自由民主党幹事長

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自由民主党幹事長(じゆうみんしゅとうかんじちょう)は、日本自由民主党幹事長自由民主党総裁を補佐し、党務を執行する役職である[1]

概説

総務会長政務調査会長選挙対策委員長とともに、党四役として同党総裁を補佐する。党則上総裁に次ぐとされる同党副総裁は常設の役職ではないので、幹事長が事実上の党ナンバー2とされる。党最高責任者である総裁が内閣総理大臣である場合は、党務全般を幹事長が握る。ただし、自民党の参議院議員団に関する党務については同党参議院幹事長が担当する。

任期は1年で再任の制限無し。任期途中で辞職した場合、新任者の任期は前任者の残任期間までである。総裁が新たに選任された場合は在任期間に関わらず、幹事長の任期は終了する。

幹事長は人事局、経理局、情報調査局、国際局などの党の組織を掌握している。また、幹事長は党の総合調整機関である役員会に参加する。なお、幹事長を補佐する役職として、幹事長代理および副幹事長が置かれる[2][注 1]。野党時代の2011年より新たに幹事長代行を新設した[注 2]

通常、総裁に代わり党務を掌握しているため絶大な権限を持ち、俗に「閣僚ポスト2つ分」と言われる[注 3]。党の実務責任者として重要な任務が多いことから、幹事長経験者は総裁候補と目されることが多く、過去に自民党総裁に就任した24名のうち半数の12名までが幹事長経験者であった。また谷垣禎一は幹事長経験がなく総裁に就任したが、一度総裁を辞したのちに幹事長に就任している(現在までで唯一の例)。

選挙の指揮

幹事長の最大の仕事は、選挙活動を指揮し、勝利することである。幹事長は立候補者に対する公認権を持ち、さらに党財政も管理しているため、公認と資金両面から党内において絶大な発言力を握る。特に、衆議院議員総選挙小選挙区制が導入されたことにより、従来から大きかった幹事長の影響力がさらに増加したとされる。小選挙区制では、政党から公認を受けない候補が立候補して当選することが、従来の中選挙区制に比べて格段に難しくなったとされるからである[注 4]。また、自民党が与党の際は内閣総理大臣が事実上決定権を持つとされる衆議院解散権が、衆院選候補の公認権限を持つ自民党幹事長によって抑制されるケースがあった。

2007年平成19年)9月24日に総裁に就任した福田康夫は選挙対策を重視し、総裁直属の選挙対策委員会を設置した。その委員長を党三役と同格の党四役とし、総裁が指名するとしたことから、幹事長が独占してきた選挙指揮を選挙対策委員長が担うこととなった[注 5]。しかし、2009年(平成21年)8月30日衆院選で下野後の同年9月28日に新たに総裁となった谷垣禎一は、翌29日にさっそく組織再編に着手し、選挙対策委員会は選挙対策局に変更格下げした。これにより、再び幹事長が選挙指揮を担うこととなった。

2012年(平成24年)12月25日に実施された自民党役員人事において総裁の安倍晋三は福田同様選挙対策を重視し、総裁直属の選挙対策委員会を再設置した。その委員長を党三役と同格の党四役とし、総裁が指名するとした。同時に委員長に選挙対策局長の河村建夫を指名した。

国会運営、法案審議

ファイル:国会議事堂 第12控室 自由民主党幹事長室.jpg
国会議事堂内の第12控室は、長らく自由民主党幹事長室とされてきた[3]。2009年9月から2012年12月までは民主党幹事長控室となっていた。

幹事長は、選挙以外にも、衆参両院の議院運営委員会、党内の国会対策委員会などを通じて、国会運営、法案審議の指揮を行う。国会運営は、法案審議のみならず選挙日程にも関係するため、選挙の指揮に次ぐ重要な役割である。幹事長は他党との各種交渉の指揮も行うため、連立政権を組んでいる場合には、連立を組んでいる政党との窓口も幹事長が担当した。幹事長は他党との政策協議、国会運営の指図等を通じて、間接的に政策の企画立案にも関与することとなる。

党務

幹事長は党務全般を管理している。そのため、自民党の財政、人事についても大きな権限を握っている。党則上は副幹事長(幹事長代行・代理も含む)、幹事長の下に置かれる各局の局長・次長、国会対策委員長の決定権を持つ。党内の役職だけでなく、閣僚[注 6]や国会の委員長ポスト、場合によっては高級官僚の人事にも影響力を及ぼすことがある。自民党が初めて下野した細川内閣の時期以降、自民党が銀行から融資を受ける際には、幹事長が連帯保証人となっている。

また、自民党のナンバー2として、同党のスポークスマンの役割も担い、定例記者会見を行う。さらに、テレビ等で各党幹部を集めて討論を行う際には、党の政策責任者である政調会長に代わって、党を代表して幹事長が出演することもある。

