沖雅也
沖 雅也(おき まさや、本名:日景 城児<ひかげ じょうじ>、出生名:楠 城児<くすのき じょうじ>、1952年6月12日 - 1983年6月28日)は、大分県別府市[1]、大分市出身[2]の俳優。身長183cm。
Contents
来歴
生い立ち
1952年(昭和27年)6月12日、父は石油卸売業、祖父は病院経営という裕福な家庭に生まれる[3]。出生名は楠城児といった。しかし父親の事業失敗のために大分市に転居, その後も市内を転々とする生活を送った[3]。小学生の頃は手に負えない程いたずらをするなど、わんぱくな一面があった[3]。
上京
中学2年時の1966年12月、両親が離婚し、父に付くも、家庭不和により1968年1月4日、中学校の卒業前に家出[3]。10万円の全財産とバッグ一つで上京[3]。当日はホテルニューオータニへ宿泊。翌日から氏名と年齢を偽り、住み込みで中華そば屋の店員[1]やカステラ工場の配送員の助手[3]など職を転々とし、最後はスナックのバーテンダーをしていた[1]。中学は卒業していなかったが、1968年にデビューする際、大分市の西鉄グランドホテルで佐藤文生代議士や大分市長らも出席してレセプションが開かれ、この席上で王子中学校の校長が沖に中学の卒業証書を手渡した[2]。それまでは大分舞鶴高校中退と偽っていた[2]。その後は高校の通信教育で卒業している[3]。
日活時代
ある日、客からスカウトされファッション誌のモデルになるも、単発的な仕事だったためスナック勤めを続けながら業務をこなしていたが、食う物にも困る程生活が苦しかった[3]。1968年、16歳のとき、オスカープロモーション設立前の古賀誠一にスカウトされ[2]、古賀が沖を日活関係者に紹介して『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビューした[2]。翌1969年には早くもエランドール新人賞を受賞[1]、その後は数々の日活作品に助演する。芸名の「沖雅也」の「雅」は当時の日活社長の堀雅彦の一字から名付けられるなど、相当な期待を受けていた[3]、しかし大きな役には恵まれずにいたが、1971年に入ると、沖はようやく主役に抜擢された『八月の濡れた砂』の撮影開始直後にオートバイの怪我で降板という不運に見舞われた[1][3]。
「必殺シリーズ」出演
テレビドラマ『さぼてんとマシュマロ』の主演で人気を博し、他に『金メダルへのターン!』(フジテレビ)、『キイハンター』(TBS)にセミレギュラー出演するなど、気鋭の若手として注目を浴びた。初期はアイドル的な人気で、松竹へ移籍した1972年から徐々に大人の役者への脱皮を試みる時期となった。
1973年に必殺シリーズ(朝日放送)第2作『必殺仕置人』の棺桶の錠役に抜擢される。山崎努、藤田まことらとの共演で注目され、2年後(1975年)のシリーズ第6作『必殺仕置屋稼業』にもレギュラー出演。沖は役に入れ込み[4]、棺桶の錠とはガラリと印象の変わった冷徹な殺し屋・市松を演じた[4]。その間の1974年にはNHK金曜時代劇『ふりむくな鶴吉』の主演にも抜擢されているなど、この時期は時代劇での活躍が目立った。1975年、沖は実父の死去を受け日景忠男と養子縁組、日景城児となった[3]。
太陽にほえろ!(第1期)〜俺たちは天使だ!
