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田中邦衛

たなか くにえ
田中 邦衛
本名 田中 邦衛
生年月日 (1932-11-23) 1932年11月23日(86歳)
出生地 日本の旗 日本岐阜県土岐郡(現在の土岐市
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1955年 -
活動内容 1955年:俳優座養成所入所
1957年:映画初出演
1961年:『大学の若大将
1973年:俳優座退座
1981年:『北の国から
1993年:『学校
2010年:『最後の忠臣蔵
主な作品
テレビドラマ
バス通り裏
若者たち
北の国から』シリーズ
新選組!
映画
若大将シリーズ
網走番外地シリーズ
仁義なき戦いシリーズ
学校
 
受賞
日本アカデミー賞
第17回最優秀助演男優賞
1993年学校』『虹の橋
子連れ狼 その小さき手に
ブルーリボン賞
第26回助演男優賞
1983年逃れの街』『居酒屋兆治
第29回主演男優賞
1986年ウホッホ探険隊
その他の賞
毎日映画コンクール
第22回男優主演賞
1967年若者たち
紀伊國屋演劇賞
第9回個人賞
1974年緑色のストッキング
紫綬褒章
1999年
旭日小綬章
2006年[1]
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田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は、日本俳優位階勲章旭日小綬章[1]岐阜県土岐郡土岐津町出身。麗澤高等学校麗澤短期大学英語科卒。

来歴

麗澤短期大学卒業後、故郷の岐阜で中学の代用教員助教諭)生活を経て、3度目の受験で1955年昭和30年)に俳優座養成所へ入る。3度目の受験の際には、試験官だった女優の東山千栄子から「あなた、またいらしたの」と言われた。3年間の養成所生活を経て俳優座座員に昇格したが、47人中3人という狭き門の突破だった。第7期生の同期には井川比佐志露口茂山本學藤岡重慶中町由子水野久美らがいる。

1957年(昭和32年)、今井正が監督した映画『純愛物語』に初出演した。そのアクの強い風貌から、アクション映画でチンピラや殺し屋役を演じるが[2]1961年(昭和36年)の東宝映画『大学の若大将』では、若大将のライバル・青大将役で出演した。敵役・悪役だがコミカルで憎めないキャラクターを好演し、「若大将シリーズ」のレギュラーとなる。以来、映画・テレビドラマで幅広く活躍している。岡本喜八にも気に入られ、監督別では最多の11本に出演している。

1965年(昭和40年)に出演したフジテレビのドラマ『若者たち』は映画化され、第22回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。

ヤクザ映画では、同年からスタートした「網走番外地シリーズ」で高倉健演じる主人公を慕う舎弟をコミカルに演じ、1973年(昭和48年)から始まった「仁義なき戦いシリーズ」では、それまでのイメージを一新するずる賢いヤクザ・槙原政吉を演じた。以降、東映作品のバイプレイヤーとして活躍する。

1973年(昭和48年)、井川らと俳優座を退座する。安部公房と行動を共にした後フリーとなる。

1980年代以降は映画への出演は減るが、1981年からの『北の国から』シリーズでの葛藤を持ちつつも2人の子を温かく見守る父親・黒板五郎役が全国的に知られることになる。

1993年、『学校』にて苦労しながら夜間中学に通う労働者役を演じ、第17回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。

1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで出演した大正製薬「大正漢方胃腸薬」の年末のテレビCMでは歌って踊るエンターテイナーぶりを披露。コラムニストナンシー関から絶賛を受け[3][4]、作家の小林信彦からも高く評価された[5]

2010年公開の映画『最後の忠臣蔵』へ出演、以降俳優としては表舞台から遠ざかる[6]

2012年(平成24年)6月29日、『北の国から』ほか多くの作品で共演した地井武男が死去。8月6日に青山葬儀所で営まれた「お別れの会」では発起人の一人として名を連ねた。参列者代表7人による「お礼の言葉」では、吉岡秀隆の介添えで最後に祭壇の前に立ち「おいらまだ信じられない」「会いたいよ! 地井にい(兄)、会いたいよ!」と悲痛な思いを地井の遺影に語りかけた。2017年現在、この時の姿が公の前に立った最後の姿となっている[7]

