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オエノンホールディングス

オエノンホールディングス株式会社(英文名称:Oenon Holdings, Inc.)は、焼酎などの製造で知られる合同酒精株式会社(ごうどうしゅせい)を母体とする持株会社東京証券取引所第1部上場。主要株主は第一生命保険みずほ銀行北洋銀行など。

近年は福徳長酒類(旧森永製菓系列だった)や、秋田県の酒類メーカー秋田県醗酵工業(旧独立系だったが森永醸造(福徳長酒類の前身)と資本提携した後に同じく買収された)、富久娘酒造(旧旭化成系列だった)など、多くの酒類メーカーを買収している。2003年頃からの本格焼酎ブームに乗り1992年に北海道の地焼酎として発売した紫蘇焼酎「鍛高譚」(たんたかたん)を全国的にヒットさせるなど地道な商品展開でも知られている。[1]

「オエノン」の由来は、自らの説明によれば、ギリシャ・ローマ神話に由来し、すべてを酒に変える女神「オエノ」をバイオ技術の象徴とし、多角化「オン」を目指そうとする意味としている[2]。ギリシャ神話に登場するオエノデュオニソスによって大地からワインを得る力を与えられた女神である。

また、九州大学農学研究院と芋焼酎『いも九』を共同開発し、製造している。

沿革

  • 1880年明治13年)- 創業者・初代神谷傳兵衛東京浅草に「みかはや銘酒店」を開業(後の「神谷バー」)。
  • 1900年(明治33年)- 日本酒類製造株式會社(後の神谷酒造旭川工場)を設立。
  • 1924年大正13年)- 北海道内の焼酎醸造業4社(神谷酒造旭川工場・東洋酒精醸造・北海道酒類・北海酒精)が合併して合同酒精を設立。本社を北海道旭川市に置く。
  • 1946年昭和21年)- 東北アルコール工業を合併し八戸工場とする。
  • 1949年(昭和24年)- 東京証券取引所に上場。
  • 1955年(昭和30年)- 葵酒造を合併し清水工場とする。
  • 1956年(昭和31年)- 菊美酒造を合併し東京工場とする。
  • 1960年(昭和35年)- 神谷酒造を合併し吾妻橋洋酒工場とする。
  • 1961年(昭和36年)- 太陽醸造を合併し芝浦工場とする。
  • 1963年(昭和38年)- 萬歳酒造を合併、東京に本社を移転。東京・吾妻橋洋酒・芝浦工場を統合し千葉県松戸市に移転。
  • 1964年(昭和39年)- 西宮酒精(1975年にゴードー興産と改称)の株式を取得し西宮工場とする。
  • 1991年平成3年)- 雪印乳業(後の雪印メグミルク)と提携を結ぶ。
  • 2001年(平成13年)- 福徳長酒類、秋田県醗酵工業を買収し子会社化。
  • 2003年(平成15年)- 合同酒精株式会社をオエノンホールディングス株式会社に社名変更し、事業部門を(新)合同酒精株式会社として分割。富久娘酒造を買収し子会社化。
  • 2007年(平成19年)- 北の誉酒造を子会社化。同時に、北の誉酒造の子会社である越の華酒造も連結子会社化。
  • 2015年(平成27年)- 北の誉酒造小樽工場廃止、旭川工場に移管。

オエノングループの主要商品

合同酒精

1924年に北海道拓殖銀行(拓銀)の主導により、旭川市でエタノール・焼酎を製造していた神谷酒造と北海道有数の酒類卸で清酒「北の誉」の醸造元であった野口本店(現:北の誉酒造)を中心に設立された。この背景には、第一次世界大戦終結後の戦後恐慌によって余剰気味だったエタノール・焼酎業者の整理統合と、関東大震災で被害を受けた神谷酒造の再建という意味合いがあった。

神谷酒造は1910年代前期から、それまで認められていなかったジャガイモおよびジャガイモデンプンとその残渣を利用した焼酎用エタノール製造を企図して、当局に酒税法改正を働きかけていた。1918年の酒税法改正でジャガイモ類を利用した焼酎の製造が可能となったため、ジャガイモ栽培が普及していた北海道内では神谷のほか、1919年から1922年にかけ4社がジャガイモ類原料の低コストな焼酎製造に参入した。1919年に名寄町で東洋酒精醸造、士別町で北海道酒類が設立され、1921年には倶知安町に北海酒精が設立。1922年には函館の日本酒酒蔵・卸元である丸善菅谷合名会社もジャガイモ焼酎工場を開設する。