第1期のレギュラー出演となる以前、沖は1972年9月放送の『太陽にほえろ!』第10回「ハマッ子刑事の心意気」に、神奈川県警浜崎署・久保刑事の名で石塚刑事の好敵手として初出演を果たした。 その後、必殺仕置屋稼業を見て沖の演技に注目した太陽にほえろ!のプロデューサー岡田晋吉により、1976年9月、『太陽にほえろ!』(日本テレビ)のレギュラーとして城北署から七曲署に転勤した滝隆一(スコッチ刑事)役として出演[5]、爆発的な人気を得ることとなる。高視聴率番組だった『太陽にほえろ!』は、チームワークが絶好調でメンバー同士の対立が全く考えられない状況であり、ある種のマンネリズムを危惧した岡田が、「七曲所に波風を立てる役」として、新人俳優では無理と考えて、拝み倒して出てもらったという[6][7]。難しい役を演じるために、現場でも遠くで一人でポツンとして役つくりに徹底していたという[8]。 勝野洋演じる殉職したテキサス刑事の後任として登場して翌1977年3月まで、沖本人の希望により半年間契約で出演し、山田署へ転勤という形で降板した[9]。
1978年、沖は同じ岡田晋吉企画の刑事アクションドラマ『大追跡』、『姿三四郎』での準主役等を経て、1979年にアクションコメディドラマ『俺たちは天使だ!』(日本テレビ)に主演、沖本来の明るいキャラクターを前面に出した、陽気で伊達男のキャップこと主人公・麻生雅人役を演じ茶の間の人気を博した[10]。
太陽にほえろ!(第2期)
1980年3月、『太陽にほえろ!』と同じ曜日と時間に放送されていたTBSの『3年B組金八先生』に押され、視聴率が低迷してきた時に『太陽にほえろ!』に復帰。沖は再登場に乗り気ではなかったが、東宝との関係、そして岡田プロデューサーの依頼であり、再登場、再びレギュラーを務めることとなった[11][9]。沖は太陽復帰にあたり約1カ月前から走り込みなどを行っていた。また今度はクールな刑事ではなく、人間味のある刑事を演じたいと語っていた[12]。
1981年には『江戸の朝焼け』でも主演を務めた。ところが、他にもレギュラー番組をいくつか抱える過密スケジュールの中、沖は精神的な不安定度が高くなり、同年4月11日に東名高速道路でキャデラックを運転中に自動車事故を起こした[1]、幸い軽い怪我(足首の軽い捻挫)と躁鬱病(躁うつ病)と診断されて2週間入院した[1]。退院後も精神安定剤を服用しながら同年6月1日に現場に復帰したが、肝臓炎の発症や薬の副作用によるむくみや肥満などから躁鬱病が悪化、沖も復帰から3ヶ月後に再び長期間の休養を余儀なくされ、本来はもう少し長く出演するはずであったが、最終的には病死という形で、翌1982年1月に番組から降板することになった[13]。
自殺
大阪での舞台公演が控える中、仕事を終え帰宅後、新宿京王プラザホテルにチェックインし[1]、1983年(昭和58年)6月28日、沖は「おやじ 涅槃で 待つ」という遺書を残し、トレーニングジャージを着た沖は新宿京王プラザホテルの最上階(47階)より、警備員の制止を振り切って飛び降り自殺を遂げた[1]。31歳没。
- 遺書にある「おやじ」とは、1975年に養子縁組した義父であり所属事務所の社長でもあった日景忠男のことである。日景は、15歳で家出同然に上京して職を転々としながら荒んだ生活を続けていた沖を養子とし、公私に渡って面倒を見続けていた。沖は自宅に彼宛の二通の遺書を残していた。なお、沖は異性愛者であり女優との恋愛の話や、外国人女性とのウワサなどがあった。また日景自身も沖と家族ぐるみの交流があった吉沢京子を沖の婚約者にしたいと言っていたことがあったという[14]。
- 沖は飛び降り自殺をした際、「蒲田行進曲」原作者で演技指導を受けたつかこうへいの名でホテルにチェックインしていた。遺書には、つかの名前を使ったことを詫びる文面があった[1]。ホテルの部屋備え付けのメモに遺書を残したあと屋上へ向かい、まずは一服し、警備員が目を離した隙にフェンスをよじ登った。気が付いた警備員が「危ない!」と声を掛けた時には既にフェンスを乗り越える寸前で間に合わなかった[1]。警備員は自殺直前の沖の様子について、警備員は沖だとはわからなかったと証言している[1]。
