「誤謬」の版間の差分
(わかりやすくした) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/19/ (日) 21:43時点における最新版
テンプレート:Misinformation 論理学における誤謬(ごびゅう、英: logical fallacy)は、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。つまり、間違っていること。論証において、誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある。
Contents
概説
アリストテレスのころから、非形式的誤謬はその間違いの根源がどこにあるかによっていくつかに分類されてきた。「関連性の誤謬」、「推論に関する誤謬」、「曖昧さによる誤謬」などがある。同様の誤謬の分類は議論学によってももたらされている[1]。議論学では、論証(論争)は合意を形成するための個人間の対話プロトコルとみなされる。このプロトコルには守るべきルールがあり、それを破ったときに誤謬が生まれる。以下に挙げる誤謬の多くは、このような意味で理解可能である。
個々の論証における誤謬を認識することは難しい。というのも、修辞技法的パターンによって表明間の論理的つながりが分かりにくくなっていることが多いためである。誤謬は、対話者の感情や知性や心理的弱さにつけこむ。論理的誤謬をよく知ることで、そのような状況に陥る可能性が減るのである。誤謬は相手に影響を与えたり信念を変えさせたりすることを目的としてコミュニケーションの技法として利用されることが多い(詭弁)。マスメディアに見られる例は、プロパガンダ、広告、政治、ニュース番組での意見表明などがあるが、それだけに限定されるものではない。
形式的誤謬
論理学において、「形式的誤謬」 (formal fallacy) あるいは「論理的誤謬」 (logical fallacy) とは、推論パターンが常にまたはほとんどの場合に間違っているものをいう。これは論証の構造そのものに瑕疵があるために、論証全体として妥当性がなくなることを意味する。一方、非形式的誤謬は形式的には妥当だが、前提が偽であるために全体として偽となるものをいう。
誤謬という用語は、問題が形式にあるか否かに拘らず、問題のある論証全般を意味することが多い。
演繹的主張に形式的誤謬があっても、その前提や結論が間違っているとは言えない。どちらも真であったとしても、結論と前提の論理的関係に問題があるため、論証全体としては誤謬とされる。演繹的でない主張であっても形式的誤謬が内在することはありうる。例えば、帰納的主張に確率や因果の原理を間違って適用することも形式的誤謬に数えられる。
形式的誤謬の例
- 連言錯誤
- 形式的には2つの事象AとBについて、不等式を[math]\Pr(A \and B) \leq \Pr(A)[/math] and [math]\Pr(A \and B) \leq \Pr(B)[/math]のように書くことができるような問題を誤答する。「第1セットを失う」よりも、「第1セットを失うが、試合に勝つ」の方が、より可能性が高いという評価を下す。
- 後件肯定
- 「もし P ならば Q である。Q である、従って P である」という形式の推論。「もし魚ならひれがある。この生物にはひれがある。従って魚である」という推論で、クジラなどの存在によって誤謬となる。
- 前件否定
- 「もし P ならば Q である。P でない、従って Q でない」という形式の推論。「もし人間ならば脊椎動物である。この生物は人間でない、従って脊椎動物でない」という推論である。
- 選言肯定
- 「A または B である。A である、従って B ではない」という形式の推論。「ゴッホは天才または狂人である。ゴッホは天才である、従ってゴッホは狂人ではない」という形式で、天才と狂人が同時に成り立ちうる可能性を無視している。
- 4個概念の誤謬
- 三段論法には通常3つの(論理形式に関わらない)語句が出現するが、4つめの語句を導入することで誤謬となる。例えば、「魚にはひれがある。人間は脊椎動物である。魚は脊椎動物である、従って人間にはひれがある」は明らかな誤謬。通常、二枚舌 (equivocation) との組合せで巧妙化する。
- 媒概念不周延の誤謬
- 三段論法において媒概念が周延的でない。「全ての Z は B である。Y は B である。従って、Y は Z である」の場合、媒概念 B が周延的でない。「すべての魚は脊椎動物である。人間は脊椎動物である。よって、人間は魚である」。
非形式的誤謬
非形式論理学において、「非形式的誤謬」 (informal fallacy) とは、論証における推論に何らかの間違いのある論証パターンを指す。形式的誤謬のように数理論理学的に論理式で表せる誤謬ではなく、自然言語による妥当に見える推論に非形式的誤謬は存在する。演繹における非形式的誤謬は妥当な形式でも言外の前提によって発生する。つまり、演繹における非形式的誤謬は一見して妥当に見え、その主張自体は健全に見えるが、隠された前提に間違いがある。
