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岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 [1]- )は、女優・文筆家。岸恵子の表記もある。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。
Contents
来歴
神奈川県横浜市神奈川区生まれ。1945年5月の横浜大空襲で被災。高校在学中に小牧バレエ団に通う。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業[1]。
もともとは作家志望で川端康成を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣』に魅せられ、映画に興味を持ち、田中敦子(小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎にスカウトされ[2]、断ったが後に「本物の女学生が欲しい」と頼まれて1本だけの約束で、1951年に大学入学までという条件で松竹に入社し、映画『我が家は楽し』でデビューするがヒットしてそのまま女優になった。
1952年には『坊ちゃん重役』で鶴田浩二と佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スターであった鶴田が、戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立。第1作として、新東宝配給『弥太郎笠』の制作にあたり、鶴田の相手役のヒロインとして岸にオファーを出すが、松竹は拒否したため岸は辞表を出す。結局松竹が折れて、岸は映画に出演。続いて、新生プロの『ハワイの夜』でも鶴田と共演しヒットとなる。この頃、鶴田との恋愛関係が報道されたが、松竹に強引に別れさせられた。
1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒット。主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が出るほどだった(ちなみに北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに横浜で購入して持参していた私物のストールで耳や頭をくるんだ岸のアドリブである)。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。
1954年には有馬稲子、久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立。
1956年、フランス・日本合作映画『忘れえぬ慕情』に出演。1957年、『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚[1][3]。挙式はフランスで、川端康成が立会人となった。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われた[1]。この頃に、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アンドレ・マルロー、ジャン・コクトーらと親交を持つ。また1963年には1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi) を出産した。しかし1975年、イヴ・シャンピと離婚[1][4]。娘の親権は岸が持った。
数多くの巨匠名匠の作品に主演を続けてきたが、とりわけ市川崑監督とのコンビは40年に及ぶ。日本の映画女優が通常大きな役につきにくくなる40代後半から60代後半にかけても市川作品にはしばしば主演や準主演で招かれ、女優人生後期の大きな成果をともにした。市川の葬儀においては、「細雪」出演に際し市川から直接パリに電話があり、山本富士子の代役であること、「あんたはミスキャストもいいところ」だが「仕方なしにお願いする」とポンポン毒舌を吐かれながら即答で引き受けたエピソードを披瀝、強い信頼で結ばれた関係を覗かせた。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の8位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優7位となっている[5]。
2013年3月、自らの恋愛経験を基にオマージュした熟年男女の恋愛小説『わりなき恋』を発表。
2014年、小説『わりなき恋』を原作とした一人舞台『わりなき恋』に主演。脚本も自ら書いた。
人物
- 1957年、25歳のとき、フランス人の映画監督で医師でもある11歳年上のイヴ・シャンピと結婚し、パリへ移住した。当時はまだ日本人が海外旅行をすることが出来ない時代であり、フランスへ移住する日本人は非常に珍しかった。
- 夫・イヴの母が世界的なバイオリニストだった影響により、「女性は手を大事にしなければならない」という理由で夫から料理をするのを禁じられ、ノイローゼになってしまった。しかし、この頃にフランス語をマスターした。
