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停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上信線(じょうしんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅と群馬県甘楽郡下仁田町の下仁田駅とを結ぶ上信電鉄の鉄道路線である。
Contents
路線データ
- 路線距離(営業キロ):高崎駅 - 下仁田駅間 33.7km[1]
- 軌間:1067mm
- 駅数:21駅(起終点駅含む)、3信号所
- 複線区間: なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式[1]
- 最高速度:85km/h[1]
- 保安装置:点制御式ATS
- 最急勾配:16.67‰[1]
- 最急曲線:半径160m[1](千平駅 - 下仁田駅間)
沿線概要
高崎駅 – 山名駅間
起点である高崎駅は上越・北陸新幹線をはじめ、高崎線・上越線・信越本線・両毛線・八高線といったJR各路線の列車が発着する交通の要衝であり、本路線においても起点であると同時に車両基地や本社の所在する重要な駅となっている。列車は構内で最も西側にある0番線ホームから発車すると、少しの間高崎線と並走した後、右手にわかれ家々の軒先をかすめるようにしてしばらく走り南高崎駅に到着する。同駅は、現在は1面1線の形態だが、かつては秩父セメントの施設が存在し、秩父鉄道から八高線経由の貨物列車が多数発着していたため[2]旅客用ホームの向かい側に貨物側線を設けた1面2線の形態であった。南高崎を出ると国道17号・県道71号と相次いで交差した後、左にカーブして新幹線の高架の直下にある佐野信号所に到着する。佐野信号所をでると今度は右に急カーブして再び新幹線の高架をくぐり、すぐに2014年に開業した線内で最も新しい駅である佐野のわたし駅に到着する。佐野のわたしを出るとすぐに烏川を渡り、左側に大きくカーブした後、しばらく直進すると根小屋駅に到着する。根小屋を出ると桑畑などが点在する山裾を走り、高崎商科大学のキャンパス最寄り駅である高崎商科大学前駅に到着する。高崎商科大学前をでるとしばらく直進した後右にカーブして山名八幡宮の最寄り駅である1面2線の山名駅に到着する。
山名駅 - 上州福島駅間
山名を出ると田畑や住宅の広がる平坦区間に入り、駅をでてすぐ右へカーブした後直進して西山名駅に到着する。西山名を出た直後にある小さな右カーブを抜けると隣の馬庭駅まで約2kmの直線区間となり、列車は一気に速度を上げる。次の馬庭駅は1面2線の交換可能駅である。同駅は陸上自衛隊吉井分屯地の最寄り駅であり、かつては自衛隊向けの貨物列車が設定されていた[3]。馬庭を出るとすぐに鏑川を渡り、右カーブと勾配を抜けて、ふたたび県道71号をアンダークロスすると吉井駅に到着する。同駅も交換可能駅であり、かつては専用線も存在した[3]。 吉井を出ると、多少のカーブはあるものの数駅先まで続く長い直線区間に入る。次の西吉井駅は上信電鉄が開発する住宅地の最寄り駅として開業した駅であり、駅周辺は新興住宅街になっている[3]。その次の上州新屋駅は1面1線だが、駅の高崎寄りに新屋信号所があり駅のホームから列車の交換を見ることができる。次の上州福島駅は交換可能駅であり、高崎 - 下仁田間のほぼ中間に位置し、駅周辺にはマンナンライフの工場などが立地する。
上州福島駅 - 上州一ノ宮駅間
上州福島を出て再び鏑川を渡り、丘陵地帯にはいって切通しを抜けると東富岡駅に到着する。ここからは再び住宅地の中を走り、まもなく沿線第2の都市である富岡市の中心駅であり、同時に世界遺産富岡製糸場の最寄り駅でもある上州富岡駅に到着する。同駅を始終着とする列車も数本設定されているほか、かつては上信電鉄の自動車部門の中心地でもあり、鉄道に沿って高崎・前橋・下仁田方面や直角に松井田・磯部・安中方面を結ぶ路線網が築かれていた[4]。上州富岡を出ると、戦後休止中であった駅を復活した西富岡、敷地内に旧七日市藩の藩邸の一部が保存されていることで知られる富岡高校の最寄り駅である上州七日市駅を通り、国道254号の踏切を越えて鏑川が右に迫ってくると川に沿って左にカーブし、その名の通り一之宮貫前神社の最寄り駅である上州一ノ宮駅に到着する。同駅は交換設備を持ち、駅舎にはかつてバスの営業所も同居していた[5]。
上州一ノ宮駅 - 下仁田駅間
上州一ノ宮を出ると田畑と住宅の混在する区間を鏑川の北岸に沿って走り、右に大きくカーブした後再び国道254号と踏切で交差して、まもなく神農原駅に到着する。神農原を出ると再び線路は一直線となり、上信越自動車道とアンダークロスした後、右に大きくカーブして珍駅名で知られ、1面2線の交換可能駅である南蛇井駅に到着する[5]。南蛇井を出て、正面に山が迫ってくると千平駅に到着する。千平を出ると風景は一変し、急峻な山肌と鏑川に挟まれた僅かなスペースを縫うようにして走る。途中ナローゲージ時代の旧橋梁を右手に望む鬼ヶ沢橋梁を渡り、やや開けたところに赤津信号所がある。赤津信号所を過ぎてもしばらく山岳区間は続き、ナローゲージ時代のトンネルの遺構が右手に見えてくるとS字型のカーブに入り、そこを抜けるとまもなく上信線唯一のトンネルである白山トンネル(延長40m[6])に入る。トンネルを抜けると国道254号が左手に迫ってきてしばらく並走した後下仁田の市街に入り、まもなく終点の下仁田駅に到着する。駅前はかつては中込方面へのバスターミナルとして賑わったが[5]、2017年現在は町内各所や南牧村方面へ向かうバスやタクシーが発着する。
運行形態
1996年のダイヤ改正までは優等列車も運転されていたが、現在は全列車がワンマン運転の普通(各駅停車)である。朝夕のラッシュ時には一時間に2-3本、昼と夜遅くを除いた時間帯にはおおむね1時間に2本の列車が運行されている。高崎 - 下仁田間の通し運転のほか、高崎 - 上州冨岡間の区間列車が平日3往復、休日1往復設定されている。2018年現在の高崎-下仁田間の所要時間は概ね1時間前後だが、後述のように利用者増加策として路線全体のスピードアップを行っていた1980年代には同区間を各駅停車でも50分前後で結んでいた。
