ふとん太鼓

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ファイル:堺型ふとん太鼓 西湊.jpg
堺型ふとん太鼓(写真は大阪府堺市堺区 西湊太鼓台 約1.7トン)。布団の頂上四隅にある縛り紐は湧き立つ雲を表すという[1]
ファイル:Futon daiko.jpg
難波神社の布団太鼓。摂津名所図会(18世紀)より。太鼓の叩き手となった子供は投げ頭巾をかぶり、商家の軒先では担ぎ手に西瓜をふるまっている。ト書きには、太鼓の音は雷のように大きく、に伝わるという韓人(中国人)太鼓も及ばないだろうとある

ふとん太鼓(ふとんだいこ)とは大阪府河内泉州地方や、兵庫県播磨淡路その周辺で担がれる大型の太鼓台のことである。祭りの飾り山車の一種であり、形状的な最大の特徴は、正方形の巨大な布団を屋根にあたる部分に逆ピラミッド型に積む点にある。布団だんじり、布団神輿、布団屋台などとも呼ばれる。

重さは1.0t~2.0tあり、約50~70人ほどで毎年各神社の祭礼で派手な演出と共にいきおいよく担がれている。現在では少なくなったが戦前は一カ所の神社で約10台以上、宮入されていた所(開口神社、菅原神社)もある。

形式と特徴

  • 共通
内部は中央に太鼓があり、「乗り子」と呼ばれる少年4~8名が乗り込む。激しい動きでも転落しないように乗り子を縛り付ける地区もある。乗り子は舞台化粧並の厚化粧で、豪華な衣装を着る場合が多い。撥の形は野球のバットを短くしたような太くて短いものを使う場合が多い。
  • 大阪型
布団の角度が小さく彫り物中心のふとん太鼓。土呂板や欄干、雲板にも彫刻が入る。その中でも雄太鼓と呼ばれるものもあり、飾りが少なくシンプルなのが特徴的である。
  • 淡路型
大きな特徴としては五段のふとんの下に薄い板を数枚重ねたようなタガヤが施されている。
    • 淡路島内においての淡路型
淡路島内では、ふとんだんじり又はかき(ぎ)だんじりと呼ばれる。島内に現存する本体の全数を把握する者はいないが、約200台はあるとされている。移動のため、祭礼の時には底部に車輪が取り付けられる。
淡路島南部では主に車輪を使い境内をシーソーのように揺らしたり、回転する動作だけをする地区が多い。

回転や曳航中の取り回しがしやすいよう、舵(梃子)を取り付けているところもある。 神社への奉納において、浄瑠璃と一対とする考えが多く。若者は祭礼前に練習を繰り返し、だんじり唄(浄瑠璃くずし)を披露するところが多い。

淡路島北部では、宮入の際に車輪を外しだんじりを担ぎ練りながら宮入をする地域が多い。担ぎ練ることの勇壮さに重点が置かれ競いあう。神社の奉納においては祇園囃子が唄われる部落もある。
  • 堺型
ふとん太鼓全体の彫り物が、神話、人情もの、風景、花鳥物が多く土呂板や欄干にも彫刻が入る。ふとんの厚みが下から上に順に厚くなっていて布団の角度が小さく蒲団〆が金綱では無く羅紗などの帯びであること。もっとも大きな特徴は、ふとんの下にふとん台と小屋根がついていることと柱が地についている所まですべて一本の木で作ってある通し柱(四本柱)。
  • 貝塚型
結び・トンボの代わりに「魔羅」と呼ばれるものが立っている。下地車に見られるような緻密な彫刻が施されており、柱が上下にスライド出来、「せり上げ」と呼ばれる。

