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近藤 昭一(こんどう しょういち、1958年5月26日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(8期)、立憲民主党副代表兼選挙対策委員長、リベラルの会代表世話人、立憲フォーラム代表[1]。
環境副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、衆議院総務委員長、衆議院懲罰委員長等を務めた。
父は元名古屋市会議員の近藤昭夫[2]。弟も名古屋市会議員を務めたが在職中に死去(いずれも中村区選挙区選出)。
Contents
来歴
生い立ち
愛知県名古屋市中村区生まれ。名古屋市立亀島小学校、名古屋市立笈瀬中学校、愛知県立千種高等学校、上智大学法学部法律学科卒業。大学時代、中国の北京語言学院へ留学した。1984年、中日新聞社に入社。1993年1月、同社を退職[3]。
1994年、前年に結党した新党さきがけに入党し、さきがけ愛知準備会代表に就任する[3]。1996年、さきがけを離党し旧民主党の結党に参加。
政治家として
1996年の第41回衆議院議員総選挙に愛知3区から出馬し、選挙区では新進党の吉田幸弘、自由民主党の片岡武司の後塵を拝したが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選した。 1999年、国旗及び国歌に関する法律案の本会議における採決で反対票を投じたが2000年の第42回衆議院議員総選挙では、愛知3区で自民党の片岡武司を破り、再選。2001年、「2001政権奪取大作戦/明日があるさ隊」の隊長に就任[4]。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、かつて敗れた吉田幸弘が自民党公認で出馬したが、吉田に3万票超の差をつけ、3選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風が吹き荒れる中で愛知3区の議席を守るが、自民党新人の馬渡龍治の比例復活を許した。同年よりリベラルの会代表世話人を務める。2007年、格差是正に取り組む議員有志の会を結成し、座長に就任する[5]。2008年より国土審議会委員[6]。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、馬渡に比例復活すら許さない大差をつけ、5選。選挙後、衆議院総務委員長に就任した[3]。
2010年、菅第1次改造内閣で環境副大臣に任命され、菅第2次改造内閣まで務める。野田内閣発足に伴い、環境副大臣を退任した[3]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、愛知3区で自民党新人の池田佳隆に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、6選[7]。選挙後、衆議院懲罰委員長に就任。2013年、日本国憲法第96条の改正に反対する超党派の議員連盟「立憲フォーラム」発足の呼びかけ人を務め、議連の代表に就任した[3]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では、愛知3区で前回敗れた相手に1万票差をつけて当選し7選[8]。2015年の民主党代表選挙では長妻昭の推薦人に名を連ねる[9]が、長妻は1回目の投票で最下位に終わった(当選者は岡田克也)[10]。
2015年1月、民主党幹事長代理に就任[11]。
2016年3月27日、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加し[12]、民進党幹事長代理に就任。2016年民進党代表選挙では蓮舫の推薦人となり、蓮舫の当選後、民進党副代表に就任。
2017年9月1日に行われた民進党代表選挙では菅直人や有田芳生らとともに枝野幸男の推薦人となった[13]。
同年10月3日、第48回衆議院議員総選挙において立憲民主党から立候補する意向を示した[14]。10月6日、立憲民主党副代表に就任し[15]、近藤は前回の衆院選挙より得票を増やし、22000票差で自公の候補を破って8選した[16]。10月26日、執行役員会で選挙対策委員長の兼務が決まる[17]。
主張
2003年の第43回衆議院議員総選挙の選挙戦中、小泉純一郎首相の公約は「自民党内のコンセンサスを全く得ていない口約」と皮肉り、民主党の公約であるマニフェストは、実現を約束する誓約書まで書いていると有権者に訴えた[18]。
内政
- 憲法9条の改正に反対[19]。
- 2030年までに原発ゼロにするべき[19]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[20]。
- 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかと言えば賛成[21]。
