」と辞退している[35]。
2015年1月、『第38回日本アカデミー賞』に岡田准一が「主演男優賞」(『永遠の0』)と「助演男優賞」(『蜩ノ記』)にノミネートされ、いずれも「最優秀賞」を受賞した。ジャニーズ事務所は「岡田はこれまで弊社最多の20本の映画に出させていただいており、映画に育てていただいた俳優といっても過言ではございません」というコメントを発表した[38]。
2016年3月、二宮和也が『母と暮せば』の演技で『第39回日本アカデミー賞』の「最優秀主演男優賞」を受賞してジャニーズ事務所としては2年連続の受賞となった。また山田涼介が「新人賞」を受賞し[39]、日本アカデミー賞にも参加するようになった。
コンサート
※ 所属タレントのコンサート・舞台等の主催、企画、チケット販売などを行う「ヤング・コミュニケーション」が設立されており、「ジャニーズチケット販売約款」という規約が作られている。
- チケットの販売
- 。チケットの転売行為には厳しい対応を取っており、ネットオークションなどでの第三者への転売行為が判明した場合、コンサート・舞台などの優先販売の通知は発送停止となり、一切のチケット予約が不可能になる。定価以下の販売であっても同様の対応を取る。また、追加公演などで振り替えられた公演が当選した旨の連絡が来た場合、当選したチケットの購入拒否は「個人の意向でキャンセルした」とみなされ、次の公演やそれ以降の公演のチケット購入および購入の為の抽選の対象外となる。
- コンサートの内容
- 。ただし、ジャニーズカウントダウンライブは、年末年始に行われているKinKi Kidsの公演をはさんで開催されていることから、KinKi Kidsの公演のセットを同公演でも使用していた[40]。
女性アイドルの在籍
。
アジアでの影響
韓国
実際にアジアの芸能界にもジャニーズが与えた影響は少なくない。
韓国では、日本大衆文化の流入制限の時代がありながら、ジャニーズの音楽を鑑賞する人が数多く存在した。近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」をはじめ、光GENJIなども韓国である程度の認知度があった。実際にその当時、人気番組だった「KBS若者の行進」では、ローラースケートで歌って踊る夜叉というアイドルグループが作られたりした。
1990年代に入ってからジャニーズの全盛期が来て、韓国の芸能会社もジャニーズのシステムを模倣して男性アイドルグループをデビューさせた。
代表的に、SMエンターテインメントの創設者であるイ・スマンがジャニーズに影響を受けたことが知られており、H.O.T.や神話などをデビューさせるきっかけとなった。また、SMの練習生システムであるSMルーキーズは、ジャニーズの練習生システム「ジャニーズジュニア(ジャニーズJr.)」から取ったものである。大成企画所属(現:DSPメディア)だったソバンチャは、韓国で逸早く日本のアイドルシステムを導入して韓国・初のアイドルグループと呼ばれ、SechsKiesもデビュー当時からメンバーの年齢を基準にブラックキス、ホワイトキスと2つのユニットに分けたのもV6のコンセプトから取ったものである。
歌謡界だけでなく、映画やドラマなど芸能界全般にも影響を与えており、2000年代に入るとグループを解散したメンバーが俳優として転身・活動することが増えた。2010年代からは歌とダンスだけのイメージだったアイドル歌手が映画やドラマ主演まですることも多くなり、ジャニーズの運営方式を韓国の芸能事務所が参考にしている。
台湾
台湾(中華民国)でも日本のジャニーズグループの影響を受けて結成された「小虎隊」や「草蜢」、「紅孩兒」といった男性アイドルグループがデビューして80年代終盤から90年代初頭にかけて人気を得た。「台湾のSMAP」と呼ばれる5566やK one、183CLUBなどが所属する喬傑立(台湾を代表する芸能事務所)もジャニーズ事務所の経営方針を参考にしている。
その他
- ファンクラブ
- 「ジャニーズファミリークラブ」を母体として、各タレントのファンクラブが作られている。またファンクラブが結成されていないタレントについては「情報局(ジャニーズJr.)」「ジャニーズアーティストクラブ(解散したグループのメンバー)」がタレントの情報を提供している。
- 参照: ジャニーズファミリークラブ
年 | 新成人 | 立会人 |
---|---|---|
1999年 | 長瀬智也(TOKIO)、堂本光一(KinKi Kids)、森田剛(V6) | 近藤真彦 |
2000年 | 堂本剛(KinKi Kids)、三宅健(V6) | 東山紀之(少年隊) |