しかし相前後して顕現した第一次大戦後不況から、新興メーカーの東洋酒精・北海道酒類・北海酒精は早晩経営難となり、札幌税務監督局と拓銀は3社を合併させての事態打開を企図した。ところが1923年の関東大震災で、東京地区に本拠を持つ神谷酒造が甚大な被害を受け、同社旭川工場の存続も危ぶまれたことから、神谷酒造も救済合併に加えられることになった。これらの救済案は札幌税務監督局長の野村盛康と拓銀頭取の水越理庸の要請により、流通面で力を持っていた野口本店がそれらの動きに力を貸すことになった。

4社の中で圧倒的な最大手であった神谷酒造を実質的存続会社として他の新興3社を合併、神谷の本社を旭川に移すことで1924年に合同酒精が成立した。「ゴードー」銘柄の甲類焼酎は、設立後間もない1926年に発売されて以来続くロングセラーである。なおこの時の合併に加わらなかった丸善菅谷も1937年に経営破綻し、先立って道内資本の酒造会社複数が1933年に設立していた甲類焼酎メーカーの札幌酒精工業に救済合併された。

その後は焼酎・合成清酒・エタノール製造からブタノールイソオクタンなどの製造にも乗り出し、第二次世界大戦前には同業他社と協和化学研究所(現:協和発酵キリンの前身)の設立に関与している。戦後は酒造業に事業の主力を移し、1960年に神谷酒造を吸収合併。1963年には清酒「富貴」の醸造元でもあった萬歳酒造も合併し、ワイン・清酒醸造にも進出した。

イメージキャラクターに千葉真一を起用し、1970年代から1980年代にかけてCM広告を展開した。また、「富貴」は合同酒精が販売元となってからは北島三郎高橋英樹をイメージキャラクターに起用し、北島の「酒だ酒だ!酒なら富貴だい!!」のキャッチコピーで知名度を上げた。なお「富貴」は漫画家赤塚不二夫が愛飲していたことでも知られた。

  • 焼酎(ゴードー、ビッグマン、鍛高譚、グランブルーなど)
  • 清酒(大雪乃蔵、南部蔵富貴、富貴〈製造は富久娘酒造に委託〉など)
  • 合成清酒(元禄美人、大安吉日、花の友など)
  • チューハイカクテル(直球勝負チューハイ、カクテルタイム、NIPPON PREMIUM、クリアヒットなど)
  • リキュール電気ブラン、ラ・トマト、果実の楽園、医食同源など)
  • ワイン(モメサン社、マイィ社、ボワセ社、ジャン=リュック・プトーセレクション、ドミニク・ローラン、ギュスターヴ・ロレンツ、カルピネート、テデスキ、カスティロ・ペレラーダ、カストロ・レヒオ、トールホース、フレシータ、モントグラス、ハチブドー酒〈赤玉スイートワインと同様の甘味果実酒〉、香竄葡萄酒など)
  • 梅酒(鴬宿梅、鍛高譚の梅酒、あっさり梅酒、贅沢梅酒など)
  • ウイスキー(マッキンレー、香薫)(トップバリュウィスキーの委託製造)
  • 製菓用洋酒(ネプチューン、ストック、コルバ、シュラドラー、プル、ドナルドソンなど)
  • ノンアルコール飲料(ノンアルタイム)
  • みりん・調味料(本みりん富貴、味奉行など)

受賞歴

全国新酒鑑評会

平成14酒造年 - 29酒造年[3]

  • 「大雪乃蔵」金賞受賞 - 平成29年受賞

福徳長酒類

「福徳長」は神戸で1792年創業。後に福徳長酒造株式会社として法人化されたが1967年に灘誉酒造株式会社に合併。さらに1991年、灘誉酒造は森永醸造(1953年に森永製菓から分離設立)に合併され、森永醸造を存続会社とした。1991年に社名を福徳長酒類(株)に変更。2001年に合同酒精傘下となり、モリナガグループを離れた。

主に廉価な日本酒および焼酎・合成清酒を生産しているが、鹿児島県での芋焼酎生産など新たな取り組みも為されている。西酒造の原酒を使用した製品には、三笠フーズの事故米を使用した商品もあり自己回収となった。

  • 清酒(福徳長など)
  • 焼酎(博多の華、茶露など)

など

福徳長酒類の主力工場は福岡県久留米市山梨県韮崎市鹿児島県阿久根市に所在する。久留米工場は台湾製糖が1921年に製糖工場として建設したレンガ造りで、1943年に森永製菓に売却され、酒造工場に転用された建物が、現在でも使用されている。