2013年(平成25年)11月19日発売の『週刊女性』(2013年12月3日号)に「田中邦衛(80)ほうき片手の隠居生活『俳優引退』を直撃撮!」との記事が掲載され[8]、「長ゼリフが入らない」ことを理由に仕事の依頼を断っていることが伝えられた。同日放送されたフジテレビの情報番組ノンストップ!』では妻が電話取材に応え「体力的に厳しいと思います」と述べ、田中が休業状態であることを明かす一方で「演技をする夢は夫婦2人でずっと持って生活しています。引退も何も、田中邦衛の人生そのものが役者ですから」と、田中の心情を思い「引退」との明言は避けている[9][10][11]2015年(平成27年)、『週刊ポスト』(2015年10月30日号)にて施設に入居しリハビリ生活を送っていることが報じられた。

2018年7月現在、施設から自宅に戻り、元気にはなってきているが、俳優としての復帰に関しては解らないと、夫人が取材に対して答えた[6]

人物

共演者がトーク番組やバラエティ番組に出演すると、その生真面目でシャイな性格からくる言動や行動についての数々のエピソードが「田中邦衛ばなし」として取り上げられることが多い。独特の語り口調や表情は、ものまねネタの定番となっており、小堺一機が『北の国から』の黒板五郎や楽屋裏での田中をネタとして取り上げたことで、さらに広く知られるようになった。

トークショーや講演の依頼があっても基本的に断り、『徹子の部屋』『スタジオパークからこんにちは』などのトーク番組にも極力出演することを拒んできたが、1998年11月、山形在住のシネマパーソナリティ・荒井幸博からの強い要請を受け、夫婦で山形県を訪れ、天童市成生で初めてのトークショーを開催する。このトークショーでは荒井が聞き手となり、田中は観客が歓喜する光景に感動。以来、夫婦ともに山形の人情・食べ物・温泉・風景を気に入ったこともあり、毎年2 - 3回は私的旅行を含めて山形まで足を運び、トークショーに出演して県内各地の人々と親交をもつ一方で[12]、荒井がパーソナリティを務める山形放送・FM山形のラジオ番組にもたびたび出演、友人の一人となっている。2007年(平成19年)、荒井をはじめ、県内の「仲間」7人が企画した『田中邦衛映画祭』が米沢市の「伝国の杜・置賜文化ホール」で開催され、代表作品3本(『若者たち』『ウホッホ探険隊』『学校』)の上映とトークショーが行われた[13][14]。30代から40代にかけて多数の映画に出演していたため、自分が出演した出演作を映画館のスクリーンで観たことがなく、この時に初めて観客の一人として作品を鑑賞している。

1988年には麗澤瑞浪高校で、2009年には故郷・岐阜県土岐市の隣にある瑞浪市と千葉県柏市の麗澤学園で、荒井を伴ってトークショーを開催した。2010年6月には、荒井と共に『いい旅夢気分』に出演。田中にとってこれが自身初の旅番組出演となった。

1960年代半ばから1980年代初頭まで「網走番外地シリーズ」などで共演を重ねた高倉健を尊敬している。1985年(昭和60年)に共演した映画『夜叉』では、漫才師だったビートたけしが出演していたことから、高倉から漫才の稽古をしようと誘われた[15]

長女は、NHK職員の田中淳子

モデル・オマージュ

田中のその個性的な風貌から、漫画のキャラクターのモデルになっている。

  • 尾田栄一郎著『ONE PIECE』第550話「海軍本部」で主人公である海賊・ルフィを追う海軍本部“最高戦力”3人の「海軍大将」の一人としてボルサリーノ[16](通称「黄猿(きザル)」)が登場する。
  • 高橋のぼる著『土竜の唄』第1巻所収の其之一「菊川玲二」で主人公の菊川玲二巡査の所属する谷袋署署長・酒見路夫(さかみ みちお)が登場し、超極秘任務として広域暴力団の会長を検挙するために玲二を潜入捜査官に任命する。
  • 林律雄大島やすいち著『おやこ刑事』第11巻「かこみ記事」で東京中央新聞記者・片桐志郎(かたぎり しろう)が登場し、後に警察回りとして主人公の柴田親子のいる下ノ町署を担当するも、好みのタイプと見れば誰彼かまわずアタックする様子が描かれている。

