スヴァールバル諸島
- スヴァールバル諸島
- Svalbard
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スヴァールバル諸島の紋章 (スヴァールバル諸島の旗) (スヴァールバル諸島の紋章) - 国の標語 : 不明
- 国歌 : Ja, vi elsker dette landet
そう, 我らはこの地を愛す - スヴァールバル諸島の位置
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公用語 ノルウェー語(ロシア語も) 主都 ロングイェールビーン 政府 ノルウェーの地域 総督 Kjerstin Askholt 面積
- 総面積
- 水域
60,640 km²人口
- 総人口(2011年)
- 人口密度
2,394人
0.04人/km2通貨 ノルウェー・クローネ (NOK) 時間帯 CET(UTC+1) CEST(UTC+2) ccTLD .no(.sjが割り当てられているが未使用) 国際電話番号 47
スヴァールバル諸島(スヴァールバルしょとう、Svalbard)は、北極圏にあるノルウェー領の群島。北極海のヨーロッパ寄りに位置し、東はバレンツ海、西にあるグリーンランドとの間はフラム海峡、南西はグリーンランド海、南東はノルウェー海に囲まれている。唯一の有人島であるスピッツベルゲン島をはじめとするほぼ不毛の島々からなり、ノルウェー本土との間には属島のビュルネイ島がある。法的には完全なノルウェー領土の一部であるが、スヴァールバル条約との関連で法制度や行政機構は本土と異なる。人が定住する地としてはかなり北に位置し、最大の町はロングイェールビーンである。その他の主な定住地として炭鉱の町であったニーオーレスン、ロシア人が暮らす独立性が高いバレンツブルクがある。総面積は60,640km2、人口は2,394人(2011年時点)である。
極地科学研究の世界的な拠点となっており、オゾン層破壊や大気の研究など環境分野に関する研究も行われている。
Contents
歴史
スヴァールバル諸島は1596年にオランダ人探検家のウィレム・バレンツが発見し、Spitsbergen(「尖った山々」の意)と名付けられた。12世紀アイスランドのヴァイキングたちはSvalbarði(「冷たい岸」の意)という地を文献『植民の書』(Landnámabók)に残しているが、これはヤンマイエン島あるいはグリーンランド東部の可能性も高い。また16世紀前半にポモールたちが入植していたともいわれるが、確たる証拠は17世紀後半になるまで存在しない。
捕鯨時代
1610年にイギリス人捕鯨家Jonas Pooleが遠征し鯨が豊富にいることを報告すると、1612年にはオランダ、バスク地方、1613年にフランス、1617年にはデンマークが捕鯨隊を送った。彼らは主に沿岸でホッキョククジラを捕らえ、スピッツベルゲン島西岸には鯨油をつくる基地が多く設けられた。しかし1630年代には近海で捕鯨をするようになり、鯨油の加工は母港に戻って行うようになったため、基地は1670年までに放棄された。スヴァールバル近海での捕鯨はオランダ人などが続けており、1663年にオランダの捕鯨船とフランスの軍艦が捕鯨権をめぐって海戦を行い、1707年にはオランダの捕鯨家Cornelis Gilesが初めて諸島を周回航海した。他にドイツ、ベルギー、ノルウェー、スウェーデンなどが捕鯨遠征隊を送っている。
1872年の冬にノルウェー人狩猟者17名が死亡するスヴェンスクフーセットの悲劇が起きている。捕鯨家と同様、狩猟者、探検家、科学者たちはほとんど沿岸部にしか訪れなかったため、内陸部については1896年にMartin Conwayと科学者たちがスピッツベルゲン島を横断するまでほとんど不明のままだった。
ノルウェー領
