肥前国
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肥前国(ひぜんのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
沿革
火国(ひのくに)、後の肥国(ひのくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。
『肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。
室町時代末期にポルトガル、スペインの宣教師が相次いで来訪してからは西洋の窓口の一つとなり、天正少年使節団を出すなどした。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(691,443石余)。幕府領は長崎奉行が管轄。太字は郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
- 基肄郡(12,776石余) - 対馬府中藩
- 養父郡(17,901石余) - 佐賀藩、対馬府中藩
- 三根郡(14,537石余) - 佐賀藩
- 神埼郡(41,936石余) - 佐賀藩、蓮池藩
- 佐賀郡(95,677石余) - 佐賀藩、蓮池藩、小城藩
- 小城郡(41,137石余) - 佐賀藩、小城藩
- 松浦郡(216,161石7斗5升) - 幕府領、旗本領、唐津藩、佐賀藩、蓮池藩、小城藩、平戸藩、福江藩、対馬府中藩
- 杵島郡(67,773石余) - 佐賀藩、蓮池藩
- 藤津郡(33,033石余) - 佐賀藩、蓮池藩、鹿島藩
- 彼杵郡(82,565石余) - 幕府領、佐賀藩、大村藩、平戸藩
- 高来郡(67,942石余) - 幕府領、佐賀藩、大村藩、島原藩
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年(1870年)9月 - 旗本領の残部(松浦氏領)が長崎県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年5月29日(1872年7月4日) - 伊万里県の管轄区域が佐賀県(第2次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年)
- 明治16年(1883年)5月9日 - 藤津郡・杵島郡・佐賀郡・神埼郡・三根郡・養父郡・基肄郡および松浦郡の一部(後の東松浦郡・西松浦郡域)が佐賀県(第3次)の管轄となる。
脚注