1924年の電化開業時にドイツのシーメンス社から購入したデキ1形電気機関車が現在も不定期に工事列車や電車を牽引してイベント時等の臨時列車として走る。そのほか利用客を増やすために様々な試みがなされており、カラオケ列車、お座敷列車、宴会列車といった企画列車の運行や、電車・デキ1形電気機関車を用途自由で貸切運行することができるサービスなどがある。また、時間帯は限られるが平日、休日ともに自転車が持ち込める列車(サイクルトレイン)が運行されている。
かつて1950年から1969年まで日本国有鉄道(国鉄)から春・秋のハイキングシーズンの日曜祝日に臨時列車(1961年以降は「あらふね」の愛称が設定され電車化)の乗り入れがあったほか、1984年に国鉄の12系客車のジョイフルトレイン「くつろぎ」が6両編成で、1992年秋に東日本旅客鉄道(JR東日本)の「やすらぎ」(後のわたらせ渓谷鐵道「サロン・ド・わたらせ」わ01形)3両と最後尾に原型・原色の12系客車1両を連結した4両編成が入線したことがあり、デキ1形が重連でこれらを牽引した。
近代化事業
地方私鉄の中でも本路線は沿線人口に恵まれ、昭和30年代までは安定した経営状態を維持していたが、年間旅客輸送人員は昭和41年度の816万5千人をピークに減少に転じ、昭和48年度には営業損失が1億5000万円を超えて、ついに昭和49年度からは地方鉄道軌道整備法に基づく助成金を受けるまでになった[7]。しかし、この状態は群馬県としても西毛地区発展の観点から当然好ましいことではなく早急に対策を講じることが求められたため、列車の増発とスピードアップによる需要の掘り起こしを行うことになり、総事業費約12億円(当時)のうち半額程度を県が補助する形で、昭和55年度から56年度の2ヶ年にわたって、車両および施設の更新や新設、線形の改良といった大規模な近代化工事が実施された[8]。 この結果、1981年(昭和56年)11月25日のダイヤ改正においては新たな優等種別として急行および準急が設定され、高崎-下仁田間の所要時間は最速で従来の快速による48分から急行の36分に大幅に短縮されたほか、各停でも従来56分-67分かかっていたものが50分前後へと概ね10分程度の時間短縮となった[9][10][11]。また、列車本数は従来の上下28往復(うち高崎-下仁田間25往復)から上下33往復(うち高崎-下仁田間30往復)へと上下10本の増発がおこなわれた[10][12]。しかし、乗客の減少を食い止めることはできず、1984年(昭和59年)の赤津信号所における正面衝突事故をきっかけに全線でATSを導入した以降は大規模な路線改良は行われなくなった。
かつての優等列車
- 1962年10月20日改正当時
- 急行 1往復
- 快速 下り2本、上り1本の1.5往復
- このほかに上野-高崎-下仁田間を直通する季節臨時列車「あらふね」が1往復設定されていた。
- 1976年11月1日改正当時
- 快速(下仁田、南蛇井、上州一ノ宮、上州富岡、上州福島、吉井、馬庭、山名、高崎に停車)下りは午後、上りは午前の1往復
- 快速(吉井、馬庭、山名、高崎に停車)平日朝の上りのみ
- 1981年11月25日改正当時
- 急行(高崎、上州富岡、下仁田に停車)1往復
- 快速(下仁田、南蛇井、上州一ノ宮、上州富岡、上州福島、吉井、馬庭、山名、高崎に停車)下り2本、上り3本の2.5往復
- 準急(下仁田 - 上州富岡間の各駅、吉井、高崎に停車)下り1本、上り2本の1.5往復
- 1984年2月1日改正当時
- 急行(高崎、吉井、上州富岡、下仁田に停車)下りは15時台、上りは10時台の1往復
- 快速(下仁田、南蛇井、上州一ノ宮、上州富岡、上州福島、吉井、馬庭、山名、高崎に停車)平日朝の上りのみ
- 準急(下仁田 - 上州富岡間の各駅、吉井、山名、高崎に停車)昼前後の上り2本のみ
- 1985年4月1日改正当時
- 急行の運転中止、快速の準急化(毎日運転)
- 準急(下仁田 - 上州福島間の各駅、吉井、馬庭、山名、高崎に停車)朝の上りのみ
- 1986年12月20日改正当時
- 急行(高崎、山名、吉井、上州富岡、下仁田に停車)下りは14時台、上りは9時台の1往復
- 準急は1985年改正と変更なし
歴史
当線沿線は元々江戸時代より中山道のバイパスとして交通が盛んであった。1871年(明治4年)の官営富岡製糸場開設にともなって交通の近代化への機運が高まり、1873年(明治6年)本庄-富岡間に乗合馬車が開業した。しかしこの馬車は営業の不振から一度廃業し、後に新町-富岡間に路線を変更したもののこちらも程なくして廃業の憂き目を見ている。1881年(明治14年)には木道馬車の計画が行われたが、これはついに完成しなかった。
1884年(明治17年)、日本鉄道の高崎線開通により再び交通の改革へ着手しようとの動きが始まり、1895年(明治28年)に有志によって妙義・荒船両山系の地域交通の便益を図り、同時に小坂鉄山・青倉石灰山等の産出物の搬出を目的とした「上野鉄道株式会社」が設立され、同年に高崎から富岡を経て下仁田に至る路線の免状を得た。1897年(明治30年)に高崎 - 下仁田間33.7km全線が開業した後は客貨混合の列車が全線を2時間半かけて走破した。その後は順調に収益を伸ばし、全線の所要時間も1922年(大正11年)には2時間10分-20分まで短縮したが、軽便鉄道規格では時代の進展に対応できず全線の軌間1067mmへの改軌と直流1500Vによる路線電化が行われる事になった。また、時を前後して千曲川に沿って長野県の中込に延伸する計画も得て、1921年(大正10年)に社名を「上信電気鉄道」に改名した。電化に際しては当初自給電力の供給を目論んで1922年に東京電燈より同社室田発電所の土地建物を譲り受けている。また、改軌に際しては第1期線である高崎 - 上州富岡間を既設レールの外側に1線を敷設する3線式、続く第2期線上州富岡 - 下仁田間では第1期線の使用後発生したレールを再利用して既設レールの内外に1線ずつを敷設する4線式として列車の運行に支障が無いように考慮している。改軌と電化後により蒸気機関車が客車と貨車を引く混合列車から旅客列車は電車に、貨物列車は電気機関車牽引へと置き換えられ、特に旅客列車による全線の所要時間は1時間前後へと大幅に短縮された。室田発電所からの自給電力の供給は事故等への配慮から中止となり、東京電燈に発電所からの電力を供給する代わりに自社の福島変電所に受電する方式となった。