- 中部国際空港の誘致活動に参加しており[22]、静岡空港の建設に反対をし、建設凍結を求める署名を行っていた[23]。
- PSE法の改正を求める署名を行っていた[24]。
- 2011年7月9日、北京で会談した中国国家発展改革委員会の解振華副主任から、福島第一原子力発電所事故の影響により日本のエネルギー政策が変更される可能性について質問された際、東日本大震災以後も日本の二酸化炭素25%削減目標は変更しない考えを表明した[25]。
安全保障
- 防衛庁の省昇格に反対していた[26]。防衛庁の省昇格のための法案提出に際し、「防衛庁の省昇格法案は米軍とともに自衛隊が海外で戦争するためのものだ」と主張した[27]。
- ミサイル防衛力の向上に反対[28]。
- テロ対策特別措置法、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法の廃案を主張していた[29]。
- 普天間基地移設問題では、普天間飛行場の辺野古への移設やグアムへの移転案に「平和による国際貢献ではない」と述べ、反対している[30]。また、辺野古への基地建設に関しIUCNによる勧告の履行を求める請願に署名した[31]。民主党の川内博史衆議院議員(当時)が、普天間飛行場の将来的な日本国外もしくは沖縄県外への移設の実現のために連立与党・政府の基本方針の策定を求める沖縄等米軍基地問題議員懇談会を発足させた際は、同会の事務局長に就任した。
- 2012年の第46回衆議院議員総選挙における候補者アンケートでは、普天間飛行場の移設先について、民主党の主張である「名護市辺野古」ではなく「国外」と回答した[32]。
- 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使に反対しており、民主党内のリベラル派による「平和と安定のための安全保障を考える連絡会」に参加した[33]。
外交政策
近藤のアジア外交への思いは強く、1992年に行われた日中国交正常化20周年記念式典に出席した際、近藤は「目先の利益にばかり走り本当の政治をしていない日本の政治家で、この中国ときちんとやっていけるのだろうか。アジアの平和と発展にきちんと寄与していかなくては日本の未来はない」と決意し、政治家を志した[34]。また「日本は朝鮮半島の平和と安定に寄与し、この地域の発展につくすべきと考えます」[35]と主張している。
朝鮮民主主義人民共和国
- 1998年
- 1999年
- 2000年12月、在日本朝鮮人総連合会の招請による民主党の訪朝団に選ばれ、北朝鮮を訪問[40]。
- 2002年の第155回国会において、朝鮮人強制連行・強制労働に関する質問主意書を提出。日本政府に強制連行された朝鮮人に対する謝罪と金銭補償の実施を求めた[41]。
- 2012年7月24日、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会 第2回院内集会」に参加し、「事実は明らかにしなければならない。なぜこういうことがずっと起こっているのか、また、なぜ明らかにしないのか。日本の中には課題がずっとあるような気がする。私は国会でさまざまなことに取り組んできたが、いつもぶつかる壁がある。これからも、真相を明らかにするため、がんばりたい」と挨拶した[42]。
- 2000年12月、在日本朝鮮人総連合会の招請による民主党の訪朝団に選出。金正日の就任へ祝辞を送り、北朝鮮によるミサイル発射実験へ抗議した日本政府に遺憾を示すなど、北朝鮮外交において友好的な関係を模索し、「日朝関係を発展させたい」と述べている。[43][44]
- 2014年5月21日、関東大震災時朝鮮人虐殺の国家責任を問う会の院内集会に参加し、請願署名提出協力や内閣府委員へのロビー活動などの協力を行った[45]。
大韓民国
- 2003年2月、若手国会議員のメールマガジン「未来総理」の「今年の公約」に、「韓国との真の交流を進めたいと思います。真の交流とはきちんと過去を清算した歴史認識に基づく交流です」と寄稿した[46]。
- 2008年
- 2009年
- 2011年
アジア諸国に対する日本の公式謝罪への取り組み
- 1999年、日本の戦争責任資料センターの荒井信一代表が主催する「恒久平和調査局設置を求める院内集会」に参加。「若い人たちから過去の戦争に対する責任は自分たちにはないということばを聞く。しかし、私は過去に対しては責任を負わねばならないと考えている」と述べた[54]。
- 2002年、朝鮮人強制連行・強制労働に関する質問主意書を衆議院に提出[55]。
- 2006年
- 5月23日、国立国会図書館法の一部を改正する法律案(通称:恒久平和調査局設置法案)を提出した。[56][57]
- 日本の戦争責任の検証を目指す政策勉強会「日本の歴史リスクを乗り越える研究会」の発足にあたり、呼びかけ人を務める。
- 朝鮮半島出身の元BC級戦犯やその遺族らも含めて特別給付金を支給する法案を求める緊急集会に藤田幸久らと参加し、議員立法成立の成立を訴えた。[58]
不祥事
