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| 画像説明 = 0系R67編成([[2008年]] [[福山駅]]にて)
 
 
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| 製造所  = [[日本車輌製造]]、[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輛/川崎重工業]]、[[汽車製造]]、[[近畿車輛]]、[[日立製作所]]、[[東急車輛製造]]
 
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| 備考全幅 = {{ブルーリボン賞 (鉄道)|8|1965}}
 
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'''新幹線0系電車'''(しんかんせん0けいでんしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1964年]]([[昭和]]39年)の[[東海道新幹線]]開業用に[[開発]]した、初代の[[営業]]用[[新幹線車両|新幹線]][[電車]]である。同時に、「'''世界初の[[高速鉄道]]車両'''」でもある。
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'''新幹線0系電車'''(しんかんせん0けいでんしゃ)
  
1964年(昭和39年)から[[1986年]](昭和61年)まで38次にわたり、改良を重ねつつ総計3,216両が製造された。[[世界初の一覧#鉄道|世界ではじめて]]200 [[キロメートル毎時|km/h]] を超える[[営業]][[運転]]を達成し、[[航空機]]に範をとった丸みを帯びた先頭形状と、青と白に塗り分けられた[[流線形]]の外観で、初期の新幹線のイメージを確立した。[[1965年]](昭和40年)、第8回[[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞。
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[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1964年]]([[昭和]]39年)の[[東海道新幹線]]開業用に[[開発]]した、初代の[[営業]][[新幹線車両|新幹線]][[電車]]
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1964年(昭和39年)から[[1986年]](昭和61年)まで38次にわたり、改良を重ねつつ総計3,216両が製造された。世界ではじめて200 [[キロメートル毎時|km/h]] を超える[[営業]][[運転]]を達成し、[[航空機]]に範をとった丸みを帯びた先頭形状と、青と白に塗り分けられた[[流線形]]の外観で、初期の新幹線のイメージを確立した。[[1965年]](昭和40年)、第8回[[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を受賞。
  
 
1964年の開業から、[[東海道・山陽新幹線]]用として足かけ44年にわたって運用されたが、[[2008年]]([[平成]]20年)[[11月30日]]に[[定期列車|定期]]営業運転を終了、翌月2008年[[12月14日]]の[[さよなら運転]]をもって営業運転を終えた(2009年まで新下関乗務員訓練センターで訓練用車両として利用されていた)。
 
1964年の開業から、[[東海道・山陽新幹線]]用として足かけ44年にわたって運用されたが、[[2008年]]([[平成]]20年)[[11月30日]]に[[定期列車|定期]]営業運転を終了、翌月2008年[[12月14日]]の[[さよなら運転]]をもって営業運転を終えた(2009年まで新下関乗務員訓練センターで訓練用車両として利用されていた)。
{{See also|実設訓練センター#新下関乗務員訓練センター}}
 
 
<div class="toclimit-3">__TOC__</div>
 
 
== 概要 ==
 
史上初<ref>[[曽根悟]]『新幹線50年の技術史 (ブルーバックス)』[[講談社]]、2014年4月18日</ref>の[[高速鉄道]]専用車両として1964年(昭和39年)から[[1986年]](昭和61年)までの23年間・38次にわたり、[[東海道・山陽新幹線]]用の初代車両として改良を重ねつつ、合計3,216両が製造された。先頭車は224両ずつ製造。初期製造車を0系新造車で置き換えたため、在籍両数は[[1976年]](昭和51年)の2,338両(うち2両は保留車)が最多である。[[JR]]発足時には[[東海旅客鉄道|JR東海]]に1,339両{H[[編成 (鉄道)|編成]](N編成2本、NH編成19本、H編成32本)の合計53本、S編成(SK編成26本、S編成12本)の合計38本、[[休車|保留車]]35両}、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]に715両{H編成(N編成1本、NH編成16本、H編成15本)の合計32本、SK編成5本、R編成21本、保留車17両}が承継された。
 
{{Sound|JR west 0 hikari No.169 26-915 odawara.ogg|JR西日本編成の走行音|6169A ひかり169号 東京-小田原付近 4号車 26-915にて (1987年8月20日収録)}}
 
[[File:Shinkansen type 0 Hikari 19890506a.jpg|thumb|200px|東海道新幹線時代の0系]]
 
 
[[航空機]](特に[[旅客機]])に範をとった丸みのある先頭形状と、青・白塗り分けのスマートかつ愛嬌のある外観を備える。初期の新幹線のイメージを確立した車両であり、[[戦後]]日本の[[高度経済成長|高度成長時代]]を象徴する存在として、人々から長く親しまれた。[[1980年]](昭和55年)頃までの書籍などでは「旅客機を思わせる先頭部」、「まるで[[地面]]を走る航空機」と形容されることが多かったが、晩年は後に登場した新型新幹線車両と比べ「[[団子]][[鼻]]」と称されるようになった。
 
 
名称として「0系」と表現されることが増えたのは[[東北新幹線|東北]]・[[上越新幹線]]用の[[新幹線200系電車|200系]]が落成した[[1980年]](昭和55年)頃からのこと<ref>長瀬聡『新幹線全車種コンプリートビジュアルガイド』[[グラフィック社]]</ref>で、[[1970年代]]以前は単に「'''新幹線電車'''」(しんかんせんでんしゃ)と表現されることが多かった。文献によっては「000系」と表現されることもある<ref>一例として雑誌『鉄道ファン』(交友社)1981年10月号72ページ他。呼称は「新幹線000系」とされている</ref>が、1970年代以前にも鉄道関係の書籍や雑誌で「0系」と記した例は存在する<ref>一例として雑誌『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』([[交友社]])1977年12月号8ページ。</ref>。
 
 
=== 略歴 ===
 
[[1965年]](昭和40年)には、[[鉄道友の会]]の[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]史上最大の得票率となる70.3 [[パーセント|%]]<ref>{{Harvnb|鉄道友の会編|1988|p=72}}</ref>で、第8回ブルーリボン賞を受賞した<ref>前述のように当時は「0系」の呼称が使われていなかったため、「東海道新幹線用旅客電車」という名称で表彰状が授与された。 - 『鉄道ファン』(交友社)1966年1月号67ページ</ref>。
 
 
東海道新幹線開業時は12両[[編成 (鉄道)|編成]]だったが、[[1970年]]に[[日本万国博覧会]](大阪万博)が開催された際、[[輸送力]]増強のため16両編成化された。
 
 
[[1975年3月10日国鉄ダイヤ改正|1975年(昭和50年)の山陽新幹線博多開業]]を控えた[[1974年]](昭和49年)からは、[[食堂車]]が組み込まれた。
 
 
[[1985年]](昭和60年)には、[[山陽新幹線]]開業時に増備された0系を置き換えるため、後継車両として[[新幹線100系電車|100系]]が[[開発]]されたが、0系の増備は[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[国鉄分割民営化|民営化]]する間際の[[1986年]](昭和61年)4月まで続けられた。
 
 
[[1986年]](昭和61年)に最高速度を開業当初からの210 km/h <ref>運転上の最高速度は当初200 km/hで、210 km/h でATCが作動。</ref>から220 km/h に引き上げ、[[自動列車停止装置|ATC]]作動速度も210 km/h から225 km/h へと変更された。
 
 
[[1992年]](平成4年)加速度を1.0km/h/sから1.2km/h/sに変更、これは100系やこの年に登場した300系が加速度が1.6km/h/sであり、このままではダイヤに影響を及ぼすためである。
 
 
[[1999年]](平成11年)[[9月18日]]の「[[こだま (列車)|こだま]]」473号(YK8編成)で東海道区間における最後の定期[[運用 (鉄道)|運用]]を終え、0系は東海道新幹線から完全に撤退した。ただし、[[新大阪駅|新大阪]]と「[[大阪第二車両所|鳥飼基地]]」間の[[回送]]列車のみ[[2008年]](平成20年)まで走行していた。
 
 
[[2001年]](平成13年)には[[イギリス]]・[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]]の[[イギリス国立鉄道博物館|国立鉄道博物館]]に先頭車1両(22-141)が[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)によって寄贈されている。これ以外には、[[建築限界]]測定車として改造を受けた先頭車両(21-5035)が[[中華民国]]([[台湾]])へ渡った。
 
 
[[2007年]](平成19年)8月には[[YS-11]]などとともに[[機械遺産]]として認定される。
 
 
[[2008年]](平成20年)[[11月30日]]に[[岡山駅|岡山]]14時51分発、[[博多駅|博多]]18時21分着の「こだま」659号(R68編成)をもって、0系の定期運用を終了。同年12月6日・13日・14日に[[新大阪駅|新大阪]] - [[博多駅|博多]]間にて「[[ひかり (列車)|ひかり]]号」として「0系さよなら運転」が行われ、[[12月14日]]に新大阪14時56分発、博多18時1分着の臨時「ひかり」347号(R61編成)をもって営業運転を終了した。その後は全車が廃車され、車種としては廃止された。
 
 
=== 長期増備の原因 ===
 
東海道新幹線の建設から開業までは時間的にかなり限られていて、車両開発に十分な時間を割けなかったため、モデル車両「[[新幹線1000形電車|1000形]]」をベースにした車両(現在の0系)を開発し、そこから得られた改良箇所を後継車両(0系増備車)に反映させる計画だった。この車両は[[全国新幹線網]]成立の時点で[[商用電源周波数|周波数]]50 Hz/60 Hz 両用車両にする構想だった。この一環として[[新幹線951形電車|951形]]・[[新幹線961形電車|961形]]といった試験車両が製作された。また後継車両のために100代形式を[[欠番]]扱いとし、[[東北新幹線|東北]]・[[上越新幹線]]用営業車両には[[新幹線200系電車|200系]]の[[形式称号]]が与えられた。しかし、実際には計画どおりにはならなかった。
 
 
新幹線車両は当初の[[耐用年数]]を20年と想定していたが、連日の長距離高速(高[[負荷]])運転による酷使の結果、車体と機器、両面の[[劣化]]が[[予想]]より早く進行したため(特に車内の[[気密性]]の低下が問題となった)<ref>車両にもよるが、結果的には概ね15年程度の耐用年数であった。</ref>、初期製造車は12年目の[[日本の鉄道車両検査|法定検査]]切れの車両より[[廃車 (鉄道)|廃車]]が始まった。以上のような理由から、1976年(昭和51年)9月より1、2次車の淘汰が開始されたが、当時の国鉄の[[財務]]状況の悪化や、[[労働争議|労働紛争]]の影響で、国鉄内部では車両を含めた[[イノベーション|技術革新]]が停滞していた。その一方、0系の基本[[性能]]は必要な水準を満たしており<ref>事故無くダイヤどおりに余裕を持って運転できるという意味の性能。簡易な転換式クロスシート、スポットクーラーのような冷房時の室内温度の不均一、[[トンネル]]突入時やトンネル内での対向列車とのすれ違いによる耳ツンと、肘掛けと壁の間に腕を挟まれる程の車体の変形、[[発電ブレーキ]]と[[電磁直通ブレーキ|空気ブレーキ]]の切替時の衝動など、居住性や快適性といった部分の性能では粗さや陳腐化が目立ち初めていた。</ref>、かつ、それが安定していたことからも、当時の[[国鉄動力車労働組合|動労]]をはじめとする[[労働組合]]は新形車両の導入に否定的であった。さらには0系の増備を過剰に推し進めた結果、ひとつの[[編成 (鉄道)|編成]]中で車両の経年が不揃いとなっていったことも合わせ、既存の車両と混成・編成替えを行う都合などから、[[互換性]]を配慮する必要も生じた。
 
 
このため0系を新しく製造して古い0系を置き換える状態が続き、約22年間・38次にわたって、細部の改良を重ねながら0系が発注・製造され続けることになった。なお、JR東海会長[[葛西敬之]]「国鉄改革の真実」によると、編成価格は約30億円である<ref>16両編成。100系は約31億円、300系及び700系は約40億円、N700系は約46億円とそれぞれ紹介されているが、何年時点の価格であるかは不明。</ref>。
 
 
== 構造 ==
 
日本初の超高速鉄道車両であるが、設計にあたっては以下の2つのコンセプトを基にして開発された{{Sfn|高橋団吉|2000|pp=217,218}}。
 
* 未経験の新技術は使わず、それまでに日本の鉄道が蓄積した実証済みの技術(プルーブン・テクニック)を組み合わせる
 
* 将来に改良の余地を残す
 
大方の基本設計は変わらなかったものの、製造期間が約23年・38次の長期にわたったことから、マイナーチェンジは何度も行われていた。
 
 
=== 車体 ===
 
[[File:Shinkansen Type-0 Sideview.jpg|thumb|200px|前頭部。乗務員室の直上にあるのが「静電アンテナ」]]
 
[[File:0 series emergency connector.jpg|thumb|200px|前頭部先端に装備されている非常用の連結器]]
 
[[File:Sinkansen_0_02.jpg|thumb|200px|初期に使用された行先標]]
 
[[File:Slimline.jpg|thumb|200px|座席指定表示器(スリムライン)]]
 
車体長24.5 m、車体幅3,380 mm と非常に大型の流線型準[[モノコック|張殻構造]]車体<ref>張殻構造の採用については{{Harvnb|赤星国夫|1964|pp=1724-1727}}などで明言されている。</ref>である。[[在来線]]車両より5 m 長く、50 cm 以上([[国鉄181系電車|151系]]に対しても約43 cm)広い。また、高速安定走行実現のため、[[車輪]]径が大きく[[鉄道車両の台車|台車]]の背が高くなったこと{{Sfn|島隆|1964|pp=1748-1757}}や床下に[[艤装]]される[[電装]]品の制約<ref name="Tani">{{Harvnb|谷雅夫|1964|pp=1728-1734}}</ref>もあって客室[[床]]面高さも1,300 mm と高い。
 
 
このように従来にない破格の大型車体であるが、1 mm から6 mm の範囲で部材の板厚を細かく変更し、必要に応じ高[[耐候性鋼|耐候性]][[圧延]][[鋼]]材(SPA-C)・熱間圧延軟鋼板(SPHC)・[[一般構造用圧延鋼材]](SS)と鋼材の種類を使い分けることで、設計当時の技術で実現可能な[[炭素鋼|普通鋼]]製車体としては限界の軽量化に近い、公称[[構体 (鉄道車両)|構体]]重量10.5 [[トン|t]] を実現した<ref name="Tani" />{{Sfn|松田和夫|1982|pp=716-721}}。そのため、車体側面の側鋼体は平行柱構造となっている。また、屋根上は2重構造とし、屋根上の歩行を可能としており、[[空調装置]]を搭載してその空気を取り入れるほか、主電動機を冷却するための空気も取り入れる構造としている。
 
 
もっとも初の超高速電車として機器構成の[[冗長性]]を高めて信頼性を確保する設計であり、搭載機器が重装備であったため、各車の公称自重は52.5 t(25形)から57.6 t(21形)に達した。
 
 
その[[インダストリアルデザイン|デザイン]]は、[[空力]]特性を考慮して形状を決定された。設計者の[[三木忠直]]の下で[[風洞]]実験に当たった[[鉄道技術研究所]]の技術者田中眞一によれば、[[レーシングカー]]や航空機などの設計を検討したうえで、[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]][[ダグラス DC-8|DC-8]]の機首を修正して前頭形状を設計したという<ref>{{Cite journal | 和書 | author = 田中眞一 | title = 新幹線車両の流線型 その生い立ち | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | volume = 426 | year = 1984 | month = 1 | pages = pp.29 - 31 | publisher = 電気車研究会}}</ref>。
 
 
前頭部先端には丸いカバーを装着している。この中には非常用の[[連結器]]が納められており、使用の際にはボルトで固定された丸いカバーを外して、収納された連結器をロープと滑車を用いて降ろす仕組みとなっている。開発当初、この丸いカバーは半透明の[[アクリル樹脂]]製で、前部標識灯([[前照灯|前灯]])の漏れ光を[[光源]]にして光る構造となっており「光前頭」と呼ばれた<ref>この光前頭は、当時の[[鉄道模型]]や[[玩具]]でも、目立つ[[ギミック]]として再現されていた。</ref>。後に走行中の[[バードストライク|鳥との衝突]]で破損することから、丈夫な[[繊維強化プラスチック|FRP]]製のものに変更され、不透明となったことで「光前頭」は廃止された。前灯と[[尾灯]]は同一のランプを兼用しており、尾灯として使用する場合は赤いスクリーン(赤[[光学フィルター|フィルター]])を通して点灯させる仕組みとされ、前期車はバタフライ(二つ折り)式スクリーン、後期車は半円形(回転式)スクリーンである<ref>前灯に赤フィルターをかけるアイディアは、1958年(昭和33年)の[[国鉄181系電車|20系電車]]でも採用されたが、この時は左右交互に点滅させて非常灯とするためであった。これは手作業で着脱するものであったが、1961年(昭和36年)登場の[[名鉄7000系電車]]([[パノラマカー]])では、4灯中下部2灯の前照灯を尾灯と非常灯に兼用する設計となり、折り返し頻度の高さを考慮し、赤フィルターを半円筒状とした電動回転式となった。</ref>。前照灯を減光せずに用いるため一般的な尾灯に比べて非常に[[輝度]]が高く、[[雨|雨天]]時に列車がトンネルに入った際など、トンネル坑口から赤い光の帯が延々と伸びる様子が見られた。
 
 
先頭車の運転台は、レール面上から運転士の目の高さが約3.5mとなるように高い位置に設置されており、高速運転での運転士の視界を確保している<ref>高速走行ではできるだけ高い位置に設置するのが望ましいためである。</ref>。前面ガラスは2枚貼り合せの防弾ガラスを使用しており、鳥類などの衝突にも充分に耐える構造としている。運転装置は2ハンドルであり、自動列車制御装置(ATC)での運転を前提としているため、横軸・前後回転式のマスコンハンドル(マスターコントローラー)を右側に、縦軸・水平回転式のブレーキハンドルを左側に配置している。これは、走行中に扱う頻度の多いマスコンハンドルを右手操作とし、駅停車以外ではあまり扱わないブレーキハンドルを左手操作としているためである<ref>この運転装置の配置は、その後の新幹線車両にも受け継がれている。</ref>。速度計は運転台正面と運転台右奥に2つ配置されており、前者はATC速度信号を表示する機能が付いた針が横に動く大型のアナログ指針式の主速度計と呼ばれており、後者は主速度計が故障した際にも運転を可能とするためのバックアップであり補助速度計と呼ばれている<ref>この速度計配置は[[新幹線200系電車|200系]]にも受け継がれているが、200系では補助速度計を格納式としており、常時使用しない場合には、前方視野を妨げないように格納されており、必要な場合には、レバーを扱ってバネの力により上昇させる仕組みとなっている。</ref>。また、運転台中央には、故障や動作表示の表示灯が配置されており、その左側には電圧計と圧力計<ref>主速度計の左側に2つ縦列に配置されている。</ref>が、その右側に常時に使用するスイッチ類が配置されている。2人乗務ができるように運転士側と助士席側に2つの腰掛が設置されているが、運転操作は1人で行えるようになっている。
 
 
先頭車の前頭部内には列車無線や電話装置などの機器が収納されており、機器を保護するため空調装置が装備されている。また、そこに点検の際に出入りできるように、運転室の運転台中央下部にくぐり戸が設けられている。
 
 
先頭車床下には、障害物を跳ね除けることのできる[[排障器]]を設けている。[[鋼板]]を多重にしたこの「スカート」部分は、少々の[[岩]]なら軽く跳ね除ける。高速運転時の脱線を警戒したものである。そして本来は[[揚力]]による浮き上がり[[列車脱線事故|脱線]][[転覆]]を防ぐ意味があり、スカート両脇のフィンも、[[ダウンフォース|風の力で車体を押し下げる作用]]を持つ。これも三木忠直の[[航空力学]]を応用したものである。
 
 
先頭車屋上には、今や新幹線のトレードマークともなった、[[架線]]に[[電気]]が流れているかどうかを検知する逆L字型で薄い板状の「静電アンテナ」が装備されている。新幹線開業前の[[プロトタイプ|試作車]][[新幹線1000形電車|1000形]]のものとは大きく異なっている。設置位置の変化はあるものの、この0系で採用された静電アンテナの形状は、[[新幹線N700系電車|N700系]]に至るまでほとんど変わっていない<ref>形状は異なるが、[[在来線]]の[[交直流電車|交直流]]、[[交流電車]]にも同様の装備がある。</ref>。
 
 
先頭車内部には[[警笛]]装置が在来車同様に備わっているが、それまでの国鉄車両とは異なり、高低2種類の[[ラッパ|ホーン]](形式はAW8とAW9)を組み合わせた。これは、やわらかく明るい音色を出すために<ref>「新幹線旅客電車説明書」発行 日本国有鉄道 臨時車両設計事務所(新幹線)1964年2月 p.428</ref>[[和音]]で表現しようとしたもので、この警笛は後の新幹線車両にも引き継がれている。
 
 
車両の連結部には、[[連結器#車端ダンパ|車端ダンパ]]が装備されており、車両[[妻]]面上部に[[ショックアブソーバー|オイルダンパ]]を設置して、それを[[アーム]]と[[リンク機構|リンク]]を介してお互いを連結することにより、車体に発生する[[ローリング|ロール方向の動揺]]を低減させる。また、[[ヨーイング|ヨー方向の動揺]]にもある程度の効果を示す機能を持っている。
 
 
最初期の車両は[[列車種別]]・[[列車愛称|列車名]]・号数・[[終着駅|行先]]が書かれた[[行先標|行先サボ]]と、「座席指定」(青地白文字)および自由席(「座席指定」の裏面に表記。白地青文字)を表示する座席表示サボが取り付けられていたが、高速走行中の脱落の可能性や列車本数の増加による煩雑さ、さらには[[窃盗|盗難]]が相次いだこともあり、まず1965年および1966年頃に座席表示サボ枠の使用を中止<ref>よって、0系の座席表示サボに「自由席」と表示された写真はほぼ残されていない。</ref>し、その後1967年および1968年頃に行先サボも使用を取り止めた。このため行先サボ枠については中間車は3次車より、先頭車は11次車より省略され、座席表示サボ枠についても6次車より省略された。
 
 
上記のサボ使用廃止後は、しばらくは車両側に行先表示がされることはなかった<ref>ただし日本万国博覧会開催時は「ひかり」のステッカー表記がなされた</ref>が、東京 - 新大阪間のみだった当時は運行系統自体は単純であり、[[終着駅]]の表示だけで事足りたが、岡山開業以降は複雑化したため、以後の新造車は現行の[[方向幕|電動式方向幕]]が取り付けられた。電動幕に関しては、既存の車両に対し、当初は取付工事([[改造]])が行われた車両も存在したものの、新製車で旧来車を淘汰する方針となり、[[1976年]](昭和51年)以降は取り付けられることはなかった。また[[座席指定席|指定]]・[[自由席]]表示も当初の札式から、省略の時期を経て、スリムライン、電動幕と変化している。
 
