志々島

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志々島
座標 東経133度40分38秒北緯34.27139度 東経133.67722度34.27139; 133.67722
面積 0.74 km²
海岸線長 3.4 km
最高標高 109.14 m
最高峰 横尾の辻
所在海域 瀬戸内海
所属国・地域 日本の旗 日本香川県
地図
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志々島(ししじま)は、瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島

行政

香川県三豊市に属する。三豊市成立前は三豊郡詫間町に属していた。

地理

詫間港の北方およそ6kmの沖合に浮かぶ、周囲3.8km、面積0.74km2の有人島。島内最高峰は標高109mの横尾の辻。北に高見島、西にスクリューのような形をした粟島が位置する。

歴史

地名の由来はいくつかの説があり、神功皇后が当地で十束剣の神璽を祀った故事に因み、「神璽」がつまって「志々」に転じたとする説や、詫間荘の四至によるという説、鹿が多く生息していたことに因んだという説などが知られている。

開拓時期は定かではないが、両墓制の習慣が残されているなど、少なくとも中世以前までには集落が形成されていたと考えられる。 江戸期には丸亀藩下の三野郡詫間郷に属し、幕末期に藩主京極朗徹の手によって編纂された「西讃府志」によると、人口673人、畑17町8反余りとなっている。大麦や小麦の栽培が産業の中心であったという。 また、同時に漁業の島としても栄え、寛政11年には島内で採れたナマコ120を中国へ輸出した記録も残っている。

近代に入り、明治23年に香川県内で町村制が施行されると、隣の粟島と共に三豊郡粟島村に属する事となった。なお、同年には志々島尋常小学校が開校されている。 翌明治24年の人口は877人であり、その後も明治、大正期を通して人口1000人前後の農漁業の島として栄えるが、戦後高度経済成長期には産業構造の変化により過疎化が進んだ。 特に、昭和50年の小学校(詫間小学校志々島分校)閉校は離島の流れに拍車をかけ、三豊市成立後の平成21年3月現在では26世帯32人が暮らすのみとなっている。また「花の島」と呼ばれるほど、最盛期には100軒以上の農家が仏花として使われる小菊、ストック・マーガレット・キンセンカを育てる花卉業で有名な頃があったものの、全て廃業している。

交通

道路

島内に国道・県道はない。

水上交通

粟島汽船が須田港(四国本土)-粟島港-上新田漁港(粟島)-本村漁港(志々島)-宮の下港(四国本土)間で高速船を運航している。

観光名所

島の北部に樹齢1000年と言われる大楠があり、県天然記念物にも指定されている。

その他

参考文献

『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』2004年7月 財団法人日本離島センター ISBN 4931230229

外部リンク