日本暗殺秘録
日本暗殺秘録 | |
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Memoir of Japanese Assassinations Assassination Right Or Wrong | |
監督 | 中島貞夫 |
脚本 | 笠原和夫・中島貞夫 |
原作 | 鈴木正 『暗殺秘録』 |
製作 | 大川博 |
ナレーター | 芥川比呂志 |
出演者 |
千葉真一 田宮二郎 藤純子 若山富三郎 高倉健 鶴田浩二 片岡千恵蔵 |
音楽 | 冨田勲 |
撮影 | 吉田貞次 |
編集 | 神田忠雄 |
製作会社 | 東映 |
配給 | 東映 |
公開 | 1969年10月15日 |
上映時間 | 142分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 1億6000万円[1] |
『日本暗殺秘録』(にほんあんさつひろく、Memoir of Japanese Assassinations or Assassination Right Or Wrong )は、1969年の日本映画。主演 : 千葉真一[2]、監督 : 中島貞夫、脚本 : 笠原和夫・中島貞夫、製作 : 東映、カラー・シネマスコープ、142分。昭和44年度芸術祭参加作品[3]。同年の京都市民映画祭では千葉真一が主演男優賞を、笠原和夫が脚本賞を受賞した。
概要
日本の暗殺百年史である幕末・明治・大正・昭和の四代に勃発してきた各事件を題材にし、オールスターが出演する大作映画[4]。全篇を通して反体制の純粋かつ美しいエネルギーに満ち溢れ[5]、一殺多生の捨て石精神で時の権力者に立ち向かった若者の姿を描いている[4]。主人公である小沼正(千葉真一)の生い立ちから[2]、血盟団へ加入してテロリストへ変わっていく悲哀と[6]、1932年に井上準之助を暗殺へ至るまでの血盟団事件を中心にした作品である[5]。千葉は主演していたテレビドラマ『キイハンター』を休んで専念し[7]、悩み苦しみながら覚醒していく[6]、青年期の小沼を丁寧に演じた。血盟団の指導者で小沼を導く日蓮宗僧侶の井上日召に片岡千恵蔵、革命を唱える大日本帝国海軍軍人の藤井斉に田宮二郎、小沼が再就職して出会う従業員のたか子に藤純子らを配して脇を固めている。上映時間142分のうち血盟団事件が100分を占め、そのほかはオムニバスで暗殺の瞬間をメインにしており[6]、桜田門外の変・紀尾井坂の変・大隈重信遭難事件[注釈 1]・星亨暗殺事件[注釈 2]・安田善次郎暗殺事件[注釈 3]・ギロチン社事件[注釈 4]・血盟団事件・相沢事件・二・二六事件という順で取り上げている[5]。
キャスト
※オムニバス順
- 桜田門外の変
- 紀尾井坂の変
- 大隈重信遭難事件
- 星亨暗殺事件
- 千葉敏郎 : 星亨
- 藤本秀夫 : 会議出席者
- 安田善次郎暗殺事件
- ギロチン社事件
- 血盟団事件
- 田宮二郎 : 藤井斉
- 藤純子 : たか子
- 北竜二 : 裁判長
- 榊浩子 : カフェ女給
- 木山佳 : さゆり
- 中村錦司 : 扇屋主人
- 北川恭子 : お内儀
- 白川浩三郎 : 店員 清吉
- 高橋昌也 : 小沼新吉
- 三益愛子 : 小沼たつ
- 波多野博 : 小沼勝寿
- 小池朝雄 : 落合初太郎
- 桜町弘子 : 落合清子
- 南都雄二 : 高利貸 西村
- 汐路章 : 巡査A
- 香月涼二 : 巡査B
- 加村赳雄 : 職人A
- 田中春男 : 職人B
- 西田良 : 職人C
- 平沢彰 : 職人D
- 東山明美 : 銭湯の番台娘
- 賀川雪絵 : 民子
- 市川裕二 : 民子の父
- 岡島艶子 : 民子の母
- 山下義明 : 青年A
- 加藤匡志 : 青年B
- 天津敏 : 井上日召の高弟
- 高津住男 : 古内栄司
- 村井国夫 : 桧山誠次
- 橘ますみ : 友子
- 林彰太郎 : 鈴木四郎
- 近藤正臣 : 大庭春雄
- 青山宏 : 川崎長光
- 宇崎正治 : 黒沢大二
- 八尋洋 : 菱沼五郎
- 広瀬義宣 : 鎌形芳次
- 嶋田景一郎 : 菅波三郎
- 原田清人 : 長大尉
- 穂高稔 : 陸軍士官 (長大尉の同士)
- 林真一郎 : 陸軍士官 (藤井の同士)
- 賀川泰三 : 山岸中尉
- 野村鬼笑 : 井上準之助
- 和田正信 : 三上中尉
- 芹澤次男 : 伊東亀城
- 大浜豊 : 四元義隆
- 砂塚秀夫 : 新聞記者
- 片岡千恵蔵 : 井上日召
- 相沢事件