2001年 | 岡田准一(V6)、大野智(嵐) | 城島茂(TOKIO) |
2002年 | 滝沢秀明(タッキー&翼)、今井翼(タッキー&翼)、櫻井翔(嵐) | 坂本昌行(V6) |
2003年 | 相葉雅紀(嵐) | 山口達也(TOKIO) |
2004年 | 二宮和也(嵐)、松本潤(嵐) | 長野博(V6) |
2005年 | 生田斗真、赤西仁(KAT-TUN)、小山慶一郎(NEWS)、安田章大(関ジャニ∞)、錦戸亮(NEWS、関ジャニ∞) | 国分太一(TOKIO) |
2006年[41] | 山下智久(NEWS)、亀梨和也(KAT-TUN)、田口淳之介(KAT-TUN)、田中聖(KAT-TUN)、大倉忠義(関ジャニ∞)、長谷川純 | 松岡昌宏(TOKIO) |
所属タレント
2011年3月、同月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)復興支援活動「Marching J」プロジェクトを立ち上げた際に、同時点での所属タレント(ジャニーズJr.の主要メンバーを含む)を「全83名」と発表している[43]。
デビュー組
以下は、2018年7月23日時点の公式サイトのアーティスト欄[44]に掲載のある者を、デビュー日順に並べた表である。昇順/降順に並べ替え可能。太字はNHK紅白歌合戦出場経験者。
ジャニーズJr.
過去に所属していたタレント・グループ
- 過去のジャニーズ所属者
- ジャニーズJr. 解散したグループ
- ジャニーズ関連企画ユニット
- ジャニーズ関連OBユニット
所属タレントの所属レコード会社
自社レーベルのほか、他のレコード会社に所属タレントが所属している。
名前 | 所属レコード会社 | 所属レーベル |
---|---|---|
|
ソニー・ミュージックレーベルズ | ソニー・ミュージックレコーズ |
|
SME Records | |
|
エイベックス・エンタテインメント | avex trax |
|
ジャニーズ・エンタテイメント | ジャニーズ・エンタテイメント |
|
ジェイ・ストーム | J Storm |
|
J-One Records | |
|
INFINITY RECORDS | |
|
ポニーキャニオン | ポニーキャニオン |
|
ユニバーサルミュージック | Johnnys’Universe / ユニバーサルJ |
|
ジャニーズ・エンタテイメント ジェイ・ストーム |
ジャニーズ・エンタテインメント ジェイ・ストーム |
過去には、RVC(現・Ariola Japan)(近藤真彦)、ワーナーミュージック・ジャパン→ポニーキャニオン(少年隊)、キャニオン・レコード → ポニーキャニオン(光GENJI)、BMGビクター(男闘呼組)、ビクター音楽産業 → ビクターエンタテインメント → JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(SMAP)、ソニー・レコード→ユニバーサルJ(TOKIO)、ポニーキャニオン(嵐)、テイチクエンタテインメント(関ジャニ∞)、ワーナーミュージック・ジャパン(山下智久)への所属実績もあった。
会社概要
事務所の所在地変遷
所在地 | 日付 | 備考 |
---|---|---|
東京都豊島区雑司が谷 | 1962年 - 1964年6月28日 | 兼 合宿所およびレッスン場。芸能事務所「名和プロダクション」が運営していたタレント養成所「新芸能学院」。 |
東京都新宿区四谷3-1-3-2F | 1964年6月29日 - | 兼 合宿所。 |
東京都渋谷区代々木1-37-3 岩崎ビル3F | - 1968年春 | 兼 合宿所およびレッスン場 |
東京都渋谷区神宮前2-18-13-2F | 兼 合宿所 | |
東京都渋谷区広尾1-1-22 恵比寿グリーンハイム204号 | 1971年 - | |
東京都港区青山3丁目 | 1973年 - | |
東京都港区六本木5-13-13 フォンテーヌビル2F | 1974年 - | |
東京都港区赤坂8-5-24 赤坂エイトビル3F | 現存しない。 | |
東京都港区六本木2-3-9 亀甲ビル7 - 8F | ||
東京都港区赤坂8-11-20 | 1998年4月 - | 創業以来初の自社ビル |
東京都港区赤坂9-6-35 | 旧SME乃木坂ビル(地下3階部分は、ソニー・ミュージックスタジオ東京に賃貸借) |
主な役員
氏名 | 生年月日 | 役職名 | 備考 |
---|---|---|---|