2007年2月、2002年から2003年にかけて、政治資金規正法で献金を禁じられている朝鮮総連の関連団体が経営するの5つのパチンコ会社から計320万円の献金を受けていたことが発覚し、近藤は「きちんと相手のことを確認せずに献金を受けてしまった。今後は注意したい」と述べ、全額を返金した。[59]
人物
- リベラル派を自認し、民進党内の「リベラルの会」の代表世話人を務めていた。また、民進党時代には、旧社会党系のサンクチュアリにも所属していた。
- 日本労働党[60][61]等の日本国内の市民団体とも、記念式典に挨拶やメッセージを送るなど、一定の交流を持つ。
- 日中国会議員書画展へ書画を提供している[62]。
所属団体・議員連盟
- 立憲フォーラム(代表・呼びかけ人)
- リベラルの会(代表世話人)
- 民主党日韓議員交流委員会(事務局長)
- 朝鮮通信使交流議員の会(幹事)
- 恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟(幹事長)
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 日中友好議員連盟(幹事長)
- 日朝友好議員連盟
- ホームエンタテイメント議員連盟(副会長)
- 東アジアの平和をつくる会(代表)
- 沖縄等米軍基地問題議員懇談会(事務局長)
- NPO議員連盟(幹事)
- 格差是正に取り組む議員有志の会(座長)
- 公共事業チェック議員の会(副会長)
- 脱原発ロードマップを考える会(世話人)
- 原発ゼロの会(世話人)
- アムネスティ議員連盟
- 人権政策推進議員連盟(副会長)
脚注
- ↑ 「立憲フォーラム」設立。改憲の動きに反対して超党派議員集まる
- ↑ “近藤昭夫氏死去/近藤昭一衆院議員の父”. 四国新聞. (2007年11月2日) . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 略歴/プロフィール|衆議院議員 近藤昭一
- ↑ [1]
- ↑ 保坂展人のどこどこ日記 - 格差是正・有志の会、動き出す
- ↑ 国土審議会(総会)・名簿「国土審議会(総会)・名簿」国土交通省、2008年4月15日。
- ↑ 愛知 小選挙区 開票結果 総選挙2012 衆院選 選挙 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ↑ 【衆院選】:衆院選2014:開票結果・速報:小選挙区・愛知:選挙:読売新聞
- ↑ “民主代表選候補の推薦人名簿”. 時事ドットコム (時事通信社). (2015年1月7日) . 2015閲覧.
- ↑ “<民主代表選>新代表に岡田氏 挙党態勢を重視”. 毎日新聞. (2015年1月18日) . 2015閲覧.
- ↑ 「幹事長代理は近藤昭一氏と福山哲郎氏」、産経新聞、2015年1月20日。
- ↑ “民進党が結成大会 衆参156人、代表に岡田克也氏選出”. 朝日新聞. (2016年3月27日) . 2016-3-29閲覧.
- ↑ “【民進党代表選】菅直人、有田芳生氏ら 枝野幸男氏推薦人”. 産経新聞. (2017年8月21日)
- ↑ “民進の近藤副代表、立憲民主党から出馬へ 愛知3区”. 朝日新聞. (2007年10月3日) . 2017閲覧.
- ↑ 立憲民主党、政調会長に辻元氏日本経済新聞
- ↑ 近藤昭一(小選挙区・愛知県) 【衆議院選挙2017】:読売新聞
- ↑ 立憲民主党、政調会長は長妻昭代表代行が兼務 選対委員長に近藤昭一副代表産経ニュース
- ↑ 未来総理 第58号
- ↑ 19.0 19.1 中日新聞(2017年10月17日、19面、衆院選候補者アンケート)
- ↑ mネット、2012年 衆議院選挙仕分け結果
- ↑ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
- ↑ 岡田代表、愛知、三重で公共事業、先端工場を視察
- ↑ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会
- ↑ PSE法(電気用品安全法)の改正を求めます。
- ↑ 「25%削減目標、変更なし」環境副大臣、中国政府に伝える日本経済新聞、2011年7月9日。
- ↑ 日本経済新聞、2006年11月28日
- ↑ 11.28海外の仲間と共に3千人が国会デモ/アジア太平洋反基地東京会議週刊かけはし(日本革命的共産主義者同盟発行)、2006年12月11日号。
- ↑ 政策・今後の課題
- ↑ 全国集会に3000人 テロ特措法・イラク特措法廃止 在日米軍再編を許さない!週刊かけはし、2007年11月12日号。
- ↑ 辺野古実が抗議の集会 海兵隊がグアム移転協定反対! 辺野古新基地建設を断念せよ週刊かけはし、2009年3月30日
- ↑ 沖縄ジュゴンをまもろう! 辺野古基地建設の中止を! [2]
- ↑ 2012衆院選 愛知3区 近藤 昭一
- ↑ “橋下氏にバッサリ切られた海江田氏 “野党第一党死守”も足元バラバラ”. 産経新聞. (2014年6月7日) . 2014閲覧.