- 二・二六事件
- 配役不明
スタッフ
製作
準備
もともとはテロリストをセミ・ドキュメンタリーで描く予定だったという話と[注釈 5]、東映京都撮影所の企画部長である渡邊達人が二・二六事件などの資料をもとに暗殺をテーマにした映画を通してしまった話と[12][注釈 6]、始まりは二説ある。中島貞夫・天尾完次・笠原和夫は[14]、浅沼稲次郎暗殺事件を題材にしようと山口二矢・赤尾敏へ訪問してヒアリングしたが[15][16]、一本の映画にできないと判断し、止めた[15]。(映画作りの参考に)東大紛争を視察するものの[17]、モチーフ探しに困った中島と笠原は「テロといえば水戸だろう」という思いつきで、桜田門外の変や血盟団事件を生み出した当地へ赴く[15][18]。取材を重ねた結果、血盟団事件をテーマにしよう、当事者の小沼正へインタビューしよう、と二人は骨子を固める[19]。中島は「人殺しをする情念とは一体何か。本当に情念なのか狂気なのか[17]」、笠原は「実在のテロリストたちが持つ光芒を出したい。ある種、観念的な主題[20][21]」を描こうと、それぞれ決意していた。しかし大川博の意向により、本作はオールスターで撮ることとなる[注釈 7]。血盟団事件をテーマに決めていた中島と笠原にとって[19]、この題材だけでちょうど映画一本分となり[2]、オールスターでは作りようないと思ったが[23]、彼らの出演で予算が潤沢になることもあり[19]、受け入れて進めていく[19][23]。小沼へは3日間通いつめてようやく話を聞くことができ[24][25]、出版されていなかった血盟団事件の公判記録を貸してもらう[24]。小沼以外の血盟団メンバーでは、菱沼五郎・古内栄司・黒沢大二にもインタビューした[注釈 8]。取材した内容を検討していくうちに、団体よりも個人へフォーカスしないと映画が成立しなくなると判断し、血盟団事件は一人の青年(小沼正)に絞り込むこととなる[2]。岡田茂は桜田門外の変(幕末)から二・二六事件(昭和初期)に至る暗殺事件を並べ、オムニバスにするよう指示してきた[23]。笠原はこの指定に困ってしまい、筆が進まず往生してしまう[23]。悩める笠原に渡邊は、「どれか一つのエピソードを柱にするしかないんじゃないか」とアドバイス[28]。かつて小沼の検察官面前調書を目にしていた渡邊は、血盟団の標榜する「一人一殺」こそ暗殺の真骨頂と考え、「これ(一人一殺)をテーマにしたらどうだ?」と言い添えた[28]。相談していくうちに笠原は[28]、「血盟団事件の小沼正を中心に、前に桜田門外の変、後に二・二六事件を繋いで描こう[29]」、「血盟団事件は民間人が武器を持って暗殺に走っていく。そこを描きたい[29]」と主旨を定め、執筆していく[29]。クレジットに表記されている「原作 鈴木正 『暗殺秘録』」について、中島と笠原は「(本作に)関わってないはずだし、知らない」と口を揃えており[30][31]、笠原は「何か問題が起こった場合、追及を逃れるために(原作を)使ったんじゃないかと思う[31]」と述べている。
キャスティング
小沼正は小器用な芝居よりも、一途さを出せる千葉真一が配役される[32]。中島貞夫はこの役を「ヤクザ映画のスターがやるべきでない」と考えていた[33]。血盟団事件を起こしたときの小沼は21歳で、千葉は「30歳ぐらいの自分が、キャスティングされるぎりぎりの線であったと思う」と語っている[34]。小沼の人となりを、中島は「話してるうちに『おまえは左翼じゃねえか』と笑いながら言われたが、どこか気があって可愛がってくれた[35]」、笠原和夫は「風貌はいい人だが、目つきが凄かった[36][注釈 9]」、千葉は「物静かな方[38]」とそれぞれ語っている。藤井斉を演じる田宮二郎は大映との契約を残したまま解雇され[39]、五社協定で他社映画へ出演できずにいたが契約期間を過ぎ、フリーになったばかりのところを俊藤浩滋がスカウトした[23]。本作で映画界復帰を果たす田宮にとって、最初で最後の東映作品となった。井上日召に扮した片岡千恵蔵のキャスティングには二つの話がある。一つは脚本の完成後、オールスター作品のため、どのスターをポスターやクレジットの頭へ持ってくるかということになり、俊藤は片岡を担ぎ出せば、誰も文句言わないだろうと考え、オファーしたというもの[40]。そのためクレジットのトップは片岡、2番目に千葉となっている。もう一つは中島が三國連太郎にしようとするものの、岡田茂が認めずに片岡を据えるよう指示したというものである[41]。俊藤はメインエピソードに藤純子[23]、それ以外の各暗殺事件には鶴田浩二・高倉健・若山富三郎ら[23]、自分の傘下にいた俳優を注ぎ込んでいるが[23][42]、これは中島が俊藤へ協力を仰いだことによるものであった[23][42]。藤は小沼への思いを断ち切れず、苦悩するウェイトレスの絶望感と悲しさを演じている本作を、好きな作品として挙げている[43]。