沖の突然の死は芸能界や世間に大きな衝撃を与え、死後直後に密葬、1ヵ月後に事務所主催の葬儀・告別式が行われ、つかが葬儀委員長を務めた。密葬と葬儀には勝野洋、ロミ・山田、美輪明宏、二谷英明、柴田恭兵、坂口良子、渡辺美佐子らが弔問に訪れ、柴田、坂口らが弔辞を読んだ[15]。平幹二朗は沖の事を「胡蝶蘭のような人」と語ってその死を惜しんでいる。奇しくも『蒲田行進曲』後編は死の翌日(6月29日)に放送された。ある俳優が、沖の死後マスコミが、沖について有る事無い事を、おもしろおかしく書いた事に不快感を示した[16]。
- 必殺シリーズで共演した藤田まことは沖は話が突然飛ぶなど、精神的に不安定であったと死亡日の夕刊新聞に語っていた[1]。
- 京都松竹撮影所の渡辺寿男によると、沖は死の一週間程前に撮影所を訪ねて来たが、「東映の仕事のついでに寄ったのだと当時は考えたが、後で思えば別れのあいさつであったのだろう。」と語っている[17]。また大追跡で監督を務めた村川透は、沖の死の少し前に京都駅で偶然沖と鉢合わせ、短い会話をしたと話している[18]。
- 沖と親しかった渡辺篤史は、沖の死について、沖が普通の人の倍のスピードで生きていたので、疲れてしまったのだろうと話していた[19]。
エピソードなど
- 『俺たちは天使だ!』の麻生雅人役は生前、非常に気に入っており、遺書にも「自分の遺影には『俺たちは天使だ!』の写真を使って欲しい」と書いてあった。沖としては「自分自身の本来の姿が一番出ていた役柄」がこの麻生雅人と考えていた[21]。
- 『俺たちは天使だ!』で着用したイヴ・サン=ローランの衣装は私生活でも愛用しており、私服の殆どはサン=ローランのものだった[22]。フランス旅行が好きで年末年始はパリで過ごすのが常であった[23]。
- 深作欣二は『仁義なき戦い』で起用してみたかった俳優として、沖と水谷豊の名前を挙げた[24]。
- 『太陽にほえろ!』、江戸シリーズなどの監督を務めた高瀬昌弘は沖をとても評価していた。沖雅也と大追跡の本のインタビューの折りに『江戸の激斗』にゲスト出演した沖の演技を記に入った事を述べた[25]。高瀬が気に入った事が、新江戸の旋風、そして江戸の朝焼けの主演へと起用された要素の一つであり、また沖からパリの土産にネクタイをもらい、インタビューが行われた時点でも所有しているが、ほとんど使用する事が無かったことも語っている[26]。
- 『さぼてんとマシュマロ』で共演した片岡五郎は沖について、衝撃的であった、マンガの世界から飛び出してきた様で、世の中にこんなにいい男が居るのかと思った。また沖は研究熱心でセリフの覚えが早く、役者になる為に生まれてきた様な男であり、女に大変もてていたと回想、また沖が三枚目の役を演じたがっていたとインタビューで話した[27]。
- 『新・江戸の旋風』、『江戸の朝焼け』で共演した小林桂樹も沖の俳優としての可能性を評価していた一人で、沖の死後「僕言ったんですよ、お前は、これから良くなるよって。」とコメントしている[28]。
- 下川辰平は沖について、自分にとっては、細かい所まで気が付く、かわいい存在であった、これからの時代劇をしょって立つ俳優に必ずなれた、と評価していた[29]。
- 『必殺仕置屋稼業』の監督を務めた蔵原は「沖の事は日活時代から知っていたが、沖の中に見える影の部分を生かした演出をしようと思った。」と語り、また「その沖の影の部分が後の自殺に繋がったのだと思う。」とも語った [30]。
- 必殺のプロデューサーの山内久司によると、沖を必殺に起用した理由について「まだ演技は下手だが、何かあると思ったから起用したと語った。また藤田まことや山内らと共に北陸の宿で飲んでいた際も途中で一人部屋に帰ったり、周りが歌を歌っても、共に歌う事や、猥談に加わる事も無かった。また沖は、男くさい京都の撮影所では、少々浮いていた事を語った[31]。
- 大追跡のプロデューサー山口剛は、沖の身体能力が素晴らしく、また激しいアクションの後でも端正な顔が崩れないでいたと話している[32]。また沖が出演した数々の作品で擬斗を務めた林邦史朗は沖について、ただアクションが上手いというだけではなく、独特のモノを持っていたと回想した[33]。
- 日活時代からの知り合いであり、大追跡で久々に再会した藤竜也は、日活時代はあどけない子供の様であったが、再会した沖はまるで白銀の鎧を着た王子の様に見えたと回想した[34]。