東大阪市のふとん太鼓

枚岡神社 秋郷祭 10月14日15日

  • 出雲井・鳥居 大太鼓1 小太鼓1
  • 額田       大太鼓1 中太鼓1 小太鼓1
  • 宝箱       大太鼓1 小太鼓1
  • 豊浦       大太鼓1 小太鼓1 豆太鼓1 地車1
  • 喜里川      大太鼓1 小太鼓1
  • 五条       大太鼓1 小太鼓1
  • 客坊       大太鼓1 小太鼓1
  • 河内       大太鼓1 小太鼓1
  • 四条       大太鼓1 小太鼓4 地車1

大賀世神社 10月第2土曜日曜

  • 横小路

池島神社 10月21日22日

  • 本町
  • 橋詰

梶無神社 10月22日23日

  • 櫻井
  • 上六万寺
  • 下六万寺

吉田春日神社 10月15日16日

  • 本郷
  • 市場
  • 新家
  • 下島

石切劔箭神社 (夏季:7月2,3,4日、秋季:10月第3土・日)

  • 植附
  • 辻子
  • 日下

※夏季に参加する太鼓台は、秋季には参加しない。

大津神社 (10月第2土・日)

  • 古水走
  • 町水走

御劔神社 夏季大祭 (7月第3土・日)

  • 本部     御神輿1 小神輿1 小太鼓1
  • 北之町    大太鼓1
  • 西之町    大太鼓1
  • 新町     大太鼓1
  • 中南之町  大太鼓1 小太鼓1

八尾市のふとん太鼓

玉祖神社 (7月「海の日」直前の土・日)

  • 神立
  • 水越
  • 楽音寺
  • 大竹
  • 千塚
  • 服部川
  • 大窪
  • 郡川
  • 山畑
  • 黒谷

万願寺住吉神社八幡神社御野縣主神社 (7月最終の土・日)

  • 堂垣内(住吉神社)
  • 御領(八幡神社)
  • 式部(御野縣主神社)
  • 新家

恩智神社 (夏祭り:8月1日、秋祭り:11月26日)

八阪神社 (7月最終の土・日)

  • 西山本(貝塚型)

神劔神社 (7月最終の土・日)

弓削神社 (7月最終の土・日)

加津良神社 (10月 第二週土曜日・日曜日)

三十八神社 (10月第三週土曜日・日曜日)

藤井寺市のふとん太鼓

辛国神社八幡神社産土神社 (10月「体育の日」直前の土・日)

  • 南岡(辛国神社)
  • 津堂(八幡神社)
  • 小山(堺型)(産土神社)
  • 北岡

大阪市のふとん太鼓

生野区
  • 巽神社 (夏季:7月14,15日、秋季:10月14,15日)
  • 大地
住之江区
平野区
毎年地車を宮入りさせる町が順番(9年に1度)でふとん太鼓の運行を担当。ふとん太鼓は、11日と14日のみ。乗り子は、ここでは「敲き児」(たたきこ)と呼ばれ、3~12歳位の少年が厚化粧して豪華な衣装、四角い布が垂れた頭巾を被って登場。
  • 長吉志紀神社(10月の第2土日)
西淀川区
此花区

堺市のふとん太鼓

ファイル:大阪 堺 西湊 ふとん太鼓.jpg
堺市のふとん太鼓は、布団状のものを周囲に取り付けた貼り子構造で、空洞部分に人が乗る

開口神社八朔祭 (9月12日より一つ前の 金・土・日曜日)

  • 芦原濱
  • 大南戸川隅田
  • 新在家濱
  • 大甲濱

菅原神社八朔祭 (9月13日,14日,15日)

  • 海船濱
  • 北戸川

船待神社秋季例大祭 (9月第3金・土・日曜日)

  • 出島
  • 西湊
  • 東湊

方違神社秋季例大祭 (9月第3土・日・月曜日)

百舌鳥八幡宮月見祭 (旧暦の8月15日に近い 土・日曜日) ふとん太鼓の担ぎ手、観客数は毎年10万人以上と百舌鳥八幡宮月見祭が最も多いと言われる。[2]

