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ソビエト連邦

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ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、ロシア語: Союз Советских Социалистических Республик

1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制社会主義国家。首都はモスクワ[1]


概要

ソビエト連邦は、ロシア帝国を倒した1917年のロシア革命を起源とする。ロシア社会民主労働党の多数派で、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキは、臨時政府を転覆させ、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 (1936年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に改称) を設立した。この十月革命を皮切りに、革命派の赤軍と反革命派の白軍との間にロシア内戦が開始された。赤軍は複数の旧ロシア帝国領に侵攻し、名目上労働者および小作農の代表として振る舞ったソビエトを通じ、現地の共産主義者の権力掌握を支援した。1922年、共産主義者が勝利し、ロシア、ザカフカースウクライナ白ロシア各共和国を統合し、ソビエト連邦を形成した。

1924年のレーニン死去、トロイカ集団指導、短期間の権力闘争の後、1920年代中頃にヨシフ・スターリンが政権を握った。スターリンは自らに対する政治的敵対勢力を抑圧し、自らが創造したマルクス・レーニン主義を国家イデオロギーとし、計画経済を中心に始めた。結果として、同国は急速な工業化および集団農場化の期間を経験し、後の戦争努力および第二次世界大戦後の優勢性への基盤を築いた。[2]しかしながら、スターリンは政治的偏執病を確立し、大規模で恣意的な逮捕を導入し、当局は、軍事指導者、共産党員、一般市民のような大勢の人を矯正労働収容所へと移送又は死刑を科した。

第二次世界大戦初め、国家社会主義ドイツ労働者党アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国に対するイギリスおよびフランスのソビエト連邦との同盟拒否後、ソ連はドイツとの独ソ不可侵条約に署名した。同条約は両国間の対立を先延ばしにしたが、1941年にドイツ軍に侵攻され、歴史上最大の戦争となる独ソ戦が開始された。スターリングラードのような激戦での枢軸国に対する優勢確保のための犠牲において、ソ連の戦争死傷者数は同大戦の最大割合を占めた。最終的には、1945年にソ連軍は東ヨーロッパのドイツ軍を破り、ベルリンを占領した。

ソ連は中央および東ヨーロッパにおけるドイツ軍に制圧された領土を占領し、同領土は東側諸国衛星国になった。また1945年8月には日ソ中立条約を破り日本に対する攻撃を開始し、朝鮮半島北部や北方領土を占領し、終戦後に朝鮮半島北部に衛星国の北朝鮮を建国した。第二次世界大戦ではともに戦ったものの、アメリカ合衆国やイギリスなどの西側諸国とのイデオロギーおよび政治的な相違により、経済および軍事協定の形成に至り、最終的に長期の冷戦へと発展した。

1953年のスターリン死後、ニキータ・フルシチョフ政権の下、「非スターリン化」として知られる穏健な社会的および経済的自由化が生じた。その後、ソ連は20世紀の重要な技術的偉業を成し続け、史上初の人工衛星打上げおよび世界初の有人宇宙飛行を行い、宇宙開発競争をもたらした。1962年のキューバ危機は両超大国間で極度に緊張した期間であり、核戦争寸前だと考えられた。1970年代、緊張緩和が生じたが、1979年の新たな社会主義政府の要請により、ソ連がアフガニスタン軍事支援を始めた際に緊張は再度生じた。同軍事作戦は経済資源を消耗させ、有意義な政治的結果を成し遂げられずに長引いた。[3][4]

1980年後半、ソ連最後の指導者であるミハイル・ゴルバチョフは連邦の改革および北欧型社会民主主義の方向に向かうことを求め、[5][6]経済停滞期を終わらせるためおよび政府を民主化するためにグラスノスチおよびペレストロイカの政策を導入した。しかしながら、これにより強固なナショナリストおよび分離独立運動が生じるに至った。中央当局はバルト三国、アルメニア、グルジア、モルドバにより参加を拒否された国民投票を実施し、連邦を新連邦として維持することの賛成票が過半数を占める結果に終わった。1991年8月、ゴルバチョフに対し政策を覆させようとする強硬派によりクーデターが企てられた。同クーデターはロシア大統領のボリス・エリツィンがクーデター鎮圧に際立った役割を演じたことで失敗し、共産党の禁止に終わった。1991年12月25日、ゴルバチョフは辞任し、残る12の構成共和国が独立したポスト・ソビエト諸国としてソ連崩壊から現れた。[7]以前のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国であるロシア連邦は、ソビエト連邦の権利および義務を引き継ぎ、同国の継続する各種条約法律上の国家として認識されている。[8]

脚注

  1. Bridget O'Laughlin (1975) Marxist Approaches in Anthropology Annual Review of Anthropology Vol. 4:pp. 341–70 (October 1975) doi:10.1146/annurev.an.04.100175.002013.
    William Roseberry (1997) Marx and Anthropology Annual Review of Anthropology, Vol. 26:pp. 25–46 (October 1997) doi:10.1146/annurev.anthro.26.1.25
  2. Robert Service (9 September 2005). Stalin:a biography. Picador. ISBN 978-0-330-41913-0. 
  3. David Holloway (27 March 1996). Stalin and the Bomb. Yale University Press. ISBN 978-0-300-06664-7. 
  4. Turner 1987, p. 23
  5. Philip Whyman, Mark Baimbridge and Andrew Mullen (2012). The Political Economy of the European Social Model (Routledge Studies in the European Economy). Routledge. ISBN 0415476291 p. 108 "In short, Gorbachev aimed to lead the Soviet Union towards the Scandinavian social democratic model."
  6. Klein, Naomi (2008). The Shock Doctrine:The Rise of Disaster Capitalism. Picador. ISBN 0312427999 p. 276
  7. Iain McLean (1996). The Concise Oxford Dictionary of Politics. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-285288-5. 
  8. "Russia is now a party to any Treaties to which the former Soviet Union was a party, and enjoys the same rights and obligations as the former Soviet Union, except insofar as adjustments are necessarily required, e.g. to take account of the change in territorial extent. [...] The Russian federation continues the legal personality of the former Soviet Union and is thus not a successor State in the sense just mentioned. The other former Soviet Republics are successor States.", United Kingdom Materials on International Law 1993, BYIL 1993, pp. 579 (636).

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