; 塗装
 
オリジナルの塗装は、車体が[[クリーム10号|アイボリーホワイト]]、窓周りが[[青20号|ブルー]]の塗り分けだった。この青色塗装は、新幹線ブルーともいわれる。配色は、航空機(旅客機)をライバルとして意識し、青空と白い雲のイメージから採用されたものである{{要出典|date=2014年1月}}。配色の由来は[[太平洋]]の青、航空機や[[青空]]など諸説あるが、JR東海の運営する[[リニア・鉄道館]]が保管していた旧国鉄の内部資料「東海道新幹線電車技術発達史」に記載のあることが判明し、それによれば、[[1962年]](昭和37年)、国鉄や車両メーカーの担当者、外部の[[画家]]や[[グラフィックデザイナー]]らが参加した会合で配色が決定した際、卓上にあった[[ハイライト (たばこ)|煙草のハイライト]]の[[パッケージ]]が議論の中で重要な役割を果たした<ref>{{Cite news |title=新幹線 ハイライトの色 JR東海の旧国鉄資料で判明 |newspaper=[[東京新聞]] |date=2014-01-06 |author=栗田晃 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014010602000196.html |accessdate=2014-01-06 |publisher=中日新聞東京本社 |page=7}}</ref>。[[星晃]]へのインタビューによれば、塗色は[[パンアメリカン航空]]の旅客機の塗装と煙草のハイライトのパッケージを意識したものである<ref>『[[鉄道ジャーナル]]』通巻217号(1985年3月号)「特集:鉄道車両 色彩の美学」pp.36 - 37</ref>。当初は部外委託委員会の検討結果から「[[アクリル樹脂]][[エナメル]]塗装自然乾燥」で行われたが<ref>「新幹線旅客電車説明書」発行 日本国有鉄道 臨時車両設計事務所(新幹線)1964年2月 p.36</ref>その後変更された。なお21-2は[[静態保存|保存]]の際にこれに近い材料を用いて[[復元]]されている。[[1988年]](昭和63年)に登場した「[[ウエストひかり]]」用車両は[[新幹線100系電車|100系]]と似た窓下に子持ちラインを追加した塗装パターンを採用した。当初地色は他の0系同様のアイボリーであったが、その後[[1995年]]([[平成]]7年)に100系の地色と同じ[[白3号|パールホワイト]]となり、それ以外の車両も順次変更されている。
 
 
その後の塗装の変遷については「[[#R・WR編成|R・WR編成]]」および「[[#廃止および廃車に至った経過|廃止および廃車に至った経過]]」の節で詳述する。
 
 
=== 主要機器 ===<!--「走行機器」とするのは空調や照明にも給電する補助電源系の記述を考慮すると不適切ではないでしょうか-->
 
[[最高速度]]200 km/h 以上で走行するため、在来[[技術]]を最大限に活用しながらも、強化したものとなっている。本系列の全電動車方式(全車を[[動力車]]とする方式。[[MT比|オールM]]とも。)は、走行中に1ユニット(2両)が故障しても25 [[パーミル|‰]] の連続[[勾配]]で160 km/h の走行を可能にするために採用され、以後新幹線の基本的な[[ポリシー]]として踏襲されている。
 
 
==== 駆動方式・主電動機 ====
 
[[File:TEC-0 main notor.JPG|thumb|200px|0系で使用されていたMT200形直流直巻電動機のカットモデル(2014年7月27日)]]
 
駆動方式はWN継手を介して電動機の出力軸と駆動歯車を接続する[[WN駆動方式]]を採用。[[主電動機]]は MT200 形と称する[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]]で、連続[[定格]][[出力]]185 [[ワット|kW]]/415 [[ボルト (単位)|V]]・490 [[アンペア|A]]・2,200 [[rpm (単位)|rpm]] <ref name="Sato Kubo 1770">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1770}} </ref>であり、原設計は[[三菱電機]]が担当<ref>「電車モーターを設計していたころ (PDF)」 、『わだち』第130号、[[鉄道友の会]]福井支部、2010年5月。</ref>した。1964年(昭和39年)当時、日本における[[電車]]用、かつ[[カルダン駆動方式]]のモーターとしては最高の出力を持つ。これを1両あたり4基搭載し、1両で740 kW(≒1,000 [[馬力|HP]])の出力を確保している。全車電動車編成を組み、[[動力性能]]上の[[均衡速度]]は平坦で235 km/h、10 ‰ 上り勾配で196 km/h に達する。1966年(昭和41年)度の新造車(4次車)より[[絶縁 (電気)|絶縁]]強化を図ったMT200A形を、1973年(昭和48年)度の新造車(15次車)からは1時間定格出力を225 kW に増強したMT200B形を装備する。1992年(平成4年)、0系の主電動機がMT200Bに統一されたことで、限流値を上げ、[[起動加速度]]を1.2 km/h/s に向上させた。
 
 
==== 台車 ====
 
[[File:Shinkansen 0 Bogie.jpg|thumb|200px|0系の台車(2004年10月17日)]]
 
[[File:Wheel disk brake cutmodel.JPG|thumb|200px|車輪ディスクブレーキのカットモデル。2枚のブレーキディスクローターが[[輪軸 (鉄道車両)|車輪]]の輪心部両側面に剛結されている(浮動支持ではない)。2枚のローターはソリッドディスクでは無く、裏面にフィンモールド(下側のローター断面積が大きいことが確認できる)を持っており、自動車用や鉄道車両の車軸用のそれを[[食材の切り方一覧|輪切り]]にしたような構造となっている。ローター中心部の丸穴から車輪タイヤ部との隙間に空気が抜けることで放熱性を確保している。(写真は[[新幹線N700系電車|700系]]の車輪ディスクブレーキ)]]
 
[[実用]][[速さ|速度]] 200 km/h を表す DT200形と名付けられた[[鉄道車両の台車|台車]]は、[[プレス加工|プレス]][[鋼板]][[溶接]]組立構造で、高速域での走行安定性を重視し、[[ホイールベース|固定軸距]]は 2,500 mm、車輪径は 910 mm とされた。基礎ブレーキとして、高速域から安定して作動する[[空気圧|空圧]][[油圧]]変換式の[[てこ]]式押付装置による車輪[[ディスクブレーキ]]を採用した。このブレーキディスクは各車輪の輪心部両側面に取付けられており、2つのブレーキ[[てこ]]に装備された[[制輪子]]が[[油圧]][[ピストン]]により作動し、2枚1組のブレーキディスクを外側から挟み込む形で締め付けることで所要の制動力を得る機構を備えており、締結されたディスクと車輪の間に空間を設けたベンチレーテッド構造を採用し、制動時の[[摩擦]][[熱]]を十分に逃がすことができるようになっている<ref>[[ブレーキキャリバー|キャリパー]]式の車輪ディスクブレーキと呼ばれるこの機構は、その後の新幹線の基礎ブレーキとして受け継がれ使用されている他、JR西日本の[[JR西日本681系電車|681系特急電車]]など、高速運転を実施する在来線車両の一部にも採用されている。</ref>。制輪子を保持するための、制輪子吊りが台車枠に備えられており、基礎ブレーキを作動させる際、供給空気溜めからの空気圧を油圧に変換して基礎ブレーキ装置に送り込む、増圧シリンダーを台車枠の内側に装備している。また、連続高速走行のため、[[軸受]]構造は日本鉄道車両史上初のつば付き円筒[[転がり軸受|コロ軸受]]とし、軸受の[[潤滑]]は油浴([[オイルバス]])式としている。
 
; 軸ばね機構
 
: [[ドイツ連邦鉄道]](DB)麾下の[[ミンデン]]研究所が高速[[客車]]向けとして[[研究]][[開発]]し、140 km/h 運転対応のMD50が[[1950年代]]初頭以降、DBの[[制式名称|制式]]客車用台車として大量採用された'''ミンデンドイツ方式'''の台車は、日本では[[戦後]]、[[住友金属工業]]が西ドイツのクロックナー・フンボルト・ドイツ([[:en:Deutz AG|Klöckner-Humboldt-Deutz AG]]:KHD)社との技術提携により、1961年(昭和36年)に新製された[[阪急電鉄]]の[[阪急2000系電車|2000系]]用FS344より製作を開始、住友金属と取引のある[[私鉄]]各社へ順次導入された。0系の[[鉄道車両の台車|台車]]はこれに改良を加えたもので、開発者のイニシャル(I:[[石澤應彦]]<ref name="DT200">{{Harvnb|高橋団吉|2000|pp=220}}</ref>、S:[[島隆 (鉄道技術者)|島隆]]<ref name="DT200"/>)から'''IS式'''と称した。
 
: 軸受の前後に軸ばね用のコイルばねを配し、車軸の位置決めを前後方向からの長い板ばねで行う軸箱支持方式はミンデンドイツ方式と同じだが、ミンデンの原型では板ばねを[[ボルト (部品)|ボルト]]止めしていたところを、[[ゴム]][[ブッシュ]]を挟む構造に代え、[[水平]]方向には適度な[[剛性]]を持たせつつ、[[垂直]]方向の動きをしなやかにすることにより、板ばねの[[応力]]を低くしている。また車輪の上下方向の[[振動]]を減衰させるための軸[[ショックアブソーバー|ダンパー]]を軸箱と台車の側梁の間に装備している。
 
; [[枕バネ]]
 
: 鉄道台車用として日本で[[1956年]](昭和31年)以来独自に開発され、改良普及されてきた[[空気バネ]]を装備しており、微細な振動の吸収や車高の自動調整機能などで、金属ばねよりも優位であった。0系では[[ダイアフラム]]式空気ばねを枕梁(ボルスタ)の上に搭載して車体と直結して、枕梁と車体を[[ボルスタアンカー]]により接続するダイレクトマウント構造を新たに採用し、枕梁と台車枠の間には左右動ダンパを装備して左右動揺の低減を図っている。また、台車枠と枕梁と間の左右に設けられた側受によって、[[蛇行動]]の抑制と直進安定性を高めている<ref>この方式の台車は、その後に製造された100系・200系の台車にも採用されている。</ref>。これらにより、従来の[[揺れ枕]]吊りを用いた台車よりも、簡素でありながら、優れた減衰性・復元性を実現した。
 
 
==== 電源・制御方式 ====
 
[[File:Low voltage tap control.gif|thumb|200px|[[電気車の速度制御#タップ制御|低圧タップ制御]]の概念図<br />変圧器の2次巻線にタップを設けて巻数を可変とし、電圧制御を行う。実際には交互に切り替えを行うタップ切替器が2組あり、限流リアクトルを通して整流器へ給電する。また、細かくタップの区切られた多段タップ付き巻線と、タップの切られていない固定巻線とで電圧の和・差を作ることで、制御段数を増やす。]]
 
[[File:JRW Shinkansen Series 0 R61 Pantograph.jpg|thumb|200px|初の下枠交差型パンタグラフとパンタカバー。<br />パンタカバーはJR化後設置(2008年11月29日)]]
 
2両を1単位として機器を集約分散搭載する[[動力車#MM'ユニット方式|MM'ユニット]]を採用し、原則としてM車には主制御器と抵抗器が、M'車には主変圧器・整流装置・補助電源装置・空気圧縮機・集電装置・空気遮断器(ABB)・避雷器が搭載されるが<ref name="Sato Kubo 1760">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1760}}</ref>、例外もある。
 
 
[[架線]]からの[[交流電化|交流]]25 kV を[[変圧器]]で降圧した上で、二次[[巻線]]側に[[タップ (変圧器)|タップ]]を設けて巻数を変化させ、その後に[[ケイ素|シリコン]][[整流器]]で整流して[[直流]][[電源]]とし、直流電動機を制御する[[電気車の速度制御#タップ制御|低圧タップ制御]]としている。車載用のシリコン整流器は、既に[[1960年代]]初頭に交流[[電気機関車]]や[[交直流電車]]で用いられて実績があった。
 
 
主変圧器(TM200)は、1,650 kVA の定格容量を備える。車両床下に搭載する関係から極力高さを抑えて設計され、[[絶縁油]]タンクに[[高張力鋼]]を使うことで板厚を薄くしている<ref name="Sato Kubo 1768">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1768}}</ref>。主回路用の二次巻線は1,500 kVA、補助電源回路用の三次巻線は150 kVA の定格容量を備え、三次巻線に関しては電圧変動が極力小さくなるように考慮されている<ref name="Sato Kubo 1768" />。
 
 
[[主電動機]]を制御するのは、2両毎に1基搭載された[[主制御器]](CS21)である。主変圧器二次巻線側の[[電気車の速度制御#タップ制御|タップ]]を電動[[カム (機械要素)|カム]]スイッチで切り替えて2両分8個の主電動機に掛かる電圧を25段階(348 - 2,435 V)で調整している<ref name="Sato Kubo 1768" />。タップを立てる位置によって変圧器から任意の電圧が得られるため、起動・[[力行]]用の[[抵抗器]]は持っておらず、不要な損失は発生しない。また、主電動機への印加電圧を上げることで容易に回転上限の拡大が可能となるため、[[弱め界磁|弱界磁制御]]は行なわない。また主回路は4個直列2並列回路となっており、電動機の直並列制御は行わない<ref name="Sato Kubo 1759">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1759}}</ref>が、変圧器の二次側の結線を和動と差動に切り替えることで制御段数を増やしている。また主平滑リアクトル・遮断器・逆転器・力行とブレーキの主回路切替用接触器を搭載する<ref name="Sato Kubo 1760">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1760}}</ref>。電圧制御最終段における定格速度は167 km/h である。
 
 
さらに、[[発電ブレーキ]]を付加しており、時速200 km/h 以上の高速域から機械的な車輪ディスクブレーキのみに頼って制動をかけるのでは、発熱や磨耗などの難点があるため、主電動機を[[発電機]]として作動させることで走行(運動)[[エネルギー]]を変換し、[[抵抗器]]で熱エネルギーとして発散させる方式である。特に高速域からのブレーキ時には効果的な手法で、[[在来線]]や私鉄向けなどで多くの実績がある。そのための抵抗器を搭載し発電ブレーキの際は主回路が主回路切替用接触器により切替られて2群の主電動機4個直列接続による独立した発電ブレーキ回路が形成され、ブレーキ用の主制御器により17段階で調整できるようになっており、また補助電源回路からの交流電源を専用の変圧器により降圧させ整流器で直流電源に変換し主電動機の主界磁を励磁させることによりブレーキ電流の立上がりを早めている。また発電ブレーキは50 km/h まで作動しそれ以下の速度になると空気ブレーキに自動的に切替わる<ref name="Sato Kubo 1760" />。
 
 
補助電源系、つまり列車の走行や営業運転に必要となる電動[[送風機]]・電動[[圧縮機]]・空調装置・[[電動発電機]]の電源は、主変圧器の大容量三次巻線(単相交流60 Hz、220 V)から取られている{{Sfn|海外鉄道技術協力協会|1980|p=67}}。電動発電機(MH1040-DM74)は[[単相誘導電動機]]と二相交流発電機を組み合わせた構造で20 kVA の容量を備える<ref name="Sato Kubo 1760" /><ref name="The Shinkansen 68">{{Harvnb|海外鉄道技術協力協会|1980|p=68}}</ref>。[[瞬間停電]]や電圧変動を嫌う機器のために設けられ、単相交流220 V を交流100 V に変換して車内の[[蛍光灯]]などの交流電源となる<ref name="The Shinkansen 68" />。さらに、二相交流100 V は整流器によって直流100 V となり、[[二次電池|蓄電池]]や制御回路などの電源となる<ref name="Sato Kubo 1760" />。[[自動列車制御装置|ATC]]や[[列車無線]]は[[無停電電源装置|無停電電源]]が必要なことから、蓄電池(直流100 V)を電源とした回転式インバータ(単相交流60 Hz、100 V)が先頭車両に搭載されている<ref name="Sato Kubo 1765">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1765}}</ref><ref name="Sato Kubo 1772">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1772}}</ref>。通常は進行方向側1機使用とし、不具合が生じた際には反対側のインバータに切り替わるようになっている<ref name="Sato Kubo 1772" />。ただし、[[食堂車]]である36形に搭載する電動発電機は、電子レンジなどの調理器具が他よりも格段に大きな電力を消費することから[[厨房]]用の電源として容量を増大したMH1063-DM84(容量35 kVA)が搭載されている<ref name="Wadachi 128">{{Cite journal |和書 |author= |url=http://www6.plala.or.jp/jrcFukui/128.pdf |format=PDF |title=電車モーターを設計していたころ |date=2010-1 |publisher=鉄道友の会福井支部 |journal=わだち |number=128 |pages= }}</ref>。
 
 
{{要出典範囲|また変圧器・整流器・発電ブレーキ用抵抗器には冷却のための電動送風機を取付け<ref>単相220Vカゴ形コンデンサー電動機を使用</ref>、変圧器の冷却は外鉄形送油風冷式で冷却のための不燃油を電動送風機で冷却してそれを循環させることにより冷却され|date=2011年11月}}、電動空気圧縮機は電動機は電動送風機と同じ物を使用しており圧縮機は[[水平対向4気筒]]となっている<ref name="Sato Kubo 1771">{{Harvnb|佐藤恒徳|久保敏|1964|p=1771}}</ref>。
 
; 集電装置
 
[[集電装置]]には、小型化して空気[[抵抗]]を小さくするため、[[1959年]](昭和34年)に[[国鉄クモヤ93形電車|クモヤ93000]]で現車による175 km/h 運転を含む[[実用]]試験を実施した上で、下枠交差型パンタグラフが初めて採用された。これも PS200形と、200が付番されている。在来線用のパンタグラフと比べて1/2の小型軽量化を実現しており、押上げバネに並列して[[ショックアブソーバー|オイルダンパ]]を装備して、上下動[[共振]]時における振れ幅の増加を抑制している。集電舟は[[揚力]]の発生を抑えるため、舟体の断面を長方形として、210 km/h 運転時において押上力が増加する設計となっている<ref>{{Cite book|和書|title=鉄道のテクノロジー 5 新幹線2014|year=2014|publisher=[[三栄書房]]|pages=p.81|id= ISBN 9784779620263}}</ref>。3次車新造以降の[[碍子]]は、[[絶縁]]性強化のため大型化された{{Sfn|浅原信彦|2009|pp=38-39}}。この変更は1、2次車にも施された。
 
 
新幹線用車両の中で本系列のみが[[特高圧引通線]]を持たず、各ユニットに1基(16両編成では8基)のパンタグラフを装備する。以下にその理由を記す。
 
# 開業当時は送電方式に[[BT饋電方式|BT (Booster Transformer) き電方式]]が採用されていたため、特高圧引通線を装備した場合、ブースターセクションを特高圧引通線で短絡して帰線電流が吸い上げ不能となるばかりか、架線のほとんどの電流がパンタグラフと特高圧引通線を流れ、通過時に大きな[[スパーク|アーク]]が発生し、パンタグラフを損傷する危険があるため特高圧引通線を装備できなかった。
 
# 同じく開業当初は異相(切替)セクションの数を削減するため在来線で採用した方面別饋電(上下線は同相)を採用せず、上下線別に饋電することを採用した。三相交流を2つの単相交流にするスコット結線の制約から90度ずれた2系統の交流が上下線に饋電され、それゆえに駅構内も含め、上下線の渡り線のすべてに[[デッドセクション|絶縁セクション]]を必要とした(上下線の電圧差は位相差のため約35.4 kVにもなる<ref>上下線の電圧差は25 <math>\sqrt{2}</math>kV となる。</ref>)。もし特高圧引通線を装備した列車(1両に2つのパンタグラフを電気的に接続した場合も同様)が渡り線をパンタグラフを上げて通過すると上下線2系統の交流線路を[[短絡]]してしまうため採用不可であった。
 
# その後送電方式を現在の[[AT饋電方式|AT(Automatic Transformer)き電方式]]に変更する際に方面別饋電に改めたため、上下線とも同相の交流が供給されるようになった。駅構内はもちろん、上下線をまたぐすべての渡り線の絶縁セクション(異相セクション)が不要になった。これにより設備側については特高圧引通線の装備が可能になったが、本系列については[[屋根]]上に[[ヒートポンプ]]式の空調装置が並べられており、絶縁と空調機のメンテナンスの問題から装備することができなかった。ちなみに、屋根のように見えるのは空調装置の[[アルミニウム合金|アルミ]]製のキセ(カバー)であり、構体としての屋根はキセの内部、空調装置の下側にある<ref>{{Cite book|和書|title=鉄道のテクノロジー 5 新幹線2014|year=2014|publisher=[[三栄書房]]|pages=p.65|id= ISBN 9784779620263}}</ref>。
 
 
ただし、JR西日本所属のNH82編成には例外的に特高圧引通し準備工事が施されており、0系では唯一屋根上にケーブルヘッドカバーを装着した車両が連結されるなど、外観に特徴があった。しかし、準備だけで結局特高圧引通しが行われることはなかった。
 
 
0系16両編成時は、8台もの[[集電装置|パンタグラフ]]を上げて走行していたが、風切りと[[スパーク]]により、それらは非常に大きな[[騒音]]源となり、[[名古屋新幹線訴訟]]でも訴えられた。また、6両編成に短縮されてからもなお3台のパンタグラフを有しており、東海道・山陽新幹線の中では、1編成あたりの実使用パンタグラフが最も多い系列となっていた。100系は当初6台からパンタ半減工事にともなって3台(16両編成)もしくは2台(4・6両編成)に、300系は試作車が当初5台を装備して後に3台となり、更に量産車では途中から3台から2台に、それ以降の系列は、組成両数にかかわらず全て2台使用である。
 
 
=== 設備 ===
 
[[グリーン車]]([[1969年]]まで[[一等車]])のうち、15形は博多方車端の1か所に、食堂([[食堂車|ビュフェ]]<ref>一般には「ビュッフェ」と表記される事が多いが、国鉄では軽い食事・飲み物等を提供する軽食堂機能について在来線20系電車(後の151系電車)開発時にフランス語のbuffetから「ビュフェ」と命名、分割民営化後のJR各社まで公式にはこの語の使用が踏襲されている。</ref><ref name="RP794_10-20_10-12">{{Harvnb|岩成政和|2007|pp=10-12}}</ref>)合造車のうち35形は車体中央部と東京方車端の2か所に、これ以外の形式(36形を除く)は各車両端の2か所に客用扉・デッキを設けた。全室食堂車として製造された36形には東京方車端にデッキがあり、海側には客用扉と同様な扉を持つが、これは業務用扉であり、乗客の乗降には供されない。
 