- 1973年、41歳のとき離婚した。娘は11歳だった。以後今日まで独身を貫いている。
- 一人娘のデルフィーヌはパリ在住のオーストラリア人の作曲家と結婚して別居した。
- 自宅はセーヌ川の中州にあるパリ発祥の地、パリの高級住宅街として有名なサン・ルイ島にある。築400年の家で一人暮らしをしている。小説を執筆中である。
- 男の子の孫が2人おり、娘や孫たちとときどき会っている。
- 「やりたいことはたくさんある。やりたいことがなくなったら死んだほうがいい」と述べている。
主な出演
日本映画
太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品
- 白痴(1951年)
- 我が家は楽し(1951年)
- 獣の宿(1951年、※DVD発売)
- 恋文裁判(1951年)
- 母恋草(1951年)
- 母待草(1951年)
- 南風(1951年)
- 鞍馬天狗 鞍馬の火祭 (1951年、※DVD発売)
- 吃七捕物帖 一番手柄(1951年)
- ひばりのサーカス 悲しき小鳩 (1952年、※DVD発売)
- 唄くらべ青春三銃士(1952年)
- 旗本退屈男 江戸城罷り通る(1952年)
- 本日休診(1952年、※DVD発売)
- 風流活殺剣(1952年)
- 相惚れトコトン同志(1952年)
- 銀座巴里(1952年)
- 郷愁・「幻なりき」より(1952年、※DVD発売)
- 坊ちゃん重役(1952年)
- 弥太郎笠 前後篇 (1952年、※DVD発売)
- ハワイの夜(1953年、※DVD発売) - ハワイロケが行われた
- 乙女の診察室(1953年、※DVD発売)
- 君の名は 第1部(1953年9月、※DVD発売)
- 君の名は 第2部(1953年12月、※DVD発売)
- 景子と雪江(1953年)
- 憲兵(1953年)
- 獅子の座(1953年)
- 疾風からす隊(1953年)
- ひばりの歌う玉手箱 (1953年)
- 女の園(1954年、※DVD発売)
- 家族会議(1954年)
- 花と竜 第二部・愛憎流転(1954年)
- 陽は沈まず(1954年)
- おとこ大学 婚前教育の巻(1954年)
- 三つの愛(1954年)
- えくぼ人生(1954年)
- 母の初恋(1954年)
- 君の名は 第3部(1954年、※DVD発売)
- 何処へ (1954年)
- 旅路(1955年、※DVD発売)
- あなたと共に(1955年)
- たけくらべ(原作:樋口一葉、1955年)
- 修禅寺物語(1955年) - 初のカラー映画出演
- ここに泉あり(1955年、※DVD発売)
- 亡命記(1955年)
- 東京-香港・蜜月旅行(ハネムーン) (1955年)
- お役者小僧・江戸千両幟(1955年)
- 忘れじの人(1955年)
- 太陽は日々に新たなり(1955年)
- 君美しく(1955年)
- 白い橋(1956年)
- 君のうたごえ(1956年)
- 忘れえぬ慕情[6] Typhon sur Nagasaki(日本&フランス合作映画、1956年)
- 早春(1956年、※DVD発売)
- 朱と緑(1956年)
- 力道山・男の魂(1956年)
- 松竹まつりスタア総動員 スタジオ超特急(1956年)
- 松竹まつりスタア総動員 女優誕生(1956年)
- 壁あつき部屋(1953年完成、1956年公開)
- あなた買います(1956年、※DVD発売)
- 雲の墓標より 空ゆかば(1957年)
- 雪国(1957年、※DVD発売) - 駒子 役
- 風花(1959年、※DVD発売)
- おとうと[7](1960年、※DVD発売)[8]
- 敵は本能寺にあり(1960年)
- 黒い十人の女(1961年、※DVD発売)
- スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜[9][10] Qui êtes-vous, Monsieur Sorge?(日本&フランス合作映画、1961年)
- からみ合い(1962年)
- お吟さま(1962年)
- 怪談[11](1964年、※DVD発売)
- 華麗なる闘い(1969年)
- 約束 (1972年、※DVD発売)
- 男はつらいよ 私の寅さん(1973年、※DVD発売) - 柳りつ子 役
- 化石(1975年、※DVD発売)
- 雨のアムステルダム[12](1975年)
- 悪魔の手毬唄(1977年、※DVD発売)
- 女王蜂(1978年、※DVD発売)
- 闇の狩人(1979年、※DVD発売)
- 古都(1980年、※DVD発売)
- 細雪(1983年、※DVD発売)
- 生きてはみたけれど 小津安二郎伝(1983年)
- 式部物語(1990年、※DVD発売)
- 天河伝説殺人事件(1991年、※DVD発売)
- 彼女が結婚しない理由(わけ)(1992年)
- かあちゃん(2001年、※DVD発売)
- たそがれ清兵衛[13](2002年、※DVD発売)
- 俺は、君のためにこそ死ににいく(2007年、※DVD発売)