1964年(昭和39年)に社名を「上信電鉄」へと再び改名した。
年表
- 1894年(明治27年)9月13日 上野鉄道(こうずけてつどう、発起人小沢武雄)に対し仮免状下付(高崎-下仁田間)[13]。
- 1895年(明治28年)12月27日 免許状下付[14]。
- 1897年(明治30年)
- 1907年(明治40年)8月17日 高崎発の列車が洪水により橋脚が傾いた烏川鉄橋に進入したため川中に転落(機関車、緩急車1、客車1)し即死1名、軽重傷8名をだす[18]
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年)4月25日 七日市駅開業。
- 1915年(大正4年)7月31日 新屋駅開業。
- 1921年(大正10年)
- 1924年(大正13年)
- 1926年(大正15年)6月1日 根小屋駅開業。
- 1927年(昭和2年)3月16日 鉄道免許状下付(北甘楽郡下仁田町-同郡磐戸村間、同郡青倉村-同郡磐戸村間)[21]。
- 1930年(昭和5年)6月15日 水泳場前駅開業。
- 1935年(昭和10年)
- 5月10日 水泳場前 - 馬庭間に小暮駅、上州一ノ宮 - 神農原間に西一ノ宮駅開業。
- 9月9日 下和田駅開業。
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)12月27日 水泳場前駅を入野駅に改称。
- 1941年-1945年 小暮駅廃止。
- 1949年(昭和24年)11月 閉塞方式を票券閉塞から通票閉塞に変更。
- 1950年(昭和25年)5月 春・秋の日曜祝日に上野-高崎-下仁田に国鉄からの臨時列車を運転開始。
- 1951年(昭和26年)9月1日 病院前駅、西一ノ宮駅休止。
- 1953年(昭和28年)1月15日 下和田駅を南高崎駅に改称。病院前駅を西富岡駅として営業再開。
- 1960年(昭和35年)5月9日 西一ノ宮駅廃止。
- 1964年(昭和39年)5月11日 社名を上信電鉄に改称。
- 1969年(昭和44年)9月 国鉄臨時直通列車「あらふね」廃止。
- 1971年(昭和46年)12月15日 西吉井駅開業。
- 1973年(昭和48年)12月28日 自動閉塞と自動信号を導入。佐野信号所開設。
- 1981年(昭和56年)
- 1984年(昭和59年)12月21日 千平 - 下仁田間の赤津信号所付近で下り列車運転士の居眠り運転による正面衝突事故が発生、上り列車の運転士が死亡、125人重軽傷。
- 1985年(昭和60年)
- 4月1日 急行の運転中止、快速を準急に置き換え。
- 12月25日 自動列車停止装置(ATS)を導入。
- 1986年(昭和61年)12月20日 入野駅を西山名駅に改称。
- 1990年(平成2年)4月1日 東富岡駅開業。
- 1992年(平成4年)7月15日 急行廃止。
- 1994年(平成6年)10月1日 貨物営業廃止。
- 1996年(平成8年)10月1日 準急廃止。ワンマン運転開始。
- 1998年(平成10年)10月2日 落石のため、南蛇井 - 下仁田間が不通に[23]。
- 1999年(平成11年)1月30日 南蛇井 - 下仁田間が復旧[23]。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)3月17日 高崎商科大学前駅開業[24]。
- 2004年(平成16年)10月16日 ダイヤ改正により3両運転を廃止し、全列車2両ワンマン化[25]。
- 2005年(平成17年)7月3日 高崎駅の改札口分離によりJR東日本との連絡運輸廃止。
- 2007年(平成19年)
- 2014年(平成26年)12月22日 佐野のわたし駅開業[27][28][29][30]。
利用状況
輸送実績
上信線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量が増加した時期もあったが、最近では一貫して減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績 | |||||||
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年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | ||||
1966年(昭和41年) | 816.5 | 旅客輸送実績最高値を記録 | |||||
1975年(昭和50年) | 193.8 | 231.0 | 222.7 | 647.5 | 6,493 | 21.0 | |
1976年(昭和51年) | 178.6 | 232.3 | 204.3 | 615.2 | 5,977 | 20.9 | |
1977年(昭和52年) | 168.5 | 215.4 | 207.1 | 591.0 | 5,761 | 23.5 | |
1978年(昭和53年) | 160.3 | 204.7 | 193.7 | 558.7 | 5,445 | 25.5 | |
1979年(昭和54年) | 146.2 | 199.6 | 196.0 | 541.9 | 5,401 | 25.2 | |
1980年(昭和55年) | 144.1 | 198.5 | 189.1 | 531.8 | 5,226 | 22.2 | |
1981年(昭和56年) | 135.8 | 184.2 | 177.3 | 497.2 | 4,884 | 22.7 | |