総幹分離

総幹分離とは、「幹事長は総裁の出身派閥から出さない」という慣例の通称である。1979年(昭和54年)以降、24年間にわたり踏襲され、その後も概ね維持されている。閣僚任免権をもつ総理総裁と、党役員任免権および公認権をもつ幹事長が同一派閥から出ることによって、特定派閥に権力が集中するのを抑制するという趣旨である。

自民党結党以来、幹事長には総裁派閥の出身者など総裁に近い人物が就任するのが通例であったが、1974年(昭和49年)、椎名悦三郎椎名裁定によって総裁に三木武夫を選出する際、選出の条件として総幹分離が打ち出された。これにより、三木は任期中、他派閥から幹事長を指名した。また、次の総裁・福田赳夫は、当初「大福連合」に政権の基盤を置いていたこともあって総幹分離を踏襲し、大平正芳を幹事長に起用した。1978年(昭和53年)12月、福田に総裁選で勝利した大平は、「(裁定ではなく)公選で総裁に選出された場合には、総幹分離は適用されない」として、総裁着任当初、自派の鈴木善幸の幹事長起用を模索した。しかし、この人事案は他派の反発を買ったため、自派ながら比較的派閥色の薄い斎藤邦吉を幹事長に起用した。このように、総幹分離は、この時点では必ずしも明確な慣行とはされていなかったと解される。その後、大平は衆議院総選挙で大敗した責任を追及され、妥協策として反主流派である中曽根派の櫻内義雄を幹事長とした。以後、四十日抗争直後からハプニング解散に至る激しい党内抗争の中で、櫻内が党内融和に奔走した実績が買われ、櫻内は続く鈴木政権でも続投することになる。かかる経緯により、総幹分離の慣例は定着した。また、幹事長を総裁派閥以外から起用した場合、代わりに幹事長代理を総裁派閥から選任することが慣例化した。

1981年(昭和56年)11月、総裁に就任した鈴木の下で、櫻内に替わって二階堂進(田中派)が幹事長に就任する。このとき以降、最大派閥を率いていた田中角栄は、自らの総裁返り咲きのために自派から総裁候補を出さず、代わりに幹事長ポストに自派議員を送りこみ続けた。田中派から竹下派に代替わりしてからも同様であり[注 7]、自派から総裁を出していないときは、その代わりに幹事長ポストを得、総裁の党運営を牽制した。このことも総幹分離を定着させた一因である。

1994年(平成6年)に導入された衆議院の小選挙区制度は、派閥の影響力を殺ぎ、党本部への権力集中を促進した。さらに、派閥中心の党運営に否定的で官邸主導の政権運営を行った小泉純一郎の総裁就任によって、派閥の影響力はさらに低下した。小泉は総裁に就任すると、幹事長に山崎派の領袖山崎拓を起用した。これは、形式的には総幹分離に則っているが、山崎は小泉の盟友であり、最大派閥の橋本派(旧田中派)を排除して、主流派が総裁・幹事長を独占する形になった。小泉はさらに総裁再選に伴い、総裁派閥の安倍晋三を幹事長に起用し、24年間続いた総幹分離が形式の上からも途切れた。安倍の後任には再び山崎派の武部勤を起用した。もっとも、武部が自らを「偉大なるイエスマン」と称したことからも分かる通り、この人事は総幹分離によって党内融和を図ったというよりも、むしろ総裁の意向の通りやすい人物を選んだものであって、小泉はここでも派閥にとらわれない人物本位の人事を貫いた。小泉の後継総裁である安倍晋三は、当初は出身派閥の中川秀直を幹事長に起用したものの、野党に惨敗した2007年(平成19年)7月の参院選後に行った役員改選では麻生太郎(麻生派)に幹事長を任せた。小泉以降の総裁は、総幹分離の慣例の趣旨を踏まえつつ、柔軟な人事を行っている。いずれにしても、熾烈な派閥抗争を調整し、権力のバランスをとるという意味での総幹分離の慣例は、その役割を終えた。

