トルネ谷
トルネ谷(トルネたに)はスウェーデンとフィンランドの国境付近にある谷。
ボスニア湾の中に流れるトルネ川にちなんで命名された。トルネ谷に接している都市には、ハパランダ、トルニオ、ユリトーニオ・オウミ、パジャラなどがある。これらの都市群をトルネダーレン(Tornedalen)と言う。
川の浸食作用によって谷は非常に大きくなっている。
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歴史
1809年以前はスウェーデンとフィンランドの両属地域だった。
フィンランドがロシア帝国に侵略されたときに、初めてスウェーデンとの国境が引かれて分断された。ロシア侵略後も20世紀までトルネ谷周辺の住民はフィンランド語を母語としている者が多かったが、その後学校教育の普及などの影響によりスウェーデン語が主流になった。
フランスによる一大測地測量事業
1736年から1737年にかけて、フランス科学アカデミーが地球の形状を測定するための測量事業を挙行した。測量遠征隊のうち一隊は赤道付近の測量を行うためペルー(現在のエクアドル)へ、もう一隊は北極圏付近の測量を行うためトルネ谷へ派遣された。
トルネ谷測量隊はピエール・ルイ・モーペルテュイが率いることとなり、スウェーデンの代表として、アンデルス・セルシウスが一隊に加わった。一隊は1736年6月19日にトルニオ入りし、翌年の6月10日にフランスへの帰路に発った。彼らは緯度1度に相当する子午線弧長をおおよそ111kmと求めた。測量した子午線弧の南端はトルニオ教会の教会塔、北端はキッティスヴァーラの丘であった[1]。子午線弧長の測定の結果、モーペルテュイ一行は地球形状について、アイザック・ニュートンが予想したとおり、極方向に扁平した扁球であることを証明することができた。
このときの旅程の様子を記したモーペルテュイと測量隊の一員であったレジノー・ウーティエの書物[2][3]には、18世紀当時のラップランドにおける自然・文化についての多くの記述があり、多くの旅行者をトルネ谷へといざなうものとなっている。
脚注
- ↑ 小惑星キッティスヴァーラはこのときの測量作業地の選定場所に因んでその名がつけられた。
- ↑ Maupertuis, P. L. (1738): La figure de la terre: déterminée par les observations de Messieurs de Maupertuis, Clairaut, Camus, Le Monnier, de l'Académie royale des Sciences, & de M. l'abbe Outhier, correspondant de la même académie, accompagnés de M. Celsius, professeur d'astronomie a Upsal, faites par ordre du Roy au cercle polaire, De l'Imprimerie Royale, Paris
- ↑ Outhier, R. (1744): Journal d'un voyage au Nord: en 1736 et 1737, De l'Imprimerie De Jean-Baptiste Coignard, Paris及び同書に掲載された挿絵[1](復刻版: Nabu Press (2010), ISBN 9781142718312)
関連項目