 
全車両に[[ヒートポンプ]]式の[[エア・コンディショナー|空調装置]]<ref>形式名AU56・57 ([[分散式冷房装置]]・冷房能力4500 kcal/h、暖房能力2500 kcal/h)。ヒートポンプ式の採用は[[暖房]][[ヒーター]]回路省略による車両設計の合理化という利点からであったが、暖房能力についてはやや不足気味であったと言われる。</ref>を備えている。車内の気圧変動防止のため、固定式の窓はもとより<ref>側窓は2重構造とし、その間に乾燥空気を封入した[[複層ガラス]]となっている。</ref>、客室用のドアまでが気密構造{{refnest|ドアの左右の上下2箇所ずつに「ドア押さえコロ」を設け、ドアの鴨居部分に設置した空気シリンダーを用いて動作させ、車体側に設置された気密用ゴムに押さえつける構造<ref>[[#kenkyu|『新幹線大研究』 pp.94-95]]</ref>。}}となっており{{refnest|ただし、開業当初は[[デッキ]]部分が気密構造ではなく、[[列車便所|便所]]の逆流などの問題が多発した<ref>新幹線車掌日記〜時速二百十キロの人間模様 岡田重雄 1981</ref>(後に既存車両は改造)。またデッキと客室の仕切り扉も気圧の違いから重くなっており、「ドアが重い場合、一度引くと(当時は開き戸)気圧が抜け楽に開けられます」と、乗車記念パンフレット<ref>東海道新幹線「新幹線にお乗りいただき、ありがとうございました。」 発行 日本国有鉄道 1965</ref>には書かれている。}}、[[トンネル]]内での気圧変動による耳ツン防止のため、トンネル前方に設置された地上子からの電波を列車が受信して、屋根上の[[換気]]用[[エアインテーク|吸気口]]と床下の[[排気]]口を自動で遮断してこれに備えていた。しかし山陽新幹線博多開業後は山陽新幹線で長大トンネルが連続する区間があり、換気を遮断する回数が多くその時間も長くなることが懸念された。そのため、[[岡山駅]]以西では[[新幹線951形電車|951形]]で試作されたターボファンによる連続換気方式が採用されることとなった。[[1973年]](昭和48年)以降に製造された車両(14次車以降)はこの新換気方式に対応しているが、それ以前の車両は当時の「ひかり」編成にのみこの対策がなされることとなった。後に編成組み換えでS編成やY編成が組成された際に、非対応車が入っている編成は岡山以西乗り入れ不可を示すため原編成番号+50で識別していた。
 
 
開通当初より製造された基本番台車両は側窓が座席2列で1個の広窓であったが、[[1976年]](昭和51年)以降増備された1000番台車より石跳ね等による窓ガラスの損傷を警戒し、座席1列に1窓という狭窓となった。そして[[1981年]](昭和56年)より増備が開始された2000番台は、座席間隔(シートピッチ)の拡大(普通車:940 mm → 980 mm)に伴い、僅かながら窓の横幅も広げられている。この2000番台車では製作の簡略化のため、車内の窓周辺部が[[繊維強化プラスチック|FRP]]ユニットとなり、窓下の[[框|かまち]]と呼ばれるスペースが廃止された。このかまちには落下防止用の浅い縁が付けられており、小物(飲み物の容器等)を置く場所として利用されていた。後の100系以降ではFRPユニットにもこのスペースと縁が作られている。
 
 
初期に落成した車両から1000番台までは車体側面の腰板に[[非常口]]が設けられていたが<ref>1973年(昭和48年)後期製造車(16次車)以降の車両は外バメ式のユニット構造に変更されていた。</ref>、車体の[[腐食]]を防ぐ意味と、新幹線のシステム全体における高い[[安全性]]もあって、後に埋め込まれている。この改造は、JR東海所属車は蓋を除去して新たに板をハメ合わせて[[溶接]]、平滑に仕上げたのに対し、JR西日本所属車は非常扉そのものを溶接しただけであった。また2000番台からは落成時より非常口を設けていない。
 
 
[[列車便所|便所]]は2両に1箇所(奇数号車の東京寄り)に設置されており、原則として大便所2箇所と小便所1箇所、[[洗面器#洗面台・洗面所|洗面所]]2箇所に[[冷水機|冷水器]]という構成である。大便所は基本的に[[便器#和式大便器(和風大便器)|和式便器]]であったが、[[一等車]]([[グリーン車]])の15形と25形200番台(乗務員室付)の大便所1箇所は[[便器#腰掛大便器(洋式・洋風大便器)|洋式便器]]とした。その後、洋式便器は食堂車に隣接する27形(食堂従業員用)や、35形に代わって製造されたビュフェ合造車で[[車椅子]]対応とした37形の車椅子対応便所にも設置された。冷水器の水は設備に付属の紙コップで飲めるようになっていたが、紙コップは円筒形ではなく[[封筒]]形で底が平らではなかったため、テーブル上に置く事ができず、繰り返しの使用にも適したものではなかった。
 
<gallery>
 
File:Shinkansen 0 series restroom.jpg|洋式便所
 
</gallery>
 
 
==== 座席 ====
 
[[File:Shinkansen 0 interiores.jpg|thumb|200px|新幹線0系の座席。<br />上から順に<br />*普通車用W-12(左側列)/W-70形(右側列)転換式シート<br />*普通車用D-23形(左側列)/D-32形(右側列)簡易リクライニングシート<br />*グリーン車用R-25形リクライニングシート<br />*グリーン車用R-32形リクライニングシート]]
 
普通車(1969年まで二等車)の[[鉄道車両の座席|座席]]は、海側を3列とした合計横5列配置の輸送力重視型である。開業以前に二等車(現・普通車)はシルバークラス、一等車(現・グリーン車)はゴールドクラスとする案があったため、モケットはそれに合わせた配色となった。
 
 
; 普通車
 
当初普通車はその銀色と青色のモケットを張っている転換式座席(W-12、W-70)だったが<ref name="0seat2">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=1081}}</ref>、14次車以降29次車までは同じW-12、W-70であるものの、背ずりを少し高くし、座面も2人または3人で一体だったのを1人ずつ独立したものに変更した(ただし13次車以前の座席をこの新仕様に交換することは見送られた)。
 
 
[[1981年]]以降の新造車両(2000番台)は、前年に落成した[[東北新幹線]][[新幹線200系電車|200系]]とほぼ同様のオレンジ基調のフリーストップタイプ・回転式簡易リクライニングシート(D-23、D-32)に変更、交換された<ref name="0seat">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=1091}}</ref>。3列側は回転させるスペースがないため、一方向固定(1979年にH18編成のうちの2両で実施された集団見合型との比較アンケートの結果、集団離反型を採用)とされた。残存する在来車も順次同仕様に交換されたが、「こだま」用の編成に組み込まれた車両の中にはJR化後も廃車されるまで転換式のままだったものもある。
 
 
この転換式座席と同じ色のモケットが在来線車両の優先座席に使われたことが「[[優先席|シルバーシート]]」の名称の由来である。また、交換後の転換式座席は、[[国鉄キハ31形気動車|キハ31形]]など新製費を抑えた在来線車両に再利用される例も多かった。後年、オレンジ色の D 系シートはJR東海の新幹線[[待合室]]に再利用されている。
 
 
[[東海旅客鉄道]](JR東海)の「こだま」用Y編成とYK編成の[[座席指定席|指定席]]車(9 - 12号車)、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)のSK編成「[[ウエストひかり]]」、WR編成の全車は左右それぞれ二人掛けの4列に付け替えられた<ref name="0seat"/>。「こだま」用Y・YK編成の4列シートはR-56形を<ref name="0seat"/>、「ウエストひかり」用SK編成と「ウエストひかり・こだま」用WR編成のシートはWRK-201形を名乗る<ref name="0seat"/>。しかし、ドア位置は以前の3列+2列のままであったため、デッキから車内に入る際の動線がやや屈曲したものとなった。
 
 
; グリーン車
 
グリーン車(1969年までは一等車)はゴールデンオリーブ色のモケットを張った4列配置のリクライニングシート (R-25) で、車両の大きさを最大限に活かしたゆとりを持ったものとなっていた。
 
 
2000番台では、ブラウン系のモケットに変更され、背面に埋め込み式の大型テーブルが取り付けられた。
 
 
JR化後、アコモデーション改善に伴い、100系と同様の座席に取り換えられた車両も存在した。
 
 
<gallery>
 
File:0-2and2-sitei.jpg|東海道新幹線0系末期の2&2シート
 
File:0-2006-sitei.jpg|末期の山陽新幹線2&2シート
 
File:0-27-oomado.jpg|最後まで残った大窓27形の指定席車
 
File:15-green.jpg|最後まで残った新幹線0系15形グリーン車内
 
File:0-yk-green.jpg|末期の東海道版0系グリーン車
 
File:12-14 Shinkansen 0.JPG|最終日の車内
 
File:Shinkansen 0 Seat.JPG|2008年最後まで残った車両のシート
 
</gallery>
 
 
==== ビュフェ車・食堂車 ====
 
[[File:JNR EC 37-1012.jpg|thumb|200px|ビュフェ車(37形)]]
 
[[File:JR shinkansen 0kei 36-1.jpg|thumb|200px|食堂車(36形)]]
 
[[File:Shinkansen_0_series_telephone_room.jpg|thumb|200px|電話室]]
 
[[食堂車|ビュフェ]]は開業時から存在し、岡山開業時までに製造された車両(35形、[[1992年]]までに全廃)には椅子が設けられていたが<ref>当時のビュフェは比較的食堂車に近い機能を有し、洋風メニューを主体として定食類もあるなどメニューの種類も多く、且つウェイトレスによる接客体制を取っていた。</ref>、本格的な全室食堂車である36形の登場後は、軽食堂よりも売店・車内販売基地としての機能が主体となったことから、第22次車以降の増備車両(37形)からセルフサービスの立食式に変更され、ビュフェ自体の面積も縮小された。
 
 
開業時は全編成とも2両組み込まれていたが、[[日本万国博覧会]](大阪万博)輸送を控えた[[1969年]]夏頃より輸送力増強を目的として「こだま」用編成の5号車を売店車(25形400番台)に差し換え、以降「こだま」用編成はビュフェ1両が正規となった<ref>輸送力増強以外にも、区間利用客の多いこだまにおいてはビュフェの利用率が低く、2両組み込みでは採算性などで問題が多かったことも差し替えの原因だった。</ref>。ただし、こだま用全編成の組み換えまでには至らず、[[1973年]]8月から[[1980年]]9月までのこだま用K編成47本体制下において、17本がビュフェ2両組み込み(ただし1両は[[売店]]扱い)のまま残ったが、そのうち10本については[[1975年]]から[[1976年]]にかけて2両のうち1両が新製の売店車と差し替えられ、ビュフェ車については増備されたひかり用編成に転用された。
 
 
山陽新幹線全線開通を控えた1974年以降、「ひかり」用として使われたH・NH・N編成には[[食堂車]](36形)が設けられていた。食堂車については山側に独立した通路を設け、通り抜ける乗客と食堂車利用者の分離を図っている。食堂内の山側には4人掛けの、海側には2人がけのテーブルが設置された。
 
 
当初は通り抜ける客に食事をするようすを見られないように、食堂と通路を隔てる壁に窓を設けていなかった<ref>導入発表時の記者会見([[1974年]][[9月5日]])でも記者より「富士山が見えないのでは?」という質問に対し、「多少は見えるはずです」と回答したため論争となり、直通運転試運転([[1975年]][[1月20日]] - [[1月23日]])で同乗した記者陣が[[安倍川]]橋りょう付近で視認するという一幕があった。</ref>が、利用客から「食事しながら[[富士山]]を見られないではないか」というクレームが多かったことを受け、[[1979年]]以降、通路側壁面に窓(通称:マウント富士)を設置する改造が施工された。
 
 
[[1995年]][[1月17日]]に[[阪神・淡路大震災]]が発生し、[[姫路駅|姫路]] - 新大阪間は[[高架橋]]の落橋や橋脚の損傷のため運休していた。この時に博多 - 姫路間の運用に充当されていた本系列の食堂車は営業休止となり、そのまま再開されることなく営業を終了した。
 
 
民営化以降、JR西日本はサービス改善のため「'''[[ウエストひかり]]'''」編成にビュフェを改装した車両を連結した。ビュフェカウンター横のスペースを拡大してテーブルと椅子を設け、座席に持ち帰ることなくそのまま座って食べられるようにした。ここでは[[カレーライス]]などの軽食が提供された。最後までビュフェ車が連結されていたのは[[#R・WR編成|R62編成]]の3号車(37-7302)で、フリースペースとして供用されていたが、2008年3月14日に運行を終了し、3月28日付で廃車された。
 
 
<gallery>
 
File:0 series buffet.jpg|ビュフェ(37形2000番台)
 
File:0-chu-bo.jpg|ビュフェの厨房(37形)
 
File:Shinkansen-0-Speed-Meter.jpg|ビュフェに設置されていた速度計(37形)
 
File:Series0 36-84.JPG|食堂車(36形、[[リニア・鉄道館]])
 
File:Series0_36-84_2.JPG|食堂車厨房(36形、リニア・鉄道館)
 
File:0-shokudo.jpg|食堂車通路(36形、車端部)
 
File:0 series shinkansen West Hikari buffet 01.jpg|ウエストひかりに連結されたビュフェ(車端部から)
 
File:0 series shinkansen West Hikari buffet 02.jpg|ウエストひかりに連結されたビュフェ(客席側から)
 
</gallery>
 
 
== 形式および車種 ==
 
本系列に属する各形式名とその車種は以下のとおり。
 
 
奇数形式と偶数形式でペアを組んで[[動力車#MM'ユニット方式|MM'ユニット]]を構成し、偶数形式(M'車)博多方にパンタグラフが設置されている。
 
 
; '''15形'''(Ms)
 
: [[グリーン車|グリーン席]](旧[[一等車#2等級制時代(1960年 - 1969年)の一等車|一等席]])を備える中間電動車。36形を除く偶数各形式とペアを組んで使用される。主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。基本番台車は博多開業時まで96両用意された。1000番台は30両のみに留まる。30次車以降、グリーン車は16形のみが増備されたため、15形には2000番台が存在しない。乗降口は新大阪・博多方の1箇所のみであり、また16形とともに乗降口には金色アルマイト処理による縁取りがなされている。
 
; '''16形'''(M's)
 
: グリーン席(旧一等席)を備える中間電動車。27形を除く奇数各形式とペアを組んで使用される。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。15形と異なり、客用乗降扉が車両の両端の2箇所に設置されている<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=851}}</ref>。15形より製造数が多いのは、こだま編成車や老朽車取り替えなどに向けられたのもあったためで、大窓車と混在していた編成も存在していた。基本番台車は143両、1000番台車は41両、2000番台車は35両増備された。
 
[[File:JNR EC 21-120.jpg|thumb|200px|先頭車(21形)]]
 
; '''21形'''(Mc)
 
: [[普通車 (鉄道車両)|普通席]](旧[[二等車#2等級制時代の二等車(1960 - 1969年)|二等席]])を備える制御電動車。36形を除く偶数各形式とペアを組んで使用される。博多向き運転台を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。側窓の大窓車は新大阪開業(1964年)から博多開業(1975年)にかけて143両製造されたが、当初の開通区間を達成した博多開業時より故障が目立ち、かつ劣勢化しはじめた初期の1次車の置き換えで登場した小窓車1000番台車によって1976年から廃車が始まり、さらにはメーカー都合などで当時製造が開始された200系と同じ接客設備と運転台開閉小窓が装備された改良型2000番台(1981年)も登場すると廃車が加速するが、編成単位で置き換えたのは最初の1000番台3編成だけで、以降は劣化した車両を置き換える方式のいわば車両単位に変わっている。この結果1000番台車は51両、2000番台は30両にとどまった。0系同士での置き換えは1985年度増備の38次車までとなり、1986年の100系量産車(X編成)が登場すると編成単位での廃車が再開され1970年の万博対応増備車もターゲットとされた。また、100系G編成車が登場すると廃車の他にひかり編成のこだま編成化(普通車2-2列シート化も合わせて施工された)とJR東海とJR西日本の会社間移籍譲渡も行われた。100系の増備が一段落し、1992年のぞみ用として300系が登場すると1994年には岡山開業用から博多開業用までの車両が廃車対象となり大窓車が全滅し1000番台車も廃車の対象となった。700系が登場して東海道新幹線区間運用が終了した1999年の時点では一部の1000番台車と2000番台が残るのみであった。末期、山陽区間を引退した2008年の時点では2000番台改造'''7950番台'''が存在したが、これは25・26形の先頭改造車であった。
 
; '''22形'''(M'c)
 
: 普通席(旧二等席)を備える制御電動車。27形を除く奇数各形式とペアを組んで使用される。東京向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。車両の流れは21形と同じ。
 
; '''25形'''(M)
 
: 普通席(旧二等席)を備える中間電動車。36形を除く偶数各形式とペアを組んで使用される。主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。基本番台車は200代車、400代車、700代車、900代車を含め各種で博多開業までに総数659両製造されている。1000番台車は115両、2000番台車は83両と最も少ないのに対しJR化後は短編成化の煽りで先頭車改造(21形)された数も多いため、2000番台車で残っているのは50両前後であった。
 
; '''26形'''(M')
 
: 普通席(旧二等席)を備える中間電動車。27形を除く奇数各形式とペアを組んで使用される。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。基本番台車は各種で762両と同系の中では最も大勢帯車である。次ぐ1000番台車は213両、2000番台車は89両と少数のなかで先頭車改造(22形)改造された数が多いため純正で残っている数が少ない。
 
; '''27形'''(Ma)
 
: 普通席を備える中間電動車。36形もしくは36形から改造された26形とペアを組んで使用される。車椅子対応設備を備え<ref name="0kei-27">{{Harvnb|浅原信彦|2009|p=66}}</ref>、主制御器・抵抗器、電動発電機などに加え、本来は36形に搭載されるべき空気圧縮機、平滑[[リアクトル]]などの機器を搭載する<ref name="0kei-27"/>。また、電子レンジを搭載し大消費電力となる36形とペアを組むことから、電動発電機も大容量のものが搭載されている。以上の事情から、博多開業に備えて1974年の17次車以降、21次車までに1 - 96の計96両が製造され、22次車(1000番台)で1001 - 1003の3両が追加製造されたに留まる。
 
; '''35形'''(Mb)
 
: 普通席(旧二等席)と[[食堂車#半室食堂車(ビュフェ)|ビュフェ]]を併設する中間電動車。岡山開業後の14次車まで150両が製造された。運転時間の関係で正規の[[食堂車]]を設定しなかった東海道新幹線開業時に用意されたため、軽食堂としての機能が求められ、ビュフェの側窓向きテーブルに回転椅子が備わっている。普通車 (旧二等車) の間となる5号車とグリーン車 (旧一等車) に隣接する9号車 (16両編成化後は11号車) では利用客層の違いを考慮してビュフェ部の内装配色が変えられていた<ref>5号車が壁面・グレーチェック柄、テーブル上面・バーミリオン、椅子・クリームと青に対し、9号車(11号車)ではそれぞれサーモンピンク、黒、黄色と朱色という違いがある。</ref>。1000番台(小窓車)登場以降は37形が増備されたため、35形は0番台のみで1000番台以降の車両は存在しない。
 
; '''36形'''(M'd)
 
: 側廊下式の全室食堂車<ref>側廊下式の車内配置は新幹線車両初の全室食堂車である[[新幹線961形電車|961形]]3号車が元となっている。</ref>。これも中間電動車で27形とペアを組むが、厨房での調理のため大量の水を搭載する必要があり、屋根裏・床下の双方に巨大な水タンクを設置している。その代償として空気圧縮機など一部の機器が搭載できず、それらは27形に振り分けて搭載している。このため、本形式は27形以外の奇数車とはペアを組めない。食堂車は「ひかり」主体に運用されるH・NH・N編成にのみ連結されたため、27形と同じ総数99両の製造に留まり、2000番台車は存在しない。
 
; '''37形'''(Mb)
 
: 普通席とビュフェを併設する中間電動車。本格的な食堂車である36形の投入でビュフェに軽食堂としての機能が求められなくなり、[[車内販売]]基地としての機能が重視されるようになったことと、[[バリアフリー]]の観点から車いす対応席の設定が必要となったことにより、22次車より35形に代えて投入された。ビュフェはスペースが縮小され、また回転椅子が廃止されて立食のみとなった。22次車以降製造のため0番台が存在しない。また、途中から座席を1列分減らしビュフェ部分を拡大した1500番台が登場、30次車以降も同様の座席数の2500番台が増備された。このため2000番台も存在しない。
 
 
=== 1000番台 ===
 
1 - 5次車老朽置き換え用として投入された22 - 29次車(1976 - 1980年製造)、大幅な変更がなされたために1000番台で区別される。
 
 
外観上大きな変更としては、[[新幹線961形電車|961形]]に準じた客用窓の小型化(普通車横幅:1,460mm → 630mm、グリーン車横幅:1,870mm → 850mm)があげられる。関ヶ原地区に雪害によって窓ガラス破損が頻発したため、交換費用を軽減するためである。また、細かな変更点を以下に列挙する。
 
* ステップ数の増加(17段 → 20段)により、主制御器をCS46に変更。
 
* 台車枠材質変更により、台車をDT200Aに変更。
 
 
=== 2000番台 ===
 
6 - 12次車老朽置き換え用として投入された30 - 38次車(1981 - 1986年製造)は、内装を中心に大幅な変更がなされたために2000番台で区別される。
 
