石川達三

提供: miniwiki
移動先:案内検索


石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年明治38年)7月2日 - 1985年昭和60年)1月31日)は、日本小説家。『蒼氓』により、芥川賞受賞者第1号となった。

人物

秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)に生まれる。父が秋田県立横手中学校の英語科教員だったため、転勤や転職に伴って秋田市東京府荏原郡大井町(現東京都品川区)、岡山県上房郡高梁町(現高梁市)・岡山市などで育つ。1914年、9歳で母を亡くす。1915年、父が再婚する。岡山県立高梁中学校3年から、転居に伴い関西中学校4年に編入し卒業、上京し第二早稲田高等学院在学中に『山陽新聞』に寄稿する。1927年早稲田大学文学部英文科に進み、『大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選する。大学を1年で中退した後、国民時論社に就職し、持ち込みを行うも上手くいかず退職する。

退職金を基に、1930年に移民の監督者として船でブラジルに渡り、数か月後に帰国する。国民時論社に復職して『新早稲田文学』の同人となり、小説を書く。その後、国民時論社を再度退職し、嘱託として働く。

ブラジルの農場での体験を元にした『蒼氓』で、1935年に第1回芥川龍之介賞を受賞する。1936年に結婚する。社会批判をテーマにした小説を書くが、1938年生きてゐる兵隊』が新聞紙法に問われ発禁処分、禁固4か月執行猶予3年の判決を受ける。1942年には、海軍報道班員として東南アジアを取材する。

戦後の1946年4月10日第22回衆議院議員総選挙に東京2区で、日本民党(にほんたみのとう)公認候補として立候補するが、立候補者133名のうち、定数12名の22位にあたる24,101票で落選[注 1]。その後も社会派作家として活動し、『人間の壁』、『金環蝕』などを著した。

1969年、第17回菊池寛賞を受賞する。

要職として、日本ペンクラブ第7代会長(1975年 - 1977年)。日本芸術院会員。また、日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、A・A作家会議東京大会会長を歴任した。

晩年は胃潰瘍から肺炎を併発し、1985年1月31日、東京共済病院で死去した。墓は九品仏浄真寺にある。

長男に、NHK放送文化研究所を経て上智大学文学部教授となった石川旺がいる。

作風

英文学者で評論家の中野好夫は、「田舎者で小市民」という性格は石川文学の底を貫いているとし、それは一部の読者を遠ざけてもいるが、一貫した強みになっていることも疑いない、と論じている。そして中野は石川が大正期に自由主義者として自己を形成し、軍国主義への抵抗を秘めていたとも考えている[1]

石川は多読をせず、先輩作家に師事して、その推薦によって文壇に出るという道を採らなかった。志賀直哉宇野浩二徳田秋声のような私小説には最初からはっきり異質感をもったという[2]。多少とも影響を受けた作家として、アナトール・フランスエミール・ゾラをあげている。松本清張山崎豊子が対談の中で論じているようなストーリー構成力の豊富さという点は、この二人の外国作家に学んだとも考えられる。日本で系譜のようなものを求めるとすれば、菊池寛山本有三島木健作のようないわゆる社会派作家に近い[3]

戦後になって評論家の岩上順一から問題作『生きている兵隊』について「反戦文学ではなく、侵略戦争の本質をおおい隠している」と批判され、石川は「日華事変の本質は理解できなかった」と認めた上で、戦場における戦争のみ小説に再現しようとしただけで、「どこの戦場にも侵略戦争の本質などはころがっていなかった」と居直っている[4]