撮影
撮影開始直前に自由民主党幹事長の保利茂から製作中止を迫る圧力を受けるものの[12][13][44]、クランクインする。千葉真一は笠原和夫の勧めもあり、撮影している間は中島貞夫の家へ居候していた[注釈 10]。波の荒い大洗海岸の朝日へ向かい、小沼正(千葉真一)が一心不乱にお題目を唱えるシーンは実際に大洗海岸でロケしており、千葉は鼻や耳に砂が入ってきても、カットかかるまで演じ続けていた[49]。小沼の働くカステラ工場が倒産し、泣きながら小沼がカステラを火のない竈へ投げ続けることで、正直者がバカをみる世の中の理不尽さを表現するシーンでは、小沼が見学に来ていた[50]。撮影終了後に千葉は小沼から「演技されたとおりの気持ちだった」と声をかけられており[50]、東映ビデオから販売されている本作のDVDには、千葉と談笑する小沼が特典映像で収録されている。働いていたカステラ工場や呉服屋の倒産は事実だが[51]、小沼とカフェーの女給に転身するたか子(藤純子)との交流は、そういう女性やそういう世界に行ったのも事実であるものの[注釈 11]、笠原の脚色が入っており[52]、中島は「青年の心情を描こうとすれば、多少の美的なことがないとね」と答えている[26]。本作にはシナリオとは別に中島は、セットやロケの指示、暗殺の年表、政治背景、小沼の証言を80ページほどのテキストにまとめた香盤をスタッフに配布していた[53]。その目的と理由について「本作に思い入れがあったものの、一方でテーマが非常に危険なシャシンであることから、作ることの正当性を自分なりにきちんと決めておかないと、とんでもないことになると思った[53]」と述懐している。東映京都撮影所には井上日召の関係者から、毎日のようにひたすら念仏を読経するだけの嫌がらせ電話がかかってきたり、京撮へ乗り込んでこられ、妨害をされていた[54]。磯部浅一(鶴田浩二)の日記をそのまま(映画へ)採用することに、自民党から「過激すぎる」と待ったをかけられるが、磯部の独白を撮ってしまい、大川博はカットしろと命令[55]。中島は落としどころを探り[55]、内容を変えると歩み寄るが[55]、こんどは笠原が承服しなかった[56]。そのため二・二六事件は中島がシナリオを書くことになり[56]、脚本は共作となっている。
評価
受賞
- 1969年 京都市民映画祭
論評
折しも東大紛争・安保闘争など騒然とした世相を反映した作品となった[57][58]。1969年の国内興行成績ではベストテンの9位に入るものの[59]、笠原和夫は「題材のせいもあって、あまりジャーナリズムには歓迎されず、ほとんど無視された」と述べている[60]。中島貞夫の意図に反して公開時に観て右翼になった人も多かったといわれ[61]、暗殺史という物騒さと最後の二・二六事件のラストで死刑に処された陸軍将校たちが「天皇陛下、万歳!」と一人一人叫んで殺されていく執拗な描写がまずい[62]、異色の暗殺アクション映画[63]、史実に基づき再現しているものの[64]、テロリストたちの陶酔を大物政治家が暗殺されるシーンで生々しく映し出していることからどうしても反権力的な空気が漂っている[64]、などの論評がある。明治天皇の暗殺を目論んだ大逆事件も映像化する予定だったが削除されたという指摘に対して[12]、笠原は「大逆事件は無実だったし、爆弾を持っていたけど行為はしてないわけで、それでも摂政宮だった昭和天皇を狙うという話はいくらなんでも映像にできない[65]」と否定した。血盟団のメンバーで小沼正は本作を観て泣いていたが、菱沼五郎が観たかどうか知らないし、感想も聞いていないと中島は話している[26]。
脚注
- 注釈
- ↑ 1889年(明治22年)に大隈重信は、玄洋社の来島恒喜から爆弾で襲撃され、右脚を切断した。詳細は大隈重信#外務大臣から総理大臣へと来島恒喜#生涯を参照。
- ↑ 1901年(明治34年)に星亨は、伊庭想太郎に東京市庁参事会室内で刺殺された。詳細は星亨#生涯と伊庭想太郎#生涯を参照。
- ↑ 1921年(大正10年)に安田善次郎は、朝日平吾に自宅応接間で刺殺された。詳細は安田善次郎#生涯と朝日平吾#生涯を参照。