1982年(昭和57年) | 135.0 | 177.7 | 183.5 | 496.2 | 4,891 | 20.0 | |
1983年(昭和58年) | 128.5 | 185.8 | 175.6 | 489.9 | 4,825 | 20.1 | |
1984年(昭和59年) | 119.3 | 186.1 | 169.9 | 475.3 | 4,671 | 19.7 | |
1985年(昭和60年) | 109.9 | 193.5 | 165.4 | 468.8 | 4,650 | 17.4 | |
1986年(昭和61年) | 97.5 | 194.1 | 157.2 | 448.8 | 4,473 | 13.8 | |
1987年(昭和62年) | 83.4 | 189.4 | 146.7 | 419.5 | 4,233 | 14.6 | |
1988年(昭和63年) | 78.8 | 210.8 | 142.8 | 432.4 | 4,429 | 11.4 | |
1989年(平成元年) | 73.6 | 216.7 | 144.5 | 434.8 | 4,520 | 15.8 | |
1990年(平成2年) | 76.0 | 219.3 | 147.7 | 443.0 | 4,627 | 16.9 | 東富岡駅開業 |
1991年(平成3年) | 74.7 | 223.7 | 151.3 | 449.7 | 4,661 | 15.1 | |
1992年(平成4年) | 70.7 | 225.0 | 147.8 | 443.5 | 4,685 | 12.2 | |
1993年(平成5年) | 67.2 | 223.2 | 141.0 | 431.4 | 4,592 | 10.8 | |
1994年(平成6年) | 66.8 | 216.1 | 125.9 | 408.8 | 4,445 | 4.9 | 貨物営業廃止 |
1995年(平成7年) | 62.9 | 198.8 | 118.5 | 380.2 | 4,125 | 0.0 | |
1996年(平成8年) | 62.3 | 183.2 | 113.4 | 358.9 | 3,909 | 0.0 | ワンマン運転開始 |
1997年(平成9年) | 59.8 | 166.0 | 106.2 | 332.0 | 3,620 | 0.0 | |
1998年(平成10年) | 56.9 | 157.8 | 94.6 | 309.3 | 3,413 | 0.0 | |
1999年(平成11年) | 54.6 | 152.2 | 89.3 | 296.1 | 3,278 | 0.0 | |
2000年(平成12年) | 50.3 | 149.7 | 88.0 | 288.0 | 3,249 | 0.0 | |
2001年(平成13年) | 45.3 | 144.6 | 78.9 | 268.8 | 3,010 | 0.0 | 高崎商科大学前駅開業 |
2002年(平成14年) | 39.0 | 141.9 | 76.4 | 257.3 | 2,920 | 0.0 | |
2003年(平成15年) | 36.9 | 134.8 | 72.0 | 243.7 | 2,747 | 0.0 | |
2004年(平成16年) | 36.6 | 126.9 | 69.2 | 232.7 | 2,625 | 0.0 | |
2005年(平成17年) | 37.6 | 122.8 | 70.7 | 231.1 | 2,591 | 0.0 | 高崎駅改札口分離・JR連絡運輸廃止 |
2006年(平成18年) | 36.5 | 117.1 | 69.1 | 222.7 | 2,453 | 0.0 | |
2007年(平成19年) | 68.9 | 220.4 | 0.0 | ||||
2008年(平成20年) | 68.9 | 226.0 | 0.0 | ||||
2009年(平成21年) | 38.1 | 118.4 | 64.4 | 220.9 | 2,439 | 0.0 | |
2010年(平成22年) | 59.8 | 220.6 | 0.0 | ||||
2011年(平成23年) | 57.7 | 215.8 | 0.0 | ||||
2012年(平成24年) | 57.6 | 225.3 | 0.0 | ||||
2013年(平成25年) | 59.0 | 222.4 | 0.0 | ||||
2014年(平成26年) | 236.5 | 0.0 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
収入実績
上信線の近年の収入実績を下表に記す。収入総合計額が増加した時期もあったが、最近では一貫して減少している。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績 | ||||||||
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年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 291,959 | ←←←← | 378,928 | 8,203 | 679,090 | 28,955 | 11,099 | 719,144 |
1976年(昭和51年) | 379,308 | ←←←← | 471,581 | 10,925 | 861,814 | 36,189 | 33,419 | 931,422 |
1977年(昭和52年) | 377,823 | ←←←← | 472,961 | 10,393 | 861,178 | 48,535 | 19,347 | 929,062 |
1978年(昭和53年) | 410,553 | ←←←← | 510,423 | 8,866 | 920,977 | 53,984 | 74,607 | 1,058,436 |
1979年(昭和54年) | 413,286 | ←←←← | 525,548 | 7,000 | 945,835 | 59,497 | 43,678 | 1,049,010 |