ノルウェーがスウェーデンと連合国家(同君連合)であった1871年に、スヴァールバル諸島のノルウェー領化を図り、スウェーデンが積極的に国際活動を行っていた。スウェーデン本国は北極海には面しておらず、そのためスウェーデンがスヴァールバル諸島の領有権を主張するのは無理があった。こうした理由からノルウェーを介しての領有を目指したのであるが、当時のノルウェー政府は積極的ではなかった。これはスヴァールバル諸島を実効支配した場合、その出費が嵩むことに因る資産の圧迫や、改めて領有宣言をする事に因って他国も領有権を主張し出して揉め事を起こしかねないと懸念したことが理由であった[1]。こうした経緯のためか、スウェーデンは、1905年のノルウェー独立に際しては、スヴァールバル諸島のノルウェー領化に反対している。
19世紀末までは無人島だった。20世紀になると石炭採掘のためアメリカ、イギリス、スウェーデン、ロシア、ノルウェーなどの会社が進出し、定住者が生まれた。それに伴って採掘権争いや労働争議などが起きるようになり、法的統治の必要性が出てきた。1920年のスヴァールバル条約によって国際的にノルウェーの主権が承認されると同時に、前述のスウェーデンや日本を含むスヴァールバル条約締結国の国民の自由な経済活動を認めることとされた。ロシア革命で誕生したソビエト連邦も1924年に条約に参加し、スピッツベルゲン島に進出した。
第二次世界大戦
第二次世界大戦勃発時、スヴァールバルにはノルウェー人900名とロシア人2000名がおり、1941年夏まではどちらの炭鉱も通常どおり操業していた。しかしナチス・ドイツが1941年6月22日にソ連を攻撃(独ソ戦)したため、7月31日に連合国軍は全ての炭鉱に防衛隊を配置した。ソ連向けに援助物資を輸送する英国の護送船団は、スヴァールバル諸島とノルウェーの間を通過することになり、スヴァールバルは戦略上の重要拠点となったのである。連合国軍は当初スピッツベルゲン島を占拠する計画だったが、冬が近づいていたため測候所や炭鉱の施設を使用不能にして労働者たちを避難させるゴーントレット作戦が実行された。
翌1942年春に自由ノルウェー軍はロングイェールビーンの炭鉱を再開させるフリサム作戦を実行したが、バレンツブルク沖でドイツの爆撃機に沈められてしまう。この作戦の参加者の多くはかつての炭鉱労働者たちであり、指揮官は炭鉱の社長であったアイナル・スヴェルドルップ中佐だった。スヴェルドルップほか12名が爆撃により死亡、70名はバレンツブルクで越冬し翌1942年7月にようやく救助された。連合国軍は増援部隊を送り172名が駐留することになった。
ドイツ海軍は1943年9月シチリア作戦を実行。戦艦ティルピッツ、シャルンホルスト、駆逐艦9隻からの砲撃を行い、スピッツベルゲン島を9月6日から9日まで占拠したが、連合国軍が奪回している。これ以外にも、スヴァールバル諸島の沖では援ソ船団とそれを狙うドイツ海空軍で激戦が繰り返された(北極海の戦い)。
1944年9月、ドイツ海軍は北東島に気象観測隊を送り込み、秘密裏に測候所を設置して気象情報の収集を行った(ハウデーゲン作戦)。ドイツが降伏した1945年5月以降も測候所は活動を続け、9月4日にノルウェー当局が派遣したアザラシ漁船に対して投降した。ハウデーゲン観測隊の隊員11名は、第二次世界大戦で最後に降伏したドイツ兵とされる。
地理
東経10°から35°、北緯74°から81°の範囲に位置し、大部分を雪と氷に覆われている。ほぼ不毛の島々だが、僅かながら植物が育ち、野生動物もいる(後述の「生態系」を参照)。スピッツベルゲン島のみが有人島である。
島 | 面積 | 海岸線延長 |
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スピッツベルゲン島(Spitsbergen) | 37,673 km2 | 3,919 km |
北東島(Nordaustlandet) | 14,443 km2 | 1,688 km |
エッジ島(Edgeøya) | 5,074 km2 | 502 km |
バレンツ島(Barentsøya) | 1,288 km2 | 205 km |
クヴィト島(Kvitøya) | 682 km2 | 119 km |
プリンス・カール・フォーランド島(Prins Karls Forland) | 615 km2 | 320 km |
コング島(Kongsøya) | 191 km2 | 132 km |
スヴェンスク島(Svenskøya) | 137 km2 | 62 km |
