フレッシュオールスターゲーム
フレッシュオールスターゲームとは日本プロ野球のファーム(二軍)リーグ(イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグ)のオールスターゲームである。
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歴史
開始されたのは1963年。当初は「ジュニアオールスターゲーム」と称し、一軍のオールスターゲームの前座試合として開催されていた。1978年、資生堂の協賛を得て独立した大会として行われるようになる。主に一軍のオールスターゲーム第1戦の前日に開催されている。
協賛については、資生堂は1992年まで協賛。1993年はミサワホームが、1997年から2002年までNPBパートナーのコナミが協賛。それ以外の年度では日刊スポーツなどスポーツ新聞、開催地の地元放送局・地元新聞社やその他企業が毎年のように交代で協賛しているが、1996年のみ協賛企業なしで開催された。
2008年はオリンピックなどの関係により一軍のオールスターゲーム第2戦(最終戦)の翌日に開催された。雨天で開催中止となった場合は、原則として翌日にデーゲームとして延期開催されるが、予備日も含めた所定日程がすべて中止となった場合は再延期せず、中止とする[1][2]。
当日は首脳陣・選手共に通常の所属球団のユニフォームであるが、1980年だけ、本大会用の為のユニフォームが新調され、東軍(EAST)・西軍(WEST)の揃ったユニフォームを身にまとった時もあった[3]。
名称は「ジュニアオールスターゲーム」から1993年に「フレッシュスターゲーム」、1994年から「ジュニアオールスター」と改称され、1998年に現在の名称「フレッシュオールスターゲーム」に変更(2000年のみ「フレッシュ2000」の名称で開催)。
通常はイースタン・リーグとウエスタン・リーグの対抗形式で実施されている(ただし2005年・2006年は一軍と同じセントラル・リーグとパシフィック・リーグの対戦であった[4])。
概要
(2016年時点)
選手選考
ファン投票は行われずすべての選手をイースタン、ウエスタンの各委員長と二軍の全チーム監督が選考する。
各チームの参加選手は21名で、イースタンは各チームから3名ずつ、ウエスタンは前年の優勝チームから5名、それ以外のチームから4名ずつ選考することを原則とする(ただし球団事情により所定の人数を選出できない場合は他チームから補充することも可能)。
選考にあたっては、開催地出身の選手、話題性のある選手および開催前年のドラフト1,2位指名選手をなるべく優先する。
出場対象選手
支配下登録及び育成選手登録期間が5年以内で、二軍の公式戦に出場した選手(育成生<練習生>も出場可能。ただし創設当初は育成生の出場はできなかった)。ただし、
- 開催年の新人選手は二軍の公式戦に出場していなくても出場可能
- 過去フレッシュオールスターゲームに2度出場した選手は出場不可
- 一軍のオールスターゲームに選出された選手は出場不可
- フレッシュオールスターゲーム出場が決定した後にオールスターゲームに選出された場合は、所属球団から代替選手を選出する
試合
一軍のオールスターゲームの前日ないしは前々日に開催されている(ただし、2005年は初めて一軍のオールスターゲーム終了翌日の開催となった)。先述したとおり、当初の開催日はナイターで実施、雨天などの天候不良で開催中止となった場合は原則として翌日にデーゲームとして延期し、さらに予備日を含めた所定日程すべてが中止となった場合は再延期せず完全中止となる。
試合は9回まで(延長戦なし)、指名打者制を採用。オールスターゲームと違って、投手のイニング制限はない。なお特例として、捕手を使い切った状態で出場中の捕手がケガ等でプレイ続行できない場合、既に退いた捕手を再出場(リ・エントリー)させることが出来る。
最優秀選手賞(MVP)として100万円、優秀選手賞として2名に50万円が授与される。
主な出来事
- 2009年大会に出場した湘南(現・横浜DeNA)の田中健二朗、松本啓二朗、北篤の3選手は運送会社の不手際でユニフォームを始めとした野球用具が会場の札幌ドームに届かないというハプニングが起こり、3選手は急遽同ドームを本拠地とする日本ハムの練習用ユニフォームを借り、グラブやスパイクもドーム内にあったものを借りてプレーした。このうち松本は優秀選手賞を受賞したが、お立ち台でのインタビューの際には関係者を通じて、スタンドのファンからユニフォームや帽子を借りてお立ち台に立った。また、北は2013年から日本ハムに、2015年から巨人に移籍している。