1980年(昭和55年) | 419,821 | ←←←← | 533,533 | 5,823 | 959,177 | 62,550 | 41,445 | 1,063,173 |
1981年(昭和56年) | 447,712 | ←←←← | 557,673 | 5,143 | 1,010,528 | 67,124 | 44,030 | 1,121,682 |
1982年(昭和57年) | 438,542 | ←←←← | 573,174 | 4,041 | 1,015,758 | 58,833 | 53,700 | 1,128,290 |
1983年(昭和58年) | 442,425 | ←←←← | 569,560 | 3,315 | 1,015,300 | 54,886 | 95,778 | 1,165,963 |
1984年(昭和59年) | 464,522 | ←←←← | 586,470 | 2,352 | 1,053,344 | 54,766 | 44,534 | 1,152,645 |
1985年(昭和60年) | 458,072 | ←←←← | 573,074 | 2,068 | 1,033,214 | 50,355 | 53,660 | 1,137,229 |
1986年(昭和61年) | 441,227 | ←←←← | 567,619 | 1,174 | 1,010,020 | 39,363 | 34,732 | 1,084,115 |
1987年(昭和62年) | 186,143 | 258,341 | 564,852 | 0 | 1,009,336 | 40,463 | 33,380 | 1,083,179 |
1988年(昭和63年) | 178,736 | 285,646 | 555,386 | 0 | 1,019,768 | 31,824 | 38,637 | 1,090,229 |
1989年(平成元年) | 166,005 | 295,132 | 561,923 | 0 | 1,023,060 | 43,276 | 57,799 | 1,124,135 |
1990年(平成2年) | 168,420 | 304,436 | 570,561 | 0 | 1,043,417 | 45,440 | 42,471 | 1,131,328 |
1991年(平成3年) | 171,464 | 309,098 | 587,590 | 0 | 1,068,152 | 41,969 | 33,722 | 1,143,843 |
1992年(平成4年) | 164,113 | 317,640 | 574,697 | 0 | 1,056,450 | 35,131 | 37,899 | 1,129,480 |
1993年(平成5年) | 157,645 | 324,033 | 557,142 | 0 | 1,038,820 | 31,485 | 47,633 | 1,117,938 |
1994年(平成6年) | 167,133 | 342,551 | 542,190 | 0 | 1,051,874 | 14,747 | 47,384 | 1,114,005 |
1995年(平成7年) | 157,992 | 314,690 | 510,948 | 0 | 983,630 | 0 | 37,400 | 1,021,030 |
1996年(平成8年) | 157,842 | 290,413 | 489,759 | 0 | 938,014 | 0 | 40,576 | 978,590 |
1997年(平成9年) | 152,063 | 261,670 | 458,719 | 0 | 872,452 | 0 | 46,314 | 918,766 |
1998年(平成10年) | 156,206 | 271,293 | 434,711 | 0 | 862,210 | 0 | 31,417 | 893,627 |
1999年(平成11年) | 156,027 | 271,145 | 419,892 | 0 | 847,064 | 0 | 31,598 | 878,662 |
2000年(平成12年) | 143,570 | 269,627 | 413,123 | 0 | 826,320 | 0 | 24,988 | 851,308 |
2001年(平成13年) | 130,874 | 261,000 | 370,401 | 0 | 762,275 | 0 | 27,153 | 789,428 |
2002年(平成14年) | 112,364 | 256,701 | 357,831 | 0 | 726,896 | 0 | 26,965 | 753,861 |
2003年(平成15年) | 105,429 | 242,386 | 337,012 | 0 | 684,827 | 0 | 26,739 | 711,566 |
2004年(平成16年) | 104,093 | 226,670 | 323,232 | 0 | 653,995 | 0 | 27,749 | 681,744 |
2005年(平成17年) | 107,632 | 218,714 | 328,222 | 0 | 654,568 | 0 | 30,831 | 685,399 |
2006年(平成18年) | 104,239 | 204,260 | 320,146 | 0 | 628,645 | 0 | 26,585 | 655,230 |
2007年(平成19年) | ||||||||
2008年(平成20年) |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
営業成績
上信線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別営業成績 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 営業収益 千円/年度 |