ウィルヘルム島(Wilhelmøya) | 120 km2 | 58 km |
コング島とスヴェンスク島は周辺の島嶼群とともにコングカルルス諸島を形成する。
ノルウェー本土との間には属島のビュルネイ島(Bjørnøya)がある。 また南東にはホーペン島(Hopen Island)がある。
最高点はニュートン山(標高1713m)。陸地の43%が標高300m以下の低地であり、ノルウェー本土(32%)と比べると低地が多い。およそ6割が大小無数の氷河に覆われている。中でも北東島のアウスト氷河(Austfonna)・ヴェスト氷河(Vegafonna) (8492 km2)とオラヴ5世ランド(Olav V Land) (4150 km2)は広大で、ノルウェーでそれぞれ1位・2位である。しかし気温上昇と降水量の減少により、氷河の面積は年々減少しつつある。氷河以外の大地はほとんどが永久凍土に覆われており、植生が見られるのは6.7%に過ぎない。
国立公園が7つ、自然保護区が6つ、鳥類保護区が15、地形保護区が1つあり、合計すると陸地の65%が何らかの形で保護されていることになる。
地質
スヴァールバル諸島最古の岩層はHecla Hoek系と呼ばれる先カンブリア時代からオルドビス紀にかけての基盤岩で、スピッツベルゲン島の西海岸と北東部、北東島北部、ビュルネイ島南部で見られる。なかでもスピッツベルゲン島北西部に見られるジルコン鉱は32億年前に遡る。およそ17億年、10億年、6億年前に造山運動があったが、山脈そのものは浸食により太古の昔に失われ、現在はその深部岩石が痕跡として残っているのみである。カンブリア紀、オルドビス紀の石灰岩層からはイアペトゥス海に生息していた三葉虫やフデイシといった無脊椎動物の化石が出る。
シルル紀になるとローレンシア大陸とバルティカ大陸が衝突しユーラメリカ大陸が生じた。その影響で、この時期より古い岩石はみな変成作用を受けている。スヴァールバル諸島の最高峰Newtontoppenはシルル紀後期に貫入した花崗岩でできている。古地磁気学によれば、この頃スヴァールバル周辺は赤道近辺にあった。
デボン紀には乾燥していたが、石炭紀に入ると熱帯雨林のような気候になる。石炭紀の堆積層はスピッツベルゲン島中央部に分布しており、そこに含まれる石炭層をロシア人らが採鉱していたのがピラミデンの炭鉱跡である。ペルム紀には浅い海面下にあり、地層は石膏、硬石膏、苦灰岩などからなる。
中生代には北緯45°から65°に達する。地球全体が温暖であったために海面が上昇しており、主として浅い海面下にあったため、アンモナイトなどの軟体動物や魚竜・首長竜の化石が出る。1973年にKong Karls Landで見付かったプレシオサウルスの化石は、食餌の軟体動物や植物などが体内に残った状態で発見されたことで話題を呼んだ。白亜紀ごろになると地上にあった期間も多くなり、イグアノドンやアロサウルスのような陸生恐竜の化石が出ている。白亜紀後期になると隆起して地層記録が途切れる。
第三紀に入る頃、スヴァールバル一帯はグリーンランドと衝突し地殻運動が激しくなった。第三紀の地層はスピッツベルゲン島の中南部に広がっており、特に5500万年ほど前の暁新世から始新世へ移る時代は亜熱帯のような気候で植生が豊かであり、ここには多くの植物化石や石炭層が見出される。新第三紀になると、高緯度帯に到達したことと地球全体の寒冷化により、スヴァールバル一帯の気候も寒冷化する。第四紀になると氷河が覆い現在の地形を作り出すことになるが、氷食作用によって地層記録は失われている。
現在スピッツベルゲン島東南部Heer Land地方と北東島北西部に地震活動の活発な地域がある。2008年2月21日未明、Heer Land地方沖を震源とするマグニチュード6.2の地震が、翌年3月6日にはマグニチュード6.5の地震が発生。これらはノルウェーの観測史上最大の地震であったが、損害などは報告されていない。
今後スヴァールバル諸島は北東へ移動し、5000万年ほどで北極近くへ到達すると考えられる。
気候
