ナイジェル・ステップニー

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ナイジェル・ステップニーNigel Stepney, 1958年11月14日 - 2014年5月2日)はイギリスイングランド出身でF1チームの元メカニック

経歴

1977年 F1チーム・シャドウで働きはじめエリオ・デ・アンジェリスと出会いその後、1980年にエリオ・デ・アンジェリスと共にロータスへ移籍し数年間エリオ・デ・アンジェリスのナンバー1メカニックとして働き、また、アイルトン・セナのメカニックとしても働いていた。

1988年 ロータスのチーム・マネジャーだったピーター・コリンズと共にベネトンに移籍した。

一時、フォーミュラ3000ネルソン・ピケが運営するチームで働き、1993年にはスクーデリア・フェラーリへ移籍する。その後、1996年にベネトン時代に共に仕事をしていたミハエル・シューマッハロリー・バーンロス・ブラウンがチームに加入してくると、チーフメカニックやレース・テストテクニカルマネージャーなどの役割りを与えられ、特に2000 - 2004年にミハエル・シューマッハがチャンピオン獲得のために働いた重要な一人となる。[1]2007年2月23日 ステップニーはレースには参加せず、ファクトリー内でのパフォーマンス開発者の長として昇進した。[2]

2007年6月 2007年モナコグランプリにてスクーデリア・フェラーリのレーシングカー2台への破壊工作を試みたとしてスクーデリア・フェラーリから告訴され同チームから懲戒処分を受けチームを去る。[3]

2008年 FIA GT選手権が契約している車載カメラ会社、ギガウェーブ社のレーステクノロジー担当部長を務める。[4]

2008年3月7日、スパイ疑惑事件で国際自動車連盟(FIA)から国際モータースポーツへの参加を2009年7月1日まで事実上[5][6]禁止されたが、2009年2月9日に解除された。

2010年からはJRMチームに加入。

2014年5月2日、ケントにおいて交通事故で亡くなる[7]。55歳没。

エピソード

  • 2000年のスペイングランプリでピットクルーをしていた時にピットストップをするミハエル・シューマッハに轢かれ足首の靭帯を損傷した。
  • 2007年2月1日にフェラーリチームの体制に不満があり、彼が新しい挑戦を求めてチームを去りたがっているとの情報が流れた。しかし、フェラーリ広報担当者(Luca Colajanni)がPitpassの情報に関して「彼(ステップニー)は2007年シーズンの終わりまでの契約があるのでフェラーリに残る」と言った。[8]
  • 自伝「レッドミスト」(Red Mist)が2008年に出版予定だったが、出版社のRed Mist Books社は出版を取り止めた。[9]出版、取り止めに対しステップニーは「圧力があった」と主張しているがRed Mist Books社、フェラーリ社共にそれを認めておらず詳細は定かではない。また、ステップニーは自伝を出版することを諦めていない。[10]


脚注

  1. Ferrari takes Nigel Stepney to court (ITV Sport 2007年6月22日記事)
  2. Stepney moves in Ferrari reshuffle(autosport.com 2007年2月23日記事)
  3. Stepney dismissed by Ferrari(autosport.com 2007年7月3日記事)
  4. Stepney signed by Gigawave company(autosport.com 2008年1月22日記事)
  5. FIAの判断は各チームが契約する人物に対して制限する拘束力が及ばない為、FIAから各チームへ警告文が通達された。
  6. FIA warns against working with Stepney(autosport.com 2008年3月8日記事)
  7. ナイジェル・ステップニー、交通事故で死去 F1-Gate.com 2014年5月3日
  8. Stepney remains under contract to Ferrari(pitpass 2007年2月1日記事)
  9. Publisher withdraws Stepney book(autosport.com 2007年10月1日記事)
  10. Stepney presses on with controversial book(Home of Sport 2007年10月9日記事)

外部リンク