営業経費:千円/年度 | 営業損益 千円/年度 |
営業 係数 | ||||||
人件費 | 修繕費 | 経 費 | 諸 税 | 減 価 償却費 |
一 般 管理費 |
合 計 | ||||
2006年(平成18年) | 655,230 | 346,719 | 68,700 | 125,541 | 39,944 | 29,912 | 69,302 | 680,118 | △24,888 | 101.5 |
2007年(平成19年) | ||||||||||
2008年(平成20年) |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
戦前の輸送収支実績
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1897 | 274,863 | 14,715 | 33,667 | 33,896 | ▲ 229 | |||
1898 | 323,878 | 21,321 | 48,737 | 34,826 | 13,911 | |||
1899 | 332,526 | 30,949 | 59,449 | 34,922 | 24,527 | |||
1900 | 364,201 | 31,972 | 65,849 | 47,989 | 17,860 | |||
1901 | 323,865 | 32,539 | 69,537 | 53,028 | 16,509 | |||
1902 | 323,941 | 32,353 | 69,835 | 47,095 | 22,740 | |||
1903 | 300,337 | 35,652 | 68,335 | 47,861 | 20,474 | |||
1904 | 269,618 | 38,978 | 65,256 | 47,596 | 17,660 | |||
1905 | 266,523 | 34,829 | 64,013 | 50,204 | 13,809 | |||
1906 | 272,568 | 39,292 | 71,461 | 49,756 | 21,705 | |||
1907 | 236,079 | 33,284 | 59,356 | 51,141 | 8,215 | |||
1908 | 285,596 | 40,428 | 77,372 | 56,253 | 21,119 | 13,638 | ||
1909 | 279,318 | 39,015 | 77,169 | 55,925 | 21,244 | 992 | 10,894 | |
1910 | 261,758 | 27,803 | 63,546 | 61,074 | 2,472 | 9,665 | ||
1911 | 268,567 | 36,179 | 78,292 | 62,913 | 15,379 | 12,425 | ||
1912 | 272,767 | 42,718 | 85,807 | 54,716 | 31,091 | 株式買収差益金66,062 | 繰越欠損補填金66,915 | 11,683 |
1913 | 290,595 | 47,875 | 94,668 | 59,675 | 34,993 | 株式買収差益金18,045 | 未収入損金648 | 11,418 |
1914 | 282,029 | 41,327 | 84,955 | 54,735 | 30,220 | 11,558 | ||
1915 | 289,935 | 44,688 | 85,791 | 55,603 | 30,188 | 11,013 | ||
1916 | 326,896 | 44,124 | 95,640 | 63,977 | 31,663 | 8,821 | ||
1917 | 368,661 | 54,633 | 120,567 | 92,686 | 27,881 | 6,357 | ||
1918 | 393,437 | 67,606 | 157,517 | 131,278 | 26,239 | 6,252 | ||
1919 | 507,093 | 55,546 | 192,372 | 185,075 | 7,297 | 6,986 | ||
1920 | 440,080 | 54,148 | 224,644 | 198,326 | 26,318 | 9,609 | ||
1921 | 515,345 | 57,158 | 252,596 | 169,345 | 83,251 | |||
1922 | 569,384 | 65,982 | 282,272 | 176,997 | 105,275 | |||
1923 | 650,866 | 81,447 | 316,047 | 181,357 | 134,690 | 償却金14,000 | 10,617 | |
1924 | 689,994 | 98,331 | 387,227 | 204,917 | 182,310 | 電力収入16,417 | 償却金5,000 | 55,475 |
1925 | 749,232 | 70,353 | 438,860 | 227,405 | 211,455 | 電力供給37,361 | 雑損6,361 | 69,428 |
1926 | 731,628 | 66,054 | 401,706 | 223,828 | 177,878 | 電力業30,560 | 72,606 | |
1927 | 731,165 | 66,468 | 395,622 | 212,293 | 183,329 | 電力34,227 | 償却金6,034 | 84,624 |
1928 | 790,699 | 54,549 | 381,406 | 224,448 | 156,958 | 電力業35,976 | 71,446 | |
1929 | 866,078 | 57,219 | 372,907 | 222,981 | 149,926 | 電燈自動車業40,792 | 償却金4,000 | 67,943 |
