教会堂

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ファイル:Turku cathedral 26-Dec-2004.jpg
フィンランド、トゥルクにある教会堂

教会堂(きょうかいどう)は、キリスト教などの教会建築物である。単に教会とも言うが、その場合には、教会堂と、そこに関わる共通の信仰を持つ人々の総体を表す。

キリスト教の場合、日本では正教会カトリック教会聖公会では教会堂ではなく聖堂(せいどう)と呼ぶことが多く、聖堂を荘厳にして、イコンステンドグラス壁画を用いて感覚的に信仰をわかりやすく説いたものが多い。プロテスタントの教会では、説教や集会のためという実用本位な教会が多く、装飾は控えられ、なかには十字架も置かない場合もある。

以下、特徴ある各時代の教会堂の様式を述べる。

初期キリスト教建築の教会堂

古くは古代ローマの集会場であるバシリカを継承した長方形で、これをバシリカ式教会堂と呼ぶ。身廊の両側に、列柱で隔てられた側廊、正面奥に半円形平面のアプシスを持つ平面構成。屋根は木造小屋組。身廊の天井は一段高く、側壁にクリアストーリと呼ばれる高窓を持つ。後に交差廊を加え、ラテン十字形を基本とする形式をとるようになった。

一方、古代には円形・正多角形を基本とする教会堂(集中堂式教会堂)も作られ、教会堂のほか、洗礼堂墓廟としても用いられた。こちらはローマ帝国分裂後、東ローマに伝わり、ビザンティン建築の起源となったと考えられている。時代が下るにつれ、堂内に小礼拝堂などを併設するようになる。

ビザンティン建築の教会堂

ビザンティン様式の聖堂(教会堂)は、ドームを中心とする垂直軸を重視した空間構成、ギリシャ十字形(集中式)の平面を取り、ドームにはモザイクキリスト像が描かれる場合が多い。東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を通じ、正教会の聖堂建築様式として東ヨーロッパスラヴ文化圏に広まった。

ロシア建築の教会堂

ロシア建築における聖堂(教会堂)は、ビザンティン建築をベースにしつつも、ロシア独自の様式や西欧からの影響が盛り込まれ、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。

ロマネスク建築の教会堂

ロマネスク様式の教会堂は、11世紀以降に造られた。バシリカ形式の平面で、後にはヴォールト架構を導入した。ヴォールトによる側壁の面外方向への加重を、壁を分厚くすることによって受ける。地域、教派による多様性があり、様式としての統一性は薄い。

ゴシック建築の教会堂

ゴシック様式の教会堂は北フランスに生まれ、12世紀後半ごろからヨーロッパ全土へ広がる。リブ・ヴォールト尖頭アーチ、飛梁(フライング・バットレス)の働きによって、ロマネスク建築の分厚い壁面とは対照的に、壁をできる限り少なくし、ステンドグラスに彩られた光あふれる空間を実現した。ゴシック建築の教会堂は、ステンドグラス・高い天井など最も教会堂らしい形をしていると言える。

日本に於ける結婚式専用の教会堂[1]の多くはゴシック様式をしている。

ルネサンス建築の教会堂

ルネサンス様式の教会堂は、15世紀にイタリアで始まる。ローマの建築様式を復興し、古典的で調和の取れた明快な様式である。  

バロック建築の教会堂

バロック様式の教会堂は、ローマ、スペインなどで多く造られ、カトリックの対抗改革を背景に、動的、劇的な空間構成が取られる。

古典主義・新古典主義・歴史主義の教会堂

モダニズム建築以降の教会堂

日本の教会堂

キリスト教伝来1549年)から徳川幕府によるキリスト教禁教までの期間、日本各地に建てられた教会堂は「南蛮寺」などと呼ばれたが、現存する建築物はなく、資料や出土遺物で確認できるのみである。

明治以降のカトリックの教会堂は「天主堂」とも呼ばれていた。長崎の教会群など、木造の素朴なものから、煉瓦積みのものなど、それぞれに信仰の形を映し出している。

伝統的な様式を採用せずに、通常の建築物の手法で建築する、居抜き出店の形で利用する、テナントとして入居する場合も有る。

脚注

  1. 不動産上は商用施設に分類される

関連項目