- 2017年大会は全イースタン・全ウエスタンどちらも得点が入らず0対0で試合が終了。無得点での引き分けは史上初の出来事となった。複数安打を放ったのはMVPを獲得したソフトバンクの曽根海成内野手のみ。優秀選手賞には1イニング2奪三振を上げた楽天の藤平尚真投手と、投手陣でただ1人2イニングを投げたソフトバンクの古谷優人投手が選出されるなど、投手陣の活躍が目立つ試合となった[5]。
アトラクション
当日は試合会場に、参加12チームのマスコットが集合し、試合開始前にパフォーマンスを行うほか、特別チケット購入者(人数限定)を対象として、「マスコット記念撮影会」を行う。記念撮影会は当日会場で、ボランティアスタッフが撮影(参加者のカメラ・携帯電話での撮影不可)し、完成写真を1人1枚で当日会場で配布する。ただし天候不良で予備日順延・ないしは開催中止となった場合は、マスコットはオールスターゲーム(1軍)の第1試合への移動日程の都合もあるため、ファンとの記念撮影会は中止となり、予備日に開催される場合に限り、参加者にはマスコットの集合写真を特別チケットと引き換えに贈呈する[6]。
また2015年の「マスカットスタジアム20周年記念」の一環としてのトートバッグプレゼント付チケット[6]などの特典賞品付チケットもある[7]。
各年の試合結果
回 | 開催日 | 勝利チーム | スコア | 敗戦チーム | 開催球場 | MVP |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1963年7月24日 | イースタン | 2 – 0 | ウエスタン | 明治神宮野球場 | 河東真 |
2 | 1964年7月20日 | 2 – 2 | 川崎球場 | 迫田七郎 | ||
7月21日 | ウエスタン | 2 - 1 | イースタン | 中日スタヂアム | 西川克弘 | |
7月22日 | 2 - 2 | 大阪スタヂアム | -- | |||
3 | 1965年7月19日 | ウエスタン | 2 – 1 | イースタン | 後楽園スタヂアム | 佐々木孝次 |
4 | 1967年7月25日 | ウエスタン | 5 – 3 | イースタン | 明治神宮野球場 | -- |
5 | 1968年7月23日 | 4 – 4 | 川崎球場 | -- | ||
6 | 1969年7月20日 | ウエスタン | 13 – 3 | イースタン | 阪神甲子園球場 | 後藤和昭 |
7 | 1970年7月18日 | イースタン | 5 – 0 | ウエスタン | 明治神宮野球場 | 佐藤敬次 |
8 | 1971年7月19日 | ウエスタン | 8 – 2 | イースタン | 中日スタヂアム | 大島康徳 |
9 | 1972年7月22日 | ウエスタン | 5 – 2 | イースタン | 東京スタジアム | 今西和男 |
10 | 1973年7月22日 | イースタン | 1 – 0 | ウエスタン | 大阪スタヂアム | 尾崎亀重 |
11 | 1974年7月21日 | ウエスタン | 6 – 4 | イースタン | 後楽園スタヂアム | 栗橋茂 |
12 | 1975年7月19日 | ウエスタン | 6 – 3 | イースタン | 阪神甲子園球場 | 笹本信二 |
13 | 1976年7月17日 | ウエスタン | 9 – 4 | イースタン | 明治神宮野球場 | 簑田浩二 |
14 | 1977年7月24日 | イースタン | 3 – 2 | ウエスタン | 川崎球場 | 島田誠 |
15 | 1978年7月21日 | イースタン | 6 – 5 | ウエスタン | 横浜スタジアム | 屋鋪要 |
16 | 1979年7月21日 | イースタン | 5 – 2 | ウエスタン | 横浜スタジアム | 加倉一馬 |
17 | 1980年7月18日 | ウエスタン | 8 – 5 | イースタン | 西武ライオンズ球場 | 香川伸行 |
18 | 1981年7月24日 | ウエスタン | 3 – 2 | イースタン | ナゴヤ球場 | 藤倉一雅 |
19 | 1982年7月23日 | ウエスタン | 6 – 1 | イースタン | 横浜スタジアム | 金村義明 |
20 | 1983年7月22日 | ウエスタン | 9 – 2 | イースタン | 後楽園スタヂアム | 畠山準 |
21 | 1984年7月20日 | ウエスタン | 4 – 2 | イースタン | 大阪スタヂアム | 吉村元富 |
22 | 1985年7月19日 | イースタン | 8 – 2 | ウエスタン | 後楽園スタヂアム | 白幡勝弘 |
