宗谷海峡
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座標: 東経142度01分30秒北緯45.71944度 東経142.025度
宗谷海峡(そうやかいきょう)は、北海道の宗谷岬と、ロシア連邦が実効支配中である樺太の西能登呂岬(ロシア名:サハリン島・クリリオン岬)との間にある海峡[1]。東西方向の海峡であり、日本海とオホーツク海を結んでいる[1]。海峡幅は最狭部で約42km。
概説
- 宗谷海峡は日本名であり、国際水路機関が定める国際的な名称は、ラ・ペルーズ海峡(英語:La Pérouse Strait ロシア語: Пролив Лаперуза ラペルザ)[2]である。1787年に欧州人で初めて当海峡を通過したとされるフランス軍人の探検家であるラ・ペルーズの名がその由来である。海峡を望む宗谷岬の丘の上に顕彰碑が建立されている。
- 深さは最深部で60mほどしかないので、最終氷期には間宮海峡共々陸橋となり、樺太と北海道はユーラシア大陸と地続きであった[3]。
- 動物分布の境界線の一つである「八田線」が当海峡を通るとされる。
- 日本海を北上し間宮海峡に至る対馬海流(暖流)の一部が当海峡からオホーツク海側に抜け、北海道沿いに流れる宗谷暖流になっている[1]。このため海流の方向及び水温により、沿岸定着氷や流氷は少ないが、年間数日程度、稚内港方面に押し寄せ、船舶の航行に支障をきたすことがある[4]。
- 日本海側からオホーツク海側へと当海峡内を暖流が流れているため、北方より「やませ」等の冷涼な風の吹く日には夏でも海霧が立ちやすく、船舶内にレーダー等の装備が普及されていなかった頃は当海峡内やその周辺で海難事故が度々発生していた。
- 南樺太が日本領であった時代は鉄道省が稚内より大泊(現:コルサコフ)に至る稚泊連絡船を運航していたが、現在は北海道サハリン航路が同じ区間で国際航路を運航している(ハートランドフェリーは2015年9月19日廃止)。
- 鉄道トンネル(宗谷トンネル)やガスパイプライン(サハリンプロジェクト)等の海底トンネルを当海峡下に貫通させる構想が戦前より存在するが、国際情勢の変化等により未だ建設決定には至っていない。
軍事上の要衝
- 軍事上の要衝であるチョークポイントの一つであり、有事の際に自衛隊は海峡封鎖活動を行う。
- 領海法に基づく領海の幅が通常の12海里(約22.2km)から3海里(5.556km)にとどめられた特定海域の一つ[5]で、核兵器を搭載した外国の軍艦を含め自由に通過することができる(通過通航権)。
- 野寒布岬(稚内分屯地)及び宗谷岬背後の宗谷丘陵丸山に自衛隊の、樺太・西能登呂岬(サハリン島・クリリオン岬)にはロシア軍のレーダーサイトがそれぞれ設置されている。
- ロシア帝国との関係が悪化した1902年には宗谷岬に望楼が設置され、日露戦争中は、対馬海峡、津軽海峡とともに、ロシアバルチック艦隊の通航監視の重要拠点とされていた。
- 第二次世界大戦中の1943年10月11日、日本海での襲撃活動を終えて宗谷海峡経由で太平洋へ出ようとしたアメリカ海軍の潜水艦ワフーが、宗谷海峡を通過中、日本海軍の航空機に捕捉され、航空機・駆潜艇・掃海艇の連携攻撃によって撃沈され、ワフーの乗組員が全員戦死した。この戦闘とワフーの日本海での襲撃活動によって生じた犠牲者の慰霊と平和を祈念する碑が宗谷岬に建立されている。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 宗谷海峡の流れについて,青田昌秋・石川正雄・山田俊郎,低温科學. 物理篇,47号 P147-160,1989年
- ↑ 「大洋と海の境界(第三版)」(Special Publication No.23) No52 日本海の北東端として。宗谷海峡(Soya kaikyo)も括弧付で併記。
- ↑ 日本にいる動物はどこから来たの?,神奈川県立生命の星・地球博物館,2004年
- ↑ 海氷の知識 第一管区海上保安本部
- ↑ 特定海域,海上保安庁
関連項目
- 稚内市
- 宗谷岬灯台(宗谷岬)
- 稚内灯台(野寒布岬)
- 二丈岩(西能登呂岬の南東沖約15kmの宗谷海峡上にある岩礁)
- コルサコフ(旧、樺太・大泊町)
- 稚泊連絡船
- ワフー、L-19(海峡付近に沈没している潜水艦)
- サハリンプロジェクト
- 宗谷トンネル
- 宗谷 (防護巡洋艦)
- 宗谷 (巡視船(元特務艦))
- そうや (巡視船、2代目)
- ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
- 津軽海峡
- 間宮海峡