1930 | 682,982 | 45,212 | 271,903 | 153,205 | 118,698 | 電燈電力自動車業4,427 | 74,729 | |
1931 | 669,581 | 43,513 | 248,669 | 134,324 | 114,345 | 自動車業その他13,754 | 83,633 | |
1932 | 616,713 | 42,999 | 210,926 | 133,999 | 76,927 | 電燈自動車業9,196 | 償却金6,000 | 97,852 |
1933 | 635,785 | 54,203 | 230,346 | 122,098 | 108,248 | 自動車業その他5,474 | 86,677 | |
1934 | 637,132 | 49,071 | 232,317 | 128,087 | 104,230 | 宮内省御下賜金10,000[31]自動車業その他26,076 | 償却金19,500 | 82,598 |
1935 | 634,813 | 41,653 | 238,998 | 127,444 | 111,554 | 自動車業その他29,956 | 償却金34,611 | 81,294 |
1936 | 719,317 | 48,949 | 256,589 | 152,338 | 104,251 | 電燈電力自動車業56,262 | 償却金26,000 | 78,075 |
1937 | 761,050 | 52,412 | 290,590 | 156,058 | 134,532 | 電気業53,072 | 償却金98,783諸税引当金3,000 | 79,620 |
1939 | 1,427,999 | 88,068 | ||||||
1941 | 2,044,975 | 128,110 | ||||||
1943 | 3,283,386 | 138,283 | ||||||
1945 | 6,501,233 | 131,298 |
- 鉄道局年報、鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
駅一覧
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
高崎駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:上越新幹線・北陸新幹線(長野経由) 高崎線(湘南新宿ライン・上野東京ライン含む)・上越線(両毛線・吾妻線直通含む)・信越本線 |
| | 高崎市 |
南高崎駅* | 0.9 | 0.9 | | | ||
佐野信号所 | -[注釈 1] | -[注釈 1] | ◇ | ||
佐野のわたし駅* | 1.3 | 2.2 | | | ||
根小屋駅 | 1.5 | 3.7 | | | ||
高崎商科大学前駅* | 1.3 | 5.0 | | | ||
山名駅 | 1.1 | 6.1 | ◇ | ||
西山名駅* | 0.9 | 7.0 | | | ||
馬庭駅 | 2.4 | 9.4 | ◇ | ||
吉井駅 | 2.3 | 11.7 | ◇ | ||
西吉井駅* | 1.7 | 13.4 | | | ||
新屋信号所 | -[注釈 2] | -[注釈 2] | ◇ | 甘楽郡 甘楽町 | |
上州新屋駅* | 1.2 | 14.6 | | | ||
上州福島駅 | 2.0 | 16.6 | ◇ | ||
東富岡駅 | 2.7 | 19.3 | | | 富岡市 | |
上州富岡駅 | 0.9 | 20.2 | ◇ | ||
西富岡駅 | 0.8 | 21.0 | | | ||
上州七日市駅 | 0.8 | 21.8 | | | ||
上州一ノ宮駅 | 1.3 | 23.1 | ◇ | ||
神農原駅* | 2.3 | 25.4 | | | ||
南蛇井駅 | 2.8 | 28.2 | ◇ | ||
千平駅* | 1.7 | 29.9 | | | ||
赤津信号所 | (1.1)[注釈 3] | (31.0)[注釈 3] | ◇ | 甘楽郡 下仁田町 | |
下仁田駅 | 2.7 | 33.7 | ∧ |
- 有人駅と無人駅、時間帯限定の有人駅があり、無人駅では先頭車両の最前部ドアしか開かない。無人駅では運転士が運賃を収受する。
- 自動券売機は高崎、吉井、上州富岡、下仁田の各駅にのみに設置されている。高崎はバーコード式の軟券、他は磁気券を発売している。有人駅では硬券が多用されている。また、自動券売機が設置されている高崎駅にも窓口に当駅発の硬券が常備されている。
運賃
- 参照: 上信電鉄#運賃
付記
- “世界一運賃が高い”と鉄道ファンや沿線住民の間でしばしば話題になるが事実ではない。運賃計算方法は初乗り運賃や営業キロ数によるが、いずれの計算方法でも上信線の運賃を上回る路線は複数存在する。
- 吉井から南蛇井までの上信線は、平野部を国道254号とほぼ並行して走っているが、南蛇井を過ぎると国道254号からは離れ、終点下仁田まで急峻な山間部を走ることとなる。明治の開業当初、下仁田町の養蚕業者が当時の蒸気機関車の煤煙による養蚕への悪影響を懸念したため、あえて山間部を抜けるルートを選んだことによる。
- テレビ朝日系列で放送されていた『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』で、「電車でゴトン終点まで行けたら100万円」という企画で、ずっと立ち続けているのが難しい“揺れる電車”として上信線が選ばれ放送された。この企画は電車内に円形の台を設置し、その台の上から落ちないで高崎駅を発車し、終点の下仁田駅までいられたら100万円を獲得できるというものだった。発車時の衝撃で失格になってしまったチャレンジャーも多く、一番遠くまで行けたチャレンジャーでも千平駅前後までで、終点まで行って100万円をとった人はいなかった。なお、上信電鉄はこの企画で2度ほど登場し、2回目の放送では『芸能人大会』として芸能人らが上信電鉄の電車に乗り込んで100万円獲得に挑戦した。この時に参加した芸能人の中では出川哲朗が最後まで残ったが、千平 - 下仁田間の急カーブの揺れに耐え切れず、ついに脱落した。