23 | 1986年7月18日 | イースタン | 6 – 3 | ウエスタン | ナゴヤ球場 | 広瀬哲朗 |
24 | 1987年7月24日 | イースタン | 3 – 2 | ウエスタン | 後楽園スタヂアム | 大久保博元 |
25 | 1988年7月22日 | ウエスタン | 1 – 0 | イースタン | 東京ドーム | 藤井康雄 |
26 | 1989年7月24日 | イースタン | 3 – 2 | ウエスタン | 大阪スタヂアム | 大村巌 |
27 | 1990年7月23日 | 5 – 5 | 明治神宮球場 | 石井浩郎 | ||
28 | 1991年7月22日 | ウエスタン | 2 – 1 | イースタン | 千葉マリンスタジアム | 種田仁 |
29 | 1992年7月17日 | ウエスタン | 4 – 3 | イースタン | 東京ドーム | 鈴木一朗 |
30 | 1993年7月19日 | ウエスタン | 6 – 4 | イースタン | 福岡ドーム | 桧山進次郎 |
31 | 1994年7月17日 | ウエスタン | 11 – 10 | イースタン | 札幌市円山球場 | 井上一樹 |
32 | 1995年7月22日 | ウエスタン | 5 – 4 | イースタン | 福井県営球場 | 北川博敏 |
33 | 1996年7月19日 | ウエスタン | 9 – 0 | イースタン | 藤崎台県営野球場 | 朝山東洋 |
34 | 1997年7月19日 | 2 – 2 | 神奈川県立相模原球場 | 倉野信次 | ||
35 | 1998年7月21日 | ウエスタン | 7 – 6 | イースタン | 富山市民球場アルペンスタジアム | A.ケサダ |
36 | 1999年7月23日 | イースタン | 4 – 2 | ウエスタン | 横浜スタジアム | 古木克明 |
37 | 2000年7月21日 | ウエスタン | 3 – 0 | イースタン | 坊っちゃんスタジアム | 河内貴哉 |
38 | 2001年7月20日 | イースタン | 10 – 4 | ウエスタン | 東京ドーム | 里崎智也 |
39 | 2002年7月11日 | ウエスタン | 4 – 2 | イースタン | 長野オリンピックスタジアム | 藤本敦士 |
40 | 2003年7月13日 | イースタン | 4 – 3 | ウエスタン | 札幌ドーム | 今江敏晃 |
41 | 2004年7月9日 | イースタン | 10 – 0 | ウエスタン | 大阪ドーム | 青木宣親 |
42 | 2005年7月24日 | 4 – 4 | サンマリンスタジアム宮崎 | 鶴岡慎也 | ||
43 | 2006年7月20日 | セントラル | 8 – 4 | パシフィック | 東京ドーム | 飯原誉士 |
44 | 2007年7月19日 | ウエスタン | 1 – 0 | イースタン | 松山坊っちゃんスタジアム | 中東直己 |
45 | 2008年8月2日 | イースタン | 8 – 3 | ウエスタン | 山形蔵王タカミヤホテルズスタジアム | 原拓也 |
46 | 2009年7月23日 | イースタン | 7 – 0 | ウエスタン | 札幌ドーム | 中田翔 |
47 | 2010年7月22日 | ウエスタン | 6 – 3 | イースタン | 長崎ビッグNスタジアム | 岩崎恭平 |
48 | 2011年7月21日 | イースタン | 10 – 0 | ウエスタン | 富山市民球場アルペンスタジアム | 荒木貴裕 |
49 | 2012年7月19日 | ウエスタン | 4 – 0 | イースタン | HARD OFF ECOスタジアム新潟 | 中谷将大 |
50 | 2013年7月18日 | イースタン | 7 – 1 | ウエスタン | 秋田こまちスタジアム | 加藤翔平 |
51 | 2014年7月17日 | イースタン | 7 – 6 | ウエスタン | 長崎ビッグNスタジアム | 井上晴哉 |
-- | 2015年 | (台風11号のため中止) | ||||
52 | 2016年7月14日 | イースタン | 6 - 1 | ウエスタン | 倉敷マスカットスタジアム | 岡本和真 |
53 | 2017年7月13日 | 0 - 0 | 静岡県草薙総合運動場硬式野球場 | 曽根海成 | ||
54 | 2018年7月12日 | ウエスタン | 3 - 1 | イースタン | 弘前市運動公園野球場 | 石垣雅海 |
2018年時点でウエスタン28勝、イースタン20勝、セントラル1勝、7引き分けとなっている。
放送
- テレビ