 
室内アコモデーションを200系に準拠したものに変更した。具体的には、
 
*普通車のシートピッチ拡大(940mm → 980mm)と簡易リクライニングシート化。
 
*客用窓周りのFRPユニット化と客用窓の拡大(普通車横幅:630mm → 720mm、グリーン車横幅:850mm → 900mm)。
 
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
 
!形式!!車両番号!!定員!!製造数!!製造総数!!備考
 
|-
 
|rowspan="2"|15||1 - 96||rowspan="2"|64名||96両||rowspan="2"|139両||
 
|-
 
|1001 - 1043||43両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|rowspan="3"|16||1 - 143||rowspan="3"|68名||143両||rowspan="3"|219両||
 
|-
 
|1001 - 1041||41両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|2001 - 2035||35両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|rowspan="3"|21||1 - 143||rowspan="2"|75名||143両||rowspan="3"|224両||
 
|-
 
|1001 - 1051||51両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|2001 - 2030||70名||30両||車内設備は0番台とほぼ同様。
 
|-
 
|rowspan="3"|22||1 - 143||rowspan="2"|80名||143両||rowspan="3"|224両||
 
|-
 
|1001 - 1051||51両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|2001 - 2030||75名||30両||車内設備は0番台とほぼ同様。
 
|-
 
|rowspan="14"|25||1 - 183||100名||183両||rowspan="14"|857両||
 
|-
 
|201 - 247||100名||47両||乗務員室、洋式便所付き。
 
|-
 
|401 - 440||85名||40両||売店付き。10次車から登場。
 
|-
 
|501 - 699||100名||199両||外観、車内設備は0番台と同様。ひかり16両化に伴う増備。
 
|-
 
|701 - 843||100名||143両||外観は0番台と同様。洋式便所付き。ひかり16両化に伴う増備。
 
|-
 
|901 - 947||100名||47両||外観、車内設備は0番台と同様。ひかり16両化に伴う増備。<br />本来は500番台(699)の続番であるが700番台を飛ばす形で、900番台とされた。
 
|-
 
|1001 - 1103||100名||103両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|1201 - 1208||95名||8両||車内設備は200番台と同様。乗務員室、洋式便所付き。
 
|-
 
|1401||85名||1両||車内設備は400番台と同様。売店付き。
 
|-
 
|1701 - 1703||100名||3両||車内設備は700番台と同様。洋式便所付き。
 
|-
 
|2001 - 2053||95名||53両||車内設備は0番台とほぼ同様。
 
|-
 
|2201 - 2216||90名||16両||車内設備は200番台とほぼ同様。乗務員室、洋式便所付き。<br />2214 - 2216(38次車)は乗務員室が荷物室に、業務用室が電話室に変更されている。
 
|-
 
|2401||85名||1両||定員が1400番台と同じため、売店が業務用室に変更され車販準備室が縮小されている。
 
|-
 
|2701 - 2713||95名||13両||車内設備は700番台とほぼ同様。洋式便所付き。
 
|-
 
|rowspan="9"|26||1 - 180||100名||180両||rowspan="9"|1066両||乗務員室、業務用室付き
 
|-
 
|201 - 386||110名||186両||
 
|-
 
|401 - 410||105名||10両||乗務員室付き。「こだま」1等車削減に伴い10次車から登場
 
|-
 
|501 - 606||100名||106両||外観は0番台と同様。乗務員室、自販機コーナー付き。10次車から登場。
 
|-
 
|701 - 980||110名||280両||外観、車内設備は200番台と同様。「ひかり」16両化に伴い10次車から登場。
 
|-
 
|1001 - 1102||100名||102両||車内設備は500番台と同様。乗務員室、自販機コーナー付き。<br />1075 - 1102(27 - 29次車)は自販機コーナーを業務用室に変更。
 
|-
 
|1201 - 1313||110名||113両||車内設備は200番台と同様。
 
|-
 
|2001 - 2038||95名||38両||車内設備は0番台とほぼ同様。乗務員室、業務用室付き
 
|-
 
|2201 - 2251||105名||51両||車内設備は200番台とほぼ同様。
 
|-
 
|rowspan="2"|27||1 - 96||85名||96両||rowspan="2"|99両||
 
|-
 
|1001 - 1003||85名||3両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|35||1 - 150||40名||150両||150両||145 - 150(14次車)は物資搬入扉なし
 
|-
 
|rowspan="2"|36||1 - 96||(42名)||96両||rowspan="2"|99両||
 
|-
 
|1001 - 1003||(42名)||3両||車内設備は0番台と同様。
 
|-
 
|rowspan="3"|37||1001 - 1070||43名||70両||rowspan="3"|139両||
 
|-
 
|1501 - 1527||38名||27両||ビュフェ室を拡大
 
|-
 
|2501 - 2542||38名||42両||車内設備は1500番台とほぼ同様。
 
|}
 
 
=== 改造形式・番台 ===
 
長期に渡る使用の過程で、運用の見直し等により以下の各形式について改造による番台区分が発生している。
 
 
; 21・22形
 
:; 3900番台
 
:: グリーン車の15-84・16-133を普通車・先頭車化して21-3901・22-3901としたもの。窓配置がグリーン車時代のままであったため、窓とシートの配列が一致してなかった。また、種車の関係から21-3901は14列目、22-3901はシートが4列配置となっているほか、21-3901は便所が和式と洋式各1組となっている。定員はそれぞれ69・74名<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=77,811}}</ref>。
 
:; 7950番台
 
:: 普通車の25-2038・26-2245を先頭車化して21-7951・22-7951としたもの。定員は21-7951が70(56)名、22-7951が80(64)名。22-7951は種車の関係から乗務員室が存在せず、他の22形7000・7030番台よりも定員が座席1列分多くなっている<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=79,831}}</ref>。最終的にR67編成に組み込まれ、0系引退まで在籍した。
 
; 25形
 
:; 1900番台
 
::; 1901 - 1903・1905 - 1907
 
::: グリーン車の15形1000番台を普通車化したもの。乗務員室と荷物室を撤去して新たに出入り口を新設。6両が改造された。1901 - 1903は国鉄時代の1985年、1905 - 1907はJR東海となった1987年に改造された。シートは1・19列目が4列、2 - 18列目が5列となっている。定員93名<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=881}}</ref>。番号の新旧対照は次の通り。
 
:::: 15-1012/1017/1014 → 25-1901 - 1903
 
:::: 15-1037/1038/1035 → 25-1905 - 1907
 
::; 1904
 
::: 1986年にビュフェ車の37-1057の客室部分を拡大し、ビュフェ部分を売店と車内販売準備室に改造したもの。上記の25形1900番台のなかで唯一車両設備や定員が異なる。東京方車端部に身障者用便所を設置している。シートは1・12・13列目が4列、2 - 11列目が5列となっている。1904の1両のみ改造。定員62名<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=891}}</ref>。
 
:; 2900番台
 
:: 1986年にビュフェ車の37形2500番台客室部分を拡大し、ビュフェ部分を売店に改造したもの。シートは1・12・13列目が4列、2 - 11列目が5列となっている。2901 - 2906の計6両が改造された。定員62名<ref name="0Car">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=901}}</ref>。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 37-2519/2533/2520/2529/2530/2540 → 25-2901 - 2906
 
:; 3300番台
 
:: 1987年に25形700番台の客室の一部を潰して車販準備室を取り付けた車両。1両のみ改造。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 25-763 → 25-3301
 
:; 3900番台
 
:: 普通車の27形0番台にシネマルームとビジネスルームを設置したもの([[ウエストひかり#シネマカー|シネマカー]]として使用)。1988年3月に3901・3902の2両が改造された。同年8月に「[[ウエストひかり]]」に組み込みの際に座席を2列+2列のものに交換して3903・3904に改番されている。定員18(14)名<ref name="0Car"/>。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 27-13/3 → 25-3901・3902 → 25-3903・3904
 
:; 4900番台
 
:: 1989年から1990年にかけて普通車の27形0番台の食堂車従業員用の洋式便所を一般用にした車両。4901 - 4918の18両が改造された。外観・車内設備は27形0番台と同様。定員85名<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=911}}</ref>。
 
:: 食堂車36形の廃止によって余剰となった27形の活用であり、JR東海の「こだま」16両編成化時に13号車に組み込まれた。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 27-25/44/50/19/43/22/14/59/36/9/80/35/29/73/11/54/68/79 → 25-4901 - 4918
 
; 26形
 
:; 1900番台
 
:: 1985年から1986年にかけて食堂車の36形0番台を普通車化したもの。大窓タイプであるが、シートピッチは2000番台と同じく980mmとしている<ref>{{Cite book|和書|title=鉄道ファン2008年11月号|year=2008|p=blisher=交友社|pages=p.44|id=}}</ref>。1901 - 1903の計3両が改造された<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=961}}</ref>。26形としては唯一27形とペアを組んでいた車両である。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 36-46/39/18 → 26-1901 - 1903
 
:; 3000番台
 
:: 1987年から1988年にかけて26形700番台の客室の一部を潰して乗務員室を設置した車両。2両のみ改造。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 26-815・804 → 26-3001・3002
 
; 37形
 
:; 5300番台
 
:: 3両のみ存在した。それぞれ、37-5301・5303は37-5001・5002、37-5302は37-1516を改造した車両。ビュフェは立席から座席となり、定員は25名。シートは1 - 3列目が4列、4・5列目が2列となっている。定員は16名。室内設備は37形1500番台と同様<ref name="railfun">『鉄道ファン1994年11月号』P.68</ref>。
 
:; 7300番台
 
:: 3両のみ存在した。それぞれ、37-7301・7303は37-2528・2517、37-7302は37-7002を改造した車両。ビュフェは座席で、定員は25名。シートは1 - 3列目が4列、4・5列目が2列となっている。定員は16名。室内設備は37形2500番台と同様<ref name="railfun" />。
 
:; 7530番台
 
:: 37形2500番台のアコモ改良車。3人掛けシートが回転可能なリクライニングシートとなっている。7531-7534の4両が改造された<ref name="railfun" />。
 
:; 7700・7730番台
 
:: ビュフェ付き普通車の37形2500番台のビュフェ部分を「こどもサロン」に改造した車両。7701・7702の2両が改造された。後にアコモ改善が実施され、7731・7732に改番された。定員18名<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=1061}}</ref>。番号の新旧対照は次の通り。
 
::: 37-2508/2513 → 37-7701・7702 → 37-7731・7732
 
※定員は、''0,1000,3000,5000番台(2列+2列シート化後)/2000,7000番台(2列+2列シート化後)''の形で掲載<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|pp=75-1061}}</ref>する。
 
 
== 製造・編成の推移 ==
 
<ref>[http://www.n-sharyo.co.jp/museum/tec0/tec0-transition.html 日本車両ミュージアム 0系新幹線 1次車から38次車までの変遷]</ref>
 
=== 国鉄 ===
 
; 1次車(1964/3 - 9・180両)
 
* 16-1 - 30
 
* 21-1 - 30
 
* 22-1 - 30
 
* 25-2 - 60(偶数)
 
* 26-1 - 59(奇数)
 
* 35-2 - 60(偶数)
 
1964年3月、試作車両A・B編成の試験結果を元に1000形のC編成と呼ばれる先行製造車6両(1011→21-1・1012→26-1・1013→35-2・1014→16-1・1015→25-2・1016→22-1)が日本車輌製造で製造された。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+C編成 編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!座席
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="2"|普通車
 
|-
 
!車両番号
 
|1||1||2||1||2||1
 
|}
 
 
試作車両A・B編成と比較して
 
* [[プラグドア]]を通常のものに変更(ただし気密性は従来のものより高い)
 
* 運転席上の静電[[アンテナ]]を棒状から板状に変更
 
* B編成1004で使われた窓柱間クロスメンバー構造([[六角形]]窓)の不採用
 
* 非常用脱出口を車両中央に配置
 
* 先頭車両の排障器(スカート)の強化
 
* 前頭部内部への非常用連結器の格納と、それに伴う蛍光灯内蔵のとりやめ<!--FPR製カバーに変更するまで「光前頭」は継続-->
 
* 前照灯の大型化(電球1個→電球を縦に2個)
 
などがあげられる。
 
 
1等車(後のグリーン車)の2つの仕切り扉のうち1か所をマットスイッチによる自動式の引き戸を採用。増備車では2等車(普通車)にも設置(1か所のみ)、後に全ての仕切り扉を自動扉としている。
 
 
先行製造車を含め同年9月までに、5社により6両30本180両が1次車として製造された。
 
 
; 2次車(1964/6 - 9・180両)
 
* 15-1 - 30
 
* 25-1 - 59(奇数)
 
* 26-2 - 60(偶数)・201 - 260
 
* 35-1 - 59(奇数)
 
当初はC編成と同じ6両編成の計画だったが、12両編成で営業運転となったため追加の180両を2次車として増備する。
 
 
開業までに1・2次車として12両編成30本の計360両(N1 - N6・K1 - K6・R1 - R6・S1 - S6・H1 - H6編成)が揃う。「ひかり」「こだま」共通の編成で、全車指定席、1等車2両(7・8号車)、2等車8両、2等車・ビュフェ合造車2両(5・9号車)の計12両で構成される。
 
 
当時[[新幹線の編成記号|編成記号]]は車両製造会社によって割り振られていた。日本車輌(東京支店)…'''N'''、[[汽車製造|汽車製造(東京支店)]]…'''K'''、[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輛(川崎重工業)]]…'''R'''<ref>River(川)のRより</ref>、[[近畿車輛]]…'''S'''<ref>Short(近)のSより</ref>、[[日立製作所]]…'''H'''、[[総合車両製作所|東急車輛製造]]([[1967年]]以降、T11編成 - )…'''T'''であった。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+編成表(1964年)
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="12" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!rowspan="2"|ひかり<br />こだま<br /><ref name="TEC 0 26 30">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=26-301}}</ref>
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|2等車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|2等車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|1等車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|2等車
 
|}
 
 
; 3次車(1965/4 - 7・120両)
 
* 15-31 - 40
 
* 16-31 - 40
 
* 21-31 - 40
 
* 22-31 - 40
 
* 25-61 - 80
 
* 26-61 - 80・261 - 280
 
* 35-61 - 80
 
増発に伴い、1965年に3次車として12両編成10本の計120両(N7・N8・K7・K8・R7・R8・S7・S8・H7・H8編成)が新製され、12両編成40本となった。
 
 
改良点として、幌の改良によりデッキ部分も気密化がなされ、先頭車22形のボンネットにエアコンが設置された。台車には踏面清掃装置・軸受温度センサーが追設され、パンタ碍子の絶縁強化、中間車の列車番号・行先表示用札差の廃止、前頭部カバーのFRP化(光前頭機能の廃止)、運転台側引窓のユニット化、列車無線用静止インバータの追加がある。
 
 
; 4次車(1966/6 - 7・60両)
 
* 21-41 - 45
 
* 22-41 - 45
 
* 25-81 - 90・201 - 205
 
* 26-81 - 90・281 - 290・401 - 405
 
* 35-81 - 90
 
開業以後、「こだま」では2等車の利用が多く、1等車2両は過剰であることが判明した。そのため、4・5次車導入時に「ひかり」と「こだま」用の編成を分離した<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=261}}</ref>。1・2次車は組み替えなしに「ひかり」用編成となったが、3次車では1等車組み込みなしの12両編成で新製された4・5次車との間で2等車(25形200番台)と1等車(15形)を交換することによって、1等車のうち1両を2等車に組み替えた。このため、「こだま」用編成のうち、1等車が7号車(15形)の位置に連結されているもの(変則「こだま」編成)と8号車(16形)の位置に連結されているもの(正規「こだま」編成)の2種類が存在した。
 
 
改良点は主電動機を絶縁強化したMT200Aに変更し、駆動装置に温度センサーを追加した。上屋根・スカート・パンタグラフの強度を高めたほか、2等車客室に引き戸式の自動扉を初採用(1等車と同じ片側のみ)、3列座席の中間席にも灰皿を設置した。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+正規・変則こだま編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="12" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!rowspan="2"|正規<br />こだま<br /><ref name="TEC 0 26 30"/>
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|2等車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|2等車
 
|style="background-color:#cf9;"|1等車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|2等車
 
|-
 
!rowspan="2"|変則<br />こだま<br /><ref name="TEC 0 26 30"/>
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|26形<br />(M'4)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|2等車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|2等車
 
|style="background-color:#cf9;"|1等車
 
|2等車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|2等車
 
|}
 
 
; 5次車(1966/10 - 11・60両)
 
* 21-46 - 50
 
* 22-46 - 50
 
* 25-91 - 100・206 - 210
 
* 26-91 - 100・291 - 300・406 - 410
 
* 35-91 - 100
 
4次車と同じ「こだま」編成の組替用増備車で、1等車組み込みなしの12両編成で増備された。4次車との違いはデッキ部に空調吹出口が設置され、車輪のディスクブレーキの取付部分の強化、パンタグラフ部分の風防の改良である。
 
 
; 6次車(1967/6 - 11・84両)
 
* 16-41 - 47
 
* 21-51 - 57
 
* 22-51 - 57
 
* 25-101 - 114・211 - 217
 
* 26-101 - 114・301 - 314
 
* 35-101 - 114
 
正規「こだま」用編成12両7本を増備。この製造分より東急車輌製造が製造に加わる。改良点はビュフェに電話室の設置、シートの改良、先頭車に残っていた列車種別札差の廃止、シンクロファックスをテープ式への変更、車端ダンパの改良。
 
 
; 7次車(1968/2 - 3・36両)
 
* 16-48 - 50
 
* 21-58 - 60
 
* 22-58 - 60
 
* 25-115 - 120・218 - 220
 
* 26-115 - 120・315 - 320
 
* 35-115 - 120
 
正規「こだま」用編成12両3本を増備。改良点は汚物処理装置を貯槽式から循環式に変更、2等車シートのテーブル強度の向上、運転室前面窓上部に手掛けの設置、連結緩衝器を容量増大したRD11への変更。
 
 
; 8次車(1968/6 - 9・72両)
 
* 16-51 - 56
 
* 21-61 - 66
 
* 22-61 - 66
 
* 25-121 - 132・221 - 226
 
* 26-121 - 132・321 - 332
 
* 35-121 - 132
 
正規「こだま」用編成12両6本を増備。改良点は限時継電器の無接点化、増圧シリンダ強化。
 
 
; 9次車(1969/3 - 4・72両)
 
* 16-57 - 64
 
* 21-67 - 72
 
* 22-67 - 72
 
* 25-133 - 144・227 - 232
 
* 26-133 - 144・333 - 340・342・344
 
* 35-133 - 144
 
正規「こだま」用編成12両4本と組替用12両2本を増備。組替用2編成(N14・H14編成)は1等車(グリーン車)16形を編成中に2両(4・8号車)組み込んだ状態で落成し、変則「こだま」編成の8号車26形と9次車の4号車16形を交換することで変則「こだま」編成 → 「ひかり」編成化を行っている。
 
 
改良点はパンタグラフの強度の向上、パンタ碍子の騒音低減、オルゴールの変更。
 
 
; 10次車(1969/7 - 1970/2・180両)
 
* 16-65 - 69
 
* 21-73 - 77
 
* 22-73 - 77
 
* 25-145 - 154・233 - 237・401 - 410・501 - 530・701 - 730
 
* 26-145 - 154・341・343・345 - 350・352・354・701 - 760
 
この製造分より16両編成化が開始された。「ひかり」16両化用に普通車中間車160両が増備され、6,7号車間に新7,8号車を、10,11号車間に新13,14号車を挿入する形をとった<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=281}}</ref>。
 
 
これと同時に「こだま」でのビュフェ利用率が低かったため、「こだま」編成に組み込まれた2両のビュフェ車の内1両を売店車(25形400番台)に組み替える作業も行われた。10次車では売店車を編成中に2両組み込んだ編成を落成し、既存編成の5号車に連結されたビュフェ車と交換していった{{Sfn|須田寛|2000|p=81}}。売店車、ビュフェ車を各1両ずつ組み込んだ新正規「こだま」編成となる。
 
 
改良点は後部標識灯フィルタを回転式に変更、乗務員室座席の改良。1969年5月の運賃改定に伴い、1等車はグリーン車に、2等車は普通車に変更されている。
 
 
; 11次車(1970/3 - 4・96両)
 
* 16-70 - 75
 
* 21-78 - 85
 
*22 -78 - 85
 
*25-155 - 170・238 - 245・411 - 426
 
*26-155 - 170・351・353・355 - 370
 
「こだま」編成組替用に売店車を2両組み込んだ編成を6本落成し、ビュフェ車2両組込編成の5号車ビュフェ車を売店車と交換。
 
 
また売店車を2両組み込んだ普通車のみ編成を2編成落成し、12両「ひかり」2編成、ビュフェ車2両組込「こだま」2編成と車両交換により、新正規「こだま」4編成、変則「こだま」2編成ができる。
 
 
変更点としては自動ドアのハンドルスイッチを廃止、ワイパー洗浄水噴射装置の追加、先頭車のみに残存していた列車番号・行先表示用札差の廃止。
 
 
; 12次車(1971/11 - 1972/2・64両)
 
* 16-76 - 87
 
* 21-86・87
 
* 22-86・87
 
* 25-171 - 174・246・247・427 - 430・531 - 540・731 - 740
 
* 26-171 - 174・371 - 374・761 - 770
 
[[1972年]]の岡山延伸に合わせ、「こだま」編成組替用に売店車を2両組み込んだ編成を2本、普通車30両、グリーン車10両の中間車40両が増備された。中間車40両は変則「こだま」編成10本に組み込まれ、「ひかり」16両編成10本となる。この増備により変則「こだま」編成を解消し、新正規「こだま」編成12両47本が揃う。
 
 
変更点として長大トンネル対応連続換気装置の搭載準備工事、グリーン車のマガジンラック設置、カーテン等の素材の難燃化である。
 
 
12次車増備途中の[[1971年]][[12月15日]]、編成記号は製造会社別から用途別に変更された。これは、16両化や組み換えによって、同一製造会社での編成が組めなくなったからである<ref>実際にはひかり・こだま編成の分離およびひかり編成の16両編成化で編成全体が一つの製造会社で統一されなくなった編成が出ていたが、その場合は組み換えおよび増備車を挿入する前の編成記号をそのまま引き継いでいた。[[JTBパブリッシング]]「新幹線車両名鑑」の巻末付近に掲載されている0系の編成の変遷で確認できる。</ref>。「ひかり」編成を'''H'''編成、「こだま」編成を'''S'''(12両編成)もしくは'''K'''(16両編成)編成とした。
 
 
[[1972年]][[3月15日]]の岡山開業までに「ひかり」用編成はH1 - 40編成16両40本となる。なお、H1 - H30編成は元「ひかり」用編成、H31 - H40編成は元変則「こだま」用編成である。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+ひかり・こだま編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|ひかり<br />H1 - H30<br />編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|'''25形<br />(M7)'''
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|'''25形<br />(M5)'''
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="5"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|ひかり<br />H31 - H40<br />編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|'''25形<br />(M5)'''
 
|26形<br />(M'4)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|'''25形<br />(M7)'''
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|'''16形<br />(M's)'''
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="5"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|こだま
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|colspan="4" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|colspan="4" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|}
 
*'''太字'''は追加車両。
 
 
; 13次車(1972/6 - 1972/12・92両)
 
* 25-541 - 563・741 - 763
 
* 26-771 - 816
 
「こだま」16両化用に普通車中間車92両が増備される。これにより変則「こだま」K25 - 41編成16両17本、正規「こだま」K42 - 47編成16両6本が編成され、残りの「こだま」はS1 - S24編成12両24本となった。なお、16両のK編成は売店車(変則はビュフェ車)は5号車、グリーン車は12号車、ビュフェ車は13号車となり、12両のS編成は1 - 4号車欠番の5 - 16号車とされた。この製造分より普通車シートの表地を難燃化素材としている。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+こだま編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|S編成
 
|colspan="4" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|変則K編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|'''25形<br />(M5)'''
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|'''25形<br />(M7)'''
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="6"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|正規K編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|'''25形<br />(M5)'''
 
|'''26形<br />(M'7)'''
 
|'''25形<br />(M7)'''
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="6"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|}
 
*'''太字'''は追加車両。
 
 
; 14次車(1973/2・48両)
 
* 15-41 - 43
 
* 16-88 - 90
 
* 21-88 - 90
 
* 22-88 - 90
 
* 25-175 - 183・764 - 766
 
* 26-175 - 180・375 - 386
 
* 35-145 - 150
 
「ひかり」用のH41 - H43編成16両3本が増備される。新製時から連続換気装置を取り付けている。以降の編成にも踏襲され、既存編成(H1 - H40編成)にも追設され、山陽新幹線岡山以西乗り入れに対応している。
 
 
その他の改良点として騒音低減対策として台車部スカートの延長、電照式行先・指定席/自由席・号車表示器の採用、座席改良、FRP製水タンク・FRP製汚物タンク等難燃化、PCB代替によるコンデンサー類の鉱物油化、デッキ部のスピーカー増設。
 
 
; 15次車(1973/3 - 6・96両)
 
* 25-564 - 587・767 - 790
 
* 26-817 - 864
 
「こだま」16両化用に普通車中間車96両が増備される。この増備でこだまは全て16両編成となる。「こだま」47編成のうち売店車・ビュフェ車組込の正規編成が30本、ビュフェ車2両組込の変則編成が17本となった。
 