- ↑ 若手国会議員メルマガ「未来総理」第5号 ◎テーマ:「私が政治家をめざした理由」「アジアの平和と発展に寄与しないと日本の未来はない!」
- ↑ 若手国会議員メルマガ「未来総理」 第23号 ■「アジア国々と未来に向けた関係を打ち立てる」
- ↑ 民主党の近藤議員一行が訪朝
- ↑ [3]
- ↑ 日朝関係の発展望む。衆議院議員 近藤昭一朝鮮新報
- ↑ 日本政府は共和国敵視政策の転換を/愛知で講演会朝鮮新報
- ↑ 北朝鮮に訪問団派遣~伊藤英成団長ら議員6名で
- ↑ 朝鮮人強制連行・強制労働に関する質問主意書
- ↑ 関東大震災時の虐殺はなんだったのか? 国家責任を問う第2回院内集会朝鮮日報、2012年7月28日。
- ↑ 北朝鮮に訪問団派遣~伊藤英成団長ら議員6名で
- ↑ 日朝関係の発展望む。衆議院議員 近藤昭一朝鮮新報
- ↑ 日本は関東大震災・朝鮮人虐殺の真相究明を!
- ↑ 若手国会議員メルマガ「未来総理」第23号 ■「アジア国々と未来に向けた関係を打ち立てる」
- ↑ 衆院外務委員会 3号 発言者97-105国会会議録検索システム 2008年3月26日
- ↑ 第170回国会 外務委員会 第3号衆議院会議録情報 2008年11月28日
- ↑ 名古屋で「寃死同胞慰霊碑」建立61周年、関東大震災86周年記念追慕祭
- ↑ 韓統連<バックナンバー>2009年 名古屋 10・4宣言2周年を記念
- ↑ 汚染水説明に韓ロ欠席、聞き逃す 放出前、在京大使館向け開催共同通信、2011年4月18日
- ↑ 近藤環境副大臣が韓国に謝罪、放射能汚染水の海洋放出でサーチナ、2011年4月30日。
- ↑ 日韓中が釜山で環境相会合、震災にも言及
- ↑ 「恒久平和調査局設置を求める院内集会」開催 -1999年11月16日衆議院第2議員会館第1会議室-
- ↑ 朝鮮人強制連行・強制労働に関する質問主意書 [4]
- ↑ 戦争の真相究明重視し、恒久平和調査局設置法案を共同提出
- ↑ 国立国会図書館法の一部を改正する法律案(平成18年5月23日提出)
- ↑ 朝日新聞 2017年11月15日19時11分 韓国元BC級戦犯「名誉回復したい」 政府に補償求める
- ↑ 産経新聞 2007年2月3日 「民主議員また違法献金 近藤昭氏、総連系企業から320万円」[5]
- ↑ 日本労働党中央委員会 各地で労働党創立25周年・新年旗開き開催
- ↑ 労働党旗開き 危機の時代、闘いの決意あふれる
- ↑ [6]NPO法人日中国会議員書画展実行委員会
外部リンク
公職 | ||
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先代: 田島一成 |
環境副大臣 2010年 - 2011年 |
次代: 横光克彦 |
議会 | ||
先代: 赤松正雄 |
衆議院総務委員長 2009年 - 2010年 |
次代: 原口一博 |
先代: 山本拓 |
衆議院懲罰委員長 2012年 - 2013年 |
次代: 高木義明 |
党職 | ||
先代: 結成 |
立憲民主党選挙対策委員長 初代:2017年 - |
次代: 現職 |
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