  • 赤畑町
  • 梅町
  • 梅北町
  • 土塔町
  • 中百舌鳥町
  • 陵南町
  • 西之町
  • 土師町
  • 本町

※百舌鳥のふとん太鼓は各町、親太鼓と子供太鼓を所有している。(土塔町のみ親太鼓)
※叩き手は通常子供太鼓が3年生4人、親太鼓は6年生8名が務める。町や子供の人数により5年生が叩いたり人数が少なかったりする。
※土塔町は平成15年度より43年ぶりに復帰。

石津太神社秋祭り (10月の「体育の日」直前の金・土・日曜日)

  • 石津川向
  • 石津東
  • 石津若中
  • 北若仲
  • 十三町会
  • 西地蔵会

石津神社秋祭り (10月第1土・日曜日)

華表神社秋祭り (10月4,5日)

  • 奥本

歴史

堺市(旧市)のふとん太鼓は古くは江戸時代中期には住吉大社祭礼に担ぎ出されていたとされ、『三村宮祭礼絵馬』にも太鼓台のような練り物が描かれている。

堺市内では明治の中ごろまでは祭礼時には各氏子だんじりや鉾を曳行し、神事として太鼓台があったが、明治29年の旧暦の8月1日の祭礼の際、堺市中之町西の紀州街道(だんじりが1台通れるほどの狭い道)において湊組の船地車と北の鍛治屋町の地車が鉢合わせとなり、双方道を譲らず争論となり死傷者が出る事故が発生。「堺の地車騒動」と呼ばれ、これ以後の堺市(現在の旧堺市街地域)での練物曳行は一切禁止となった。

その後、日本が日露戦争に勝利したことを祝して練り物の曳行が許可されたが、各氏子が地車を処分売却していたこと、それまでは堺に多くいた地車の職人が堺の地を離れていたり職を変えていたこと、地車の危険性などの理由から淡路よりふとん太鼓を買い付ける地域が多かったことから、ふとん太鼓だけが残っていった。

大正時代には開口神社では13台、菅原神社では14台ものふとん太鼓が奉納され、堺のふとん太鼓の黄金期を迎え、各町個性を主張しようと、白色ではない房、刺繍の施された布団ラシャ(布団の布地)、色違いの結び(新在家濱は現在でも青色を採用)など各氏子趣向凝らした太鼓台も登場した。

昭和へ入ると人手不足や諸事情等で太鼓台を手放す氏子が表れ始めその後には堺大空襲によって多くのふとん太鼓が焼失した。戦後は物資不足等の影響で飾り付けは基本的なスタイルに戻ったが近年、戦前のような豪華なものに戻ってきている。

貝塚市のふとん太鼓

感田神社夏祭り (7月「海の日」直前の土・日) 7月の第一日曜日には「試験担ぎ」が行われる

泉州路に秋を告げる岸和田祭(旧市九月祭礼)と並んで、同じく夏の到来を告げる代表的な祭りである。

泉州の行政自治体名の付く祭礼は岸和田祭(地車祭)と、この貝塚祭(太鼓台祭)のふたつである。これは泉州(大鳥郡、和泉郡、南郡、日根郡)の南郡に属する岸和田町、岸和田浜町、岸和田村と貝塚町の祭礼であったことから現在も変わりはない。正式には貝塚宮太鼓台祭という。貝塚では一般にふとん太鼓とは言わず単に「太鼓台」という。

祭礼は市街地を交通規制して行われるが、太鼓台が神社境内で担がれることは無い。昭和の中頃までは神社内に留め置かれたり、神社前の中之町通りに留め置いたりしたが、太鼓台の保安上の問題や交通状況の影響もあって今では宵宮夜の担ぎあいのあとは各々各町に戻るようになった。

貝塚太鼓台の最大の特徴は祭礼中、コマをほとんどつけずに担ぐところにある。(コマをつけて運行することは恥とされる。これはだんじりは曳くもの、太鼓台は担ぐものという旧岸和田貝塚伝統の祭礼概念からである)。