- ↑ 詳細は大杉栄#社会主義者として、大杉栄遺骨奪取事件、和田久太郎、甘粕事件#事件の余波、福田雅太郎#経歴を参照。
- ↑ 中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した「セックスドキュメンタリーシリーズ[8]」を5〜6人のスタッフみで製作し、ヒットさせていた[9][10]。大川博は俳優の出演がなく、収益率の良い同シリーズを高く評価していた[9][10]。テロのドキュメンタリーは、中島が岡田茂へ「撮りたい」と言った話と[9][11]、岡田が「次はテロや」と中島に企画を練らせたという話[10]、の二つがある。
- ↑ 笠原和夫は「渡邊達人さんがわりと反体制や反乱とか好きで、二・二六事件や満州事変をコツコツ自分で調べていた。会社としてアクションものの一環として軽く考えていたのだろう[13]」と証言している。
- ↑ 取材で水戸に逗留していた中島貞夫は本社へ呼び戻され、大川博へテロリストのドキュメントに取り組んでいると報告[15]。「(映画は)おもしろいかね?[19]」と続けて聞かれ、(題材を)まだ固めきっていない時だったが、中島は「社長、これはおもろいでっせ。いけますよ[19]」と大見得を切り、水戸へ引き返す[15][19]。2日後に帰社すると[19]、(この題材は)オールスターで映画化することが決定していた[19][22]。
- ↑ 菱沼五郎は自由民主党の茨城県会議員になっていたので、中島貞夫は「(菱沼は)完全な民主主義者になってるから、過去に対しては非常に微妙なニュアンスで、水戸のロケにも反対された」と述べている[26]。笠原和夫は小沼正へ「菱沼さんにも会いに行きます」と伝えると、小沼から「自分に会ったことがわかったら、あいつは絶対おまえに会わない」と言われていた[27]。
- ↑ 「人を殺した人間は目が違う。ギラっとしてい底光りし、心の奥底はいまだ活火山みたいで、マグマが燃え滾ってるような感じ。あの歳(50代半ばの小沼)になってもね[37]」と笠原和夫は小沼正の印象を語っている。
- ↑ 笠原和夫は小沼正ら青年の心情を千葉真一へ託す思いがあり[45]、中島貞夫から出演を口説かれていた千葉に[46]、中島の家へ寝泊まりするぐらいの姿勢を見せるべきと口を挟んだ[47]。(笠原に)発破をかけられた千葉からも[47]、「お願いします」と言われた中島は断れず[46]、二軒長屋の居間を使わせたので生活は大変だったが[46]、「役者との触れ合いだから、本作では良かった」と中島は語っている[46]。寝泊まりしていた千葉は自分の撮影がある前夜は、必ず中島と打ち合わせしていた[48]。
- ↑ 小沼正(千葉真一)とたか子(藤純子)の別れを、小沼は「あれに近いことはあったけど、実際はあんな格好よくないよ」と語っている[26]。
- 出典
- ↑ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)260頁
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、205 - 206頁。
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- ↑ 「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作」『千葉流 サムライへの道』、33頁。
- ↑ 「セックスドキュメント」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、271 - 272頁。
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- ↑ 10.0 10.1 10.2 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、272 - 273頁。
- ↑ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、199頁。
- ↑ 12.0 12.1 12.2 「撮影の中止要請があった!?」『ワケありな映画』、153頁。
- ↑ 13.0 13.1 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、224頁。
- ↑ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、200頁。