受賞歴

出演作品

映画

テレビドラマ

舞台

CM

PV

レコード

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 “芦田淳さんら4028人 秋の叙勲”. 47NEWS. (2006年11月2日). オリジナル2013年12月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131227182029/http://www.47news.jp/CN/200611/CN2006110301000005.html . 2014閲覧. 
  2. 田波靖男 『映画が夢を語れたとき みんな「若大将」だった。「クレージー」だった。』 広美出版部、1997年。ISBN 4-87747-007-7。
  3. ナンシー関「だから年末といえば田中邦衛」、『宣伝会議』1991年2月号、宣伝会議コラム集『何様のつもり』所収。
  4. ナンシー関「コスプレまで披露!田中邦衛久々スパークCMに大満足」、『広告批評』1996年11月号、マドラ出版。コラム集『何が何だか』所収。
  5. 小林信彦 『コラムにご用心 エンタテインメント評判記 1989-92』 筑摩書房、1992年。ISBN 4-480-82297-6。
  6. 6.0 6.1 田中邦衛が老人ホームから自宅復帰、妻が明かすリハビリ生活」、『NEWSポストセブン』2017年10月13・20日号、小学館、. 2018閲覧.
  7. “地井さんお別れの会…田中邦衛「地井にい、会いたいよ! 」”. SponichiAnnex. (2012年8月7日). オリジナル2012年8月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120811052044/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/08/07/kiji/K20120807003850060.html . 2014閲覧. 
  8. 田中邦衛の引退報道、『北の国から』だけではない実績を思い出す”. 戦後史の激動 (2013年11月20日). 2014年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  9. “田中邦衛、俳優活動は体力的に厳しい 1/3ページ”. デイリースポーツONLINE. (2013年11月19日). オリジナル2013年11月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131119112354/http://daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/19/0006508055.shtml . 2014閲覧. 
  10. “田中邦衛、俳優活動は体力的に厳しい 2/3ページ”. デイリースポーツONLINE. (2013年11月19日). オリジナル2013年11月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131119134456/http://daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/19/1p_0006508055.shtml . 2014閲覧. 
  11. “田中邦衛、俳優活動は体力的に厳しい 3/3ページ”. デイリースポーツONLINE. (2013年11月19日). オリジナル2013年11月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131119134458/http://daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/11/19/2p_0006508055.shtml . 2014閲覧. 
  12. “コミミ口コミ / 田中邦衛映画祭、7月米沢で 田中さんのトークショーも”. asahi.com. (2007年6月8日). オリジナル2007年6月10日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070610135704/http://www.asahi.com/komimi/TKY200706040109.html . 2014閲覧. 
  13. 田中邦衛映画祭開催”. 上杉の城下町 米沢 yonezawa.info (2007年7月6日). 2014年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  14. そして『田中邦衛映画祭』がやって来た。”. 荒井幸博TODAY (2007年7月15日). 2014年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  15. 映画秘宝』Vol.10 GOGO!バカ大将、洋泉社、1998年。ISBN 4-89691-321-3。
  16. 名前の由来は、映画『トラック野郎 爆走一番星』で田中が演じた役名「ボルサリーノ2」から。
  17. アラビア数字で「2(ツー)」。鈴木則文 『映画「トラック野郎」大全集:日本最後のアナーキー・プログラム・ピクチャーの伝説』 洋泉社〈別冊映画秘宝 洋泉社MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-86248-468-0。杉作J太郎、植地毅 編著 『トラック野郎 浪漫アルバム』 徳間書店、2014年。ISBN 978-4-19-863792-7。他。

関連項目

外部リンク

テンプレート:日本アカデミー賞最優秀助演男優賞