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吉田亀太郎

吉田亀太郎
生誕 1858年10月26日
陸奥国花巻(現岩手県花巻市
死没 (1931-12-26) 1931年12月26日(73歳没)
職業 牧師伝道者

吉田 亀太郎(よしだ かめたろう、1858年10月26日安政5年9月20日) - 1931年昭和6年)12月26日)は、明治時代に東北地方で活動した伝道者・牧師。祖父は仙台藩亘理伊達氏に仕えた新妻興左衛門、父はその四男吉田雄吉[1]

生涯・業績

1858年(安政5年)、陸奥国稗貫郡花巻(現岩手県花巻市)で生まれ、宮城県石巻で育った。新潟に赴任した時に、T・A・パーム押川方義らの説教を聞いてキリスト教に回心し、1878年明治11年)に洗礼を受けた。それから、パーム、押川と共に伝道に従事した[2]

1880年(明治23年)、吉田は押川と共に、宮城県の伝道を始める。仙台についた吉田と押川は、北三番町木町通り角屋敷に「基督教講義所」の看板を掲げて伝道を開始した。反応は鈍かったが精力的に巡回し、聖書を売り、路傍伝道を行った。

1881年(明治24年)、押川は腸チフスで3ヶ月間療養生活を行った。押川不在の時も、吉田が伝道して1881年5月1日、横山覚、伊藤悌三の二人が洗礼を受けた。これが仙台日本基督教会(日本基督教団仙台東一番丁教会)の創立になった。

吉田亀太郎の両親宅を集会所として伝道し、これが、石巻基督教会になる。

1885年(明治28年)4月陸前古川教会、10月に岩沼教会、11月に石巻一致教会(現・日本基督教団石巻山城町教会)が創立する。[3]

脚注

  1. 宮城学院編『天にみ栄え 宮城学院の百年』宮城学院、1987年、54頁。
  2. 守部喜雅『日本宣教の夜明け』いのちのことば社、2009年、22-24頁。
  3. 日本キリスト教歴史大事典編集委員会編『日本キリスト教歴史大辞典』教文館、1988年、107-108頁。

参考文献