宵宮は昼から市街地運行、とりわけ浜4町の貝塚商店街を最初に上がる始まりは、ものすごい迫力である。夜は提灯の「灯入れ運行」となり、旧26号線(堺和泉阪南線)で7町一斉の「担ぎあい」(かきあいという)がある。 本宮は午後零時半から旧26号線(堺和泉阪南線)西町交差点から順次、中之町通りを神社に向けて上がっていく。宮入、式典の後、感田神社前にて全町によるメインの「担ぎあい」が行われ、そのあとは市街運行に移る。昼の運行最後となるこの時間帯は、各町会の申し合わせによって南海貝塚駅前などでも「担ぎあい」が行われる。夜は祭礼を締めくくる浜4町、上3町の「担ぎあい」があって二日間の祭礼ながら見所は多い。

ただ、他の地域で見られる「差し上げ」は一切することはない。また稚児(囃し方)は存在しないので鳴り物は青年団か若頭である。(貝塚祭りは過去において太鼓台同士の喧嘩が耐えない荒々しい一面を持つ祭りでもあったため、化粧した稚児を乗せるなどの慣習はない)。

本宮の午前中は神輿渡幸が氏子各町を巡る。この時の神輿行列の「猿田彦」は北小学校の男子から毎年選出される。 各町会には数メートルの竹笹で四方を囲われた「結界」の「お旅所」が設けられ神事が行われる。

感田神社の神輿は浅草の「千貫神輿」に匹敵する大きさのため、昭和中期以前は牛が引くのが習わしであったが猿田彦の乗る馬とともに近年は道路交通法上、子供会や子供育成会が引いて次町に引き渡すようになっている。(戦前、在郷軍人会が担いだ時期もあった)。

宵宮の午後からは神社で「湯神楽神事」も行われ貝塚市長が列席する。(一般の神楽は祭礼二日間行われ氏子9町すべての家庭に神楽券が配られる)。

だんじり文化一色の泉州において、旧貝塚町という「せまい」地域(北小学校というひとつの校区)のみに太鼓台の祭礼が続いているのかは諸説あるが、明治の高松彦四郎はじめ大正の開正藤、桜井義国などの名匠と云われる彫師の手がけた作品が今もなお保存され運行されている。 (フル扇の垂木、重厚な枡合枡組み、奥行きのある狭間、欄干から泥台に至る繊細な彫り物の形態は、旧岸和田貝塚(泉州南郡)独特であるゆえに「岸和田型だんじり」「貝塚型太鼓台」と現在でも区別されている。

貝塚の太鼓台は三本締めの帯、梯子、二本のマラ、ふとん部四方の網など一見するだけで違う形態である。 また「せり上げ」と呼ばれる独特の構造により、台座と四本柱から上は別固体である。(台座の枠中に四本柱が入るもうひとつの枠がある。また四本柱は底に固定されず吊っているため上下が可能である)。 担ぎ手の力が直接伝わる台座と四本柱から上部分が違う「揺れ方」をするのはこのためであり、提灯で上部の重みが増す夜は特に顕著である。 前述のとおり貝塚太鼓台で「差し上げ」の慣例がないのは「静止状態」には全く価値観を求めないからであり、担ぎ手が交代するために太鼓台が静止するようなことは一切ない。勢いよく担ぎ続けることが貝塚祭りの真髄である。

それゆえに担ぎ手にとって力尽きるまで落とさずに担ぐ勇壮な醍醐味と、見る者を魅了する繊細な彫り物で埋め尽くされた太鼓台本体、そして何よりも先人の時代から「だんじりは岸和田、太鼓台は貝塚」の伝統概念もあって祭礼二日間の人出は相当な数にのぼる泉州屈指の夏祭りである。