- テレビ東京系列でテレビ中継されていた時期もあったが、資生堂・コナミ等の冠スポンサー撤退により、現在は全国ネットによる地上波でのテレビ中継はされていない。
- 一方で、CS放送のスカイ・A sports+では毎年生放送されている(地方球場で開催の場合は主にANN系列またはJNN系列の地元民放テレビ局もスカイ・A sports+の制作協力[8]で放送する場合がある。また、サンテレビジョンなどの独立UHF局でも放送することがある)。
- 2014年以降はBS-TBSでも生放送されているが、スカイ・Aと映像を共用しているためか、BS-TBS向けの技術協力がテレビ朝日系列局(2014年の長崎文化放送)となる例や、スカイ・A向けの制作協力がTBS系列局(2016年の山陽放送、2017年の静岡放送)となる例がある。2014年はNCCの、2016・2017年はABCのアナウンサーがリポーターとしてBS-TBSの中継に登場するという、系列の垣根を越えた出演形態となった[9]。また2016年以降のBS-TBSでは、番組の製作著作に日本野球機構(NPB)も名を連ねている。
- いずれも2015年度は試合が中止となり放送されなかった。2016年・2018年については、BS-TBSが生中継だが、スカイ・Aは編成の関係で大会終了後の後日録画中継となった。
- ラジオ
- ラジオでは、東京ドームといったプロ野球本拠地球場開催の場合は、地元プロ野球チームの放映権を持つ放送局がキー局となり制作する。また地方開催の場合は、プロ野球中継制作実績のある放送局(主にTBSラジオ・ニッポン放送が直接派遣)が、解説者やスタッフなどを派遣し制作する。
- 1986年までは文化放送・ラジオ大阪(年度により東海ラジオも)が独占放送し、全国ネットではなかった。文化放送は、ラジオ大阪のプロ野球中継廃止以降も関東ローカルで中継を続けたが、2012年を最後に中継から撤退し、取材要員のみ派遣している。
- 1989〜2008年はLFとMBSまたはABCのアナウンサーが交互に実況を担当していた。
- 1987・1988年と2009年からは開催日がNRN表担当日(該当曜日は、水・木・金)に重なると、制作キー局のアナウンサー1名、全イニングを解説する解説者1名と、NRNの各プロ野球中継放送局(ニッポン放送、STVラジオ、TBCラジオ、東海ラジオ、MBSラジオ[10]、RCCラジオ、KBCラジオからいずれか数局。このうちニッポン放送と開催地地元局は必ず派遣)の若手スポーツアナウンサーが実況(1 - 3イニング程度)と担当球団リポートを担当するスタイルを採用した。
- 2015年は台風11号の接近により7月16日開催予定の試合が順延、予備日のデーゲームに振り替えられる予定になったことから、ラジオ中継は全局で取りやめとなり(予備日にはラジオ中継の予定なし)、予備日の7月17日も中止となったため代替試合もなく、初のフレッシュオールスター中止となった[2]。
- 2017年限りでTBSラジオがプロ野球中継を廃止したため、JRN系列局は対応に追われ、青森県弘前市で開催された2018年のケースでは、HBCラジオ・RKBラジオがTBCラジオに制作を委託して(TBCはNRNネットにつき裏送り)例年通り放送した一方で、ABCラジオ・CBCラジオは放送を見送った。
脚注
- ↑ 2015年がこのケース初の該当となった
- ↑ 2.0 2.1 プロ野球フレッシュオールスターゲーム2015 大会中止のお知らせ
- ↑ 1979・1980年のセントラル・リーグ東西対抗でも東軍・西軍のユニフォームが用意されていた。
- ↑ 2005年からイースタン・リーグとウエスタン・リーグの球団数に違いが生じたため。ただこの形式ではそれぞれのチームの監督・コーチが出場選手全員の守備ポジションや特徴を把握できない、といった弊害があったため、2年で廃止された。
- ↑ 究極の投手戦!フレッシュ球宴は史上初の『0-0引き分け』BASEBALL KING 2017年7月13日
- ↑ 6.0 6.1 2015年は予備日を含め開催中止、チケットも払い戻しとなったため、この賞品への引換も中止となった
- ↑ プロ野球フレッシュオールスターゲーム2015 特典付きチケットについて
- ↑ スカイ・A sports+の中継ではクレジット上でANN・JNN各局は「製作協力団体」として扱う。
- ↑ ラジオではABCもJRNに加盟しているため、ABCのアナウンサーがリポーターとして頻繁にTBSラジオの中継に登場している。
- ↑ 金曜日は関西地区のNRN担当局がABCラジオになるためABCのアナウンサーが出演するが、金曜日に該当したのは1987・88年のみだった。
関連項目
外部リンク
- フレッシュオールスター・ゲーム - NPB.jp 日本野球機構