- 趣味は主に盆栽である[22]。沖は貸し借りの人間関係が嫌で、友人を作らず一人で行動する事を好んだが、渡辺篤史、柴田恭兵らとは親交が深く[35]、柴田とは大追跡で共演以来親しく、共演後も電話で話すなどの間柄であった[36][37]が、沖の死後沖について語ることは無くなった。
- 芸名と顔立ち、同期デビューで、ブレイクした時期も似ていることから『さぼてんとマシュマロ』、『細腕一代記』で共演した仲雅美と混同されることが頻繁にあったが、似ているということで対談の機会も多く[38]、個人的な親交もあった[39]。
- 勝野洋は2016年の日刊ゲンダイのデジタル版のインタビューで、勝野がマネージャーと京都のホテルで飲んでいた時、偶然沖とマネージャーに遭遇し共に飲んだ事を語った[40]。
出演
映画
- ある少女の告白・純潔 (1968年、日活) - 近藤徹
- 花ひらく娘たち(1968年、日活) - 柿崎大助
- 花の特攻隊 ああ戦友よ(1970年、日活) - 小野真吉
- いちどは行きたい女風呂(1970年、日活) - 東雲
- 男の世界(1971年、日活) - 緒方修
- 関東流れ者(1971年、日活) - 滝村洋
- 高校生無頼控(1972年、東宝) - 村木正人
- ザ・ゴキブリ(1973年、東宝・石原プロモーション) - 橋本
- 白熱デッドヒート(1977年、東宝) - 島本三郎
- 惑星大戦争(1977年、東宝) - 室井礼介
- 女王蜂(1978年、東宝) - 多門連太郎
- 火の鳥(1978年、東宝) - ウラジ
- ブルークリスマス(1978年、東宝) - 原田
- 乱れからくり(1979年、東宝) - 馬割朋浩(特別出演)
- トラブルマン 笑うと殺すゾ(1979年、東宝)
- 地球へ…(1980年、東映アニメ映画) - キース・アニアン
- 古都(1980年、東宝) - 竜助
テレビドラマ
- 犬と麻ちゃん(1969年、NET) - 野村誠
- 火曜日の女シリーズ 高校生ブルース クラスメイト(1971年、NTV) - 河合良一
- 金メダルへのターン!(1971年、CX・東宝) - 立花一平
- さぼてんとマシュマロ(1971年 - 1972年、NTV) - 伊藤仁
- だから大好き!(1972年、NTV) - ハヤト王子(伊集院隼人)
- 1・2・3と4・5・ロク(1972年、TBS) - 長島ヤスオ
- 気になる嫁さん(1972年、NTV・ユニオン映画) - 村上水守
- キイハンター(1972年、TBS・東映) - 滝裕二
- 小さな恋のものがたり(1972年、NTV) - 村上つとむ(サリー)
- 太陽にほえろ!(NTV / 東宝)
- 第10話「ハマッ子刑事の心意気」(1972年) - 浜崎署・久保刑事
- 第217話「スコッチ刑事登場!」〜第244話「さらば、スコッチ!」(1976年〜1977年) - 滝隆一
- 第274話「帰ってきたスコッチ刑事」(1977年) - 滝隆一
- 第300話「男たちの詩」(1978年) - 滝隆一
- 第399話「廃墟の決闘」〜第456話「ボス、俺が行きます!」(1980年〜1981年) - 滝隆一
- 第463話「六月の鯉のぼり」〜第476話「ラガー刑事登場!」(1981年) - 滝隆一
- 第491話「ドックのうわごと」〜第493話「スコッチよ静かに眠れ」(1982年) - 滝隆一
- 光る海(1972年 - 1973年、CX) - 野坂孝雄
- 嫁の縁談(1973年、ABC) - 大町辰次
- GO!GOスカイヤー(1973年、CX) - 天地隼人
- 必殺シリーズ(ABC・松竹)
- 必殺仕置人(1973年) - 棺桶の錠
- 必殺仕置屋稼業(1975年) - 市松
- 必殺仕業人(1976年) - しじみ売り ※必殺シリーズ通算200回記念※
- 必殺からくり人・富嶽百景殺し旅(1978年) - 唐十郎
- 必殺シリーズ10周年記念スペシャル 仕事人大集合(1982年) - 棺桶の錠
- 年忘れ必殺スペシャル 仕事人アヘン戦争へ行く 翔べ!熱気球よ香港へ(1983年) - 棺桶の錠(フィルム出演) ※実質関わった必殺シリーズ最後の出演であり、遺作。
- 天皇の世紀(第二部テレビドキュメンタリー)(1973年、ABC) - 坂本竜馬