 
変更点として主電動機は熱容量増加したMT200Bとした。14次車で採用した電照式表示と台車部スカートの延長は準備工事とした。
 
 
; 16次車(1973/9 - 1974/5・252両)
 
* 15-44 - 64
 
* 16-91 - 111
 
* 21-91 - 111
 
* 22-91 - 111
 
* 25-588 - 650・791 - 811
 
* 26-501 - 542・865 - 906
 
[[1975年]]の博多開業用「ひかり」用に、ビュフェ車ユニットと食堂車ユニットを含まない12両編成21本が増備される。翌年の食堂車組み込みによる16両編成化を見越して、「ひかり」用編成であったがS編成(S44 - S64)を名乗った。これは当時のH編成がH43編成までであり、その連番として番号がつけられたためである。
 
 
改良点としてシリコン整流器を大容量のRS200Aとし、従来の特高圧空気遮断機を真空遮断機に変更、列車番号装置の5桁化、客室の全ての仕切扉の自動引戸化、非常口構造のユニット化、非常はしごの設置、側窓ガラスの飛散防止対策として外側を合わせガラスに変更、26形の業務用室に自動販売機設置準備のため大型シャッターの設置、22形の業務用室を乗務員室への変更があったが、従来車の電照式号車表示は札差となり、騒音低減のためのスカートの延長は取りやめとなった。
 
 
; 17次車(1974/4 - 8・128両)
 
* 27-1 - 64
 
* 36-1 - 64
 
0系初の食堂車のユニット(27形+36形)2両64本が増備される。車両組替により16両H1 - H43編成にビュフェ車ユニット(35形+26形)と入替で食堂車ユニットを組込、12両S44 - S64編成は組替で余剰になったビュフェ車ユニットと新造の食堂車ユニットを組み込み、16両のH44 - H64編成となる。この製造分よりMG容量が増大。27形は身障者対応の設備を有する。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+ひかり編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|岡山・新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|ひかり
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M7)
 
|26形<br />(M'7)
 
|27形<br />(Ma)
 
|style="background-color:#ff9;"|36形<br />(M'd)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="7"|普通車
 
|style="background-color:#ff9;"|食堂車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|普通車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
; 18次車(1974/8 - 12・156両)
 
*15-65 - 80
 
*16-112 - 127
 
*21-112 - 122
 
*22-112 - 122
 
*25-651 - 681・812 - 821
 
*26-543 - 563・907 - 926
 
*27-65 - 74
 
*36-65 - 74
 
1編成のみ両端のユニット4両を除く12両を全て[[グリーン車]]としたH70編成(別名:'''ひかりスペシャル'''または'''IPUスペシャル''')として落成。この編成は、後述の国際会議輸送のために組成され、会議終了後は6組中5組のグリーン車ユニットとその後落成したグリーン車のないH76 - H79,H82編成<ref name="Special0H70"> {{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=321}}</ref>に組み込まれた普通車ユニット等とを入れ替えることでノーマルなH編成6本に組成しなおされた。0系は2両単位の柔軟なユニット組成が出来た点と、博多延伸開業に合わせた0系全体の増備中だったためにグリーン車ユニットを先行して集中増備しても問題が無かった点が本編成の組成を可能とした。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+H70編成(ひかりスペシャル編成)
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|京都|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M'5)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!車両番号
 
|117||553
 
|style="background-color:#cf9;"|70
 
|style="background-color:#cf9;"|117
 
|style="background-color:#cf9;"|72
 
|style="background-color:#cf9;"|119
 
|style="background-color:#cf9;"|73
 
|style="background-color:#cf9;"|120
 
|style="background-color:#cf9;"|74
 
|style="background-color:#cf9;"|121
 
|style="background-color:#cf9;"|75
 
|style="background-color:#cf9;"|122
 
|style="background-color:#cf9;"|76
 
|style="background-color:#cf9;"|123
 
|666||117
 
|-
 
!座席
 
|colspan="2"|普通車
 
|colspan="12" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="2"|普通車
 
|}
 
* 10月6日、第61回[[列国議会同盟]] (IPU) 議員団輸送のため[[東京駅|東京]] - [[京都駅|京都]](ひかり」421・424号)往復に充当。
 
 
この他に用にビュフェ車ユニットを含まない14両10本が増備される。余剰のビュフェ車ユニットを組み込み「ひかり」用H65 - H75編成が組まれる。改良点は主変圧器の絶縁油を従来のPCB油から公害対策としてシリコン油に変更したTM201形の採用、運転室に熱線入りガラスの採用、冷水器の小型化。
 
 
; 19次車(1975/1 - 3・152両)
 
*15-81 - 86
 
*16-128 - 133
 
*21-123 - 133
 
*22-123 - 133
 
*25-682 - 699・822 - 833・901 - 917
 
*26-564 - 586・927 - 950
 
*27-75 - 86
 
*36-75 - 86
 
H70編成と余剰のビュフェ車の組替用として食堂車ユニットと普通車ユニットの中間車8両、グリーン車ユニットとビュフェ車ユニットを含まない12両編成5本とビュフェ車ユニットを含まない14両編成6本が増備される。編成組替で「ひかり」用H76 - H86編成が組まれる。
 
 
12両だった「こだま」S編成は山陽新幹線の新大阪 - 岡山間の開業後の第13・15次増備で旧7・8号車間に新8 - 11号車が挿入され<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=311}}</ref>、16両のK1 - K47編成の47編成が組成された。
 
 
K編成は、連続換気装置のない13次車(1972年製)以前の車が多数を占めていたため、岡山より西に入ることが出来ない。山陽新幹線の各駅停車は「ひかり」H・NH・N編成が担うため、「こだま」編成に連続換気装置を取り付ける必要がなかったためである。
 
 
[[1975年]][[3月10日]]の博多開業までに「ひかり」H編成86本、「こだま」K編成47本の16両編成が準備された。
 
 
; 20次車(1975/6 - 7・96両)
 
*15-87 - 92
 
*16-134 - 139
 
*21-134 - 139
 
*22-134 - 139
 
*25-431 - 436・834 - 839・918 - 935
 
*26-587 - 598・951 - 968
 
*27-87 - 92
 
*36-87 - 92
 
「ひかり」組替用H87 - H92編成6本が増備される。売店車を2両組込。ビュフェ車を2両連結していた「こだま」用K編成と組替で売店車ユニットとビュフェ車ユニットを交換。
 
 
; 21次車(1976/6 - 7・64両)
 
*15-93 - 96
 
*16-140 - 143
 
*21-140 - 143
 
*22-140 - 143
 
*25-437 - 440・840 - 843・936 - 947
 
*26-599 - 606・969 - 980
 
*27-93 - 96
 
*36-93 - 96
 
非常時に対応するための予備として「ひかり」組替用H93 - H96編成4本が増備された。売店車を2両組込。ビュフェ車2両連結の「こだま」は7編成となる。
 
 
; 22次車(1976/9 - 1977/3・147両)
 
*15-1001 - 1011
 
*16-1001 - 1011
 
*21-1001 - 1011
 
*22-1001 - 1011
 
*25-1001 - 1025・1701 - 1703
 
*26-1001 - 1022・1201 - 1225
 
*27-1001 - 1003
 
*36-1001 - 1003
 
*37-1001 - 1022
 
初期の1・2次車置き換えのため小窓の1000番台車両の製造が行われ、編成組み替えの予備として「ひかり」用N97 - N99編成16両3本が増備される。全車1000番台車のため'''N'''編成となった。
 
 
この製造分より設計が大幅に見直され、座席指定表示器の字幕化、発電ブレーキの下限速度の変更(50km/h→30km/h)、主制御器をステップ数を増加したCS46に変更、主抵抗器をMR201に変更、台車を台車枠材質を変更したDT200Aに変更、WN継手をQD251に変更、スカート内部の排障器の材質を鋼製からアルミ製に変更。
 
 
この他にH編成1 - 4・9 - 12・14 - 16号車置換用の11両8本、9号車用の新形式37形ビュフェ車11両の1000番台車が増備される。H1 - H4・H9 - H12編成は先頭車が1000番台車なので'''NH'''編成となった。ただし5・6・13号車は12次車、7・8号車は17次車のため置き換えの対象外。中間車のみ1000番台車に置き換えた編成は編成名の変更はなかった。
 
 
この増備で1・2次車99両が初の廃車となり、浜松工場で順次解体された。1976年に0系保有台数は開業以来最多の2,336両となる。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+ひかり編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多・新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|ひかり
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M7)
 
|26形<br />(M'2)
 
|27形<br />(Ma)
 
|style="background-color:#ff9;"|36形<br />(M'd)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="7"|普通車
 
|style="background-color:#ff9;"|食堂車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|普通車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
; 23次車(1977/6 - 1977/12・121両)
 
* 15-1012 - 1021
 
* 16-1012 - 1021
 
* 21-1012 - 1021
 
* 22-1012 - 1021
 
* 25-1026 - 1045
 
* 26-1023 - 1042・1226 - 1245
 
* 37-1023 - 1043
 
1・2次車置き換え用に11両10本、ビュフェ車11両が増備された。客室内に新幹線車両で初の広告枠を取付。
 
 
; 24次車(1977/12 - 1978/3・69両)
 
* 15-1022 - 1027
 
* 16-1022 - 1027
 
* 21-1022 - 1027
 
* 22-1022 - 1027
 
* 25-1046 - 1057
 
* 26-1043 - 1054・1246 - 1257
 
* 37-1044 - 1052
 
1・2次車置き換え用に11両6本、ビュフェ車3両が増備された。主変圧器がTM201Aとなる。
 
 
; 25次車(1978/5 - 10・71両)
 
* 15-1028 - 1033
 
* 16-1028 - 1033
 
* 21-1028 - 1033
 
* 22-1028 - 1033
 
* 25-1058 - 1069
 
* 26-1055 - 1066・1258 - 1269
 
* 37-1053 - 1063
 
1・2次車置き換え用に11両6本、ビュフェ車5両が増備された。この増備で1・2次車は全て引退し、H1 - H30編成は全てNH編成となった。
 
 
変更点として26形に業務用室を設置され、行き先表示器の方向幕に「修学旅行」を追加する。
 
 
; 26次車(1978/12 - 1979/3・50両)
 
* 15-1034 - 1039
 
* 21-1034 - 1037
 
* 22-1034 - 1037
 
* 25-1070 - 1077
 
* 26-1067 - 1074・ - 1282
 
* 37-1064 - 1070
 
3 - 5次車置き換え用としてH編成1・2・4・9 - 11・13 - 16号車置換用の10両4本、グリーン車ユニット2組、ビュフェ車ユニット3組が増備される。改良点はATC受信機の完全3重化(ATC-1D/S形)、制御装置のデジタル化、冷水器の改良。
 
 
1979年3月のダイヤ改正より「こだま」1-8号車が自由席となるため、ビュフェ車2両の「こだま」7編成の5・6号車ユニットと9・10号車ユニットを交換する。
 
 
; 27次車(1979/5 - 7・24両)
 
* 21-1038・1039
 
* 22-1038・1039
 
* 25-1078 - 1081
 
* 26-1075 - 1078・1283 - 1288
 
* 37-1501 - 1506
 
3 - 5次車置換用。37形はビュフェ部分を拡大し1500番台となり、26形では業務用室から乗務員室に変更した。
 
 
「こだま」用K編成も置き換えとなり、1000番台先頭車のK編成は編成番号に50が加算された。
 
 
; 28次車(1979/8 - 1980/3・89両)
 
* 15-1040・1041
 
* 16-1034 - 1039
 
* 21-1040 - 1047
 
* 22-1040 - 1047
 
* 25-1082 - 1095・1201 - 1206・1401
 
* 26-1079 - 1094・1289 - 1303
 
* 37-1507 - 1519
 
3 - 5次車置換用。車掌室付25形1200番台と売店車25形1400番台が新登場し、将来の2+2化対応のため床構造を変更している。
 
 
; 29次車(1980/5 - 9・48両)
 
* 15-1042・1043
 
* 16-1040・1041
 
* 21-1048 - 1051
 
* 22-1048 - 1051
 
* 25-1096 - 1103・1207・1208
 
* 26-1095 - 1102・1304 - 1313
 
* 37-1520 - 1527
 
3 - 5次車置換用。冷水器上に広告枠を取付。
 
 
この増備をもってH31 - H38編成はNH編成となる。なおH44 - H68・H70 - H74・H76 - H81・H83 - H87・H89編成は10号車のみ1000番台車となる。
 
 
; 30次車(1981/11 - 1982/3・32両)
 
* 16-2001 - 2003
 
* 21-2001 - 2003
 
* 22-2001 - 2003
 
* 25-2001 - 2004・2201 - 2203
 
* 26-2001 - 2006・2201 - 2204
 
* 37-2501 - 2506
 
3 - 9次車置換用。
 
 
この製造分より2000番台となり、変更点は客室アコモデーションの全面改良、200系に準じたFRPによる窓枠、普通車シートのリクライニング化。普通車シートピッチの制限で3人掛けシートは客室中心で背合わせで向き固定、2人掛けは回転可能に。運転室窓サッシ改良、非常口の廃止。
 
 
; 31次車(1982/6 - 11・51両)
 
* 16-2004 - 2006
 
* 21-2004 - 2008
 
* 22-2004 - 2008
 
* 25-2005 - 2014・2204 - 2206
 
* 26-2007 - 2016・2205 - 2211
 
* 37-2507 - 2514
 
6 - 9次車置換用。
 
 
; 32次車(1983/2 - 4・34両)
 
* 16-2007 - 2009
 
* 21-2009 - 2011
 
* 22-2009 - 2011
 
* 25-2015 - 2020・2207 - 2209・2401
 
* 26-2017 - 2022・2212 - 2217
 
* 37-2515 - 2517
 
6 - 9次車置換用。売店車25形2400番台が登場。
 
 
; 33次車(1983/5 - 12・50両)
 
* 16-2010 - 2012
 
* 21-2012 - 2014
 
* 22-2012 - 2014
 
* 25-2021 - 2025・2210・2701 - 2705
 
* 26-2023 - 2028・2218 - 2230
 
* 37-2518 - 2528
 
6 - 10次車置換用。洋式便所付の25形2700番台が登場。
 
 
; 34次車(1983/10 - 1984/3・55両)
 
* 16-2013 - 2016
 
* 21-2015 - 2017
 
* 22-2015 - 2017
 
* 25-2026 - 2035・2211 - 2213・2706 - 2711
 
* 26-2029 - 2034・2231 - 2243
 
* 37-2529 - 2535
 
6 - 10次車置換用。グリーン車16形の業務用室が乗務員室へ変更となる。
 
 
; 35次車(1984/4 - 10・14両)
 
* 16-2017 - 2021
 
* 21-2018・2019
 
* 22-2018・2019
 
* 25-2036・2037
 
* 26-2244
 
* 37-2536・2537
 
9・10次車置換用。
 
 
; 36次車(1984/11 - 1985/3・29両)
 
*16-2022 - 2029
 
*21-2020 - 2027
 
*22-2020 - 2027
 
*37-2538 - 2542
 
10・11次車置換用。こだまの増発用に編成された。
 
 
; 「こだま」用編成の変遷
 
[[1979年]]新製の27次車以降、老朽車を1000番台に置き換えていったが、単純な置き換えではなく、編成替えは実に複雑なものとなったため、多数の編成パターンが生まれた。このため、ビュフェ車が2両あるものや(同一編成内に35形と37形の双方があるものさえ存在した)、ビュフェ車と売店車が1両ずつあるものなどが存在した。先頭車が0番台から1000,2000番台の車両に置き換えられた場合、K編成の番号に50を加算した。例えばK1編成は先頭車が新造車に置き換わってK51編成となった。そのため、K1編成とK51編成は同時に存在しない。
 
 
「ひかり」編成をなるべく簡易リクライニングにすべく、2000番台車両への置き換えによって過剰となった基本番台後期車(14次車以降)や1000番台車両をK編成置換用として使用する場合もあった。先頭車が大窓の場合、前述のような編成番号の変化はなかった。
 
 
置き換えと同時に12両化に備えた車両の移動も行われ、ビュフェ車は9号車、グリーン車は12号車となった。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+「こだま」用K編成(16両) 編成表 時期ごとの変遷<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=31,33-371}}</ref>
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多・新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|1972 - 1980
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="6"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1972 - 1982
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="6"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1979 - 1984
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="6"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1980 - 1984
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="3"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1980 - 1982
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="3"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1981 - 1984
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="3"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1982 - 1984
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|26形<br />(M'7)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
「こだま」利用客の伸び悩みから16両のK編成は順次12両化され、1984年4月11日からSK編成として営業を開始し、[[1985年]][[3月14日]]に全ての「こだま」用K編成は12両のSK・S編成となった{{Sfn|須田寛|2000|p=170}}。
 
 
16両から単純に4両を抜き取って12両編成としたものが半数程度であるが、他の編成からの車両を組み込んだ編成も存在するなど、減車の過程は複雑であった。減車化完了で初期車の35形ビュフェ車は全車廃車となり、ビュフェ車2両組込の変則編成も消滅した。
 
 
先頭車が1000・2000番台車の編成は'''SK'''編成でその他の編成は'''S'''編成となった。SK・S編成のうち51番以上の編成は連続換気装置を持たない車両を含むため、岡山以西に乗り入れる事ができない。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+「こだま」用SK・S編成(12両)編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="12" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多・新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!rowspan="2"|こだま<br />SK・S<br />編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="2"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
; R0編成
 
R編成は[[1985年]]に、博多 - [[小倉駅 (福岡県)|小倉]]間の区間運転用として登場した。現在は在来線に直通している[[山形新幹線|山形]]・[[秋田新幹線]]のことを[[ミニ新幹線]]と呼んでいるが、当時はこのR編成がミニ新幹線と呼ばれた。JR発足時は21編成、最盛期で28編成が在籍していた。
 
 
1985年にR0編成がデビューした。6両編成の全席普通車で構成されていた。先頭車は「こだま」編成削減(K20編成)による<ref name="R0R0">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=391}}</ref>、中間車はNH30編成から3両とH56編成から1両発生した保留車に延命工事を施して使用<ref name="R0R0"/>。5,6号車にはビデオが取り付けられた<ref name="R0">{{Cite book|和書|title=山陽新幹線 関西・中国・北九州を結ぶ大動脈|year=2005|publisher=JTBパブリッシング|pages=P.162|id=ISBN 9784533058820}}</ref>。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|-
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!rowspan="2"|R0編成
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M7)
 
|26形<br />(M'7)
 
|25形<br />(M'5)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!車両番号
 
|77
 
|726
 
|728
 
|755
 
|528
 
|77
 
|}
 
 
; 37次車(1985/5 - 12・28両)
 
* 16-2030 - 2032
 
* 21-2028
 
* 22-2028
 
* 25-2038 - 2051・2712・2713
 
* 26-2035・2245 - 2250
 
10 - 12次車置換用。
 
 
; 38次車(1985/12 - 1986/4・16両)
 
* 16-2033 - 2035
 
* 21-2029・2030
 
* 22-2029・2030
 
* 25-2052・2053・2214 - 2216
 
* 26-2036 - 2038・2251
 
10 - 12次車置換用。変更点として25形2200の番台の乗務員室が荷物保管庫に、業務用室が電話室に変更となる。
 
 
この増備をもって0系車両の製造を終了する。
 
 
; R1 - R21編成
 
[[1986年]]には運転区間の拡大に伴ってR編成を20編成追加する。編成の種類として、3号車にビュフェ車(37形・非営業)を組み込んだものと売店車(25形400・1900・2900番台など)の2種類が存在する。R0編成は3・4号車を別車両に差し替え、R21編成に改番された<ref name="R0R0"/>。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|-
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!rowspan="2"|売店車組込編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M4)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M')
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="2"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|ビュフェ車組込編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|}
 
 
=== JR東海 ===
 
{{Double image aside|right|JR tokai shinkansen 0kei.jpg|200|NH32-Hikari.jpg|200|JR東海NH31編成「ひかり」|最後のNH編成「ひかり」}}
 
; N・NH・H編成
 
「ひかり」用の16両編成。全車1000番台車のN編成は、1993年までに基本番台車や2000番台車の組込でNH編成となる。
 
 
JR東海の「ひかり」編成は、1995年5月10日のNH49編成の廃車によって消滅した。
 
{{-}}
 
 
; SK・S編成
 
「こだま」用の12両編成。国鉄の分割民営化後、[[1987年]] - [[1988年]]にかけてJR東海のSK・S編成は指定席車の内、9・10号車を2列&2列シートにグレードアップした。なお、これに伴う車号の変更はない。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:75%; text-align:center;"
 
|+「こだま」用SK・S編成(12両)編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="12" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多・新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!rowspan="2"|こだま<br />SK・S<br />編成
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(Mk)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M2)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M5)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="2"|普通車
 
|普通車<br />(売店車)
 
|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="2"|普通車<br />(2&2シート)
 
|colspan="2"|普通車
 
|}
 
 
; イベント用車両
 
[[1988年]]に当時保留車となっていた中間車4両(15-52・16-99・25-539・26-835)の座席をすべて撤去し、様々なイベントが開催できるようにした。「こだま」用のSK・S編成に増結して運用されていた。「こだま」の16両化で運用が不可能となったため[[1990年]]11月限りで運用を終了し、4両とも翌年の[[1991年]]に廃車された。
 
 
; YK・Y編成
 
[[File:JRC-TEC-0.jpg|200px|thumb|東海道新幹線最終日の「こだま」(YK8編成)]]
 
「こだま」用の16両編成で、JR東海が所有していた。東海道新幹線の「こだま」はJR発足当初は12両編成でSK・S編成だったが、当時の[[バブル経済]]に伴う地価高騰などによる東京口での[[新幹線通勤]]の急増もあって、「こだま」の利用者が増加していった。そのために、[[1989年]] - [[1991年]]にかけて、100系の投入でNH・H編成解消によって生じた余剰車を使い、1989年から1991年にかけて旧10・11号車間に新11 - 14号車が組み込まれて16両編成化された。編成名はYK・Y編成に改められ、1989年4月29日の「こだま419号」から営業を開始した{{Sfn|須田寛|2000|p=169}}。
 
 
前述のとおり、トンネル内換気方式の違いにより岡山駅以西に入れない車両(13次車以前)が入っている編成は原編成番号に50が加算されていたが、このような編成が[[1995年]]まで残っていた。なお原則として「こだま」用だったが、多客時には山陽新幹線区間走行のものを含む[[臨時列車|臨時]]「ひかり」に充当されることも少なからずあった。
 
 
NH・H編成と違い、グリーン車は8号車1両のみで5号車にビュフェが連結されていた。そのために食堂車はない。指定席車となる9 - 12号車の座席は横4列となっており、2つの「II」をデザインした[[シンボルマーク]]とオレンジ色の号車番号札が外観上のアクセントとなっていた。そのため、編成組成時に挿入された車両のうち、11・12号車は横4列座席化工事が行われた。
 
 
YK編成とY編成の違いはNH編成とH編成と同様に、YK編成は先頭車と一部の中間車が小窓の1000・2000番台車で構成されていたのに対し、Y編成は全車大窓の基本番台車で構成されていた。
 