ジャニー喜多川 | 1931年10月23日(92歳) | 代表取締役社長 ジェイ・ドリーム代表取締役社長 ヤング・コミュニケーション代表取締役社長 ジャニーズ出版代表取締役社長 つづきスタジオ代表取締役社長 |
|
メリー喜多川 | 1926年12月25日(97歳) | 代表取締役副社長 | |
藤島ジュリー景子 | 1966年7月20日(57歳) | 代表取締役副社長 ジェイ・ストーム代表取締役社長 エム・シィオー代表取締役社長 ユニゾン代表取締役社長 東京・新・グローブ座代表取締役社長 |
|
小杉理宇造 | 1947年11月10日(76歳) | 顧問 ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長 |
主要関連企業
- 株式会社ジャニーズ・エンタテイメント
- 〒150-0041 渋谷区神南1-19-11 パークウェースクエア 2 3F
- レコード会社。代表取締役社長:小杉理宇造
- 2017年1月現在日本レコード協会に準会員として加盟。
- 株式会社ジェイ・ストーム
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー
- レコード会社・映画制作会社。代表取締役社長:藤島・ジュリー・景子
- 2017年1月現在ジャニーズ・エンタテイメント同様日本レコード協会に準会員として加盟。
- 株式会社東京・新・グローブ座
- 東京都新宿区百人町3-1-2
- 東京グローブ座の運営。代表取締役社長:藤島・ジュリー・景子
- 株式会社ジェイ・ドリーム
- 2005年6月設立。代表取締役社長:ジャニー喜多川
- ジャニーズファミリークラブ
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10
- ファンクラブ運営
- 株式会社ヤング・コミュニケーション
- コンサート及び舞台主催、代表取締役社長:ジャニー喜多川
- コンサート事務局
- 株式会社ヤング・コミュニケーションのチケット販売部門。
- 株式会社エム・シィオー
- 東京都渋谷区渋谷1-16-9 渋谷K・Iビル6F
- 書籍、マーチャンダイジング、宣伝ツールの企画・制作、コンサートグッズ販売。代表取締役社長:藤島・ジュリー・景子
- 有限会社ジェイ・ステーション(別表記は「J-STATION」)
- 東京都新宿区1-26-1
- タレントグッズ販売、ジャニーズショップの経営。1989年5月にジャニーズ事務所51%、日本廣明社49%の出資で設立。
- ユニゾン株式会社
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー3F
- 広告事業。代表取締役社長:藤島ジュリー景子
- 株式会社ジャニーズ出版(別名:「ジャニー・カンパニー」、「ジャニーズ・パブリッシング」)
- 音楽出版事業。代表取締役社長:ジャニー喜多川。野村義男が一時期所属。
- 株式会社ミュージックマインド
- 東京都渋谷区渋谷1-10-10 ミヤマスタワー1F
- 音楽出版事業。
- 株式会社アートバンク
- 携帯コンテンツ事業、2003年5月14日からスタートしたモバイル公式サイト「Johnny's web」のために設立。
- 株式会社クンクン
- 代表取締役社長:月丘夢路。雑誌、カレンダー等の企画制作の各出版社との契約折衝代行。その他、化粧品製造販売も行っている。
- 株式会社つづきスタジオ
- 東京都港区麻布十番4-6-9
- リハーサル・レコーディングスタジオ。1991年12月より、ジャニーズ事務所の直営となった。代表取締役社長:ジャニー喜多川、企業番号:293792410。
- 提携
-
- 株式会社日本広明社
- 東京都新宿区富久町8-21
- 広告宣伝会社・タレントグッズの企画
- 株式会社ケイ・プランニングセンター
- 日本広明社系列、広告代理店・タレントマネージメント
- ジャニーズショップ
- ジェイ・ステーションが運営する、ジャニーズ事務所公認のグッズ販売店。『Johnny's Jr. 名鑑』シリーズの発行・販売も行っていた。
- ジャニーズ原宿
- 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-14-21 イルサリチェビル1F
- ジャニーズ大阪
- 〒530-0017 大阪市北区角田町2-15 シログチビル1F,2F
- 旧住所: 〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-12-8 大美建築ビル2F (1999年より2015年3月31日まで)