逸話

  • 婦人参政権不要論を唱えたこともあり、長谷川町子の『いじわるばあさん』でネタとして取り上げられた。主人公・いじわるばあさんが執筆活動を妨害するが、達三ではなく、間違えて松本清張の執筆を妨害するというオチであった。
  • 日本ペンクラブ会長時代に、「言論の自由には二つある。思想表現の自由と、猥褻表現の自由だ。思想表現の自由は譲れないが、猥褻表現の自由は譲ってもいい」とする「二つの自由」発言(1977年)で物議を醸し、五木寛之野坂昭如など当時の若手作家たちから突き上げられ、最終的には辞任に追い込まれた。
  • 趣味はゴルフ丹羽文雄とともにシングル・プレイヤーとして「文壇ではずば抜けた腕前」と言われた。
  • 石川達三は昭和20年10月2日の毎日新聞に、「闇黒時代は去れり」という文章を投稿し、「日本人に対し極度の不信と憎悪を感ず」「今の日本人の根性を叩き直すためにマッカーサー将軍よ一日も長く日本に君臨せられんことを請う」と書いた。当時これを読んだ山田風太郎は、その態度の豹変ぶりと議論の浅薄を憤慨し、日記に残している[5]
  • 明治38年生まれが交流する「三八会」に参加していた。メンバーは石川の他に、伊藤整中山正善稲生平八(森永重役)、入江相政玉川一郎木村義雄高木健夫志村喬福田久雄福田蘭堂藤原釜足馬淵威雄成瀬正勝鹿島孝二[6]