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、273頁。
- ↑ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、199 - 200頁。
- ↑ 17.0 17.1 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、202頁。
- ↑ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、200 - 201頁。
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 19.4 19.5 19.6 19.7 19.8 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、201頁。
- ↑ 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、226頁。
- ↑ 「文太の殺陣に観客が〈おお!〉」『高倉健と任侠映画』、300頁。
- ↑ 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、273 - 274頁。
- ↑ 23.0 23.1 23.2 23.3 23.4 23.5 23.6 23.7 23.8 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、274頁。
- ↑ 24.0 24.1 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、201 - 202頁。
- ↑ 「文太の殺陣に観客が〈おお!〉」『高倉健と任侠映画』、300 - 301頁。
- ↑ 26.0 26.1 26.2 26.3 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、206頁。
- ↑ 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、235 - 236頁。
- ↑ 28.0 28.1 28.2 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、275頁。
- ↑ 29.0 29.1 29.2 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、225 - 226頁。
- ↑ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、200頁。
- ↑ 31.0 31.1 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、224 - 225頁。
- ↑ 「文太の殺陣に観客が〈おお!〉」『高倉健と任侠映画』、301頁。
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参考文献
- ※異なる頁を複数参照をしている出典のみ。出版年順。
- 笠原和夫・荒井晴彦・絓秀美 『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』 高橋賢・並木智子、太田出版(原著2003-3-6)、第一版第三刷。ISBN 487233695X。
- JJサニー千葉 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社(原著2010-9-20)、初版第一刷。ISBN 4821142694。
- 沢辺有司 『ワケありな映画』 彩図社(原著2011-5-10)、初版第一刷。ISBN 4883927911。
- 春日太一 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 文藝春秋(原著2013-11-15)、初版第一刷。ISBN 4163768106。
- 中島貞夫 『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』 ワイズ出版(原著2014-10-20)、初版第一刷。ISBN 978-4898302835。
- 山平重樹 『高倉健と任侠映画』 徳間書店(原著2015-2-15)、初版第一刷。ISBN 4199070281。