帰納的非形式的誤謬は全く違ったアプローチが必要であり、論証に含まれる推計統計学的な部分が問題となる。例えば、「早まった一般化」の誤謬は以下のように表される。
- s は P であり、かつ s は Q である。
- 従って、全ての P は Q である。
これにさらに前提を追加すると次のようになる。
- 任意の X と 任意の Φ について、X が P でありかつ X が Φ なら、全ての P は Φ である。
このようにするとこの主張は演繹的となり、これが誤謬なら、追加された前提は偽である。このような手法は帰納と演繹の違いを無くす傾向がある。推論の原則(演繹的か帰納的か)と論証の前提を区別することは重要である。
非形式的誤謬の例
- 早まった一般化
- 十分な論拠がない状態で演繹的な一般化を行うこと。「1, 2, 3, 4, 5, 6はいずれも120の約数だ。よってすべての整数は120の約数である」。
- 誤った二分法
- 選択肢をいくつか提示し、それ以外に選択肢がないという前提で議論を進めること。例えば、多重債務者の「このまま借金取りに悩まされる人生を送るか、自殺するか、二つに一つだ」という思考。すなわち、自己破産という選択肢を除外している。
- 間違った類推
- 重大な相違を無視して事象の類似性に基づいて論証(類推)すること。「酒とコーヒーは似たような嗜好品だ。飲酒は法律で規制されている。よってコーヒーを飲むのは法律で規制されているはずだ」。
- 例外の撲滅(en)
- 例外を無視した一般化を元に論旨を展開すること。「ナイフで人に傷をつけるのは犯罪だ。外科医はナイフで人に傷をつける。従って、外科医は犯罪者だ」。
- 偏りのある標本
- 母集団から見て偏った例(標本)だけから結論を導くこと。「(日本在住の人が)周囲には黄色人種しかいない。よって世界には黄色人種しかいない」。
- 相関関係と因果関係の混同 (擬似相関)
- 相関関係があるものを短絡的に因果関係があるものとして扱う。「撲滅された病気の数とテレビの普及には相関関係がある。よってテレビが普及すれば病気が撲滅される」
- 両者は時間の経過により独立に進んだだけだが、数値上は両者に相関ができてしまうので、因果関係があるかのような勘違いをしてしまった。
- 前後即因果の誤謬 (羅:post hoc ergo propter hoc)
- A が起きてから B が起きたという事実を捉えて、A が B の原因であると早合点すること。呪術と病気の治癒は因果関係ではなく前後関係である。
- 滑り坂論法(en)
- 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な論法で、何らかの事物の危険性を主張すること。ドミノ理論。必ずしも誤謬とは限らない。「風が吹けば桶屋が儲かる」は誤謬といってもよいが、「第一次世界大戦でロシア軍が連戦連敗だとコーカサスバイソンが絶滅する」は現実に起こった事態である。
- 因果関係の逆転
- 因果関係を逆転させて主張する。例えば「車椅子は危険である。なぜなら、車椅子に乗っている人は事故に遭ったことがあるから」。「バスケットボールの選手は身長が高い。よってバスケットボールをすると背が伸びる」(バスケットボールをしたから背が伸びたとは限らない。もともと背の高い人を選手として採用している可能性もある)。
- テキサスの狙撃兵の誤謬
- 本来相関のないものを相関があるとして扱う。クラスター錯覚ともいう。
- その名前は、上官が狙撃兵に腕前を問うたところ、遠くにある壁の標的の真中に命中しているのを指し示したため腕前に感心したが、実は壁の銃痕にあとから標的を描いただけだった、というテキサスのジョークに由来する。
- 論点先取
- 結論を前提の一部として明示的または暗黙のうちに使った論証。形式的には間違っていないが、結論が前提の一部となっているため、全体として真であるとは言えない。「彼は正直者なんだから、ウソを言うわけないじゃないか」。
- 曖昧語法 (amphibology)
- 文法的に曖昧な文形で主張をすること。「十代の若者に自動車を運転させるべきではない。それを許すのは非常に危険だ」という文章では、若者が危険な目にあうと言っているのか、若者が他者を危険にさらすと言っているのか曖昧である。
- 多義語の誤謬 (equivocation)
- 複数の意味をもつ語を使って三段論法を組み立てること。例えば、「車(自動車)の運転には免許が必要だ。自転車は車(車両)である。したがって自転車の運転には免許が必要だ」。(媒概念曖昧の虚偽も参照)
- 連言錯誤
- ある前提について A という推論と A & B という推論を提示したとき、A だけの方が可能性が高いにも拘らず A & B の方を尤もらしいと感じてしまうこと。「K氏が関西弁をしゃべるとき、彼が大阪出身である確率と、大阪出身で阪神ファンである確率はどちらが高いか」[2]。
- 連続性の虚偽
- 術語の曖昧性により常識的な認識とのズレが生じる誤謬。「砂山のパラドックス」、「テセウスの船」とも。「砂山から砂粒を一つ取り出しても、砂山のままである。さらにもう一粒取り出しても砂山である。したがって砂山からいくら砂粒を取り出しても砂山は砂山である」。
- 多重質問の誤謬