- 「キミト、ドコカヘ vol.1」(2006年・マーブルトロン発行中央公論新社発売 ISBN 4123901336)では藤井美菜をモデルに全線が撮影舞台の一つとして使われている。
- 2007年4月14日放送の『タモリ倶楽部』において、上信線の下仁田駅と上州福島駅が登場し、上州福島駅は「日本のすべての駅で降りたことがある男(横見浩彦)が最後に降りた駅」として紹介された。
- 漫画『鉄子の旅』では、旅の案内人横見浩彦が日本全駅下車した話(第32旅)と最終旅で描かれており、どちらも上信電鉄職員が登場している。
- 玉木宏出演のミネラルウォーター「ヴィッテル」のCMで下仁田駅が登場する。
- 2011年10月MBS・TBS・CBCにて放送中のテレビアニメ『ペルソナ4』の第1話で主人公が降りた駅「八十稲羽駅」は下仁田駅がモデルになっている。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』(ネコ・パブリッシング、2002年) p.44
- ↑ 『鉄道ファン』通巻169号 p.41
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『鉄道ファン』通巻169号 p.42
- ↑ 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション』通巻33号 p.37
- ↑ 5.0 5.1 5.2 『鉄道ファン』通巻169号 p.43
- ↑ 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション』通巻33号 p.35
- ↑ 『鉄道ファン』通巻636号 p.107
- ↑ 『鉄道ファン』通巻244号 p.82
- ↑ 『鉄道ファン』通巻169号 p.45
- ↑ 10.0 10.1 『鉄道ファン』通巻636号 p.109
- ↑ 『鉄道ピクトリアル (通巻418号)』 p.136
- ↑ 井上広和・高橋摂「日本の私鉄17 北関東・東北・北海道」、保育社、1982年7月5日、 ISBN 4586505745。
- ↑ 「私設鉄道敷設仮免状下付」『官報』1894年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「私設鉄道免許状下付」『官報』1896年1月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1897年5月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1897年7月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1897年9月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「汽車川中に落つ」『読売新聞』1907年8月19日、「烏川珍事の原因に就て」『読売新聞』1907年8月23日(ヨミダス歴史館閲覧)
- ↑ 「軽便鉄道指定」『官報』1911年2月21日(国立国会図書館デジタルコレク** ション)
- ↑ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年3月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許失効」『官報』1937年12月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 23.0 23.1 『鉄道ジャーナル』第33巻第4号、鉄道ジャーナル社、1999年4月、 99頁。
- ↑ 24.0 24.1 24.2 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第36巻第4号、鉄道ジャーナル社、2002年4月1日、 91頁。
- ↑ 「鉄道記録帳」、『RAIL FAN』第52巻第1号、鉄道友の会、2005年1月号、 22頁。
- ↑ RA2007-7 鉄道事故調査報告書 (PDF) - 国土交通省、2007年10月26日
- ↑ “上信電鉄新駅の名称など子ども達から募集”. 高崎新聞. (2014年1月21日) . 2014閲覧.
- ↑ “上佐野町に上信電鉄の新しい駅を設置します”. 高崎市. . 2014閲覧.
- ↑ “上信電鉄新駅「佐野のわたし駅」 群馬”. MSN産経ニュース. (2014年5月23日) . 2014閲覧.
- ↑ “新駅「佐野のわたし駅」開業について” (プレスリリース), 上信電鉄, (2014年11月20日) . 2014閲覧.
- ↑ 1934年11月17日お召し列車運転(高崎-上州一ノ宮間)『日本鉄道旅行地図帳』10号、45頁
参考文献
- 寺田裕一『ローカル私鉄列車ダイヤ25年 東日本編』JTBパブリッシング 2004年6月 pp.126-129
- 『魅惑のローカル私鉄―懐かしいあの車両、あの風景を求めて 』イカロス出版 1998年10月 p.72
- 寺田 裕一「データブック 日本の私鉄」(2002年)、ネコパブリッシング pp. 44
- 飯島 巌・諸河 久「上州名物 カカア天下と上信電鉄」、『鉄道ファン』169号(1975年5月号)、交友社 pp. 34-45
- 寺田 裕一「日本のローカル私鉄 30年前の残照を訪ねて その12」、『鉄道ファン』636号(2014年4月号)、交友社 pp. 106-111
- 柴田 重利「上信電気鉄道」、『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション』33号(2016年3月別冊)、鉄道図書刊行会 pp. 34-43
- 大島 登志彦「上信電鉄」、『鉄道ピクトリアル』418号(1983年6月臨時増刊)、鉄道図書刊行会 pp. 135-136
関連項目
外部リンク
- 上信電鉄 - 公式サイト