九十九里平野

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九十九里平野(くじゅうくりへいや)は、千葉県東部、九十九里浜の背後に広がる平野である。

地理

九十九里平野は、南北に約60キロメートル、東西に約10キロメートルにわたる海岸平野で、九十九里浜の海岸線に沿って南西から北東に細長く延びる、弧状に曲がった細長い長方形をしている。北東端は旭市刑部岬付近から、南端はいすみ市太東崎付近で、北側は下総台地、西側は房総丘陵に接する。標高は、最高点でも10メートル以下で、海岸線と平行していくつかの旧砂丘列が見られる。

現在平野となっている部分は、縄文海進の後に陸地が海側に拡大し作られたものであり、中世以前には玉の浦と呼ばれていたであった。そのため、現在でも平野に散在する池沼にわずかに含まれる塩分濃度が、内陸から海岸にかけて勾配を示すことが知られ、地表面には当時の堆積物の痕跡が見られる[1]弥生時代から中世にかけて顕著な海岸線の後退があり、水に恵まれていた中央部から北東側は早くからの稲作地帯である。なお、北東端には椿海と呼ばれるがあったが、江戸時代干拓されて新田開拓が行われた。また、房総台地との境界が分水界となる南部の地域では、江戸時代に紀州漁民の入植があり、漁業によって発展した。

現在も海岸が後退し平野が拡大し続けているが、その拡大量は低下している。この低下の原因は堆積土砂の供給源である利根川の河川改修の結果、流下する土砂が減少したことと、海食崖の屏風ヶ浦や大東崎での人間による侵食防止策の影響である。

気候

冬暖かく、夏涼しい、すごしやすい気候である。

植生

九十九里平野の中央に位置する栗山川中流域には縄文時代ラグーンが湖沼群として残る地域があり栗山川湿地と呼ばれる。ここは絶滅が危惧される貴重な湿地植物の生育地域であるが、明治以降の開発により急速にその面積を減らしている[2]

山武市東金市の境界にある成東・東金食虫植物群落は、絶滅が危惧されている食虫植物などの湿地植物の群落地帯として、天然記念物に指定されている。

九十九里平野の南端に近い茂原市から長生村にかけての地域に、植物学者牧野富太郎博士が「まさに植物の宝庫である」と絶賛した茂原・八積湿原がかつて存在していた。

かつての海岸線には砂防のためが植えられたので、各時代の海岸線にあたる各地に松林が残っている。現在の海岸には海浜植物が生育している。

資源

可採埋蔵量が3,750億m3 にも達する、日本最大の水溶性天然ガス田である南関東ガス田の中にあり、天然ガスを産出する。また、水溶性天然ガスは岩石層中の鹹水と呼ばれる地層水にガスが溶けた状態で存在しているものであるが、南関東ガス田の鹹水には海水の約2,000倍のヨウ素が含まれ、天然ガスと同時にヨウ素も産出されている[3]

なお、南関東ガス田は南関東に広く分布しているものであり、1970年代昭和45年頃)までは東京湾岸でも天然ガスを採掘していた。しかし地盤沈下を招き、その影響が深刻なため東京湾岸では採掘業者から鉱区権を買い取り採掘を停止している。九十九里平野でも地盤沈下の影響は避けられないが、自治体と採掘業者による協定のもとで採掘事業を行っている。市町村営で都市ガスの供給を行っている自治体も多い。

ガス層までの深度が低いところでは、しばしば地面の割れ目から自然に噴出し、何らかの要因で引火することがある。2004年平成16年)に起こった九十九里いわし博物館の爆発事故は自然湧出したガスに引火したことが原因と見られている。

河川

九十九里平野の市町村

脚注

  1. 堆積物の解析から、この地域では1回の隆起変異量が40~120センチメートルといった現象を少なくとも4回記録している。隆起の原因としては地震が考えられるが、地震の発生年代は特定されていない。
  2. かつて九十九里平野にあった多くの海跡湖は姿を消したが、南房総から続く房総台地が山武市で終わり九十九里平野が下総台地の方に拡がっている栗山川中流域の、多古町南部・匝瑳市北西部・横芝光町北部にかけての一帯には、乾草沼など数少ない海跡湖が残されている。
  3. 南関東ガス田の鹹水から産出されるヨウ素は、一時は世界のヨウ素産出量の4割近くを占め長らく日本は世界最大のヨウ素産出国であった。現在はチリ硝石からヨウ素を産出するチリに次いで2位となっている。

外部リンク

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