スヴァールバル諸島はツンドラ気候(ET)であり、冬の最低気温は-30℃以下になる。1日の平均気温は、夏は5°C、冬は-12°Cほどである。[2] ただし西側を流れる北大西洋海流の影響により、西海岸側は東海岸側と比べるとかなり穏やかで、1年のうちかなりの期間が航海可能である。一方東海岸側はほぼ一年中流氷に覆われている。スヴァールバル諸島での降水はバレンツ海から吹く極東風に依っており、南東部では比較的降水量が多く1000mmに達することもある。一方西部では降水量は400mm以下と少なく、ノルウェーにおける最少年間降雨量190mm(スヴァールバル空港)を記録している。北緯約80度という位置のため、白夜と極夜がそれぞれ4ヶ月ずつあり、薄明にもならない期間が2ヶ月以上続く。
スヴァールバル諸島は1912年からという極地の中では比較的長い期間の気象記録がある。理論的には極地では温室効果の影響が大きくなると考えられることから注目されている。
スヴァールバルの気候資料 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | -13.0(8.6) | -13.0(8.6) | -13.0(8.6) | -9.0(15.8) | -3.0(26.6) | 3.0(37.4) | 7.0(44.6) | 6.0(42.8) | 1.0(33.8) | -4.0(24.8) | -8.0(17.6) | -11.0(12.2) | -4.75(23.45) |
平均最低気温 °C (°F) | -20.0(-4) | -21.0(-5.8) | -20.0(-4) | -16.0(3.2) | -7.0(19.4) | -1.0(30.2) | 3.0(37.4) | 2.0(35.6) | -3.0(26.6) | -9.0(15.8) | -14.0(6.8) | -18.0(-0.4) | -10.33(13.4) |
降水量 mm (inches) | 22.0(0.866) | 28.0(1.102) | 29.0(1.142) | 16.0(0.63) | 13.0(0.512) | 18.0(0.709) | 24.0(0.945) | 30.0(1.181) | 25.0(0.984) | 19.0(0.748) | 22.0(0.866) | 25.0(0.984) | 271(10.669) |
出典: Climate and daylight in Svalbard (Longyearbyen)[3] |
生態系
植物は乏しく、わずかに草花が生える程度である。維管束植物は164種記録されており、10cm以上に育つものはほとんどないが、短い白夜の期間に色とりどりの花を咲かせる。1989年スヴァールバル理事会はスヴァールバル・ポピー(Papaver dahlianum)を群島の花とした。
固有種としてスヴァールバル・トナカイ(R. tarandus platyrhynchus)がいる。ノルウェー本土では危機に瀕しているホッキョクギツネも、スヴァールバル諸島では充分な個体数が存在している。他に陸生動物としてハタネズミの一種(Microtus levis)がいるが、おそらくロシア船により渡ってきた移入種だと思われる。かつて盛んに狩猟されていたホッキョクグマは、現在は手厚く保護されており3000頭ほどが生息していると思われる。セイウチも絶滅の危機にあるが、現在2500頭ほど生息している。ゼニガタアザラシが1000頭ほど生息しており、北限となっている。アゴヒゲアザラシも数千頭いるが、ワモンアザラシの方が多い。鯨類はシロイルカ・イッカク・ホッキョククジラが主である。
スヴァールバル諸島はハシブトウミガラス、ハジロウミバト、ニシツノメドリ、ヒメウミスズメ、フルマカモメ、ミツユビカモメなどといった様々な海鳥の繁殖地となっている。一方で陸鳥は少なく、スヴァールバルライチョウが通年生息している他は、ユキホオジロとハシグロヒタキが繁殖の為に訪れるのみである。
住民