秋田県醗酵工業

酒類不足であった太平洋戦争中の1945年4月、秋田県内の酒造会社・酒店等の出資で、合成清酒・焼酎および原料用アルコール(清酒、合成清酒、三倍増醸酒用)の供給メーカーとして、清酒「爛漫」醸造元の秋田銘醸湯沢市)敷地内に設立。秋田県内の酒蔵に原料用アルコールを供給する立場から、合成清酒と焼酎は手掛けるものの、清酒は生産していなかった。

1973年に湯沢市内で移転後、1974年に清酒「一滴千両」を製造していた湯沢銘醸(株)を合併して清酒生産に進出。2001年、合同酒精傘下となる。本社と工場は現在も湯沢市に置いている。

製品は福徳長同様に、廉価帯の清酒、焼酎、合成清酒を主力とするが、1982年からは吟醸酒の生産にも取り組んでいる。

  • 清酒(小野こまち、一滴千両など)
  • 焼酎(そふと新光、あいぼう、Black Stoneなど)

など

富久娘酒造

1681年、神戸市灘区灘五郷の一つ西郷の一角、新在家にて花木本店→花木酒造として創業した。富貴、福徳長ブランドともども灘の生一本(灘の3F)である。花木酒造は1963年に経営破綻したものの、東洋醸造が事業を引き受け新会社・富久娘酒造を設立。さらに1970年に東洋醸造が旭化成グループ入りすると、同社も旭化成グループ入りとなった。1992年に東洋醸造は旭化成に吸収合併されるが[4][5]、旭化成が2003年に酒類事業から撤退した際に全株式は合同酒精へ譲渡された[6]。日本で初めての金箔入りの清酒や、「お燗機能つきカップ清酒・富久娘燗番娘」など斬新なアイデアで知られる。合同酒精の富貴や福徳長の普通酒の一部も生産している。

  • 清酒(富久娘、菊源氏[7]、大神力)

北の誉酒造

石川県出身で北海道に移住した野口吉次郎により、1901年、北海道小樽市にて創業。旧・合同酒精創立時には発起人として加わっていて、以降も資本関係を有していたが、2007年にオエノンホールディングス傘下となる。

本社札幌市。創業以来小樽市で醸造を行っていたが、2015年をもって醸造工場を廃止し、合同酒精旭川工場に一本化された。

  • 清酒(北の誉、群来、鰊御殿、雄冬など)
  • 焼酎(ピリカ伝説など)

越の華酒造

1870年、新潟県中蒲原郡沼垂町(現・新潟市中央区沼垂西)にて小野寺寛が創業。2015年現在も創業地の沼垂に本社工場を置き、酒造を続けている。新潟市でも市街地に残る数少ない蔵の一つ。ただし1964年の新潟地震の影響で井戸の水源が断たれたため、以降の仕込み水は同じく新潟県内の東蒲原郡阿賀町(旧三川村)の湧水「桂清水」を用いている。

1951年に株式会社化、北の誉酒造の傘下となる。2007年、北の誉酒造がオエノンホールディングス入りしたことで越の華酒造も連動してオエノン系となったが、経営は創業家である小野寺家が引き続き行っている。

  • 清酒(越の華、カワセミの旅、桂清水、微笑楽、越乃幻の酒、妖精、酒に心あり)

サニーメイズ

1968年、静岡県清水市(現静岡市清水区)に乾式処理方法によるコーングリッツ製造、販売する目的で設立。資本金9,000万円は合同酒精株式会社(現オエノンホールディングス株式会社)、日本食品化工株式会社、三菱商事株式会社の共同出資。

1972年、新鋭機器を多数導入し、原料処理能力を一日あたり250トンに増加。1974年、資本金が1億2,000万円に増資。

提供番組

脚注

  1. 食品ヒット大賞特集:優秀ヒット賞=しそ焼酎 鍛高譚 日本食料新聞 2004/02/25 (09283号)
  2. 商号[オエノン]の由来
  3. 独立行政法人 酒類総合研究所 -「全国新酒鑑評会 入賞酒一覧表」
  4. 沿革”. 旭化成株式会社. . 2016閲覧.
  5. 旭化成に吸収合併後のテレビCMでは「飲み口きりり、富久娘 『旭化成』」となっていた。
  6. 富久娘酒造株式会社の株式譲渡等に関するお知らせ”. 合同酒精株式会社、旭化成株式会社 (2003年4月25日). 2003年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
  7. もとは静岡県田方郡大仁町に存在した脇田酒造合資会社、後の東洋醸造大仁支社→旭化成大仁支社のブランド。旭化成大仁支社の酒類工場は2003年の閉鎖後、旭化成ファーマの医薬品工場となり、現在の菊源氏は富久娘の醸造所で生産されており、東洋醸造・旭化成時代の製品とは異なる。

関連項目

外部リンク