歴代自由民主党幹事長一覧

氏名 就任日
退任日
出身 総裁
1 岸信介
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1955年11月
1956年11月
岸派 鳩山一郎
2 三木武夫
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1956年12月
1957年7月
三木・松村派 石橋湛山
3 岸信介
4 川島正次郎
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1957年7月
1959年1月
岸派
5 福田赳夫
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1959年1月
1959年6月
岸派
6 川島正次郎
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1959年6月
1960年7月
岸派
7 益谷秀次 1960年7月
1961年7月
池田派 池田勇人
8 前尾繁三郎
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1961年7月
1964年7月
池田派
9 三木武夫
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1964年7月
1965年12月
三木・松村派
10 佐藤栄作
11 田中角栄
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1965年12月
1966年12月
佐藤派
12 福田赳夫
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1966年12月
1967年11月
福田派
13 田中角栄
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1967年11月
1971年6月
田中派
14 保利茂
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1971年6月
1972年7月
佐藤派
15 橋本登美三郎 1972年7月
1974年11月
田中派 田中角栄
16 二階堂進
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1974年11月
1974年12月
田中派
17 中曽根康弘
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1974年12月
1976年9月
中曽根派 三木武夫
18 内田常雄 1976年9月
1976年12月
大平派
19 大平正芳
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1976年12月
1978年12月
大平派 福田赳夫
20 斎藤邦吉 1978年12月
1979年11月
大平派 大平正芳
21 櫻内義雄
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1979年11月
1981年11月
中曽根派
22 鈴木善幸
23 二階堂進
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1981年11月
1983年12月
田中派
24 中曽根康弘
25 田中六助 1983年12月
1984年10月
鈴木派
26 金丸信 1984年10月
1986年7月
田中派
27 竹下登
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1986年7月
1987年10月
田中派→竹下派
28 安倍晋太郎
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1987年10月
1989年6月
安倍派 竹下登
29 橋本龍太郎
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1989年6月
1989年8月
竹下派 宇野宗佑
30 小沢一郎
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1989年8月
1991年4月
竹下派 海部俊樹
31 小渕恵三
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1991年4月
1991年10月
竹下派
32 綿貫民輔 1991年10月
1992年12月
竹下派 宮沢喜一
33 梶山静六 1992年12月
1993年7月
小渕派
34 森喜朗
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1993年7月
1995年8月
三塚派 河野洋平
35 三塚博 1995年8月
1995年10月
三塚派
36 加藤紘一 1995年10月
1998年7月
宮澤派 橋本龍太郎
37 森喜朗
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1998年7月
2000年4月
三塚派-森派 小渕恵三
38 野中広務
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2000年4月
2000年12月
小渕派-橋本派 森喜朗
39 古賀誠 2000年12月
2001年4月
加藤派堀内派
40 山崎拓
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2001年4月
2003年9月
山崎派 小泉純一郎
41 安倍晋三
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2003年9月
2004年9月
森派
42 武部勤 2004年9月
2006年9月
山崎派
43 中川秀直 2006年9月
2007年8月
森派-町村派 安倍晋三
44 麻生太郎
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2007年8月
2007年9月
麻生派
45 伊吹文明
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2007年9月
2008年8月
伊吹派 福田康夫
46 麻生太郎
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2008年8月
2008年9月
麻生派
47 細田博之
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2008年9月
2009年9月
町村派 麻生太郎
48 大島理森
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2009年9月
2010年9月
高村派 谷垣禎一
49 石原伸晃
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2010年9月
2012年9月
山崎派
50 石破茂
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2012年9月
2014年9月
無派閥 安倍晋三
51 谷垣禎一
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2014年9月
2016年8月
谷垣グループ
52 二階俊博
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2016年8月
二階派

※…形式上な派閥解消または派閥離脱は実質的な所属派閥を記載。
太字は後に総裁に就任した人物。谷垣禎一は幹事長就任前に総裁を経験している

歴代の自由民主党幹事長代行

代行者氏名 在任期間 所属派閥
1 田野瀬良太郎 2011年10月 - 2012年9月 山崎派
2 菅義偉 2012年9月 - 2012年12月 無派閥
3 細田博之 2012年12月 - 2016年8月 細田派
4 下村博文 2016年8月 - 2017年8月 細田派
5 萩生田光一 2017年8月 - 細田派

記録

脚注

注釈

  1. 副幹事長の定員は30名以内で、党則に記載はないがそのうち1名が「筆頭」。副幹事長の中から幹事長代行と幹事長代理が幹事長により指名される。
  2. 2011年10月より新設で、定員は1名。党則8条2項に挙げられる順番や党役員一覧から、従来より存在した幹事長代理より上位職と見られる
  3. 筆頭副幹事長を務めた海部俊樹によると、これですら閣僚級の扱いであったという。
  4. 中選挙区制時代には、1つの選挙区に自民党の候補者が複数立候補するため、派閥の力関係が候補者の資金や公認の割り振りに直結し、派閥の存在意義となっていた。小選挙区制では1つの選挙区で党の候補者は1人に限られるため、幹事長の公認権が以前に比べて増した。
  5. なお、旧総務局長や選挙対策総局長は幹事長に指名権があったため、幹事長の権限の一部を総裁に移譲する意味も持つ。
  6. 普通、組閣本部のメンバーとして人事に関わる。
  7. 実際には田中・竹下派ではない幹事長も存在するが、他派閥のなかでも同派と良好な関係の人物が起用された。

出典

  1. 自民党党則第8条1項。
  2. 自民党党則 平成25年3月17日 自民党ホームページより
  3. 【図解・政治】衆院内の議員控室、時事ドットコム、2009年。

関連書籍

  • 浅川博忠『自民党幹事長というお仕事』(亜紀書房、2002年
  • 奥島貞雄『自民党幹事長室の30年』(中央公論新社、2002年)

関連項目

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