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アフリカ系アメリカ人

アフリカ系アメリカ人
African American
総人口
3958万6840人(16.8%)[1]
居住地域
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語
アメリカ英語黒人英語南部アメリカ英語カリブスペイン語ハイチ語フランス語系のクレオール言語)、ブラジルポルトガル語
宗教
ほとんどがプロテスタント、一部はカトリック、稀にイスラーム
関連する民族
ブラック・インディアンアメリコ・ライベリアンアフリカ系ラテンアメリカ人

アフリカ系アメリカ人: African-American[† 1]

アメリカ合衆国の民族集団。多くは奴隷として連れて来られたアフリカ人を祖先とするが(黒人奴隷),黒人以外のアフリカ人の子孫も多い。奴隷所有者が用いた,黒人 black,ニグロ negro(スペイン語で黒の意)という呼称は侮蔑的であり,解放奴隷はみずからを婉曲的にカラード coloured(有色人種)と称したが,アメリカ北部では大文字で始まる Negroが通用するようになった。20世紀半ばの公民権運動の際は父祖の地の誇りを表すアフロ=アメリカン Afro-Americanという表現も用いられたが,力と変革の象徴としての黒(黒人)が,より一般的になった。1980年代末に公民権運動指導者のジェシー・ジャクソンがアフリカ系アメリカ人という呼び方を提唱し,今日では黒人とともに広く用いられる。

アフリカ系アメリカ人の歴史は 1619年,20人のアフリカ人がヨーロッパ系入植者の奉公人としてイギリス領バージニア植民地に連れて来られたことに始まる。1660年代までに大規模なアフリカ人移送が行なわれるようになり,1790年にはアフリカ系がアメリカの人口の 2割を占めた。この間,1750年までに,植民地全域で黒人奴隷が制度化された。奴隷は南部の綿花プランテーションの労働力として,綿花王国を支えた(プランテーション制)。

南北戦争の結果,黒人奴隷は法的に解放され(奴隷解放宣言),およそ 400万人が自由の身となった。南部における政治的な立場も向上し,1901年までに 20人が下院議員に,2人が上院議員に選ばれた。しかし南部諸州は黒人の公民権を制限する州法を相次いで制定,さらに人種分離制度(ジム・クロウイズム。黒人差別法)を確立し,連邦最高裁判所もこれを是認した(プレッシー対ファーガソン裁判)。

1895年,解放奴隷の子ブッカー・T.ワシントンは黒人に,政治・社会闘争をやめて労働に専念し,経済的地位の向上を目指すよう呼びかけた。ワシントンは白人有力者の支持を得たが,差別的な環境は改まらず,黒人をねらった暴力事件も増加した。1920年代,ジャマイカ出身のマーカス・ガーベイが黒人民族主義を掲げて大規模な大衆運動を組織すると黒人間に民族意識が高まり,ハーレム・ルネサンスと呼ばれる黒人文学・音楽・芸術の勃興もみられたが,ガーベイが投獄されると運動は勢いを失った。第2次世界大戦後,人種差別撤廃の気運が高まった。1954年,連邦最高裁判所はプレッシー対ファーガソン裁判の「分離すれど平等」の原則を覆し,公立学校の分離制度に違憲判決をくだした(ブラウン対トピカ教育委員会裁判)。マーティン・ルーサー・キングは 1955年にバス・ボイコット運動を指導して勝利を収め,1963年のワシントン大行進は,包括的な差別禁止を定めた 1964年公民権法の成立を実現した。他方,1960年代後半にはブラック・パワーの思想が台頭,学校教育には黒人文化研究や黒人教員の登用を求め,若者の髪形や服装などにも影響を与えた。

アフリカ系アメリカ人は,映画,文学,音楽,スポーツなどの分野で才能を発揮し,すぐれた人材が輩出している。政治においては 2008年,ケニア出身の父をもつバラク・オバマが大統領に選出された。



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  1. 英語発音: [ˈæfrɪkənəˈmɛrɪkən] フリカナリカン
  1. 2008年アメリカ国勢調査による人口統計学より。