- 質問の前提に証明されていない事柄が含まれており、「はい」と答えても「いいえ」と答えてもその前提を認めたことになるという質問形式。「君はまだ天動説を信じてるのかね?」という質問は、「はい」でも「いいえ」でも「過去に天動説を信じていた」という暗黙の前提を認めたことになる。
関連文献
- Aristotle, "On Sophistical Refutations", De Sophistici Elenchi.
- William of Ockham, Summa of Logic (ca. 1323) Part III.4.
- John Buridan, Summulae de dialectica Book VII.
- Francis Bacon, "the doctrine of the idols" in Novum Organum Scientiarum, Aphorisms concerning The Interpretation of Nature and the Kingdom of Man, XXIIIff.
- The Art of Controversy | Die Kunst, Recht zu behalten - The Art Of Controversy (bilingual), by Arthur Schopenhauer (also known as "Schopenhauers 38 stratagems")
- John Stuart Mill, A System of Logic - Raciocinative and Inductive. Book 5, Chapter 7, Fallacies of Confusion.
- C. L. Hamblin, Fallacies. Methuen London, 1970年.
- Fearnside, W. Ward and William B. Holther, Fallacy: The Counterfeit of Argument, 1959.
- Vincent F. Hendricks, Thought 2 Talk: A Crash Course in Reflection and Expression, New York: Automatic Press / VIP, 2005, ISBN 87-991013-7-8
- D. H. Fischer, Historians' Fallacies: Toward a Logic of Historical Thought, Harper Torchbooks, 1970.
- Douglas N. Walton, Informal logic: A handbook for critical argumentation. Cambridge University Press, 1989年.
- F. H. van Eemeren and R. Grootendorst, Argumentation, Communication and Fallacies: A Pragma-Dialectical Perspective, Lawrence Erlbaum and Associates, 1992年.
- Warburton Nigel, Thinking from A to Z, Routledge 1998年.
- T. Edward Damer. Attacking Faulty Reasoning, 5th Edition, Wadsworth, 2005. ISBN 0-534-60516-8
- Carl Sagan, "The Demon-Haunted World: Science As a Candle in the Dark". Ballantine Books, March 1997 ISBN 0-345-40946-9, 480 pgs. 1996 hardback edition: Random House, ISBN 0-394-53512-X, xv+457 pages plus addenda insert (some printings). Ch.12.
- 論理的観点からみた誤謬の事例 外薗幸一(鹿児島経大論集 第40巻第1号(1999年4月)[2]
- 「論理学に関する無理解のサンプルについて68の指摘」三浦俊彦(2006-8-20)[3][4]
脚注
注釈
出典
関連項目
- デマゴーグ
- パラドックス
- 詭弁
- 推論
- 人身攻撃 (羅:ad hominem)
- 衆人に訴える論証 (argumentum ad populum)
- 事例証拠 (anecdotal evidence)
- 陽否陰述 (apophasis)
- 認知バイアス(cognitive bias)
- 批判的思考 (critical thinking)
- 非形式論理学 (informal logic)
- 探究 (logical argument)
- 健全性 (soundness)
- 擬似相関 (spurious correlation)
- 妥当性 (validity)
- 伝統に訴える論証 (appeal to tradition)
- 錯誤
- 誤用
- 合成の誤謬
- 分割の誤謬
- カチッサー効果
- 認知の歪み
- マーヤー