- ジャニーズ名古屋
- 〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-17-6 ナカトウ丸の内ビル1F(2012年9月24日より。新店舗オープン記念で、限定ショッピングバッグの配布が行われた)
- 旧住所:〒461-0005 愛知県名古屋市東区東桜2-14-7 プロト東桜ビル2F
- ジャニーズプラザ(京都・嵐山店)
- 〒616-8384 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町40-8(1999年まで)
- 〒616-8384 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺造路町37-3(「ジャニーズ大阪」の業務拡大による統合に伴い、2007年12月31日をもって営業を終了)
- ジャニーズ福岡
- 〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神3-15-17 三天第2ビル2F
脚注
注釈
- ↑ 。
- ↑ 。一方で例外もあり、TBSラジオで当時SMAPの香取慎吾が『スクランブルSMAP』のラジオパーソナリティを務めていた1997年ごろに同局ウェブサイト内で開設されたプロフィールでは、彼の顔写真を掲載していた[20]。2000年に所属タレントである近藤真彦が経営するエムケイカンパニーが開設した「MK net Circuit 近藤真彦オフィシャルサイト」では、開設当時から顔写真を掲載している[21]。
- ↑ 。
- ↑ こちらは「TVer」等の「見逃し配信」も含まれる。
- ↑
- ↑ 一例として、『らじらー!』に関しては、吉本興業所属タレントが担当する『らじらー!サンデー』のみが聞き逃し配信の対象である。
- ↑ 骨つぼは発見されていないが、この時近藤は「自分の心の中にある母親の思い出までは盗めない」とコメントし同賞に出席、大賞を獲得した。
- ↑ しかし、2007年は該当者の不祥事により自粛され、もう一人の新成人である増田貴久が袴姿で単独の記者会見に臨んだ。2008年に簡易な成人式を挙行したのを最後に実施されていない[42]。
出典
- ↑ 矢野, pp. 14-21.
- ↑ 矢野, pp. 32-40.
- ↑ 矢野, pp. 57-59.
- ↑ 矢野, pp. 59-66.
- ↑ 矢野, pp. 70-88.
- ↑ 矢野, pp. 88-92.
- ↑ 矢野, pp. 134-135.
- ↑ 矢野, pp. 100-112.
- ↑ 矢野, pp. 131-133.
- ↑ 矢野, pp. 135-138.
- ↑ 矢野, pp. 160-164.
- ↑ 矢野, p. 164.
- ↑ 矢野, pp. 189-190.
- ↑ 矢野, pp. 23-30.
- ↑ 15.0 15.1 “【急になぜ?】屋良朝幸、風間俊介ら4名がジャニーズJr.突然の卒業にファンは…”. モデルプレス. (2015年10月15日) . 2017閲覧.
- ↑ https://www.zakzak.co.jp/ent/news/170815/ent1708152560-n3.html
- ↑ http://news.livedoor.com/article/detail/10977132/
- ↑ “ジャニーズがネット進出、WEST主演ドラマを配信”. 日刊スポーツ. (2017年3月25日) . 2017閲覧.
- ↑ “ジャニーズの「時代錯誤」に宣戦布告! 稲垣・草なぎ・香取がネット解禁 (1/4)”. デイリー新潮 (2017年9月30日). . 2018年7月11日閲覧. “ジャニーズの「時代錯誤」に宣戦布告! 稲垣・草なぎ・香取がネット解禁 (3/4)”. デイリー新潮 (2017年9月30日). . 2018年7月11日閲覧.
- ↑ “香取慎吾プロフィール”. . 2018年7月11日閲覧.(インターネットアーカイブ1999年4月18日付保存キャッシュより)
- ↑ 参考:2000年当時のオフィシャルサイト内インデックスページ(インターネットアーカイブ2000年6月20日付保存キャッシュより)
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参考文献
- 矢野利裕 『ジャニーズと日本』 講談社現代新書、2016年12月20日。ISBN 978-4-06-288402-0。
関連項目
外部リンク
- Johnny's net (日本語)
- Johnny's web (日本語)