 
JR東海で最後まで残った0系はこのYK編成である。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+「こだま」用YK・Y編成(16両) 編成表 時期ごとの変遷<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=611}}</ref>
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|1989 - 1999
 
|21形<br />(Mc)
 
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|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
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|26形<br />(M')
 
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|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
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|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
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|-
 
!rowspan="2"|1991 - 1999
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|27形<br />(Ma)
 
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|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
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|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車(2&2シート)
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
=== JR西日本 ===
 
; N・NH・H編成
 
「ひかり」用の16両編成。唯一全車1000番台のN99編成は、1992年までに基本番台車や2000番台車の組込でNH99編成となった。
 
 
JR西日本所属のNH編成は最晩年には東海道新幹線の「こだま」にも使われていた。これはJR東海・JR西日本間の車両走行距離を調整するための意味合いがあり、YK編成とできる限り車両設備を揃えるために、グリーン車を11・12号車→9・10号車へ、ビュフェ車を9号車→5号車に移設した<ref name="NHYK">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=431}}</ref>。また、11 - 14号車は3列席が回転可能なものに交換された([[#指定席アコモ改善]])<ref name="NHYK"/>。
 
 
JR西日本で最後まで残った16両編成はNH32編成であり、最後の食堂車車両が連結されていたが、[[1998年]]3月14日のダイヤ改正で東海道新幹線「こだま」運用を失って東京駅乗り入れがなくなったのに続き、同年[[10月3日]]に名古屋 - 博多間の1往復のみ残っていた「ひかり」定期運用も失い、以後は多客連や[[修学旅行列車]]としての運用のみだったが、[[1999年]][[8月22日]]の「ひかり」389号を最終運用にしてその年末に廃車された。
 
 
:; 指定席アコモ改善
 
[[1991年]]から[[1994年]]にかけてJR西日本は所有するNH編成について、指定席の回転を可能とし、リクライニング角度を拡大、さらにシートピッチの拡大(940mm→980mm)や内装化粧板の交換や床仕上げ材の変更などを実施する、といったメニューでのアコモ改善を行った。
 
 
このときは種車の旧番号ごとにそれぞれ0番台→3030番台、1000番台→5030番台、2000番台→7030番台へ改番した。しかし、これらの車両は、[[新幹線300系電車|300系]]などの新型車両の急速な投入により、本来の投入目的であった「ひかり」運用への充当は短期間に終わり、そのまま「こだま運用」に転用されている。これと同種のアコモ改善は後年の「こだま」用編成のR編成の一部にも施された。
 
 
なお、これらの改良の際に0・1000番台からの改造車は座席交換と同時にシートピッチを拡大したため、窓とシートの位置がずれていた。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+「ひかり」用H・NH・N編成(16両) 編成表 時期ごとの変遷<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=30,32-35,431}}</ref>
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多・岡山・新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!rowspan="2"|1976 - 1996
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M7)
 
|26形<br />(M'2)
 
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|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="7"|普通車
 
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|普通車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1995 - 1999
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M'2)
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M'2)
 
|27形<br />(Ma)
 
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|25形<br />(M7)
 
|26形<br />(M'2)
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
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|colspan="6"|普通車
 
|}
 
 
; SK・S編成
 
JR西日本所有のSK・S編成は「ひかり」で運用されたが、「[[ウエストひかり]]」の登場に伴いそれに転用された。2000年に「[[ひかりレールスター]]」が登場したことにより置き換えられ、2000年に消滅した。「ウエストひかり」は、ビュフェを連結し、2列&2列シートの車両はWK編成、ビュフェ・シネマカー連結、2列&2列シートの車両をWKV編成と称していたが、どちらとも正確にはSK編成である。「ウエストひかり」は最盛期にはR51・SK5・SK10・SK17・SK19・SK25・SK46編成の7本で運用され、シネマカーはSK19・SK25編成の2本だった。番号の新旧対照についてはウエストひかりの項目を参照のこと。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+「こだま」「ウエストひかり」用SK編成(12両) 編成表 時期ごとの変遷<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=41,46-591}}</ref>
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="12" style="background-color:#9cf;"|<div style="float:left; align:left">← 博多</div><div style="float:right; align:right">東京 →</div>
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
 
|-
 
!rowspan="2"|1984 - 2000
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
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|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
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|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1985 - 1991
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|27形<br />(Ma)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|1988 - 1994
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
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|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#cff;"|25形<br />(M)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|普通車
 
|style="background-color:#cff;"|シネマカー
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
; R・WR編成
 
「こだま」用の6両編成で、全てJR西日本にのみ存在していた。R編成はNH編成から、WR(R50番台)編成は「ウエストひかり」の6両編成版、WR(R60番台)編成は「ウエストひかり」SK編成からの組み換えだった。しかし、編成記号はすべてRで表されていた。
 
 
:; R編成
 
[[File:JR West Shinkansen 0 R27.jpg|thumb|200px|新幹線0系電車 R27編成<br />(2000年 三原駅)]]
 
[[1988年]]に「ウエストひかり」の運行がスタート。このときの車両は、R15・R2・R3・R1編成を主体にR51 - R54編成が誕生。詳細は[[#WR編成|後述]]。
 
 
[[1990年]][[2月23日]]付でJR東海から先頭車2両(21-127・22-127。元H80編成)が移籍し、R20編成の先頭車を置き換えたが、0系の会社間転配は後にも先にもこの時のみである<ref>ジェー・アール・アール「JR電車編成表'95冬号」</ref>。
 
 
[[File:Playroom of West Hikari train.jpg|thumb|200px|新幹線0系電車 (R2・R24編成)「ファミリーひかり」プレイルーム]]
 
R2・R24編成はデッドスペースとなっていたビュフェ部分と客室一部を「こどもサロン」と称するプレイルームに改造し、多客時に全席指定の「ファミリーひかり」として運行していた。しかし[[2002年]]を最後にファミリーひかりとしての営業運転を終了し、[[2004年]] - [[2005年]]にかけて廃車された。なお、[[1998年]] - 1999年には[[NINTENDO64]]用[[ゲームソフト]]『[[バンジョーとカズーイの大冒険]]』との[[タイアップ]]で、側面に同ゲームのキャラクターの[[ラッピング車両|ラッピング]]を施した状態で運行された。
 
 
この他、[[1991年]]から[[1997年]]まで「シャトルひかり」と称する「ひかり」に使われたことがある。
 
 
R編成は6両と短いため、先頭車に収められている非常用連結器が営業運転で使われた事例もあった。「ウエストひかり」のうち、R51編成(初代)は12両化されずに6両のまま残され、1日1往復のみ運転されていた。超多客時には輸送力増強のため、東京方先頭車22-3901(16-133を先頭車化改造)に連結器強化改造(R51編成の博多方先頭車21-7001も同様に改造)を施したR23編成を博多方に連結していた。12両として運転する際には、R23編成が自由席、R51編成が指定席として扱われた。当時の大型[[時刻表]]の編成表には「こだま型6両編成を併結する日があります」という表記があった。
 
 
1997年からは内装の変更が行われ、座席の回転が可能になるなどの変更がある。
 
 
山陽区間「こだま」の主力として運用されたが、2002年以降100系V編成を改造して組成した6両K編成に置き換えられる形で運用から順次離脱していく。最後まで残ったR編成は、3列席も回転できる5030・7030番台で構成されており、塗色は「ウエストひかり」色に3列席回転の[[ピクトグラム]]が貼られていた。2005年3月の山陽新幹線開業30周年記念「ひかり」号での運転(R10・R18編成)を最後に撤退した([[#山陽新幹線博多開業30周年記念「ひかり」]]を参照)。R10編成は2005年8月19日に<ref>{{Cite book|和書|title=JR電車編成表 '06冬号|year=2005|publisher=ジェー・アール・アール|pages=p.332|id=ISBN 4-88283-044-2}}</ref>、R18編成は岡山運転所における乗務員訓練用として残っていたが[[2006年]][[2月27日]]に廃車された<ref>[[電車でGO!]]シリーズにも収録されている。</ref>。
 
 
:; アコモ改善
 
かつてNH編成について行われたメニューとほぼ同様だが、自由席・指定席の区別無く実施された<ref name="jrw_19970313">[https://web.archive.org/web/19970603152028/http://www.westjr.co.jp/new/1press/n970313.html 0系新幹線電車6両編成アコモ改善について]([[インターネットアーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年3月13日</ref>。
 
 
座席の回転を可能とし、リクライニング角度を拡大、さらにシートピッチの拡大(940mm→980mm)や内装化粧板の交換や床仕上げ材の変更、便所・洗面所のリニューアルなどを実施する<ref name="jrw_19970313"/>。このときは種車の旧番号ごとにそれぞれ0番台→3030番台、1000番台→5030番台、2000番台→7030番台へ改番した。
 
 
アコモ改善が施された車両は、車両塗装が「ウエストひかり」と同様のものに改められ、客用扉横に専用ピクトグラムが貼り付けられた<ref name="jrw_19970313"/>。
 
 
なお、これらの改良の際に0・1000番台からの改造車は座席交換と同時にシートピッチを拡大したため、窓とシートの位置がずれていた。
 
 
:; WR編成(初代)
 
[[File:新幹線0系JR西日本.jpg|thumb|200px|WR編成ウエストひかり色]]
 
{{see also|ウエストひかり}}
 
WR編成は、1988年に登場した「ウエストひかり」用の6両編成として登場したのが始まり。このときはR50番台を名乗った。
 
 
1987年に組成されたR51 - R54編成は、経年の若い1000番台と2000番台を改造し、シートピッチの拡大(940mm → 980mm)や、2列+2列構成の新型腰掛に交換するなど、100系に準じた仕様でアコモデーションの大幅な改善をおこなってそれぞれ5000番台と7000番台に改番した車両が投入された。
 
 
なお、これらの改良の際に1000番台からの改造車は座席交換と同時にシートピッチを拡大したため、窓とシートの位置がずれていた。
 
 
「ウエストひかり」の爆発的な人気で1988年5月にグリーン車を2両増備して8両編成、後に12両編成に増強され、SK編成となった。ただし、R51編成は6両のまま運行された。これは前述のとおり、R23編成との連結器を唯一持っていたからである。R51編成は早朝・深夜の運行に残ったものの、[[1994年]]には元の車内設備に戻された。2列+3列の簡易リクライニングシートに再交換、車番も7000番台 → 2000番台に復帰、塗装も元に戻されて、R2編成を名乗った。これでWR編成は一度消滅する。
 
 
:; WR編成(2代目)
 
[[File:JRWESTtype0Newcolor.jpg|thumb|200px|WR編成フレッシュグリーン色 姫路駅]]
 
[[File:Kodama-shinkansen-okayama.jpg|thumb|200px|R64編成 岡山駅]]
 
[[2000年]]にWR編成は復帰した。このときはR60番台を名乗った。
 
 
2000年春に運用を終えた「ウエストひかり」だったが、延命工事のために比較的状態の良い車両が多いことや、シートなどの接客設備が優れていることから、「ウエストひかり」に使用された6編成の車両を使用して「こだま」用の6両編成を6本(R61 - R66編成)組成した。2号車には客室のみで構成される26形7200番台が、3号車にはビュフェ車(非営業)である37形5300・7300番台が、4号車には業務用室を車掌室に改造した26形7000番台が組み込まれる。
 
 
車体塗装は「ウエストひかり」と同じであり、出入り扉脇の「W」をかたどったマーキングは維持された。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|-
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!R61 - R66
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|}
 
 
[[2001年]]4月にはR67編成が、[[2002年]]2月にはR68編成が追加された。元「ウエストひかり」の車両からの転用のみでは先頭車両などが不足することから、12両のうち6両がR編成から、2両がQ編成から転用されている。具体的には、各形式の7030番台の車両を2列+2列シートに再改造して組み込んでいる。3号車には、売店車である25形7900番台を組み込んでいる。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|-
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!R67・R68
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|}
 
 
2002年からは濃淡グレーにフレッシュグリーンの新色に変更された。その際「ウエストひかり」時代のWマークは撤去された。WR編成の車内には0系で初めて車内案内表示器が設置された。これは100系V編成の廃車発生品であり、種車の都合から文字部分が大小2種類ある。
 
 
また、2002年から2003年にかけて、R61編成の先頭車両が5000番台車両が7000番台に、R61・R63・R64・R66編成の3号車がビュフェ車である37形から売店車である25形7900番台に<ref>37形よりも25形のほうが座席定員が多いため。</ref>、R64編成の4号車が同形式の他車両に置き換えられている。
 
 
その後しばらくは動きがなかったが、[[2006年]]にはR65・R66編成が廃車された<ref name="0kei">{{Cite book|和書|title=JR電車編成表 '07夏号|year=2007|publisher=ジェー・アール・アール|pages=P.131|id=ISBN 9784882830474}}</ref>。[[2008年]][[3月14日]]に新幹線として最後までビュフェ車(37形)を併結していたR62編成が離脱し、[[3月28日]]付けで廃車となった。[[3月15日]]のダイヤ改正以降は、0系の「こだま」運用が5運用から3運用に削減された。そしてR61・R67・R68の3編成が白/青のカラーリングに戻されることが発表された。[[4月18日]]にR67編成が原色カラーとなって運用を開始した<ref>[http://railf.jp/news/2008/04/18/180400.html 0系R67編成、原色に](鉄道ファン-railf.jp)</ref>。元のカラーリングに塗り替えるため時間がかかるため、R63,R64編成がその代わりに本線を走行したが、[[5月22日]]にR61編成が出庫したために[[5月19日]]でR64編成の、R68編成が出庫したために[[6月19日]]でR63編成の運用が終了した<ref>[http://railf.jp/news/2008/06/20/105200.html フレッシュグリーンの0系、運行を終了](鉄道ファン-railf.jp)</ref>。残った3編成(R61・R67・R68)は[[12月14日]]のさよなら運転で営業運転を終了した。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+WR編成 編成表
 
|colspan="3" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="3"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!rowspan="4"|編成番号
 
!rowspan="2"|R62,R65
 
!形式
 
|21形<br />(7000番台)<br />(Mc)
 
|26形<br />(7200番台)<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(7300番台)<br />(Mb)
 
|26形<br />(7000番台)<br />(M')
 
|25形<br />(7000番台)<br />(M)
 
|22形<br />(7000番台)<br />(M'c)
 
|-
 
!座席
 
|普通車||普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|普通車||普通車||普通車
 
|-
 
!rowspan="2"|R61,R63,<br />R64,R66-R68
 
!形式
 
|21形<br />(7000番台)<br />(Mc)
 
|26形<br />(7200番台)<br />(M')
 
|25形<br />(7900番台)<br />(M)
 
|26形<br />(7000番台)<br />(M')
 
|25形<br />(7000番台)<br />(M)
 
|22形<br />(7000番台)<br />(M'c)
 
|-
 
!座席
 
|普通車
 
|普通車
 
|普通車
 
|普通車
 
|普通車
 
|普通車
 
|}
 
:: 編成一覧は廃車直前時の組成を表示。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%;"
 
|+組成・廃車年月日などの詳細<ref name="0kei"/><ref>{{Cite book|和書|title=JR電車編成表 '08冬号|year=2007|publisher=ジェー・アール・アール|pages=P.131|id=ISBN 9784882830481}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=JR電車編成表 '08夏号|year=2008|p=blisher=ジェー・アール・アール|pages=P.131|id=ISBN 9784882830498}}</ref><ref name="500V">{{Cite book|和書|title=JR電車編成表 '09冬号|year=2008|p=blisher=ジェー・アール・アール|pages=P.131|id=ISBN 9784882830504}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] 2008年7月号(車両配置表)|year=2008|p=blisher=交友社|pages=P.44|id=}}</ref><ref name="oend">{{Cite book|和書|title=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] 2009年7月号(車両配置表)|year=2009|publisher=交友社|pages=P.42|id=}}</ref>
 
|-
 
!編成!!組成月日!!新塗色化*!!車内電光<br />案内板設置!!旧塗色化**!!最終運用日!!廃車日!!備考
 
|-
 
|R61||2000年7月15日<br />(2002年7月17日)||2002年7月17日||2002年10月28日||2008年5月21日||2008年12月14日||2008年12月15日<br />(2009年1月23日)||2002年7月17日に1・3・6号車を<br />5000番台から7000番台のものに交換。<br />21-7008(1号車)のみ2009年1月23日廃車
 
|-
 
|R62||2000年5月11日||2003年12月4日||2002年11月5日|| - ||2008年3月14日||2008年3月28日||
 
|-
 
|R63||2000年3月24日||2002年5月16日||2003年2月7日|| - ||2008年6月19日||2008年6月20日||2002年5月16日に3号車の<br />37-7303を25-7905に交換
 
|-
 
|R64||2000年3月18日||2004年3月15日||2003年1月30日|| - ||2008年5月19日||2008年5月20日||2001年に3号車の<br />37-5301を25-7901に交換
 
|-
 
|R65||2000年8月19日||2002年6月21日||2003年2月15日|| - || ||2006年4月6日||
 
|-
 
|R66||2000年3月<br />(2002年10月18日)||2002年10月18日||2002年10月18日|| - || ||2006年8月1日||2002年10月18日に3号車の<br />37-5303を25-7906に交換
 
|-
 
|R67||2001年4月13日||2003年4月8日||2003年4月8日||2008年4月16日||2008年11月30日||2008年12月26日||2003年4月8日に4号車の<br />26-7008を26-7013に交換
 
|-
 
|R68||2002年2月6日||2003年9月19日||2002年12月21日||2008年6月19日||2008年12月14日||2009年1月23日||
 
|}
 
<nowiki>*</nowiki>新塗色は、「[[ひかりレールスター]]」に準拠した、グレー地にフレッシュグリーン(若草色)の帯を配したもの。<br />
 
<nowiki>**</nowiki>旧塗色は、東海道新幹線開業当初のクリーム色10号/青色20号の配色。<br />
 
 
; Q編成
 
[[File:0 Q4 Kodama Hakata 19980700.jpg|200px|thumb|Q4編成<br />(1998年7月 博多駅)]]
 
「こだま」用の4両編成で、全てJR西日本にのみ存在していた。
 
 
小倉 - 博多間用の輸送力を短編成化によって適正化するために、「ひかり」NH23編成先頭車等を使った4両編成のR51がベースとなっている。[[1997年]]3月に登場した。全て小窓車で、3号車にはビュフェ非営業の37形が連結された。その後、H94,R21編成の先頭車等を使ってR52,R53と2本追加されたが、これらの先頭車は大窓で、中間車は1000番台・2000番台の小窓だった。(ここに記されているR51 - R53編成(4両編成)は前述のR編成(6両編成)とは異なる)
 
 
1997年11月29日のダイヤ改正以降からは[[広島駅|広島]]、小倉 - 博多の「こだま」の半数を4両短編成で区間運転化することになり、新編成1本が追加された上、編成記号を新たに「Q」とし、Q1 - Q3,Q6の4編成とした。その後、NH99,R5編成先頭車等を使って2編成が追加され、2000年1月17日以降は6編成になっていた。Q編成はアコモ改善が行なわれなかった。4両編成の3号車の半数がビュフェ車である37形式だったので、座席数が少しでも多い25形に順次置き換えられ、[[1998年]]秋には全6編成の3号車が25形売店車付きになった。また、先頭車の大窓車は徐々に小窓車に置き換えられ、最後の大窓車もQ2編成のみとなった。
 
 
2000年秋には先頭車が電動車である「[[グランドひかり]]」用100系V編成を短編成化した4両P編成3本(P1 - P3)が登場、Q編成はそれ以後P編成に置き換えられて行き、4両編成自体の運用も減少したため、Q5,Q6編成はR31として6両化が行なわれた。初期の大窓車は、2001年3月9日にQ2編成の車籍抹消をもってなくなった。他のQ編成は[[2001年]]10月1日ダイヤ改正で営業運転を終了し、廃車。予備車として残っていたQ4編成も後に廃車となった。
 
 
なお、Q3編成は廃車後、[[新下関駅]]の保守基地に2000年12月1日に設置された新幹線乗務員訓練センターで教材として使われていた。詳細は[[#付記|後述]]。
 
 
Q編成は広島以西限定運用であった。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+Q編成編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|
 
|colspan="4" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|小倉}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4
 
|-
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!座席
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|普通車
 
|-
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!座席
 
|colspan="4"|普通車
 
|}
 
 
=== 試作編成 ===
 
[[File:JNR SHINKANSEN TYPE1000A.jpg|thumb|200px|新幹線1000形電車A編成(イラスト)]]
 
新幹線開業にあたり、これまで研究してきた高速列車に関する[[手続き的知識|ノウハウ]]が本当に[[実用]]に耐えうるものなのかどうかを確かめるために開業前の[[モデル線|鴨宮モデル線]]でいくつかの試作編成が走行試験を行った。
 
 
[[新幹線1000形電車]]も参照。
 
 
* A編成 : 2両編成で、塗装は0系と異なり、上下に青色のラインが入っただけだった。また[[尾灯]]兼用の[[前照灯|前灯]]は2灯のみでランプカバーも小さく、ノーズ側面には[[列車番号]]表示器が設けられていた。客用ドアには[[気密性]]の保持に有効な[[プラグドア]]を採用した。
 
* B編成 : 4両編成で塗装は0系とほぼ同じ。[[1963年]]3月30日に最高速度256 km/h を達成する。当編成の東京方(1006)[[操縦席|運転台]]のみ平面ガラスであった。
 
 
=== 特別編成 ===
 
* 下記のように専用編成が用意されたのは0系のみで、100系以降は、グリーン車に[[防弾ガラス]]などを装備する仕様になっている[[要人|VIP]]対応車を、一般編成に組み込み運行させている。[[防犯]]上の観点から[[車両番号]]、[[運用 (鉄道)|運用]]も一切非公表で、判別はつきにくい。
 
 
; お召し列車
 
{{vertical images list
 
|1=0_series_royal.JPG
 
|2=
 
|3=0 series royal -2.JPG
 
|4=お召し列車(1977年4月19日<br />新横浜-東京)}}
 
 
かつて0系には専用の[[お召し列車]]編成も存在した。1965年(昭和40年)5月7日の[[島根県]][[全国植樹祭|植樹祭]]の際に初登場となったが、この時は12両編成から3 - 6号車を抜き取った、0系ではウエストひかりで一時採用されたのみの珍しい8両編成であった<ref name="Special0">{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=491}}</ref>。
 
 
最初期は、車両に特別な表示や[[装飾|加飾]]などはされていなかったが、当時は東海道・山陽新幹線は0系のみの運用であったため、1966年(昭和41年)4月の[[岡山県]]植樹祭のお召し列車運用時から目印として先頭車スカートに白いV字型のしるしが入れられ、同時に12両編成での運転となった<ref name="Special0"/><ref>1966年(昭和40年)4月7日「ひかり311号」(東京 - 岡山)が最初。この時は1号車から5号車を[[皇室]]専用とし、6号車以降は一般[[旅客|乗客]]用とした。お召し列車が一般乗客を乗せた車両と一緒に運転されたのは[[在来線]]も含めてこの時が最初。</ref>。また、1971年(昭和46年)8月以降の運用では目印が青のアイラインに変更された<ref>出典 : 「鉄道ファン」No.188 (1976年12月号) 「グラフ・お召し列車」p53。「1971年8月5日以降は正面マークが写真のように変更された」と'''1975年5月'''名古屋駅撮影の写真にキャプションがある。</ref>。編成の空いた車両には一般乗客を乗せることもできたが、[[通信]]設備の向上と[[不審者]]の目印になるとの懸念から、後にお召標記は廃止された。
 