現在およそ2600名が居住している。しかし夏季は冬季よりも居住者が多くなるため、この数字にはかなりの不確定要素が含まれている。かつては炭鉱中心の男社会であり、現在でもやや男性が多い。また労働世代が多く、老人や未成年は少ない。教育・研究施設があるため、住民はノルウェー本土の平均と比べると高学歴である。加えて炭鉱の給料が非常に良いことから、住民の収入もノルウェー本土平均と比べて高い。スヴァールバル諸島の住民は出入りが激しく、毎年住民の4分の1が入れ替わっている。平均居住年数はわずか6.3年である。
スヴァールバル諸島の人口は1980年代はじめに4000名でピークを迎えた。その後1990年までは人口が減り続け、以降はロシア人が減りノルウェー人が増えている。現在の内訳は、ノルウェー人がおよそ1800名、ロシア人が500名、それ以外にタイ人・スウェーデン人・ドイツ人などが300名ほどとなっている。公用語はノルウェー語であるが、ロシア人居住地ではロシア語が使われている。19世紀にはバレンツ海一帯の通商語としてルッセノルスクが用いられていたが、これはソビエト連邦の成立とともに衰退した。
経済
主な経済活動は鉱業であり石炭が採掘されている。2007年には年間400万トンを産出した。ほとんどが輸出され、輸出先としてはドイツが半分、他にデンマーク、フランス、ポルトガル、イギリスなどである。漁業や狩猟も行われているが、20世紀末から観光業や研究関連の産業も大きく成長している。
スヴァールバル諸島に付随する排他的経済水域は40万平方キロメートルほどである。
政治
スヴァールバル条約(1920年2月9日調印・1925年8月14日発効)によりスヴァールバル諸島はノルウェー領となった。同時にノルウェーには、締約国国民の平等な経済活動の保証、課税権の制限、環境保護の義務、軍事施設の建造禁止といったいくつかの制約が課せられた。そのためスヴァールバル諸島は免税地の扱いとなっている。また締約国国民を平等に扱うということから、スヴァールバル諸島はシェンゲン協定の対象地域から除外されている。
この条約に対するノルウェーの国内法としてスヴァールバル法(1925年)があり、その規定によりノルウェーの法律は一部の基本的なもの(民法・刑法・訴訟法など)を除いてスヴァールバル諸島には適用されない。スヴァールバル諸島に対する法律としては、スヴァールバル環境保護法(2002年)など31が制定されている。
スヴァールバル諸島はノルウェーのどの県にも属していない、独立した行政区画となっている。王が任命する総督(sysselmann)によって統治される。総督は司法大臣直属であるが、法務だけでなく、環境保護、文化財保護、交通観光行政、治安、消防、救急、婚姻など様々な責務を担う。中でも重要な役目はロシア人居住地バレンツブルクとの関係を良好に保つことである。ノルウェー人居住地については、2002年から地方自治体として地域行政府(localstyre)が設立され、選挙による議会がインフラや教育、福祉に関する運営を担うことになった。
脚注
- ↑ その他いろいろの怪しい地帯
- ↑ “Temperaturnormaler for Spitsbergen i perioden 1961 - 1990” (Norwegian). Norwegian Meteorological Institute. 2012年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 24 March 2010閲覧.
- ↑ “Climate and daylight in Svalbard (Longyearbyen)”. NordicVisitor. . May 2011閲覧.
参考文献
- Ólafur Ingólfsson. “Outline of the Physical Geography and Geology of Svalbard”. . 2010閲覧.
- 徳永重元・春城清之助 (1969). “世界石炭資源資料 (1) 総論 (1)・各論 (ノールウェー)”. 地質調査所月報 20 (2): 125-137 .
関連項目
外部リンク
- スヴァールバル総督府
- ノルウェー統計局による資料
- The Place Names of Svalbard and Jan Mayen(地名データベース)
- スヴァールバル諸島
- ロングイェールビーンの写真 (フランス語と英語)