夜は前後に無数の提灯がつけられる。

  • 大北町  二代目高松彦四郎および高松一門の作と云われる
  • 中北町  初代高松彦四郎作。泉州最古の太鼓台と云われる
  • 南町   開正藤の同じ題材では、だんじりをも凌ぐと云われる
  • 西町   桜井義国作、破風屋根が特徴

                     以上、浜四町

  • 近木町  細部まで手の込んだ美しい太鼓台である
  • 中町   平成の新調太鼓台。先代は北小学校前の個人展示館で今もなお、美しく保存されている。
  • 堀之町  交差旗は「日章旗」と「旭日旗」 である。北上之町として「神巻物」を持つ かつては一対あった

                     以上、上三町

※各町、大人太鼓台と子供太鼓台を所有  子供太鼓は別に秋季祭礼を行う(体育の日の連休)南上町も参加で8台となる。

※現在、大北町・中北町・堀の町の3町の住所表記は「北町」である。(北上之町3町)

※大北町の一部であった二軒屋町、南上町紀州街道に旅籠町(通名)の太鼓台もあったが、担ぎ出された記録は残ってはいない。二軒町と南上町は行政上存在しない。南上町の住所表記は現在に至るまで南町である。

泉佐野市のふとん太鼓

春日神社夏祭り [7月海の日の前日と当日(7月第3日曜日・月曜日)]

  • 春日町
  • 新町
  • 野出町

※各町、大太鼓と小太鼓を所有

茨木市のふとん太鼓

新屋坐天照御魂神社秋祭り [10月毎年体育の日の前日の日曜日]

江戸時代には福井村の各地区に神輿があり奉納されていたが、喧嘩・怪我が多く発生したため廃止された。

昭和23年青年団結成、昭和29年新蒲団太鼓にて開始。

青年層の就労状況の変化、価値観の多様化、少人数による活動困難が懸念されるが、 平成8年自治振興会 太鼓保存会により活動が継続されている。

福井太鼓保存会

  • 上地区
  • 中地区
  • 下地区
  • 中河原区
  • 豊原地区
  • 山西地区
  • 府営地区
  • 促進地区
  • 南地区
  • 朝日ヶ丘地区
  • 宮の前地区

奈良市のふとん太鼓

[10月体育の日前の土日]

  • 西畑佐紀神社(佐紀西町)
  • 門外釣殿神社(佐紀中町二丁目)
  • 葛木神社(佐紀東町)
  • 式内佐紀神社(二条町氏神)廃絶後→子供みこし
  • 八幡神社(西大寺)布団でなく唐破風屋根
  • 平松皇大神社(平松)
  • 押熊八幡神社(押熊町)
  • 中山八幡神社(中山町)
  • 山上八幡神社(山陵町山上)
  • 山陵八幡神社(山陵町)
  • 興福院天神社(尼辻中町)
  • 疋田三輪神社(疋田町)
  • 菅原神社(菅原町)布団でなく唐破風屋根
  • 倭文神社(西九条町)
  • 元岩清水八幡宮(大安寺八幡)
  • 柏木天満神社(柏木町)
  • 三宝荒神社(古市町)
  • 狭岡神社(法蓮町)神社据置
  • 添御県坐神社(歌姫町)神社据置
  • 添御県坐神社(三碓)
  • 南三条広峰神社(三条大路)廃絶
  • 北三条春日神社(二条大路南5丁目)廃絶
  • 北新天神社(二条大路南2丁目)廃絶
  • 南新皇大神社(四条大路3丁目)廃絶
  • 横領天神社(四条大路5丁目)廃絶
  • 大将軍神社(四条大路4丁目)廃絶後→子供だんじり
  • 斎音寺天神社(尼辻南町)廃絶
  • 北野天満神社(尼辻北町)廃絶
  • 五条山天神社(赤膚町)屋根なしの太鼓台

その他、ふとん太鼓がある所

関連項目

外部リンク

脚注