 
0系を使用したお召し列車は1984年(昭和59年)5月が最後となり、次回の1986年(昭和61年)5月からは100系が使用された<ref name="Special0"/>。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+島根県植樹祭お召し列車(1965年5月7日・15日) 編成表
 
|style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="8" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8
 
|-
 
!形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#cf9;"|15形<br />(Ms)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|style="background-color:#fc6;"|35形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!座席
 
|colspan="2"|普通車
 
|colspan="2" style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!車両番号
 
|31||61||31||31||62||62||62||31
 
|-
 
!用途
 
|供奉車||供奉車||お召車||供奉車||供奉車||&nbsp;||&nbsp;||&nbsp;
 
|}
 
この島根県植樹祭お召し列車では、予備編成として12両編成1本、救援機関車として911形を名古屋駅電留線に配置した。
 
 
; 山陽新幹線岡山開業30周年記念「ひかり」
 
 
{{節stub}}
 
山陽新幹線新大阪 - 岡山間開業30周年を記念した0系「ひかり」が2002年3月16日に団体列車扱いで運行された。
 
 
R31編成が充当され、岡山 → 新大阪間を走行した(岡山9:55 → 新大阪11:00)。前頭部には記念イラストが描かれた。このR31編成は当時最後まで残った原色塗り分けの編成となったが、2003年10月9日に編成名削除となった。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+編成表
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|岡山|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!colspan="2"|形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!colspan="2"|座席
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!colspan="2"|定員
 
|75||105||43||100||100||80
 
|-
 
!編成番号<br />車両番号
 
!R31
 
|1038||7212||1044||1043||1056||1038
 
|}
 
* 編成定員503名
 
{{-}}
 
 
; 山陽新幹線博多開業30周年記念「ひかり」
 
[[File:0-Hikari Hakata-30th-aniversary Okayama.jpg|thumb|200px|山陽新幹線博多開業30周年記念「ひかり」(岡山駅)]]
 
山陽新幹線全線開業30周年を記念した0系「ひかり」が2005年3月から4月にかけて運行された。JR西日本に在籍していた0系のうち、白/青カラーリングのR10・R18編成が充当された。厳密には、100系と同じ色彩(白3号+青20号)で子持ちラインつきの[[ウエストひかり]]仕様だったが、ほかの編成であるWR編成はすでにフレッシュグリーン塗色に変更されていたため、すでに定期運用から離脱していたが、今回の記念「ひかり」に充当された。
 
 
前頭部には記念イラストが描かれ、1号車と5号車の側面には記念ロゴが貼り付けられた。また、JRロゴなどの通常掲げられていたロゴはなくなっていた。
 
 
3号車のビュフェではグッズ類の販売が行われたほか、停車各駅の駅弁の積み込みが行われた。また、「ひかり345号」では広島 - 小倉間で、「ひかり340号」では広島 - [[福山駅|福山]]間で国鉄時代に使用していた硬券の特急券をイメージした記念乗車券の配布が行われた。
 
 
当日の運行状況は下記のとおり<ref name="0-Hikari">{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/050117a_hikari.pdf 博多開業30周年記念0系「ひかり」]}}{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>。
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%;"
 
!運転日!!列車名!!運転区間(始発・終着時刻)!!途中停車駅!!使用<br />編成!!備考
 
|-
 
|3月10日
 
|ひかり340号
 
|博多 9:39発 → 新大阪 13:20着
 
|小倉・[[新山口駅|新山口]]・[[徳山駅|徳山]]・広島<br />福山・岡山・[[姫路駅|姫路]]・[[新神戸駅|新神戸]]
 
|R10
 
|岡山 - 新大阪間で親子2代の<br />パーサーによる車内販売を実施。
 
|-
 
|3月10,19,20,26日<br />4月2日
 
|ひかり345号
 
|新大阪 8:15発 → 博多 11:22着
 
|岡山・福山・広島・小倉
 
|R10<br />R18(3月10日)
 
|[[博多総合車両所]]見学者向けに<br />車両所まで直通運転実施。<br />博多駅からの乗車は不可。
 
|}
 
* 3月20日運行の「ひかり345号」は[[福岡県西方沖地震]]発生のため、小倉駅で運転を打ち切り、折り返し岡山行き「こだま」として運行された。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+編成表
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!colspan="2"|形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!colspan="2"|座席
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="3"|普通車
 
|-
 
!colspan="2"|定員
 
|70||105||38||95||95||75
 
|-
 
!rowspan="2"|編成番号<br />車両番号
 
!R10
 
|5033||7238||5032||5033||7731||5032
 
|-
 
!R18
 
|7038||7232||7537||7035||7037||7038
 
|}
 
* 全車指定席、1号車のみ喫煙車両で運行。編成定員478名。
 
 
== 引退に至る経過 ==
 
=== 東海道新幹線 ===
 
[[File:1999-9-18-0kei.jpg|200px|thumb|東海道新幹線での定期運転最終日の0系(「こだま」)(名古屋駅にて、YK41編成)]]
 
ほかの車両に比べて性能の劣る0系は、東海道新幹線での過密ダイヤの中では次第に足かせとなり、「ひかり」運用は急速に減少することとなる。1995年[[9月17日]]に0系「ひかり」は東京駅から撤退し、[[名古屋駅]] - [[博多駅]]間の「ひかり」1往復のみとなった<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=691}}</ref>。その唯一の「ひかり」運用も[[1998年]][[10月3日]]以降は100系に差し替えられ、東海道区間での定期0系「ひかり」は消滅した<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=731}}</ref>。
 
 
0系の後継車両である100系や[[新幹線300系電車|300系]]、[[新幹線700系電車|700系]]の増備に伴い、0系は編成数を減らす。1995年の300系の5,6次車投入に伴い、まず「ひかり」編成であるNH編成が淘汰された。その後は、唯一残る「こだま」編成であるYK編成の淘汰が進行していく。[[東海旅客鉄道浜松工場|浜松工場]]での0系全般検査も1997年[[9月22日]]のYK8編成をもって終了となり<ref>{{Harvnb|イカロス出版編集部|2008|p=721}}</ref>、後は検査切れとなった順に編成ごと廃車となった。
 
 
0系最後のダイヤ改正となる1999年3月13日ダイヤ改正時点では、YK8,20,29,38,40,41の6編成となり、定期運用は東京 - 名古屋、および東京 - 新大阪の「こだま」各1往復(こだま414,425,464,473号)に使用されるのみになった。
 
 
* 下り
 
** こだま425号(東京15:10発→新大阪19:20着)
 
** こだま473号(東京16:31発→名古屋19:24着)
 
 
* 上り
 
** こだま414号(新大阪12:00発→東京16:10着)
 
** こだま464号(名古屋11:55発→東京14:49着)
 
 
同年の夏休み期間となる7月31日、8月8日、28日には0系「ひかり」が東京 - 新大阪間で運転された(後述)。また、前頭部には「長い間のご利用ありがとうございました 0系 最終運転日 平成11年9月18日」とのマーキングが運行終了まで施された。
 
 
[[9月18日]]の「こだま473号」(YK8編成)をもって、東海道新幹線での0系の運行を終了。
 
 
==== さよなら東海道新幹線0系 ====
 
1999年9月18日に定期運用終了に先立ち、0系臨時「ひかり」が東京 - 新大阪間で運転された。当初は「ひかり313号」のみの予定であったが、好評のため、上下1本ずつ追加された。途中停車駅はいずれも[[名古屋駅|名古屋]]・[[京都駅|京都]]のみで、運行開始当初の運行状況が再現された。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%;"
 
!運転日!!列車名!!運転区間(始発・終着時刻)!!途中停車駅!!使用<br />編成!!備考
 
|-
 
|7月31日
 
|ひかり313号||東京 11:28発 → 新大阪 14:23着||名古屋・京都||YK41||
 
|-
 
|8月8日
 
|ひかり321号||東京 13:28発 → 新大阪 16:23着||名古屋・京都||YK41||最後の0系16両「ひかり」(下り)
 
|-
 
|8月28日
 
|ひかり306号||新大阪 10:23発 → 東京 13:17着||京都・名古屋||YK29||最後の0系16両「ひかり」(上り)
 
|}
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+編成表
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
 
|colspan="16" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|新大阪|東京}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15||16
 
|-
 
!colspan="2"|形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|style="background-color:#fc6;"|37形<br />(Mb)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|style="background-color:#cf9;"|16形<br />(M's)
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!colspan="2"|座席
 
|colspan="4"|普通車
 
|style="background-color:#fc6;"|ビュフェ車
 
|colspan="2"|普通車
 
|style="background-color:#cf9;"|グリーン車
 
|colspan="4"|普通車(2&2シート)
 
|colspan="4"|普通車
 
|-
 
!YK8
 
!車番<br />定員
 
|2029<br />70名
 
|2009<br />95名
 
|2007<br />95名
 
|2209<br />105名
 
|2523<br />38名
 
|2205<br />105名
 
|2216<br />90名
 
|2034<br />68名
 
|2008<br />76名
 
|2036<br />76名
 
|2710<br />76名
 
|2241<br />84名
 
|1088<br />100名
 
|1086<br />100名
 
|2009<br />95名
 
|2029<br />75名
 
|-
 
!YK29
 
!車番<br />定員
 
|2027<br />70名
 
|2033<br />95名
 
|2211<br />90名
 
|1272<br />110名
 
|2502<br />38名
 
|1309<br />110名
 
|2212<br />90名
 
|2031<br />68名
 
|2022<br />76名
 
|2034<br />76名
 
|2030<br />76名
 
|1269<br />88名
 
|2214<br />90名
 
|1059<br />100名
 
|2711<br />95名
 
|2027<br />75名
 
|-
 
!YK41
 
!車番<br />定員
 
|2030<br />70名
 
|2037<br />95名
 
|2052<br />95名
 
|2251<br />105名
 
|2518<br />38名
 
|2236<br />105名
 
|2215<br />90名
 
|2035<br />68名
 
|2053<br />76名
 
|2038<br />76名
 
|2031<br />76名
 
|2239<br />84名
 
|2709<br />95名
 
|1004<br />100名
 
|2049<br />95名
 
|2030<br />75名
 
|}
 
* 全車指定席で運行。
 
 
=== 山陽新幹線 ===
 
[[File:Shinkansen_Series0_R67_JNRcolor.jpg|200px|thumb|当初の塗装に復元されたR67編成]]
 
0系で最後まで残った車両は連日の高速運転や20年を越え老朽化が進んでいた。
 
 
当初、JR西日本では「0系は[[新幹線N700系電車|N700系]]の営業開始まで使用する」と発表していた。
 
 
その後、2007年9月に発表されたN700系の追加増備計画に伴い、余剰となる500系5編成を16両編成から8両編成に短縮し、山陽新幹線の「こだま」として運用することにより、0系を置き換えることが同年12月19日にJR西日本より正式に発表された。これにより0系は[[2008年]]11月30日をもって営業運転を終了し、全車廃車と発表された。
 
 
同年2月27日には、6月ごろまでに3本の編成(R61,R67,R68編成)を落成当時の[[クリーム10号]]と[[青20号]]の車体塗装に復元することが発表され、塗り替えられた編成は、同年4月18日より運用を開始した。塗り替えられなかった他の編成が廃車となり、2008年6月20日からは、運用につく0系はすべて白地に青帯の原色編成となった。塗料の材質が当時と異なるため、落成時とは若干異なった色合いとなった。
 
 
また、同日より車内放送用メロディーも2003年秋まで使用されていたものに戻された。
 
 
==== 2008年11月30日までの運用状況 ====
 
[[File:Shinkansen0-N700.JPG|thumb|200px|[[東広島駅]]にて[[新幹線N700系電車|N700系]]を待避する0系]]
 
 
2008年3月15日改正時に0系で運用されていたのは以下の列車である(▲印は博多南線直通)。
 
* 下り
 
** こだま629号(新大阪6:12発→博多10:41着)
 
** こだま639号▲★(新大阪7:59発→博多13:09着)
 
** こだま659号▲★(岡山14:51発→博多18:21着)
 
** こだま769号▲×★(小倉18:36発→博多18:56着)
 
* 上り
 
** こだま620号★(福山6:09発→新大阪7:47着)
 
** こだま638号▲★(博多9:19発→岡山12:53着)
 
** こだま762号×★(博多18:04発→小倉18:24着)
 
** こだま674号×(博多18:42発→新大阪23:21着)
 
** こだま724号▲×★(博多19:12発→広島21:20着)
 
** こだま682号×★(広島23:15発→福山23:58着)
 
以上の列車が、2008年11月30日まで(×印の列車は11月29日まで<ref>[http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/timetable.html JRおでかけネット 0系新幹線時刻表]より {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090202050457/http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/timetable.html |date=2009年2月2日 }}</ref>。)0系で運用された列車であり、0系の最後の定期運用であった。
 
 
定期運用最終列車となった2008年11月30日の「こだま」659号は、博多駅での定期運転終了セレモニーのため、博多南線には直通せず、博多南線には100系P編成(4両)使用の臨時列車が運転された<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173914_799.html 「0系新幹線定期運転終了セレモニー」の実施について] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090226051819/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173914_799.html |date=2009年2月26日 }}</ref>。なお、定期最終列車の続行列車として「こだま697号」(岡山15:03発→博多18時38分着。[[新幹線500系電車|500系]]W8編成使用・普通車全席自由席、グリーン車は車内で販売)が運転されている。
 
 
なお、2008年[[12月1日]](一部列車は[[12月2日|2日]]より)★マークの列車に関しては、500系V編成による運転になる。500系による置き換えについては次節で述べる。
 
 
==== 0系さよなら運転 ====
 
2008年11月30日の定期運転終了後の12月6日、13日、14日にさよなら運転<ref>臨時・全席指定だが、指定席券は同年11月30日の定期運転終了日時点ですでに完売となっていた。</ref>を実施することも発表された<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173566_799.html 新幹線0系車両の塗色変更について] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080301222406/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173566_799.html |date=2008年3月1日 }} - JR西日本プレスリリース</ref>。同年9月24日の社長定例会見では、12月14日に新大阪 - 博多間を1往復する臨時「ひかり」(下りは6日・13日も運転)を0系の最後の運転とすることが発表された<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173849_799.html 9月定例社長会見] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080928051154/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173849_799.html |date=2008年9月28日 }} - 2008年9月定例社長会見</ref>。後に、広島 - 博多間1往復の追加が発表された<ref name="Farewell 0">[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173910_799.html 「0系さよなら運転」の追加運転について] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090317073409/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173910_799.html |date=2009年3月17日 }} - JR西日本プレスリリース</ref>。
 
 
当日の運行状況は下記のとおり<ref name="farewell 0">[http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/senko_yoyaku/ ひかり340・347号時刻表(指定席先行予約)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080101000000/http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/senko_yoyaku/ |date=2008年1月1日 }}(JR西日本)</ref><ref name="farewell 0-2">{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2008/10/17/20081017_fuyurin.pdf 新幹線の臨時列車(2008年冬)]}}{{リンク切れ|date=2010年11月}}(JR西日本)</ref>。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%;"
 
!運転日!!列車名!!運転区間(始発・終着時刻)!!途中停車駅!!使用編成!!備考
 
|-
 
|12月6,13,14日
 
|ひかり347号||新大阪 14:56発 → 博多 18:01着||岡山・広島・小倉||R68(12月6,13日)<br />R61(12月14日)||最後の0系「ひかり」(下り)
 
|-
 
|rowspan="2"|12月13日
 
|ひかり355号||広島 14:42発 → 博多 16:30着||徳山・新山口・小倉||R61||11月11日に追加
 
|-
 
|ひかり356号||博多 10:12発 → 広島 11:45着||小倉・新山口・徳山||R61||11月11日に追加
 
|-
 
|12月14日
 
|ひかり340号||博多 8:06発 → 新大阪 12:05着||小倉・徳山・広島・[[三原駅|三原]]・岡山・姫路||R68||最後の0系「ひかり」(上り)
 
|}
 
 
「サヨナラ」の[[語呂合わせ|語呂]]にちなんだ「ひかり347号」<ref>[http://mainichi.jp/select/wadai/rail/shinkansen/news/20081216ddp008040005000c.html 初代新幹線「0系」 : ありがとう「ひかり347(さよなら)号」で完全引退] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090118062033/http://mainichi.jp/select/wadai/rail/shinkansen/news/20081216ddp008040005000c.html |date=2009年1月18日 }}毎日新聞</ref>(列車番号9347A)は、[[ウエストひかり]]速達タイプ・Wひかりと同じく主要駅にしか停車しない運行で、赤地の「ひかり」の側面方向幕が久々に使用された。新山口駅では、[[新幹線500系電車|500系]]「こだま659号」<ref>11月30日までは0系で運行されていた</ref>を0系「ひかり347号」が追い抜くシーンも見られた。12月14日には新大阪、広島、博多の各駅でお別れセレモニーが開催され<!--<ref>新大阪駅では0系開発に関わった技術者(台車開発の島隆、先頭形状製作の山下清登、試験運転士桐村博之の3名)が来賓としてセレモニーに参加した後、「ひかり347号」に乗車した。</ref>--><!--セレモニー参加および347号への乗車について、ソースが確認できましたら脚注にて記述のうえ、記述を復帰してください。(ノートでの議論による)-->、大勢のファンと報道陣が見届ける中、寄せられた5,460通のメッセージも搭載して運行された。このとき使用されたのはR61編成であり、乗客には記念乗車証が配られたほか、女性車内販売員の制服も山陽新幹線開業当時のものを着用するという演出もあった。また、同日には検索サイト[[Google]]日本語版トップページも0系と富士山の特別ロゴに変更された。これは同社のエンジニアに鉄道ファンがいたためとされる。イラスト提供は川島優志<ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/12/15/21861.html InternetWatch12月14日更新 Googleのロゴにも「0系新幹線」]</ref>。
 
 
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
 
|+さよなら0系「ひかり」 編成表
 
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|
 
|colspan="6" style="background-color:#9cf;"|{{TrainDirection|博多|新大阪}}
 
|-
 
!colspan="2"|号車
 
|1||2||3||4||5||6
 
|-
 
!colspan="2"|形式
 
|21形<br />(Mc)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|26形<br />(M')
 
|25形<br />(M)
 
|22形<br />(M'c)
 
|-
 
!colspan="2"|座席
 
|colspan="6"|普通車
 
|-
 
!colspan="2"|定員
 
|56||84||48||76||76||60<ref>R67編成のみ定員64名</ref>
 
|-
 
!rowspan="3"|編成番号<br />車両番号
 
!R61
 
|7008||7208||7904||7011||7009||7008
 
|-
 
!R67
 
|7951||7210||7902||7013||7008||7951
 
|-
 
!R68
 
|7007||7213||7903||7012||7012||7007
 
|}
 
* 全車普通車指定席、1号車のみ喫煙車両で運行。編成定員400名
 
 
このさよなら運転では万が一運行不能になった際に備え、R67編成が[[岡山新幹線運転所|岡山支所]]に待機していた。12月14日の夜に[[博多総合車両所]]に回送され、この回送列車をもって0系は本線から完全に姿を消した。そしてR68編成が[[2009年]][[1月23日]]付で廃車されたのをもって廃系列となった<ref name="oend"/>。
 
 
<gallery>
 
File:0kei hikari himeji.JPG|さよなら運転での臨時「ひかり340号」R68編成<br />(2008年12月14日 姫路駅)
 
File:Hikari shino-saka 347.JPG|さよなら運転での臨時「ひかり347号」R61編成(入線時)<br />(2008年12月14日 新大阪駅)
 
File:Hikari 347 shio-sakakei.JPG|さよなら運転での臨時「ひかり347号」R61編成の赤地の側面方向幕<br />(2008年12月14日 新大阪駅)
 
File:Shinkansen 0 and 500.jpg|500系を追い越す臨時「ひかり347号」R68編成<br />(2008年12月13日 新山口駅)
 
</gallery>
 
<!--さよなら運転関連の画像は上記の1点を除いて内部リンクを除去しました。[[おおさか東線]]の試乗会関連画像と同様、一般人の顔が写りこんでいたり、公式のものかファンが勝手に張ったのか分からない行き先表示の紙など、本当に掲載する必要があるのか疑問に思ったためです。掲載する必要があるという場合は、黙って差し戻すとおおさか東線のような編集合戦になってしまうので、その前にノートで合意を形成してから掲載するようにしてください。-->
 
 
[[2月19日]]に、JR西日本は[[川崎重工業]]に、同社で製造されたR61編成の1号車であった21-7008(←21-7034←21-2012)を譲渡すると発表した。3月14日に博多総合車両所から搬出され、同社兵庫工場で保存される<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174099_799.html 西日本旅客鉄道株式会社2月定例社長会見] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090222193238/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174099_799.html |date=2009年2月22日 }}</ref><ref>[http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200902190081.html 「0系」ふるさとで余生 製造元川崎重工、1両買い取り](朝日新聞)</ref><ref>[http://www.asahi.com/national/update/0314/SEB200903140005.html 最後の0系新幹線車両、神戸に向け搬出] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090316212932/http://www.asahi.com/national/update/0314/SEB200903140005.html |date=2009年3月16日 }}(朝日新聞)</ref>。また、[[大阪府]][[吹田市]]の吹田操車場跡地に再開発して商業施設や公園を整備する計画(吹田貨物駅開発事業)があるが、そこに先頭車を保存し、展示することが決定された<ref name="0 series">[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090226k0000m040128000c.html 初代新幹線 : 0系先頭車両、吹田市が一般公開へ](毎日新聞) {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090311040850/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090226k0000m040128000c.html |date=2009年3月11日 }}</ref>。そしてR68編成6号車であった22-7007(←22-7036←22-2022)が2009年[[6月11日]]に吹田操車場跡に搬入された<ref name="0-Suita">{{cite news|url =http://railf.jp/news/2009/06/17/154500.html|title =0系R68編成6号車が吹田操車場跡地へ|publisher=railf.jp | date = 2009-06-16| accessdate = 2009-06-17}}</ref>。
 
 
== 保存車両 ==
 
=== 日本国内 ===
 
* 21-1・22-1・16-1・35-1 : [[大阪府]][[大阪市]][[港区 (大阪市)|港区]] [[交通科学博物館]]→[[京都府]][[京都市]][[下京区]] [[京都鉄道博物館]]
 