- おやじの嫁さん(1973年、CX)
- 新十郎捕物帖・快刀乱麻(1973年 - 1974年、ABC) - 小山田鉄馬
- 銀河テレビ小説 三四郎(1974年、NHK) - 小川三四郎
- 幡随院長兵衛お待ちなせえ(1974年、MBS・東宝・俳優座映画放送) - 唐犬権兵衛
- バーディー大作戦(1974年、TBS・東映) - 韋駄典介
- 青葉繁れる(1974年、TBS) - 渡部俊介
- ふりむくな鶴吉(1974年 - 1975年、NHK) - 鶴吉
- おからの華(1974年 - 1975年、YTV)
- 北都物語(1975年、YTV) - 樋口良
- はぐれ刑事(1975年、NTV・国際放映・俳優座映画放送) - 影山建三郎
- 木下恵介・人間の歌シリーズ 早春物語(1976年、TBS)- 平野信一
- 隠し目付参上(1976年、MBS・三船プロ) - 左吉
- 横溝正史シリーズ 「悪魔が来りて笛を吹く」(1977年、MBS) - 三島東太郎
- 土曜ドラマ / 松本清張シリーズ・依頼人(1977年、NHK) - 河村亮平
- 大追跡(1978年、NTV・東宝) - 矢吹史朗
- 達磨大助事件帳 第27話「若いのろし」(1978年、ANB・前進座・国際放映) - 啓次
- 姿三四郎(1978年、NTV) - 檜垣源之助、檜垣鉄心 ※二役
- 俺たちは天使だ!(1979年、NTV・東宝) - 麻生雅人(CAP)
- 体験時代(1979年、12ch) - 多門英太
- 細うで一代記(1979年、YTV) - 一宮
- 土曜ワイド劇場(ANB)
- 京都殺人案内1「花の棺」(1979年、ABC・松竹)
- 西村京太郎トラベルミステリー「北帰行殺人事件」(1982年) - 橋本豊
- 母に捧げる犯罪(1983年7月9日に「沖雅也追悼作品」の冠で放映[41])
- 幻の結婚式 (1985年、テレビ朝日、松竹)※1982年に撮影。
- 浴室の死美人 (1985年)※1982年に撮影。
- 江戸の波濤(1979年、CX・東宝・映像京都) - 花房律之助
- 江戸の激斗 第18話「復讐の狼」(1979年、CX・東宝) - 龍次郎
- 同心部屋御用帳 新・江戸の旋風(1980年、CX・東宝) - 立花精一郎
- 江戸の朝焼け(1980年 - 1981年、CX・東宝) - 島佐太郎
- 赤かぶ検事奮戦記I(1980年、ABC・松竹) - 法眼弁護士
- 大奥(1983年版)(KTV・東映) - 徳川家光
- 時代劇スペシャル 素浪人罷り通る 去るも地獄残るも地獄(1983年2月18日放送、CX・三船プロ) - 仙十郎
- 火曜サスペンス劇場「天使の復讐」(1983年6月21日放送、NTV)
- かけおち83(NHK)
- 蒲田行進曲(1983年6月22日に前編、6月29日に後編、TBS)
バラエティー番組
舞台
- 「ふりむくな鶴吉・冬の女」「新門辰五郎」(1976年10月30日〜11月25日 大阪・中座)
- 沖雅也 特別公演「恋剣法・若さま春秋」(1982年6月1日〜26日 大阪・新歌舞伎座)
レコード
シングルレコード(EP)
- 哀しみをこえて / 明日の虹(1972年)- ユニオンレコード US737 オリコン39位[42]、テイチクヒット賞受賞 (ユニオンレコードはテイチクのサブレーベル)[43]。
- 君と二人で / 幸福への出発(1972年10月)US754
- 青春しぐれ / 青春アパッチ(1973年)US764
- 孤独の青春 / 夜汽車の汽笛が遠ざかる(1973年)US791
- 激愛 / 遠くへ行きたい US807
- ひとすじの黒髪 / 何も言うな(1977年)- 東宝レコード AT4048
- ジャックナイフ / 季節がひとつ - AT4057
- 裏通りのランプ / 嘘が好きだよ(1978年)- AT4080
アルバムレコード(LP)
- 沖雅也 オン・ステージ(ULP-2008 ユニオンレコード)
- 青春の伝説 沖雅也青春の詩集(ULP-2013 ユニオンレコード)
- 孤独(AX-5009 東宝レコード)
- INDOOR(AX-5014 東宝レコード)
- 哀情(AX-7006 東宝レコード)
その他
- 70's TVヒッツ・コレクション テレビ主題歌(テイチク TECD-25464)でCDで「君と二人で」が収録されている。