著書

  • 『最近南米往来記』昭文閣書房 1931年 中公文庫 1981年
  • 『蒼氓』改造社 1935年 のち新潮文庫
  • 『深海魚』改造社 1936年 のち角川文庫
  • 『飼ひ難き鷹』新英社 1937年
  • 『日蔭の村』新潮社 1937年 のち文庫
  • 『炎の薔薇 新小説選集』春陽堂 1938年
  • 『あんどれの母』版画荘文庫 1938年
  • 『流離』竹村書房 1938年
  • 『結婚の生態』新潮社、1938年 のち文庫
  • 『若き日の倫理』実業之日本社 1939年 のち新潮文庫
  • 『智慧の青草』新潮社 1939年 のち角川文庫
  • 『薫風 自選作品集』婦人文化社出版部 1940年
  • 『盲目の思想』砂子屋書房(黒白叢書) 1940年
  • 『転落の詩集』新潮社 1940年 のち文庫
  • 『花のない季節』中央公論社 1940年 のち文庫
  • 『人生画帖』新潮社、1940年 のち角川文庫
  • 『武漢作戦』中央公論社 1940年 のち文庫
  • 『大地と共に生きん』青梧堂 1940年
  • 『愛の嵐』実業之日本社 1940年
  • 『使徒行伝』新潮社 1941年
  • 『赤虫島日誌』八雲書店 1943年
  • 生きてゐる兵隊河出書房 1945年 のち角川文庫、新潮文庫、中公文庫
  • 『心猿』八雲書店 1946年 のち角川文庫
  • 『望みなきに非ず』読売新聞社 1947年 のち新潮文庫
  • 『ろまんの残党』八雲書店 1947年 のち中公文庫
  • 『母系家族』春陽堂 1948年 のち角川文庫
  • 石川達三選集』全14巻 八雲書店 1948年-1949年
  • 『風雪』新潮社 1948年
  • 『幸福の限界』蜂書房 1948年 のち新潮文庫
  • 『群盲』洗心書林 1949年
  • 『心の虹』実業之日本社 1949年
  • 『書斎の憂欝』六興出版社 1949年
  • 『泥にまみれて』新潮社 1949年 のち文庫
  • 『暗い歎きの谷』文藝春秋新社 1949年 のち角川文庫
  • 『風にそよぐ葦』新潮社 1950年-1951年 のち文庫
  • 『古き泉のほとり』新潮社 1950年 のち角川文庫
  • 『神坂四郎の犯罪』新潮社 1950年 のち文庫
  • 『薔薇と荊の細道』新潮社 1952年 のち文庫
  • 『最後の共和国』中央公論社 1953年 のち新潮文庫
  • 『青色革命』新潮社 1953年 のち文庫
  • 『地上の富』新潮社 1953年
  • 『誰の為の女』大日本雄弁会講談社 1954年 のち文庫
  • 『思ひ出の人』北辰堂 1954年
  • 『悪の愉しさ』大日本雄弁会講談社 1954年 のち角川文庫
  • 『不安の倫理』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス)1955年
  • 『自分の穴の中で』新潮社 1955年 のち文庫
  • 『巷塵』角川小説新書 1955年 のち文庫
  • 『親知らず』中央公論社 1955年
  • 四十八歳の抵抗』新潮社 1956年 のち文庫
  • 『悪女の手記』新潮社 1956年 のち文庫
  • 『自由詩人』河出新書 1956年
  • 石川達三作品集』全12巻 新潮社 1957年-1958年
  • 『夜の鶴』大日本雄弁会講談社 1957年 のち文庫
  • 『人間の壁』新潮社 1958年-1959年 のち新潮文庫、岩波現代文庫
  • 『骨肉の倫理』文藝春秋新社 1959年 のち角川文庫
  • 『野育ちの鳩』東方社 1960年
  • 『私の少数意見』新潮社 1960年
  • 『頭の中の歪み』中央公論社 1960年 のち角川文庫
  • 『現代知性全集26 石川達三集』日本書房 1960年
  • 『充たされた生活』新潮社 1961年 のち文庫
  • 『僕たちの失敗』新潮社 1962年 のち文庫
  • 『愛の終りの時』新潮社 1962年 のち文庫
  • 傷だらけの山河』新潮社 1964年 のち文庫
  • 『誘惑』新潮社 1964年 のち文庫
  • 『稚くて愛を知らず』中央公論社 1964年 のち角川文庫
  • 『私ひとりの私』文藝春秋新社 1965年 のち講談社文庫
  • 『花の浮草』新潮社 1965年 のち文春文庫
  • 『洒落た関係』文藝春秋新社 1965年 のち新潮文庫
  • 『私の人生案内』新潮社 1966年
  • 金環蝕』新潮社 1966年 のち文庫、岩波現代文庫
  • 『約束された世界』新潮社 1967年 のち文庫
  • 青春の蹉跌』新潮社 1968年 のち文庫
  • 『心に残る人々』文藝春秋 1968年 のち文庫
  • 『愉しかりし年月』新潮社 1969年 のち文春文庫、新潮文庫
  • 『あの男に関して』新潮社 1969年
  • 『経験的小説論』文藝春秋 1970年
  • 『作中人物』文化出版局 1970年
  • 『開き過ぎた扉』新潮社 1970年 のち文庫
  • 『人生の文学』大和書房(わが人生観)1970年
  • 『解放された世界』新潮社 1971年 のち文庫
  • 『私の周囲・生活の内外』大和書房 1971年
  • 『現代の考え方と生き方』大和書房 1971年
  • 『流れゆく日々』全7巻 新潮社 1971年-1977年
  • 石川達三作品集』全25巻 新潮社 1972年-1974年
  • 『人物点描』新潮社 1972年
  • 『自由と倫理』文藝春秋(人と思想) 1972年
  • 『その最後の世界』新潮社 1974年 のち文庫
  • 『人間と愛と自由』1975年 新潮文庫
  • 『生きるための自由』新潮社 1976年 のち文庫
  • 『青春の奇術』1976年 新潮文庫
  • 『時代の流れとともに』1977年 新潮文庫
  • 『不信と不安の季節に』1977年 文春文庫
  • 『独りきりの世界』新潮社 1977年 のち文庫
  • 『包囲された日本』集英社 1979年
  • 『小の虫・大の虫』新潮社 1979年
  • 『もっともっと自由を…』新潮社 1979年 のち文庫
  • 『七人の敵が居た』新潮社 1980年 のち文庫 - 春木猛事件を追ったもの
  • 『星空』新潮社 1981年
  • 『裏返しの肖像』新潮社 1981年
  • 『その愛は損か得か』新潮社 1982年 のち文庫
  • 『恥かしい話・その他』新潮社 1982年
  • 『若者たちの悲歌』新潮社 1983年 のち文庫
  • 『いのちの重み』集英社 1983年
  • 『徴用日記その他』幻戯書房 2015年

注釈

  1. 同区トップ当選の加藤シヅエは、138,496票。石橋湛山も同区から立候補し、20位の28,044票で落選している
  1. 石川達三 『筑摩現代文学大系50 石川達三集』 筑摩書房、1984年、468p。
  2. 石川達三 『筑摩現代文学大系50 石川達三集』 筑摩書房、1984年、469p。
  3. 石川達三 『筑摩現代文学大系50 石川達三集』 筑摩書房、1984年、488p。
  4. 石川達三 『筑摩現代文学大系50 石川達三集』 筑摩書房、1984年、479p。
  5. 山田風太郎 『戦中派不戦日記』 講談社文庫、1994年、421p。
  6. 石川達三『流れ行く日々』1970年12月29日分、1971年12月13日分

関連項目

外部リンク