- スノープリンス 禁じられた恋のメロディ(2009年、※DVD発売)
外国映画
- Rififi à Tokyo[14](日本未公開 / フランス・イタリア合作映画 / 1962年)
- 太陽が目にしみる[15] Los Pianos mecánicos (スペイン・フランス・イタリア・旧西ドイツ合作映画 / 1965年)
- ザ・ヤクザ The Yakuza (アメリカ映画 / 1974年) - 英子 役
テレビドラマ
- 東レ サンデーステージ「足にさわった女」(日本テレビ、1960年)
- 真夜中の太陽[16](NHK&RTF、1964年) - 日本&フランス合作ドラマ
- 太閤記(NHK大河ドラマ、1965年)※DVD発売
- レモンのような女(TBS、1967年)※DVD発売
- 恋歌(TBS、1969年)
- 赤い疑惑(TBS、1975年) - 大島理恵 役(特別出演)
- 赤い激流(TBS、1977年) - 木元光子 役(特別出演)
- 赤い激突(TBS、1978年) - 津村悠子 役(特別出演)
- 沿線地図(TBS、1979年) - 藤森麻子 役
- 葉蔭の露(朝日放送、1979年)
- ドラマ人間模様(NHK)
- 金曜女のドラマスペシャル「サギ娘」(フジテレビ、1985年)
- 東芝日曜劇場(TBS)
- 第1505回「東京の秋(前編) 家族ふたつ」(1985年) - 有坂紀子 役
- 第1506回「東京の秋(後編) 愛、けれど-」(1985年) - 有坂紀子 役
- 木曜ゴールデンドラマ「ガラスの中の幸福」(読売テレビ、1986年)
- 水曜グランドロマン「バラ」(日本テレビ、1988年)
- 向田邦子終戦特別企画(カノックス/TBS)
- 「いつか見た青い空」(1995年)
- 「言うなかれ、君よ別れを」(1995年)
- 「蛍の宿」(1997年)
- 「昭和のいのち」(1998年)
- 「あさき夢見し」(1999年)
- マリア(TBS、2001年)
- こころ(NHK連続テレビ小説、2003年) - ヒロインの祖母 役(ナレーションも)
- 末っ子長男姉三人(TBS、2003年)
- ワルシャワの秋(関西テレビ、2003年)DVD発売
- あの日にかえりたい。東京キャンティ物語(日本テレビ、2004年) - インタビューゲスト
- DRAMA COMPLEX(日本テレビ)
- 火曜ドラマゴールド(日本テレビ)
- 母とママと、私。-10年目の再会-(テレビ朝日、2007年)
- 恋せども、愛せども(WOWOW、2007年)
- 東京大空襲(日本テレビ、2008年) - 水橋悦子 役
- 相棒Season 7 第15話(テレビ朝日、2009年) - 宇佐美悦子 役
- 99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜(TBS、2010年) - 平松さち(現代編) 役
- 新・御宿かわせみ(時代劇専門チャンネル、2013年) - 神林香苗 役
- パンとスープとネコ日和(WOWOW、2013年) - 山口先生 役
情報番組
- ウィークエンドパリ(NHK-BS) - 司会
- ニュースステーション(テレビ朝日) - パリからのキャスターとして出演
- 岸恵子の時代気分(テレビ神奈川) - 司会
- エーゲ海の風に吹かれて〜岸恵子輝きのギリシャ紀行〜(テレビ朝日)
CM
- 日産自動車 『グロリア』(230型)(1972年 - 1975年)(グロリア・イメージキャラクター)
- AGF 『マリーム』[17]
- カタログハウス『通販生活』(2003年)[18]
- メルク・ホエイ(2003年)[18]
- 資生堂(2012年)[18]
舞台
受章・受賞歴
- 1955年:映画『亡命記』
- 第2回アジア太平洋映画祭 主演女優賞
- 1960年:映画『おとうと』
- 1983年:ドラマ人間模様『夕暮れて』
- 第20回ギャラクシー賞 選奨
- 1990年:第45回毎日映画コンクール 田中絹代賞
- 1995年:第5回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
- 2001年:映画『かあちゃん』
- 第25回山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化財団特別賞
- 第14回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞
- 第25回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
- 2002年:映画『たそがれ清兵衛』
- 第26回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
- 2002年:フランス政府芸術文化勲章オフィシエ
- 2004年:旭日小綬章
- 2011年:フランス政府芸術文化勲章コマンドール
著書
- 『巴里の空はあかね雲』(新潮社 1983年 のち新潮文庫)文芸大賞エッセイ賞。
- 自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている
- 『砂の界(くに)へ』(文藝春秋 1986年 のち文春文庫・朝日文庫)イラン、アフリカ紀行
- 『ベラルーシの林檎』(朝日新聞社 1993年 のち朝日文芸文庫)日本エッセイストクラブ賞。
- 表紙のデザインは娘のデルフィーヌが担当した
- 『30年の物語』(講談社 1999年 のち講談社文庫)自伝
- 『風が見ていた』(新潮社 2003年 のち新潮文庫)小説
- 『私の人生ア・ラ・カルト』(講談社 2005年)
- 『私のパリ 私のフランス』(講談社 2005年)
- 『わりなき恋』(幻冬舎 2013年)小説
共著
翻訳
- スージー・モルゲンステルヌ、セルジュ・ブロック「パリのおばあさんの物語」(千倉書房 2008年)
関連書籍
- 「水野晴郎と銀幕の花々」(水野晴郎著、近代文芸社) - 水野による岸を含む女優達のインタビュー集
- 「麗しの銀幕スタア」(秋山庄太郎著、小学館)
- 「人は大切なことも忘れてしまうから 松竹大船撮影所物語」(山田太一・斉藤正夫・田中康義・宮川昭司・吉田剛・渡辺浩/編著、マガジンハウス) - 岸を含む松竹ゆかりの人たちへのインタビュー集
- 「別冊太陽 監督 市川崑」(平凡社)
- 「小津安二郎新発見 松竹編」(講談社)ISBN 4-06-206681-5
- 「日本映画スチール集 大映女優篇 昭和10・20年代」(石割平・円尾敏郎/著、ワイズ出版)
- 「香港・日本映画交流史 アジア映画ネットワークのルーツを探る」(邱淑婷/著、東京大学出版会)
- 「『銀幕の名花』20世紀のビッグスタア3 平凡特別編集」(マガジンハウス)ISBN 4-8387-1210-3
- 「父・鶴田浩二」(カーロン愛弓/著、新潮社)
その他
関連項目
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「prf
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 『週刊AERA』1994年10月10日号 P.55
- ↑ 『歩いて行く二人』によれば、『忘れえぬ慕情』のヒットでどこへ行っても「ノリコ!」と呼ばれるのが嫌だったし、シャンピとも英語で話していたので一日8時間くらいフランス語の勉強をしたという。下層の人々からも学んでいて首相官邸に招かれた時にそのまま使って夫を赤面させたという。
- ↑ 『歩いて行く二人』では仕事をしすぎて不在が多かったことが原因だという。
- ↑ “オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). . 2016閲覧.
- ↑ 共演はダニエル・ダリュー、ジャン・マレー、ゲルト・フレーベ 。撮影監督はアンリ・アルカン。撮影は全て日本で行われ、ダリュー、マレー、フレーベ、アルカンらも来日。日本公開の翌1957年2月6日、パリで公開。同年2月13日、フランス全国33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスでも公開。製作費は当時の4億8千万円。
- ↑ 第14回カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞受賞
- ↑ 『歩いて行く二人』の中で一番好きだった役は『おとうと』のげんだったと語っている。
- ↑ スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜
- ↑ 共演はマリオ・アドルフ
- ↑ カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞、第38回米国アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品
- ↑ 共演はアラン・キュニー(Alain Cuny)
- ↑ 第76回米国アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品
- ↑ Du rififi à Tokyo
- ↑ 太陽が目にしみる
- ↑ 日仏合作ドラマ 真夜中の太陽 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ↑ “日本のテレビCM史の流れを変えた異才 - 今村昭物語(12)”. 電通報 (2016年11月13日). . 2016閲覧.
- ↑ 18.0 18.1 18.2 “岸恵子のCM出演情報”. ORICON STYLE. . 2016閲覧.
- ↑ 19.0 19.1 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。
外部リンク
- 公式プロフィール
- 岸惠子 - テレビドラマデータベース
- “『君の名は』から始まり国際派スターへ、大きく飛躍した大女優・岸惠子”. シネマズ. 松竹 (2016年10月16日). . 2016閲覧.
- “岸恵子 1932年生まれ。映画「君の名は」「早春」…:日本の大女優 写真特集”. 時事ドットコム. . 2016閲覧.