写真集
- 七曲署シリーズ 沖雅也 in 太陽にほえろ!(1983年、日本テレビ放送網) ISBN 978-4820383581
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 読売新聞 1983年6月28日 夕刊一面
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 「特集 俳優沖雅也 高層ビル飛降り自殺の衝撃」、『週刊新潮』1983年(昭和58年)7月7日、新潮社、1983年、 137- 139頁。
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 『沖雅也と「大追跡」 70年代が生んだアクションの寵児』 かわだわか編/著、(2008年、ワイズ出版) ISBN 978-4898302316 P.10-12
- ↑ 4.0 4.1 仲川利久、山田誠二 『秘録必殺シリーズの舞台裏 カルト時代劇に賭けた男たち』 洋泉社、1999年。ISBN 4-89-691374-4 p.226
- ↑ かわだ 2008 P.27-29
- ↑ 『太陽にほえろ!伝説 疾走15年 私が愛した七曲署 増補決定版』第九章「大ヒットの波及効果と転換期」P164~169「素顔の沖雅也」
- ↑ 『太陽にほえろ!伝説 疾走15年 私が愛した七曲署 増補決定版』P226「スコッチ刑事登場」
- ↑ 『太陽にほえろ!伝説 疾走15年 私が愛した七曲署 増補決定版』第九章「大ヒットの波及効果と転換期」P164~169「素顔の沖雅也」
- ↑ 9.0 9.1 かわだ 2008 P.29
- ↑ 『太陽にほえろ!伝説 疾走15年 私が愛した七曲署 増補決定版』第九章「大ヒットの波及効果と転換期」P164~169「素顔の沖雅也」
- ↑ 太陽にほえろ!伝説―疾走15年 私が愛した七曲署 岡田晋吉 ISBN 978-4820396185
- ↑ 週刊テレビガイド 1980.3.21 カラートピックス(グラビアページなのでページ数は無い)
- ↑ かわだ 2008 P.29-31
- ↑ 人形町KOMにて。ゲスト:吉沢京子さん
- ↑ かわだ 2008 P.49
- ↑ 沖雅也in太陽にほえろ! 日本テレビ p.46^48 岡田晋吉
- ↑ 仲川、山田 1999 p.227
- ↑ かわだ 2008 p.94
- ↑ 沖雅也in太陽にほえろ! 日本テレビ p.99
- ↑ 【除夜の鐘&初詣】長谷寺(港区) 東京湾観光情報局
- ↑ 沖雅也in太陽にほえろ! 日本テレビ p.101
- ↑ 22.0 22.1 沖雅也さんの遺品
- ↑ 後援会報より
- ↑ 深作欣二・山根貞男 『映画監督深作欣二』 ワイズ出版、2003年7月、286 - 287頁。ISBN 4-89830-155-X
- ↑ かわだ 2008 P.218-219
- ↑ かわだ 2008 P.218-221
- ↑ デカマガジン5 2007 P.94-95
- ↑ 朝日新聞 1983年6月28日 夕刊
- ↑ 沖雅也in太陽にほえろ! 日本テレビ p.42
- ↑ 仲川、山田 1999 p.226
- ↑ (山田誠二『必殺シリーズを創った男―カルト時代劇の仕掛人、大いに語る(映画秘宝SPECIAL)』(1997年12月、洋泉社)ISBN 978-4896912937
- ↑ NTV火曜9時 アクションドラマの世界 『大都会』から『プロハンター』まで 山本 俊輔 (著)、佐藤 洋笑 (著) 748頁 ISBN 978-4907583347
- ↑ かわだ 2008 P.111
- ↑ かわだ 2008 P.46-48
- ↑ 沖雅也in太陽にほえろ! p.90, 99
- ↑ 沖雅也in太陽にほえろ! 日本テレビ p.90
- ↑ かわだ 2008 P.48
- ↑ 雑誌の記事・対談など
- ↑ 6/11「雅美と一郎」レポ⑤
- ↑ “残る写真は1枚のみ…勝野洋さんが故・沖雅也さんを語る”. 日刊ゲンダイ デジタル. . 2017.07.29閲覧.
- ↑ 土曜ワイド劇場・全作品リスト 1983(昭和58)年
- ↑ 1972/04/24付
- ↑ 沖雅也とシングル - テイチクから出た5作