*: この車両のうち21-1・22-1・16-1は1964年3月に落成した1次車の先行製造車([[鴨宮モデル線]]C編成6両のうちの4両。あとの2両は25-1と26-1)で、同年8月に落成の2次車の35形トップナンバー車35-1とともに、2007年8月に[[機械遺産]](11番)として認定されたものである。また、2008年10月にはJR西日本より[[鉄道記念物]]に、2009年10月には[[重要科学技術史資料]](未来技術遺産)に指定された。2014年4月の交通科学博物館閉館後、2016年4月29日に開館した京都鉄道博物館で保存展示されている<ref>{{Cite web |url=http://www.mtm.or.jp/kyoto/vehicle/list/ |title=展示車両一覧 |work=展示車両紹介 |publisher=京都鉄道博物館 |accessdate=2015-06-07}}</ref>。
 
* 22-2 : 大阪府[[吹田市]] JR西日本社員研修センター
 
[[File:RailwayMuseum_0shinkansen_21-2.jpg|thumb|200px|鉄道博物館に展示されている0系 (21-2)]]
 
* 21-2 : [[埼玉県]][[さいたま市]][[大宮区]] [[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]
 
*: 廃車後長らく大阪府[[吹田市]] JR西日本社員研修センターで研修用に使用されていたが、埼玉県にある[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]へ収蔵されることになり、博物館に隣接している[[大宮総合車両センター]]へ搬送された<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080823-OYT1T00444.htm 初代「0系」新幹線、鉄道博物館入り…第三の“人生”歩む]{{リンク切れ|date=2010年11月}} - 読売新聞2008年8月23日</ref>。搬送は2008年8月27日JR西日本社員研修センター内で[[クレーン]]吊上げ、[[牽引自動車|トレーラー]]積込み、同月28日にセンターから搬出、[[神戸港]]から船積み、[[東京港#大井埠頭|東京港大井埠頭]]に到着後、同月31日未明大宮総合車両センターに搬入された。再塗装や車両内部の全面復元がなされた後<ref>[http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2009/08/post-1083.html 編集長敬白アーカイブ:D51 498号機まもなく復帰。](rail.hobidas.com)</ref>、2009年9月13日未明に鉄道博物館に搬送され、10月21日から鉄道博物館に新設した展示棟内に展示された<ref>{{PDFlink|[http://www.railway-museum.jp/img/20091019_0kei.pdf 10月21日(水)16:15より『0系新幹線車両』を展示公開いたします!!]}}(鉄道博物館)</ref>。前頭部は、アクリル樹脂製のものが取り付けられている。これはかつて交通博物館に存在した0系先頭部のモックアップ(後に解体)に取り付けられていたもので、カバーのみが鉄道博物館に継承、同車の展示に伴い取り付けられたものである<ref>「鉄博」鉄道博物館館報創刊号 2012.3.31 p8-10より</ref>。なお、展示と同時に東海道新幹線の開業から約10年程度使用されていた[[発車標]]、時刻表、[[駅名標]]も併せて復刻されている(ただし時刻表と駅名標は当時と書体が違うなど、細部の相違点はある)。
 
*: 埼玉県[[川口市]]にあった日本車輌製造東京支店蕨工場製で、1964年7月24日の車両落成時はN2編成と命名、1972年から「ひかり」用のH2編成に改称、1977年に営業運転終了、1978年4月から国鉄関西鉄道学園(現・JR西日本社員研修センター)で運転士・車掌養成用訓練設備として活用後、保管されていた。JR西日本から[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に無償譲渡されたもの。ほとんどが東海道新幹線開業時の仕様そのままである。
 
* 22-86 : [[静岡県]][[浜松市]][[中区 (浜松市)|中区]] JR東海[[東海旅客鉄道浜松工場|浜松工場]]
 
* 21-86・36-84・37-2523・16-2034 : [[名古屋市]][[港区 (名古屋市)|港区]] [[リニア・鉄道館]]<ref>{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000005597.pdf JR東海博物館(仮称)展示車両]}}2009年7月24日、JR東海プレスリリース</ref>。それ以前は、浜松工場で保管されていた。
 
 
<gallery>
 
File:JNR_Shinkansen_0type_21-100.jpg|21-100
 
File:Shinkansen 22-75.JPG|22-75
 
File:0key22-86.JPG|22-86
 
File:JR shinkansen 0kei 36-84.jpg|36-84
 
File:JR shinkansen 0kei 37-2523.jpg|37-2523
 
File:0 Series Shinkansen SCMaglev and Railway Park001.jpg|0系21-86([[リニア・鉄道館]] 2013)
 
</gallery>
 
 
* 21-25(前頭部のみ) : [[東京都]][[千代田区]][[交通博物館]]→埼玉県さいたま市大宮区 鉄道博物館
 
* 21-59 : 静岡県[[富士市]] [[新通町公園]]
 
*: 園内の案内板によると、この公園が日本で最初に新幹線を展示したとのこと。
 
* 21-73 : 大阪府[[摂津市]] [[新幹線公園]]<ref>[http://www.city.settsu.osaka.jp/0000000073.html 新幹線公園](摂津市WEB)</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090128-945707/news/20090130-OYT1T00504.htm?from=nwlb 「0系」と走る街づくり…大阪・摂津市「新幹線公園」]{{リンク切れ|date=2010年11月}}(読売新聞)</ref>
 
*: K16編成先頭車。反対側の先頭車両である22-73は[[沖縄県]]にかつて存在した。(後述)
 
* 22-75 : [[東京都]][[青梅市]] [[青梅鉄道公園]]
 
*: 以前は[[新幹線200系電車|200系]]の緑帯に塗られていたが、後の整備の際に青帯に塗り直された。しかし塗り分け線は緑帯時代のままで、運転台側の窓帯の処理が200系に似たものとなっている。また、乗降扉と側窓の間にJRマークが入っている。床下の電装品は取り外されている。
 
* 22-77 : [[福岡県]][[福岡市]][[早良区]] [http://www.satsuki.ed.jp/ さつき幼稚園]
 
*: [[2006年]]に新園舎が旧園舎の約400m南に完成した際には4分割して移動され、屋根がある場所に設置された。
 
* 21-100 : 東京都[[昭島市]] 昭島市民[[図書館]]つつじが丘分室(昭島市つつじが丘公園内)
 
*: 図書館として利用されている。市民でかつて新幹線に携わっていた人がいたことから整備され、ヘッドライトの点灯や[[警笛]]、行先表示器なども動作する。本棚の関係で大半の座席が取り外されたが一部当時のものが残っている。2008年時点ではヘッドライトは土休日の開館日のみ点灯することができる。展示屋根がないため状態は悪いが、定期的に塗装を塗りなおしている。
 
[[File:JRshikoku tetsudo hobby train kiha32 3 0series 21-141.jpg|thumb|21-141と鉄道ホビートレイン キハ32 3]]
 
* 21-141(一部客席を含む前半分のみ) : [[愛媛県]][[西条市]] [[四国鉄道文化館]](北館)
 
*: 2007年10月までは[[四国旅客鉄道]](JR四国)[[四国旅客鉄道多度津工場|多度津工場]]で保存されていた。「新幹線の父」と呼ばれた[[十河信二]]ゆかりの地ということから展示が実現した経緯がある。前記の通り21次車の1両で、0番台(大窓)車としては最後のグループである。また同じ編成の反対側先頭車(22-141)が後述の通りイギリスで保存されている。
 
* 22-1003(前頭部のみ) : [[京都府]][[亀岡市]] [[並河駅]]鉄道歴史公園
 
* 21-2023(前頭部のみ) : [[総合車両製作所]]横浜事業所(旧[[東急車輛製造]] 横浜製作所)
 
*: かつては[[佐久間レールパーク]]に展示されていたが同パークの閉館に伴い、東急車輛産業遺産第3号として保存されることになった<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu-car.co.jp/news/news_10/nr_100823_2.pdf 東急車輛産業遺産第3号として0系新幹線電車前頭部を保存します]}}東急車輛プレスリリース</ref>。
 
* 22-2029(JR東海YK8編成16号車) : [[愛知県]][[豊川市]] [[日本車輌製造]]豊川製作所
 
* 22-7007(←22-7036←22-2022) : [[大阪府]][[吹田市]]
 
*: SK17編成12号車→NH88編成16号車→R15編成6号車→R68編成6号車。吹田市の吹田操車場跡地の整備計画の一環で、先頭車を保存し、展示することが決定された<ref name="0 series"/><ref name="0-Suita"/>が、そのあと市長交替に伴う操車場跡地の利用方針変更などにより、2016年現在に至るも明確な一般公開予定が定まらず、雨水防止シートを被せられ静態で準・非公開保存が続いている<ref>[http://www.sankei.com/west/news/160122/wst1601220012-n1.html 哀れ、無残…「最後の0系」新幹線、無償譲渡も7年間放置 無計画で持て余し、歴史的資料をないがしろ?] 2016年1月21日(産経ニュースWEST)</ref>。
 
* 21-7008(←21-7034←21-2012) : [[兵庫県]][[神戸市]][[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]]兵庫工場 新社屋前
 
*: [[川崎重工業]]で製造されたR61編成(さよなら運転使用車)の1号車。現在、兵庫工場の新社屋前に特急「こだま」用の[[国鉄181系電車|181系(クハ181-1、後に落成当初のクハ26001へ復元)]]と並んで展示されている<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002276624.shtml 高速化の“名優”がそろい踏み 川重兵庫工場] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090828092556/http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002276624.shtml |date=2009年8月28日 }}(神戸新聞)</ref>。
 
[[File:カワサキWひかり.jpg|thumb|[[カワサキワールド]] 21-7038]]
 
* 21-7038(←21-2026)(一部客席を含む前半分のみ) : 兵庫県神戸市[[中央区 (神戸市)|中央区]] [[神戸海洋博物館]]「[[カワサキワールド]]」
 
*: SK14→R6→R18編成1号車。21-7038が川崎重工業製であったことから譲渡が実施された。DT200形台車やMT200形電動機も展示されている。
 
 
=== 日本国外譲渡車 ===
 
[[File:Shinkansen_0_Series_National_Railway_Museum_York.jpg|200px|thumb|イギリスの国立博物館に展示されている0系(22-141)]]
 
* 22-141 : [[イギリス]][[ヨーク (イングランド)|ヨーク]] [[イギリス国立鉄道博物館|国立鉄道博物館]]<ref>[http://www.nrm.org.uk/exhibitions/shinkansen/start.asp Shinkansen 'Bullet Train' exhibition(NRM)]</ref>
 
*: 当車両と四国鉄道文化館の21-141は、H94→Q2編成の先頭車。2001年に西日本旅客鉄道(JR西日本)によって寄贈された<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/1400749.stm High-speed train crawls to new home(BBC NEWS)]</ref>。
 
* 21-5035(←21-1032) :[[台湾]] [[新竹県]][[竹北市]] [[台湾高速鉄道]]
 
*: NH21→R1編成1号車。[[レーザー光線]]を使用した光学式[[建築限界測定車]]に改造され、開業前に日本から改造の上譲渡された[[ディーゼル機関車]][[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14 331]]または[[国鉄DD16形ディーゼル機関車|DD16 20]]に牽引、推進運転する形で使用された。
 
 
<gallery>
 
File:TSHR Structure Gauge Test Car 01.jpg|21-5035の前部
 
File:TSHR Structure Gauge Test Car 02.jpg|21-5035の前部
 
File:TSHR Structure Gauge Test Car 03.jpg|21-5035の後部
 
File:TSHR Structure Gauge Test Car 04.jpg|限界測定車のマーキング
 
File:F1000006.jpg|700Tと21-5035
 
File:700T+DD14+0 Series.jpg|700T+DD14+21-5035
 
</gallery>
 
 
=== 保存後解体 ===
 
* 21-37・22-37・35-73・26-73 :  [[中央鉄道学園]]([[東京都]][[国分寺市]])
 
*: 4両(S7→H33編成)が保存されていたが、学園の閉鎖に伴い解体された。
 
* 22-73  :  [[沖縄コンベンションセンター]]([[沖縄県]][[宜野湾市]])
 
*: K16編成の先頭車が保存されていたが、[[塩害]]による劣化が激しく[[1998年]]12月末に解体された。
 
* 22-56(一部客席を含む前半分のみ) : [[北海道]][[中川郡 (十勝国)|中川郡]][[池田町 (北海道)|池田町]] 民宿ワインの国
 
*: K34編成先頭車。1982年に北方圏森林博覧会「グリンピア82十勝博」にて車両1両が丸ごと展示され、博覧会後は[[緑ヶ丘公園 (帯広市)|帯広市緑ヶ丘公園]]、旧[[広尾線]][[大正駅 (北海道)|大正駅]]跡に展示、池田町への移設時にカットモデルとなった。2015年6月頃に撤去された。
 
 
== 映像作品の登場 ==
 
0系は、その人気ゆえに、映像作品にも数多く登場している。
 
 
=== 映画作品 ===
 
* '''[[新幹線大爆破]]'''
 
::[[高倉健]]主演作品全205作品中181番目の作品。高倉健は犯人役を演じた。
 
 
* '''「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」'''
 
::[[ギャオス]]が、名古屋に飛来した際、新幹線も標的にしており、屋根を超音波メスで切り取り、逃げまどう乗客を生け捕りにして食べていった。
 
 
=== アニメ作品 ===
 
* '''[[キン肉マン]]第29話「新幹線をケッ跳ばせ」
 
::「超人オリンピック」の種目で、0系を素手で投げ、その距離を競う競技がある。[[ジョーズマン]]は[[新大阪駅|新大阪]]、[[ラーメンマン]]は[[岡山駅|岡山]]、[[ブロッケンJr.]]は[[新下関駅|新下関]]、[[カナディアンマン]]は[[小倉駅 (福岡県)|小倉]]まで飛ばしていき、[[テリーマン]]の出番となり、0系を投げたが、子犬の存在に気付き、自らの手で止めるというシーンがあった。
 
 
== 付記 ==
 
{{Double image stack|right|Shin-shimonoseki Shinkansen crew training center.jpg|Shinkansen Tokyo Sta Information Board 20090212.jpg|200|新下関新幹線乗務員訓練センターに留置されていた0系|0系がモデルの「新幹線マーク」}}
 
; 教習車
 
かつて、山陽新幹線[[新下関駅]]の側線([[実設訓練センター|新下関新幹線乗務員訓練センター]])にて[[白3号]]と[[青20号]]原形風の塗装4両編成1本(元Q3編成・JRマーク貼付)がゆっくりと往復している状態を見ることができた。しかし、0系が営業運転から撤退したことに伴い、2009年1月4日から5日の深夜にかけて100系P編成に牽引され、[[博多総合車両所]]まで回送された<ref>[http://railf.jp/news/2009/01/08/103500.html 新下関乗務員訓練センターの0系が博多総合車両所へ](鉄道ファン-railf.jp)</ref>。なお、その後の任は100系元P2編成(フレッシュグリーン塗色)が就いている<ref>{{Cite book|和書|title=鉄道ファン2009年7月号|year=2009|publisher=交友社|pages=P.74|id=}}</ref>。
 
 
この旧Q3編成は、側線の配置の関係で、新幹線側よりも在来線([[山陽本線]])側の方が見やすかった。21-1047 + 26-1093 + 37-1505 + 22-1047の陣容(3号車の37-1505はR11編成から)で、車籍はなく、車両の状態は決していいとは言えなかったものの、新下関駅側にあるJR西日本乗務員訓練センターで教習車として使用されていた。訓練が行われる日には新下関駅新幹線ホーム付近まで走行、新下関駅新幹線上りホームからその状態を間近で見ることができた。なお、37-1505は1995年夏期に客室の座席を撤去した上、プレイルームとして試行されたことがある。2006年にR編成が全廃されて以降、唯一現存する1000番台の車両で編成を構成していた。
 
 
なお、博多総合車両所回送後はその存在が不明だったが、22-1047が2012年10月21日の「新幹線ふれあいデー」の開催に伴い整備され一般公開された。ただこれが今後の保存車になるかどうかは不明である。
 
 
; 駅構内のピクトグラム
 
かつて、新幹線の案内として、駅構内の[[ピクトグラム]]として0系を図案化した「新幹線マーク」が使用されていた。分割民営化後は100系を、さらに2000年代に入り[[新幹線700系電車|700系]](JR西日本においては[[ひかりレールスター]])をモデルとしたマークへと変化していたが、遅くまで残っていたJR東日本管轄の[[東京駅]]丸の内口の看板においても2009年2月上旬より交換が開始された<ref>朝日新聞2009年3月2日付(東京紙面)「青鉛筆」による。</ref><ref>なおこのサインを緑色に反転して200系をモデルにしたものはJR東日本の[[東北新幹線]]、[[上越新幹線]]、[[北陸新幹線]]の案内に引き続き使用されているが、2010年以降一部の駅では[[新幹線E5系電車|E5系]]に変更されているものもある)。</ref>。また、ピクトグラムとしての用途ではないが、駅構内で0系の図案を起用した例もある<ref>[http://www.asahi.com/travel/rail/news/SEB201004200003.html 0系新幹線の団子っ鼻が復活 JR小倉駅のトイレに…] - 朝日新聞、2010年4月20日。</ref>。
 
 
; 道路標識のピクトグラム
 
一方、新幹線駅周辺に設置された[[道路標識]]では、現在も0系を図案化したピクトグラムが多く使われている(新富士駅や三河安城駅など)。
 
 
; 観光列車
 
[[File:JRshikoku tetsudo hobby train kiha32 3.jpg|thumb|200px|鉄道ホビートレインとして、0系電車の外観に改造されたJR四国のキハ32。]]
 
2014年3月15日より、[[四国旅客鉄道|JR四国]]では、[[国鉄キハ32形気動車|キハ32形]]のうち1両を改造し、[[予土線]]で0系電車の外観を模した観光列車「鉄道ホビートレイン」が営業運転を開始している。営業最高速度は85km/hである<ref>[http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/14-01-27/02.htm 「鉄道ホビートレイン」の運行開始日の決定等について] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140424043415/http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/14-01-27/02.htm |date=2014年4月24日 }} - 四国旅客鉄道、2014年1月27日。</ref>。
 
{{-}}
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
 
{{Reflist|2}}
 
{{Reflist|2}}
  
== 参考文献・出典 ==
 
書籍
 
* {{Cite book|和書|author = [[久保敏]]|authorlink = |coauthors =[[星晃]] |year = 1970|title = 電車のアルバムII|publisher = [[交友社]] |id = |isbn =  |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author = [[海老原浩一]]|authorlink = |coauthors = |year = 1984|title = 新幹線 「夢の超特急」の20年|publisher = [[日本交通公社]]|id = |isbn = 9784533004148 |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author = [[鉄道友の会]]編|authorlink = |coauthors = |year = 1988|title = ブルーリボン賞の車両'88|publisher = 保育社|id = |isbn = 978-4586507566 |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author =イカロス出版編集部 |authorlink = |coauthors = |year = 2008|title = 復刻増補版 新幹線0系電車|publisher = [[イカロス出版]]|id = |isbn = 9784863201231 |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2011|title = 鉄道のテクノロジーVol.11|publisher = [[三栄書房]]|id = |isbn = 9784779612527 |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author=日本機械学会 |authorlink=日本機械学会 |title=高速鉄道物語 : その技術を追う |date=1999 |publisher=成山堂書店 |isbn=4425923219 |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author=海外鉄道技術協力協会 |title=The shinkansen : イラストでみる新幹線の技術 |date=1980 |publisher=オーム社 |ncid=BN03475495 |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author=須田寛 |title=写真・時刻表で見る新幹線の昨日・今日・明日 |date=2000 |publisher=JTB |isbn=4533035639 |series=JTBキャンブックス |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author=高橋団吉 |title=新幹線をつくった男島秀雄物語 |date=2000 |publisher=小学館 |isbn=4093410313 |series=Lapita books  |ref=harv}}
 
* {{Cite book|和書|author=浅原信彦 |title=東海道新幹線 |date=2009 |publisher=ネコ・パブリッシング |isbn=978-4777008216 |series=Neko mook 1321. ガイドブック最盛期の国鉄車輌 6 |ref=harv}}
 
 
雑誌
 
* {{Cite journal|和書|author=岩成政和 |author2= |title=思い出のコーヒーカップたち -在来線を中心とした「ビュフェ」雑学- |date=2007-10 |publisher=電気車研究会 |journal=鐵道ピクトリアル |volume=57 |number=794 |naid= |year=2007|ref=harv}}
 
 
論文
 
* {{Cite journal|和書|author=赤星国夫 |title=一般(東海道新幹線車両の構造と性能)(鉄道(新幹線)小特集) |date=1964-11 |publisher=一般社団法人日本機械学会 |journal=日本機械学會誌 |volume=67 |number=550 |naid=110002463449 |pages=1724-1727 |ref=harv}}
 
* {{Cite journal|和書|author=島隆 |title=台車(東海道新幹線車両の構造と性能)(鉄道(新幹線)小特集) |date=1964-11 |publisher=一般社団法人日本機械学会 |journal=日本機械学會誌 |volume=67 |number=550 |naid=110002463453 |pages=1748-1757 |ref=harv}}
 
* {{Cite journal|和書|author=谷雅夫 |title=車体(東海道新幹線車両の構造と性能)(鉄道(新幹線)小特集) |date=1964-11 |publisher=一般社団法人日本機械学会 |journal=日本機械学會誌 |volume=67 |number=550 |naid=110002463450 |pages=1728-1734 |ref=harv}}
 
* {{Cite journal|和書|author=松田和夫 |title=鉄道車両における車体軽量化設計の実際 : 主として新幹線電車の車体について |date=1982-07-05 |publisher=一般社団法人日本機械学会 |journal=日本機械学會誌 |volume=85 |number=764 |naid=110002441412 |pages=716-721 |ref=harv}}
 
* {{Cite journal|和書|author=佐藤恒徳 |author2=久保敏 |title=電気回路および機器(東海道新幹線車両の構造と性能)(鉄道(新幹線)小特集) |date=1964-11 |publisher=一般社団法人日本機械学会 |journal=日本機械学會誌 |volume=67 |number=550 |naid=110002463454 |pages=1758-1772 |ref=harv}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[名古屋新幹線訴訟]]
 
 
{{commonscat|Shinkansen 0}}
 
 
{{日本の新幹線}}
 
{{日本の新幹線}}
 
{{ブルーリボン賞選定車両一覧}}
 
{{ブルーリボン賞選定車両一覧}}

2018/8/12/ (日) 15:23時点における版

新幹線0系電車(しんかんせん0けいでんしゃ)

日本国有鉄道(国鉄)が1964年昭和39年)の東海道新幹線開業用に開発した、初代の営業新幹線電車

1964年(昭和39年)から1986年(昭和61年)まで38次にわたり、改良を重ねつつ総計3,216両が製造された。世界ではじめて200 km/h を超える営業運転を達成し、航空機に範をとった丸みを帯びた先頭形状と、青と白に塗り分けられた流線形の外観で、初期の新幹線のイメージを確立した。1965年(昭和40年)、第8回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。

1964年の開業から、東海道・山陽新幹線用として足かけ44年にわたって運用されたが、2008年平成20年)11月30日定期営業運転を終了、翌月2008年12月14日さよなら運転をもって営業運転を終えた(2009年まで新下関乗務員訓練センターで訓練用車両として利用されていた)。

脚注